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★★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★
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0002日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 13:07:43.40
 故・金関 恕(かなせき ひろし)氏が奈良県天理市和爾の東大寺山古墳から発見した「国宝」中平銘鉄刀。
金関さんは2018年3月の考古学雑誌で、この刀は卑弥呼の五尺刀ではないかという見解を言われてたようだ。

仮にそうだとして、謎の豪族・和邇氏と卑弥呼の関係が分からなかった。

説いたのはわしだ。
参ったか。

   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)
0003日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 13:13:28.78
>>1


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えおまえ!
0004日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 13:14:41.80
訂正

×2018年3月の考古学雑誌

〇2017年3月の考古学雑誌
0005日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 13:15:57.73
>>3
わしは殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたと思ってないので消えてくれないか?
0006日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 13:37:48.12
>>5
おまえだバカヤロウ!


このサギブキジジイが。
0007日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 17:31:17.08
東大寺山古墳は難波根子武振熊命。
0008日本@名無史さん垢版2018/04/20(金) 08:04:34.77
てい
0009日本@名無史さん垢版2018/04/20(金) 08:09:40.85
>>5


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギブキジジイ!
0011日本@名無史さん垢版2018/04/20(金) 23:51:55.27
鴨主の父親の説はいろいろある。
父親と盃を交わすと誓約したら、盃が空の彼方に飛んで言ったとも。
つまりは大物主云々は適当に言っているだけで、鴨主の父親は不明。
そもそも、トイレで用を足していたら、流れてきた赤い矢が刺さって子供ができたとか、見知らぬ男が夜な夜なやって来て、みたいな話だろ。
大物主の子どもとしておけば体面がいいとでも思ったんだよ。
実際には大和に大物主なんていなかった。
0012日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 03:58:41.74
>>11
鴨主lって何だ。
適当な事を言うな。
0013日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 08:17:41.09
ヒメタタラ姫の父親は当時から不明だったということ。
0014日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 08:54:10.09
>>13

ヒメ(蹈鞴五十鈴)のお父さんは事代主神=えべっさん
0015日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 14:04:07.16
>>5


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよおまえ!
0017日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 21:16:01.19
良スレあげwww
0019日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 15:11:08.76
応神天皇元年を390年と考え、そこからの平均在位を計算できる。

​平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも、
正確な数値が出ないと思われるので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年

11年弱が平均在位。
さらに古くなると若干在位が短くなると考え、

「11年」で計算してみる。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ってみる。

11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。

神武元年は3世紀前半。
卑弥呼の時代である。

​卑弥呼とは「ヒメ」蹈鞴五十鈴媛である。
0020日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 15:20:19.40
最後の一行は飛躍している。
0021日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 15:43:30.85
>>20
日本書紀で父は神、兄は王。
これ以上の人材はいない。
0022日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 18:39:09.26
持統で終身在位の原則がなくなり、在位のあり方が大きく変わっているのは考慮しないのか
0023日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 18:47:22.69
統計学を習ったことないでしょ?
・25代平均 ・28代平均 ・30代平均 ・33代平均 ・35代平均
このデータの取り方、25代までのデータが全てに入り込んでいいるから、
独立なデータになっていなくて、単に25代までのデータの末尾がゆれるだけなのは当たり前
大陸王朝の正史からデータを取ると
前漢  17年
後漢  16年
魏晋  11年
東晋  9年
南朝  7年
隋・唐 16年
こんな感じだよ

そして、応神天皇の即位年は、決めがたい
確実なところでは、推古天皇か用明天皇の辺りまで下る
敏達天皇でもいいけれど

で、基準年は用明天皇即位年に取れば586年、平均は気を使って11年から16年として、
代数は実質的な天皇であった神功皇后を入れる必要があるので22代遡ると

平均 11年
586-11x22=344 ---> 344±8年 ---> 336〜352年
平均 16年
586-16x22=218 ---> 234±11年 ---> 223〜245年

意味のある計算にはならないのは分かるかな?
安本美典氏の発表以来、どれだけツッコミが入ってるか、知らない訳でもあるまいに
0024日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 18:47:59.38
文帝 煬帝 恭帝 高祖 太宗 高宗 睿宗 武則天
24 12 1 9 23 34 0 21   これで平均すると16年になるんだが?

隋の7年ってどういう計算だ?

それと、応神天皇400年が、まず怪しいと言っているのに、
崇神天皇からの系譜は

崇神 垂仁 景行 ヤマトタケル 仲哀 応神 
         成務

で、天皇の代数と世代数が一致している
もしこれが、一代10年そこそこだったら、それこそおかしいだろう
10歳で、次の世代を仕込むことになるぞ

仁徳 履中 市辺 仁賢
   反正    顕宗
   允恭 安康
      雄略

みたいな、天皇の代数では9代で、世代数では4世代みたいなところと一緒にしてはダメだよ
この辺もきちんと見ると、一世代30年くらいになっていて、生物学的にも無理のない値になる

あんまり適当なことを書かないことだよ
0025日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 09:48:28.71
とや
0026日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 09:52:34.58
>>19


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



今言えおまえ!
0027日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 19:42:23.07
>>23
>そして、応神天皇の即位年は、決めがたい

いや決めれる。 
25代武寧王の墓から買地券が出た。
つまり武寧王(501-523)は絶対的年代だ。
そこから遡る百済王の年代も同じく。

辰斯王(385-392)
阿莘王(392-405)
腆支王(405-420)
久尓辛王(420-427)
毗有王(427-455)
蓋鹵王(455-475)
文周王(475-477)
三斤王(477-479)
東城王(479-501)
武寧王(501-523)

応神3年条において百済国の阿花王 (392-405)の即位を伝えているが、
『東国通鑑』『三国史記・百済本紀』は、阿花王の即位を392年と記しており、
逆算して求められる 応神元年は390年である。

応神は390年元年である。
ならば崇神は4世紀前半である。
ならばヒミコは決まったも同然である。
0028日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 19:49:12.86
>>24
>で、天皇の代数と世代数が一致している
もしこれが、一代10年そこそこだったら、それこそおかしいだろう
10歳で、次の世代を仕込むことになるぞ

世代間と在位の意味が分かってないようだ。
平均在位が平均11年、一世代間は20年であろう。
新唐書にあるように開化の曾孫が神功皇后ならば、
妃との関係で開化は崇神と同世代と推定できる。
ならば崇神から応神まで4世代。
上記、応神は390年元年なので崇神は4世紀前半になる。

何か文句あるのか?
0029日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 19:52:46.96
>>24
>この辺もきちんと見ると、一世代30年くらいになっていて、生物学的にも無理のない値になる

あのなぁ、 一世代30年ってそれ昭和だから。
平成の今は36年。
この前ラジオで言ってた。

卑弥呼の時代の平均寿命は40年に満たない。
ならば一世代間20年が妥当。
0030日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 20:09:31.28
>>27
>ならばヒミコは決まったも同然である。

最後の一行が不要なんだよ。
0031日本@名無史さん垢版2018/04/27(金) 20:37:37.35
>>30
崇神が4世紀前半ならばまずトヨが決まる。
そしてその前のヒミコが決まる。
   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命

邪馬台国はヒメ(踏鞴五十鈴)やトヨ津が住んだ葛城で決まる。
0032日本@名無史さん垢版2018/04/28(土) 09:26:02.22
>>31


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えおまえ!
0033日本@名無史さん垢版2018/04/28(土) 23:45:52.28
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0034他スレをあらすな垢版2018/04/29(日) 15:30:37.57
さらしあげ
0035日本@名無史さん垢版2018/04/29(日) 21:49:44.27
>>33
>天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
>天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

適当な事を書くなボケ
0036日本@名無史さん垢版2018/04/29(日) 21:56:37.93
>>33


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えおまえ!
0037日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 21:19:58.54
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國(中略)次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國
― 『三国志』魏書東夷倭人

訳文:女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載し得たが、その余の旁国は遠く険しくて、詳細を得られなかった。
次に斯馬国(中略)次に奴國有り 此れ女王の境界の尽くる所なり その南に狗奴國有り

斯馬国(伊勢志摩)
奴國  (名古屋 語源が那古野、那古)
狗奴國 (磐田・袋井 久努(くぬ)国造 三遠式銅鐸の最終集積地)

こんな感じでしょう。
0038日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 21:54:30.98
狗奴国との国境は天竜川だから、二番目の奴国は伊那、恵那、浜名のナ国か、
あるいは、美濃、信濃のノ国のように思いますね。

狗奴国連合の西端が磐田、袋井だっただけで、狗奴国連合は天竜川以東から
関東一帯に広がっていて、3Cの巨大古墳の集まりから、沼津北部にある
弥生後期から古墳前期頃の巨大集落遺構である足高尾遺跡群が狗奴国連合の
都だったように思いますね。
0039日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 15:31:31.35
鳥越憲三郎の説で邪馬台国は奈良県の大和郡山市の矢田町だという説があり、
それに乗っかってもう地元では30年以上も
「卑弥呼コンテスト」ってのをやって町おこししてる。
ここはニギハヤヒ伝説の残る「矢田坐久志玉比古神社」もあり。
ここら一帯も広義の葛城に含まれる。
邪馬台国は葛城である
0040日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 17:23:12.74
>>39
>ここら一帯も広義の葛城に含まれる。
>邪馬台国は葛城である

その通り。
10代崇神が4世紀初頭から前半。
ならばそれ以前の3世紀の王権は葛城。
トヨもヒミコも葛城。
こんな簡単な話が分からないボンクラどもが古代史界に多い。
わしは残りの人生が30年にも満たないだろうが、
ネットに繋がる限りこれを言い続けようと思う。
わしなりの男子一生の業である。
0041日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 17:32:45.74
>>39
>ここら一帯も広義の葛城に含まれる。
>邪馬台国は葛城である

後世に「葛城」と言われる一族も忌部一族なんですよ。 葛城神社のある鳴門出身ですね。  
紀伊水道を渡ってすぐのところが本貫地。  @阿波  
0042日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 19:37:32.96
>>40
間違った学説に一生を捧げるなど、虚しいですね。
0043日本@名無史さん垢版2018/05/02(水) 02:36:56.30
>>42
むなしいだろうな、九州説はもちろん、纏向説もw
0044日本@名無史さん垢版2018/05/02(水) 08:20:18.18
まあ長い目で見たら阿波は間違いなく、いつか此の国の中心やったと思う。
其れが魏志倭人伝に記載された時点で阿波だったのか何処だったのか等と言うのは進捗状況を知る為には大切だとも思うんやが。

先ず、なんでも大陸由来半島経由と言う事にしたいヤカラが正史を歪めてるのを念頭に置いとかないと見誤ってしまうんやろな。
0045日本@名無史さん垢版2018/05/02(水) 09:35:54.88
葛城の勢力は邪馬台国大和朝廷内の権力闘争で、出雲尾張連合に負けたんじゃないかな。

そして女王国から発展した初期の大和朝廷に支配され虐げられていた元々の畿内の住民、九州北部の住吉明神、関東の鹿島明神が手を組み、神功皇后応神を旗頭にして反旗を翻したのかもしれない。



『日本書紀』によれば、
大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していた。
これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の野見宿禰を召し寄せ、捔力(すまひ)で対戦させたところ、互いに蹴り合った後に、腰を踏み折られて死んだ。
蹴速の土地は没収されて、勝者の野見宿禰の土地となったという。
0047日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 03:36:14.66
あげ
0048日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 21:00:24.53
あげ
0049日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 20:04:35.36
あげ
0050日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 11:57:07.73
>>33


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えおまえ!
0051日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:15:25.03
あげ
0052日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 17:03:04.51
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0053日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 20:08:15.07
辰斯王(385-392)
阿莘王(392-405)
腆支王(405-420)
久尓辛王(420-427)
?有王(427-455)
蓋鹵王(455-475)
文周王(475-477)
三斤王(477-479)
東城王(479-501)
武寧王(501-523)

百済25代武寧王(501-523)は墓から買地券(金石文)が出てるのでこれは絶対年代。
ならば阿莘王擁立が日本書紀・応神3年条だから応神元年は390年。
ならば応神から30年後の平均在位は11年弱だから、 神功皇后を入れて6代遡る10代崇神は4世紀前半。
ならば魏志倭人伝のトヨまであと数十年、トヨとは4代天皇・懿徳の皇后のトヨツ姫だと分る。
ならばヒミコはその少し前の最高位の女性、ヒメ(踏鞴五十鈴)媛だと分る。
ならばトヨツ媛もヒメ(踏鞴五十鈴)媛も住んだのは葛城(奈良県御所市)であるから、
邪馬台国の女王が住んだ場所は奈良県御所市であると分る。

文句あるか?
0054日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 20:26:41.61
マルチするな
0055日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 20:31:00.40
うるさいボケ
0056日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 04:54:02.77
訂正
×応神から30年後の平均在位は11年弱だから

〇応神から30代後の平均在位は11年弱だから
0057日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 16:01:55.34
>>53


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



今言えこのサギブキジジイ!
0058日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:21:11.61
葛城っていっても広い。
葛城の中のどこかで話がいろいろ食い違ってくるぞ

卑弥呼の王宮は奈良県大和郡山市矢田町のどこかだろう
0059日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:34:05.60
何もないところばかり王都に持ち上げなければいけない畿内説は悲しいね。
それが桜井市だろうが御所市であろうが。
0060日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 17:42:32.05
>>58
>葛城の中のどこかで話がいろいろ食い違ってくるぞ

高天原(御所市高天))の麓。
4世紀前半の崇神時代の大神神社より古い明神大社が複数ある。
この時点で3世紀のヒミコやトヨの王権は葛城だと決まりなのだが。

ヒミコの住んだ宮は長柄神社こと姫の宮が最有力であろう。
0061日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 18:01:49.16
>>60
>ヒミコの住んだ宮は長柄神社こと姫の宮が最有力であろう。

ヒミコの住んだ宮より、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群を探しなさい。 それが先決事項。  @阿波
0062日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 20:57:58.98
>>61

>民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群

それは田原本でも鴨都波でも唐古鍵でもどこでもいい。
聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。
0063日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:12:42.68
>>62
>それは田原本でも鴨都波でも唐古鍵でもどこでもいい。

そんな鴨都波や唐古鍵より、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群を探しなさい。 それが先決事項。  @阿波
0064日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:15:24.64
>民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群
例えば日本全国のどの弥生末期集落遺跡群なら@阿波の許容範囲内なの?
0065日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:16:58.68
>>62
>聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。

根拠なし。
0066日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:23:51.89
>>64
例えば
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡  @阿波
0067日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:24:59.62
聞いたこともないし、その川も知らないw
0068日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:30:07.07
>>67
そりゃ、そうだろう。 「阿波」を知らない「井の中の蛙」なんだから。  @阿波   
0069日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 21:30:20.56
卑弥呼の王宮は奈良県大和郡山市矢田町

鳥越憲三郎がいってるからこれで決まりw
0070日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 05:37:05.40
>>65
>>聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。

>根拠なし。

根拠なしって、今も日本最古の明神大社が複数存在している。
ヒミコなどの王族がどこに住んだか。
人間が生きていくために最も必要な物、それは水であり、彼ら王族が住んだのは水源だ。
高鴨神社、長柄神社、高天彦神社、ことごとく水源だ。
この中の長柄神社(姫の宮)が最もふさわしい。

祭神はシタテルヒメ。
お父さんは大国主、お母さんは宗像三女神。
それを示すように神社北から銅鐸と多鋳細文鏡が出ている。

出雲の祭器(銅鐸)と北部九州の祭器(多鋳細文鏡)である。

この最良の水源にある王宮がシタテルヒメ一代で終わるわけはない。
ヒメ(踏鞴五十鈴)=ヒミコが住んだのもここであろう。
0071日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 05:38:09.34
>>69
何もない。
せめて明神大社の一つでもあれば。
0072日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 05:50:55.42
一般に大神神社が日本最古などと言われてるが意味が分からない。
高天原(御所市高天)近辺にある孝昭天皇の頃に社殿が創建された高鴨神社、
弥生時代の遺跡のある長柄神社や高天彦神社の方が古い。

その中でも最古にして奈良盆地最上座の位置にある高天彦神社、
ここの境内に径百余歩の塚があり奴婢が埋葬されている。

http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/87_18_2.jpg

埋葬された奴婢とは土蜘蛛だ。
0073日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 06:26:15.96
>>72
御所市高天の高鴨神は、阿波国加茂の「鴨神社」からの勧請である。 頭が高い。   @阿波
0074日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 07:36:32.79
奈良の田舎を基準にされてもねえ。
関東でさえ、天穂日命が創建したと伝えられる関東最古の大社である鷲宮神社があり、縁起の通りなら天孫降臨よりも前、それこそ神武より何代も前になる。
高天彦神社なんて、演技もろくにわからないではないか。
0075日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 07:45:56.11
>>74
せめて明神大社の例を出せ。
0076日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 07:50:29.62
>>74
> 関東でさえ、天穂日命が創建したと伝えられる関東最古の大社である鷲宮神社があり、縁起の通りなら天孫降臨よりも前、それこそ神武より何代も前になる。

◇栃木県下都賀郡石橋町橋本の鷲宮神社祭神は天日鷲命。
「天日鷲命」は勿論、忌部の始祖神ですね。  @阿波
0077日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 07:54:30.94
>>74
御所市の高天は古くから高天原最有力地であり、
神武が来た時には、当地に事代主神や鴨王がいたわけで、つまり大和朝廷発祥地。
その神武以前の王権は考古学的にも弥生時代から始まっている。
関東の例など何の反論にもならん。
0078日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:04:25.63
>>75
格付けははるか後世のものだから無意味
0079日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:05:15.49
>>75
>せめて明神大社の例を出せ。

倭国(阿波)でもいいかな?

延喜式内明神大社
 ・天石門別八倉比売神社(社名自体が荘厳だね)
 ・一宮神社
 ・上一宮大粟神社
0080日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:06:11.18
>>77
事代主も鴨王も、外来の征服者だろう。
本家の筑紫や出雲の宗家の存在を無視するなよ。
大和はそれらの出先の植民地。
0081日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:12:02.27
>>80
>本家の筑紫や出雲の宗家の存在を無視するなよ。

いやいや、ちゃっかり便乗しちゃ遺憾だろ。  @阿波
0082日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:13:15.53
>>80

鴨は神、アイヌ語のカムイ。

>出雲の宗家

無視していない。
加茂岩倉と兄弟銅鐸である松帆銅鐸がBC2〜BC4世紀。
このころに出雲から近畿〜関東にかけてカモ(神)族が移住したのであろう。
カモ地名はもちろんカミ、カノ、クノ、クナという地名が残る。

>本家の筑紫

豚骨ラーメンの話?
0083日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:15:19.16
>>78
>格付けははるか後世のものだから無意味

はるか後世でさえ、高位にランクされてない神社の例を出すな。
0084日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:21:19.07
>>82
>鴨は神、アイヌ語のカムイ。

どうかな?
鷲とか鷹とか熊もよくある名前だから、氏族のトーテムという説もある。
まあ、熊も隈、神から転じたらしいけど。
古代の王族は全て神だから、鴨王だけ特別なわけではない。
それをさも特別なように語るのは詐欺。
0085日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:22:34.88
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0086日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:24:23.76
神奈(カナ)川
鎌(カマ)倉

カモ地名はどんどん見つかる。
0087日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:27:18.47
じゃあ、邪馬台国は神奈川県だったということで。
0088日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:27:41.68
>>84
>古代の王族は全て神だから、鴨王だけ特別なわけではない。

鴨族以外の古代の王族って誰?
弥生時代には文字があったのだから王統伝達できたわけで文献から出せるよね?

言え。
0089日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:28:14.04
いっそのこと、神居の地、北海道が高天原でどうだ?
0090日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:28:50.07
出雲大国主、筑紫天孫など。
いくらでもいるぞ。
0091日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:33:04.12
筑紫は天神の方が通りがいいかな?
0092日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:42:39.52
筑紫天孫って何?
0093日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:43:44.11
天照大神の孫である天孫邇邇芸は、筑紫日向の高千穂宮で即位しました。
0094日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:46:28.58
天孫邇邇芸は日向の高千穂宮だろうね。

でもアマテラスの宮がないよね?
0095日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:50:25.08
天照は高天原にいて、邇邇芸だけが筑紫に降臨しました。
高天原からは、出雲へも筑紫へも関西へも船で移動したことが記紀の記述から伺えます。
0096日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 09:01:48.75
>天照は高天原にいて

具体的にどこ?
神武以前なのだから、さぞかし高名な明神大社なんだろうね?
0098日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 09:07:56.58
明神って神仏習合後の新しい概念であろうがなかろうが、
弥生時代の遺跡がある水源地に建つ明神大社は古代より霊験あらたかで神々の地にふさわしい。

筑紫ではどこ?
0100日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 09:24:32.86
筑紫から神武が渡ったなら、
筑紫は王権の祖地なんだから、
神武以降も当然「王」がいたわけだね。

誰なんだろ、そして神武以後どうなったのだろ。

スズリが発見されて弥生時代から文字があったわけだから、
当然「王統譜」が残ってるはずだよね?
0103日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 12:33:09.78
>>100
九州王朝だよ。
ただし主な記録は記紀の編纂と同時に禁書令が出て消滅された。
焚書だね。
0104日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 13:44:40.76
征服者が偉そうにするのは良くないな。

地元の民が一番。

所詮征服者の王朝など長続きしない。
0105日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 14:40:24.35
>>103
出た!

九州王朝 禁書 消滅www

楽なもんだなw
0107日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 15:04:58.98
>>88


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



今言えこのサギブキジジイ! 
0108日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 15:57:00.84
>>105
禁書の詔が出されたことは確かだからね。
0109日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 19:54:56.56
>>108
その根拠は?
0110日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:16:01.70
>>109
「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条
0111日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:29:10.32
聖徳太子と蘇我馬子が編纂したと言われる『国記』『天皇記』は、
おそらく葛城史観で書かれてたと推測している。

日本では崇神天皇の時代にクーデターがあった。
出雲の神宝が奪われ、
出雲国造が置かれ、
最後の大物主(阿田賀多須」の鎮靈のために大神神社が建てられた。

倒された前王朝のルーツは葛城にあった。
そして蘇我は葛城出自であることを自称している。
0112日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:32:43.25
>>110

だからと言ってなんで九州に王朝があったなんてヨタ話になるの?
0113日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:40:55.64
>>112
九州にもともと王朝があったことは弥生墳墓からおおよそ確定。
問題はいつまでそれがあったのか。
一番遅くにまで仮定するのが九州王朝説だが、その滅亡の時期は白村江の敗戦の少し後で、まさに禁書令の直前になる。
0114日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:59:58.38
『日本書紀』皇極4年6月条に

蘇我蝦夷等誅されむとして悉に天皇記・国記・珍宝を焼く、船史恵尺()、即ち疾く、焼かるる国記を取りて、中大兄皇子に奉献る


焚書とはこの国記だろう。

それを九州王朝だなんて訳わからん。
やれUFOだネッシーだと同じ次元。
0115日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:03:03.46
>>113

平原かい?
王朝なわけないだろ。

平原・曽根遺跡群は5世紀まで墳墓があるのだが、
その貧弱さは王朝などととても言えやしない。
0116日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:03:23.32
「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条
0117日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:04:08.22
そりゃ台与の代で伊都から出たからな。
0118日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:07:25.83
王都は後に水沼や太宰府に遷都しましたよ。
0119日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 10:48:49.11
>>117
>台与の代で伊都から出た

ちょうど那珂八幡古墳の頃だ。
那珂八幡って誰の墓?
0120日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 11:55:08.57
壹與と誘導したいのかな?
残念でした!
祇園山古墳でした!
0121日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 11:56:46.52
>>111


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



今言えこのサギブキジジイ!
0122日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 22:09:42.00
>>120
祇園山古墳は5世紀の須恵器の時代まで続いた集団墓。

バカなのかw
0123日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 08:27:50.57
いくらなんでも、そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど。
畿内説は自説に矛盾する事実を言いくるめようと嘘を吐くからな。
0124日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 22:42:07.19
>そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど

思う思わないではなく事実。
それはともかく祇園山の主体埋葬部の調査は済んでるのか?
どっちみち2世紀前半の男王の墓まで説明しなければいけないのだから無理だよ、あきらめろ。
まぁそれ(説明)は纏向も無理なんだけどね。
0125日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 23:11:11.27
筑紫の中での遷都は許容すべきだと思うが?
0126日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 23:22:44.54
筑紫の話なんてどうでもいいのだ。

>>1で分るように邪馬台国は葛城。

>>2で分るように中平銘鉄刀という考古学的根拠もある。
0127日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 23:25:28.40
刀だけならあちこちにあるよ。
0128日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 01:49:17.00
中華皇帝に直結する刀がどこにあるのだ?
0129日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 01:50:45.12
朝貢年

266年 台与        天トヨ津
 ・
238年 卑弥呼       ヒメ(蹈鞴五十鈴)
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ







後漢書東夷伝の倭国王帥升とはスサノオである。
0130日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 06:56:18.17
>>128
平原遺跡の五尺刀
0131日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 10:17:29.46
>>130
あれは朝鮮半島にもあるし、銘がないので中華皇帝とは直結しない。
0132日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 10:17:51.94
朝貢年
266年 台与        トヨ津
 ・
238年 卑弥呼       ヒメ踏鞴
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ

つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。

これが日本の歴史の真相である。
0133日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 10:43:39.27
>>131
魏志倭人伝に登場する。
0134日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 11:26:17.01
>>133

誰?
0135日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 16:02:26.38
人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
卑弥呼が魏からもらった刀だ。
平原遺跡の副葬品は鏡と服飾品ばかりだったが、五尺刀だけが武器だった。
玉や鏡と合わせると三種の神器にもなる。
三種の神器の成立過程を考える上でも興味深い。
0137日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 17:24:13.54
>>132


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えこの有害サギブキジジイ!
0138日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 19:27:32.30
>>135
>人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
>卑弥呼が魏からもらった刀だ。

平原は2世紀中頃から後半だろ。
卑弥呼がもらった五尺刀は3世紀だ。

五尺刀の最有力候補は金関さんも云ってたが東大寺山古墳の中平銘鉄刀だ。

なんでもパクるな。
0139日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 19:38:37.67
日本最古の神社は大神神社ではなく高鴨神社だ。

大神神社は崇神の時代。
高鴨神社は孝昭の時代。

その高鴨神社よりさらに上座にあり、
もはやいつ頃出来たのかも分からない古い名神大社がある。

高天彦神社だ。
場所は御所市高天。
高天原最有力地である。

つまり高天彦神社は奈良盆地最上座に位置し、最古かつ最聖の神社である。

その高天彦神社の境内に径百余歩ほどの塚があり「奴婢」が埋葬されている。

http://9327.teacup.com/zenyamaren/img/bbs/0001836M.jpg

埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。

かつて葛城で土蜘蛛を退治した男がいた。

日向から来た神武である。

それはヒメ(踏鞴五十鈴)の時代でもある。
0141日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 19:51:03.16
>>140
東大寺山古墳の和邇氏は皇別氏族、つまり王族だ。
だから中華皇帝直結の」刀を保持してても不思議ではない。

対する平原なんて被葬者がどこの馬の骨かわからないではないか。
あそこは単なるミカン畑だったのだし。

頭が高い。
0143日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 19:57:03.46
>>142
倭国(阿波)から。  @阿波
0144日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 20:52:40.35
>>142
>和邇氏はどこから来たの?

孝昭天皇やそのお母さんのトヨ津姫は葛城。
女優・尾野真千子の通ってた青翔高校の隣に孝昭天皇の墓がある。
0145日本@名無史さん垢版2018/05/20(日) 14:59:30.20
>>139


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えこのサギジジイ!
0146日本@名無史さん垢版2018/05/20(日) 19:26:54.38
道教というのが哲学なのか宗教なのか微妙ですが、
鏡祭祀というのと
道教というのは
どれくらいの深度で関係があるのでしょうかね。

銅鏡だけでなく、他の美術品もひっくるめて、
道教思想が意匠として影響したのか、
それとも、鏡というものに、
太陽信仰と同じく道教が特別な意味を見出していたのか。
0147日本@名無史さん垢版2018/05/21(月) 10:39:02.93
朝貢年
266年 トヨ        トヨ津媛
 ・
238年 ヒミコ       ヒメ(踏鞴五十鈴)媛
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ

つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。

この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。

だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。

これが日本の歴史の真相である。
0148日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 07:50:18.21
まずヒミコが誰なのかキチッと考えれば、ヒミコは纏向にいないと答えが出て来る。
ヒミコもトヨも葛城にいた。
故・金関 恕さんの発見した「国宝」中平銘鉄刀の保持者である謎の豪族・和邇氏とトヨ、ヒミコは繋がっていた。

   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)

ヒミコ、トヨをはじめ鴨族の墓は奈良盆地最上座の高天原(御所市高天)にある。
日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり土蜘蛛=奴婢を埋葬している。
https://goo.gl/ajTi3m
0150日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 08:19:19.69
>>149

真理は一人の天才にしか解明できないのだ。

君らのような烏合の衆では無理。
0151日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 10:31:53.14
>>150


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



今言えこのボケジジイ! 
0152日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 16:58:37.09
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0153日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 20:24:02.35
>>152
適当な嘘を混ぜるな、ボケなす。
0154日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 20:25:23.86
何が嘘だ?
言ってみろ。
0155日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 20:32:01.67
登美夜姫と活玉依姫の異同についてなら、疑問にも思っているので聞かないわけでもない。
いとこ同士かもしれないが。
その場合、神武は長髄彦の姪を娶ったことになる。
まあ、行き違いはあれど、登美の領主だからな。

あと、事代主の子というのは、後世の後付けだと思うぞ。
古事記を読めばわかるが、イスケヨリ姫の父親は不明だ。
0156日本@名無史さん垢版2018/05/23(水) 20:34:25.97
あと、五十歩譲って、卑弥呼と神武が同世代というのもいいだろう。
だが大和は中国との交流がなかった時代だ。
筑紫には卑弥呼、大和には神武や饒速日がいた。
0157日本@名無史さん垢版2018/05/26(土) 15:13:28.60
>>152
>天日方奇日方はまたの名を鴨主という。

鴨主なんてどこにいるんだボンクラ。

>あと、五十歩譲って、卑弥呼と神武が同世代というのもいいだろう。
>だが大和は中国との交流がなかった時代だ。

あるよ。
中国製の小札革綴冑。
十数点のうち1点だけ九州で後は全部畿内。
これはおそらくトヨの朝貢時期に入手したのであろう。
そして金関さんの中平銘鉄刀。

九州には王権の謂れ自体がないのだがw
おまえの脳内の話しは止めろよな。
0158日本@名無史さん垢版2018/05/26(土) 15:14:35.42
登美にいたんだよ。
長髄彦の親戚だよ。
0159日本@名無史さん垢版2018/05/26(土) 15:26:39.21
登美ってラーメン激戦区。
それだけ。

おまえ全邪馬連の掲示板で俺に論破され5回もトンズラしたやつじゃないかw

泣いてたのか?www
0160日本@名無史さん垢版2018/05/26(土) 15:28:28.69
すまん、その掲示板そのものを知らないから、別人だ。
0161日本@名無史さん垢版2018/05/26(土) 15:32:45.56
「登美」に執着拘泥してるのはお前とアイツくらいだ。

まぁ別人というのも嘘であろう。
0162日本@名無史さん垢版2018/05/27(日) 08:28:38.90
>>152


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早よ言えこのサギジジイ!
0163日本@名無史さん垢版2018/05/29(火) 22:26:29.48
●安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

●卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴婢百餘人


日本の歴史は大量の奴婢(生口)の記述から始まる。
王権のある場所には王都があり、大量の奴婢がいたという事です。

王権の謂れと太古からの奴婢郷の両方が存在するところ。
どこでしょう?

葛城しかありません。
福岡の差別問題は比較的新しい。
葛城には国栖(くず くにす)に関わる地名も残ってます。

この時点で邪馬台国も帥升の住んだ所も決まりです。

高天原のある葛城でした。
0165日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 18:31:42.45
>>132
いわゆる神武は複数の方を統合した存在。
即位の年代は出雲国が我が国で初めて王政を開始した時期を横領改ざん。

系譜上の神武は天村雲命(初代大倭国大王。)

その大后(嫁)は出雲国の東王家、富家から葛城に移住して分家独立した天日方奇日方命(登美家)の妹君で三輪山の初代祭主、媛踏鞴五十鈴日女命。
それに続くいわゆる欠史と言われている系譜も天村雲命の子孫らの王家、王朝。

事象(あれこれ詳細に記述される)上での神武は崇神と垂仁。なかんずく主に垂仁がリアル神武。
0166日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 18:47:45.12
>>165
天村雲命のじい様(ホアカリ)と崇神や垂仁らの始祖、ニギハヤヒは同一人物(秦帝国(中国)からの渡来人(天照御魂大神/天津神))。

中国からの渡来人〜末裔ゆえに朝貢して権威付け云々の思考が働くのは自明の理?

要するに、在来王朝の出雲をかき回し滅亡させた挙げ句に、
遠い縁戚、身内同士が地みどろの権力勢力争ったのが大古代
ただ、畿内=葛城の出雲族、、登美家(大鴨)と高賀茂家の趨勢やご機嫌がそれらの勢力の明暗を分けたらしい。
0167日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 18:56:13.79
>>165
>系譜上の神武は天村雲命(初代大倭国大王。)

天村雲命と奥さんを大切に祀っているのは日本中で阿波だけ。
軽々しく「天村雲命」を引き合いに出すべからず。  @阿波
0168日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 19:07:42.51
>>166
ニギハヤヒ(ホアカリ/どちらも偽名)の日本での二度目の嫁さんが宗像家の市杵島媛命(=イザナミの二人(二度)目)で天皇家、物部王家の祖。
渡来一度目の嫁さんは所謂、事代主命の姉妹の天道媛命/高光媛命(イザナミの一人目)。
その父親は天冬衣。母親は宗像家の多岐理媛命渡来人某(稀代の大ペテン師。(天御中主/イザナギ/スサノオ、、ニニギ、))と の間に産まれたのが、、、五十猛。=天香語山。
二度目の嫁さん、市杵島媛との間にはホホデミ(天皇家/物部王家の祖)とホヤ媛が産まれ、

そのホヤ媛が異母兄のカゴヤマ/五十猛に嫁いで産まれたのが天村雲命。
0169日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 19:15:45.76
>>167
神社の祭神は大和朝廷の強権を以てキキ神話に従うように原型を改ざんされていますから、、、
0170日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 19:27:32.84
>>168
また、出雲国の西王家の神門臣家、味耜高彦(第9代副王(スクナヒコ)。)の妹君、大屋媛命もカゴヤマに嫁いで
、、、高倉下(紀伊国造の祖)を生んでいます 。(リアル神武、垂仁らはこの高倉下の子孫らにコテンパンに殺られて今の熊野本宮の元有った中洲(大齊原)に追い詰められ孤立化して進退窮まる)

味耜高彦の御子、多岐津彦が葛城に先住する登美家を頼って葛城に移住して高賀茂家を号して分家独立。
父親の味耜高彦を祠に祀り氏神と仰いだのが高賀茂神社の始まり。
0171日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 19:28:36.27
>>169
>神社の祭神は大和朝廷の強権を以てキキ神話に従うように原型を改ざんされていますから、、、

よりによって、 日本中で阿波だけの神社がごろごろ有る理由は?  @阿波
0172日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 20:05:43.91
>>166



で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、ニギハヤヒが中国からの渡来人であるとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?


.
0173日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 21:19:04.09
【登美の鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0174日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 21:50:49.83
>>173


で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、ニギハヤヒが中国からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



テメエ、早く言えよバカヤロウ!
0175日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 21:52:39.35
>>173
>いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも周辺から拓殖に入った忌部一族であることになる。  @阿波
0176日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 21:57:39.93
>>174
>で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、

中国からなんて言ってない!
高天原だよ!
0177日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 22:11:29.84
>>176
>高天原だよ!

高天原は阿波の山岳地帯だよ!  @阿波
0178日本@名無史さん垢版2018/05/30(水) 22:26:14.55
>>176
おまえは166か、否か?
0179日本@名無史さん垢版2018/05/31(木) 07:57:47.88
0180日本@名無史さん垢版2018/06/01(金) 06:44:15.54
.>>165
>いわゆる神武は複数の方を統合した存在
>神武は崇神と垂仁。なかんずく主に垂仁がリアル神武

採点します。

0点。
0181日本@名無史さん垢版2018/06/01(金) 23:04:33.88
古墳の序列は大>中>小だがそれ以外にもある。
立地場所だ。

上座>中座>下座になる。

実際、各地域の上座にはその地域の始祖王らしき人物の墓がある。
例を挙げれば河内の玉手山6号墳、森古墳群の雷塚古墳、讃岐の猫塚、佐賀の久里双水などなど。

では大和盆地の最上座とはどこか。

高天原(御所市高天)だ。

高天原(御所市高天)にある日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり、
魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
https://goo.gl/8CUXf1

トヨもヒミコもヒミコの父さんやお母さんも叔父さんや叔母さん、
そして男弟までみんな死後にこの地に埋葬され、高天原の神々になったのだ。
0182日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 07:27:41.25
畿内説って、頭おかしいよな。
0184日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 20:55:01.34
大和盆地最上座の高天原にある日本最古の神社の境内にある、
奴婢(土蜘蛛)が埋葬されている径百余歩の塚に行ってきました。

この山、入れます。
鳥居をくぐり山の真ん中を通る道は高天彦神社への参道になってます。

とにかく石が多い。
20p大から1Mくらいのまで。
そして途中に墓群がありました。
そんなに古くなく江戸時代から明治あたりか。

神社の境内が墓地になっている。
古神道の特徴です。
おそらくずっとここが地元の墓地であったからでしょう。

「高天原にある日本最古の神社の境内」

何も難しい事はなかった。
卑弥呼の墓、単純明快な場所にあった、と私は思ってます。
0185日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 20:57:36.19
ほれ、典型的な症例がきたぞw
0186日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 21:18:15.67
確かにw
0187日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 21:24:44.51
>>184


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0188日本@名無史さん垢版2018/06/02(土) 21:33:03.85
>>184


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0189日本@名無史さん垢版2018/06/03(日) 19:12:29.01
>>185
>>186


スレタイおよび>>2および>>181への反論は随時受け付けている。

まぁおまえには反論さえ思いつかないであろうが。
0190日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 12:35:36.70
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0191日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 20:09:36.73
差別の問題は意味が大きいのだ。
なぜなら倭國王帥升の連れた160人の生口、
これは2世紀には王権の近くにかなり大きな俘囚郷があった事が推定されるからだ。

九州の差別問題は白村江の移配俘囚や黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとする以上、
弥生時代に大きな王権があったとは言えないのだ。

太古の日本列島において俘囚郷のあった大きな王権地と考えられるのは葛城だ。
この地の俘囚郷が20世紀の「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ」の水平社運動の聖地になるわけだ。

そもそも大和には移配俘囚が存在しない。
ならば大和の俘囚は7世紀以前から存在したということだ。
葛城には土蜘蛛と思われる国栖(くず、くにす)に関わる地名の被差別郷もある。

つまり弥生時代に俘囚郷があり王権があったのは葛城だ。

帥升ことスサノオは葛城にいた。
今も日本最古の高鴨神社に祀られている。

その後、王権は移動していない。
魏志の2世紀前半の其国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は葛城にあった。

邪馬台国とは葛城だ。

ヒミコとはヒメである。
後にヒメ(踏鞴五十鈴)媛と表記される人物である。
0193日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 20:14:03.34
>>192
反論できないわけだな、可哀想に。
0194日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 20:16:34.46
>>192

ここは畿内説スレと違って流れが速くないので、ゆっくり議論できる。

ささ、君の反論を聞こうではないか。
0195日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 12:44:28.99
「天孫」とは本来は大和朝廷のおひざ元である高天原(御所市高天)の鴨(神)族の血筋だと思ってます。

スサノオ=古事記の最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)=倭国王帥升。

蘇我の出自は葛城です。
本来は彼ら「葛城の流れ」が天孫であった。
大国主、大物主、彼らが天孫であった。

蘇我馬子の『天皇記』・『国記』にはそれが書かれていたのではないか。

乙巳の変で蘇我が破れ、「[天孫」の定義が替えられたのではないか、と思ってます。
0196日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 13:00:31.98
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0197日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 13:54:19.20
>>196
もうおまえウザい、来るな。
おまえのくだらないレスを読むくらいなら静かに雨の音を聞いてる方がまし。
0198日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 16:27:46.41
>>197
自分だってあちこち同じことを書いているくせに。
なぜ鴨族の出自について触れないのだ。
三島溝杭耳が神武東征を助けた話を出せば、筑紫から畿内に移住した開拓部族であったことがわかってしまうからだろう。
0199日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 16:35:01.33
蘇我氏の祖は筑紫の覇権を握った倭王であった武内宿禰だからな。
順番を間違えるなよ。
0200日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:44:32.22
>>19
>30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

>・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
>・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
>・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
>・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
>・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年

これ、無作為抽出をしていないから、全然ランダムにとったデータとは言えないよ
35代平均の値でも、応神から25代のデータは共有しているから、ここに上げた数値が
大きく動かないのは当然のこと

統計処理のやり方として、まったくなってないし、ほぼ意味がない
0201日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:55:45.84
>>198
>自分だってあちこち同じことを書いているくせに。

おまえのは全部脳内妄想が根拠。
鴨主って何だよ、日本書紀では鴨王。
いいかげんな話をするな。

鴨族の出自は出雲。

筑紫なんて全然関係ない、しゃしゃり出てくるな。
0202日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:58:15.82
>>200

30代平均一つでもかまわない、11年弱が平均在位であることに変わりない。
文句あるなら自分で計算して数字を出してみろ。
0203日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 22:06:51.66
中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌
高山波  雲根火雄男志等  耳梨與  相諍競伎
かぐやまは  うねびををしと  みみなしと  あひあらそひき
神代従  如此尓有良之  古昔母  然尓有許曽
かむよより  かくにあるらし  いにしへも  しかにあれこそ
虚蝉毛  嬬乎  相挌良思吉
うつせみも  つまを  あらそふらしき  (13)

反歌
高山与  耳梨山与  相之時
かぐやまと  みみなしやまと  あひしとき
立見尓来之  伊奈美國波良
たちてみにこし  いなみくにはら  (14)

渡津海乃  豊旗雲尓  伊理比紗之
わたつみの  とよはたくもに  いりひさし
今夜乃月夜  清明己曽
こよひのつくよ  さやにてりこそ  (15)

耳成山や大和三山に関する歌は興味深い
神代、倭国大乱前の伝承をモチーフにしたのか
0204日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 22:08:53.42
古代からヤマトの地は代理戦争の場所だったのかもな
0205日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 08:21:51.06
それは植民地の典型的パターンだよ。
大和は、倭国の中では辺境の開拓地だった。
0206日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 09:08:25.41
>>205
>大和は、倭国の中では辺境の開拓地だった。

大和だけじゃ、ないけどね。  @阿波
0207日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 12:09:04.44
畿内説は嘘つきだから騙されちゃいけないんだけどさ

「卑弥呼の時代の三角縁神獣鏡が畿内から多く出てる!」って畿内説が論拠に上げるわけ

そこがもう、わざと騙そうとしてるんだけど

たしかに卑弥呼の時代に「作られた」銅鏡は畿内から出てくる

でもそれは「卑弥呼の時代より100年くらい後の遺跡から」なんだよね

だから真相はやはり九州説を強化してるわけ

つまり、九州に伝来した三角縁神獣鏡が、100年かけて畿内まで普及した、と


九州は3世紀中盤の那珂八幡古墳から三角縁出てるからな
卑弥呼の時代リアルタイムの遺跡から出てる

伝来の流れがわかるよな
0208日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 15:10:21.47
鏡なんぞより国宝・中平銘鉄刀。

http://livedoor.blogimg.jp/myacyouen-hitorigoto/imgs/0/6/06e12156-s.jpg

卑弥呼と和邇氏の関係について考えよう。

解けるよ、ほら。


   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
0209日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 15:24:21.69
>>207
福岡でまた弥生時代のスズリだ出たそうだ。
これで8個目だったか、もはや弥生時代に文字文化があったことが明白になった。

ところがそれは九州説にとって致命傷なのだ。
九州に王がいた、王権があった、王都があったという謂れが皆無だ。
あれば文字伝承できるのに、ないという事は九州に王都などなかったのだ。

そもそも九州説自体、古代天皇や大和朝廷の朝貢を、
プライドとしての認めたくない江戸時代の国学者たちが創り出した虚構。
新井白石は邪馬台国論争に九州という答えを出したのではない、
九州を出す事で「邪馬台国論争を創った」のだ。
論争してくれてるうちは古代天皇や大和朝廷の朝貢という重い課題を着席させずに済む。
永遠の中腰を狙ったのだ。

そこが分かってない古田武彦という演歌歌手が、
20世紀になってかつて九州に王朝があったという珍説を出したが、
まぁ所詮は演歌歌手だ、無視してよい。
0210日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 18:29:00.98
>>209
倭人伝には3人の王が登場してるだろ

邪馬台国女王卑弥呼
女王に従う伊都国王
女王と対立する狗奴国王ヒミココ
0211日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 19:07:48.03
>>210
>女王に従う伊都国王

名前が出ていない時点でおかしいと思えよ。
卑弥呼のことだよ。
0212日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 19:30:49.19
>>208


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0213日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 19:40:57.74
>>208


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0214日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 21:43:12.93
当麻は投馬かな

宮崎、都萬
0215日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:13:20.85
都万は投馬国
0216日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:15:37.00
>>209
崇神天皇から弘文天皇が九州の歴史だよ
神武天皇から開化天皇、天武天皇が畿内地方の歴史
0217日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:30:12.81
何を言ってるんだか、もう…(;´д`)

普通に考えればいいのに。

4世紀初頭から前半の10代崇神、その少し前にトヨがいる。
そしてその少し前にヒメ(踏鞴五十鈴)媛がいる。

はい、終わり。
0218日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:34:25.99
>>216
>崇神天皇から弘文天皇が九州の歴史だよ

九州が天皇家の本貫地ならば、「践祚大嘗祭」で「蚊帳の外」になる筈がない。 推して知るべし。  @阿波
0219日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:45:58.87
「大嘗祭は、即位に伴う最重要神事とされ、政府は「公的な皇室行事」と位置付けた。」  @阿波
0220日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 22:48:55.69
>>216

第10代 崇神天皇

御間城入彦五十瓊殖尊 (“みま”きいりびこいにえのすめらのみこと)

阿波には、昔、北の粟国と南の長国があったが、古代には西部にもう一つの国があった。

それが旧美馬郡(三好郡含む)の範囲で、元の「倭」国。

高天原(剣山地)から長の国に天下った天孫族が、粟の国に侵攻し(神武天皇)、

崇神天皇が初めてミマ地域に入り、磯城瑞籬宮を造営。

「ミマ城・入り彦」を名乗り、阿波国内を統一、これにより、

神武天皇は、『日本書紀』で 「始馭天下之天皇」 (はつくにしらすすめらみこと)
崇神天皇は、『古事記』で 「所知初国之御真木天皇」 (はつくにしらししみまきすめらみこと) と記された。  @阿波
0222日本@名無史さん垢版2018/06/22(金) 21:34:13.58
九州説はアホw
0223日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 08:42:16.14
天日方奇日方(あまひがたくしひがた)の「ひがた」をヒコではないかという説があるらしい。

そうだとすると妹のヒメ(踏鞴五十鈴)媛、つまりヒメとヒメヒコ制を形成している。

もう一つある。

トヨ津媛と豊御気主。

これもヒメヒコであろう。 

神武、安寧、懿徳などはよそ者。
4世紀初頭、崇神がクーデターを起こし、神武を始祖王とした男系王朝を創ったのであろう。
0224日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 08:46:31.74
ヒメヒコ制 wiki

ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコ、トベを称号とした)と
軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはネを称号とした)が
共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。
『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ[2]、
阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ[3]、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、
伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ[4]、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。
また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている[5]。
そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い。
ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている。
0225日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 09:01:44.88
だからなんだ。
そんなの西日本全域にある。
邪馬台国とは関係ない。
0226日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 09:21:17.02
>>225
いや、ある。
倭国大乱で男王が一時的に退いて女王を立てたわけだから。
実質、男王国であった。

しかし神武は関係がない。
0227日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 10:17:36.94
>>226


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!
0228日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 10:23:49.40
>>226


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!
0229日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 10:54:28.96
まあ、畿内や神武は邪馬台国に関係ないということ。
0230日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 11:07:50.30
>>229
邪馬台国に関係あるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波
0231日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 16:11:59.61
ここのスレ主は、三輪高宮系譜でも読むといいと思うよ。
0232日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:07:20.60
>>231
おおよその骨子を言ってくれないか。
三輪氏というのは崇神時代の大田田根子以降だね。
彼は須恵村に住んでいたので興味がある。
わしは須恵村を結構うろうろしている。
おそらく上神谷(にわだに)であろう。
昔は神の古語であるミワ、ミワ谷と言った。
大神神社のミワに通じる。

彼らは鴨系統、つまり銅鐸氏族だ。
0233日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:20:28.97
>>229

いや神武の時代が邪馬台国の時代だよ。
神武の時代が女王国であった。
神武東征紀とは、女王国であった史実をごまかすためにことさら大げさに書かれた。
神武の時代に卑弥呼がいたのだ。
卑弥呼がいた場所は王権があった葛城。
0234日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:29:24.17
>>233
>神武東征紀とは、女王国であった史実をごまかすためにことさら大げさに書かれた。

誤魔化す必要は全くないよ。 正直に倭国(阿波)での東征譚だよ。  @阿波
0235日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:37:49.79
>>234
>誤魔化す必要は全くないよ

ごまかす必要があった。
だから神武の時代もBC660年、127歳などと大きく古く引き延ばしたのだ。

卑弥呼が誰なのか分かれば、卑弥呼から約100年前の倭国王帥升が誰なのか分かってしまうからだ。

倭国王帥升とはスサノオだ。
0236日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:44:25.82
>>235
>ごまかす必要があった。
だから神武の時代もBC660年、127歳などと大きく古く引き延ばしたのだ。


誤魔化す必要なんか全くないよ。 単に稗田阿礼もしくは先人が記憶間違いしただけ。  @阿波
0237日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:52:11.73
「箸中古墳周辺の発掘調査報告書」寺澤 薫

「纏向遺跡は纏向古墳群の発展とともに古墳時代前期に置いて最盛期を迎え、その後、衰退していく。
しかし6世紀後半期に箸墓古墳周辺の外濠・内濠が整地される。
その背景には、箸墓古墳の再祭祀が考えられる。
宮内庁書陵部による1968年の調査の際に前方部頂付近から出土した須恵器は同時代の所産とみられる。

6世紀後半の敏達、欽明朝は三輪君が新伸長を遂げ、王権の三輪山祭祀を肩代わりするまでに台頭してきた時期であり、かつ擬制的な同族意識が成立したこととも深い関係がある。
箸墓古墳を始祖と仰ぎ、王権の祭祀を司る同族集団として台頭してきた三輪君と無関係ではないと考える」
以上、6世紀後半に台頭してきた三輪氏が箸墓古墳を始祖と仰ぎ再祭祀を行ったと想定した寺澤薫の論。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大笑いだ。
三輪氏が箸墓という巨大前方後円墳を始祖と仰いでいたなどとは。
寺沢ってこの程度か。
寺沢は筑紫、吉備、讃岐、播磨など瀬戸内の要素を言っている。
三輪氏のどこが瀬戸内要素なのか。

瀬戸内要素とは物部だ。
もう阿保としか思えない。
0238日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:54:59.41
6世紀後半の敏達、欽明朝に三輪君が新伸長を遂げたのは、蘇我の台頭と連動してるのであろう。
蘇我は葛城出自。三輪も鴨族。

寺沢って駄目だな、この人。
0239日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:56:02.61
>>237
>瀬戸内要素とは物部だ。

どの道、忌部一族だから。  @阿波
0240日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 19:57:24.76
>>238
>蘇我は葛城出自。三輪も鴨族。

どの道、忌部一族だから。  @阿波
0241日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 20:31:08.58
>>236
>記憶間違い

しない、しないw
弥生時代から文字があったのに。
0242日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 20:40:17.00
>>241
>弥生時代から文字があったのに。

稗田阿礼の職を奪うつもり?  @阿波
0243日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 21:45:11.34
@阿波さん、阿波統合スレ立ててよ。そのぐらい阿波は重要な拠点であったと思う。

その文字云々は先史から有ったとしか思えんが。
0244日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 21:49:36.67
魏の青銅鏡や楽浪郡や帯方郡の文物、帯方郡使が土器に書いたと思しき漢字はあるが、
それを倭人が理解して使っていたとは思えないね。

倭人が金石文や土器に書き残した文章がないんだから。

今のフランス語みたいなインテリア的なものに過ぎんだろ。
0245日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 21:58:37.19
>>243
>@阿波さん、阿波統合スレ立ててよ。

スレの立て方知らないし、立てたくもないんですよ。 だって、当たり前すぎてスレ伸びないから。 
やっぱり、スレが伸びるのはトンデモ説のものでしょ。  @阿波 
0246日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 22:00:59.80
阿波忌部はアワビを刻んで熨斗アワビを作り、倭国大乱の罪を反省するのが仕事

本来の役割を忘れてはいけない
淡路島の神に祟られるぞ
0247日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 22:48:29.17
>>232
>おおよその骨子を言ってくれないか。

三輪氏の起源が書いてあるんだよ。
その中で鴨主命も登場する。
三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』に、天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の女、活玉依比売命の子、 天日方奇日方命(一名、武日方命、櫛御方命、阿田都久志尼命、鴨主命)とある。
大陶祇命は三島溝杭耳のことで、三島鴨神社に祀られる、大山祇の息子。神武東征では八咫烏になり神武を先導した。
大山祇は瀬戸内海を西からやって来た神であり、子の大陶祇と合わせて瀬戸内海ルートによる筑紫から畿内への開拓の神。
溝杭とは土木工事のことで、淀川近隣を整備したと考えられている。
京都の賀茂神社も彼らを祭るものであり、登美の鴨王家の基礎となった。
0248日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 22:57:51.11
>>247
それ全部、忌部のみなさんだよ。  @阿波
0249日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 07:33:38.86
>>248
>大陶祇命は三島溝杭耳のことで、三島鴨神社に祀られる、大山祇の息子。神武東征では八咫烏になり神武を先導した。

三島溝杭耳が八咫烏?
「書いてある」だから「正しい」にはならないだろう。
三島溝杭は普通に大阪茨木市あたりにいて、東奈良遺跡も彼らのものであろう。
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛を祀る溝咋神社もあるね。

だから何なんだ。
0250日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 07:45:14.77
三輪氏は大田田根子を祖とする一族。
わしは大田田根子の出身地・須恵村をうろうろしてるのでわかるが、
前方後円墳の一族ではない、むしろ銅鐸だ。
伝・狭山丘陵から加茂岩倉との兄弟銅鐸が出ている。

したがって6世紀後半に箸墓を再祭祀したのは三輪氏ではない。
ツバイチ(桜井)お支配してたのは物部守屋。
素っ裸にした尼さん3人をツバイチ(桜井)まで連れてきて鞭打つという楽しそうな…、
いや間違い、酷いことをしている。
0251日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 08:20:36.29
>>250
それ全部、倭国(阿波)を発った忌部のみなさんだよ。  @阿波
0252日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 09:02:22.14
卑弥呼は大田田根子かもしれんな。
0253日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 09:16:38.18
いや、むしろ忌部氏を含む古代豪族は皆が同族、原日本人と考える方が自然ではないのか。
忌部氏はいち早く、糸にも縄にも布にも精神に閃きを与える大麻にもなる麻の魔力的な効能を知った一族では無いのか。
俺は魏志倭人伝の全てを否定する訳じゃないが鵜呑みにするのは古代史を混迷させる原因としか思えん。
卑弥呼なる者は忌部氏などの原日本人の祭祀を司るシャーマンの1人だと思ってる。鬼道とは大麻で生じる平和で大乱を鎮める智慧だろう。

何処から出立した原日本人が様々なルートを進み畿内で再合流したのが大和朝廷であろう。
0254日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 09:17:18.20
>>252
卑弥呼も大田田根子も、もちろん忌部。  @阿波
0255日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 09:46:58.92
大麻は平和のハーブって、ボブ・マーリーかw
0256日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 10:32:40.03
>>255

大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
麻といえば、阿波忌部 
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。  @阿波
0257日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 11:19:26.77
>>249
>三島溝杭は普通に大阪茨木市あたりにいて、東奈良遺跡も彼らのものであろう。

だからさ、あなたの言うヒメや鴨王は、筑紫からの開拓者の末裔に過ぎないと言うこと。
畿内の開拓者はきちんと京都でも大阪でも奈良でも祭られていて、あなたはその一部だけ取り上げていて、滑稽なんだよ。
田舎者が騒いでいると言う点では阿波君と同レベルだよ。
0258日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 11:21:17.18
>>255
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、
木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波
0259日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 11:41:43.92
大麻の効能は猜疑心を緩め争いを疎ましくさせる。
大乱を鎮めるのには最適なのである。
しかし、副作用は怠惰な心に直結しやすく、古代からまさに取り扱いに注意した物と思われる。

しかし、@阿波氏の言うように古人たちにとって麻は身近で重宝していたのは事実、縄文土器の縄目、焼く前についたと言う底の布目は麻を撚り合わせた縄、麻を紡いだ布なのだから。(縄、布ともに麻製品が出土している)
0260日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 11:56:23.94
更に、土器を野焼きする際には干した麻から燻される煙が縄文人(あくまで便宜上)の情緒を安定させ一万年も争いの無い暮らしを実現させたのであろう。
その効能と副作用は古人たちにとって諸刃の剣であったと思われる。
0261日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 18:28:39.19
>>247


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えよサギジジイ!
0262日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 18:37:46.35
>>247


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよサギジジイ!
0263日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 03:37:46.80
>>257
>だからさ、あなたの言うヒメや鴨王は、筑紫からの開拓者の末裔に過ぎないと言うこと。


何の根拠もない。
失せろ。
0264日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 20:39:06.59
>>259
>大麻の効能は猜疑心を緩め争いを疎ましくさせる。
>大乱を鎮めるのには最適なのである。

麻が古来より神草とよばれて重宝されたのは確かだが、
乾燥させて吸ってたなんて話はないだろ。
麻酔いは知られていたようだが。
だいたい日本の麻は乾燥大麻としては成分が薄いと聞いた。
0265日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 21:10:14.15
>>264
成分が薄いから大量に焚いたんだよ

キャンプファイヤーみたいにな

それで集団でトランス状態に入った

周りでは太鼓を叩き出す奴がいたりして

原始的な「お祭り」だわな
0266日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 22:06:41.22
まあ、縄文土器を野焼きする前に麻布を敷いた上でかなり陰干しをしたらしいが、それはヒビがいかない様にする為。
ひと月以上の陰干し→炉の干し草の火から離したところから時間をかけて徐々に火元へ近づけて焼く→そしていよいよ、、、。
土器が埋もれるほどの干し草に火をつけて焼く。

その大量の干し草のなかに麻が混じっていてもおかしくないわな。
また、相当な時間をそこで過ごしていたのは明らかである。
むしろ、その副作用の方に苦慮したのかも知れん。
忌部氏など古代豪族が管理?する麻の効能、副作用を知らなかった訳は無いと思うが。

爆発する芸術とまで言われる火焔土器などは大麻をキメていたからこそのサイケデリックなフォルムような気がするが。
0267日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 22:10:14.19
むしろ。成分は薄くて良かった筈。
0268日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 06:53:30.91
崇神を4世紀初頭から前半の人物と仮定してみたら、
魏志倭人伝のトヨが崇神の数十年前にいるはずですから、
いわゆる「欠史8代」の時代の最高位の女性にトヨがいるかどうか探せばいいだけです。

トヨ津媛という女性がおります。しかも
金関 恕さんや和田萃さんの指摘していた中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母に当たりますから、
トヨとはまずこの人で間違いないであろうと断言できる訳です。

そしてヒミコがその少し前のヒメ(踏鞴五十鈴)媛であれば、その100年前の倭国王帥升がスサノオであり、
記紀編纂の際に始祖王の土下座という屈辱的史実を書けなかったという理由が判明しますし、
なぜ神武東征紀で猛々しい男王国を強調してるのかも、実際には女王国であったことをごまかすためだと分かります。

学者さんたちは神話の人物が実在したなどとは言いにくいのでしょうが、
ハインリヒ・シュリーマンがギリシャ神話の世界を掘り出して見せたことを思い出していただきたい。
考古学の原点が神話の発掘であったわけです。

だからニギハヤヒも実在、纏向遺跡は彼以降の物部の遺跡だとすれば、
瀬戸内勢力を引き連れて来たニギハヤヒと、
寺沢さんの言う「筑備讃播」が合うし、
ニギハヤヒの子・ウマシマジが、物部神社社伝で東海、北陸を征してる記述と、
纏向遺跡の搬入土器の6割が東海、北陸である事が一致するわけです。

なにより纏向に宮を構えた崇神の母が物部であるわけですし、
ホケノ山古墳の横穴式石室の時期がツバイチを支配してた物部守屋の時代である事とも一致します。
0269日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:40:44.39
>>268
>いわゆる「欠史8代」の時代の最高位の女性にトヨがいるかどうか探せばいいだけです。

違う地域の歴史だから、探しても無駄
0270日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:43:26.71
>>268
>トヨとはまずこの人で間違いないであろうと断言できる訳です。

トヨとは、」「豊玉比賣命」
・二つの豊玉比賣神社(上)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html?m=1

・二つの豊玉比賣神社(中)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_2.html?m=1

・二つの豊玉比賣神社(下)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_7.html?m=1


だからニギハヤヒも実在、纏向遺跡は彼以降の物部の遺跡だとすれば、

ニギハヤヒも物部もどの道、忌部の一員。



>ニギハヤヒの子・ウマシマジが、物部神社社伝で東海、北陸を征してる記述と、
纏向遺跡の搬入土器の6割が東海、北陸である事が一致するわけです。

忌部一族による東海、北陸の拓殖譚ですね。


>ホケノ山古墳の横穴式石室の時期がツバイチを支配してた物部守屋の時代である事とも一致します。

もちろん、ホケノ山古墳も忌部一族の豪族墓ですね。  @阿波
0271日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:52:38.96
>>269
>違う地域の歴史だから、探しても無駄


同じ青銅器王国の範囲だよ。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/青銅器の分布%EF%BC%88紀元後二世紀%EF%BC%89.jpg

北部九州は防人さんの土地。
こんな所に王様はいない。

BC3世紀ころに出雲の銅鐸が畿内から中部に広がる。
出雲の王権も畿内に移動してたのであろう。
この大きな国の主は大国主。
その王権の場所は高天原(御所市高天)のある葛城だ。
0272日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:54:50.44
魏志倭人伝は九州の話ばかり。
鏡は出てきても銅鐸の話など出ない。
畿内は邪馬台国に関係ない。
0273日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:59:58.39
>>271
BC3世紀ころに出雲の銅鐸が畿内から中部に広がる。

いや実際は、倭国(阿波)の銅鐸が出雲や畿内、中部に広がった。

>この大きな国の主は大国主。

その、【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 推して知るべし。  @阿波
0274日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:05:31.47
>>272
新興宗教にハマってる人と同じ。
少しも論理的な話ができてない。

もともとこの邪馬台国論争とは何であろうか。

「古代天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない(本居宣長)」

私は新井白石をはじめこれら江戸時代の国学者たちによって九州説なる
ものが意図的に創作されたと思っている。
彼らはそもそも邪馬台国が九州にあったとは思っていない、
ただ国学者としてのプライドで大和朝廷および古代天皇の朝貢を認めた
くなかったのだ。
彼らが九州説を創作、そして支持者が増え、論争してくれてるうちは古代
天皇の朝貢という辛く重い荷物を着地させずに済む。
その着地しない状況を永遠に創ろうとしたのだ。
つまり九州説とは世論誘導のための虚構である。
0275日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:24:44.07
>>272
>鏡は出てきても銅鐸の話など出ない。
>畿内は邪馬台国に関係ない。

では鬼道とは何か?

中国人が中国発祥の鏡祭祀を鬼道とは言わないであろう。

卑弥呼の時代の2世紀末、鏡以外の祭器とは銅鐸しかないではないか。
0276日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:48:12.78
1世紀から2世紀初頭にかけては、北部九州、瀬戸内海、畿内、北陸の交流は活発であった。それは当時の畿内の集落跡からの出土物からも裏付けられる。

同時期に栄えた伊勢遺跡。中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく30もの首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。立地的に畿内、北陸、伊勢尾張からアクセスしやすい場所だからね。

当時の倭国の仕組みが窺い知れるんじゃないかな。
男王を抱き、その元で首長達が集い祭祀を行い、政治を行う。

問題は男王が何処にいたかだな
淡路島の鉄器を利用しやすい、本州沿岸部の高台が怪しいが
0277日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:49:41.49
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。

出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、オオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。

加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が各地で出ている。
0278日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:51:02.34
その時代の男王は出雲の大国主だろ。
伊勢遺跡は地方議会みたいなもの。
中央政府は出雲。
0279日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:51:26.23
同じ紀元前後の時代。
渡来人系の丹後半島の王族ヤマタノオロチ族。
丹後半島に侵攻したカグツチ(ホアカリ系、記紀でいうスサノオ)に王が殺されて、一族が畿内に逃げ延びる。

その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。

ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。

級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。

丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。

伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。

畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた大阪湾の渡来人に恩義を感じていたのかもな。

伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
0280日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:54:01.18
>>271


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えよバカジジイ!
0281日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 08:54:31.26
>>276
>1世紀から2世紀初頭にかけては、北部九州、瀬戸内海、畿内、北陸の交流は活発であった。

倭国(阿波)を発った忌部一族の拓殖交流ですね。  @阿波
0282日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 09:00:29.31
畿内に逃れてきた出雲の王族サルタヒコ一族、丹後半島のヤマタノオロチ族、環大阪湾にいた倭人(クナト)一派が、1世紀半ば近畿一円に国を作る。
クナ。クニの語源。対外的には倭国。

出雲族の姫、幸神と、クナトの神の子がサルタヒコ。
出雲族と倭人の同盟の証。

サルタヒコは暦の神。一年に一回伊勢遺跡で暦を作り首長達に伝えていたんだな。

サルタヒコは、月読にして大国主、魏志倭人伝でいう卑弥弓呼。
0283日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 09:05:18.14
>>271


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよバカジジイ!
0284日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 09:05:18.38
サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神の子。

倭人と出雲族の同盟の証。

月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。
猿田彦は界の神、堺にいたのかな?

猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。

天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。

その近傍にイシズ川。
猿田彦が消えるのはイスズ川の川上。

猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。

伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。

更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、殺されたんだろう。
0285日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 09:10:52.84
>>276
>面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。


多分、第2の都。
万が一の場合、王権が避難できるような。

白村江敗戦の後、落ち着かずそわそわした天智天皇が近江に遷都してるだろ。

天然の要塞である近江は弥生時代からそのように認識されてたのであろう。
0286日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 11:47:24.39
>>277
>加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が各地で出ている。

加茂岩倉遺跡も含め、倭国(阿波)を発った忌部一族が各地へもたらしたものだよ。  @阿波
0287日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 13:02:54.89
いやいや、実は伊勢遺跡みたいな拠点は本来はたくさん各地にあったんだよ。
0288日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 07:59:29.47
朝貢、、、外交の贈答品を朝貢にしたかったのかも。
渡来人、、、古代中国江南から済州島含む半島南部の沿岸部にもたくさん点在
      した倭族の拠点から倭人が列島へ来ただけのような気がする。

何から何でも大陸由来、半島経由の説に辟易する。朝貢、渡来人、など其の為の造語としか思えん。

かって学者センセイらの説いた稲作の伝来ルートが真逆のルートを示唆する縄文米などのオパール等の発見で感じさせられたのは、恣意的に語られた旧説は全く信用に足るものじゃ無いことである。
魏志倭人伝等も偽書だとは思わんが、あくまで他国の史書と言う事を念頭に置いておく必要は無いのか。
0289日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 09:19:17.00
>>288



で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらした事を
証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、江南から直伝した中粒種の縄文米の証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?


で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらしたと
ウソブいている頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?


.
0290日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 10:17:08.57
朝貢は東アジアにおける共通の制度であり、否定する理由は何もない。
大陸から誰かが稲作を持ち込まないと弥生時代は始まらない。
邪馬台国には絹があったので、桑と蚕も持ち込まれた。
もちろん、彼らは最初に九州に上陸したはずだ。
何もないところに文明は生まれない。
0291日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 10:57:00.33
>>290

正解、正直に書いたほうが良いんだよ。

当時、着ていた服などもあるでしょ、
絹ではなかったとか、麻、獣の皮・・・その他。
0292日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 11:00:40.11
東アジアという板(スレッド)だったかな


「文化は高いところから低いところに流れる」


このような書き込みを何度も見た
0293日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 11:04:50.67
おかしな教育を受けたり、
悪く言うと洗脳され、逆のことを言ってる人もいる


「」内の言葉を調べてみた?


日本は一番↓(下)だというのが本当の話、
それとも下だった?
0294日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 11:17:48.09
日本昔話『天狗の羽うちわ』


天上人が〜と言っていたり、
橋などを架けているのが天上人、工事などをしている人々?

鉄、トンカチ(ハンマー)で・・・。
0295日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 13:50:27.79
日本を下に置きたいヤカラが多いからねえ。「」内を誰が言ったのか…(アッ
0296日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 13:52:42.01
>>295
もれ(仮)が言ったんだけど、どこの池沼なんだ?

そろそろ頭の病院に行け
0297日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 13:54:35.64
どこの池沼なんだ?

精神科(施設??)というのがあるから、そこへ行け
0298日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 17:05:16.94
>>290



で、中国大陸から九州に上陸して稲作を持ち込んだ事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、中国大陸から九州に上陸して稲作を持ち込んだとウソブいている
頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?


.
0299日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 09:08:50.91
>>288


で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?


で、江南から直伝した中粒種のイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?


で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらしたとウソブいている
頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えよおまえ! 
0300日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 08:48:36.23
いまだ300ゲットーッ!ずさー(AA略
0301日本@名無史さん垢版2018/07/04(水) 09:10:18.05
良スレあげwww
0302日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 07:01:09.51
あげwww
0303日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 13:39:34.32
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

QJ3
0304日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 19:58:33.59
あげwww
0305日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 20:40:59.02
畿内説スレ消えたな?
zarakokuをはじめ基地外に荒らされてたからな。
0306日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 20:45:02.49
もうあのスレの存在価値はないだろう。
テンプレがまずクズだった。
0307日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 23:48:33.73
かもせんせのスレ相変わらずハイクオリティー!(またこんど来ます(おやすみー
0308日本@名無史さん垢版2018/07/14(土) 08:30:53.82
>>307
お、ありがとう。
わしの説、けっこう信者が増えてきている。

反論できる人はいない。
ただ「黙殺」に廻る人がほとんど。
0309日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 20:49:20.00
日本は侵略や征服された歴史がないので王権の痕跡は神社として残る。

4世紀前半の崇神ゆかりの大神神社、その前時代が台与や卑弥呼の時代だ。

つまり大神神社より古い名神大社がある場所こそ邪馬台国の王都である。

大神神社より古い名神大社は数社に限られる。
しかも一カ所に集中している。

高天彦神社、葛木御歳神社、高鴨神社、葛木水分神社とその下の長柄神社。

邪馬台国とは葛城なのだ。

このように名神大社だけを見ても邪馬台国の場所がはっきりわかるのである。

邪馬台国の都が纏向などにあるものか、バカが。
0310日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 20:58:24.43
>>309
>邪馬台国の都が纏向などにあるものか、バカが。

そうだね、邪馬台国の都は阿波にあるから。  @阿波
0311日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 07:58:27.54
>>310

いやぁそんなことはない @葛城
0312日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 08:21:02.30
>>311
>いやぁそんなことはない @葛城


葛城は???  @阿波

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
0313日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 12:17:52.03
葛城の土蜘蛛
神武東征の際に征伐されたとある
また脛が長かったと言われている
ナガスネヒコと似ているな

葛城の土蜘蛛は征服に抗った忠義の厚い先住民だったのかな?
その後の葛城の勢力は何なんだろう?
0314日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 13:33:03.87
>>313
本来の「葛城」って奈良じゃなくて、鳴門市が本貫地なんだよ。 奈良の葛城に葛城神社なんてないでしょ。  @阿波

阿波国鳴門には「葛城神社」がある。
「葛城神社」は鳴門市北灘町粟田に鎮座し,一言主神(ヒトコトヌシノカミ)をご祭神とする。
縁起文中にある「藤葛にて馬がつまづき神は落馬され…」とあるが、注文すべきは「藤葛」というキーワード。
列びは前後逆になるが「葛藤」という言葉がある。
「葛藤」とは「藤原氏」と「葛城氏」の因縁から生まれた言葉。
「葛城神社」には境内に古墳があったり、古代の遺物が発掘されている。
そして背後の天円山一帯は特に重要な地域で、古代史に詳しい人は「萩原墳墓群」をご存知であろう。  
因みに、「藤原氏」(中臣氏)の本貫地は鳴門市の西隣、板野郡板野町である。
神武天皇と戦った長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。
また、「蘇我氏」の本貫地は徳島県石井町にあり、そこには「曽我氏神社古墳群」や奈良に先行すると思われる「白鳳寺院跡」および「白鳳瓦窯跡」が確認されている。
0315日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 13:38:47.83
「阿波」は実に面白い所。 
阿波各地の遺跡で記紀のストーリ巡りが出来るよ。 そんなこと、畿内や九州では叶わぬこと。  @阿波
0316日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 19:47:14.44
葛城一言主
「私は悪事も一言、善事も一言にて言放つ言離神、葛城一言主神なり」

普通、日本語では「あの人の良いことも悪いことも知ってる」てな具合に、
「良い」が先になるはずなのだが、一言主の場合は雄略に対して「悪」が先に来ている。

雄略が行ったよほど酷い悪のことを言いたかったのであろう。
これはもう何なのか分かる。
眉輪王(まよわのおおきみ)の変だ。
眉輪王をかくまった葛城円(つぶら 葛城 襲津彦の孫)が雄略に焼き殺された。
土地も娘も差し出すと哀願する円を雄略は焼き殺した。

これらは史実であり、近年、極楽寺ヒビキ遺跡として発見される。
消火活動の痕跡が全くなく、土まで焼けている恐ろしい遺跡だ。

記紀では一言主を天皇と対等のように書いているが、続日本紀では一言主は土佐に流されたとある。
一言主を祭神とする土佐一之宮が現存する事からも、続日本紀の記述が正しいのであろう。

葛城では主が焼き殺され、それをなじった主も流された。

そのような葛城の凄まじい怨念を背景に、やがて葛城から台頭してくるのが蘇我である。
0317日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 20:36:39.12
>>316
>眉輪王をかくまった葛城円(つぶら 葛城 襲津彦の孫)が雄略に焼き殺された。

鳴門市「葛城神社」背後の天円山(あまがつぶやま)。  @阿波
0318日本@名無史さん垢版2018/07/20(金) 21:53:33.36
こもりくの泊瀬

豊泊瀬

吉野の泊瀬女

泊瀬とはどういう勢力か?
0319日本@名無史さん垢版2018/07/20(金) 21:54:55.19
泊瀬と石

どういうことか
0320日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 11:10:51.66
神武東征紀の強烈なイメージから、まさか神武の時代が女王国だったなんて誰も思わないだろう。
それもそのはず日本書記は神武の時代が女王国だとばれないように意図的に編纂されたのだ。

発想を地動説に切り替えれば見えてくる。

倭國王帥升とはスサノオだ。
0322日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 19:19:57.53
京都の五塚原古墳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3

「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」


被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。

同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
天孫本紀に交野連の祖と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)であろう。
伊香色雄命の子である。

ここにきて伊香色雄命を軸とする二人の人物が浮かび上がってきた。
箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。
彼が磯城の王であったことは妹のイカガノシコメとヒメヒコを形成してることでも明らか。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
崇神墓を古事記の記述から行灯山古墳として、叔父で磯城の王であった伊香色雄命が崇神より巨大な墓を造ってたとしても不思議ではない。

このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
0323日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 22:10:38.82
>>322
>箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。

伊迦賀色許売(いかがしこめ)、伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は
日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。  
そんな高貴な人の墓は奈良盆地のような平地には造営しないんですよ。 これ常識。  @阿波
0324日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 06:42:16.79
>>323
>そんな高貴な人の墓は奈良盆地のような平地には造営しないんですよ。 これ常識。

それは、奈良盆地では、イカガノシコオでさえ、平地に墓を造らねばならないほど最高位の人物ではなかったということ。
箸墓近辺から見た画像。
https://www.progoo.com/bbs/data/himehultukenn/img/32_2056de6028.jpg

耳成山の向こうに神武ゆかりの畝傍山、そしてその向こう高天原(金剛山)。
いくら箸墓の様な巨大墓を造ろうとも天然の山の威容には敵わなかったわけだ。
0325日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 07:06:40.46
>>324
>それは、奈良盆地では、イカガノシコオでさえ、平地に墓を造らねばならないほど最高位の人物ではなかったということ。

それは、イカガノシコオの墓じゃないってこと。  @阿波
0326日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 14:17:56.06
奈良は色々興味深い
荒木神社の辺りも興味深い、浮田の杜
0327日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 21:31:10.85
葛城襲津彦の弓、荒木神
0328日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 23:14:24.99
>>325
10代崇神は最高位と言える。
最高位である大物主を殺し、自らが最高位に就いたのだから。
大物主の霊が恐いのか、大神神社を建てる。

しかしイカガノシコオは違う。
彼の時代まで最高位の大物主は生きていた。
0329日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 07:40:01.85
全部、邪馬台国とは関係ないけどね。
0330日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 08:03:51.99
>>328
徳島県美馬市美馬町にある「玉振神社」。
主祭神は、玉振姫命・大己貴命で、美馬市美馬町宗重部落のほぼ中央にある。
すぐ東には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」があり、西には白鳳時代の寺院跡「郡里廃寺跡」がある。
この社はもと正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀っていたといわれている。
延宝五年(1677)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀し、鎮座したものだそうだ。
この美馬町は、吉野川中流域にあり「倭地」なのである。
美万岐に入り込んで美万岐に居を定め、師木水垣宮を宮殿にしたと伝えられている。
この「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」はもちろん「崇神天皇」のこと。
この師木水垣宮の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。
これは、大国主命に近い埴夜須比賣命(武埴安彦)の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。
また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、
大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。

崇神天皇の謚号のとおり、崇神紀には天照大御神や倭大国魂神社の祭祀、天神地神、神地・神戸を定め、供物の定義等のほか「玉振」として大田田根子や市磯長尾市が求められるなど、神祇制度の起源説話ととれる記事が集中している。
「玉振神社」は「玉振り」として求められた淳名城入姫命が祀られていたものと思われる。  @阿波
0331日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 08:12:25.45
倭国(阿波)では、「淳名城入姫命」のような有名な神様じゃなくても、きちんとお祀りしているんですよ。  @阿波
0332日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 08:27:45.26
>>330
>大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、
大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。


丹田古墳を調べると4世紀ごろ、オオタタネコの時代であろうから、
大和でクーデターがあった時期。
「加茂=神」の系統(大物主)が王権を崇神に乗っ取られた時期。

大和も阿波も連動してたのだろう。
基本、前方後円墳は鴨の系統ではないから丹田古墳は乗っ取った側の墳墓だろう。
0333日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 08:44:52.14
>>332
>大和でクーデターがあった時期。

それは、8世紀以降の「大和」じゃなくて、倭国(阿波)の時期ね。


> 大和も阿波も連動してたのだろう。

大和も倭国(阿波)の拓殖地だったからね。  @阿波
0334日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 09:52:03.79
阿波には中平銘鉄刀の和邇氏の本拠がない。

したがって大和の勝ちw
0335日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 10:12:55.03
>>334
>阿波には中平銘鉄刀の和邇氏の本拠がない。


和邇氏だろうが物部氏だろうが、すべて元を辿れば倭国(阿波)を発った忌部一族。  @阿波
0336日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 10:16:37.43
>>335

ここでいう忌部氏とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部氏とは倭人(広義の忌部一族)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波
0337日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:15:44.99
>>335

>和邇氏だろうが物部氏だろうが、すべて元を辿れば倭国(阿波)を発った忌部一族。

和邇氏だろうが物部氏だろうが、すべて元を辿れば出雲。

壱岐の原の辻遺跡では楽浪の文物と一緒に出雲土器が多数出てくる。
古代出雲人が弥生時代の日本のエスタブリッシュメントであった証拠。
加茂岩倉遺跡の銅鐸が近畿から中部まで広がるのもその証拠。

また物部の祖先は出雲王国の防人であったのだろう。
半島の全羅道あたりにも展開してたようだ。
全羅道の上雲里遺跡では見事な翡翠の勾玉が出てくる。
https://www.progoo.com/bbs/data/himehultukenn/img/50_tn_91788ded62.jpg
0338日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:19:54.35
>>337
>和邇氏だろうが物部氏だろうが、すべて元を辿れば出雲。

出雲だろうが畿内だろうが、すべて元を辿れば忌部一族。  @阿波
0339日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:25:17.12
>>338

ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波
0340日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:39:10.70
サルタヒコの遺言。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立、阿波咋

国底立神、
国常立神、鬼門に封じられた神、天香久山に祀られている神、
阿波咋

倭国大乱を引き起こした張本人
0341日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:41:41.83
理由はわからないんだけど、
家の老婆の言う、凄い土地を持っていたというのと同じ話?

とある時代になり、
某という家の臣下、配下(下の家??に思えるけど、実際は・・・)になったとか
0342日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:47:27.96
>>341
真は、臣下・配下ではなく、元祖。  @阿波
0343日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:49:36.54
>>340

魏志倭人伝では「倭国乱」
記紀では「国譲り」  @阿波
0344日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 13:17:00.04
実際は暴力団ではないんだけど、暴力団だと思われる?
そういう話なんじゃないの?

ここは家の土地、土地だったんだよ
とか

普通の人は言わないはず、
そういう謂れのある人(談)
0345日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 13:18:50.39
>>342

だから、往古より天皇家は倭国(阿波)に「麁布」の調進(朝廷から頼まれて作り納める意味)を求めてきている。  @阿波
0346日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 13:22:24.95
日本の企業などを調べてみても、
そもそもの源流は何やらと書いてあったり、
とある時代の、某という家(一族)が開拓したところを〜

と書いてあったり
0347日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 12:04:25.93
邪馬台国論争は崇神天皇がいつ頃の人物か、その一点。
崇神は4世紀初頭から前半が有力であり、ならばその数十年前の最高位のトヨは一人しかいません。
しかもそのトヨ=トヨ津媛は国宝中平銘鉄刀の保持者である和邇氏の祖・孝昭天皇の母です。

   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命

考古学的根拠も伴い、邪馬台国論争は終了します。
古代史ファンはそれぞれ自説をお持ちなので、私の説を黙殺するのも結構ですが、むなしいだけですよ。
0348日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 14:24:06.34
>>3
しらーんがなw
0349日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 11:59:42.73
329 名前:日本@名無史さん 2018/07/28(土) 06:53:10.91

日本書記でなぜ神武東征紀があれほど誇張されてるのか。

答:神武の時代が女王国であったから。


330 名前:日本@名無史さん 2018/07/28(土) 07:02:34.39

ではなぜ女王国を猛々しい男王国に変えたのか。

答:ヒミコが誰なのか分ってしまうと、約100年5世代前の倭國王・帥升が誰なのか分ってしまう。
  倭國王・帥升とは、ヒメ(踏鞴五十鈴)媛と神武夫妻から約5世代前、スサノオだ。
  つまり日本の歴史は中華皇帝・安帝への土下座から始まった。
  この【屈辱的史実】を7世紀の朝廷は書けなかった…
  だから基点となる神武時代をBC660年などと大きくずらした。
0350日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 11:59:59.98
331 名前:日本@名無史さん 2018/07/28(土) 07:11:06.80

朝貢年

266年 台与        天トヨ津媛
 ・
238年 卑弥呼       ヒメ(踏鞴五十鈴)媛

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭國王・帥升     スサノオ

​ 後漢書東夷伝の倭國王帥升とはスサノオである。

332 名前:日本@名無史さん 2018/07/28(土) 07:35:29.64
7世紀に「天皇・皇后」という称号はなぜできたのか。

答:女王を消すためだ。
  実際は今のイギリスのように「女王・婿」であったが
  新しく「天皇・皇后」を採用し、婿の神武を天皇、女王であったヒメを皇后にした。
  そしてヒメに出雲族の象徴である「踏鞴」と妹と同じ「五十鈴」を付け足した。

  姫蹈鞴五十鈴媛

  ここからヒミコを連想できる人物はなかなかいないであろう、天才のわし以外は。
0351日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 18:39:23.86
良スレあげwww
0352日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 19:44:14.38
良すれあげえ!かもせんせかっこええ!
あたかたすさんいはったらワニさんが素戔嗚尊の子孫いうことになりますか?(突然質問してすんません!(粟鹿大明神がいうてました?
0353日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 19:50:32.21
国宝中平銘鉄刀が五尺刀で粟鹿大明神の系図のが正しかったら卑弥呼さんは出雲?
0354日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 20:06:39.36
平原遺跡の五尺刀でいいだろ。
0355日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 20:22:59.68
ありゃ?ダックか?妬くな
わえは刀を診る目は肥えてるんや
0356日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 20:25:31.95
2本やった?(三国志ぐぐるの面倒
0357日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 06:25:17.84
>>352
>あたかたすさんいはったらワニさんが素戔嗚尊の子孫いうことになりますか?

そうなるみたい。
ただ男系では4代懿徳までつながるみたい、トヨ津姫の亭主だから。
懿徳が神武とつながってるなら(記紀ではそうなってる)なら神武迄つながる。

>>353
>卑弥呼さんは出雲?

出雲系やね。
7世紀に「踏鞴(たたら)」なんて付け加えられてるし。
0358日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 06:29:13.28
>>354
>平原

ミカン畑の遺跡ね?w

あれはモノノフ(物部)の遺跡。
平原・曽根遺跡の「曽根」は物部系の名称。
大阪の池上曽根遺跡は二田物部の根拠で二田物部髪を祀る曽根神社がある。
0359日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 06:31:11.03
× 二田物部髪
〇 二田物部神
0360日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 08:13:22.39
>>358
>大阪の池上曽根遺跡は二田物部の根拠で二田物部髪を祀る曽根神社がある。

その「曽根神社」の社格は?
忌部の郷の「伊加賀志神社」は朝廷から「大明神」の称号を送られている。  @阿波
0361日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 09:00:33.72
伊勢内宮神前祝詞
天照大御神またの名は、

撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命
とある

天から遠ざかった向こうの津のヒメ
伊勢の向かい側は熱田台地、何か関係あるのかな
0362日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 09:01:25.87
撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命

卑弥呼のことかな?
0363日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 17:24:42.43
>>360
http://kamnavi.jp/mn/osaka/sone.htm

由緒


 曽禰氏の祖神を祀る。素盞嗚尊いかは後の配祀。
 弥生前期の大規模遺跡である池上曽根遺跡に隣接している。
神域ゆえ発掘されていないが、おそらくここからは祭祀関係の遺跡が出るものと思われる。
この遺跡の大型掘立柱建物のヒノキの柱は紀元前52年に伐採されている。
 和泉には大鳥大社の北側に四ツ池遺跡もあり、その他銅鐸も出ており、弥生前期より力のある豪族の存在を思わせる。
 この神社の西の海岸よりの地域を二田と言う。二田造は有力な物部一族であり『先代旧事本紀』によれば
「五部造、伴領と為て天物部を率て天降り供へ奉る。」の筆頭にあげられている。
この氏族の祀った国津神社の祭神は二田物部神とされている。
曽根連は二田造の後裔であろう。
0364日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 19:34:01.62
>>363
>その他銅鐸も出ており、弥生前期より力のある豪族の存在を思わせる。

変に勘違いしないでね。 その「力のある豪族」は倭国(阿波)を発った忌部一族だからね。  @阿波
0365日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 19:40:24.05
山本リンダさんすげぇ?
0366日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 19:42:26.07
ありゃかもせんせのスレやったか?失礼しました
うたこんみてた
0367日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 20:09:47.32
素戔嗚尊さんが対馬海峡ウロウロしてはったようやし卑弥呼さんはそのあたりでもええかも(つうかそこらへんのことはあまりマジにかんがえる気がしません
ヤマト王権が全国展開した契機がウマシマジさんの頃なんか伊香色雄さんの頃なんかのが知りたいの?(3世紀の布留0くらい
で、なにげにワニさんの系図で物部さんの年代がわかる予感?
0368日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 20:16:00.48
布留0は3世紀の4分割最後いうんがわえの年代観です(ただしわりと前後に柔軟
0369日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:24:21.67
中平も七つさやも天理やし物部さん和邇さんは不可分にして古くから実在感半端ないなあ
つか武器鍛冶土木鍛冶の違いなんかも?(なんとなく
0370日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:26:39.85
鉄は国なり(おやすみー
0371日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:29:12.44
『松傾』が祭祀する人物(代表)なんだけど、それともお前が、そうなの?

『アッシュ・クリムゾン』というキャラクターがいるでしょ
「斎祀」
0372日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:30:45.56
『松傾』が祭祀する人物(代表)なんだけど、それともお前が、そうなの?

『アッシュ・クリムゾン』というキャラクターがいるでしょ
『斎祀』サトシのすけ?

ほとんど答えは出ているという意味
0373日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:32:29.83
ポケモン?

主人公の英名、英語名:アッシュ
0374日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:37:14.99
先祖が〜〜〜〜〜というコンセプト、設定でしょ?

アッシュ(祭祀)と、
その他、いろいろいるでしょ?登場するキャラクター
0375日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:40:40.44
創作ではなくて、実在する、実際の人物は「松傾」?

こういう名前なんだよ、
サトシのすけ、近所に住んでいない?
0376日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:44:00.56
『ガンダムのサングラス』『ボーボボ』

同じ人物だという話、一説によると、そうなんだよ
0377日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 22:48:02.77
ガンダムに出て来るサングラスも
『松傾』の下の人間なのかな、酒のようなモノを飲んでいるし

『ダイクン』?
どのダイクンなんだろう
0378日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 23:01:09.76
本当の話

家の親戚に、おかしな人がいたのかな?
親と話していると、なぜか、そのような事を言っていたり


親父(父親の親)が死んでも、家の名義は変えないほうが良い、
と言ってる親戚がいたんだよ

とか

親父(父親の親)が死んでから、
しばらくして、土地を売ってくださいみたいな話があったとか

にっしん製粉(どのニッシンなのかな)だよと言っていたり
0379日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 23:09:33.30
お爺ちゃんが死んでから、しばらくしてからだよ
いま住んでいる家(土地)を売ってください、

という話?業者?が来たと母親も言っていた

ニッシン製粉からとか
0380日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 23:20:34.66
本当に、どういう事なんだろう

『松傾』?
ガンダムのサングラスみたいな、白い服を着ていたり
0381日本@名無史さん垢版2018/08/01(水) 19:32:55.25
ありゃ!呟き先生に流されてた?
日清製粉からあげこ(音符
0382日本@名無史さん垢版2018/08/03(金) 22:54:17.27
行程論ほどつまらないものはない。

邪馬台国に興味ある人も、つまらない行程論で興味を失い古代史から離れていくわけです。

それより卑弥呼が誰なのか考える。
そちらの方がよほど大事。

崇神が4世紀前半かどうか。
そうなら崇神から数十年前のトヨは一人しかいませんから、邪馬台国は葛城で決まります。

300年論争はチェックメイトです。
0383日本@名無史さん垢版2018/08/04(土) 20:11:59.06
開化と崇神は従兄弟で、孝霊、孝元が兄弟とすると、
孝元と開化が親子だから、崇神は孝霊の子供になる

すると、孝霊の娘の倭迹迹日百襲姫命と崇神は、姉、弟の関係になる
0384日本@名無史さん垢版2018/08/05(日) 00:52:59.88
>>383
斬新奇抜!さすが先生や!
3世紀に圧縮収納すれば色々解決できますからな?
吉備津彦と崇神さんの関係も教えてください!
0385日本@名無史さん垢版2018/08/06(月) 19:21:00.69
>>383
>崇神は孝霊の子供になる

それわしも考えてた。
孝霊には複数の妃がいるから傍系がカウントされたのかもね。
吉備津彦・モモソ媛は崇神と同世代だと思う。

>>384
>>383 氏はわしやないで。w
0386日本@名無史さん垢版2018/08/06(月) 19:55:00.64
中国製の精巧な小札革綴冑が、
崇神に反乱をおこした武埴安彦の墓と言われる山城の椿井大塚山古墳から出ている。
この冑、他にも面白い所から出る。
大阪柏原市の玉手山6号墳墓だ。
時期的に3世紀後半、被葬者は河内の青玉繁(あおたまかけ)ではなかろうか。
武埴安彦の母・埴安媛 (はにやすひめ)父である。
この青玉繁の時代がトヨの朝貢時代に当たる。
青玉繁は朝貢団の一員であり、
中国でゲットしたお宝を爺ちゃんから可愛い孫に贈ったとも考えられる。

どちたにしてもこんな精巧な中国製冑が、
一点を除き畿内で十数点出てる時点で邪馬台国は畿内である。
0387日本@名無史さん垢版2018/08/06(月) 21:13:32.36
>>386
それらの人物が邪馬台国と関係したという根拠がない。
魏志倭人伝には甲冑の話が出てこない。
弓矢(鉄鏃を含む)や矛は記載されているが、それらは大和にはない。
0388日本@名無史さん垢版2018/08/06(月) 21:51:21.09
>>387
>魏志倭人伝には甲冑の話が出てこない。

それはその通り。
しかし逆に考えれば、こんな精巧な中国製冑を入手できたのは、
トヨの朝貢時期以外にない。
日本側が自発的に入手したのなら、中国史書には載らない。
この冑に最初に注目されたのは福永信哉さんだが、
買い物ツアーという表現をされていた。
0389日本@名無史さん垢版2018/08/07(火) 17:38:05.39
天照大御神、又の名は
撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命とある

天から遠ざかった向津姫
伊勢の向かい側は熱田台地
何か関係あるのかな

卑弥呼と関係あるのだろうか?

鎮魂歌
何を鎮魂した歌なのか?
卑弥呼や台与の時代をモチーフにしたと思われるが?
葛城は関係がなさそうだな

アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 
アチメ オオオ オオオ オオオ
 猟夫ラガ 持タ木ノ真弓 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 上リマス豊日霎カ 御魂欲ス 本ハ金矛 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
 三輪山ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
 吾妹子ガ、穴師ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 魂筥ニ 木綿取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ
0390日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 13:35:48.25
   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命

大神神社は、10代崇神が最後の大物主への贖罪と慰霊のために立てた官製神社である。
だから大神神社に神霊はいない。

崇神に頃された最後の大物主とは阿田賀田須である。
崇神はこの後、大物主の男系をオオタタネコに変える。
阿田賀田須が祀られてるのは天理の和爾、和爾坐赤阪比古神社(わににますあかさかひこ)である。

わしが初めてこの神社を参拝した時、奈良のはずれの辺鄙な神社を参拝に来てくれたことが嬉しいのか、
悲しいのか、それともいまだ苦しいのか知らないが、青白い蛇体がのたうちまわっていた。
わしには見えたのだから仕方がない。

そう言えば古代から大物主は蛇に例えられる。
わしはその事を思い出した。
古代人にもこの青白い蛇体が見えていたのであろう。
0391日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 19:24:34.54
>>385
かもせんせのスレにはハイクオリティーレスする先生だらけやし
神武東征は2世紀四道将軍は3世紀いうんがわえの直感(まじれす
0392日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 19:27:09.40
かも南蛮?
0393日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 19:54:00.67
>>391
>神武東征は2世紀四道将軍は3世紀いうんがわえの直感(まじれす

神武東征は2世紀末だと思う。
四道将軍は3世紀末ならありうるかも。
四道将軍ゆかりの会津に「おだっぺ」とかいう前方後円墳があり、
時期が3世紀末あたりだったはず。
0394日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:04:00.00
>>389
>天照大御神、又の名は
>撞賢木厳之御魂天疏向津比賣命とある

どこに?
ソースを言わないと。
まぁ天照大御神と言ってる時点で7世紀以降の話だと分かるのだが。
0395日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 21:01:05.80
>>394
伊勢神宮内宮神前祝詞
0396日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 22:06:37.36
>>395

いつごろ成立なん?
0398日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 22:39:27.98
>>897

予想通り7世紀以降だね。
7世紀以前、アマテラスなる人物はいない。
0399日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 22:44:55.98
なぜ日本史に関する資料が7世紀以前はほとんどないのか。
それは、8世紀初頭に焚書があったからである(詔勅が残っている)。
これは7世紀末における筑紫倭国から畿内日本国への政権交代の真相を闇に葬るためである。
0400日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 22:55:07.07
>筑紫倭国から畿内日本国への政権交代の真相を闇に葬るためである。

全然違う。
蘇我は葛城の出自だ。
本来は彼ら高天原(御所市高天)の神々の末裔が天孫であった。
しかし蘇我が乙巳の変で敗れた。
以降、葛城は地祇・国津神に堕とされた。

アマテラスは葛城の高天原にいた高姫であろう。
キャラを二分し、一方は天照、一方は下照になった。
0401日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:58:12.48
>>393
神武さんは吉備祭祀東進オオヒコ君親子は前方後円墳東進?(先生かっこよすぎ
和邇君絡めれば完璧やん!?
0402日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 22:05:30.02
追記
前方後方とは何ぞや?(オオヒコ君親子じゃね?
0403日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 22:10:19.74
追記
墓の形は墓屋の裁量
ただし!四隅突出はさに非ず(王家の好み
0404日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 11:21:27.01
記紀つくるのに資料を各豪族等から集めて焚書したからでしょ
神功皇后卑弥呼説はなんだかんだいって合理的な気がする
0405日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 11:32:39.12
>>393
神武東征は6世紀だと思う。
神武の後欠史八代が続き、その後に天武
間の崇神からは九州の歴史の盗用。
0406日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 13:20:49.55
>>404
120年ズレている。
0407日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:12:00.17
欠史八代もあるんで初期の系譜はあてにならないということでw
0408日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:38:05.54
>欠史八代

7代孝霊の4人の妃の名前まで書かれてるのに8人の事績が書かれてない。
これは事績を書けなかったという事。

彼らの事績を書けばもろにヒミコやトヨと重なるからだ。

神武をBC660年などと大きくずらして続く天皇も100歳を超える。
ヒミコやトヨと重なればずらした意味がなくなる。

ところが現代の学者は事績がないから8人の天皇はいなかったという。
悲しいほどの馬鹿である。
0409日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:49:03.15
25日世紀前半の其の国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は続く。
そして3世紀後半のトヨの頃に箸墓古墳ができる。

これは王権が葛城→磯城に移動したという事。
そして磯城でハツクニシラスこと10代崇神の誕生になる。

神武は王権が葛城にあった頃の人物。
ちなみに神武は王ではない。
当時の王は鴨王こと天日方奇日方、神武の義理兄だ。

神武は王ではなかった。
だから7世紀に「天皇・皇后」なる正業を採用、
神武を繰り上げて天皇にしてあげたのだ。
そして女王ヒミコことヒメ(踏鞴五十鈴)媛を皇后に格下げしたのだ。
0410日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:51:02.77
× 25日世紀

○ 2世紀

なんでこんな変な書き込みになるのか…
0411日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:52:59.49
× だから7世紀に「天皇・皇后」なる正業を採用、

○ だから7世紀に「天皇・皇后」なる称号を採用、


あ〜〜うざい。
0412日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 15:06:16.41
正書

2世紀前半の其の国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は続く。
そして3世紀後半のトヨの頃に箸墓古墳ができる。

これは王権が葛城→磯城に移動したという事。
そして磯城でハツクニシラスこと10代崇神の誕生になる。

神武は王権が葛城にあった頃の人物。
ちなみに神武は王ではない。
当時の王は鴨王こと天日方奇日方、神武の義理兄だ。

神武は王ではなかった。
だから7世紀に「天皇・皇后」なる称号を採用、
神武を繰り上げて天皇にしてあげたのだ。
そして女王ヒミコことヒメ(踏鞴五十鈴)媛を皇后に格下げしたのだ。
0413日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 20:45:41.06
神武が何かしらの歴史的事実の反映なのか正確な出生地もどこかわからないけど、とりあえず河内湖からの侵入を諦め伊勢紀伊方面から大和に侵入
大和の王らしき人物と何故を取り込みそれを利用して抵抗勢力を削ぎ落として権力を禅譲したってことしかわからない
それも事実かどうかまったく証拠はないんだけど
0414日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:21:33.65
禅譲なんてしてないよ。
神武はしばらくの間はただの居候だよ。
饒速日から始まる物部家は、587年の物部戦争まで、天皇家とかわらない権力を持っていたとされる。
0415日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:36:50.41
神武がフィクションなら127歳なんて設定にはしない。
0416日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:41:56.27
応神天皇元年を390年と考え、そこからの平均在位を計算できる。

​平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも、
正確な数値が出ないと思われるので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年

11年弱が平均在位。
さらに古くなると若干在位が短くなると考え、

「11年」で計算してみる。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ってみる。

11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。

神武元年は3世紀前半。
卑弥呼の時代である。
0417日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 23:59:09.79
神武は天武の祖先、唯それだけのこと
天武の祖先は倭国大乱に於いてヤマト征伐に加わり、奈良時代迄生き残り天下を取ったんだろう

磐余彦、磐余は石村

宮崎で石器作りをしていた集団が、海人の隼人を征伐して力をつけたんだろう

山幸彦関連の史跡は、石に纏わるものが多い

潮嶽神社
ヒコホホデミノミコト(山幸)に追われたホデリノミコト(海幸)がこの地にたどり着き、居を構えたと伝えらています。
神話、海幸彦、山幸彦では山幸彦の影に隠れ、山幸彦ほど有名ではありませんが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれております。
0418日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 00:02:24.84
>>417
>宮崎で石器作りをしていた集団が、海人の隼人を征伐して力をつけたんだろう
>神話、海幸彦、山幸彦では山幸彦の影に隠れ、山幸彦ほど有名ではありませんが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれております。

矛盾しているよ。
隼人は天津神の一人だろ?
0419日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 00:05:03.97
>>417
追い出した方の彦火火出見を祭るのが伊都の高祖宮だからな。
つまり筑紫の邪馬台国と宮崎の投馬(都万)国の関係がちゃんと記載されていたんだよ。
0420日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 08:54:36.66
>>417
>神武は天武の祖先、唯それだけのこと

それはそうだが何でいきなり天武がでてくるのか?
誰のくだらない本を読んだんだ、梅原か?

>天武の祖先は倭国大乱に於いてヤマト征伐に加わり、奈良時代迄生き残り天下を取ったんだろう

神武は2世紀末の倭国大乱の際、大和王家(出雲系鴨族)の側に付き、ニギハヤヒを倒した。
そして大和王家(出雲系鴨族)の姫様の婿になる。
神武が天皇に即位して在地の姫様を嫁に迎えたのではない、逆。
だから神武には奥さん以外の妃がいない。
これは古今東西、典型的な「女王の婿」の姿だ。

そして神武が亡くなる。
タギシミミの反逆を経て生き残った姫様は「年すでに長大 夫婿なし」の状況。

姫様とはヒミコことヒメ(踏鞴五十鈴)媛だ。
0421日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 09:15:38.04
饒速日を倒してなんかいないだろ。
バカか?
饒速日こそ大和の王家であり、そこに神武が同族だから居候させてもらえることになったんだろ。
ずっと後世まで、饒速日を祖とする物部氏は権力を振るうんだぞ。
0422日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 09:30:39.75
>>421
倒したというのはコロしたという意味ではない屈服だ。

桜井の外山(とび)あたりで。

>饒速日こそ大和の王家であり、そこに神武が同族だから居候させてもらえることになったんだろ。

という夢でも見たのか?
神武が住んだのは在地王の鴨族のとち、カシハラ。
だいたい神武は大和で結婚してるのに何を言ってるんだマヌケ、失せろ。
0424日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 13:08:09.08
鎮魂歌

アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 
アチメ オオオ オオオ オオオ
 猟夫ラガ 持タ木ノ真弓 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 上リマス豊日霎カ 御魂欲ス 本ハ金矛 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
 三輪山ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
 吾妹子ガ、穴師ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 魂筥ニ 木綿取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ

台与のことを歌っているのかな?
石上が望んだ子、豊の勢力、三輪
やっぱり卑弥呼、台与は纒向でいいんじゃないかな
0425日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 13:10:41.55
石ってどういう勢力なんだろうか?
物部の石上

神武、天武の磐余、石村

奈良に都のあるヤマト政権の大部分は、石の勢力によるものか?
石器作りをしていたのは、縄文系なのかそれとも渡来人系なのか?
0426日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 13:14:36.74
大津皇子可哀想だな。
辞世の句

ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

ももづたふ、敦賀や鈴。

イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。

太陽は烏。


金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向 

金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。

我こそが応神天皇の子孫だと言いたかったんだろう。
息長氏(敦賀、鈴)、神功皇后、応神天皇

大津皇子って本当に天武の子なんだろうか?
0427日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 13:17:40.02
龍田神社
天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。

祭神
天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。

天武は息長タラシ系を滅ぼしたんじゃないかな
そして鎮魂したと

天武が草薙剣に祟られたのはどういう経緯があったんだろうか?
0428日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 13:20:01.27
ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり

大空をわたる月を、鳥でも刺すように網でからめとり、大君はその月を蓋になさっている。

天武朝では、月は嫌われていたのかな

桜井市のホームページにも載っている
桜井市にこの歌の碑もあるな

天武はよっぽど月や鳥が嫌いだったんだろうな
朱鳥なんて血塗れの鳥を連想するし

月や鳥と対立してきた因縁でもあるのだろうか?
0429日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 19:33:43.49
とりあえず天武はどうでもいいから。
0430日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 20:10:51.20
>>427
龍田山は熊本市にあるな
熊本市の龍田山が基だな。
0431日本@名無史さん垢版2018/08/14(火) 08:07:03.42
最近は水源で続々銅鐸が見つかっている。
これは和歌山の南部(みなべ)。
https://www.progoo.com/bbs/data/himehultukenn/img/51_tn_aaca21c0b8.jpg
南部は昔は「みわべ」と呼ばれたらしい。
「みわ かも」=鴨族の居住地であろう。

人間が生きていくために一番必要なのは水、
その湧き出る水の第一利用者が王であり神。
山の神だ。

纏向にも水源があったと聞いたがしょぼい。
あんなところに王も神もいなかった。
いたのは葛城の高天原(御所市高天)近辺だ。
0432日本@名無史さん垢版2018/08/14(火) 11:27:35.19
纏向は諸国の神輿である巫女の人工的司令部的なもんでしょ
ただ唐古鍵遺跡があるのであの辺りにもそれなり以上の勢力があったのは遺跡からわかってるやん
0433日本@名無史さん垢版2018/08/14(火) 16:20:26.03
纒向は男臭いところ
遠征してきた兵士と土方の大集落
癒しの娘たちが1000人
0434日本@名無史さん垢版2018/08/14(火) 17:20:56.34
そんな人数は入らないし、鉄鏃の一つも出ないから、そんな兵士もいない。
もちろん高くそびえた楼閣もない。
卑弥呼の宮城からは程遠い。
0435日本@名無史さん垢版2018/08/14(火) 17:29:22.97
>>431
>纏向にも水源があったと聞いたがしょぼい。

倭国(阿波)の四国山系には水源など腐るほどあるよ。 水源がなんだって?   @阿波
0436日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 08:01:41.78
>>435
阿波には 王権の謂れがない
0437日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 08:16:41.09
>>436
>阿波には 王権の謂れがない


王権の謂れ?  なにそれ?  それがどうかしたのかね? 
「王権の謂れ」とか「水源」とか、頭大丈夫?   @阿波
0438日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 09:50:35.31
>>437

神武が大和に来た時、事代主神と鴨王がいた。
神と王。

王権である、
0439日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 09:54:45.44
wiki

鴨王[5](かも の きみ/かも の おおきみ、生没年不詳)は、古代日本の政治家。
天日方奇日方命[1](あまのひがたくしひがた の みこと[注 2])の名でも知られる。
『日本書紀』によれば、懿徳天皇(第4代天皇)の外祖父である。

かも の おおきみ
もう一度言う、「おおきみ」である。
0440日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 09:56:55.36
ま、纒向学者が言いたいのは、こんなとこだろ

 ヤマト王権 = 邪摩堆王権
0441日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 10:12:24.64
>>438

頭大丈夫?   @阿波
0442日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 11:03:02.16
>>441

「曰渟名底仲媛命 事代主~孫 鴨王女也」(日本書紀原文)
0443日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 11:07:11.39
>>442

いや、だから、それが「大和」とどう関係してるの?  どこかに「大和」って書いてある?  @阿波
0444日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 11:13:40.22
「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」
鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  
御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、
更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば
「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。 
「郷社 下加茂神社」
鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492−2
御祭神 玉依姫命

※玉依姫は、鴨神社の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。  @阿波
0445日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 11:18:08.73
「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。

阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。

その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。  @阿波
0446日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 19:19:51.41
>>443
>だから、それが「大和」とどう関係してるの?  どこかに「大和」って書いてある?

事代主神の娘で鴨王の妹であるヒメ(踏鞴五十鈴)媛と神武が結婚するのだから、
神武の居住地カシハラの近くが彼ら鴨(神)王族の住まい。
高天原(御所市高天)、またはそのふもと、おそらく名柄。
長柄神社別名「姫の宮」が有力。
息子の綏靖は御所市森脇近辺、おそらく葛城一言主神社あたり。
0447日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 19:24:59.12
>>444
ネタにマジレスするのもあれだが、四国にいた鴨族が祀っただけ。
出雲系鴨族は加茂岩倉の銅鐸と兄弟である松帆銅鐸に見られる様に淡路にも多い。
0448日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 22:09:25.30
鴨王の孫か誰かが四国に派遣されたはず。
面倒だから調べない。
0449日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 22:26:42.92
>>447
>ネタにマジレスするのもあれだが、四国にいた鴨族が祀っただけ。

「四国にいた鴨族」  妄想はいいから。


>出雲系鴨族は加茂岩倉の銅鐸と兄弟である松帆銅鐸に見られる様に淡路にも多い。

そりゃ、島根も淡路も倭国(阿波)の領分なんだから。  @阿波
0450日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 22:50:05.28
>>449
www
0451日本@名無史さん垢版2018/08/16(木) 22:52:28.96
巻第四 地祇本紀

三世孫、天日方奇日方命。またの名は阿田都久志尼命(あたつくしねのみこと)。
この命は、日向の賀牟度美良姫(ひむかのかむとみらひめ)を娶って、一男一女をお生みになった。
子は建飯勝命(たけいいかちのみこと)。
建飯勝命の妹の渟中底姫命(ぬなそこひめのみこと)。
この命は、安寧天皇のときに皇后となり、四人の子をお生みになった。
すなわち、大日本根子彦耜友天皇(おおやまとねこひこすきとものすめらみこと:懿徳天皇)。
次に常津彦命(とこつひこのみこと)。次に磯城津彦命(しきつひこのみこと)。
次に研貴彦友背命(たきしひこともせのみこと)。

四世孫、建飯勝命。
この命は、出雲臣の娘・沙麻奈姫(さまなひめ)を娶り、一男をお生みになった。

五世孫、建甕尻命(たけみかじりのみこと)。またの名は建甕槌命(たけみかつちのみこと)、
または建甕之尾命(たけみかのおのみこと)。
この命は、伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫(がかいろひめ)を妻として、一男をお生みになった。

六世孫、豊御気主命(とよみけぬしのみこと)。またの名を建甕依命(たけみかよりのみこと)。
この命は、紀伊の名草姫(なくさひめ)を妻として、一男をお生みになった。

七世孫、大御気主命(おおみけぬしのみこと)。
この命は、大倭国の民磯姫(たみいそひめ)を妻として、二男をお生みになった。

八世孫、阿田賀田須命(あたがたすのみこと)。
和迩君(わにのきみ)たちの祖である。
次に、弟の建飯賀田須命(たけいいがたすのみこと)。
この命は、鴨部(かもべ)の美良姫(みらひめ)を妻として、一男をお生みになった。
0452日本@名無史さん垢版2018/08/16(木) 23:02:40.69
これはいわゆる出雲系大物主の系譜。
全員妻と子の名前が書かれてる。
しかし一人だけ書かれてない人物がいる。

八世孫、阿田賀田須命(あたがたすのみこと)

彼だけが書かれてない。
これは朝廷に気兼ねして書けなったのだ。

阿田賀田須命の妻があのモモソ媛だからだ、
そして崇神がこの神を殺したのだ。

日本では一度だけクーデターがあった。
クーデターをおこしたのは現天皇家の祖先・10代崇神。
おこされたのはスサノオ八世孫阿田賀田須命。、
0453日本@名無史さん垢版2018/08/16(木) 23:03:38.98
大体元々ヤマトにいたのは、ナガスネヒコや土蜘蛛なんじゃないのか?
葛城の土蜘蛛は脛の長い土蜘蛛だったと伝承に残っているし。
0454日本@名無史さん垢版2018/08/16(木) 23:39:37.22
長髄彦のところに、饒速日が「自分は天神の子であり、王である」と言って押しかけて、
続けて神武が「自分も天神の子であり、王である」と言って押しかけてきた。
神武と饒速日は勝手に和解してしまったが、二人も王を抱くことになってしまった長髄彦はたまったものではない。
領地を取られてしまうからだ。
結局、饒速日は長髄彦を排除してしまう。
0455日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 00:13:27.86
渡来人勢力を受け入れ、金属加工や水稲で豊かになった稲作民(縄文系勢力と渡来人系勢力の混血)が山の縄文系勢力を征伐したという歴史認識は間違っている

実際は狩猟や石器作りをしていた勢力が朝鮮半島系渡来人と手を組み、稲作民を征伐したというのが真実

鎮魂歌
邪馬台国、卑弥呼、初期のヤマト政権を歌ったもの
倭国大乱の勝者は、畿内を征伐した石神であり狩猟民。
更にアチメ、大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では朝日という意味になる

アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 
アチメ オオオ オオオ オオオ
 猟夫ラガ 持タ木ノ真弓 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 上リマス豊日霎カ 御魂欲ス 本ハ金矛 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
 三輪山ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
 吾妹子ガ、穴師ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 魂筥ニ 木綿取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ
0456日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 07:52:28.86
>>453
>大体元々ヤマトにいたのは、ナガスネヒコや土蜘蛛なんじゃないのか?


いや、上牧の銅鐸が加茂岩倉遺跡と兄弟銅鐸であることからも、弥生時代前期から中期には出雲系鴨族が来ていた。

葛城の土蜘蛛は脛の長い土蜘蛛だったと伝承に残っているし。

ニギハヤヒが弥生末、瀬田遺跡のころか。
これが倭国大乱の原因であろうが、神武が先住鴨族の助太刀をすることでとりあえず収まったのであろう。
そして神武は神の娘と結婚する。
神武に先立たれた神の娘の様子は「年既に長大 夫婿なし」だ。
0457日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 08:04:30.60
日本では一度だけクーデターがあった。
クーデターをおこしたのは現天皇家の祖先・10代崇神。
クーデターをおこされたのはスサノオ八世孫阿田賀田須命。

その阿田賀田須命を祀っている神社がある。
あの【国宝】中平銘鉄刀の保持者和邇氏の地域だ。
和爾坐赤坂比古神社。

わしが初めてこの神社に参拝したとき、わざわざ参拝に来てくれたことがうれしいのか、
それともいまだに苦しいのか知らないが、青白き蛇体が激しくのたうち回っていた。
一瞬だがその映像を脳裏で見たのだから仕方がない。

太古から蛇に例えられる大物主の姿だ。
0458日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 08:05:52.80
>>456
>いや、上牧の銅鐸が加茂岩倉遺跡と兄弟銅鐸であることからも、弥生時代前期から中期には出雲系鴨族が来ていた。


いや、それ忌部さん達の活動結果だよ。  いろいろ妄想が働くもんだね。  @阿波 
0459日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 17:51:32.68
895日本@名無史さん2018/08/17(金) 17:44:23.11
弥生時代の硯が続々発見されている。

2世紀前半までには九州から出雲(田和山遺跡)、
そして三重(大城遺跡)まで西日本全体に文字文化が行きわたっていた。

壱岐の原の辻遺跡では楽浪の文物とともに大量の出雲土器が出土する。
これは弥生時代の日本のエスタブリッシュメントが出雲人であった事を意味する。

その出雲の神々はBC3世紀ころから畿内を中心に移住している(松帆銅鐸の放射性炭素測定)。
これは加茂岩倉の兄弟銅鐸の分布からも分る。

ならばヒミコの時代、王都は畿内にあり、彼ら出雲族が王であった。

彼ら出雲王がいたのは葛城であり、ヒミコとは事代主神の娘・ヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。
0460日本@名無史さん垢版2018/08/17(金) 23:04:52.00
その後で筑紫の邇邇芸に国を譲っただろ
0461日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 08:09:52.33
その後で筑紫の邇邇芸に国を譲ったという夢を見たのか、あぁそうなのか。
0462日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 08:19:04.94
だから、いくら出雲が栄えていたと連呼しても、九州説への反論にはならない。
また、畿内説が有利になるわけでもない。
倭国の首班が出雲、筑紫、その後に大和と変遷しただけのこと。
卑弥呼がいた3世紀において、平原遺跡がある筑紫が最大の権力を持っていたことは明らか。
しかも平原遺跡は女王墓であると考えられており、卑弥呼の墓そのものだ。
0463日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 08:22:30.47
>>462
>倭国の首班が出雲、筑紫、その後に大和と変遷しただけのこと。

あれっ?  倭国(阿波)が抜けてるよ?  @阿波
0464日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 09:44:33.29
>>462
>だから、いくら出雲が栄えていたと連呼しても、九州説への反論にはならない。
また、畿内説が有利になるわけでもない。

壱岐の原の辻という楽浪の使者を迎え応対する主体を畿内・出雲に占領されていながら九州説などありえない。

今で言えば全員が東大出身の外務省官僚に大使て偏差値38の福岡工大出身者が挑むようなもの。
0465日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 10:24:50.54
>>464
占領?
アホか。
魏志倭人伝にそんな描写はないだろ?
土器だけで考えるといかに大間違いするかという見本だな。
0466日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 10:37:49.19
>>465
倭人伝に描写があったかどうかではなく、
九州にある壱岐、筑紫からほんの少しの壱岐で、
出雲・畿内勢力が楽浪の使者を迎え入れていた。
今でいう外務官僚。
出雲・畿内勢力が王権であった証拠。

残念だったな偏差値38の福岡工大よwww
0467日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:08:19.99
楽浪帯方からの使者が滞在したのは伊都と書いてあるじゃないか。
魏志倭人伝を無視するなよ。

>>466
>出雲・畿内勢力が楽浪の使者を迎え入れていた。

ここがまったくの妄想。
出雲や畿内からも人が筑紫や対馬、壱岐、すなわち倭国に来ていたというだけのこと。
使者の公式な対応はあくまでも伊都で行なった。
0468日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:11:12.80
>>459
>その出雲の神々はBC3世紀ころから畿内を中心に移住している(松帆銅鐸の放射性炭素測定)。
>ならばヒミコの時代、王都は畿内にあり、彼ら出雲族が王であった。

500年もズレているよ。
0469日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:35:31.20
>>467
>楽浪帯方からの使者が滞在したのは伊都と書いてあるじゃないか。
魏志倭人伝を無視するなよ。

そりゃ滞在したのだろね、だから何。
この前の伊勢志摩サミットで各国首脳は伊勢志摩に滞在したよね。



>出雲や畿内からも人が筑紫や対馬、壱岐、すなわち倭国に来ていたというだけのこと。

権力の主体の話をしてるのだが。
今なら外務省は東京だよね。
それと同じ。
0470日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:37:58.68
>>468
>500年もズレているよ

500年もズレている根拠なし。
放射性炭素測定で淡路の松帆銅鐸がBC2世紀からBC4世紀。
ざっとBC3世紀にすることに不都合はなかろう。
0471日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:38:44.72
赤坂の大使館があるのが伊都に相当。
壱岐は羽田空港程度の通過地点だよ。
0472日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 11:39:36.47
>>470
卑弥呼に関係ないだろうということ。
その後で出雲の国譲りで筑紫に王権が移ったんだよ。
0473日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 12:09:23.78
>>471
迎賓館が壱岐・
伊都は滞在通過地点。

それ以前に福岡が2世紀末から畿内土器に圧倒されていき、
やがて在地の西新土器が消えていくのに、
福岡に主権も何もあるもんか。
0474日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 15:40:27.77
>>473
魏志倭人伝を無視していますね。
妄想だけ繰り返しても意味ありませんよ。
0475日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 15:43:59.35
九州にいた卑弥呼は、外地の文化に理解があり、積極的に取り入れたのだな。
卑弥呼の即位がその2世紀末だから。
ただ、その時点で畿内に王都が成り立つ余地はまったくない。
平原遺跡を見ると大陸からの文化の輸入にも積極的だったようだ。
0476日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 15:45:13.72
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。
しかし古墳の出現は首長間交流の所産であるのに対し,集落から出土する土器は一般庶民の生活を 反映している。したがって,両者の関係をそう単純には結びつけることはできない。
纒向遺跡での搬入土器の主体は東海系であるのに対し,河内平野では吉備系土器が主体である。纒向遺跡では北陸系や近江系といった河内には 流入しない土器群がみられる。
前方後円墳で象 徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。
それに対して,畿内型(系)土器の拡散で象徴されるネットワークは大和や河内が必ずしも中心ではなく,場合によっては交易の所産である可能性も高い。
特に重要なのは, 福岡平野の比恵・那珂遺跡群で,一度畿内型土器が搬入され,模倣製作されたのち,在地の土器製作者がそれらを我流の技術で生産し,豊前,豊後の一部地域はもちろん,壱岐や遠く朝鮮半島南部に搬出するという現象である。
これは福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたことを示すものであろう。
中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),支配能力が高くなく,したがって地方首長は自分の支配地域の維持運営にさまざまな責任を負っているため,地方は中央の意思とは別に,独自の行動をとることが可能である。
古墳出現期の福岡平野がまさに,独自の行動をとっている地方の実例である。古墳時代を国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。
0477日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 20:12:16.44
>>474
伊都は無視していない。
但し通過点。

>>475
>卑弥呼の即位がその2世紀末だから。
>ただ、その時点で畿内に王都が成り立つ余地はまったくない。

10代崇神が4世紀初頭から前半、2世紀末とは神武のころ。
その神武が大和に来た時、すでに鴨「王」も事代主「神」もいた。
それぞれ神武の義理兄、義理父となる。
大和にあった出雲系の王権だ。
0478日本@名無史さん垢版2018/08/18(土) 21:13:33.40
壱岐・対馬は単なる通過点としてしか紹介されていない。
伊都は郡使が駐在するところとして紹介されていて、外交拠点であることがわかる。

なんでこんな基本的なところから説明しなくちゃいけないんだ
畿内説はみんな夢でも見ているのか?
0479日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 07:41:04.74
>>478
考古学的には原の辻遺跡で楽浪の文物と出雲土器が共伴している。
楽浪を迎え入れて応対していたのが出雲人であることが分かる。

伊都も畿内土器に圧倒されるのだから出雲・畿内の出先機関。
0480日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 08:01:57.37
畿内大和説の貴族は、
なが〜い夢を見ているらしい。自らの官位・官職が永遠に続くことを願って、、、。
0481日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 08:26:29.49
>>479
>楽浪を迎え入れて応対していたのが出雲人であることが分かる。

出雲と交易していたというだけだよ。
対馬海峡、筑紫、出雲、越が倭の主な領域だから、不思議でもなんでもない。
そしてその代表権は、上古のいつかの時点で出雲から筑紫に移譲された。
0482日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 14:13:31.34
>>481
>対馬海峡、筑紫、出雲、越が倭の主な領域だから、不思議でもなんでもない。


これらは、忌部(海人族)の日本海ルート進出勢力
一方、関東までの太平洋ルート進出勢力の忌部(海人族)もいた。  @阿波
0483日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 21:31:02.04
>>481
>出雲と交易していたというだけだよ

ならば楽浪と交易してた主体が出雲ということでいいな。
「上古のいつかの時点で出雲から筑紫に移譲された」なんて君の願望であって何も根拠がない。
0484日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 21:48:28.35
>>483
>ならば楽浪と交易してた主体が出雲ということでいいな。

うん、出雲忌部だね。  @阿波
0485日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 23:04:23.03
>>483
>ならば楽浪と交易してた主体が出雲ということでいいな。

なんだ?
どうしたらそう飛躍できるんだ?
筑紫が全国と半島大陸と、めちゃくちゃ広域に交易をしていただけだよ。
筑紫の出土物を見ればわかる。
0486日本@名無史さん垢版2018/08/19(日) 23:51:35.27
>>484
>どうしたらそう飛躍できるんだ?

飛躍ではなくて、原の辻に楽浪の文物とともに出雲・畿内土器が出てるのは事実。

九州倭国(笑〉とやらがあったのなら、
壱岐に出雲・畿内土器が入り込む余地すらないだろ。
0487日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 00:20:00.30
筑紫倭国が出雲を従えて大陸と交易していたんだろ?
0488日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 06:53:16.36
>>487


うん、筑紫忌部と出雲忌部だね。  @阿波
0489日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 09:19:47.75
>>487
出雲は太古から黒曜石の供給で王国を築いていた。
それは日本で最も古い墳丘墓は弥生中期の出雲が圧倒してる事からも分る。

その出雲王国は「中国対策」として半島西部・全羅道まで防人を配置してた事は、全羅北道・上雲里遺跡に見事な翡翠の勾玉と武具が出土してる事からも分かる。

筑紫も瀬戸内も同じく出雲王国の防人の土地。
畿内大和は出雲王の移住地。
出雲の王が住んだ場所は高天原(御所市高天)だ。

筑紫ごときが自惚れるな。
0490日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 09:56:41.67
>>489


出雲も筑紫もそれ全部、忌部はんと何度言えば!  @阿波
0491日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 13:09:40.58
弥生中期はそうかもしれないが、高天原に攻め滅ぼされて筑紫に王権が誕生したことが記紀に記録されており、実際に弥生後期の王墓は筑紫ばかりになる。
その中心が筑紫の日向の伊都なのだけれど。
0492日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 13:33:07.34
>>491

出雲も筑紫もそれ全部、忌部はんと何度言えば!  @阿波
0493日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 14:11:35.80
>>491
>高天原に攻め滅ぼされて筑紫に王権が誕生したことが記紀に記録されており

神武は在地のヒメ様と結婚。
結婚することが何で「滅ぼす」になるんだ?

しかもそのヒメ様の父は神、兄は王。
こちらが本物の王権。
その王権は5代続く。

そしてその王権を滅ぼした男が10代崇神だ。
ハツクニシラススメラノミコトとなる。

PS:神武は宮崎県だよ、
証拠は崇神が祖先の神武をしのんで宮崎神宮を立てている事。
神武の痕跡が宮崎にあり福岡にはなかった証拠。

福岡って何もないんだよw
0494日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 14:22:07.13
>>491
>実際に弥生後期の王墓は筑紫ばかりになる。
>その中心が筑紫の日向の伊都なのだけれど。

あんなの王墓ではない。
あれが王墓というなら、弥生中期から王墓がある山陰出雲では3世紀半ばの西谷3号墳墓まで王墓が続くことになる。
平原よりよほど立派だ。
また丹波の赤坂今井の方がよほど王墓にふさわしい。

平原を王墓なんて言ってたら、
後の時代のワレ塚古墳、銭瓶塚古墳、狐塚古墳を卑弥呼の後裔王の墓と言わざるを得なくなるが、
あんなショボい古墳を卑弥呼の後裔王の墓なんて恥ずかしくて言えないだろ。
言えないならあきらめろ。
0495日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 19:14:51.93
>>494
弥生終末の北部九州ではあれだけの副葬品を持つ墓は無いから王墓だろうね

他の地域と比べるのは意味がないよ?
特に九州説には尚更無意味

糸島に都があったのは可能性的に古墳前期までかなぁ。

一貴山を見るとまだそこそこ力はありそうだけど
0496日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 19:35:34.44
紀ノ川に伊都があるな
紀ノ川は神功皇后、応神が軍を整えた地

伊都国の王族は畿内周辺に移動したのかな?

天武朝、石徹白イトシラ、何か関係あるのだろうか?
白日別
0497日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 19:43:09.71
>>495
>弥生終末の北部九州ではあれだけの副葬品を持つ墓は無いから王墓だろうね

副葬品の豪華さで王墓を決めるのなら、
5世紀後半で最も豪華な副葬品は奈良の新沢千塚126号墳墓になる。
しかし百舌鳥・羽曳野の大古墳を差し置いて、
あんな小さな長方形墳墓を王墓なんて言う人はいないしこれからも出てこない。

新沢千塚古墳群は大伴氏の墳墓でほぼ間違いなく、126号墳墓は大陸系の女性、
まぁ大伴氏の首長の妾と言ったところであろう。
大伴金村のお母さんあたりであるかもしれない。
0498日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 20:00:22.72
>>495
>糸島に都があったのは可能性的に古墳前期までかなぁ。

その後は大宰府あたりに遷都でしょうね。
0499日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 20:03:36.70
>>497
>5世紀後半で最も豪華な副葬品は奈良の新沢千塚126号墳墓になる。
>しかし百舌鳥・羽曳野の大古墳を差し置いて、
>あんな小さな長方形墳墓を王墓なんて言う人はいないしこれからも出てこない。

畿内の陵墓指定がデタラメなのは有名だろ。
0500日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 20:51:10.98
>>499
陵墓指定がデタラメかどうかと、
墓の大きさが大王を意味するかとは別次元の話だ。
論理をすり替えるな。

最近は考古学の発展で須恵器の編年が進み、
誉田御廟山が応神、
大仙が仁徳でほぼ間違いがないようになってきてる。

問題は全国3位の上石津ミサンザイだが、
次期大王と言われながらならなかった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)であろう。

だいたい天皇が死んでからあんな大きな墓を造り始めるわけがない。
一番良いのは皇太子の時代に造り始める事だ。
そうすれば天皇になって死ぬ頃に墓が出来てちょうどよい。

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のために大墳墓を造ったものの、
菟道稚郎子は大王にならなかった。
次の仁徳は上石津ミサンザイを超える大墳墓を造らないとかっこがつかない。
そして必死で大きな墳墓を造ったら世界一のものができたってわけさ。
0501日本@名無史さん垢版2018/08/20(月) 21:07:36.35
それだと並行していくつか作る可能性もあるから、実際には前方後円墳を作る労力というのは、今までの見積もりが過剰だったのではないかと思う。
少なくとも、何年もかかる話だとは思えない。
0502日本@名無史さん垢版2018/08/21(火) 17:26:08.54
>>497
文化の状況が違う5世紀の奈良?を持ち出してどうなるの?
もともと、あのあたりは巨大墳墓文化だし

反論ならば当時の弥生終末期の北部九州の状況でしてね。

総合的に考えても、北部九州の中での平原の副葬品が圧倒的すぎ
だから、畿内説の学者も無視できなくなったのだろ?

平原以前で同じ流れの大量鏡副葬文化の三雲では
ガラス製の璧も出土しており、金銅製の四葉座飾金具も出土している
つまり、かなりの権力を持ち、中国からも認められていた存在だった、という事。
当然、王墓なわけだが、その流れを汲む平原はやはり、王墓の可能性は高いね。
その範囲は謎だが。
0503日本@名無史さん垢版2018/08/21(火) 18:32:03.40
中国側は倭王しか認めていないのだから、当然、平原遺跡の被葬者は倭王。
しかも倭国大乱より後で、魏晋代の装飾品を持つ女性だ。
魏の時代の倭王卑弥呼しかありえない。
0504日本@名無史さん垢版2018/08/21(火) 19:45:37.51
>>500
さすがは鴨先生ごっつい勉強になる
0505日本@名無史さん垢版2018/08/21(火) 19:48:41.07
>>503
ダックごときが無粋レスこくスレちゃうよ?
黙って先生のうんちく読め?
0506日本@名無史さん垢版2018/08/21(火) 21:48:56.96
>>502
>>509反論ならば当時の弥生終末期の北部九州の状況でしてね。

なんで反論を弥生終末期の北部九州の状況でせねばならんのだ。

邪馬台国は九州と決め込んでるからこそ、そんなアホな例えになるのだろうが。
0507日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 00:02:52.16
弥生末期ってようは伊都国繁栄から没落に至る年代だよね
福岡には畿内系の土器が入ってきて糸島の方は完全に孤立してるしさ
0508日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 00:15:15.08
>>507
没落?
それは幻想だよ
三雲も少し前に古墳前期の大型建物が発見されてるし、潤地頭給遺跡の玉造工房も古墳前期まで

弥生終末期は平原からもわかる様に全盛期だよ

箸墓と同時期の前方後円墳もあるし、また、古墳前期の墓も沢山あるが、未発掘なんだよなぁ
0509日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 00:35:42.00
>>506

そもそも畿内説で平原を倭国王墓という人はほぼいないだろう?(希にいるが)

平原を王墓と考えているのは九州説なのだから、北部九州内での比較が妥当だよ

その九州説の王墓へ反論をしたいのなら、本州の墓との比較は意味がない
倭種ではあるが、女王の国の範囲ではないからね
0510日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 07:40:56.97
>>509
>倭種ではあるが、女王の国の範囲ではないからね

庄内土器はもちろん、少量だが畿内弥生土器まで筑紫で出てるのだから、
筑紫は女王の国の範囲。
0511日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 07:44:56.42
筑紫は女王の都
0512日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 08:13:00.54
>>510
>庄内土器はもちろん、少量だが畿内弥生土器まで筑紫で出てるのだから


庄内土器はもちろん、畿内弥生土器まで筑紫に持ち込んだのは「筑紫忌部」だよ。  @阿波
0513日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 09:24:24.48
庄内土器はもちろん、畿内弥生土器まで筑紫に持ち込んだのは「物部」だよ。
中河内が土師器の拠点なのもそのせい。
0514日本@名無史さん垢版2018/08/22(水) 09:28:55.94
>>513

その「物部」も元は忌部一族だよ。 「中臣」も「蘇我」も「大伴」もみな忌部。  @阿波
0515日本@名無史さん垢版2018/08/23(木) 19:32:43.84
【臺與】
長生きした卑弥呼のあとを13歳で継いでるわけだから、卑弥呼との世代差は3〜5世代。

ならば、
➀万幡豊秋津師比売説
アマテラスの息子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)と結婚し、
天火明命(アメノホアカリ)と邇邇芸命(ニニギ)の母となってるので、
アマテラスとの世代差3〜5世代では説明が苦しい。
また神武の曽祖父ニニギが3世紀末あたりになるが、これはとても無理。

A天豊姫命説
崇神時代の建諸隅命の子なので時系列として無理。
考古学的にも文献史的にも崇神を4世紀初頭から前半とするのが有力なので、
崇神を3世紀中頃の人物としなければ無理。

B豊鍬入姫命説
崇神天皇の皇女だから、モモソ媛を卑弥呼とし、モモソ媛を崇神の2世代前とすれば世代差は説明できる。
しかしこれも上記、崇神を4世紀初頭から前半とするのが有力なので時系列として無理。

C豊姫説
4世紀後半の神功皇后の妹だから論外。

つまりwikiの臺與候補、全員アウト!

というわけで臺與の条件をたった一人、トヨ津媛のみがクリアする。
しかも【国宝】中平銘鉄刀の保持者・和邇氏の祖・孝昭天皇の母である。

卑弥呼とは彼女から3世代前のヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。
0516日本@名無史さん垢版2018/08/23(木) 21:29:01.50
>>515

「豊玉比賣」  @阿波
0517日本@名無史さん垢版2018/08/23(木) 23:39:20.75
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比当スといい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。
0518日本@名無史さん垢版2018/08/25(土) 19:12:01.98
>>517
>この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。

そう思うのは勝手だが時系列として崇神の数十年前になるのか?
ヤマトタケルの説話を出してる時点で崇神より後の時代だろうが。
0519日本@名無史さん垢版2018/08/25(土) 20:05:44.41
レスありがとうございます。
川上タケルが壹與の数十年後の倭王ということになります。
0520日本@名無史さん垢版2018/08/25(土) 22:18:40.15
川上タケルって野球選手?

どのみち九州にはいないよ。
【国宝】中平銘鉄刀という物証とともにヒミコもトヨも判明したから。



   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
0521日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 11:43:38.94
與止日女神社の創建は564年で、
御祭神の與止日女は、神功皇后の妹という設定らしい
川上のタケちゃん伝説とは、まあまあ時代は合うな、・・・というか合わせてあるようだ。
0522日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 13:07:34.35
神功皇后の妹説はかなり後世の文献から登場する。
神学者の何某の著作が最初だったはず。
0523日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 17:07:35.58
與止日女神社(神紋は鍋島氏)

>昔は大陸に近い田島神社の方が盛大で、大社であったが、
当社が、国府にも近く、肥前国一宮となった<。

>川のほとりにある、姫神のお宮で、しかも肥前国一宮であるということで、
もっと華美な神社を想像していたのだが、そのような雰囲気ではない。
開放的で明るく、境内にベンチでもあれば、ゆっくりと時の流れを感じながら、
川面を見つめていたい。そんな感じ。<
0524日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 19:40:32.89
>昔は大陸に近い田島神社の方が盛大で、大社であったが,,,

この田島神社は、大陸への出港に便利な唐津市呼子町加部島(古名:姫神島)にあったそうな。
0525日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 19:50:12.19
姫神島は高天が原にして松浦国府かも?(高天が原は葛城でもええですが
0526日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 20:01:35.39
田島はもともと九州北岸全域を支配していたけれど、他の氏族に博多湾を取られて、辺縁部にだけ残っていると推察しています。
博多湾の主(=倭王)は何度か入れ替わっているようです。
0527日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 20:10:15.51
>博多湾の主(=倭王)

遠慮せず王の名前をどうぞ。
0528日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 20:14:21.04
倭奴国時代の辺縁にあった呼子・田島神社の、
そのまた辺縁の佐賀川上に、あの與止日女神社はポツンとあったってわけか、、、
それが六世紀に、誰かの肝いりで創建・再建された・・・。
0529日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 21:28:26.87
道饗祭 抜粋

高天之原に事始めて、皇御孫之命と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、
  八衢比古・八衢比売・久那斗と御名は申して辞竟へ奉らくは、

高天原は方違神社のある大阪湾岸の台地じゃないかな
上町台地&泉北丘陵
生國魂神社、方違神社、坐摩神社、仁徳天皇陵、錚々たる神々が鎮まり坐している
0530日本@名無史さん垢版2018/08/26(日) 22:49:33.20
泉北丘陵に住んでるが全然関係ないよ。
0531日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 11:22:53.51
BC3世紀ころ、超大国「秦」の誕生に備えるかのように出雲の銅鐸が近畿一円に拡散。
加茂岩倉と兄弟銅鐸である淡路の松帆銅鐸は2世紀〜BC4世紀。
加茂岩倉と兄弟銅鐸は他にも禁忌一円に多数あり、それらもおそらくその時代と推定される。

この時、王権も大和に移住したのでしょう。
後に神武がその王権に婿入りします。
北部九州というのはその王権の防衛での最重要地域。

九州に王権などありません。

また生口問題でも九州に太古から存在する奴婢郷はありません。
太古からの奴婢郷があったのは葛城。
大和の王たちが住む高天原の麓です。
0532日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 11:33:04.78
>>531
>この時、王権も大和に移住したのでしょう。

出雲から大和に流れて言ったということ?
それなら出雲の国譲りで敗者となった事代主が大和に移動したのだろうね。
それを受けて誕生したのが筑紫の天孫族の日向三代の王家だよ。

>後に神武がその王権に婿入りします。

その神武の出身地が筑紫であり、父親までは天孫ニニギ以来、代々が九州で倭王だったのだが?
0533日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 18:36:27.34
>それなら出雲の国譲りで敗者となった事代主が大和に移動したのだろうね。

そうすると譲らせた勝者は四隅突出墳墓を造ったということになるが?

>それを受けて誕生したのが筑紫の天孫族の日向三代の王家だよ。

筑紫に四隅突出墳墓はないので君の話はヨタである。


>その神武の出身地が筑紫であり、父親までは天孫ニニギ以来、代々が九州で倭王だったのだが?

神武は宮崎県。君の話はヨタ。
0534日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 19:03:50.94
>>533
>そうすると譲らせた勝者は四隅突出墳墓を造ったということになるが?

そうだと思うよ。

>>533
>筑紫に四隅突出墳墓はないので君の話はヨタである。

同じである理由がない。

>>533
>神武は宮崎県。君の話はヨタ。

根拠のない思い込み。
宮崎県が日向国となったのは景行天皇の時。
0536日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 20:29:42.86
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0537日本@名無史さん垢版2018/09/03(月) 22:31:31.57
>>531
>この時、王権も大和に移住したのでしょう。

そんな昔に大和に有力勢力がいた痕跡はない。

>後に神武がその王権に婿入りします。

それ、もっと後のこと。
0538日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 07:35:40.33
>>537
>そんな昔に大和に有力勢力がいた痕跡はない。

弥生中期、どこよりも墳丘墓で圧倒するのは山陰出雲。
その時期に、おそらくBC3世紀に銅鐸が近畿を中心とする西日本一円に拡散。
出雲の王族はどこに移転したかというと、答えが書いてある。
2世紀末、神武が大和に来た時に、大和には鴨王(かものおおきみ)と事代主神がいた。
痕跡を遺跡というなら、当時の宮跡など由緒正しき場所は今も式内・名神大社として残ってる。
4世紀前半の崇神の大神神社以前の式内・名神大社は葛城に集中している。
したがって邪馬台国の王都は葛城で文句なかろう。
九州は論外。
0539日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 07:39:45.65
>>534
>>そうすると譲らせた勝者は四隅突出墳墓を造ったということになるが?

>そうだと思うよ。

ならば九州は関係ない。


>>筑紫に四隅突出墳墓はないので君の話はヨタである。

>同じである理由がない。

同じでなければ何も証明できない。
0540日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 07:42:21.43
下級知能指数が目立つ神社厨イラネ
0541日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 07:44:10.90
>>534

>>神武は宮崎県。君の話はヨタ。

>根拠のない思い込み。
>宮崎県が日向国となったのは景行天皇の時。

10代崇神が神武の痕跡の土地に宮崎神宮を建てている。
たかだか9代、6世代前、約100年前の祖先の痕跡を間違えるわけはない。
あと日南市には先妻アヒラツヒメの痕跡が残る。

福岡県には何もないのだよ。
せいぜい防人の墓(平原)程度。
0542日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 08:46:07.32
>>539
>>>そうすると譲らせた勝者は四隅突出墳墓を造ったということになるが?
>>そうだと思うよ。
>ならば九州は関係ない。

結果的に、筑紫と出雲は兄弟国になる。
考古学的にも両者の交流は密であったことがわかっている。
大和が筑紫を支配して大率を置いていたとか与太を飛ばす者がいるが、筑紫と結びつきが強いのは出雲なので、誤りだ。
そして記紀は出雲から筑紫への政権交代を記録している(出雲の国譲り)。
0543日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 10:41:45.11
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0544日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 14:06:48.55
>>504
多分?貴人が亡くなられて三年の殯を上代から行っていたらしいので、
工期は最大三年(弱)で御陵(古墳)が築造されたのではなかったか?
三年後に本葬儀を行って新たな御陵(古墳)に葬られた。としたら整合性もあるかと、、、、
0545日本@名無史さん垢版2018/09/04(火) 14:20:51.19
248年に訪問したらすでに卑弥呼は亡くなっており、墓が作られていた。
0546日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 10:49:19.69
>>542
>結果的に、筑紫と出雲は兄弟国になる。
>考古学的にも両者の交流は密であったことがわかっている。

密と言えば密だ、
ただしあくまで出雲が王権であり筑紫はその支配下。
それは弥生から古墳時代まで通じて筑紫の墳丘墓が極めて貧弱であることからも分かる。
分かりやすく言うと筑紫は出雲王国の防人。
だから筑紫に「物部」が多いのだ。
0547日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 11:03:09.58
>>542
大和が筑紫を支配して大率を置いていたとか与太を飛ばす者がいるが、筑紫と結びつきが強いのは出雲なので、誤りだ。
そして記紀は出雲から筑紫への政権交代を記録している(出雲の国譲り)。

その出雲から畿内各地に王権を含め神々が移動している。
加茂岩倉遺跡との兄弟銅鐸が畿内各地に移動してる事で分かる。

その中の一つ、淡路の松帆銅鐸の時期がBC2世紀からBC4世紀であることが最近の放射性炭素測定で判明した。
ちょうど海の向こうに想像を絶する大軍を持つ超大国「秦」が誕生したころだ(BC3世紀)。

秦に対する防衛の中心地が筑紫、そして半島にまで伸びていただろう。
最北は全羅北道の上雲里遺跡あたりか。

つまり筑紫は「畿内に移住した出雲王國」の防衛前線。
0548日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 12:57:45.58
>>546
>ただしあくまで出雲が王権であり筑紫はその支配下。

大国主の名が伝わっているので、ある時点まではそうだったかもしれない。
だが、大国主は倒されて、筑紫の日向の伊都クシフル山にニニギの倭国王権が誕生したと記紀に記録されている。
0549日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 18:49:59.64
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0550日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 20:55:25.51
>>548
国譲り受けたらそこかそこより遠い所目指すやろ?
九州の東の但馬のどこぞに降臨上陸したに1票
つくしのひむかしのたちはな〜〜の〜
0551日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 21:27:56.21
筑紫だろ?
小戸の橘(タチハナは岬のこと)は福岡市の小戸のことだよ?
0552日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 22:19:56.42
>>548
>筑紫の日向の伊都クシフル山にニニギの倭国王権が誕生したと記紀に記録されている。

そうするとその伊都クシフル山に王都があるのにもかかわらず、
なんでニ二ギの曾孫の神武が大和を目指したの?
神武が大和に移った後、伊都クシフル山にあった王都はどうなったの?

あと天孫降臨は宮崎の高千穂だから。
福岡なんて全然関係ない、福岡は豚骨ラーメンだけ作ってればいい。
0553日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 22:25:39.22
伊都クシフルなんて記紀のどこにも書かれていない
妄想と現実を混同してしまうのはボケが始まっているからなんだろう
0554日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 22:53:29.87
妄想と現実を混同してしまうのは朝鮮人。
0556日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:04:27.86
>>552
>なんでニ二ギの曾孫の神武が大和を目指したの?

倭国大乱で王位から脱落したから。
伊都高祖宮の祭神は日向三代の一人、彦火火出見。

>神武が大和に移った後、伊都クシフル山にあった王都はどうなったの?

混乱の末に卑弥呼が共立され、半世紀ののちに平原遺跡に葬られた。
0558日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:11:01.08
対案も出さずに文句ばかり。
0559日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:12:40.21
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」

(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、『怡土志摩郡地理全誌』東京糸島会発行所収)

「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、
旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて
編集した郡村地誌である。
第六巻は早良・怡土・志摩の各郡を収めた。
0560日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:15:11.62
どこにも高祖山がクシフルだなんて書かれていない件

人家の裏山〜が明治までしか遡らない件
0561日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:19:09.79
妄想と現実の区別がつかないお花畑に対して反論もくそもないわな。
0562日本@名無史さん垢版2018/09/05(水) 23:48:03.26
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0563日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 07:04:40.02
椚は今でもある集落で、その裏の山(高祖山の一部)がくしふる山と呼ばれていたということだよ。
日向峠の入り口になる。
0566日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 11:36:14.28
偏狭な福岡パラノイア。
ここまでくると病気。
0568日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 12:32:33.67
弥生時代の王の住まいは何らかの形で今も残ってる。
神社として残ってるはずだ。

また天皇は宮を変えているが、弥生時代の王は頻繁に宮を変えていないはず。
なぜなら最良の土地に宮を構えるからだ。
最良の土地とは豊かな水源。
ヒミコの宮も豊かな水源があり、今も続く神社であろう。
0569日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 12:36:29.49
>>556
>>神武が大和に移った後、伊都クシフル山にあった王都はどうなったの?

>混乱の末に卑弥呼が共立され、半世紀ののちに平原遺跡に葬られた。

平原は、柳田さんが言ってたけど卑弥呼のお母さん世代。
時代をずらすな。
0571日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 12:46:21.09
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0572日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 12:53:52.26
魏志倭人伝の卑弥呼のポジションにヒメ(踏鞴五十鈴)媛を置くと、
@ なぜ古代天皇は100歳を超えるのか
A なぜ神武東征紀は一書がなく創作誇張されてるのか
B 纏向遺跡とは何なのか
が解ける。

@の答え
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛がヒミコならその5世代100年前の倭国王帥升がスサノオだと分る。
神々自ら海を渡り後漢・安帝に謁見要請、つまり土下座をしに行ったという屈辱的歴史実を、
時代を大きくずらしてごまかしたのだ。
その結果100歳を超える天皇ができてしまった。

Aの答え
女王国であった史実をごまかすためだ。
神武東征紀を読んでみて、その時代が女王国であったという発想は誰にも出てこない。
 
Bの答え
瀬戸内海洋集団・物部以外に被葬者はいない。
箸墓古墳は崇神の叔父であり磯城の「ヒコ」であったイカガノシコオであろう。
0573日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 13:02:30.91
>>570
妄想ではない。
葛城の長柄神社の名柄遺跡から銅鐸と多紐細文鏡が同時に出た。
長柄神社の祭神はシタテルヒメ。
お父さんは出雲系大国主。
お母さんは宗像三女神の一人・多紀理毘売命。

出雲の象徴・銅鐸と筑紫宗像の象徴・多紐細文鏡が同時に出たのだ。
つまり水源であるここ長柄神社に王族の姫様たちが住んでいたのだ。

この長柄神社、別名は「姫の宮」だ。

ヒミコことヒメ(踏鞴五十鈴)媛もここに住んでいたのであろう。
彼女の子供・綏靖天皇はすぐ近くの森脇に宮を構える。
0574日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 13:03:41.77
>>568
>ヒミコの宮も豊かな水源があり、今も続く神社であろう。

八倉比売神社
鎮座する杉尾山自体を神体とする。
祭神 八倉比売命 - 天照大神の別名であるとする

社殿裏手には五角形の磐座がある。一説には卑弥呼の墓であるという。
近くに「天の真名井」と呼ばれる井戸があり、現在は「大泉神社」として祀られている。  @阿波
0575日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 14:25:42.50
>>574
まぁ葛城の神社を大谷が活躍するメジャーリーグとすれば、
阿波の神社などは四国アイランドリーグだなw

頑張れ四国アイランドリーグ!www
0576日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 15:23:50.82
>>575
>まぁ葛城の神社を大谷が活躍するメジャーリーグとすれば、


まぁ、その仮定自体が、草野球。  @阿波
0577日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 18:10:01.58
>>568
>弥生時代の王の住まいは何らかの形で今も残ってる。
>神社として残ってるはずだ。

まさにその通り。
まあ、戦国時代に没落したり、明治維新で祭神を付け替えたりしているから、色々と一筋縄ではいかないがね。
伊都国の高祖神社や細石神社などはその典型だろう。
0578日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 18:29:50.72
>>568
>弥生時代の王の住まいは何らかの形で今も残ってる。
>神社として残ってるはずだ。

まさにその通り。  @阿波

「允恭天皇神社」   http://goutara.blogspot.com/2011/03/blog-post_06.html
允恭天皇を全国で唯一社のみお祀りしていたといわれる允恭天皇神社でございます。
場所は鳴門市大津町大代で「大代」は「大城」のことだそうです。
近づけば「天皇神社」「護穀神社」とあります。
0579日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 18:32:57.72
>>577
>伊都国の高祖神社や細石神社などはその典型だろう。

いやそれ4世紀後半の神功皇后あたりだろ。
時系列がめちゃくちゃ。
0580日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 19:24:07.12
歴史を語るというのにトンデモは時間の経過による変化を考慮しない
0581日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 19:41:39.47
>>579
1〜3世紀に神功皇后がいたのか?
アホか
0582日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 19:44:22.52
>>580
だよな
鉄器ゼロ
0583日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 19:54:07.15
>>581
お前が挙げたその神社が4世紀後半の神功皇后の時代だと言ってるんだよ、アホ。
大して古い神社もない九州ごときがうぬぼれるな。
0584日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:38:25.28
>大して古い神社もない九州

その根拠は?
0585日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:54:21.59
>>584
古い神社を言えばいいだけ。
葛城の高天彦神社より古い神社はない。
近くの北窪遺跡、伏見遺跡は縄文迄までさかのぼる。
0586日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:57:25.80
>>583
近くの遺跡(平原や三雲南小路)が3世紀以前だぞ。
神功皇后は再興しただけ。
0587日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:57:52.13
>>585
>葛城の高天彦神社より古い神社はない。


頭が高い、草野球。  @阿波
0588日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:57:52.83
>>585
縄文遺跡など日本中にあるよ。
0589日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 20:58:45.35
遺跡の年代が圧倒的に九州のが古いんだから
その上にある神社もそうなんだろう。

そうでないという方が説明を要する。
0590日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:02:20.10
>>589
>遺跡の年代が圧倒的に九州のが古いんだから


縄文時代、全国と交流していたのは倭国(阿波)だけ。  @阿波
0591日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:04:51.73
縄文時代、全国と交流していたのは全国
0592日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:09:29.54
>>591

縄文時代、全国と交流していたのは全国で倭国(阿波)だけ。  @阿波
0593日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:10:07.18
縄文時代、全国と交流していたのは全国
0594日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:11:49.97
数年前の、とあるスレ

全国(世界)津々浦々

と言ってる人がいたんだけど
0595日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:12:02.66
で倭国(阿波)だけ。  @阿波
0596日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:32:02.99
縄文時代、全国と交流していたのは全国
0597日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:35:28.25
>>586
>近くの遺跡(平原や三雲南小路)が3世紀以前だぞ。

ところがそれらしき神社がない。
0598日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:39:48.19
>>589
>縄文遺跡など日本中にあるよ。

ところがその縄文遺跡と直結する神社がない。
極端に言えば上野原遺跡と直結する神社はない。
三内丸山遺跡と直結する神社はない。

大阪では弥生時代だが池上曽根遺跡は曾祢神社と直結する。
祭神は二田物部神、つまり物部の遺跡である。
0599日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:41:35.83
>>597
卑弥呼は記紀から完全に消されている存在だからね…
痕跡も潰した可能性があるよ

産の宮神社の奈留多姫はかろうじて残ったか…

妄想に過ぎないけど
0600日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:41:38.68
>>587
ちょっとそこの四国アイランドリーグの人、静かにしてください。
0601日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:43:06.35
>>598
あんた馬鹿?w
典型的な畿内脳w

>ところがその縄文遺跡と直結する神社がない。
>極端に言えば上野原遺跡と直結する神社はない。
>三内丸山遺跡と直結する神社はない。

九州や東北には縄文のハードルを課しておいて






>大阪では弥生時代だが池上曽根遺跡は曾祢神社と直結する。
>祭神は二田物部神、つまり物部の遺跡である。

大阪には弥生wwwwwwww
0603日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:44:39.24
だいたい平原って何もないミカン畑だったわけだから、
王都、王権に関わる「謂れ」なんてあるはずがない。
0604日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:45:06.10
>卑弥呼は記紀から完全に消されている存在だからね…
>痕跡も潰した可能性があるよ


潰してねー

移転しただけー

伊都志麻>伊勢志摩
0605日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:45:49.97
だいたい卑弥呼邪馬台国って記紀に記載がないわけだから、
王都、王権に関わる「謂れ」なんてあるはずがない。
0606日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:46:11.55
>>601
>九州や東北には縄文のハードルを課しておいて

高天彦神社は縄文とつながると上で言ってるのが見えないの?
0607日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:47:26.60
>>605

あるよ。
馬鹿には見えないだけ。
0608日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:47:59.93
>葛城の高天彦神社より古い神社はない。
>近くの北窪遺跡、伏見遺跡は縄文迄までさかのぼる。

へー
近かったらさかのぼるんだー
0609日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:48:56.79
結局はオラが町の縄文遺跡を
オラが町の神社と結びつけているだけ
0610日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:50:43.11
>>599
>卑弥呼は記紀から完全に消されている存在だからね…

消されてないよ。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

>痕跡も潰した可能性があるよ

2世紀前半の男王から3世紀後半のトヨ迄続いた王権の痕跡なんて消せないよ。
今も大物主や事代主や大国主は祀られてるではないか。
0611日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:52:56.68
>>608
>へー
>近かったらさかのぼるんだー

そうだよ。
奈良盆地最良の水源を王が手放すわけないからね。
0612日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:54:07.77
水源なんて全国にあるのだが・・・
0613日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:55:26.50
>2世紀前半の男王から3世紀後半のトヨ迄続いた王権の痕跡なんて消せないよ。
>今も大物主や事代主や大国主は祀られてるではないか。。

???

女王は???

なんで事代主や大国主???
あれ???神武とかじゃないの?

自分で言ってて不安にならない???
0614日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:56:16.36
>>612

水源と式内・名神大社が結びついてるところを具体的にどうぞ。
0615日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 21:57:23.13
>>613

興奮せず>>1をよめ。
0616日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:01:24.11
>>614
全国の古い神社のすべて
0617日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:02:16.00
>>608
糸島も神社の近くだったら支石墓がいくつかあるよ
関連はわからんが
弥生初期の戦闘痕跡がこのあたりには多いらしい

この時期の考古学も面白そうだ
0618日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:03:53.50
>>617
意外と盲点なのが、長崎方面。
福岡県とは傾向のちがう渡来人がびっしりと入りこんでいるけど、
どう思われる?
0619日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:11:17.95
>>616
全国の古い神社のすべて でもいいが王権の謂れのあるところを言え。

葛城は神武が来た時に、鴨王(追う君」や事代主神がいた。
神と王がいて王権ではないというのはへ理屈だろう。
0620日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:12:37.16
× 鴨王(追う君」

〇 鴨王(おおきみ)
0621日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:14:50.28
>>617
九州関連のスレでやれ。
わしのスレを汚すな。
0623日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:18:34.46
>>622

その統合令とやらは高天彦神社や高鴨神社とどういう関係が?
0624日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:24:00.66
古田信者は古代史界の汚物
0626日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:25:58.74
>>621
ブログでやれば?w
0627日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:29:13.36
>>626
邪馬台国は葛城であるというスレを建てて何が悪い。
なんでお前に指図されねばならんのだ。
0628日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:30:50.33
>>627
お前さんの宗教観から外れた議論はすれ違いなんだろ?w
0629日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:31:41.97
生口の逆襲
0630日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:46:43.45
>>628
わしの宗教観など関係ない。
基本、>>1から逸れないでくれ。
何を長崎が面白いなどと訳の分からない事言ってるんだよ、失せろ。
0631日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:53:11.09
>>630
考古学的には長崎が面白いねえ

なんもないお前さんと違ってなあwww
0632日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 22:56:52.95
ちょっと書きこんだら
まるで対等であるかのようにイチャモンつけてくるからな。
自己反省<クソスレに書きこむなwww
0633日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 23:17:16.83
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0634日本@名無史さん垢版2018/09/06(木) 23:36:49.33
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫ニニギに嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の賀茂神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。

この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。

古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0636日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 00:17:50.67
支配者の文化を自分のものだったと勘違いしてるんだなあ
かわいそう
0637日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 06:14:50.52
>>631
ならば考古学板に長崎スレたててそっちに行け。
多分誰も来ないであろうが。
0638日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 06:51:25.23
>>618
>意外と盲点なのが、長崎方面。
>福岡県とは傾向のちがう渡来人がびっしりと入りこんでいるけど、
>どう思われる?

それはね。長崎方面は渡来人が半島へ帰る出航地だからなんだよ。  @阿波
0640日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 08:33:46.61
あれっ?  静寂だね。   なんかまずいこと言った?  @阿波
0642日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 17:27:48.34
>>639
どうでもいい
0643日本@名無史さん垢版2018/09/07(金) 21:20:39.67
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0644日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 12:08:57.47
「曰渟名底仲媛命 事代主~孫 鴨王女也」(日本書紀原文)

神武が大和に来た時、すでに鴨王(おうきみ)と事代主神がいた。
大和には神も王もいる王権があったのだ。

鴨王こと天日方奇日方は倭国大乱で妹を王に立て自らは申食国政太夫に退いた。
魏志の【有男弟佐治國】である。
男の弟という表現は変だ、この弟は徒弟の弟と同じで男の臣下という意味であろう。

鴨王の妹は神武と結婚し先立たれる。
【年已長大、無夫壻】である。

【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】
この男子一人とは、神武の連れ子であり、
彼女の義理の息子であるタギシミミであろう。
ヒミコことヒメ(蹈鞴五十鈴)とタギシミミの二人はやがて結婚する。
0645日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 12:37:48.30
>>644
>【年已長大、無夫壻】である。
>【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】
>この男子一人とは、神武の連れ子であり、
>彼女の義理の息子であるタギシミミであろう。
>ヒミコことヒメ(蹈鞴五十鈴)とタギシミミの二人はやがて結婚する。

それでは無夫壻なしにならないではないか。
そもそも、タギシミミが父親の後妻を自分のものにしただけで、姫多々良姫に何の権威も感じられない。
0646日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 12:53:55.72
鴨王は在地の豪族に過ぎない。
その祖父は三島溝杭耳といい、筑紫においてニニギに嫁いだ木花咲耶姫の兄弟(大山祇の息子)とされ、畿内の開拓を進めた人物である。
三島溝杭耳は、八咫烏として筑紫からの神武の東征を助けた人物ともされる。
大阪の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社の祭神として、今でも関西では厚く信仰されている。
鴨王こと天日方奇日方は畿内における三世代目に過ぎないし、叔母は大和において天孫ニギハヤヒに嫁いでおり、大和の最高権力者はその時点ではニギハヤヒ(後の物部氏の祖)であった。
鴨王の叔父の登美のナガスネヒコは逆賊としてニギハヤヒに倒されている。
そもそも大和には、天孫ニギハヤヒと天孫ニニギの両王家の末裔がいて、そこに天照に負けた大国主の末裔としての鴨王がいても、ナンバーワンになれる訳がない。
0647日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 12:57:43.48
鴨厨は大和しか見ていない、典型的な井の中の蛙。
畿内説、いや大和説は皆一様に同じ近視眼的だ。
0648日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:06:17.87
>>646
>鴨王は在地の豪族に過ぎない。

父は神、事代主神。

嘘ばっかりつくな、古代史界の汚物。
0649日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:09:21.29
事代主は出雲の国譲りにおける敗者に過ぎない。
勝者として畿内に降臨したのが天孫ニギハヤヒ、筑紫に降臨したのが天孫ニニギだ。
事代主の序列は天孫より低い。
0650日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:09:37.70
>>647
出雲は弥生中期から墳丘墓で他地域を圧倒。
畿内は古墳時代から他地域を圧倒。

九州は歴史上一度も他地域を圧倒していない。
0651日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:15:16.36
>>6479
国譲りというのは流血ケーデターと書けなかった柔らかい表現。
本当は崇神の時代にクーデターがあった。
出雲の神宝が奪われ、出雲国造を置かれる。
最後の大物主が崇神に殺された。

その時の祟られた祭器が伊勢神宮にある。
今も行き場がなく式年遷宮という形で境内を彷徨う。

だから皇室は明治天皇になるまで1500年間一度も伊勢神宮を参拝しなかった。
0652日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:21:12.76
>>649
>事代主の序列は天孫より低い。

本当は高天原(葛城))に住んでた事代主や鴨王など神々が天孫。
蘇我は出自が葛城であり天孫。
その蘇我が乙巳の変(いっしのへん)で敗れた。

そして天孫という地位も奪われ、本当の天孫は国津神に堕とされた。
0653日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:24:53.54
>>652
>本当は高天原(葛城))に住んでた事代主や鴨王など神々が天孫。

天孫とはアマテラスの孫という意味なんだが、わかっているか?
0654日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:26:13.49
>>650
>出雲は弥生中期から墳丘墓で他地域を圧倒。

弥生中期はそうであろう。
その出雲を倒して弥生後期に筑紫に伊都の繁栄がもたらされた。
政権交代があったことになる。
それが出雲の国譲り。
0655日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 13:56:20.96
これが大和にあった出雲系王権

最後の王・阿田賀田須が崇神に殺された。
モモソ媛の亭主だ。
その阿田賀田須を今も祀り続けてるのが「国宝」中平銘鉄刀の保持者・和邇氏だ。 


    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
0656日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 14:02:15.60
>>653
>天孫とはアマテラスの孫という意味なんだが、わかっているか?

帥升=スサノオ=アジスキタカヒコネ=迦毛大御神(かものおおみかみ)
アマテラス=シタテルヒメ=高姫

2人とも高天原(御所市高天)にいた。
日本最古の高鴨神社の祭神だ。
0657日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 14:08:00.10
こわれたテープレコーダーかよ。
0658日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 14:08:35.53
>>654
>その出雲を倒して弥生後期に筑紫に伊都の繁栄がもたらされた。

だからそれ根拠ないしw
ミカン畑だった平原?www
0659日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 17:45:24.70
>>654
>その出雲を倒して弥生後期に筑紫に伊都の繁栄がもたらされた。
>政権交代があったことになる。
>それが出雲の国譲り。

そんなアホな。
「出雲の国譲り」は狗奴国(長国)が邪馬台国(粟国)に奪われたお話。  @阿波
0660日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 18:23:21.13
しかしまぁ、たかが大きな鏡が出ただけで、よくも平原に拘泥できるもんだw
あんな小さな墓がヒミコと関わってるわけがない。
九州説はもはや新興宗教。
0661日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 18:26:29.75
>>660
>しかしまぁ、たかが大きな鏡が出ただけで、よくも平原に拘泥できるもんだw


それしか頼るものがないからw   @阿波
0662日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 18:30:46.53
>>645
>それでは無夫壻なしにならないではないか。

どうして?
寡婦なんだから記述と合うではないか。

>姫多々良姫に何の権威も感じられない。

それはお前個人の感想であって、彼女が神の娘で王の妹である事実は変わらない。
俺なんて神武に何の権威も感じられないが。
0663日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 20:06:08.68
>>650
大きさの事?
埋葬文化が違う地域の比較は意味が無いよ

どっちも大きな勢力であり、出雲と筑紫の関係は深いね
0664日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 20:44:17.23
>>663
>どっちも大きな勢力であり、出雲と筑紫の関係は深いね


どっちも「忌部はん」だからね。  @阿波
0665日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 21:00:04.92
>>663
>埋葬文化が違う地域の比較は意味が無いよ

平原は方形周溝墓だね。
どこにでもあるので比較してよいと思うが。

>どっちも大きな勢力であり、出雲と筑紫の関係は深いね

深いだろうね。
筑紫は出雲王朝の防人。
だから北九州に物部が多いわけだが。
0666日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 21:09:37.57
あらゆる史書を無視して適当な歴史をでっち上げるキナイコシ
0667日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 21:28:07.57
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0668日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 23:24:00.12
>>665
いや、平原等の弥生終末ならば、首長墓や権力がある墓の様相の文化の違いの事になるね

各地の様相は様々なのに、単純に大きさで比較するのはNGだよ

場所や時代が違えば、その地域状況や思想も違うのは当然だからね
0669日本@名無史さん垢版2018/09/08(土) 23:44:29.79
>>660
平原の凄いのは、最大の鏡は当然だが、弥生終末の鏡の占有率なんだよな
そしてガラス製品の最新技術と
身につけていたと思われる大陸製品(ジトウ、瑪瑙の管玉)
素環刀(70センチ)と中国朱もあるね

圧倒的な権力と外交力なんだよ

破鏡(破片の断面を磨いて副葬)のみも多い時代でだからね
0670日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 05:59:50.87
>各地の様相は様々なのに、単純に大きさで比較するのはNGだよ
>場所や時代が違えば、その地域状況や思想も違うのは当然だからね

と言いながら大きな鏡や大刀出てるからヒミコに関連するというのは矛盾。
副葬品も単純に大きさで比較するのはNGだよ。
0671日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 07:26:45.70
>>670
>副葬品も単純に大きさで比較するのはNGだよ。

権威財で評価するのはNGではないよ。
倭王の象徴として副葬されたものなら特にね。
0672日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 07:45:27.22
>>671

お墓だけでは、不十分。 
邪馬台国時代の集落遺跡群が示せないとね。  まぁ、示せるのは倭国(阿波)なんだけど。  @阿波
0673日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 18:21:11.30
>>671
>権威財で評価するのはNGではないよ。

だからそれなら5世紀で最も豪華な副葬品は奈良の新沢千塚126号墳墓だが、
あれが王墓なのか、王墓なわけがない。
やはり秩序として墳墓の「大小」はあるのだ。
0674日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 18:38:42.97
>>673
>あれが王墓なのか、王墓なわけがない。
>やはり秩序として墳墓の「大小」はあるのだ。

いや、「大小」じゃなくて、「場所」。
大王(おおきみ)の陵墓は絶対、平地にはないから。
大王の陵墓は山稜に在るもの。
平地に在るのは、臣下(豪族)のお墓。  @阿波
0675日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 18:38:44.91
5世紀を持ち出してどうする?
畿内説はいつも後世のものばかり持ち出すよねw
0676日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 21:11:36.48
>>675
5世紀であろうが3世紀、2世紀であろうが王の墓は大きさで決まるのか、
副葬品で決まるのかという話。
5世紀の大王墓は百舌鳥・古市古墳群。

豪華な副葬品が出たのが卑弥呼墓の理由なら、
2世紀の小さな平原より3世紀の赤坂今井墳丘墓の方がよほど卑弥呼の墓に近い。
もちろん赤坂今井は卑弥呼の墓ではない。
同じく平原ももちろん卑弥呼の墓ではない。
0677日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 21:20:27.57
>>674
>いや、「大小」じゃなくて、「場所」。
大王(おおきみ)の陵墓は絶対、平地にはないから。
大王の陵墓は山稜に在るもの。
平地に在るのは、臣下(豪族)のお墓。<

全くその通り。
卑弥呼の墓は 高天原という山稜に在る。
https://goo.gl/maps/LM2dVZeeUGN2

魏志倭人伝の記述通り径百余歩の塚に奴婢が埋葬されている。
奴婢とは土蜘蛛だ。
0678日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 21:23:34.55
>>676
> 5世紀であろうが3世紀、2世紀であろうが王の墓は大きさで決まるのか、
>副葬品で決まるのかという話。


いや、「大小」や「副葬品」じゃなくて、陵墓の「場所」。

少なくとも初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。

初代〜第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には
まず、初期の天皇陵は、神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、
山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。   @阿波
0679日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 22:12:34.71
>>676
年代詐欺
0680日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 22:25:01.14
>>676
赤坂今井墳墓とやらを調べたが、玉と剣だけで、肝心の鏡がない。
よって王墓ではないよ。
0681日本@名無史さん垢版2018/09/09(日) 23:31:55.87
>>680
>よって王墓ではないよ

だから王墓ではないと言ってるのだが。
小さな墓である平原もね。
0682日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 09:18:35.39
>>678
>初期の天皇陵は、神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、
山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。

つまり10代崇神以降、前方後円墳を墓制とする一族が王権に関わったという事だね。
崇神のお母さんは物部。
前方後円墳は物部。
だから瀬戸内の要素が強い。 
0683日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 09:41:13.16
>>682
>崇神のお母さんは物部。

第十代崇神天皇の母が「伊加賀色許賣命」。
「物部氏」の祖神とされている「伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命」が日本で唯一、阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社で祀られていることから、
物部氏は旧麻植郡が本拠となる。
※「物部氏」の祖神をお祀りさえしていないところなど無礼千万で論外。

>だから瀬戸内の要素が強い。

瀬戸内というより、ずばり、倭国(阿波)の旧麻植郡。  @阿波 
0684日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 10:35:48.43
>>682
つまり卑弥呼よりやや後に前方後円墳が定型化されて広まる。
畿内勢力の拡大も崇神の四道将軍からだしね。
0685日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 10:49:57.70
>>684
>畿内勢力の拡大も崇神の四道将軍からだしね。

畿内勢力など、どこにも存在しない。 存在した痕跡がない。  @阿波
0686日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 11:00:31.45
京都の五塚原古墳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3

「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は
箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」


被葬者は誰であろうか。ごく普通に考えて山代国造、山代県主の類であろう。
ならば候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。

同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
天孫本紀に交野連と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)である。
伊香色雄命の子である。

ここにきて箸墓と強く関連する二つの古墳の被葬者候補に伊香色雄命を軸とする二人の人物が浮かび上がってきた。
箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。
彼が磯城の王であったことは妹のイカガノシコメとヒメヒコを形成してることでも明らか。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
崇神墓を古事記の記述から行灯山古墳として、叔父で磯城の王であった伊香色雄命が崇神より巨大な墓を造ってたとしても不思議ではない。

このように先代旧事本紀は考古学と見事に整合するのである。
纏向古墳群とは古代物部の墓群である。

ここにヒミコはいない。
0687日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 11:06:01.08
>>686
>纏向古墳群とは古代物部の墓群である。


だ・か・ら・纏向古墳群とは忌部一族(古代物部)の墓群である。  @阿波
0688日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 11:12:41.75
ヒメヒコ制とは、古代に日本各地で成立した、ヒメとヒコによる共立的統治形態をさす用語

3世紀のヒメヒコ

ヒメ(踏鞴五十鈴)媛    天日方奇日方

この天日方奇日方の「日方」をヒコの事ではないかとする説がある。
どちらにしても彼は鴨王(おおきみ)、ヒコで文句はあるまい。

そして次のヒメヒコ

トヨ津媛      豊御気主

邪馬台国は葛城である。
ところがこのあとヒメヒコが磯城に現れる。

ウツシコメ    ウツシコオ

イカガノシコメ  イカガノシコオ

これは葛城から磯城に権力が移ったことを意味する。
そして磯城に箸墓古墳が誕生する。
0689日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 11:14:56.18
>>686
>箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。


「伊香色雄命の墓」は阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社が鎮座する山稜である。  @阿波
0690日本@名無史さん垢版2018/09/10(月) 14:55:51.21
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0691日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 13:38:28.60
倭國王が一人で160人もの生口を連れて行くわけないし、
当然、臣下というか、お付きの者たちはいたでしょうから、
「等」はそれら複数の者という意味でしょう。

帥升は時代的にスサノオしかあり得ない、。

後漢皇帝・安帝に対して外交儀礼として跪き、頭を地面につける。
つまり土下座。

「神」が土下座したのなら、当然その屈辱的史実を隠しますって。
だから基点となる神武をBC660年というとんでもない時代に持って行った。
神武とは女王の婿であっただけの男です。
そして女王より先に亡くなった。
残された女王は「歳すでに長大 夫婿なし」となるわけです。
0692日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 16:03:17.91
卑弥呼を共立した勢力には、倭国の男王足り得る血が無かったということだろう

倭国王の正統はそれ以外の地域にいたんだろうな
狗奴国じゃないかな
0693日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 16:37:00.88
>>692
>倭国王の正統はそれ以外の地域にいたんだろうな

伊都を脱出して大和に逃走しました。
0694日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 18:36:05.62
>>693
>伊都を脱出して大和に逃走しました。

わざわざ、山に囲まれた、ジメジメした所へ逃げ込まなくてもwww  
丹もあり、自然に恵まれた倭国(阿波)へいらっしゃい。  @阿波
0695日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 18:38:37.05
倭国王とは大物主。
実質、崇神から始まる現天皇家以前の王朝。
住んでいたのは高天ヶ原(御所市高天)のある葛城。
北部九州はその防人。
だから北部九州に物部が多いのだ。
北部九州に王がいただの、ヒミコがいただの自惚れてはいけない。
0696日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 19:00:10.60
>>695
>北部九州に王がいただの、ヒミコがいただの自惚れてはいけない。


北部九州や御所市には居ないが、倭国(阿波)には居たけどね。  @阿波
0697日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 21:00:35.47
>>696
えぇ?
名物と言えば徳島ラーメンしかないあの徳島に?
徳島の人間が通った後にはペンペン草も生えないと言われるあの徳島に??

ご冗談でしょwww
0698日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 21:03:40.79
>>697
>えぇ?
>名物と言えば徳島ラーメンしかないあの徳島に?


徳島ラーメン以外にも、陳寿さんは「丹」があるって書いてるよ?  @阿波
0699日本@名無史さん垢版2018/09/12(水) 23:39:56.59
>>695
徳島ラーメンなんて聞いたこともない。
どんなのだ?
0700日本@名無史さん垢版2018/09/13(木) 07:13:00.95
>>699
>徳島ラーメンなんて聞いたこともない。

徳島ラーメンは兎も角、もう少し君のご先祖様の地を勉強しなさい。 罰当たり者!  @阿波
0702日本@名無史さん垢版2018/09/13(木) 11:31:56.96
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0703日本@名無史さん垢版2018/09/15(土) 14:38:07.76
>>699
>徳島ラーメンなんて聞いたこともない。

偶然だな、さっき徳島ラーメンの道頓堀「東大」に行ってきたばかり。
あそこは中国人があまり来ないから好きなのだ。
なぜなら徳島ラーメンは生卵を入れるからね。
中國人だけでなく基本、外人さんは生卵が嫌いだからね。
0704日本@名無史さん垢版2018/09/15(土) 15:09:50.47
>>703
私も生卵嫌いだね。 入れる入れないはご自由に。  @阿波
0705日本@名無史さん垢版2018/09/15(土) 18:55:58.33
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0706日本@名無史さん垢版2018/09/15(土) 21:11:37.98
♪邪馬台国ドンと来い!♪
0707日本@名無史さん垢版2018/09/15(土) 21:15:46.35
♪邪馬台国ドンと来い!♪
0708日本@名無史さん垢版2018/09/16(日) 22:37:18.97
可愛い自分の子が、ある事件の犯人だと分ったとしましょう。
世間ではまだ誰もそれに気づいていない。
親としては可愛い自分の子に捜査が及ぶのを阻止したい。
だから犯人は全然別のAであろう、いやBではないかと言う。
焦点ぼかしの攪乱戦術です。

だから新井白石は邪馬台国は筑紫であり、高天原は常陸だと言ったのです。

大和に捜査の手が及ぶのを阻止したかったのです。
0709日本@名無史さん垢版2018/09/17(月) 12:55:20.47
「棺(かん)あって槨(かく)なし」

そりゃ安本さんも畿内説に文句を言いたくなるはず。
纏向古墳群の様相とは全然違う。
では九州か。
違う、第3の選択肢がある。

今でも大和の山稜では土葬の地域がある。
高天原にある奴婢(土蜘蛛)が埋葬された径百余歩の塚。
https://goo.gl/maps/dgtYJwWKdGL2
右下の距離メーターを見よ、この塚の大きさは約150mだ。

ここは中ほどに明治あたりの墓群がある。
つまりここは墓だったのである。
そして古代は土葬だった可能性が高い。
0710日本@名無史さん垢版2018/09/19(水) 08:54:13.73
wiki

葛城・金剛山高天台 - 奈良県御所市高天
奈良県南部の御所市高天。金剛山の麓に広がる台地上に位置する。
古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天原山といわれていた。
付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、
ここに所在する高天彦神社は延喜式では最高の社格とされた名神(みょうじん)大社で、
祭神は葛城氏の祖神高皇産霊(たかみむすび)神。
社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。
参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。
古典作品では、『蜻蛉日記』にて『夢ばかり見てしばかりにまどひつつ明くるぞ遅き天の戸ざしは(203-05下)』という和歌があり、
さらにこれに続く和歌として『さもこそは葛城山に馴れたらめただ一言や限りなりける(203-07下)』とあることから、
天岩戸が葛城山にあったとする理解は遅くとも平安時代まで遡ることが解る。
鎌倉時代の『三流抄』には『太神・・・大和国葛城山高間原天岩戸ニ閉籠リ玉フ』とあり、
また能の葛城や代主などの舞台もこの地とされることから、
中世における高天原の所在地は葛城山付近と理解されていたと考えられる。
最終的には江戸時代初頭まで、新井白石が常陸国説を唱えるまでは、
この地が高天原史跡だと考えられていたらしい。
なお、高天原の石碑はこの地区にある寺の駐車場のところにある。


不思議なことに九州説を提唱した新井白石は高天原が九州にあるとは言わなかった。
突然、常陸国説など言われても意味が分からない。

これは逆に考えるべきだ。
新井白石は邪馬台国や高天原が「大和ではない」ということを強調したかった。
邪馬台国も高天原は大和にあった事を知ってたからだ。
高天原や邪馬台国が大和にあったなら、大和朝廷や古代天皇が中華へ朝貢してた事を意味する。
国学者としてこれほど辛い事はない。

つまり邪馬台国は九州、高天原は常陸ということで大和に焦点があたることを避けたのだ。
0711日本@名無史さん垢版2018/09/19(水) 10:14:21.67
>>710
>新井白石は邪馬台国や高天原が「大和ではない」ということを強調したかった。
>邪馬台国も高天原は大和にあった事を知ってたからだ。


「阿波国風土記」  @阿波  
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、その地誌で、何故、天皇の称号について書かれるのでしょうか?

役人が天皇に献上する書です。上記の天皇が阿波に関係なければ、書けるわけがありません。「お前、何書いとんねん!」では済まないのです。 
0712日本@名無史さん垢版2018/09/19(水) 10:30:43.45
>>711

新井白石が真の国学者ならば、倭国(阿波)を知らない筈が・・・・・  @阿波
0714日本@名無史さん垢版2018/09/19(水) 11:14:48.51
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0715日本@名無史さん垢版2018/09/28(金) 18:52:06.68
畿内説のスレで向こうのあほスレ主を言い負かしたお祝いアゲ
0717日本@名無史さん垢版2018/09/28(金) 21:16:17.58
>>715

お、ありがとう。
まぁ纏向と言ってる時点で矛盾おおありなのだが。
0718日本@名無史さん垢版2018/09/28(金) 22:02:38.73
安本美典さんは5世紀から8世紀の延べ20人の天皇の平均在位が10.88年だと言ってます。

5世紀の天皇の在位って記と紀で違うのだが何を根拠にしたのだろうか。

そしてその10.88年を、古くなると在位が短くなるという理由で10年にしてます。
このあたり恣意的。
そしてその10年を実在確かな用明天皇以前に当てはめてます。
いや全然意味が分からない。
用明天皇を基点にするなら用明天皇から30代あたりの平均在位を計算して当てはめればいいだけ。

やってみます。

31代用明天皇585年即位。
30代後は60代醍醐天皇930年まで在位。

930-585=345

345÷30=11.5

「平均在位11.5年」

31代用明天皇から神武まで、神功皇后を確実な一代と見なし、31代遡ります。

11.5×31=356.5
用明天皇即位年585−356=229

神武即位229年。

やはり神武と卑弥呼は同時代。

卑弥呼とはヒメ。
のちに踏鞴と五十鈴を加えられ姫蹈鞴五十鈴媛と呼ばれる女性です。
0720日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 08:14:59.73
壹與も13歳で即位したし、弥生時代の寿命は短かっただろうから、若くして即位するのは普通だったろう。
0721日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 16:08:35.16
30代以前に年少即位はいないし譲位はいない
記紀の代数は信じるのに代替わりの理由は信じないチェリーピック
0722日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 16:23:56.54
魏志倭人伝に壹與の年少即位は明記されているよ。
0723日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 16:53:46.52
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0724日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 18:26:03.63
>>719
それも含めての数値。
何も問題はない。
0725日本@名無史さん垢版2018/09/29(土) 19:22:18.62
壹與も若くして即位したしね。
0726日本@名無史さん垢版2018/10/06(土) 20:33:14.18
上げる
0727日本@名無史さん垢版2018/10/06(土) 22:44:58.11
邪馬台国畿内教の教条

邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない

パヨクは頭おかしいでほんま
0728日本@名無史さん垢版2018/10/07(日) 18:08:10.29
>邪馬台国が畿内に確定すれば
>天皇の大陸への臣従史観が証明され

そこまではいい。

>日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
>中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
>ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない

意味わからん。
「中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない 」

って何だ…
0729日本@名無史さん垢版2018/10/07(日) 18:16:53.24
「中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない 」

日本語になっとらんがな
0731日本@名無史さん垢版2018/10/09(火) 20:02:24.91
古墳時代前期最大級の集落 奈良 中西・秋津遺跡
https://www.youtube.com/watch?v=Is2y_RvrcrM

纏向?
アフォか、邪馬台国とは葛城なのだ。
葛城に住んだ姫様二人も判明している。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 
0732日本@名無史さん垢版2018/10/09(火) 20:33:58.23
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0733日本@名無史さん垢版2018/10/12(金) 06:26:28.24
あげwww
0734日本@名無史さん垢版2018/10/12(金) 09:44:31.83
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0735日本@名無史さん垢版2018/10/17(水) 13:32:05.42
278mの前方後円墳の円墳部分だけをみて径百余歩(約150m)などとは実に馬鹿馬鹿しい。
ヒミコの墓は大和にあるはずだ、そして探したらこの部分しかなかった。
だから強引に結びつけただけ。
そして放射性炭素測定で箸墓をAD240〜260年というトンデモないミスリードをしようとしている。
放射性炭素測定で20年幅なんて分るわけがない。
箸墓をヒミコの墓だという論者は箸墓の瀬戸内の強い要素など全く説明できない、
せいぜい卑弥呼共立に瀬戸内勢力が中心となったなどの屁理屈で逃げる。

彼らは基本、神話というものを小バカにしている。
彼らは神話に耳を貸さない。
そういう自分が知的だと自惚れてさえいる。

江戸時代まで普通に高天原だと認識されていた場所に卑弥呼の墓はある。
何も難しくない、日本の原点かつ聖地に径百余歩の塚があり、
魏志倭人伝の記述通り奴婢も埋葬されている。
奴婢とは土蜘蛛であり、ヒミコの時代に土蜘蛛を征したのは日向から来た男・神武である。

https://goo.gl/maps/DocFtPTq6VJ2
0736日本@名無史さん垢版2018/10/17(水) 14:59:59.28
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0737日本@名無史さん垢版2018/10/18(木) 07:54:54.37
https://goo.gl/maps/aaQoqDtPDyv

この奴婢(土蜘蛛)が埋葬された径百余歩の塚の右端の道が交差してる部分に鳥居がある。
この塚がご神域である証拠。
その鳥居とは柱を2本立てただけの簡素なもの。

https://divinus-jp.com/archives/26915

造化三神:天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神のうち天御中主神がお隠れになっ様子であろう。

ここ高天原に王家があったのだ。
瀬戸内海洋集団の物部の地・纏向にヒミコがいるものか、バカが。
0739日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 07:17:49.98
あげwww
0740日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 08:04:23.89
>>2
アタマおかCw
0741日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 08:09:31.39
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0742日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 19:34:46.38
>>740
反論してみ?
0743日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 20:20:49.99
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。

この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。

古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0744日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 20:21:45.37
鴨王家は、天孫饒速日に討たれているね。
0745日本@名無史さん垢版2018/10/27(土) 20:24:43.52
討たれていない。
婚姻した。
0746日本@名無史さん垢版2018/10/28(日) 07:31:29.07
>>744
>>755

何言ってるんだ、鴨王家を助太刀に来た神武とヒメが結婚するのだ。
物部と鴨王家は直接結婚はしていない。
0747日本@名無史さん垢版2018/10/28(日) 07:33:22.66
卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人

殉葬者は生き埋めではない。
祀ろわぬ者どもが誅された。
可哀想なので王族と一緒の場所に埋め弔ったのであろう。
それが高天原にある約150mの塚の周りの蜘蛛窟である。
https://goo.gl/maps/iwZmv3rL6112

そして今でも高天彦神社拝殿の左に小さな土蜘蛛塚がある。
https://omairi.club/img/pictures/posts/477/027/000/628d191c1692d889fb2b687b2d91da01.jpg?p=800&;v=1502740679

高天彦神社に参拝する行為は土蜘蛛の怨霊を鎮める事でもある。

卑弥呼(ヒミコ)=ヒメの時代、祀ろわぬ者ども(土蜘蛛)を誅したのは神武である。


卑弥呼の墓が箸墓って(笑)
0749日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 07:35:33.74
>>746
何言ってるんだ。
長髄彦が妹をニギハヤヒに娶らせているではないか。
0750日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 07:45:17.39
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0751日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 08:54:08.46
>>749
>長髄彦が妹をニギハヤヒに娶らせているではないか。

長髄彦と鴨王家は関係がない。
0752日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 12:42:43.26
>>751
長髄彦は初代鴨王である三島溝杭耳(上賀茂神社、下鴨神社の祭神)の息子であり、本来ならば鴨王家の跡取りだった。
神武と対立して排除されたけどね。
登美の鴨王家を語るなら、その家系くらいは把握しろ。
0754日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 13:41:56.53
>>752

>登美の鴨王家を語るなら

登美の鴨王家なんて語っておらん、俺が語ってるのは高天原にいた鴨王家だ。
0755日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 13:46:11.62
まぁしかしナガスネヒコが鴨王家から別れた男というのは一理あるかも。
ニギハヤヒがそれに乗じて婚姻関係を結んだ。

しかしまぁ基本どうでもいい。
鴨王家に卑弥呼もトヨもいるという話をしてるわけだから。
0756日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 13:52:33.27
上賀茂神社祭神
賀茂別雷命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E5%91%BD
『賀茂之本地』では阿遅鉏高日子根神と同一視されている

阿遅鉏高日子根神は高天原で剣を持って暴れるキャラ。
高鴨神社の祭神でもある。
つまりスサノオではないか。
おい>>752
適当な事言うなボケ。
0757日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 14:50:12.09
>>756
同じ系図の一部分を取り出したり、言い換えたりしているだけだろ。
長髄彦と三島溝杭耳でググレカス
0758日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 14:58:00.50
大和へ侵入した外来勢力を年代順に並べると、三島溝杭耳や長髄彦などの鴨族、饒速日らの物部氏、次いで神武らの天孫族ということになるのだろう。
すでに河内など沿岸部は開発が進み余裕が無くなっており、開拓の遅れていた奈良盆地に各勢力が流入したということだ。
もちろん、原初の地である高天原がそんなところにあるわけがない。
0759日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 19:33:21.78
>>757
>長髄彦と三島溝杭耳でググレカス

基本どうでもいい、大きなお世話だ。
ここは邪馬台国の王都が葛城であるというスレでその根拠も書いてる。

おまえは自分で鴨王家スレでも立ててそこで好きなだけ言いたいことを言え。
人のスレに粘着するなボケナス。
0760日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 19:42:06.14
>原初の地である高天原がそんなところにあるわけがない。

葛城しかない。
高天原のふもと長柄神社の名柄遺跡は弥生中期。
祭神はシタテル姫。
剣をもって暴れるアジスキタカヒコネの妹である。
シタテル姫の出自を示す宗像系統の鏡と銅鐸が名柄遺跡から同時に出た。
国宝である。
シタテル姫は当地に実在した。

このシタテル姫こそアマテラスの原像だ。

他に高天原の候補があるなら言え。
0761日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 20:02:37.67
妄想スレ
0762日本@名無史さん垢版2018/10/29(月) 21:32:59.34
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0763きのこ垢版2018/11/04(日) 22:51:51.02
https://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&;t=16s

邪馬台国は 球磨郡に ありました
はじめは反応が鈍い 球磨郡説いったいどのじてんで しんじられるのか?
どっかの大学教授がいいだしたら? NHKでしたら? まー 球磨郡が100%だ
熊襲が邪馬台国だ ったんだよ
0767日本@名無史さん垢版2018/11/14(水) 19:52:31.02
>>766
奴婢埋葬痕跡が全然なく、
径百余歩でもない箸墓支持者が何を言ってるんだい?
0768日本@名無史さん垢版2018/11/14(水) 21:56:47.86
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0770日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 20:59:16.31
名柄はにシタテルさんが嫁いだんか!出戻ったのんですか?
なんとも奇妙やな?
天若日子君を匿う方便に兄にしたんかも
0771日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 21:01:02.17
訂正します

名柄にシタテルさんが嫁いだんか?出戻ったのんですか?
なんとも奇妙やな!
天若日子君を匿う方便に兄にしたんかも?
0772日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 21:06:32.95
出雲いうたら国譲った方も奪った方もヤマト朝廷ちゃうからややこしー
0773日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 21:08:36.61
神代にはヤマト王権はまだなかった。
卑弥呼の時代もヤマト王権以前。
0774日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 21:10:54.99
>>771
高姫=シタテルヒメをモデルにアマテラスを創作したと思う。
独身で弟がいるという卑弥呼の記述に沿って創作したのでしょう。
時代は神武の2世代前となってるけど、
これは5世代前のスサノオとアマテラスの時代ではなかったのかと思ってます。
ウケイで子供5人作るキャラはもちろん創作、
実際は高姫=シタテルヒメ=アマテラスには天若日子という夫があった。
0775日本@名無史さん垢版2018/11/15(木) 21:17:56.74
まじ((((゜д゜;))))?
アマテラスさんは三国志ゆえの創作か?
しばらく考えます
0776日本@名無史さん垢版2018/11/16(金) 13:23:05.42
>>775
映画「猿の惑星」ってあるでしょ。
あれは旧大日本帝国陸軍がモデルと言う事は欧米では当たり前。
かつて東南アジアで白人=人類を「奴隷」にしたからね。

つまり
大日本帝国陸軍を神話SF化にしたのが「猿の惑星」で、
大日本帝国陸軍の実像を記したものは普通にたくさんある「戦史」ということ。

同じように実在した高姫を神話にしたのが「アマテラス」
高姫の実像が「シタテルヒメ」だと思う。

二人とも男兄弟があり、その男兄弟が剣を持ち高天原で暴れてるし。

猿の惑星が未来に時代設定してるのと同様、
アマテラスとシタテルヒメの時代も変えてある。

下を照らすほど高い所にいるのなら天をも照らす。

下照=高姫=天照というわけ。
0777日本@名無史さん垢版2018/11/16(金) 13:25:16.70
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0778日本@名無史さん垢版2018/11/16(金) 13:58:44.41
>>776
正解っぽい
0779日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 08:19:02.70
徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 

日本に殉葬の痕跡はない。
垂仁紀に埴輪誕生のそれらしき記事があろうとも殉葬の痕跡はない。
垂仁紀は魏志の記述を知った上での上書き解釈であろう、

習慣と事件は違う。日本に殉葬という習慣はない。
ならばこの徇葬者奴婢百餘人は一つの事件である。

崇神(4c前半)以前に奴婢を大量に誅殺し埋葬した事件があったか。
ある。

神武軍による土蜘蛛征圧である。

大和国で恭順に及ばなかった
@波哆丘岬の新城戸畔(にいきとべ) 不明
A和珥坂下の居勢祝(こせはふり)  天理の和爾
B臍見長柄丘岬の猪祝(いはふり)  葛城一言主神社
C高尾張邑にいた土蜘蛛を葛(かずら)をあんで作った網を使って討った

Cであろう。
ならば卑弥呼の墓の場所もそこにある。

その場所は高天原である。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_5_2.jpg
0780日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 08:57:13.68
>>785
まぁ大和は7万戸の人口どころか何一つないからな。ウソと妄想叫ぶしかないよな。
大和説とかいうバカは、何をどう妄想したらそういう結論になるのやら。
>・鏡は5〜6期の古い鏡を打ち割った破鏡か欠損鏡、小型?製鏡が殆ど。古墳出土鏡を待つまで完形鏡がほぼ出ない
(西日本各地では完形鏡が出土するので既に九州に中心地など存在しない)<

沢山存在する。

>・平原の鏡も古い鏡を鋳つぶして作った?製鏡だらけ<

明帝の下賜鏡が元になった21枚の方格規矩鏡がある。

>・絹は中期の13遺跡から激減の1遺跡。しかも麻布よりも粗悪な糸くず片が一かけら出るのみ <

明帝の下賜絹と思われる中国絹がある。

>・祭祀遺跡は柱を2本立てただけの小さなものくらいしかない<

膨大な墓祭祀がある。
0781日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 08:58:29.00
>>785
>・当時採掘されていた丹山は存在しない<

阿蘇付近のベンガラや松浦川の水銀山があり、
明帝下賜の鉛丹や西日本の市を介しての流入もあった筈。

>・宮殿など影も形もない<

吉武高木の頃からある。

>・全域が畿内の土器に塗り替えられ在地土器が変容
(一方的に畿内の影響が入り込み九州から広まる様子はない)<

大和説者側の、「冢≠前方後円墳」を無視しての土器編年の詐欺。

>・大型墳墓の歴史が無い状況で突然この時期に大型墳墓が持ち込まれる<

筑紫は、魏の薄葬令。
大和は、東征毛人五十五國での墓守り人の確保と、セレモニーの進化拡大。
0783日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 09:45:48.54
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0784日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 10:45:10.49
>>779
長柄は西殿塚のあたりらしいよ
0785日本@名無史さん垢版2018/11/17(土) 19:46:29.69
>>784
西殿塚のあたりに土蜘蛛埋葬の謂れはない。

長柄はやはり長柄神社のある名柄。
葛城一言主神社に土蜘蛛が埋葬されているが、
神武東征紀の「猪祝」であろう。
0787日本@名無史さん垢版2018/11/19(月) 21:50:01.58
>>786
そりゃそうさ、箸墓と違って尾根の上にある神の座の墳墓なのだから。。
0788日本@名無史さん垢版2018/11/19(月) 21:54:01.39
>>786
箸墓は図りやすいよね、低地にあるはっきりした墳墓だから。

でもね、低地ということは低位の人物なのだよ。
王は高位、神の座に墓があるのだよ。
ヒミコもそうだけどね。
もう少し勉強しようか。
0789日本@名無史さん垢版2018/11/20(火) 00:01:37.31
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0791日本@名無史さん垢版2018/11/21(水) 21:44:21.17
漢字が普及する必要はない

勅にしろ檄にしろ なかみ理解できずに王に叙任もなかろ
0792日本@名無史さん垢版2018/11/21(水) 21:56:56.63
>>790
行ってもいないくせい偉そうに言うな。
まぁ行ってもケチしかつけないのだろうが。

まず高天原という最高の謂れがある。
この点で箸バカとは全然違う。
そして奴婢埋葬痕跡がある。
神武の高尾張邑伝承の場所であろう。
神武軍によって大量の奴婢が頃されたことが分かる。

まぁおまえのような箸バカ古墳支持者が哀れで可哀想になるくらいだw
0793日本@名無史さん垢版2018/11/21(水) 23:24:15.00
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0794日本@名無史さん垢版2018/11/27(火) 12:05:05.80
>>792
>まず高天原という最高の謂れがある。

はるか後代の、あて推量だけどなww
0795日本@名無史さん垢版2018/11/27(火) 12:06:09.74
>>792
>まず高天原という最高の謂れがある

ここが高天原なら、どうしてここから九州に天孫降臨するんだい?
0796日本@名無史さん垢版2018/11/27(火) 12:17:04.47
>>792
>そして奴婢埋葬痕跡がある。

これが一番頭が悪いww
何度も言うけれど、土蜘蛛と奴婢には何の係わりもない
0797日本@名無史さん垢版2018/11/28(水) 01:43:23.71
>はるか後代の、あて推量だけどな

根拠は?

>ここが高天原なら、どうしてここから九州に天孫降臨するんだい?

アマテラスが性行為なしに5人子供を産めたのは何故かと同じ類の質問。

>何度も言うけれど、土蜘蛛と奴婢には何の係わりもない

何度も言うけれど、高天原のふもとは差別解放運動の原点。
0799日本@名無史さん垢版2018/11/28(水) 18:26:49.57
>>798
だから土蜘蛛もそうだろうと言ってるわけだが。
0800日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 09:03:26.34
記紀の国生みで女神の名は四国だけ
四国が女王国であることを匂わせてる
0801日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 18:21:57.98
四国は女王国ではないのでプンプン匂うw
0803日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 20:26:24.41
下り坂の尾根は、誰がどうやっても塚じゃないし
土蜘蛛は奴婢じゃないし、高天彦神社の蜘蛛塚の土蜘蛛を討伐したのは神武天皇じゃない

『むかし、千本の足をもつ大きな土蜘蛛がすんでいた。
 時の天皇はお悩みであったので勅使がきて、
 字 サルチ(猿伐)から矢を射て殺した。
 矢の落ちたところを矢の段という。
 土蜘蛛を高天彦神社の傍に埋め、蜘蛛塚といった。
 蜘蛛のいた窟は神社の前の並木の東にある。(御所市史より)』

これを神武天皇の故事にしちゃうのがこじつけ
さらに、神武と卑弥呼を夫婦にしちゃうのもトンデモ説
そして、土蜘蛛はどうやっても殉葬奴婢じゃない
0804日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 22:39:50.33
>>803
>下り坂の尾根は、誰がどうやっても塚じゃないし
土蜘蛛は奴婢じゃないし、高天彦神社の蜘蛛塚の土蜘蛛を討伐したのは神武天皇じゃない

根拠なく「ないし」「ないし」の連発やめろ。
奈良盆地という呼び名は普通にある。
しかし奈良は北側が木津から京都まで平地が抜けてるので、
「四方八方が山に囲まれた盆地ではない」とか連呼する基地外がいたらどうする。
それはそのままおまえだ。
0805日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 22:42:25.12
>>803
>これを神武天皇の故事にしちゃうのがこじつけ

記紀の高尾張邑の話だ。
お前が出した話は後世の物で古くない。
0806日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 22:46:52.00
>>804
いくらゴネても、下り坂の尾根は塚じゃない
0807日本@名無史さん垢版2018/11/29(木) 22:56:21.34
>>800
各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。  @阿波

「阿波国風土記」   
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 
0808日本@名無史さん垢版2018/11/30(金) 06:26:43.02
>>806
奈良は北側が木津から京都まで平地が抜けてるので、
「四方八方が山に囲まれた盆地ではない」とか連呼する基地外と同じw
0809日本@名無史さん垢版2018/11/30(金) 11:14:27.96
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0811日本@名無史さん垢版2018/12/01(土) 10:20:05.49
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0812日本@名無史さん垢版2018/12/03(月) 20:12:34.18
>>804
反論するなら、根拠を挙げて反論したら〜?ww

>根拠なく「ないし」「ないし」の連発やめろ。

奈良盆地は盆地じゃないって言われても、根拠を挙げて反論できてるじゃないかww

反論したかったら、一つずつ「根拠を挙げて」反論しなよww

実際問題、
下り坂の尾根は、誰がどうやっても塚じゃないし
土蜘蛛は奴婢じゃないし、
高天彦神社の蜘蛛塚の土蜘蛛を討伐したのは神武天皇じゃない
0813日本@名無史さん垢版2018/12/03(月) 20:14:53.70
>>810に貼ってある絵は、前に「塚だって主張してたところからずれてる」wwww

塚を左側スロープ君自身が認識できていない証拠だよwwww
塚なんてないんだよww

それを自分で立証してるwwwwwwww
0814日本@名無史さん垢版2018/12/05(水) 19:52:32.39
>>813
塚だよ。

箸バカ古墳には全くない奴婢埋葬の痕跡がそんなに悔しいのかい?w
0815日本@名無史さん垢版2018/12/05(水) 19:55:46.16
>>812
>実際問題、
>下り坂の尾根は、誰がどうやっても塚じゃないし
>土蜘蛛は奴婢じゃないし、
>高天彦神社の蜘蛛塚の土蜘蛛を討伐したのは神武天皇じゃない

それは君の主張。
箸バカ古墳に奴婢埋葬痕跡が全くないからと言って、
高天原への嫉妬はみっともないよw。
0816日本@名無史さん垢版2018/12/05(水) 20:01:46.09
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国や朝鮮から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0817日本@名無史さん垢版2018/12/05(水) 20:35:29.39
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0818日本@名無史さん垢版2018/12/05(水) 23:11:14.09
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。

この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。

古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0819日本@名無史さん垢版2018/12/07(金) 14:54:54.39
>>815
その根拠が全部妄想でしかないww

しかも所在地の御所市の市史の記載で否定されてる

『むかし、千本の足をもつ大きな土蜘蛛がすんでいた。時の天皇はお悩みであったので
勅使がきて、字 サルチ(猿伐)から矢を射て殺した。 矢の落ちたところを矢の段という。
土蜘蛛を高天彦神社の傍に埋め、蜘蛛塚といった。蜘蛛のいた窟は神社の前の並木の東にある。』
(御所市史より)

ダメなやつに限って自慰スレを立てて自己満足に耽る

惨めよの
0820日本@名無史さん垢版2018/12/10(月) 06:52:22.47
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」 

謁見を請うということは外交儀礼として土下座。
日本の歴史は中華皇帝への土下座から始まった。
その屈辱の史実を隠すことが記紀編纂の目的。
だから基点となる卑弥呼の時代を神武東征紀で猛々しい男王国に変え、
その神武をBC660年即位などとトンデモない時代に設定し、
それ以前のスサノオを神話化した
0821日本@名無史さん垢版2018/12/10(月) 06:54:14.10
>>819
こっちにも書いてるのか涙目クズ野郎w

>千本の足をもつ大きな土蜘蛛がすんでいた。時の天皇は

時の天皇って?w
誰なのかはっきりしろ。
千本の足をもつ大きな土蜘蛛などというのは確か平安期あたりの話し。
神武天皇が人殺しというのもどぎついし、土蜘蛛を妖怪というお話に昇華させたのであろう。

御所市の市史(笑)なんか持ち出しても反論にはならないのだよwww
0822日本@名無史さん垢版2018/12/10(月) 09:24:06.26
頭がおかしい妄想野郎はお前だろww
自己満、自慰野郎でもあるww

>こっちにも書いてるのか涙目クズ野郎w

同じ内容の無駄スレだから、同じ内容で十分だろ?ww
0824日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 04:35:47.17
>>822
江戸時代まで普通に高天原と認識されていた場所に
約150mの塚があり奴婢埋葬の痕跡がある。
この現実に君は勝てない。
0826日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 07:45:58.04
見えないのはおまえだけ。
まぁ「見たくない」というのが本音だろうが。

箸バカ古墳の奴婢埋葬痕跡は誰にも見えないよwww
0827日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 08:14:46.00
>>826
見えないものが見えるようになるのはヤバイぞ。
0828日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 10:14:04.70
>>827
見えるものが見えないようようになるのはヤバイぞ。
0829日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 15:07:23.57
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0830日本@名無史さん垢版2018/12/12(水) 16:51:08.00
>>824
>約150mの塚があり

ないよ
左側スロープ君以外で、あるって認めている人が一人もいない
そして、左側スロープ君が出してくる画像が、毎回「塚」の位置がずれてるwwwww

>奴婢埋葬の痕跡がある。

ないよ
それ、サルチ(猿伐)が土蜘蛛を討伐したという伝承があるだけで、
奴婢なんて影も形もない

>この現実に君は勝てない。

つまり、現実じゃないんだよ
現実じゃないものが見えるといい、あると言い張るなら、
医学的な治療の対象だと思うよ

お大事にねww
0831日本@名無史さん垢版2018/12/13(木) 10:01:53.93
>>830
>ないよ
>それ、サルチ(猿伐)が土蜘蛛を討伐したという伝承があるだけで、
>奴婢なんて影も形もない

あるよ、神武軍が征伐した土蜘蛛だよ。
日本書記にちゃんと記述がある。

つまり、現実じゃないんだよ
現実にあるものが見えないといい、ないと言い張るなら、
医学的な治療の対象だと思うよ

お大事にねww
0832日本@名無史さん垢版2018/12/13(木) 17:38:07.70
おいおい、オウム返しって言ったらザラコク並みだぞww

まあ、医学的治療の対象という点では同類だろうけれどw
0833日本@名無史さん垢版2018/12/14(金) 10:52:25.40
>>832
>まあ、医学的治療の対象という点では同類だろうけれどw

おまえがな。
0834日本@名無史さん垢版2018/12/14(金) 14:19:55.76
だから、自分への批判を相手のことのように擦り付けるミラーリングは
まともな反論ができない無能の所業なんだってば!ww

そんなに、自分が無能だって一生懸命主張しなくてもみんな分かってるから大丈夫だよw
0835日本@名無史さん垢版2018/12/14(金) 15:34:51.50
>>834
>だから、自分への批判を相手のことのように擦り付けるミラーリングは
>まともな反論ができない無能の所業なんだってば!ww

それそのままおまえじゃん。
そんなに、自分が無能だって一生懸命主張しなくてもみんな分かってるから大丈夫だよw
0836日本@名無史さん垢版2018/12/14(金) 17:32:01.40
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0837日本@名無史さん垢版2018/12/17(月) 07:45:24.56
「倭國王・帥升はスサノオではないか」

新井白石など江戸時代の国学者にとっては日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まるわけで、
最悪の仮説ですが一応立ててみたでしょう。
そうすると帥升の約100年後にヒメ、そしてすぐ後にトヨがいるわけです。

107年倭國王・帥升  スサノオ



238年 卑弥呼(ヒミコ)  ヒメ(踏鞴五十鈴)

266年  台与         トヨ津

神武東征紀とは女王国を隠ぺいするための大袈裟な記述であったことが分かります。
邪馬台国はやはり大和である。
しかしそれは古代天皇の朝貢を意味する。
新井白石など江戸時代の国学者にとっては絶えられない屈辱である。

だから「邪馬台国とはどこだろう、私は九州さと思うが。高天原は常陸である。」
などとしらを切り邪馬台国論争をスタートさせたのです。

つまり九州説なるものは虚構なわけです。
0838日本@名無史さん垢版2018/12/17(月) 08:32:01.74
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0839日本@名無史さん垢版2018/12/18(火) 16:28:33.07
こっちは毎回オリジナルのコメント書いてるだろ?

左側スロープ論争wwのときからずっとそうだよ
ミラーリングとオウム返しでごまかす無能が左側スロープ君ww
0840日本@名無史さん垢版2018/12/18(火) 21:38:11.01
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0841日本@名無史さん垢版2018/12/18(火) 21:49:47.66
>>839
お前のどこがオリジナルなんだよw
偉いセンセーの言う事をなぞってるだけw

・卑弥呼はヒメ(踏鞴五十鈴)である。
・邪馬台国の王とは葛城である。
。ヒミコや王(神々)の墓は高天原にある。

これをオリジナリティというのだよ。
俺は何人かから天才と呼ばれてる。
お前には永遠に得られない称号だ。

カスはもう引っ込みなさいwww
0842日本@名無史さん垢版2018/12/18(火) 22:43:57.34
×・邪馬台国の王とは葛城である。

〇・邪馬台国の王都は葛城である。
0843日本@名無史さん垢版2018/12/19(水) 08:43:32.89
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0844日本@名無史さん垢版2018/12/23(日) 16:28:29.65
>>841
>これをオリジナリティというのだよ。

デタラメは、ほかに思いつく人はいないから、ONE & ONLYではあるけれど、
そういうのはオリジナリティとは言わないww

1+1=4.87と主張する人はほかにはいないけれど、それはオリジナリティではなく
でたらめでしかないww
0845日本@名無史さん垢版2018/12/24(月) 02:42:14.96
>>844
10代崇神天皇が4世紀初〜前半の時点で邪馬台国論争は終わり。
記紀にヒミコもトヨも登場し、その王都は葛城だと分るからだ。

「記紀にヒミコもトヨも登場しない」という固定観念を捨てられなかった
箸墓古墳支持者のお前らの負け。

おまえらはオリジナリティがない上にバカであった、それだけ。
0849日本@名無史さん垢版2018/12/28(金) 18:29:01.47
>>845
>10代崇神天皇が4世紀初〜前半の時点で邪馬台国論争は終わり。

これが正しいと思い込んでるから、無知だって言うんだよな
無恥でもある
0850日本@名無史さん垢版2019/01/01(火) 20:54:50.25
>>849
では崇神はいつ頃なのか答えてもらおうか。

応神=誉田御廟山=5世紀初頭はおおよそ答えが出ている。
崇神はそこから約4世代遡るだけ。
0851日本@名無史さん垢版2019/01/01(火) 21:17:07.08
>>850

年代比定は鴨のいう通りだと思うが、所詮は倭国の中枢とは関係ない田舎の畿内での話であり、卑弥呼がいたの倭国の中枢とは関係ない。
0852日本@名無史さん垢版2019/01/01(火) 22:02:11.07
>>851
意味不明。
崇神はいつごろかと聞いてるのだが。
0853日本@名無史さん垢版2019/01/02(水) 00:50:52.73
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0854日本@名無史さん垢版2019/01/02(水) 09:16:12.39
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0855日本@名無史さん垢版2019/01/08(火) 17:06:53.41
アゲwww
0857日本@名無史さん垢版2019/01/11(金) 10:24:27.37
>>856
このスレをアゲずに何をアゲろというのか。

わしほどシュールな話をする男はいないはずだ。

九州説は論外としても「箸墓=卑弥呼墓説」なんてゲップが出そうで聞き飽きた。
だいたい間違えてるしね。
0859日本@名無史さん垢版2019/01/11(金) 16:12:22.54
>>314
徳島市勝占(かつら)勝浦(かつうら)

葛城は鳴門でなく勝占(かつら)にあった城という意味じゃねえの?
0860日本@名無史さん垢版2019/01/11(金) 17:47:22.29
>>857
>シュールな話

「超現実的・不条理・奇抜・難解・現実離れ・非日常的」
なるほど、自ら現実的ではないと自覚してるんだなww
0861日本@名無史さん垢版2019/01/11(金) 20:26:09.35
>>860
箸墓というトンデモ古墳が卑弥呼墓最有力とされてる現実があるのでね。
奇抜・現実離れ・非日常的というのならそれはそう言う事だ。
0862日本@名無史さん垢版2019/01/16(水) 15:04:17.62
>>861
いや、左側スロープ君は、インチキデタラメという意味で現実を超えたシュールな存在w
0863日本@名無史さん垢版2019/01/18(金) 18:58:27.91
現代中国語でのピンインでの表記
卑弥呼:Bēi mí hū / Bei1 mi2 hu1
(俾彌呼:Bǐ mí hū / Bi3 mi2 hu1)

今のところ卑弥呼の発音に関して日本側の古事記表記の比桃@(Bǐ miē hòu)、
比売后〈Bǐ mài hòu〉以外には類似する名称は存在しない。

ビミホなんて人は古代日本にいない。
考えられるのは「hi」、つまりヒミ、ヒム、ヒメに関わる名前。

ならば
ひめこ(日女子、姫子) - 駒澤大学教授の三木太郎の説。
ひめこ(比梼q、比売子) - 古事記における音読み表現
ひみか・ひむか(日向) - 松本清張が唱えた、日向(日向国)と関係するとの説。
ひみか・ひむか(日向) - 原田大六、古田武彦が唱え説。

このあたりになりアマテラスの別名ヒルメであるという安本説は音韻的にも消える。
さようなら。

そしてヒメ、ヒムなら候補はいる。
崇神天皇4世紀前から6世代前、すなわち2世紀末、
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛と日向賀牟度美良姫 ( ひむかのかむとみらひめ )だ。
この二人以外に卑弥呼候補はいない。
この二人が住んだのは葛城である。
したがって邪馬台国は葛城である。
0864日本@名無史さん垢版2019/01/18(金) 20:06:59.38
筑紫の日向のヒムカ様
0865日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 01:24:21.93
日向賀牟度美良姫 ( ひむかのかむとみらひめ )はヒメ(踏鞴五十鈴)媛と神武夫妻の義理姉になる。
日本書記の鴨王こと天日方奇日方の后である。
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛と神武夫妻も義理姉にはなかなか頭が上がらなかったであろう。
もし天日方奇日方に先立たれてたとしたら、その姿は「年すでに長大 夫はいない」となる。
その場合、「男弟」は神武になろうか。

とは言え彼女の「日向」はあくまで地名であり、実際は美良姫が名前であろうし、
またヒメヒコという観点からも 天日方奇日方(日方をヒコという説もある)の妹、
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛が最有力であろう。
0866日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 01:30:55.82
>>862
おまえさぁ、いまだ箸墓説なんて泥船に乗っかってるのかい。
寺澤さんも逃げたというか初めから乗ってなかったw

箸墓なら「殉葬された奴婢」
これをどうするんだいw
0867日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 08:49:51.15
倭とは倭大國魂神社(延喜式)がある美馬(ミマ)を中心とした四国のこと
動かぬ証拠
0868日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 09:01:29.92
後漢書では倭とは北限が狗邪韓国(朝鮮半島南岸)、南限が倭奴国(福岡)
0869日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 09:06:07.74
四国も福岡もどうでもいい。

ラーメンでもうどんでも勝手に作っておれ、邪馬台国と関係はない。
0870日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 10:13:43.76
奈良も邪馬台国と関係ないのだけどな。
0871日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 10:55:00.71
某フォーラムに参加して、ゆうれいの正体見たり枯れ尾花、のような気分になりました。
なぜなら・・、
邪馬台国論争では「鉄」を採っていた倭人のいた国が邪馬台国だとされてきました。
そして、弥生の鉄をつかんでいたのは、どう見ても九州です。
それも武器や工具の出土は福岡を抜いて熊本がトップに躍り出ます。

ところが・・、
弥生の北部九州には、鉄がありすぎるから、邪馬台国のイメージとはちがうので、邪馬台国は北部九州にはなかった
と言われたのです。驚きました。イメージですか!
松傾さん、邪馬台国はユートピアではありません。女王をお飾りに担ぎ、鉄で完全武装した、ならず者国家だったのですよ。
0872日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 14:53:02.33
>>870
大和朝廷の前身が邪馬台国だよ。
でもね、それを書けなかった。
やはり倭国王帥升ことスサノオの土下座の記事がネックになってたのだろう。
そして江戸時代の国学者もそれに気づいてた。
彼等もそれを書けなかった。

だから邪馬台国は九州にあるなどと言ったのだよ。
0873日本@名無史さん垢版2019/01/19(土) 14:56:23.20
大和朝廷の前身が(九州に在った)邪馬台国だよ。
0874日本@名無史さん垢版2019/01/20(日) 20:55:31.20
>>873
大和朝廷の前身は出雲。
神武の故郷の宮崎はともかく北部九州なんて関係ない、自惚れるな、
0875日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 07:46:39.07
神武の故郷は筑紫の日向、つまり福岡県の西部。
ここが倭国の発祥の地であることは、史学的にも考古学的にも明らかだよ。
0876日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 08:19:16.88
>>875
いつどこで誰によって「明らか」にされたんだよw

神武の先妻・アヒラツヒメの痕跡が宮崎県日南市にしかない。
アヒラツヒメを祀る神社、また当地の油津港の語原がアヒラツとも言われる。
そして日南市にはタギシミミを祀る神社もある。

福岡には何もない。
残念w

まぁ福岡発祥の「水炊き」でも食って我慢しておれw
0877日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 08:40:38.57
弥生王墓がほぼ福岡県にしかない。
宮崎県には弥生王墓がない。
0878日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 09:09:10.48
>>877
>弥生王墓がほぼ福岡県にしかない。

弥生中期から王墓(墳丘墓)で他地域を圧倒するのは出雲。
福岡は弥生時代から古墳時代にかけてもその規模は貧弱そのもの。
自惚れてはいかん。

>宮崎県には弥生王墓がない。

おそらく山稜での自然葬。
神武が畝傍山に埋葬されてるのもそう言う事。
0879日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 09:21:03.83
うむ
ほぼと言ったのは出雲の例があるから。
ただし出雲は筑紫に降伏したことが記紀に書かれており、その後に筑紫が優勢となった。
そして成立したのが伊都国にあった倭国王権だ。
0880日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 09:38:48.21
[出雲は筑紫に降伏したことが記紀に書かれており」

ど こ に 書 か れ て る ん だ w
0881日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 10:22:42.78
お前ら葛城と関係ないことばっかり話してるな。
0883日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 11:37:36.00
>>880

出雲国譲り。
それを受けて1世紀に筑紫(伊都)に邇邇芸が王権を樹立して、2世紀に倭国大乱があり、2世紀末に神武が大和に到着した。
だから神武と卑弥呼は同世代だが、神武は大和の弱小勢力、卑弥呼は筑紫の倭国女王となる。
1〜3世紀の弥生後期に王墓が福岡県にしか見つからなくなるのはそういうわけだ。
0884日本@名無史さん垢版2019/01/21(月) 19:40:55.08
>>881
葛城は邪馬台国と関係ないと思うよ?

ヤマト王権や畿内勢力にとっては葛城の重要性は格別なんだけど、それは邪馬台国よりももっと昔からの要所だからであって邪馬台国は関係ない。
確かに鉱物資源的には糸魚川よりもマイナーだけど、日本最高峰のレア鉱物資源の宝庫だから、邪馬台国に比定できなくもないけど
葛城は歴史がもっと古すぎる。
0885日本@名無史さん垢版2019/01/22(火) 18:07:48.26
>>882
>だって葛城の話とかしても意味なくね?

葛城は大和朝廷の発祥地。
なんで意味がないのかな。
0886日本@名無史さん垢版2019/01/22(火) 18:09:15.45
>>883
>出雲国譲り。
>それを受けて1世紀に筑紫(伊都)に邇邇芸が王権を樹立して


何 を 言 っ て る ん だ
0887日本@名無史さん垢版2019/01/22(火) 18:12:40.62
>>884
>ヤマト王権や畿内勢力にとっては葛城の重要性は格別なんだけど、それは邪馬台国よりももっと昔からの要所だからであって

加茂岩倉と兄弟銅鐸である淡路の松帆銅鐸が炭素測定でBC4世紀〜BC2世紀。
この時代に出雲の神々の流竄があった。
https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/fd/a5/1835208-e7b99dfnwa4hbfc0ipelc0ac/76/deac85b5f771e80f46d45f991764018d.png

流竄した理由はBC3世紀、海の向こうで始皇帝が超大国「秦」を建国したことでしょう。
想像を絶する数の軍隊を持つ大国と対峙するために出雲の神々が立地的に安全な大和盆地を中心とする畿内・中部に移住した。
そして筑紫、瀬戸内に防人を配置、その防衛線は半島南部にまで達した。
だから筑紫、瀬戸内から出る青銅器のほとんどが銅剣、銅槍など武具であるわけです。

こんな状況で筑紫に女王がいるわけなどない。
0888日本@名無史さん垢版2019/01/22(火) 23:54:17.04
>>887
あなたの卑弥呼のイメージで語られても意味はない。
卑弥呼は倭国大乱を収拾するために共立された。
戦乱のど真ん中で女王になった。
むしろ九州の遺跡の状況はまさに魏志倭人伝の邪馬台国だよ。
0889日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 02:32:21.12
>>888

日本の歴史は帥升の160人の生口や、
卑弥呼の墓の殉葬された百人余りの奴婢などから始まる。

王都には奴婢が必要不可欠だったからだ。

王都の謂れと大きな古い奴婢郷の両方が存在する九州の場所を言え。
そんなのあるわけないだろ。

王都の謂れと大きな古い奴婢郷の両方が存在する場所は高天原(御所市高天)の麓、葛城しかない。

九州など論外だ。、
0890日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 07:24:19.84
ただの倭種だよ。
0891日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 09:04:51.49
>>887
葛城ってのは南下すれば御所や吉野、西に二上山を抜ければ堺や泉南、東は橿原と、畿内縄文期の集落の交差点にあたる。
葛城自体も縄文期からの集落がそのまま増設され続けて拡大してきた土地。
二上山と言うのは、石器の材料となるサヌカイトが大量に取れる場所でもある。
畿内の要所の一つであることは間違いないが、邪馬台国とは関係ない。
なぜなら畿内には黥面の風習はなかった。
0892日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 09:53:23.10
>>891
>なぜなら畿内には黥面の風習はなかった。

黥面のあるなしが何で邪馬台国と関連するのか分からないが、
大阪・八尾亀井遺跡から鯨面土器が出ている。
弥生時代の鯨面土器は瀬戸内と濃尾平野に多いが、
九州、出雲、近畿、関東にも出ている。
だから何なんだ。
0893日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 09:58:45.11
>>891
>葛城ってのは南下すれば御所や吉野、西に二上山を抜ければ堺や泉南、東は橿原と

あんたの言う葛城とは葛城市の事かな。
南下すれば御所というが御所も昔は広義の葛城。
五條や吉野も同じく。
大阪でも今の岸和田の山間部に葛城という地名がある。
0894日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 10:12:00.44
葛氏に由来してたら面白いんだけどなあ
0895日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 12:37:34.44
>>892
>大阪・八尾亀井遺跡から鯨面土器が出ている。

大阪と奈良は別の文化圏だよ。
鯨面は海人の風習だからね。
大和のイスケヨリヒメが、九州から来た大久米の鯨面を見て驚いた様子が記紀に伝わっている。
魏志倭人伝には鯨面が邪馬台国の風習として描かれているから、大和は邪馬台国ではない。
まして、鯨面を知らなかったイスケヨリヒメが邪馬台国の卑弥呼であったはずがない。
0896日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 12:40:56.56
卑弥呼直結の唯一の物証、「国宝」中平銘鉄刀。
出土したのは天理市和爾の東大寺山古墳。
その保持者・和邇氏の系図にいるトヨとヒミコ。

   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命


邪馬台国は葛城だったのだ、もういい加減に分ろうぜ。
0897日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 12:44:30.56
>>895
>大和のイスケヨリヒメが、九州から来た大久米の鯨面を見て驚いた様子が記紀に伝わっている。
>鯨面を知らなかったイスケヨリヒメが邪馬台国の卑弥呼であったはずがない。

物事は正確に言うように。
大久米の「大きな目(利目)」に驚いたのであって鯨面に驚いたのではない。
0898日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 12:52:14.02
卑弥呼:Bēi mí hū / Bei1 mi2 hu1

古事記表記の比桃@(Bǐ miē huh)、比売后〈Bǐ mài hòu〉

ヒミコのコが后( huh  hòu)という可能性がある。

さしずめヒメ后といったところであろう。

事代主神の娘・ヒメ(踏鞴五十鈴)以外にだれがいるのだ。
0899日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 16:28:56.37
>>897
「黥(さ)ける利目(とめ)」に驚いたとある。
目の周りの黥(イレズミ)のことだとされている。
0900日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 16:31:56.08
イスケヨリヒメ(姫多々良五十鈴姫)が卑弥呼であったなら、黥面に驚くはずがない。
大和が邪馬台国ではなかった証拠の一つだ。
大和には魏志倭人伝に書かれた風俗文物が何もない。
0901日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 18:50:49.48
海洋国家なんで海人の遺伝子が多く残ってる地域だろうね
日本人の大規模なDNA検査したら邪馬台国の場所もほぼわかるんだけど
関西人は検査を拒否ってるからね
0902日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 20:42:35.80
>>895なるほど
やっぱり九州だろうな
 
0903日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 21:09:15.08
鯨といえば四国も候補
0904日本@名無史さん垢版2019/01/23(水) 22:11:57.80
字が違うぞ。
よく見ろ。
0905日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 10:07:15.36
@邪馬台国論争終結説 、卑弥呼 葛城説、等拝見の結果;2011年頃の提起で、その後遺跡等から卑弥呼、邪馬台国決定の記事、放送
等は見られないようだわな。A第6代、孝安天皇は卑弥呼の弟説;-390年頃の在位とされるわな。理解困難なので、ここから消えます。
残念だわな。
0906日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 11:41:28.78
>>900
しつこいな、
なんで同じことを2回も言うのか。

大久米の「大きな目」に驚いた、以上。
0907日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 11:49:27.52
目が大きくて驚いたなんて歴史書に載せる内容か?
0908日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 11:53:03.87
>>905
>2011年頃の提起で、

だれか提起してた?曲学さんか?
わしの説とは違う。

>その後遺跡等から卑弥呼、邪馬台国決定の記事、放送
等は見られないようだわな


前期古墳の特徴が山稜にあることはほぼ鉄則なのに
畿内説者のほとんどが平地の纏向古墳群にばかり注目している。
大和盆地の山稜、高天原に奴婢(土蜘蛛)埋葬痕跡のある塚があるのに気がつかない。
神話の世界などないと思い込んでるからだ。
ギリシャ神話のトロイアを掘り出したH・シュリーマンの話を子供の頃に読んでいながら、
大人になったらすっかりそれを忘れて「神話の世界なんてあるかよ」となってるわけだ。

滑稽だ。。
0909日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 11:53:48.81
>>907
知らんがな。
書いた人間に聞いてこい。
0910日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 12:19:59.68
>>906
大事な部分を無視するなよ。
「黥(さ)ける利目(とめ)」に驚いたとある。
黥面だ。
大事ことなので二度言いました。
0911日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 12:21:47.89
>>907
神武天皇と妃の馴れ初めだからだろ。
和歌だから一部だけというわけにもいかないし。
イスケヨリヒメはその後も和歌に関するエピソードが出てくる。
0913日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 18:20:00.80
目の周りに入れ墨があるな。
0914日本@名無史さん垢版2019/01/24(木) 21:39:17.34
そして肝心の大和にはないな。
こりゃ畿内説はないですね。
0915日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 07:26:00.67
ていうか、神武天皇とか大久米命とか、こんな顔だったのか。
怖いな。
0916日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 10:19:33.88
>>913
大きな目に見えない。
目の周りの入れ墨は安曇族も行ってたようだ。
別名「安曇目」とも言われたようだ。


>>915
>神武天皇とか大久米命とか、こんな顔だったのか。

多分違う。
この人面土器の分布地が瀬戸内と濃尾に多いだろ。
物部(もののふ)。
纏向遺跡も瀬戸内の要素と東海の要素が強いだろ。
物部の遺跡だからだ。
0917日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 10:56:49.27
物部に異論はない。
ただし物部の祖は饒速日で、神武とは大和で会談して同族であることを確認している。
つまり神武も同じ風俗だったはず。
それに瀬戸内は神武が何年も滞在したところでもある。
筑紫からそれらの文化を持ち込んだのだろう。
0918日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 11:33:48.09
>>917
>物部の祖は饒速日で、神武とは大和で会談して同族であることを確認している。
つまり神武も同じ風俗だったはず

確か矢を入れる筒「靫(ゆき)」を見せ合ってたね。
もし真竹であれば、真竹は南九州原産で人の手を介して分布地を広げたらしいので、
九州にも根拠があったニギハヤヒと同じ靫であったのかもしれない。

ただし神武の顔が鯨面であったなら靫を見せ合う以前に同族と分かるだろ。
したがって神武には鯨面のような風習はなかっただろう。

>それに瀬戸内は神武が何年も滞在したところでもある。

全然関係はない。
岡山で神武が滞在したと言われる神社の複数が「神武天皇はうちに滞在した」と主張し少し対立してる様だ。
つまり人の往来の激しい瀬戸内では神武軍は影が薄かった。
スーパーの店員が一度来ただけの客の顔を覚えてないようなものだ。

その影の薄い神武軍を日本書記では特筆大書してる。
野球で言えば4番バッターのように神武東征紀は日本書紀のメインになっている。

何故か分るかい?
神武の時代が女王国であったからだ。

女王国であった事をごまかすためにことさら武勇伝を強調して男王国というイメージを創り、
神武を天皇皇后という新称号の「天皇」にした。
そして事代主神の娘ヒメが皇后にされたわけだ。

卑弥呼とは初代皇后だ。
0919日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 11:40:21.42
後半は意味がないな。

あと、神武と饒速日の会談で決め手だったのは、天羽羽矢の方だったと思う。
鏃は地域によって細かい差異があり、考古学的に分類されている。
神武らは、鏃を見せ合って同じ部族であることを確認したのだろう。
0920日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 12:19:29.10
7世紀に蘇我が敗れた。

蘇我の出自は高天原のある葛城。
つまり本来の天孫とは蘇我であった。

しかし蘇我が敗れた。
そして瀬戸内海洋民の物部ごときが天孫を名乗った。
0921日本@名無史さん垢版2019/01/25(金) 13:44:27.33
蘇我は一応「皇別氏族」に分類される。

しかし神武天皇の末裔なんて言われても嬉しくなかっただろう。

高天原に住んでいた出雲系の神々の末裔、それが本来の蘇我の姿だ。

神武なる男は高天原では下界の黄泉の国で奴婢を束ねてた男。
それが証拠に神武の住んだカシハラは今も奴婢の末裔が住み、
日本の部落解放運動の原点となる水平社博物館がある。
それは神武天皇社の隣だ。

https://www.progoo.com/bbs/data/himehultukenn/img/40_tn_61c33f808a.png
0922日本@名無史さん垢版2019/01/26(土) 05:18:08.16
庄内0  AD177+18   纏向石塚
庄内1  AD222     二口かみあれた
庄内2  AD240     下田
庄内3  AD258     二口かみあれた
布留0
布留1
布留2
布留3
布留4  AD389     宇治市街 須恵器

庄内3が年輪年代でAD258と出てるのだから、
布留0古相時期に建造開始の箸墓がAD258より古くなることはあり得ない。
つまり箸墓はAD248に死亡した卑弥呼の墓ではない。
0923日本@名無史さん垢版2019/02/02(土) 08:38:05.76
あげwww
0924日本@名無史さん垢版2019/02/07(木) 12:55:31.05
2世紀末以来の長期政権であった卑弥呼体制が消滅することにより畿内にも成長のチャンスが訪れたが、ほんの十数年の年代の誤認により、あたかも畿内が卑弥呼のもとで発展したかのように見えてしまう。
しかしあくまでも3世紀の畿内は筑紫の足元にも及ばない発展途上地域であり、まして卑弥呼が共立された2世紀末には、畿内が女王を出せるほどの発展もまとまりも見出せない。
0925日本@名無史さん垢版2019/02/07(木) 13:51:08.05
>>924


高天原は金剛山。
それは平安時代の文献でも分る。
高天原には弥生中期からの王権の痕跡が有る。
名柄遺跡だ。
今も長柄神社が建ち、別名は「姫の宮」

高天が原が九州にある、邪馬台国は九州にあるなどというヨタ話は近年できた説。
0926日本@名無史さん垢版2019/02/10(日) 23:26:01.40
wiki「高天原」より

古典作品では、『蜻蛉日記』にて『夢ばかり見てしばかりにまどひつつ明くるぞ遅き天の戸ざしは(203-05下)』という和歌があり、
さらにこれに続く和歌として『さもこそは葛城山に馴れたらめただ一言や限りなりける(203-07下)』とあることから、
天岩戸が葛城山にあったとする理解は遅くとも平安時代まで遡ることが解る。
鎌倉時代の『三流抄』には『太神・・・大和国葛城山高間原天岩戸ニ閉籠リ玉フ』とあり、
また能の葛城や代主などの舞台もこの地とされることから、
中世における高天原の所在地は葛城山付近と理解されていたと考えられる。
最終的には江戸時代初頭まで、新井白石が常陸国説を唱えるまでは、
この地が高天原史跡だと考えられていたらしい。


つまりごく普通に高天原は大和葛城だと認識されていたことが分かります。
そこに径百余歩の奴婢(土蜘蛛)が埋葬された塚がある。
何も難しい事はなかった。

高天原が九州にあるなどと言う説は近年に出来たもの。
それに依拠してる邪馬台国九州説などはいかに底が浅いのかが分かります。

「ふるさと自慢田舎っぺ演歌歌手」の下手な歌の様なものでしょう。
0927日本@名無史さん垢版2019/02/16(土) 11:03:48.11
アゲwww
0928日本@名無史さん垢版2019/02/20(水) 06:13:52.27
大和郡山市の矢田町のあたりだねw 邪馬台国あったところは
0929日本@名無史さん垢版2019/02/20(水) 08:42:05.17
>>928
大和郡山市の矢田町には王族の痕跡がない。
式内・名神大社でもあったら別だが。
0930日本@名無史さん垢版2019/02/20(水) 14:39:58.29
>>926
何もややこしく考える事はなくて、延喜式(10世紀に成立した律令)のなかで、
神話(古事記、日本書記)の高天原は葛城ですよっと!
国が明言していました?
0931日本@名無史さん垢版2019/02/20(水) 16:29:34.50
>>929
立派な神社あるだろ、知らんのか
0932日本@名無史さん垢版2019/02/23(土) 08:00:46.83
>>931
まず自分でその神社の名前を言え。
そんな大雑把なレスはするな。
面倒臭い奴だ。
0933日本@名無史さん垢版2019/02/23(土) 08:06:24.31
>>930
>神話(古事記、日本書記)の高天原は葛城ですよっと!
>国が明言していました?

高天原の場所を潤色するのが目的だから書くわけがない。
まず魏志に書かれた女王国を、神武東征紀で男王国に変え、
その時代をBC660年に持って行った。
当然高天原にいたスサノオもそれ以前になる。

帥升=スサノオ。
日本の歴史が107年の後漢皇帝・安帝への土下座から始まると言う、
屈辱の史実を覆い隠すためさ。
0934日本@名無史さん垢版2019/02/26(火) 22:47:50.93
>>933
基礎知識のなにも無い素人の思いつきにはウンザリ。消えてくれ
0935日本@名無史さん垢版2019/02/27(水) 06:37:06.72
>>934
基礎知識のなにも無い素人の思いつきにはウンザリ。消えてくれ
0936日本@名無史さん垢版2019/02/27(水) 07:11:17.34
日本書記は倭国王帥升ことスサノオの神格化が編纂の目的。

そのために基点となる卑弥呼の時代を神武東征紀で男王国とし、
その神武をBC660年というとんでもない時代に持って行った。

そして天孫降臨なる名目で高天原の場所も曖昧にした。
0937日本@名無史さん垢版2019/03/13(水) 21:47:11.05
卑弥呼の墓は単独墓か。
ならば卑弥呼の両親も王族なので単独墓であったという事になる。
その両親もまた単独墓ということになろう。

箸墓であれ、平原であれ、祇園山であれ、卑弥呼の墓を単独墓だというなら、
3世紀中頃に卑弥呼が死んだあと、いったん男王を経て、13歳で即位したトヨを基点にして、
卑弥呼はトヨから3世代前、そして2世紀前半の其の国の男王まで卑弥呼から5世代と仮定すれば、
単純計算で256個の単独墓がなければいけない。

もちろん古代は親族結婚が多く、叔母と結婚した、姪と結婚した、姉妹に一人の男が婿になったなどと言う例もあろうから、
もう少し数は少なくなるであろうが、それでも最低100強の墳墓が必要になるであろう。

纏向であれ、平原であれ、全くそれらを説明できない。

つまり卑弥呼の墓は単独墓ではなく、ひとつのリネージ、クランの集団墓だと仮定すれば何も問題はない。

塚は墳ではない。
三国志に於いては「塚」と「墳」が明確に区別されていたことに留意せねばならない。
諸葛亮伝の「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」や、大君公侯の墓が「墳」であったという記述からも高さのある人工の大きな墓を「墳」と呼び、棺を入れるのに十分な程度の高さしかない墓を「塚」と区別していた。

その径百余歩(150m)のリネージ、クランの集団墓の一角に卑弥呼の塚が作られたのであろう。

場所は日本神話、歴史の原点である高天原(奈良県御所市高天)だ。
日本最古の神社の境内に、魏志倭人伝の記述通り、奴婢(土蜘蛛)とともに今もある。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_11.png
0938日本@名無史さん垢版2019/03/14(木) 00:08:14.93
伊都国の王墓群でいいじゃん。
0939日本@名無史さん垢版2019/03/14(木) 07:15:01.23
>>938
その王墓群はいくつくらい墓があるの?
0940日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 06:42:23.87
朝あげ
0941日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 08:35:31.09
【筑紫】

筑紫とは博多湾沿岸を中心とする、倭国で最も古い勢力である。
最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、
井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある(年代は暫定的なもの)。
これらの遺跡からは、全国に先駆けてすでに三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
漢により冊封された王権の象徴としてはガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。

これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作の成立と同様にこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。

筑紫とは、そもそも博多湾を抑える要所である高千穂の日向峠周辺のことを指す言葉であったようである。
それが勢力を拡大し、博多湾沿岸のみならず、有明海沿岸や遠賀川沿岸まで筑後や筑豊として筑紫に組み入れていくのである。
倭国は筑紫と豊国、肥国の連合国家、いわゆる邪馬台国連合であったが、次第に筑紫の一強となっていく。
後には九州全体を筑紫嶋と呼ぶ向きもあるが、これははるか後世において、筑紫から離れた畿内から見た、大変大雑把な呼称である。
0942日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 12:37:24.45
三種の神器という文化を持つ集団が、それまでの王権を乗っ取った。それは崇神天皇の時代。
だから崇神天皇はハツクニシラス。卑弥呼は、それまでの王権にいる。三種の神器の一つ、ヤサカニノマガタマは出雲振根事件で奪い取った物であろう。
0943日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 20:50:36.20
>>941
トヨを基点に、2世紀前半の「其国の男王」まで7世代として、
単純計算で256基の王族の単独墓をだしてもらおうか。
0945日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 22:26:26.68
>>944
違うよ、連続句読点がこんな大事なことに気づくわけがない。
彼は平原説か祇園山だったはず。
0946日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 23:21:35.62
そもそも連続句読点が使われてないじゃないか。
0947日本@名無史さん垢版2019/03/30(土) 23:29:41.99
>>258
>>1
>トヨを基点に、2世紀前半の「其国の男王」まで7世代として、
>単純計算で256基の王族の単独墓をだしてもらおうか。

>約300年間で300基もある西都原古墳群の例でいえば、
>纏向古墳群も同じように説明できるはず。。
>充分だよね。

>纏向古墳群も同じように説明できるはず。。
>纏向古墳群も同じように説明できるはず。。
>纏向古墳群も同じように説明できるはず。。
0948日本@名無史さん垢版2019/04/04(木) 22:23:33.69
西都原古墳群 高塚墳311基(前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基)

応神元年390年から30代で算出した当時の平均在位11年。

4世紀初頭から7世紀の西都原は諸県君の墳墓群であろうが、
首長墓を前方後円墳とすれば、31基が300年弱でピッタリだ。
0949日本@名無史さん垢版2019/04/05(金) 01:53:31.16
ぴったりは言い過ぎ
0950日本@名無史さん垢版2019/04/05(金) 06:54:30.41
現存数であって、本来はもっと多かっただろ。
0951日本@名無史さん垢版2019/04/05(金) 07:28:50.17
>>950
宅地開発で消えたなんて場所ではなさそうだし、
墳丘が消えたことはなさそうだ。
埋没古墳はあるかもしれないが。
0953日本@名無史さん垢版2019/04/08(月) 20:06:07.93
諸県君一族と推定される宮崎の西都原古墳群は、
高塚墳311基(前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基)

前方後円墳を首長墓だとすると、
300年弱で31基ですから、
おおよそ一代平均在位11年を説明できると思われます。

そうすると円墳は首長ではない王族の墓ということになります。

纏向遺跡が卑弥呼の王権の遺跡であり、
纏向古墳群が王族墓だとすると、
この西都原と同じような状況でないとおかしい。

すなわち2世紀前半の其国の男王からトヨまで150年と仮定して、十数基の前方後円墳、
そして100数十基の円墳が必要になります。

とても説明できない。

だいたい纏向では2世紀前半の其国の男王の墓が説明できない。

このあたりについて、
一度プロの学者さんの見解をお聞きしたいと思っております。

私の結論は>>1の通り、纏向遺跡は卑弥呼の王権の遺跡ではないし、
箸墓古墳は卑弥呼墓ではないというものです。
0954日本@名無史さん垢版2019/04/08(月) 20:23:29.62
ただし、2世紀前半の其国の男王の墓は高天原(御所市高天)にはない。

なぜならこの王は高天原を追放されたからだ。


そしてこの王の墓は山陰出雲にもない。

この王の墓の場所は御所市鳴神。

この王こそスサノオ=倭国王帥升だ。
0955日本@名無史さん垢版2019/04/10(水) 19:51:13.11
御所市鳴神の高鴨神社祭神はアジスキタカヒコネ、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)

古事記で大御神と称されてるのは、他にはイザナギとアマテラスだけである。
相当、位の高いカミである。

アジスキタカヒコネ=剣、暴れる、高天原

時代を巧妙に変えてはいるがスサノオの事であろう。
スサノオには創作した神話を託し、
少し後に設定したアジスキタカヒコネは一人の人間としての実性を託した。

高天原(御所市高天)を追放され、少し南に下った御所市鳴神にスサノオの墓がある。

スサノオの墓の伝承地など他にどこにもない、。

つまりAD107年、後漢・安帝に謁見要請し、
何やら失敗し、新羅、出雲経由で泣きながら高天原に帰ってきた倭国王帥升ことスサノオの墓はここである。
0956日本@名無史さん垢版2019/04/10(水) 19:57:41.06
東北地方の話

ホンモノの家は東北地方に住んでいる、住んでいた?
有名な話
0957日本@名無史さん垢版2019/04/10(水) 20:02:05.56
スサノオでも何でも良い

悪く言うと、その他・・・の親戚みたいな家があるでしょ、
>>1この辺りに残っていたのかな?


本当の家というのがあるでしょ?
その家は東北地方
0958日本@名無史さん垢版2019/04/10(水) 20:11:02.68
朝廷に仕えたりした後、
東北地方に追放されたとか?

本人というのがいるでしょ、
追放された本人?
0959日本@名無史さん垢版2019/04/10(水) 20:17:29.72
仕えたりしたような話になっていない?、
それとも、ただの芸能関係の話なのかな?


ホンモノは系統が違うとか?
刀などを持って・・・という系統のほう
0960日本@名無史さん垢版2019/05/15(水) 13:58:58.80
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0961日本@名無史さん垢版2019/06/03(月) 22:58:07.79
すっかり忘れてたAGE!www
0962日本@名無史さん垢版2019/06/17(月) 14:23:00.34
近年の歴史学では神武や初期8代など古代天皇をはじめ、ニギハヤヒ、大物主、スサノオ、ことごとくその実在が否定されている。
しかし本当にそれでいいのだろうか。

新井白石や本居宣長の時代には「考古学」という学問すらない。

それに比べ今は膨大な考古学資料がある。

例えていうなら今の学者の筒には3千本の矢が入っている。
3千本もあるのだから、いずれ的に当たるだろうと彼らは己惚れている。

しかし何本矢を放とうが的に当たらない。

とうとう矢を放つことさえやめたような学者もいる。
それは卑弥呼が誰なのかさえ言えない学者である。

考古学資料から崇神天皇がおおよそ4世紀前半になる事が決まりつつある。

ならばその数十年前のトヨを探せばいいのに誰も探そうともしない。

卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという固定観念があるからだろう。

一方、新井白石や本居宣長の時代には筒に矢が1本しかない。
しかし彼らはその1本の矢で見事に的を撃ちぬいた。

その矢とは「倭国王帥升(Shuai sheng )はスサノオではないのか」というたった一本の矢=仮説である。
そして彼らはスサノオの5世代100年後にいる卑弥呼を簡単に見抜いた。
|
しかしそれは自分の生まれ育ったこの日本の歴史が中国への土下座から始まるという耐えられない屈辱でもあった。。

だからこそ彼らは邪馬台国論争を創ったのである。
0963日本@名無史さん垢版2019/06/17(月) 15:03:45.26
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0964日本@名無史さん垢版2019/08/01(木) 22:18:42.49
age
0965日本@名無史さん垢版2019/08/02(金) 02:44:45.23
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ヽ    /     `ー’´      ヽ /    /
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 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
0966日本@名無史さん垢版2019/10/30(水) 19:49:49.37
age
0967日本@名無史さん垢版2019/11/02(土) 10:11:16.90
白村江敗戦後の新生「日本」。

魏志倭人伝に書かれた女王とその婿の関係を編集し直す必要があった。

そのためには新称号が必要であった。
その新称号が「天皇・皇后」である。

魏志倭人伝に書かれた3世紀前半の女王は新称号の「初代皇后」にされた。

「年すでに長大 夫婿なし」とは、
夫である神武に先立たれた卑弥呼(Bei mei hu)=比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまりヒメ后の姿そのものである。
0969日本@名無史さん垢版2019/11/09(土) 01:24:10.47
葛城は縄文人の土蜘蛛と大国主が支配する邪馬台国とは別の国だった。
0970日本@名無史さん垢版2019/11/09(土) 09:27:04.11
>>969

大国主の系譜、に卑弥呼もトヨもいる。
左端が大物主(大国主)
神武をはじめ初期9代の【天皇】は最高位ではない。
彼ら大物主が最高位であり魏志の2世紀前半から続く其国の男王であった。

卑弥呼(Bei mei hu)とは簡単。
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后


    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)后━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
0971日本@名無史さん垢版2019/11/09(土) 20:28:55.62
崇神の時代に出雲の神宝が奪われる。
出雲振根の事件である。

その出雲の神宝とは何であろうか。

私は、今現在も三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)ではないかと思っている。

面白いことに、大和で剣、玉、鏡の三種の神器が揃うのは
4世紀初頭あたり、桜井茶臼山古墳からである。

その前、3世紀前半のホケノ山古墳には勾玉がない。

ホケノ山の被葬者は「王」ではなかったからではないだろうか。
3世紀後半の箸墓古墳、もちろん発掘はされてないが、おそらくこの古墳にも三種の神器の「勾玉」はないと私は推測している。

崇神が出雲から力づくで神宝「勾玉」を奪った。
そして正真正銘の大王になった。
だからこの時代(4世紀初頭)以降、三種が揃うのであろう。
0972日本@名無史さん垢版2019/11/10(日) 17:45:52.72
あげ
0973日本@名無史さん垢版2019/11/18(月) 22:27:38.51
邪馬台国は葛城である。
4世紀前半、崇神により、卑弥呼やトヨを輩出した王家は絶やされた。

そして、5世紀後半。

「一言主大神」

雄略に対して「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」

かなり違和感があるのは、普通、日本語では「良い事も悪い事も知っている」などと、善が先にくる。
しかしこの一言主は雄略に対して悪事が先に来ている。
善事も…と後に続くのは、大王・雄略に対して悪事のみ言うのは直接過ぎるため、
本来言いたかった悪事を和らげる目的があったのではないだろうか。


では雄略の悪事とは何か、これは簡単。
眉輪王の変での葛城 円(かつらぎ の つぶら)焼殺事件である。
(続く)
0974日本@名無史さん垢版2019/11/18(月) 22:29:38.27
雄略がまだ大泊瀬皇子であった時に眉輪王の変が起きる。
そして葛城の主である葛城円大臣(葛城 襲津彦の孫)が雄略に焼サツされる。
土地も娘も差し出すと懇願する葛城円を雄略は焼きコロした。
これらは事実であり、極楽寺ヒビキ遺跡として近年発見される。

普通、火事では火を消そうとするから、柱に水が掛かって全焼といえども根元は残ったりするものだが、
この極楽寺ヒビキ遺跡は土まで焼けている。
火を消そうとした痕跡が全くない。
燃えるがままに見ていたという恐ろしい遺跡だ。

ここで葛城円が焼きコロされた。
雄略が葛城で出会った一言主大神はこの事件をもちろン知っている。
したがって「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とは、
意訳すれば「おまえのとんでもない悪事を知ってるぞ、言ってやろうか」という恫喝であろう。
それに対してはさすがの雄略も怯んだ。

しかしながら一言主が土佐に流されたという続日本紀の記述は、一言主を祭神とする土佐一宮が存在することからも事実であろう。
これは「今回は流刑だけで済ましたが、それ以上言い続けるとどうなるか分っているな」という雄略側からの逆恫喝かもしれない。

この事件の直後から、葛城出自を自称する一つの豪族が台頭してくる。
彼らはやがて隆盛を極め、権勢をふるい、ついには日本の歴史で唯一、天皇を暗サツする。

その豪族とは蘇我である。
0975日本@名無史さん垢版2019/11/18(月) 22:31:06.08
父を焼きコロされ、その焼きコロした男・雄略の妃にならなければならなかった葛城円の娘・韓媛の心中はいかばかりだったろう。

ところで葛城円には男子の跡継ぎはいなかったのだろうか。
系図に詳しい方にお聞きしてもどうやら韓媛しかいないようである。

普通に跡継ぎの男子はいたであろう。
ひょっとすればその人物が一言主かもしれない。

韓媛という名前に何か引っ掛かる。

韓で連想するのは、葛城出自を自称する蘇我、その蘇我稲目の祖父・蘇我韓子である。

蘇我韓子は雄略天皇9年までは生きていたようだ。つまり韓媛と同じ時代を生きていた。

韓媛・韓子(彦)

この二人はヒメヒコではなかったのか。

6世紀になり、なぜ蘇我が急激に台頭してきたのか、謎である。

もし蘇我の台頭に、葛城の主を焼きコロされ、それをなじった一言主も流罪となった、
そのすさまじい怨念が背景にあるとしたら納得できる。

怨霊を信じ真剣に恐れていた時代、葛城の怨念を持つ蘇我に対して、
朝廷側は強い加害者意識、罪悪感、そこからくる過度の忖度、禅譲、はれ物に触るような態度、
つまり隙を見せた、
その隙が蘇我の台頭を許したのではないだろうか。
0976オレンジ・エア垢版2019/11/22(金) 23:12:40.95
邪馬台国は筑紫平野

卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳
0977日本@名無史さん垢版2019/11/23(土) 08:40:38.66
>>976

それ、、政治家の「住みよい街を創ります」と同じく単なる主張。
0978オレンジ・エア垢版2019/11/24(日) 19:18:36.21
大野さん、いい加減妄想はやめたら
0979オレンジ・エア垢版2019/11/24(日) 19:19:36.24
徐福を記紀から探してもらえないか
0980日本@名無史さん垢版2019/11/24(日) 19:37:13.09
>>978

崇神4世紀前半としてトヨは誰か、
その3世代前にいる卑弥呼は誰か、単的に述べている私の説は妄想ではない、
それができないで九九州だという君が妄想。
0981日本@名無史さん垢版2019/11/24(日) 20:11:38.22
【肥国】

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は博多湾玄界灘勢力である天津神が支配する筑紫が盟主となり、対馬海峡の交易と中国との外交は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
国津神には豊国王家、肥国王家、出雲王家などが想定される。
免田式土器に代表される阿蘇の東西にまたがる倭人の勢力が、狗奴国や熊襲、肥国であり、年代や立場により呼称が変化する。

筑紫が博多湾沿岸国家なら、肥国は有明海沿岸国家である。
もともとは有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を吸収して有明海に進出すると、肥国は肥前(佐賀県)と肥後(熊本県)に分割される。
卑弥呼が筑後山門の出身で、筑紫も含めた倭国女王になったからかもしれない。

肥国王家の別称が熊襲であり、本貫地は熊本が想定される。
肥前も肥後も筑紫とはやや縁が遠く、その王家は記紀にあまり名前を残していない。
ヤマトタケルに殺された熊襲梟師(くまそたける)の墓は肥前河上大願寺にあるという。
ここにある肥前国一宮の河上神社(與止日女神社)の祭神は、壹與に比定できる淀姫である。
卑弥呼、壹與、熊襲梟師、田油津姫らはいずれも肥国王家であり、倭国王となる資格を持っていたが、最終的に天皇家につながる筑紫日向の天孫族である伊都国王家との関係は良好ではなかったため、記紀には卑弥呼の名が記載されていないのかもしれない。
熊襲征伐、田油津姫征伐は、筑紫倭国の内乱を天孫族から見た呼称であったと考えることができる。
0982日本@名無史さん垢版2019/11/24(日) 20:15:36.03
@近くに縄文遺跡があるから更に古いとする根拠がなく、反証から逃げ回るなよガイジ
 はい、カマチョンコの敗走w

A蜘蛛窟の東側(通称こんもり)が塚である根拠がない上に、キチガイのうわ言でしかないと自覚しろゴミ
 はい、カマチョンコの敗北ww

A-2そもそも土蜘蛛の住居跡と卑弥呼の墓に何ら因果関係はないし、池沼の妄想に過ぎないと知れクズ
 はい、カマチョンコの惨敗www

B土蜘蛛塚が奴婢の殉葬地である根拠がないし、土蜘蛛塚自体は全国に数多く存在するぞカス
 はい、カマチョンコの完敗wwww

B-2そもそも帰順しない者を指す「土蜘蛛」と身分制度で奴隷を指す「奴婢」は同一ではないのは考古学の常識だマヌケ
 はい、カマチョンコの大敗wwwww

C蜘蛛窟東のこんもりと土蜘蛛塚は直線距離で3kmの距離があり無関係の遺跡だウンコ野郎
 はい、カマチョンコの劣敗wwwwww

D卑弥呼(Bei mei hu)を比桃@(Bi mie hou)や比売后(Bi; mai hou)とこじつける根拠がない上に、糖質の呻きでしかないぞ池沼
 はい、カマチョンコの負けwwwwwww

E鴨の語源がカミである根拠もないし、高鴨神社がそんなマヌケなこと言うわないだろ嘘つきキチガイ
 はい、カマチョンコの自滅wwwwwwww

F高天彦神社の境内にある磐座は土蜘蛛塚ではなく白雲岳の中腹にあった御神体で、 高天彦神社の創建時に麓に遷座した物だと高鴨神社の鈴鹿宮司TEL:0745-66-0609(高天彦神社の所管社)が証言している事だ
 はい、生きてる価値なしカマチョンコwwwwwwwww
0983日本@名無史さん垢版2019/11/24(日) 22:18:42.31
>>979
日本書紀では百済王家の姓は徐
0984日本@名無史さん垢版2019/11/25(月) 01:20:29.37
神武東征のような大きな出来事があった、すればその時期はおおよそ分かる。

神武東征のような大きな出来事があれば考古学的に大きな変化が起きているだろうからである。

大和盆地において、それまで続いていた環濠集落が終わり、土師器の生産が始まり全国に派生し、そして古墳時代が始まるという大変革の時代は2世紀末の庄内0期である。
そしてそれは卑弥呼擁立の時代でもある。

神武を倭国王帥升の時代である2世紀初頭とか、
卑弥呼をアマテラスに見立てその5世代後の3世紀末を神武の時代にはできないのである。
2世紀初頭や3世紀末に大和盆地で大変革は見られないからである。

すなわち神武と卑弥呼は同じ時代、2世紀末から3世紀初頭なのである。

卑弥呼(Bei mei hu)とは、
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまりヒメ后=ヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。
0985日本@名無史さん垢版2019/11/25(月) 01:28:18.96
 .
     ∧_∧ウソつくな  ∧_∧ヒィ
    (土蜘蛛)      <l|l;`Д´> 
  三 (  つ つ   三(つカマチョンつ
  三 人 ヽノ    三 / ゝ 〉
   (__(__)      (_(__)


             ヒィィ! ∧_∧ ホラふくな!∧_∧
               <`Д⊂彡   三 奴婢  )
              ⊂カマチョンノ   三G(   こつ
                人  Y     三(_,\ \
               し (_)         三___)
0986オレンジ・エア垢版2019/11/29(金) 20:40:59.16
神武天皇が卑弥呼の時代なわけなかろうもんW

2から9代の天皇の存在をお忘れですかW
0987オレンジ・エア垢版2019/11/29(金) 20:43:13.33
俗に言う欠史八代の即位が異様に短いな

歴史を都合のいいように操作したらいかんな、大野さん
0988オレンジ・エア垢版2019/11/29(金) 21:25:23.34
崇神天皇、286〜318
0989日本@名無史さん垢版2019/11/29(金) 21:57:23.76
倭国大乱で神武が筑紫を出たんだろうなあ。
それくらいでちょうどだ。
0990日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 01:20:43.44
 .
              妄想チョンコロ!
                ∧_∧
       ウソツキが! (鈴鹿氏)     ホラフキめ!
       ∧_∧    (`つ⌒ )      ∧_∧
       (土蜘蛛)フ   : ∧_∧    ⊂(奴婢 )
      (    )ノ    ::< ∩∩>:     \    )
      / / /     ::(´ ノ ノ::シクシク… ( (  |
      (_)_)     ::( ̄__)__)::      し(_)
             ↑カマチョンコロ
0991日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 08:13:30.20
>>986
>2から9代の天皇の存在をお忘れですかW

忘れてないよ。
ただし9世代ではないよ、あくまで9代。
1代平均在位約11年。

何も文句ない、
卑弥呼(Bei mei hu)とは簡単。
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ(踏鞴五十鈴)后である。
0992日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 08:20:36.19
>>987
>俗に言う欠史八代の即位が異様に短いな

即位なんてしてないよ、天皇なんて役職はなかったのだし。
第一彼らは「おおきみ」ではない。
神武でさえ「おおきみ」ではない。
神武時代の「おおきみ」は鴨王(かものきみ かものおおきみ)こと天日方奇日方。
神武の義理兄だ。

欠史8代時代の「おおきみ」とは天日方奇日方の男系子孫、つまり「大物主」だ。
崇神時代に易姓革命があり、最後の大物主が倒された。
そして現天皇家にまで至る。
0993日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 09:41:21.85
>>992
>神武時代の「おおきみ」は鴨王(かものきみ かものおおきみ)こと天日方奇日方。
>神武の義理兄だ。

饒速日の方が格上だよ。
天神の子とされている。
鴨王は地祇に分類される。
0994日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 10:36:39.38
>>993
>天神の子とされている。
>鴨王は地祇に分類される。

それは物部の史書・先代旧事本紀での話だろ。
物部が自分たちを天神の子としたのはあくまで自称。

実際には物部の郷、纏向古墳群を見ても大和盆地でのその立地は、
上下で言えば下、高低で言えば低、天地で言えば地、
つまり上、高、天である高天原の神々にはかなわない。

物部の自称を真に受けるな。
0995日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 11:02:40.50
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <「説いたのはわしだ。参ったか。」
    /   ⌒(__人__)⌒ \
    |      |r┬-|    |
     \     `ー’´   /
    ノ     >>1     \
  /´               ヽ
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 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))


          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ   <だっておwww
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| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/      
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ヽ    /     `ー’´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バンバン
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
0996日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 11:45:44.10
>>994
>物部が自分たちを天神の子としたのはあくまで自称。

記紀でも同じ。
神武とは互いに天羽羽矢などを見せ合い、同族(天神)であることを確認している。
0997日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 12:10:45.64
今のところカマチョンコロは↓に書かれてることを一つも反証できない上に、しつこく無根拠な妄想を書き続けることしかできてない
カマチョンコもっと頑張れ!カマチョンもっと張り切れ!


天が降ってくるから雨はアメ

西暦600年に倭王「阿毎多利思北孤」はアメ姓を自称している(中華書局『隋書』でAME TALISHIBUOKO AHOKIMIと断定済み)
また、アメ王によって自国(倭国)の阿蘇山の噴火が伝えられているため、倭国は北部九州で確定

なお、現代研究では阿毎の古音には七つの解釈がなされており、五段母音に音階すればアメの確率が約50%であり、アマの確率は15%以下

 
加えて、7世紀後半に天武天皇は尼(アマ)子娘を娶って当時最大支配域を持つ海人族であった宗像氏と姻戚を結んだ
天皇家が海人族であったなら改めて親戚関係を結ぶ必要はない

 
一方、8世紀初頭に完成した古事記では編纂者がワザワザ「訓高下天云阿麻下效此」と注釈をつけ、高+天の場合のみアマと読むよう指定されている
つまり高天原以外の天はアマとは読まないという揺るぎない傍証

同じく、8世紀初頭に完成した日本書紀では天照大神の誕生以前にアマが付く神が存在しない

 
 
天=アマ=海人だと妄想するカマチョンの反論は個人的願望や独自解釈に終止しており、根拠を示せていない

 
天 = ア マ = 海 人 だ と 妄 想 す る カ マ チ ョ ン コ の反 論 は 個 人 的 願 望 や 独 自 解 釈 に 終 止 し て お り 、 根 拠 を 示 せ て い な い


結論: 海 人 = ア マ ≠ 天 ( ア メ )
0998日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 13:09:15.51
>>997
>天皇家が海人族であったなら改めて親戚関係を結ぶ必要はない

そんなことはない。
同族の別家系と姻戚関係により政権安定を図るのは定石だろ。

>一方、8世紀初頭に完成した古事記では編纂者がワザワザ「訓高下天云阿麻下效此」と注釈をつけ、高+天の場合のみアマと読むよう指定されている

「のみ」という部分が誤り。
例えばアマテラスもアメではない。

>つまり高天原以外の天はアマとは読まないという揺るぎない傍証

天の読み方の例として高天原を取り上げているだけ。
基本、「天の〜」はアマだ。
アメは後世の畿内なまり。
0999日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 13:11:33.83
卑弥呼は肥国の山門の出身で、後に山門は有明海に向かって拡大する筑紫に飲み込まれて筑後となる。
これにより肥国は肥前と肥後に分裂する。
卑弥呼はそれまでの伊都国王統を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治した。
特に敵対的だった伊都より北の国々は一大卒を任命して監視した。
卑弥呼は死後に都の平原遺跡に葬られた。

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は筑紫が盟主となった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
1000日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 13:13:00.52
古代の神、すなわち王家には大きく分けて天つ神(天神)と国つ神(地祇)の分類がある。
天つ神はアマテラス(天照大神)の家系の神であり、海を越えてやってくる渡来人系の人々である。
天つ神のアマは、本来は海人の意味であったという説がある。
アマテラスの名前は、天上を照らす太陽神の意味ではなく、本来は海洋を支配する王「海照らす」の意味であり、対馬海峡の漁撈と交易により成立した海洋国である博多の倭国の王にふさわしい諡である。
そのような読み替えにより、神という超越的な存在を用いることなく、古事記などの記事をうまく説明することができる。
国つ神は天つ神以外の神々のことであるが、古来からの縄文系の人々や、アマテラスの直系ではない権力者である。
国つ神を代表するのは全国のクニをまとめていた大国主である。
サルタヒコも海上と陸上を支配する(照らす)神として紹介されているが、その支配権は博多湾沿岸などに限られるようだ。
ヤマツミ(山祇)とワダツミ(海祇)もそれぞれ博多湾周辺の陸上と海上を支配する国津神(地祇)の尊称である。
海洋と陸上の分割統治はアマテラス(天神)とスサノオ(地祇)、海幸と山幸にも見られる倭国の普遍的な王権の姿である。

倭国は海洋部(アマ)と陸上部(クニ)がしばしば分割統治されていた。
出雲の大国主を倒した後に海上と陸上をあわせた王が登場する。アマテラスから十種の神宝を継承した孫のニギハヤヒである。
ニギハヤヒの末裔である物部氏の伝記である先代旧事本紀における名は天照国照彦天火明櫛玉饒速日(アマテルクニテルヒコ アマノホアカリ クシタマ ニギハヤヒ)とあり、海洋と陸上を統治する王である。
その弟のニニギは古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシ アマツヒコヒコ ホノニニギノミコト)と表記され、やはり倭国の陸海にまたがって君臨する王である。
古代においては兄弟相続が一般的であり、ニギハヤヒの後をニニギが継いだが、ニニギの王統が最終的に天皇家につながると考えられたために記紀ではニギハヤヒが重要視されなくなった。
実際には、物部氏は古代のヤマト王権において祭祀と軍事、すなわちヤマト王権の実権をほぼ掌握していたと考えられている。
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