前方部は祭壇ではなく、後円墳の頂上に遺体を運ぶ為の参道だったのだよ。
初めはゆるい傾斜で頂上まで遺体を運び上げる為の道だった。
しかし、そのままでは盗掘される恐れがあったから、参道を塞ぐために納棺が終わった後、後方部も高くしたの。
それがわからない考古学者は馬鹿だねえ。
あんな急峻な墓の頂上に、遺体をどうやって運びあげたか考えもしない。
後円部から後方部に向かってなだらかな斜面になっている部分があるだろ?
そして、讃岐地方には後方部が低くて端のほうが平地と変わらない高さになっているのがある。
初期の前方後円墳の観察をしないで妄想しているのが日本の考古学者