秀吉は家康を牽制する対抗馬として弟秀長を抜擢し、官位や石高で家康に並ばせた。
秀長没後は竹馬の友である利家を重用、これまた秀長の代わりに持ってきた。
豊臣政権の不幸は、将来の家康台頭を予見して 抜擢した2人が予想より早く没したことである。
これは蒲生氏郷にも言える。
野心家のナンバー2を掣肘する役目を負っていたナンバー3の不在が家康の幸運。