>>875

江戸時代の福岡藩の国学者青柳種信による沖ノ島滞在記録「瀛津島防人日記」に
西海道風土記逸文が引用されて載っていてそこに
「自天降居埼門山之時、以青玉置奧津宮之表、
 以八尺紫玉置中津宮之表、以八咫鏡置邊津宮之表、
 以此三表成神體之形而納置三宮」
とあるのが全てだよ

風土記逸文に「八咫鏡」という文字があるだけで、現在の宗像大社は
八咫鏡を奉祭しているとも、過去に祀っていたとも一言も言っていない