記紀年を生年-即位-没年 で整理してみた。
欽明天皇 509-539-571
敏達天皇 538-572-585

押坂法皇 564-585-622
聖徳太子 574-----621 (竹田皇子)
用明天皇   585-587
崇峻天皇 553-587-592
推古天皇 554-593-628

舒明天皇 593-629-641

皇極天皇 594-642-645
孝徳天皇 596-645-654
斉明天皇 594-655-661
天智天皇 626-668 672

欣明‐敏達‐押坂法皇(即位585-622とする)は親子 
聖徳=竹田は弟 (隋書 日出 便 停理務 云 委我弟)大臣 曽我馬子
用明-崇峻‐推古は即位無し

舒明天皇 593-(629)622-641 即位は上宮法皇没年622 親子
皇極‐孝徳‐斉明は即位無し

天智天皇 626-(668)641-672
即位が若いが生年が10年早ければ高表仁の来日時630に冷遇した皇子が中の大兄。
大臣は鎌足であって、この間の一連の事件は鎌足の台頭。
これが、物部−曽我−藤原の乱世だが、女帝は無しで即位は嫡子相続で成立する。