0297日本@名無史さん垢版
2018/06/10(日) 21:43:56.57>>尺寸系の定規は、殆ど変わっていないし、各時代の寸法も既知であるので、<
>これは本当ですか?<
Yahooでの議論で、mkpoとかハイエナなどの大和説者が、
周代の「尺定規」が発見されている、と言って、写真も添えており、
その寸法も23cm位であった、という記憶があります。
しかし、新井宏さんは、古韓尺の淵源は、32cm位の尺寸法であった、という説でした。
>伊都スレで今日は白熱していたのが「咫」の説文解字注の内容で、
中婦人手長「八寸」謂之「咫」。、、、中略、、、 殷法十二月。
言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
、、、中略、、、 古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
これの「八寸」が漢尺か周尺なのか? 私は漢尺と思ったんですね。<
「説文解字注」とは、「説文解字」自体の本文ですか?。
それとも、「説文解字」以後の人の「説文解字」に対する注なのですか。
しかし、いずれにしても、漢代の解釈にしかなりませんね。
>古者以「周尺」八尺爲步。今以「周尺」六尺四寸爲步。
周尺八尺=以周尺.為歩=漢六尺四寸
周尺=漢尺八寸=咫 つまり、 殷は漢尺の12寸相当が基準長で一尺だった
周は漢尺の八寸相当が基準長で一尺としていた。 漢は当然一尺=10寸。
変わったのは寸=尺の関係性であって、寸自体の長さじゃない。
こう思ったのですが、いかがでしょうか?<
「古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步」というのは、
説文解字以後の文なのではありませんか?。