X



平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 18:42:40.44
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0003日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 18:49:00.45
>>1で根拠の全てが示されてるから完結
0004日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 19:04:11.73
咫=八寸と漢尺=約23センチがあれば、
あとは自動的に咫=八寸=2.3×8=18.4センチですね。
0005日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 19:26:46.17
平原のは円周長=八咫の鏡(世界最大)
0007日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 19:42:59.44
根拠=>>1
0009日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 20:12:27.36
大型内行花文鏡

直径約2尺、円周約8咫
同心円の一番外側の直径約2咫、円周約5尺
連弧文を囲む円の直径約1咫、円周約2尺5寸
葉を囲む円の直径約5寸、円周約2咫
0012日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 21:16:57.59
>>9
これほんと?
完全に咫尺を意識してるじゃないか。
0013日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 21:19:38.85
師出洛陽

俺の師匠は洛陽出身だぞ

そんな洛陽出身の偉い師匠に習ったんだから、
辺境の倭人とはいえ俺の作品を舐めんなよ

(注:出洛陽なので、洛陽出身の師匠も洛陽には住んでいない)
0015日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 22:03:28.03
世界最大なん?
0017日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 08:14:39.98
説文解字を出すなら、きちんと説文解字注まで読みな

周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。 古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造

古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている

これで、周代の歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ

ここから咫の長さを出すと16.9センチになる
これで無理やり平原1号墓出土鏡の円周を換算すると8.63咫だな
そもそも円周を測ったりはしないんだが
0018日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 08:43:22.50
説文解字:咫,中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺,只聲。
0020日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 08:47:54.18
wikiより

『説文解字注』
>清の段玉裁が著した『説文解字注』30巻(段注、嘉慶20年(1815年)刊)は、
>説文解字に対する注釈の最高峰と言われ、
>清の訓詁学の到達した一つの頂点として知られている。

>しかしながら、多数の文献を出典を明記せずに引用し、
>また誤りもあるので、
>例えば誤りを校正した馮桂芬の『説文解字段注攷正』など、
>読解にあたっては副読本を手元に置いた方が良い。



『説文解字』
>説文解字(せつもんかいじ)は、最古の部首別漢字字典。
>後漢の許慎の作で、
>和帝の永元12年(西暦100年)に成立し、建光元年(121年)に許慎の子の許沖が安帝に奉った。
0021日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 10:04:30.80
『説文解字注』 巻八・尺部

中婦人手長八寸謂之咫。賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。別周制之異乎古也。
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。左傳。
天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。國語、
列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。从尺。只聲。
諸氏切。十六部。
0022日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 10:26:17.62
>中婦人手長八寸謂之咫。

冒頭に、咫=八寸、と規定して、
成人女性の手の長さ、と由来を示している。
これは尺が成人男性の手の長さであることと対応してのことだろう。

過去の「咫」使用例を辞典らしく列挙した上で、尺度としては周代に成立したことが書かれている。
>賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
0023日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 10:29:36.31
説文解字も説文解字注も、
中婦人手長八寸謂之咫 〜 周尺也
の順番で書かれている。
文脈としては、
咫=八寸、というのが普遍的尺度で、それが決まったのが周代と説明している。

周尺也 〜 中婦人手長八寸謂之咫
の順であれば、
周代にのみ使われていた尺度で、咫=八寸だったよ、となるが。

残念だったな。キナイコシさん。
0024日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 10:49:56.21
説文解字注のは、まず咫=8寸は確定。

でもって、咫とは別の議論で、
周代の尺が、8寸もあれば、10寸もある、という議論。
殷代は12寸だった。

周代の尺は8寸だった、10寸だった、
それぞれの用例を複数出したうえで、

・咫は長さの単位だと全ての学者が認めている(列子皆言 其長尺有咫)
・咫と尺は常に別の尺度と認識されている(咫尺並言 不云二尺)

のだから、
周尺=8寸というのは、咫=8寸の間違いで、
周代も尺=10寸だったんだね。

という話です。


説文解字注の中では、
咫=8寸は、当たり前の定理であることが前提であることは変わりませんが。
0025日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 11:12:42.03
>>506
>咫ってのは
>いつの時代に使われていた単位なの?

8世紀の日本で使われているよ。

『日本書紀』天孫降臨での猨田彥
>其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也

咫と尺を使い分けていまする。
0026日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 14:50:32.38
テンプレ行きキボンヌ。
==========
咫は漢尺の八寸、周代の尺である。10寸で1尺としていた比率はいにしえと変わらない。

漢尺で八寸とみなせるのは
周尺八尺が1歩で
今漢代64寸が1歩と書いてるところから

周尺八尺=1歩=64寸=8咫(咫=八寸より)
つまり周尺八尺は8咫
つまり周尺=咫(=八寸)

一方で一尺は10寸でつかわれていたのは間違いない。
この場合の八寸は?説文解字は漢代の辞書だから漢尺での八寸。

説文解字の漢代の寸法を基準に普通は解説書くわな。そうじゃないと読む人は意味がわからんわな。

488 日本@名無史さん[] 2018/06/10(日) 10:38:29.68

結局、咫=八寸=周尺でFA。
寸の長さを時代と共に変えて読むのはキナイコシの誤読
0027日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 14:55:14.39
説文解字注の解釈のこれも。一部改定。
=====
殷は漢尺の12寸相当が基準長で一尺だった
周は漢尺の八寸相当が基準長で一尺としていた。

今漢尺は10寸であるから
周尺八尺の長さである歩は
今説文解字の時点では漢尺で64寸になる。
0028日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 14:59:28.17
中婦人手長八寸謂之咫 〜 周尺也

婦人の中指の手の長さ八寸は、いわゆる「咫」であって、周時代の基準長である周尺、周の時代の一尺である。

全てに整合。FA。
0029日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 16:23:16.86
咫=八寸と、後漢の辞書にも清の辞書にも明記されている。

8世紀日本の日本書紀に、
咫で長さを表記して、同じ文章に尺があって、八咫鏡が出てくる

後漢末に作られた
平原の超大型内行花文鏡の円周長=八咫の鏡
0030日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 16:28:26.34
キナイコシにとっては
時代や地域によって単位が変わるというのは悪夢だからな

感情的に許容できないのだろう。


>東夷伝里
0031転載垢版2018/06/10(日) 17:10:47.74
周の時代は8寸を1尺として、漢の時代は10寸を1尺としたので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0032日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 17:16:45.71
後漢の辞書も、清の辞書も、咫=八寸と明記している。
咫=八寸 (それぞれの時代の尺寸で計算)
これは絶対確定だ。

じゃあ
漢尺だと、八咫=約147センチ

平原の超大型内行花文鏡の円周長=146センチ

よって、平原の超大型内行花文鏡の円周長=八咫の鏡

これは現実
0033訂正垢版2018/06/10(日) 18:22:33.67
古者以「周尺」八尺爲步。今以「周尺」六尺四寸爲步。

こうじゃない?
周尺八尺=以周尺.為歩=漢六尺四寸
周尺=漢尺八寸

昔の尺度を説明するのに
今の尺度で説明しないと読んでる人は意味がわからないから。
0034日本@名無史さん垢版2018/06/10(日) 18:36:43.30
ウィキペディアによると

周の一尺は漢代の8割ほどであったと
説文解字の「夫」を参照してるな。

なんだ、やっぱり漢尺八寸が周尺=咫じゃないか。

尺という単位は古代中国の殷の時代には既にあったとされている。古代の1尺の長さは正確にはわからないが、出土文物からの推測では、戦国から秦にかけての1尺は23cm前後であった。
漢代でもあまり変わらず、23-24cm程度であった。文献によると周の尺はその8割ほどの長さ(約20cm)であった[3]

『説文解字』夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。

夫、丈夫のことである。
人を意味する大に簪を象徴する一を加えたもの。
周の制度では、八寸を一尺、十尺を一丈、人を八尺とした。故に丈夫というのである。

あれ、尺10寸が周の制度なんじゃなかったのか?ここでは八寸が一尺になってるな。
十尺を丈にしたのに
八尺の人を丈夫と呼ぶのはおかしい。
周尺10尺=一丈=漢尺八尺から計算した値だな?

まあいいや、周尺が漢尺八寸であることには間違いない。証明終了。
0037日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 04:16:20.16
>>33-34
説文解字も説文解字注も共に、
・中婦人手長八寸謂之咫
・周尺也
を繰り返してるから、
咫=八寸=周尺
を満たすのは、漢代しかありませんよね。

周代だと、咫=八寸を満たしたとしても、
咫<周尺になってしまいます。
逆に隋唐以降だと、咫=八寸だと、咫>周尺ですね。

ということは、咫が長さの単位として使われたのは、
漢代ということになります。
ますます平原の時代に合致しました。
0038日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 04:23:34.71
漢代は、漢尺=十寸、咫=八寸=周尺。

隋唐時代は、大尺と小尺(=漢尺)で、同じ比率を保っているので、
前の時代の尺の約1.2倍を新しい尺にすることで、円周長を求める数式を兼ねていたのでしょうね。
0039日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 04:48:12.93
伊都スレで惨敗したので、こんなとこでデマたれ流しか
Gスレみじめ
0040日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 06:31:33.93
わざわざ周尺と書いてあるでしょ。

説文解字は後漢の辞典。
説文解字が尺と書けば、それは漢代の尺。
説文解字が周尺と書けば、それは周代の尺。

説文解字が寸と書けば、それは漢代の寸。
説文解字が周寸と書けば、それは周代の寸。

説文解字が咫と書いてるのだから、それは漢代の咫。

説文解字によると、
咫=八寸=周尺
0041日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 06:37:39.44
>>37-38,>>40
完璧につじつまが合ってますね。
0042日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 07:10:34.07
>>41
いいですね
コピペ化決定
0046日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 18:44:39.34
周の時代は8寸を1尺として、漢の時代は10寸を1尺としたので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0047日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 18:47:46.68
あ、かぶってた。
0049日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:05:27.78
>>26
歩=八咫なわけですね。おもしろい。
0050日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:10:13.56
>>46
×周の時代は8寸を1尺として、
〇周の時代も10寸(周寸)で1尺(周尺)としていた。

漢尺>周尺だから、
漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、
周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。

漢代になって、漢代の尺(漢尺)と、周尺が併存したので、
紛らわしいから、
周尺=咫、と呼ぶようになった。

この周尺(=咫)以下はその通り。
0051日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:13:12.80
>>46
>この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、

便利だからこそ、王朝が変わって尺を次第に大きく更新しても
この比率は使われ続け、

漢代:尺(秦尺漢尺)=10寸 & 咫(周尺)=8寸

隋唐代:大尺 & 小尺(秦尺漢尺)


>直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
0052日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:13:55.03
寸も変わるの?
0053日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:19:13.81
周の時代の1尺は漢の時代の1尺の8割くらいの大きさなので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を漢の時代の尺と区別するため咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、円周率を3.2で近似していることになる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、直径が漢尺で二尺であることから円周は八咫であり、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0054日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:20:01.43
>>50
つまり、平原のは八咫の鏡じゃありえんわけだ
ご愁傷様
0055日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:26:11.40
『説文解字注』 巻八・尺部

中婦人手長八寸謂之咫。賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。別周制之異乎古也。
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八 八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。左傳。
天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。國語、
列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。从尺。只聲。
諸氏切。十六部。
0056日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:31:12.08
>>52
尺=十寸というのが固定だという前提のもとに、
>>55の寸は、漢代の寸で固定=約2.3センチという
説明文の中での基準単位と考えていましたが。
一方の尺には、いちいち殷や周尺の断りが文章に入れてありますし。

尺=X寸で変動するのなら、変数が多すぎて答えが無くなりませんか?
0057日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 19:32:59.62
>>50からは、
>>54平原のは円周長=八咫の鏡
という結果になるのですが、

畿内説さんは議論放棄してデマを流すしかなくなったのですか?
0058日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 20:05:16.08
>是可證周未嘗八寸爲尺矣

周は未だ嘗て八寸を尺としたことはないと証明することが可能だ。
0059日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 22:46:44.81
>>51
なぜ
大尺小尺が併用されたかも
実用上10対8の比率が有用だったからなんだな。
0060日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 22:48:29.03
>>58
証であろう、くらいかな。
0061日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:33:18.05
883 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 19:48:07.38

説文の丈(周制以八寸爲尺,十尺爲丈)の定義から考えるとおもしろいですね。

>>37
>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)
> 六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
一丈211cmなら、丈夫というより、怪物ですよ

一寸23mmなら、184cmで、良い感じの「丈夫」になりますよ。
時代によって一寸の大きさを変えて考えるのは筋悪というのがわかって、
興味深いですね。
0062日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:34:13.95
896 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:01:57.78

寸は、親指の太さの身体尺と言われていますからね。
東周から漢代までずっと23mm程度で安定しているみたいですね。

説文解字の咫にある周尺としての一寸も23mmで、全然問題ないでしょう。
それで説文解字が整合的に読めるんですから。
0063日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:34:40.07
898 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:05:23.66

返答が遅いので、書いちゃいましたよ。
一尺23cmの一寸は、23mmですね。つまり東周での一寸は、23mmですね。
説文の丈の解説とも整合的ですね。
0064日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:35:21.43
887 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 19:56:44.57

どうも東周銅尺という23.1cmの銅尺が南京の博物館にあるらしいですね。
畿内説の方、これは、一体何寸ですか???

東周銅尺傳河南洛陽金村出土,全長23.1厘米

↑これで検索すれば出てくると思いますよ。
0065日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:36:59.80
937 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:36:38.49

おっと訂正。

丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

両方許慎の(観念的な)認識ですよ。
うまく満たせるのは、一寸23mmだけ。
0066日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:38:28.76
寸が23mm固定なら、

>周制以八寸為尺
周は八寸=18.4センチ=周尺

>十尺為丈
周は十尺=丈とした。周がしたのだから、十周尺=184センチ=丈

>人長八尺、故曰丈夫。
成人男性の身長は、辞典の時代の漢尺=23センチで、
八尺=23×8=184センチ=十周尺=周丈

だから丈。ってことかな。
わかりにく。
0067日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:39:16.65
>>961
ああ、成る程。

>人長八尺、故曰丈夫。

一般男性の身長は、八尺=147.2センチだから、
身長が1丈=184センチの大男が、丈夫、大丈夫、なわけね。

全部周の寸尺丈で統一して説明できてるんだ。
0068日本@名無史さん垢版2018/06/11(月) 23:57:30.26
943 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:49:00.35

>>940
「東周銅尺」で検索しましたか?
側面に十寸が刻まれています。

>>955
周代の尺が八寸なら、
東周銅尺はなんで8刻みじゃなくて10刻みなの?

>>957
だから周尺は咫であって漢尺八寸長なんだってばよ。


咫=八寸
尺=十寸

歩=八尺
丈=十尺

円周率ですなあ。
0069日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 00:01:57.86
西周時代には八寸=一咫=尺
東周時代にはすでにほぼ漢尺長と一致する尺の出土があってることから

周の時代は 尺長が混乱したと言う裏付けであろう。

あるいは説文解字のように
周の時代は尺と咫があり
古の周=西周の尺は東周の八尺だったという見解に落ち着くか
0070日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 00:03:00.70
>>69
訂正

西周時代には八寸=一咫=尺
東周時代にはすでにほぼ漢尺長と一致する尺の出土があってることから

周の時代は 尺長が混乱したと言う裏付けであろう。

あるいは説文解字のように
周の時代は尺と咫があり
古の周=西周の尺は東周の八寸だったという見解に落ち着くか
0071日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 00:06:27.68
そうか、夏から説文解字に至るまで
実寸長の長さの変遷はたしかにあった。事実として。
それを認めたとしても、
説文解字の時点では統一的な寸長=23mm
で著者は解釈しなおして内容を記述したと言うことかな。
0072日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 06:39:57.52
説文解字に
>周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。
とあって、
説文解字注は
>是可證周未嘗八寸爲尺矣。
と結論づけているから、
尺=十寸=約23センチで統一されていたのでしょう。

東周銅尺=23.1センチで10寸刻みですし、
その他の出土した銅尺も魏代までずっと約23センチですから、
考古学的に裏付けが取れています。

説文解字の後漢代には資料が少なく、
「周尺=咫」と「周代の尺」との区別がつけられなかったのでしょうね。
説文解字注の清代には資料が増えたので、
それをずらっと列記した上で、
咫=周尺であって、周代の尺とは別と結論づけて、
>是可證周未嘗八寸爲尺矣。
になったのでしょう。

つまり、咫=周尺とは、周代に作られた、円周長換算のための尺ですね。

ちなみに殷の時は、十二寸 vs 通常の尺=十寸
周から漢までは、通常の尺=十寸 vs 咫=周尺=八寸
隋唐は、大尺 vs 小尺(漢代までの尺) (約1.2対1.0)
また、丈=十咫 vs 歩=八咫
と、ずっと円周長換算用の比率が使われていたのですね。
0073日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 06:43:43.56
東周の尺は漢の尺とまったく同じなんだから
「周尺也」なんて言うわけないね
西周尺の八寸が咫だよ
0074日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 06:50:53.03
周尺という単語が、咫=八寸なわけですよ。
周代の尺=十寸ではなくて。

周代の尺=十寸 漢代まで一緒
周代の周尺=咫=八寸 漢代まで一緒
0075日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 07:10:03.63
>>74

また夢みてんの?
説文は「中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也 」 だよ
根拠の史料を無視してまで
咫が18.5cmだと決め付けるわけか
そんなに婦人の手が大きいわけないでしよ?

無駄ですね
平原からは八咫の鏡が出ていない
0076日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 08:19:06.20
古代の中国人は手が長いんだよ知らないの?
0077日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 08:28:39.36
『説文解字』夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。
0078本スレより転載垢版2018/06/12(火) 08:29:44.09
>>991
>人の身長は八尺で、丈=10尺じゃない
>十尺の丈と、八尺の夫を合わせて「丈夫」という訳だ
>この関係が
>十寸の尺と、八寸の咫を合わせて「咫尺」というのと対応している

ここはおかしい
夫は八尺を示す単位じゃない

周制八寸爲尺。十尺爲丈。「人長八尺。」故曰丈夫。

周制、八寸を尺と爲し、十尺を丈と爲す
人長八尺 故に丈夫と曰う

身長 が(漢尺で)八尺(八十寸)の人を、丈夫という だな
0079本スレより転載垢版2018/06/12(火) 08:34:26.00
>>77
>>78
夫の説明は、从大、一以象簪也。
なので長さを表すものではなさそうです。

从大は 大という部首に属するって意味合いかな。
0080日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 08:41:47.33
どのみち説文に咫を「中婦人手長八寸」とある以上
いくら平原の八咫の鏡とか言っても
トンデモ説だよね
0081日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 09:37:58.31
>>80
その理屈は意味がわからない。
0082日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 11:54:14.03
>>81
平均的な女性の手が
18.5cmもあるわけないのだから
説文のいう咫が漢尺ではあり得ず
必然的に平原八葉鏡が八咫の鏡ではあり得ない
ってこと
0083日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 11:59:57.21
キナイコシは平原遺跡が2世紀だと言い張るので、鏡も2世紀ということになるのだろうが、周の単位を漢代に使うわけないだろ。
0084日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 12:05:06.40
>>83
だから平原の鏡は八咫の鏡ではない
0085日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 12:31:01.02
ひさしぶりに下手な自作自演をみた
0086日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 18:11:10.45
尺が男性の手の大きさであることに対応して、
咫は女性の手の大きさであることを由来としている。

尺が23センチあって、平均的な男性の手よりはるかに大きいのだから、
咫が18センチだから、平均的な女性の手より大きいから使えないという
理由にはならない。

これを何度も指摘されても無視して馬鹿話を繰り返すキナイコシ
=@阿波
0087日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 18:40:28.21
>>17
>周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造
>
>古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
>周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
>今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている

改めて検討すると
古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
つまり古周尺=今周尺八寸
ここで今周尺が昨日の東周尺とするとそれは漢尺に等しいわけだから
古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸となり、めでたく
=咫となるわけだ。

わかってみればコロンブスの卵。
0088日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:04:15.29
なるほど。
つまり、周尺=咫であって、
尺というのは銅尺で証明されるように、周代〜漢代まで変わらなかったわけですね。

中国語で表すなら、
尺=漢代的尺=周代的尺=十寸は不変

周尺というのは咫の別名であって、
国名の周とは無関係。

まさに円周長のために存在した円周尺ということですな。
0089日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:12:11.74
微妙にお二方の言い分がずれている気がする。
まあ、平原遺跡の超大型内行花文鏡が八咫の鏡であることはいずれにしても確かなようではあるが。
0090日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:14:20.38
>>88

基準の八割という関係が有用だからでしょうね
のちに正確になって丸目角目になったのかな?

>>9
さんが上げていることは数学的な事実から導かれる自動的な値ですが、意識してデザインしてるなら美しいですね〜。
0091日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:19:13.91
八咫の鏡を作り上げた時の設計者のドヤ顔が想像できるかのようだ。
この上ない完璧な鏡だね。
これが天皇家の神宝になったわけだ。
0092日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:26:21.30
<周〜漢>
尺=十寸、咫=八寸
丈=十咫、歩=八咫
<隋〜唐>
大尺 小尺 同じ比率

秦代には九九存在 八掛けで寸単位で円周長計算可能
漢代の数学者が円周率計算 咫尺法を理論的に確認していた

壱岐カラカミ遺跡出土 瓦質土器に「周」の文字
万葉集には九九存在
平城京出土木簡に九九記載、八の桁あり

昔の九九は九九 八十一からスタート
八の桁が重要だったから
009387垢版2018/06/12(火) 19:53:34.15
>>89
私は

西周
尺=十寸(=後の咫=約18cm)
東周以降
尺=十寸=約23cm

だったのではないか?と思ってます。
0094日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 20:08:21.37
>>93
考古学的に裏付けられますね。

>伝安陽出土「商骨尺」16.95cm(殷代)

尺は少しずつ大きくなりますが、
大きな変化がある時は、10対8、約1.2倍で確変しますね。

西周→東周
漢魏→隋唐
0095日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 22:39:59.22
>尺は少しずつ大きくなりますが、

円周率は3.14だからね。

咫尺だと計算は簡単だけど、円周率=3.2だから
円周長はわずかに長くなる。

古代ならそんなに小さなものは作る技術が無いから問題ないけど、
時代が下るにつれて技術力が向上して精度が上がり、
3.14に向けて合わせようとする=尺がちょっとずつ大きくなる
0096日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 06:26:08.96
一通り読みました。

この結果をだれか糸島市にお知らせしませんか?(笑
平原の大型内行花文鏡は八咫の鏡だった!って

今さら何を当然な?なのか
何言ってんだこいつ?になるのか気になる。
0098日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:09:30.18
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

(1)中婦人手長=八寸=咫=周の基準長
(2)中婦人手長=周尺x八寸=咫=周の尺度の一つである

二つの解釈があり得ると思います。

(1)の場合は咫=約18cm=周尺
(2)の場合は咫=約14.5cm、周尺=約18cm

(2)の場合が婦人の手長の実長に合うと思います。
どちらの場合も周代の基準長である尺は同じ長さになりますね。
0099日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:18:55.53
一方で
>>87
古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸
からも古周尺が約18cmであることは間違いないように思います。今周尺である東周尺の現物があるからです。
0100日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:32:10.40
丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈

周制、八寸を尺と爲し、十尺を丈と爲す
人長八尺 故に丈夫と曰う
>>78
身長 が(漢尺で)八尺(八十寸)の人を、丈夫という だな

十尺を丈としたのに八尺の人を丈夫と呼ぶのはおかしいので、
この十尺と八尺は違う基準長の尺になります。
前段の「周制、八寸を尺と爲し」の八寸は漢尺の八寸を意味することがわかります。

つまり、説文解字注の八寸は漢尺=今周尺を前提にした寸長である。
0101日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:42:30.90
>>99
ではもどって
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

この八寸の解釈が(1)(2)どちらになるのか?
(1)に思えますが、実長と乖離していることも尊重すると(1)(2)どちらにも決めきれないのではないでしょうか。
0102日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 08:04:58.96
ただし、重要な指摘がありますね。
>>37

>周代だと、咫=八寸を満たしたとしても、
>咫<周尺になってしまいます。
>逆に隋唐以降だと、咫=八寸だと、咫>周尺ですね。
>
>ということは、咫が長さの単位として使われたのは、
>漢代ということになります。

(2)のように解釈したとしても
(1)が導かれることになるのです。

咫は絶対値としての固定長なのか
8割を意味する相対関係を言ったものなのか?

10対8の不思議な関係が隋唐代の大尺小尺にまで至っていることを考えると、
周の時代は(2)であったとしても
漢代には(1)になっていた、少なくともそう思われていた可能性の方が高いように思います。

ということは漢の時代の咫とはやはり周尺18cmを意味するのでしょう。
0103日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 15:27:42.70
8割という換算率だけがつたえられていて、
後漢代の説文解字の時点で、周代の事実はわからない状態になっていた、伝聞情報だったんでしょう

あいにく、古代尺の中で西周時代の尺は出土していないようです。

商の牙尺 15.78cm 中国歴史博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の骨尺  16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)
東周銅尺  23.09cm 南京大歴史系文物室
戦国骨尺 21.94cm 中国歴史博物館収蔵
戦国骨尺  23.05cm 中国歴史博物館収蔵
戦国銅尺 22.52cm 中国歴史博物館収蔵
秦の木尺  24.00cm 甘蕭省文物考古学研所蔵 
殷の骨尺 15.77cm 黒川古文化研所蔵
商野骨尺  16.79cm(旧蔵)南京博物館
0104日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 21:03:31.02
【説文解字】尺
尺,十寸也。
人手卻十分動脈爲寸口。十寸爲尺。
尺,所以指尺規事也。从尸,从乙。乙,所識也。
周制,寸、尺、咫、尋、常、仞諸度量,皆以 人之體爲法。凡尺之屬皆从尺。
0105日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 21:07:38.49
【説文解字】寸
十分也。
人手卻一寸、動𧖴、謂之寸口。从又从一。
凡寸之屬皆从寸。
0108日本@名無史さん垢版2018/06/15(金) 07:13:07.88
>>149
?まだわからん

事実と考察が(説文解字中の)違うということ?

周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺

とあって
尺八寸にしていた時代があったかのように読めるが、事実は違って

是可證周未嘗八寸爲尺矣

西周時代東周時代含めて尺八寸だったことはなく、東周時代の戦国春秋期に一時期尺八寸だったことがある

と、いうこと?
0110伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:29:46.93
>>91
なんか勘違いしてるようだけど
1) 古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
つまり古周尺=今周尺八寸
2) 今周尺=東周尺=漢尺(東周銅尺より)

1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

という代数操作で導かれた値だから
2)は否定できないから、1)の代案となる解釈を出さない限りなに言っても説得力ないよ。
0111伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:30:43.98
>>109の続き

問題は「歩」の長さをどれくらいの長さとすればよいかが、よい典拠がないこと
wikipediaの「歩 (尺貫法)」に従えば、
周代 歩=1.35メートル
漢代 歩=1.38メートル

これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    21.1cm      16.9cm
1.38m    21.6cm      17.3cm

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    16.9cm      16.9cm
1.38m    17.3cm      17.3cm

>1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

こうはならないのは理解できたかな?

それから、歩=六尺四寸に関して、新井宏氏が、論文をかいてるのを見つけた
「『考工記』の尺度について 新井宏」
arai-hist.jp/thesis/archeaology/metrology/koukouki.doc

これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で、その原因は
篆字の四と六が似ているからと考えられるそうだ
四 http://www.shuowen.org/view/9671 の��
六 http://www.shuowen.org/view/9679
0112伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:34:22.11
>>110
>これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で

それは昔からある通説だ
周尺は漢尺で9寸相当になる
0113伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:39:43.50
>>110
改めてじっと考えてみたよ

>これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
>1.35m    21.1cm      16.9cm

この値に非常に魅力を感じる
16.95cmって尺が出土してたよね?

私の仮定は 今周尺 が 東周銅尺 = 漢尺だった
そうではなくて今周尺 ≠ 漢尺 だったということだね?
古周尺八尺=今周尺六尺四寸

周尺六尺六寸=漢尺六寸から計算すると
1.38mから21.1cmになる
古周尺八尺=今周尺六尺四寸を一歩とすると1.35mにちゃんとなるね。

たぶん、六尺四寸の記載で正しいと思うよ
もし古周尺八尺=六尺と書かずに敢えて周尺六尺四寸と書いたんだねきっと。

これ冒頭の16.9cmの尺があるという考古学的事実と整合するものだから、この論証は極めて妥当なものだと認めます。
0114伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:41:01.51
尺換算式
周尺六尺六寸=漢尺六尺=漢1歩=1.38m(漢尺23cm)
ここから周尺=10/11漢尺=21.1cm

また
古周尺八尺=周尺六尺四寸より
古周尺=周尺八寸=21.1cmx8/10=16.9cm

約17cmって婦人の手かな?ちかいけど。

絶対値としての咫は8/11x漢尺=16.9cmだった。
0115伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:41:48.28
推定値としてはこんなのがあるみたいだね

《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1   155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0   154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3   157.3 16.9
A.D.1979___________170.3 18.5   159.0 17.1
0116伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:43:35.38
本当に九州説のコミュ症って言葉が大好きなやつは、
まともに漢文も日本語も読めないんだな

説文の問題の部分は
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
 然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」

周制では、八寸を尺として、十尺を丈としていた
(十寸を尺とすれば)平均的な人(男子)の高さ(身長)は八尺である
ゆえに丈夫という
然れども即ち両腕を伸ばした長さが一尋であり、周代の丈である

まず第一、
これまで見てきたように、八寸を尺とする見方だと、歩=八尺で
周尺(古)=16.9センチ 十周尺(古)=一周丈=169センチ
そして、漢代の成人の推定平均身長が168.8センチでぴったり

十寸を尺とする見方だと歩=六尺四寸で
周尺(今)=21.1センチ 八周尺(今)=人長=168.8

数値はばっちりあってるよ

丈夫が大男を意味しないことは>>15を参照
0117伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:44:07.72
>>272
どうも
説文解字の今の時点が明瞭でないせいで
注を入れる人も混乱した書き方になったようだ。

いちおう、1丈=168センチ程度でいいのでは。
色々辻褄が合ってるしな。

古の周尺八寸は多分
古の周尺と呼んだら間違いで
昔々の尺=商尺は、
周尺の八寸長が基準長だったを意味するのかな。

よく考えたら王朝としては殷の次が周で
殷人の遺民が周王朝時代は商にいたわけだから
商尺とみなしてもいいのかもしれないね。
0118伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:44:56.52
>>279
>東周の銅尺が10寸だったろ?

>>202のおかげで東周銅尺の素性が分かったけれど、
「戦国時代後半から秦代」にかけての年代と推定される金村古墓出土(盗掘)と
されているもののようだ
そして、その位置(漢魏洛陽城址の宮城北側)から戦国時代の韓(かん)の
墳墓と考えられている
その地は後に秦に併合される

そして、秦の中華統一前の大良造(役人)商鞅は、秦の国力を高めるために
商鞅変法を実施し、その中に始皇帝の度量衡統一につながる秦国内の
度量衡標準化を行っている
その基準となるのが標準量器の商鞅銅方升で、現存している
その銅方升から推定される尺23.2センチが、秦漢尺の基準

東周銅尺は、周代の尺ではあるけれど、周朝の尺ではなく、
「後に秦漢尺となる長さ」を示す遺物だと考えればよいと思う
0119伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:49:47.29
"咫"とは何か?

基本
咫=8寸なんだよね?
尺=10寸なんでしょ?

つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

当時は、漢尺を日本では使用していた可能性が高いし

平原鏡は国産だよね?
可能性はあり、だと思うよ

後、咫は「中婦人手長八寸」であれば、

どんな基準で測るかわからないけど、私は尺みたいに親指から中指で長さを測る前提で、精一杯広げると18センチぐらいだったよ

中国の昔の人は大きかったらしいから、18.5センチもありえそうだな〜、と思ったけどね
0120伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:50:21.26
>>123
>つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

その「否定できない」が、「きっとそうだ」「そうに決まってる」に
脳内変換されるのがおかしいってことだよ

「咫」が当時、大陸での使用例が一切ない
その状況で「咫」が伝わること、さらに「尺の8割という概念」が伝わることの
妥当性、蓋然性が、著しく低い、ということを言っている訳だ

可能性は0ではないかもしれんが、それをもとに何かを言うのは無意味、
というレベルだよ

ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
熱力学的な分子運動の揺らぎで、いきなりコップの中の水の一部が
沸騰する可能性はゼロではない
0121伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:51:13.00
>>128
中国では使用された例(文献)はなくても、
実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

その日本の「咫」とは何なのか?が問題点。

「咫」が"8寸"の可能性が一番高いのは言うまでもない

平原鏡制作当時は漢尺を使用していた可能性が高い

可能性としてはそこまで低くはないと思うけど

長さではないならば、「咫」とは何だったのか?が問題になるが…
0122伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:51:56.34
>>141
>実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

それがいつ使われるようになったのか?という視点が抜け落ちてる
文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

8世紀の文献で、3世紀の器物の名称を推定するというのはいかにも乱暴

記紀を書くために、多くの漢籍を参照しているのはよく知られている
その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い
0123伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:52:35.13
>>146
>文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

でも実際に鏡が出ているし。
で、畿内説は平原遺跡は2世紀末との主張はどうしたの?
卑弥呼の時代であることは認めるんだw
纒向も葛城も卑弥呼と同じ時代だけど、平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw

>その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い

あなたの主観的な判断で、根拠はないですね。
0124日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 08:53:20.24
>>116
その説明自体が後付けだろう。
0125伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:53:35.03
>>143
いやいや、
つまり中国では
咫=8寸
だったのは確定なんでしょ?

だったら日本でも"咫=8寸"と考えられていた、とするのは当然の推測だと思うが?

ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね
咫八鏡の可能性が他の鏡より高い、程度ではあるがな

"咫"の意味の候補が他にあるのなら別だが、今の所これだけみたいだし
0128伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 09:34:25.18
>>110-118をまとめると、

1) 古周尺八尺=周尺六尺四寸
2) 周尺六尺六寸=漢尺六尺=漢歩1.38m
3) これより周尺21.1cm
4) 古周尺16.9cm=咫
考古遺物の商尺と、婦人の手データが4)を裏付ける
5) また丈夫の解釈も穏当に整合する

これにより、周代の度量衡のうちの咫の絶対値は16.9cmが最有力とみなして良いでしょう。

ただし、
>>119-125をまとめると「鏡の製作されたであろう漢代に咫はどう思われていたか?」が次の焦点と言えるでしょう。

1) 中国文献に咫の用例がない
2) 公定尺に咫は含まれない

漢代には製作時に咫という名称を意識して作られたようには思われない
ただし、尺の8割が咫と呼んでいたことを知っている人のみがその資格がある、まとめはこんなところでしょうか

平原大型内行花文鏡八咫の鏡説は、新たな指摘により一気に 否定説が有力になったように感じます。
0129日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 09:41:00.42
漢代の人は1咫がいまの8寸だとは思わないだろう
だって彼は「1咫は女性の絵の大きさだ」って載ってる辞書を持ってるんだから
0131日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 09:51:21.19
【説文解字】
>尺,十寸也。 尺,所以指尺規事也。
>咫,中婦人手長八寸,謂之咫。

漢代の人は1咫が女性の手の大きさそのものだとは思わないだろう
だって彼は1尺も男性の親指から中指までの長さでないことを知ってるんだから
0132日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:05:26.75
漢代にどう思われていたかって、漢代の辞典に1咫=8寸と明記されてる。

>左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
>列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

春秋左氏伝でも咫尺は並列して使われており、二尺とは言わない。
諸先生方はみんな、長さの尺度として咫があると言っており、二尺とは言わない。
周以来、未だかつて尺=8寸だったことはない。

でもって、出土した銅尺から、東周から漢代までは1尺=約23センチで一定。
しかも10寸刻み。考古学的に確定。
0133日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:14:07.18
逆に言うとだ。

「咫は何センチですか」
と言う質問に対しては、
尺=10寸=約23センチなんだから(東周〜漢魏代まで考古学的に確定)、
咫=8寸=約18.4センチとしか答えようがないわけだ。
0135日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:18:21.50
>>133
「咫,中婦人手長八寸」なんだから
それはあり得ない
0136日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:19:00.93
>出土した銅尺から、東周から漢代までは1尺=約23センチで一定。
>しかも10寸刻み。考古学的に確定。

さらに、西周の尺が東周時代と違うという証拠はあるかな?

そして、西周だと漢代から500年以上前になるが、
漢代の辞典が周と言った場合に、
東周をすっとばして西周のことを指す可能性は非常に低くなる。
0137日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:20:18.12
>>135
尺が23センチで成立している以上、その反論は意味が無い。
0139日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:22:30.14
説文解字の著者は正しく理解できていたが、それを伝え聞いた人は、古への周代のことなので誤解した、ということですね〜。
0140日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:23:02.36
出土した銅尺によって、考古学的に周代の八寸=漢代の八寸だから。
0141日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:23:57.36
>>137
現代の尺と変わらないのに
「周尺なり」と書いたという
非常識な人がいたよ


w
0142日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:25:56.30
周の尺の八寸という絶対値ではなく
尺の8割を咫と呼ぶ相対値として理解した、といえばいいでしょうか〜。
0143日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:26:39.76
古代中国人にとって周代というのは周公の徳が天下を覆ってた時代のイメージなんだよ
諸侯が覇者だった時代ではない
0144日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:27:27.34
>>141
「円周長」用の尺なり

周尺≠周代的尺

周代的尺=漢代的尺=十寸
咫=周代的咫=漢代的咫=周代的周尺=漢代的周尺=八寸
0148日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:31:00.21
>>145
東周銅尺だけじゃなくて、
東周代の戦国時代に出土した何本もの銅尺=約23センチなのだが。
0149日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:31:17.82
「咫、中婦人手長八寸」を無視した伊都説はないな
文献無視だ
0150日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:32:24.18
>>149
尺もすでに身体尺の実測から乖離しているから、それは反論にならない。
0152日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:34:05.78
>>151
つまり周尺とは、周代の尺ではない。
漢代の尺と周代の尺は一緒なんだもの。


周尺=咫=円周長計算用の尺度
0154日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:36:47.82
>>153
そちらがね。

説文解字における周代が、西周代と言いたいのなら、
じゃあ漢代の一つ前の時代である東周代のことは
なんと表現されて区別されているのだ?
0155日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:38:31.12
漢代の一つ前は秦でしょ。
漢尺という言葉はなくて、普通は秦尺という。
周は漢から2つ前。
0157日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:43:42.49
>>154
儒家に存在を無視された秦代と同じ扱い
0158日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:52:01.46
>>148
今、注目してるのは漢代だろ
前漢になった時点で戦国時代の尺長ともう違うようになってるぞ。
0160日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 13:15:25.54
畿内説が主張するとおり平原遺跡が2世紀に作られたものなら、とうぜん漢尺で製作しただろうし、径はぴったり2尺だ。
0161日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 13:20:52.80
漢尺なら「八咫の鏡」じゃないよね
漢代にそんな単位は使われてない
0163日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:02:44.24
>>161
その根拠は?
0164日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:12:45.48
平原の鏡は
径2尺でもないし
周64寸でもない
0165いち垢版2018/06/17(日) 15:12:57.38
>>162

日本ではどうだったのか?
では、八咫とは?
0166日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:16:58.91
>>165
特大ってくらいの意味だろ
0167日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:56:04.85
>>166
特大って、どれくらい?
0168日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:58:13.75
現時点までに発見された最大の銅鏡が平原遺跡の超大型内行花文鏡だからな。
特大な「八咫鏡」とは平原遺跡の鏡を指すと考えても良さそうだ。
0169日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:00:02.46
>>167
八咫烏が大きいのと同じくらいだろ
0170日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:01:02.13
>>168
根拠はないな
他にもあるんだから
0171日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:08:53.78
咫が八寸なら、サルタヒコはウソついたピノキオだな
0172日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 08:13:00.02
>>144
>「円周長」用の尺なり

これが一番最初に否定されたんだが?
まあ説文解字の「周尺也」をこう誤読したのがそもそもの出発点なんだがな

咫で何かの円周長を計った例は、一切、一例たりともない
さらに言えば、円形物の大きさを円周長で示した(計った)例も、一例もない
0173日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 08:15:27.69
記録されるまでもない普通のことだったんだろうね。
0174日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:33:46.97
>>154
>なんと表現されて区別されているのだ?

六国時、だな
この時代は、変乱法度が多く、よく分からんと説文解字注に書いてある
0175日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:35:54.83
>>173
>記録されるまでもない普通のことだったんだろうね。

普通のことだったら、現実にもたくさん行われているだろうし、記録も残るだろ
でも現実には測らないし、測った記録もない
本当に、言い訳の仕方まで論理性が欠如している
0176日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:38:08.18
>>152
>周尺=咫=円周長計算用の尺度

円周長計算用と言っているうちは、間違いであることが確定

大体、「咫」は複数形で、二咫とか三咫とかの用例すらない
それでどうやって計算するのかってことだよ
0178日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 15:36:56.29
>>177

三省堂 大辞林

あた??【咫▼・尺▽】

上代の長さの単位。親指と中指とを広げた長さ。「八咫(やあた)」「七咫」などの形で助数詞的に用いる。 「其の鼻の長さ七−/日本書紀??神代下訓」

だって
0179日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 15:57:20.21
だから、大陸の「咫・シ」と日本の「咫・あた」は区別しないとね

>>176で言ってるのは、大陸の「咫・シ」
>>178で言ってるのは、日本の「咫・あた」
0180日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:35:50.61
【九州説】
直径=漢尺で二尺
円周長=漢尺で八咫
の世界最大の銅鏡=平原超大型内行花文鏡

畿内説はちがうちがうと見苦しく
わめくだけで
対案はなにも示せないようだ

>いつの時代の
>どの鏡が
>八咫鏡なのか?
0181日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:48:09.69
>>180
>円周長=漢尺で八咫

漢尺の体系に咫はない
咫を複数形で使う用法は大陸の「咫・シ」にはない
円周長を測った事例はない

これらは事実

対案も何も、「平原1号墓出土鏡は八咫の鏡」というのは
意味のある案じゃなくてただの思いつき
0183日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:58:02.85
>>181
対案を出せよ。
八咫鏡というのはじゃあなんなんだ?
「ただの大きい鏡」を日本人は千年以上も崇めてきたというのか?
0184日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:09:41.13
ただの大きい鏡と主張しても
平原のが世界最大という現実
0185日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:14:06.09
日本独自の単位だから日本の辞書の定義に従わないとな
0187日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:24:14.20
>>184
もともと王権の証であった内行花文鏡を内製して世界最大にまでして、それを伝世の品として三種の神器に取り入れたんだね。
そしてその時期はもともとの内行花文鏡の供給元であった漢が滅びた直後、卑弥呼に時代なわけだ。
倭国王卑弥呼がどこにいたのか、その墓がどれであるのか、わかったも同然なんだけど。
0189日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:36:57.81
おかしな主張にはおかしい、
わからないことはわからない、
と言うのが学問的に真っ当な姿勢
対案だせ?バカじゃねーの
いや、バカだな
0190日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:49:35.62
まっとうな主張にはおかしな反論、
対案を聞かれるとわからない、
あげくの果てに学問的に真っ当な姿勢を持ち出して居直り強盗

対案をだせない?バカじゃねーの
いや、バカだな
0192日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:58:53.45
>>1で完結

 糸冬

なのだが。

それだとあんまりだから、
畿内説の対案を聞きたいと思っている。
0193日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 10:22:07.35
>>187
>もともと王権の証であった内行花文鏡

これがそもそも、きちんと論証されていない根拠レスの言い分に過ぎない
王位と関係ないところでも、普通に内向花文鏡が出ているんですが?
0194日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 10:24:31.90
>>183
>「ただの大きい鏡」を日本人は千年以上も崇めてきたというのか?

「ただの大きい鏡」ではなく、天皇の権威とともにある鏡だから、
千年以上崇めてきたんだよ

平原1号墓の鏡は、作ってすぐにばらばらに破鏡されて、壷に入れるでもなく、
墳丘にバラ撒かれていて、まったく崇められていなかったけれどね
0195日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 12:55:30.97
>>193
>王位と関係ないところでも、普通に内向花文鏡が出ているんですが?

どこ?
0196日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 13:45:54.01
>>195
>どこ?

下池山古墳 120メートル
柳本大塚古墳 94メートル
から、大型内行花紋鏡が出ているけれど、被葬者は倭王だとは誰も考えていない

籠神社には、伝世鏡の内向花文鏡があるけれど、籠神社に倭王がいたという説はない

他にも、小さな弥生時代の墳墓からも内向花文鏡が出土しているけれど、もちろん
そんなところに倭王墓はない
0197日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 16:01:41.92
>>196
>から、大型内行花紋鏡が出ているけれど、被葬者は倭王だとは誰も考えていない

考えない方がおかしい。

>籠神社には、伝世鏡の内向花文鏡があるけれど、籠神社に倭王がいたという説はない

籠神社の神鏡は天照大神の孫の饒速日の十種の神宝の鏡と言われている。
饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。
0198日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 17:33:56.60
>>197
>饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。

先代旧事本紀に、倭王を任命する、称号を与えるでもいいけど、それだけの権威は
ないんだが?

物部氏系の私家版の歴史書だぞ?
自らの伝承の始祖を精一杯持ち上げるのは当然だろ?

そして、ニギハヤヒは神武の臣下に下っていると、先代旧事本紀にも
書かれているんだから、それ以降は子孫も含めて、倭王にはかすりもしてないだろ?
0199日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 17:34:10.05
>>197
>饒速日は先代旧事本紀で天照国照の称号が与えららており、倭王であったと考えられる。

そりゃあなたの心の中ではそうだろう、
しかし倭王とは中華世界の冊封関係でしか成り立たない概念だよ。列島の王(の1人)だったは言っていいが、倭王であったとはいえないね。

ニギハヤヒは何世紀の人物なんだい?
0200日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 17:37:50.23
>>197
>考えない方がおかしい。

倭王を安売りしすぎww
そのクラスの小さな古墳まで倭王だとしていたら、倭王が何百人もいる事態になるぞ
歴代で数えても、そんな人数は日本の歴史に収まらないww

大王墓候補の大きさを、築造順に並べておくと
始まりの大王墓、箸中山古墳がいきなり280メートルもあって、その後の大王墓候補も
西殿塚(230m)→外山茶臼山(207m)→メスリ山(224m)→行燈山(242m)
→渋谷向山(300m)→五社神(267m)→宝来山(227m)→佐紀陵山(207m)
→佐紀石塚山(220m)→津堂城山(208m)→仲津山(290m)→百舌鳥陵山(365m)
→誉田御廟山(425m)→大仙(486m)→土師ニサンザイ(290m)→岡ミサンザイ(245m)

外山(桜井)茶臼山とメスリ山は、大王墓とは認めない人も多く、オオビコの系譜に連なるものと考える人も多い

これと、
下池山古墳 120メートル
柳本大塚古墳 94メートル
を比べてもしょうがないだろ?

つまり、内向花文鏡があるから王墓だっていうのは、根拠にならないんだよw
0201日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 17:55:03.81
>>199
>しかし倭王とは中華世界の冊封関係でしか成り立たない概念だよ。列島の王(の1人)だったは言っていいが、倭王であったとはいえないね。
>ニギハヤヒは何世紀の人物なんだい?

饒速日の次の倭王は邇邇芸。
これは当時よくあった兄弟相続だね。
邇邇芸が降臨したのが筑紫の日向、のちの伊都国なので、当時の表記でいうと倭奴国、後漢代だね。
そこから日向三代の後に倭国大乱だ。
0202日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 18:03:49.85
>>201
なぜならば、どのようにと、説明がないと単なる妄想だよ。
0203日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 18:06:35.53
>>198
>物部氏系の私家版の歴史書だぞ?
>自らの伝承の始祖を精一杯持ち上げるのは当然だろ?

逆に、なぜ物部氏が強大な権力を持っていたかがわかる。
倭王の直系だったからだよ。
ただし、邇邇芸に兄弟相続したから、家督は末弟の子孫が受け継ぐんだよ。
これは中央アジアや西アジアでも見られる相続形式だ。
0204日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 18:11:44.97
>>200
>倭王を安売りしすぎww
>そのクラスの小さな古墳まで倭王だとしていたら、倭王が何百人もいる事態になるぞ

鴨王や事代主まで倭王だと言い張る畿内説がよく言うよ。
彼らが漢から冊封されたとは考えられないからね。

それと、内行花文鏡を持っているから倭王なのではなく、倭国王家の一員としての内行花文鏡だよ。
大彦だって皇族なのだから、内行花文鏡を持っていてもいい。
ただ、内行花文鏡の中にも序列があるわけだ。
そうでないと皇位争いになってしまうからね。
0205日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 18:14:36.67
>>202
後漢代の倭王(冊封された)が博多湾沿岸、筑紫にいたことは畿内説も認めるんだろ?
だったら記紀と後漢書や魏志倭人伝は年代さえ修正すれば矛盾しない内容なんだよ。
筑紫こそ倭国の中心であり、倭王がいたと。
0206日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 18:18:18.03
大彦は出雲族だから鏡じゃなくて銅鐸だよ。
0207日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:09:00.77
今さらだけど、>>24のこの部分、解釈が間違ってるよ

>・咫は長さの単位だと全ての学者が認めている(列子皆言 其長尺有咫)

説文解字注の原文は
國語、列子皆言其長尺有咫。

ここでいう、『國語』は21巻から成る国別の春秋時代史で、
『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている書
同様に、『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献

国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある

列子皆言は「全ての学者が認めている」ではなくて、

国語でも列氏でも皆(複数の記述箇所の全てで)という意味だよ
0208日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:11:18.86
>>203
>逆に、なぜ物部氏が強大な権力を持っていたかがわかる。

そう思いたいのは>>203の勝手だけど、その強大な物部氏の権力は、
天皇の下でのものだから、当然に倭王じゃないよね?

倭王のシンボルについて語るときに、倭王じゃない例をいくら出されてもねw
0209日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:14:11.66
>>204
>鴨王や事代主まで倭王だと言い張る畿内説がよく言うよ。
>彼らが漢から冊封されたとは考えられないからね。

それ、畿内説のスタンダードじゃないからww
まあ、伊都国説も九州説の中でも異端の弱小勢力だけどなw

普通はもっと広い筑紫平野の方に持っていく説の方が人気がある
水行の起点を帯方郡まで巻き戻したり、邪馬台国七万戸を、北部九州全体に
重ねてダブルカウントするとか、伊都国説はインチキな無理が多すぎ
0210日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:15:30.30
>>204
>ただ、内行花文鏡の中にも序列があるわけだ。
>そうでないと皇位争いになってしまうからね。

そして、誰も認めていない鏡の序列を、伊都国説の人が勝手に決めるんですよね!
分かります!
0211日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:18:02.54
>>206
>大彦は出雲族だから鏡じゃなくて銅鐸だよ。

記紀の系譜では、開化天皇の兄で四道将軍の北陸担当なんだが?
皇族(天孫族)が出雲族(地祇系)ってのはどういう理屈だい?

北陸担当ってだけで、出雲族認定をするのかい?
0212日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:34:27.49
>>208
>そう思いたいのは>>203の勝手だけど、その強大な物部氏の権力は、
>天皇の下でのものだから、当然に倭王じゃないよね?

饒速日は倭王だけど、息子のウマシマジ以降は倭王ではない王族だろうね。
天津神の倭王の王位は筑紫の邇邇芸が継承したことになっているから。
神代の時代に別れた分家なので、物部氏は神別に分類される。
0213日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 19:35:11.41
>>210
>そして、誰も認めていない鏡の序列を、伊都国説の人が勝手に決めるんですよね!

鏡の大きさは、誰でもわかる明確な序列になりうるよ。
0214日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 20:16:16.99
>>213
>鏡の大きさは、誰でもわかる明確な序列になりうるよ。

平原1号墓の内行花文鏡は、割っちゃってるし、埋めちゃってるから、
その場にいた人以外には大きさが分からないんじゃないかな?

古墳時代には、その場にいた人はみんな死んでるだろうし

副葬して埋めたら、他の人には大きさが分からないのは古墳から
出土の鏡でも同じこと

他の内向花文鏡にしても、伝世してみんなで持ち寄って大きさを比べるとか
しなければ、大きさの序列は分からないんじゃない?

古墳の大きさの序列は、それこそ見れば分かるけど
0215日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 20:30:16.32
だから伊勢の神鏡は作り直しで小さくなったのかもね。
0216日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 20:41:09.07
>>215
だからこそ、凄い
惜しげもなくあれだけの鏡を副葬
凄いと思うよ

この地域の破砕鏡の意味合いが気になるよなぁ
0217日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 20:53:22.67
>>215
>だから伊勢の神鏡は作り直しで小さくなったのかもね。

伊勢の御神鏡が作り直されたっていう、根拠はあるのかな?
0218日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 21:08:27.76
大きさが八咫でなくなっているのであれば、どこかの時点で作り直されたとしか考えられない。
0220日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 21:29:38.91
>>218
>大きさが八咫でなくなっているのであれば、どこかの時点で作り直されたとしか考えられない。

元の大きさが八咫だという根拠が、最初からないので、却下だな
0221日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 21:31:34.00
新たに作り直された鏡の面径は恐らく
八寸 = 一咫

八咫鏡は咫(あた)の鏡

女王の手のひらに
太陽を納める意味を込めて作られた
内行花文鏡
0222日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 21:39:33.46
明日は夏至

八咫鏡が御鎮座される伊勢志摩では
夫婦岩の間から太陽が昇り

大型内行花文鏡が出土した伊都志摩では
夫婦岩の間に太陽が沈む
0225日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 11:01:20.05
>>223
>三雲南小路遺跡・平原遺跡・可也山・芥屋大門は夏至の日没線に並ぶ

>何か意味がありそうだが
>ただの偶然かもしれない

確認した。確かにそうなるね。
ただ、三雲南小路遺跡より、井原鑓溝遺跡と起点にした方が、直線性がよくなる
まあ起点は三雲遺跡群、ってことでいいんだと思うけれど

あと、芥屋大門は、偶然じゃないかな? 
伊都国からは可也山の向こうで見えないし

平原遺跡から日向峠がどうこう、っていうのより面白い
0227日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 15:21:28.13
>>225
確認ありがとうございます。

芥屋大門との関連は、
伊都国の祭祀と鏡の意味
当時の測量法
伊都国の範囲
当時の地形(特に鏡岩)
洞窟最深部の地中
が、分からないと何にも言えないですね。
0228日本@名無史さん垢版2018/06/21(木) 16:23:22.64
>>227
可也山と芥屋大門の2点を結ぶ直線が、夏至の夕暮れ方向っていうのは、
人間が住む前からそうだろうし、弥生人が設定できるものじゃないから、
偶然ってことでいいんじゃないかな?
0229日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 10:42:22.05
>>222>>223
伊都志摩のも実際に夫婦岩と呼ばれているの?

>>221
直径が八咫の鏡なんてほぼありえないから、
八咫が長さであれば円周長くらいしかないのですね。
0230日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 11:59:46.28
そもそも、順序が逆
大きな鏡が出土した        事実
八咫の鏡だと思った人がいた    ここで憶測が入る
八咫の鏡ならアマテラスだろう   これは連想ゲーム
アマテラスのモデルは卑弥呼    そういう仮説もあるという程度
大きな鏡が出土したから卑弥呼の墓 風が吹けば桶屋が儲かる

こんな程度の話なんだよ
0231日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 12:43:01.93
>>229
福岡屈指の観光名所ですよ
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/二見ヶ浦_(福岡県)

いつ頃からそう呼ばれ始めたかは分かりません
0232日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 13:25:25.41
>>229
直径が八咫の鏡なんてほぼありえないから、
咫ってのが長さであれば5cmくらいしかないのですね。
0233日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 13:32:09.49
>>1が事実だから反論になっていないw
0234日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 13:46:54.18
三重の伊勢が福岡の伊勢のコピーであることは明らかであり、それは八咫鏡繋がりであったことがわかる。
同じような地形を持つところに伊勢と名付けたのだろう。
0237日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 13:57:25.61
筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。
ますます伊勢は九州北部の倭国の末裔ですね。
そもそも九州北部の銅鏡文化を継承している時点で(ry
0238日本@名無史さん垢版2018/06/23(土) 15:06:57.31
>>231
おお、ありがとうございます。

伊都志摩と伊勢志摩ですか。
東西南北が反転していますが、共通点があって面白いですね。
0240日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 10:09:57.26
桜井神社は夫婦岩よりも西にあるし、桜井神社から夏至の夕日が夫婦岩に沈むのは見られないよ
というか、桜井神社は山の中だし
0241日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 10:25:52.91
>>236
>大分にも豊後二見ヶ浦

「豊後二見ヶ浦大しめ縄の張り替えは、『昭和44年』に始まり毎年12月中旬に行われています。」
注連縄を張るようになったのはになったのはずいぶん最近みたいだよ
0242日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 19:36:14.90
>>237
>筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。

昭和の時代の町おこしに見えるのだが?
0243日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 22:01:17.41
【倭国】

紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。
0244日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 22:17:56.91
>>242
豊後二見ヶ浦は昔からあった訳だししめ縄なんて大した問題じゃないでしょ
九州には岩が並んだ二見ヶ浦と呼ばれる場所が古来何か所もあったってこと。
0245日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 22:32:54.25
>>244
>九州には岩が並んだ二見ヶ浦と呼ばれる場所が古来何か所もあったってこと。

岩が並んだところは昔からあっただろうけれど、それが
二見ヶ浦と呼ばれていたのが「古来」であるとは認められないってこと

どこまで遡れるか、調べてみて
0246日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 22:36:40.38
糸島の二見ヶ浦も夏至の日の入りがとか言っているけれど、夫婦岩の正面からではなく、
夏至の日の入りが岩の間に落ちる斜めの場所から見たら、夫婦岩の間に沈むっていう
緩さだよ
0247日本@名無史さん垢版2018/06/24(日) 23:14:23.16
>>245
>二見ヶ浦と呼ばれていたのが「古来」であるとは認められないってこと

あれもこれも信用したくない病気?
呼びかななんてどうでもいい。
伊勢の信仰が八咫鏡も含めて九州北部からの伝来であるということ。
0249日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 06:26:20.10
嘘つき政権による捏造歴史
0251日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 06:44:57.80
>>247
考古学的にも正しいですね。
0252日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 06:50:07.96
そう言ってる考古学者のいない「考古学的にも正しいですねが口癖の人ってだ〜れ?
0253日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 07:27:40.24
畿内説は考古学を無視した捏造だろ。
桃の種で邪馬台国だなどと、笑わせるなよ。
0255日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 09:02:44.26
二見ヶ浦だけでなく三種の神器なども九州から畿内へ文化は伝わったんだよ。
0256日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 09:13:21.23
博多の住吉神社が大阪の住吉大社へなど
伊勢神社、八幡神社、天満宮も九州から
九州は神の国であり日本の誕生の地。
0257日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 13:34:19.76
記紀にあるそのままだし、倭国の弥生王墓は数百年間も福岡にしか作られなかった。
そもそも弥生の稲作の伝来も福岡だし。
弥生時代とは倭国の創成期であり、その中心は福岡。
稲作の伝播と並行して、九州倭国が東に拡大した。
0259日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 14:37:47.49
>>256
それを裏付けられる文献なり、考古学的遺物なりがあればいいけれど、
それがなければ、ただの妄想・捏造に過ぎないよ?

で、根拠あるいは典拠は?

こう訊くと、一切答えないんだよな、九州説の人はさw
0260日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 15:43:15.64
>>259
反論になってないよ?
0261日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 18:00:02.05
>>260
>反論になってないよ?

昭和以降の記録しかなく、有史以前から二見ヶ浦と呼ばれていたと考えるべき論拠・論証を
完全に欠いている

現時点では、単なる思い付き以上のものではなく、これを前提として立論は無意味

これでいいかい?

ということで、「根拠あるいは典拠は? 」

こう訊くと、一切答えないんだよな、九州説の人はさw
0262日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 18:30:29.06
「根拠は?」

◯◯の一つ覚えだな。
自分では何一つ証明できないくせに。
0263日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 18:42:15.68
>>262
>「根拠は?」

>◯◯の一つ覚えだな。
>自分では何一つ証明できないくせに。

いや?

平原1号墓出土鏡は八咫鏡ではないって、説文解字注の全解釈をつけて、
具体的に論証したよ?

で、結局、九州の二見ヶ浦が伊勢の二見ヶ浦よりも古いっていう根拠は
「一切出せずに逃げる」んだね?

明らかに、伊勢の二見ヶ浦にあやかった、町おこし、村おこしでしょ?
九州のやつは

糸島のは、江戸時代初期に遡れるみたいだけど、その桜井大神宮の御由緒で
「櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が櫻井神社創建前の
 寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、光寿山(こうじゅさん)へ
 神明造り茅葺の社殿を造営し、伊勢神宮の祀官橋本氏により、
 伊勢神宮の内宮・外宮の両宮のご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いたことが
 ご創祀であります。」と、伊勢の方が先だと明記されている
0264日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 18:46:42.30
>>263
>明らかに、伊勢の二見ヶ浦にあやかった、町おこし、村おこしでしょ?

うわ、ブーメランw
0266日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 20:25:41.40
>>265
根拠は?
0267日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 21:02:53.80
>>266
九州の二見ヶ浦が伊勢の二見ヶ浦よりも古いっていう根拠を
「一切出せずに逃げ」たので
0268日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 21:09:13.50
>>266
>根拠は?

>>263

九州の二見ヶ浦のうち、一番古くからある糸島のものですら、
江戸初期に「伊勢神宮の内宮・外宮の両宮のご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いた」と
神社の由緒がはっきり書いてあるんだから、伊勢の方が先にあって、
そこから御分霊を頂いた以外の何者でもないだろう
0269日本@名無史さん垢版2018/06/25(月) 21:10:31.95
すぐ上に根拠が書いてあるのにww
それを無視して「根拠は?」ってw
言えばいいってもんじゃないし、
九州説と違って「根拠が書けずに逃げる」ようなことにはならないよw
0270日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 06:23:40.76
論証になっていない
結論ありきの独釈を連打して
論証したよと主張されてもなあ
0271日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 06:25:09.10
夫婦岩にしても
神社そのものの縁起とは別の話だし。

平城京跡も観光地として再開発されてるけど、
1000年以上土に埋もれて忘れ去られていたのを、
現代人が再発見して上書きしているわけだし。
0273日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 06:38:12.26
>>272
クソレス
0274日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 06:44:07.52
畿内説は議論に負けると根拠厨になるからわかりやすい敗北宣言だなw
0275日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 06:51:49.48
>>99
ゲンブツって、どこのナニ?
0276日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 07:01:00.54
今でも神社と二見ヶ浦は別もので関係してないな
関係ない神社の由緒が根拠って?
0277日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 07:05:10.02
>>274
お前、あたま狂ってるだろう

世間の常識じゃあな
自分の主張の根拠が答えられない奴を
議論に負けたというのだ
0278日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 07:14:58.49
糸厨「月にはウサギが住んでいるのだ。だから円高になる。」
世人「なんで? 根拠は?」
糸厨「根拠を聞いたなぁぁ。お前は議論に負けた。」
世人「ダメだこりゃ・・・」
0279日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 08:01:46.12
>>276
>今でも神社と二見ヶ浦は別もので関係してないな
>関係ない神社の由緒が根拠って?

ちゃんと調べなよ
糸島の夫婦岩は、桜井神社が注連縄を張ってるんだよ

神社が関係していないなら、それこそ信仰その他と関係ないただの観光スポットじゃん?

そんなのが伊勢の源流って言われても、矛盾が深くなるだけだって分からないのかな?
0280日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 08:05:31.01
>>270
>論証になっていない
>結論ありきの独釈を連打して

桜井神社の御由緒は、解釈を一切入れずに、そのまま引用してるんだが?

古く遡れる根拠がまったくないってのは理解できてるか?

>>270が根拠を求めてる体でいきってるけど、九州の二見ヶ浦が古いという根拠を
示さなきゃいけないのが、それを主張している九州説側だってことすらごまかしたいんだろうな

根拠は一切ない妄想なんだからw
0281日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 08:07:53.11
>>271
>平城京跡も観光地として再開発されてるけど、
>1000年以上土に埋もれて忘れ去られていたのを、
>現代人が再発見して上書きしているわけだし。

平城京にはそこに都があったことが記録でたどれるだろ?
九州の二見ヶ浦に、そういうきちんとあとづけられる記録があるなら
出してくれって言ってるんだが

ないのか? 残念!
0282日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 08:16:58.43
>>281
>平城京にはそこに都があったことが記録でたどれるだろ?

倭国が九州にあったことも記録でたどれるよね。
記紀に後漢書に魏志倭人伝。
都合が悪いから無視しているだけでしょ。
0283日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 08:38:11.92
>>279
桜井神社が夫婦岩を置いたのではない
夫婦岩は元々在ったの
夫婦岩の近くに桜井神社が出来たから
桜井神社が注連縄を張ってるだけ。
0284日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 09:09:02.68
糸島も豊後二見ヶ浦大しめ縄の張り替えと同じだな
廃れていたのを桜井神社が復活させたんだ
糸島には細石岩神社もあるし古くから巨岩信仰があったんだ。
0285日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 09:16:08.11
君が代の歌詞の大部分は福岡の地名だそうだ。
細石神社は漢委奴国王印を保管していたという神社のこと?
伊都国初代国王である天孫邇邇芸と王妃木花咲耶姫の墓である三雲南小路遺跡の祭殿。
0286日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 09:41:32.83
細石神社は天正15年(1587年)の豊臣秀吉の太閤検地により、神田没収に遭い衰退したとされてるから、もしかしたら夫婦岩も元は細石神社が祀っていたのかもしれないな。
0287日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 10:08:21.22
1世紀においては倭国の王宮だったかもな。
0288日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 11:46:04.93
>>283
>夫婦岩は元々在ったの
>夫婦岩の近くに桜井神社が出来たから
>桜井神社が注連縄を張ってるだけ。

海辺から程遠からぬところに、二つの岩があるところは、いくらでもあるんだよ
そこに信仰・祭祀がなければ、ただの岩

古くから岩があることは、何の意味もない
昔から松浦川は流れているけれど、それが信仰の対象になることはない

本当に議論のポイントが分かってないよな
「九州で古くから夫婦岩を信仰の対象にしてきた歴史」があって、
それが論証できて初めて、九州の文化が伊勢に伝えられたという仮説が意味を持つ

「九州で古くから夫婦岩を信仰の対象にしてきた歴史」がまったく、
史料も一切ない、ただの空論(空想?)だって言ってるんだよ
0289日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 11:48:21.28
>>283

>>276
>今でも神社と二見ヶ浦は別もので関係してないな
>関係ない神社の由緒が根拠って?

これは、適当に思い付きを書きましたって、認めるのかい?ww
手のひらクルックルだなw

まあ、もともとが思いつきにすぎない、ただの空想だからそんなもんか
0290日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 11:53:34.56
>>284
>糸島には細石岩神社もあるし

おいおい、細石神社は「怡土」、今問題にしている夫婦岩や桜井神社は「志摩」
今でこそ合併して糸島市になっているけれど、本来別の国、別の郡だよ

本当に、思いつきだけの適当さだよな
九州説の書き込みは全部そう

九州説の人間より、俺の方が詳しいってのはどういうことだよww
0291日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 11:55:00.50
>>284
>廃れていたのを桜井神社が復活させたんだ

「廃れる前」があったことを、まず論証しなさいっての!
それがなければ、ただの戯言w
0292日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 12:08:51.74
豊後二見ヶ浦の地名は、大分県佐伯市上浦大字『浅海井浦』みたいだね
二見ヶ浦は、歴史のない通称
観光スポットしての名前
0293日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 13:04:57.49
>>290
>今でこそ合併して糸島市になっているけれど、本来別の国、別の郡だよ

別と言ってもすぐ隣だし。
伊都国が倭国王都なら、その支配域は九州北部から日本海、瀬戸内海へと広がっていたわけだから、志摩なんて目と鼻の先のお膝元。
0296日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 14:24:54.92
>>293
>別と言ってもすぐ隣だし。

日本はだてに八百万の神の坐す国じゃないんだよ
神様はどこにでもいるんだから、細石神社が、近くだからといって隣の国まで
出張っていったりはしない
その土地にはその土地の土地神がいるんだから

神様と王様は一緒にしちゃだめだよ

そういうところも、本当に九州説論者はガバガバでいい加減なことばかりを言う
根拠を調べ上げた緻密な論証とは無縁
まあ、九州説自体が、思いつきの妄想の束だからしょうがないか

それに、弥生時代の伊都国は志摩半島の向こう側までは届いていないだろうし
0297日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 15:26:21.29
>>296
>その土地にはその土地の土地神がいるんだから

細石神社は土地神ではなく、倭国王妃である木花咲耶姫を祭っている。

>神様と王様は一緒にしちゃだめだよ

記紀の神は実質的に王族の尊称だ。
0298日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 15:26:52.97
>>296
>それに、弥生時代の伊都国は志摩半島の向こう側までは届いていないだろうし

倭国の王都だろ。
0300日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 16:19:19.65
邇邇芸は王様?神様?
イザナギは?
アマテラスは?
神武は?
0301日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 18:58:11.64
>>297
>細石神社は土地神ではなく、倭国王妃である木花咲耶姫を祭っている。

それ、まともな根拠がないんだが
「倭国王妃である」木花咲耶姫

神話を史実として語るのはやめたら?

それから、特定の貴人を祀る神社であれば、遠方まで出張っていくのはおかしいだろ?
神道の基本が分かってないだろ
0302日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 19:01:42.68
>>298
>倭国の王都だろ。

それも、まともな根拠がまったくないから

それに、この頃は領域国家じゃないから、王都だから広いということもない

さらに、伊都国は魏志倭人伝で有千餘戸とされていて、
末慮国有四千餘戸、一大国有三千許家よりも戸数が少ない
どう見ても、伊都国の範囲を志摩まで広げるのは不当
0303日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:21:02.33
>>301
>それから、特定の貴人を祀る神社であれば、遠方まで出張っていくのはおかしいだろ?

遠方とはなんのこと?
邇邇芸は筑紫で即位したのだから、木花咲耶姫も筑紫でいいよね。
筑紫の中でも、弥生王墓は福岡平野か糸島平野にしかない。
そのうち、筑紫の日向の呼称にふさわしいのは糸島平野。
0304日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:22:40.38
>>302
>それに、この頃は領域国家じゃないから、王都だから広いということもない

そうだな、連合国家だから、王都が大きくある必要もない。
千戸の伊都国でも王都として十分。
一大率の力があれば、遠方まで支配することは可能だしね。
0305日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:24:17.31
>>302
>どう見ても、伊都国の範囲を志摩まで広げるのは不当

何を寝ぼけているんだ?
伊都国は王都の名であり、国号は倭だよ。
奴国も出雲も支配下に決まっているだろ。
0307日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:30:08.08
国邑(集落)のことだよ。
0308日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:50:01.57
>>303
>邇邇芸は筑紫で即位したのだから

筑紫ってどこだよ?
伊都国説では、日向周辺ってことだろ?
具体的には糸島平野を出ない範囲だ

山向こうは、別の国で遠いところだよ
0309日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 20:51:38.90
>>304
>千戸の伊都国でも王都として十分。

つまり、志摩まで伊都国に入れるのは不当ってことだろ
最初に戻ると、伊都国の細石神社が志摩の夫婦岩の祭祀を行うというのはないってこと
0310日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 22:43:21.88
>>308
王都から倭国全土を支配したんだよ?
0311日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 22:44:44.21
>>309
自国のお膝元だよ。
永田町の政府がお台場でお祭りをやるくらいの気分だよ。
0312日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 22:47:52.10
筑前国やら備前国やら阿波国やらなんやらかんやら。
日本国の中に国があったか?

紛らわしいけど、日本では、
国ってのが県を意味していたからごっちゃになってるだけだろ。
0313日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 22:54:54.83
福岡平野の中に奴国と不弥国が入るくらいだから、魏志倭人伝の世界はもっと狭いよ。
0314日本@名無史さん垢版2018/06/26(火) 23:39:24.38
>>310の脳内妄想を並べられてもなw
結局、糸島の夫婦岩の祭祀が、江戸時代初期の桜井神社の創建以前に
遡る根拠は一切出せないじゃないか

つまり、二見ヶ浦の地名が九州起源っていうのは、何の根拠もない
ただの思いつき、あるいは妄想または捏造ってこった
0315日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 00:09:11.63
夫婦岩が九州各地にあるのなら九州発祥じゃないのかな、と思ったり。
0316日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 00:29:17.24
それが全部二見ヶ浦である時点でお察しなんだよ
ただのあやかり商法
0317日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:30:40.74
「何も信じられません!」
キナイコシ
0318日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:34:08.33
>>317
お前の言うことは
0319日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:41:27.04
>>318
自分がキナイコシだと自覚しているんだ。
0320日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:44:44.58
誰でも突っ込むところだ
0321日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 07:56:56.99
豊後二見ヶ浦の地名は、大分県佐伯市上浦大字『浅海井浦』

本来と異なる二見ヶ浦で観光スポットとして広報してるってのは、
伊勢の本物の二見ヶ浦のご威光を借りようとしてるってことじゃん

そういう仮冒地名があるから九州が起源だとか言っちゃうあたりが
九州説の人のレベルの低さを如実に表してるよな

「威光」「仮冒」「如実」あたりの意味が分からないとか言われても困るけどね
0323日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 09:07:31.98
人間のクズでも可
0324日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 16:46:04.17
二見ヶ浦の地名が何時から使われているかが問題だな
古文書を調べないと分かりそうにないな。
0325日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 17:08:24.83
昔は呼称が違う可能性もあるけれど、そういう地形を崇める習慣そのものが八咫鏡などとともに伊都志摩から伊勢志摩に伝わった可能性はありますね。
0327日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 18:32:13.78
調べると、糸島の二見ヶ浦は竜宮の入口という伝説があるみたいだね

裏志摩…桜井神社の石碑…

豊玉姫…乙姫…志登神社

桜井神社の由来の浦姫は浦という地域の浦さんの妻だったのか

どこにでもある事かもしれんが、ちょっと面白い
0328日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 18:47:39.05
>>325
>可能性はありますね

それを言い出したらなんでもアリだよ
論証としては無意味

そして「昔は呼称が違う可能性もあるけれど」というところまで認められるなら
>>237
「筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。
 ますます伊勢は九州北部の倭国の末裔ですね。 」
は根拠を失うってことでいいな!
0329日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 18:49:55.40
>>327
>糸島の二見ヶ浦は竜宮の入口という伝説

その伝説が、どこまで遡れるのか調べてね!
桜井神社は、糸島に入った黒田家2代目が「創建」した神社だよ
0330日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 19:31:45.31
>>330
夫婦岩は昔からあっただろうから、伝説が古くからあってもおかしくはないよ?

ただ、豊玉姫を祀る志登神社があることは事実。

志登神社

豊玉姫は海神の女にして現官幣小社竈門神社祭神玉依姫命にあらせられ地神四代彦火々出見命の后妃にて五代????草葺不合命の御母君なり。

初め彦火々出見命兄火照命の釣針を借りて釣魚をなさんとして海中に之を失ひ釣針を索むるため塩土老翁の先導に依りて龍宮に至り,豊玉姫姙娠の身を以て彦火々出見命の跡を慕い此の地に来たり給ひし靈地なれば豊玉姫命を奉祀せしものなりと云ふ。

尚ほ尊の立たせ給ひて髪を梳りしと云ふ大岩を岩鏡と云ふ。
其他鐘掛の松物語橋等社地の附近にあり。

竜宮伝説ははここらあたりから来てると思うけど
0331日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 19:45:58.62
>>330
>伝説が古くからあってもおかしくはないよ?

「あってもおかしくない」と考えるのは勝手だけど、
それは論証にはまったく役に立たない

「あってもおかしくない」とか言い出したら、なんでもアリだ

大和に卑弥呼の宮殿が「あってもおかしくない」し、
神武の東征が「あってもおかしくない」

これと同じレベルw
妄想を「あってもおかしくない」で正当化しようとしても無駄
0332日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:04:39.15
ということで、神代の時代の伝承が紹介されたわけだが?
0333日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:14:55.32
で、その伝承が、どのように二見ヶ浦の夫婦岩と関係するんだ?

出所不明のウェブ記事では、糸島の二見ヶ浦の夫婦岩は、
「汐斎浜の御神体」って書いてあるぞ

「二見ヶ浦」じゃなくて「汐斎浜」なんじゃないの
汐斎浜という地名も残っていないようだけれど
0334日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:16:03.74
>>237
「筑紫、豊国、肥国の倭国主力三ヶ国の全てに二見ヶ浦があるのですね。
 ますます伊勢は九州北部の倭国の末裔ですね。 」
は根拠を失うってことでいいな!
0335日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:20:45.25
>>334
江南豚?
0336日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:20:55.37
それから、記紀神話の神様は、いろんなところで祀られているよ
特に糸島の専売特許でもない

トヨタマヒメを祭神とする神社
若狭彦神社・若狭姫神社 福井県
鹿児島神宮       鹿児島県
海神神社        長崎県対馬
與杼神社        京都府

それから、豊玉姫神社が佐賀県嬉野市にある
0337日本@名無史さん垢版2018/06/27(水) 20:25:52.31
與杼姫は壹與のこと。
神功皇后の妹の豊玉姫も別人。
これらが後世に混同されている。
まあ、>>336はわかってごちゃ混ぜにしているんだろうけどね。
0339日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 07:42:52.50
つまり福岡(もしくは佐賀)のがオリジナル。
その中でも糸島のがおそらく最古の起源。
0341日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 11:56:15.80
トヨタマヒメと太陽信仰は接点が基本的にないんだが?

なぜトヨタマヒメを祭った神社があるからといって
太陽祭祀の二見ヶ裏・夫婦岩に繋がるんだ?
0342日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 11:57:01.95
どこから太陽信仰の話が出てくるの?
0343日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 12:04:24.90
地形の関係で畿内の二見ヶ浦が東向きになったから、自然と太陽信仰と結びついたのかな?
あとは伊勢の八咫鏡は、もともとアマテラスが筑紫に降臨する邇邇芸に持たせたものだから、太陽信仰と言えなくもない。
0344日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 12:05:17.41
志登神社は、近くに志登支石墓群があるから、古い信仰があったのは認めてよいと思う

しかし、延喜式、式内社の
筑前国 怡土郡 志登神社 に当たると想定されているが、
現在の志登神社の位置は怡土郡ではなく志摩郡になる
まあ、志登の地名が残っているから、社地もそんなに移動していないと思うが、
延喜式に載った志登神社が別にあった可能性もある

それに、やはりトヨタマヒメの信仰は、宮崎や鹿児島の方が密度が高い
志登神社は延喜式でも小社、明治期にも郷社で大きな神社でもない
それに、志登神社の位置と夫婦岩の位置には、特に関係は見出せない

これが倭国王ゆかりの神社で、伊勢の信仰の淵源だとするのは、いかにも苦しいと思う
0345日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 12:29:16.34
神代にすごい重要な宮であったものが延喜式で冷遇されて小社となっている例は後を絶たない。
0346日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 12:30:44.39
もともと倭国やその伝承は、玄界灘沿岸の狭い地域の歴史を伝えていたものが、南九州や畿内を含む西日本全域に拡散したのだろう。
0347日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 12:31:26.74
>>344
>延喜式に載った志登神社が別にあった可能性もある

適当な「可能性」をでっち上げる、畿内説の常套手段。
0349日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 13:27:15.37
>>345
>神代にすごい重要な宮であったものが延喜式で冷遇されて小社となっている例は後を絶たない。

神代は、神話であって史実じゃないってだけだろ?
記紀を書いた人たちにとっても、既にそうなってる

日本書紀では、天孫降臨から神武天皇の東征開始まで179万2470年と書いてあって
神話と天皇の時代をはっきりと画している
自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲

神代には九州が中心だったんだ〜みたいな寝言は、奈良時代の知性にも劣るな
延喜式はさらにそれよりも後
0350日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 13:35:48.11
>>347
>適当な「可能性」をでっち上げる、畿内説の常套手段。

あれあれ〜>>325は九州説の書き込みだと思うけどな〜
昔は呼称が違う「可能性」もあるけれど、そういう地形を崇める習慣そのものが八咫鏡などとともに伊都志摩から伊勢志摩に伝わった「可能性」はありますね。
0351日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 15:51:23.89
>>349
>神代は、神話であって史実じゃないってだけだろ?

そう信じたいだけ。
宗教だね。

>記紀を書いた人たちにとっても、既にそうなってる

そりゃあ数百年も後だし。
0352日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 15:57:39.27
現代政治では、社会党の村山政権とか、民主党の鳩山政権があったが、ほとんど黒歴史となり、なかったことも同然の扱いだろ?
同様に、唐に習って律令国家となった日本国にとって、唐と戦争をしていた倭国政権なんて、なかったことにしたい黒歴史だったろう。
筑紫に王都があった時代を数百年とか数万年前に設定して日本書紀を書けば、数世代も経てば筑紫倭国のことなどただの架空の伝説としか思われなくなるだろう。
まさか21世紀になって、考古学者が1世紀や3世紀の王墓を発掘してしまうとは、予想していなかったのだろう。
0353日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 19:07:11.98
三世一身の法 723年
墾田永年私財法 743年

8世紀に慌てるくらいなら、
巨大古墳を作る労働力で開墾したらよかったじゃない?
0354日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 19:10:06.83
>>352
>数百年とか数万年前に設定して

スケールが小さいやつだな
日本書紀は179万2470年前って書いてるぞw

この179万年の間に、ウガヤフキアエズ朝があって72代の天皇がいたってのが
竹内文書にあるんだが、さすがに>>352も「そんな訳ないだろう」って思うだろ?

九州説の神話解釈も、レベルとしては似たようなものだぞ
奈良時代の人にも分かってたこと(あくまで神話で史実としては信用できない)を
歴史的事実だとして肉付けしたのが、伊都国王都説だからな
0355日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 19:43:53.68
マジレスすると、その数字のでかさは、仏教の影響だろうね。
0358日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 20:46:42.58
つまり、後世において過大に数字を見積もって改変が行われたんだよ。
実際の世代数では、景行や応神が4世紀、神武が3世紀、ニニギが1世紀、アマテラスが紀元前後だろう。
これだと、筑紫における神代が博多湾沿岸の弥生王墓の時代と一致する。
0359日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 20:47:10.40
キナイコシには困ったものだのう
スレのお荷物じゃ ホホホ
0360日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 20:49:03.63
そんな事よりも、お前たちの名前は?
0361日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 21:34:21.66
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0362日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 21:43:25.59
>>359
キナイコシの人は、論争には参加せず(できず?能力的に?)孤独な書き込みをするのみ
0363日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 21:52:31.04
>>361
それは説文解字に「周尺也」って書いてあるから漢尺八寸じゃダメだって
何度も教えてもらってるだろうが

否定されたことを、何度も蒸し返すことで終わってないと強弁する
九州説はそんなのばっかりw
0364日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 21:58:42.89
周尺=漢尺なのだから
同じことだ

考古学的に確定したことを何度も蒸し返すことで終わってないと強弁する
キナイコシはそんなたった一人w
0366日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:16:33.81
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0368日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:34:14.23
尺も寸も周代から漢代まで同じだから
漢尺=十寸
咫=八寸で
八咫=18.4×8=147.2センチ前後だよ
0370日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:36:45.07
まだ漢尺とか言ってるの?

北部九州に来ているのは楽浪土器。
古代の土器だよ。

漢尺なんて関係ない
はるか古代の尺が分布してる。

だから
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0371日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:38:33.28
キナイコシは遅れてるから
議論にならない
テンプレに重要発見遺物を入れてないくらいだからね
0373日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:39:51.36
キナイコシは支離滅裂で終わってる
0375日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:48:40.50
韓◎人にとっては切実な問題だからなあ。

魏志倭人伝だと北部九州倭国が先んじて広域国家を形成しているだけでなく
半島南部にも領土を持っている。
そしてそれを中国国家が金印をもって認証している。
国際状況が不安定な昨今にこれはマズいよねw

だから
あわよくば
北部九州の先進的鉄器地域は韓◎の突出領土。
倭人は鉄器のない畿内で韓◎に教えを受けて
初めて共立国家を立ち上げて(馬鹿丸出しのただ大きいだけの)巨大古墳を作り始めた。(ばーか、ばーか)

ってのが
韓◎人のキナイコシ。
0376日本@名無史さん垢版2018/06/28(木) 22:50:24.03
松傾でしょ、中国人だと書いてない?
新羅というのが、よくわからない民族だとか
0377日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 07:45:03.05
>>330
豊玉姫はなるほどですね。

そして志登神社でも、瓊瓊杵尊ではなく山幸彦が祀られている。
九州の広い範囲に祀られているのは、圧倒的に日向の二代目なんですよね。
権力が落ち着いたと考えるべきかワダツミの権力が大きかったと考えるべきか。
0378日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 08:26:56.54
神武のフルネームにも彦火火出見が含まれているので、日向王家の代々の称号とも考えられます。
王宮は伊都の高祖宮でしょう。
筑紫の日向のクシフル山にあるからです。
記紀にある高千穂宮のことですね。
0379日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 14:33:55.73
>>378
>神武のフルネームにも彦火火出見が含まれているので、日向王家の代々の称号とも考えられます。

前にもそれを言ってた人がいたけれど、だとしたら「彦火火出見」を持たない彦波瀲武盧茲草葺不合尊は
王ではなかったってことになるな

それでいいかい?

基本的に、古代過ぎて、代数とか、誰が誰の前とかの系譜の混乱のために、
同じ名前が別々の人に貼り付けられてしまっているだけだと思うよ
0380日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 14:34:58.82
>>378
>筑紫の日向のクシフル山にあるからです。

これが伊都国にあるという、十分な論拠はないからな

日向峠一つでよくがんばるよな
0381日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 14:35:23.43
祖父の名前にあやかるくらいは、現在でもあるだろう。
0382日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 14:37:26.03
【伊都国】

魏志において王がいて魏の郡使が駐在すると書かれた伊都国は、人口が1000戸と少ない。
卑弥呼の王宮の下女は1000人とあり、伊都には王族の他に王宮を運営する舎人と采女、その家族がいたことになる。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都は明確に分離されていた。
伊都国には平原遺跡という3世紀頃の女王墓があり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、特に史上最大の銅鏡であるいわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、強大な権力があったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。

伊都国の卑弥呼の宮はどのようなものだったか。
糸島市には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクジフル山の山頂を囲む怡土城および高祖城があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
ニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓である。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、平原遺跡からは八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

http://maps.gsi.go.jp/#13/33.541752/130.280342/&;base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
高祖山連峰の
第二峰 416ピーク 高祖山
第一峰 419ピーク くしふる岳

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。
0384日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 15:54:13.00
間違いがあったら指摘してね。
0385九州王垢版2018/06/29(金) 16:01:12.68
>>382
殆ど合ってるかもしれないが
根拠が弱いよな
残っているものが少ないから仕方ないけどね。
0387日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 16:10:11.43
>>386
根拠が無いのではなく弱いと言ってるだけです
各説明の根拠は弱いけど全体として見たら整合性が取れてて正しいだろうと。
0388日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 16:10:43.38
何も矛盾がない。
考古学的証拠と一致している。
0389日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 16:14:10.95
弥生王墓が博多湾沿岸にしかない以上、それ以外の地域に倭の王都を想定することはできない。
0390日本@名無史さん垢版2018/06/29(金) 19:47:01.75
伊都クズの言う考古学的証拠って考古学界では見向きもされない内容
0391日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 09:41:03.79
>>384
>間違いがあったら指摘してね。

>>382
>第一峰 419ピーク くしふる岳
これを示す文献史料が皆無、まったくない

そもそも高祖宮が王宮だったというのが、想像の産物でしかない
延喜式にすら載っていない神社を、そんなに持ち上げる理由がない
0392日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 14:08:43.45
鉄器ゼロ=ムダ毛ぼうぼうの毛人の地
0394日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 14:16:03.16
>>391
延喜式で整備された時代の話をしてどうすんだ?
遡る古社の傍証にしかならんよ。時代錯誤なやつ。
0396日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 16:34:46.01
伊都国説の考古学的証拠は畿内説が都合が悪いから目を背けて見ないようにしているものですね。
0399日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 17:00:58.17
考古学的証拠の違いの差は最近では桃の種と硯の違いですね。
0400日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 17:02:30.96
>>398
以前からの物では絹とかもありますね。
0401日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 17:08:37.39
>>400
どこで絹が発掘された?
0402日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 17:13:05.22
>>399
なるほど
古代の長崎出島よろしく伊都で硯が出る
女王の都纏向では呪術ち使った桃が出る
これが考古学的証拠の差だな
0403日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 17:23:19.10
それだけ大量の桃があったのなら魏志倭人伝に記載されるだろ。
史料事実どうこう叫んでおいて
もう無茶苦茶だよあんた。
0405日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 18:42:01.81
大量に桃があって女王が呪術に使ってるのなら記載される。
記載されていないということは
邪馬台国女王は大量の桃なんぞ呪術に使っていなかったということだ。
0406日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 18:48:07.95
>>405
なんで?

女王の宮殿か祭殿だかを取り壊す特別な儀式だぞ
そんなもん、どうして中国人が目撃するんだ?
0407日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 18:50:37.04
>女王の都纏向では呪術ち使った桃が出る

>>406
なるほど女王自身は桃を使っていなかったということか。
じゃあますます卑弥呼とは無関係だな。

そうだろう?
土器だけの建物
取り壊す時に桃の儀式
邪馬台国とはなんの関係もない
0408日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 19:57:51.66
>>407
>取り壊す時に桃の儀式

これは神道的にどんな意味があるんだ?
本当にそんな儀式であったという証拠は?
0409日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 20:03:36.44
倉庫を取り壊す時に
奥に残っていた古びた桃を捨てただけだったりして
0410日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 20:05:20.65
大量に桃があって女王が呪術に使ってるのなら記載される。
記載されていないということは
邪馬台国女王は大量の桃なんぞ呪術に使っていなかったということだ。

>>406
逃げ回るだけのキナイコシ
0411日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 20:13:25.37
キナイコシ

倭人伝に 桃がなくて

液晶画面にグーパン自滅 乙www
0412日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 20:40:09.84
鏡は魏志倭人伝にも記紀にもいろいろ記事があるからなあ。
0414日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:26:26.33
平原は中国朱も五尺刀も銅鏡もある女王墓
大柱も鳥居も含めた墓域全体が東夷伝里で長径百余歩

土器しか無い
手がかりの桃の種が倭人伝に書かれてない倉庫とは違いますよw
0416日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:37:34.23
だよな
魏志倭人伝に桃の記載なし→桃倉庫は×

魏志倭人伝に中国朱や五尺刀の記載有り→平原は〇
魏志倭人伝に倭人は半島で鉄を直接採掘と記載→平原は〇
0417日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:48:54.22
マジで纒向はあり得ない。
畿内の中でも特に過疎。
内陸の辺鄙な田舎。
0418日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:50:47.86
奈良湖のほとりで空を見上げた若いあの日
0419日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:50:57.80
伊都クズはこうやってボケるまで喚き続けるんだろうな
晩年は無駄な時間を費やしたな
0420日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:52:38.60
大量に桃があって女王が呪術に使ってるのなら記載される。
記載されていないということは
邪馬台国女王は大量の桃なんぞ呪術に使っていなかったということだ。

>>419
逃げ回るだけのキナイコシ
0422日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 21:59:09.42
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0423日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:00:02.58
>>421
纒向は魏志倭人伝の邪馬台国と縁もゆかりもないじゃん。
0424日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:01:28.58
>>421
倭人伝に

倭人伝に

桃の儀式が書かれていないのうw

書かれていないのうwww

悔しかろう?

悔しかろうて?

こちらは嬉しすぎてゾクゾクするぞいwww
0425日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:02:57.87
奈良湖のほとりで倉庫に荷物を出し入れしたあの頃

そういや一番奥にしまった桃はどうしたっけ?
0427日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:05:56.83
>>426
纒向が邪馬台国だという理由を述べろよ。

兵庫が邪馬台国ではない理由は?
鎌倉が邪馬台国ではない理由は?
仙台が邪馬台国ではない理由は?
岐阜が邪馬台国ではない理由は?

いちいち言っていられるかよ。
奈良もそれらと同レベルだ。
0428日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:06:13.82
鉄器ゼロ=毛人の地
0430日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:06:49.10
>>429
倭人伝に桃の儀式なんて書かれていないから
0431日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:08:03.41
3世紀に鉄器ゼロなんて
逆に驚きで絶対記載される

未開の旧人類発見www
0434日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:09:26.73
書いてなければ、邪馬台国との関係を証明できないだろ。
0435日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:09:32.94
>>432
他の植物のことが学者並みに詳しく書かれているからだろ
0437日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:10:24.52
鉄器ゼロ
桃の種が大量→儀式と勝手に決めているが、倭人伝に書かれていない

終わってるwww
0438日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:11:00.71
>>436
書かれていないからキナイコシの負けwww
0439日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:13:16.36
せめて東遷で模索しようとしているのが岡上氏だが
鉄器など生活水準が東遷していないからどうにもならんw

神武「東征」だな
0440日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:13:32.44
纒向には魏志倭人伝に書かれたものがほとんど何もない。
畿内説は完全な妄想。
0441日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:13:50.37
>書かれていたら

キナイコシの名言w
0442日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:14:25.57
キナイコシ

「書かれていたら」

書かれてないから 液晶画面にグーパン自滅 乙www
0443日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:17:07.19
書かれていなくても、邪馬台国の同時代に纒向の地で祭祀が行われていたことは事実
こういうのを考古学的事実っていうんだよ

なんでグーパンなんてする必要もないw
0444日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:18:55.70
>>443
ほほう。ほうほう。
で、その祭祀とは?倭人伝にどう記載されているのですかな?
0445日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:19:34.30
100歩譲って同時代かもしれないが、内容的に邪馬台国と全く関係ないからなあ。
0446日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:19:44.21
鉄器ゼロの倉庫
0448日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:20:58.71
>>445
そうそう
おそろしいほどなにもない倉庫が
科学的に同時代と証明されちゃった
だからこそ邪馬台国じゃないということw
0449日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:21:36.03
>>447
つまり「書かれていなくても問題ない」ということですな?
0450日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:24:51.70
>>449
イミフ
0451日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:27:25.17
魏志倭人伝に桃の記載なし→桃倉庫は×
鉄器ゼロ→土器倉庫は×

魏志倭人伝に中国朱や五尺刀の記載有り→平原は〇
魏志倭人伝に倭人は半島で鉄を直接採掘と記載→平原は〇
0452日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:35:43.34
伊都クズが論理的思考ができないことが、また、白日の下に晒されたな
0453日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:40:46.82
>>452
議論放棄ですか?


魏志倭人伝に桃の記載なし→桃倉庫は文献根拠×
鉄器ゼロ→土器倉庫は考古学的根拠×

魏志倭人伝に中国朱や五尺刀の記載有り→平原は文献根拠〇
魏志倭人伝に倭人は半島で鉄を直接採掘と記載→北部九州平原は考古学的根拠〇
0456日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:44:22.98
>>454
>桃が倭人伝に記載されていなくともなんら問題ない

理由は?
0457日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:44:51.98
倭人伝に関係なく
鉄器ゼロだから3世紀の文明社会とは無関係なのだな。
0458日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:45:41.68
結局のところ
倭人伝を無視しないと成り立たない

そんないつもの安定したキナイコシであった。
0459日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:46:18.57
大量に桃があって女王が呪術に使ってるのなら記載される。
記載されていないということは
邪馬台国女王は大量の桃なんぞ呪術に使っていなかったということだ。
0460日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:46:56.77
>>456
史料には限界があるからな

記載されなきゃいけない理由を答えてもらってないが?
0461日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:48:37.39
>>460
植物全般のことが詳しく書かれているから、
と一度答えたのだが、都合の悪いことは無視するのがキナイコシだからしょうがないか。
0462日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:49:00.84
倭人伝に関係なく
鉄器ゼロだから3世紀の文明社会とは無関係なのだな。

>土器だけの倉庫
0463日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:49:10.78
>>459
>大量に桃があって女王が呪術に使ってるのなら記載される。

これが個人の感想でしかないことに気がつかないのなら議論しても無駄だな
0464日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:49:26.84
>>463
植物全般のことが詳しく書かれているから、
と一度答えたのだが、都合の悪いことは無視するのがキナイコシだからしょうがないか
0465日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:50:32.39
鉄器ゼロの倉庫

桃の種

倭人の首都じゃありませーん
0466日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:50:48.47
>>460
倭人伝の記載が倭の植生すべてを網羅してるとでも考えているのか?
おめでたすぎるぞ
0467日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:52:10.02
>>466
倭人伝に記載されている植生の中で最も大事なこと
>大量の桃の種→桃の木
は書かれているだろうねえ

苦しいねえwキナイコシさんw
0468日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:52:17.41
伊都クズは史料というものの性質を理解できない単なるトンデモ
0469日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:52:57.05
>>468
その根拠は?
0470日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:53:21.69
魏志倭人伝に桃の記載なし→桃倉庫は文献根拠×
鉄器ゼロ→土器倉庫は考古学的根拠×

魏志倭人伝に中国朱や五尺刀の記載有り→平原は文献根拠〇
魏志倭人伝に倭人は半島で鉄を直接採掘と記載→北部九州平原は考古学的根拠〇
0471日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:55:29.50
つまり伊都クズは倭人伝に記載のないものは当時の倭にはなかったと主張するわけだな
バカだとは思っていたけどここまでのバカだとは思っていなかったわ
買い被ってた、ゴメンなwww
0472日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:56:18.85
桃で邪馬台国を主張するとは思わなかった。
畿内説は終わってるな。
0473日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:57:07.15
>>467
まずはその大量の桃を魏使なり郡使なりが確実に見たということを論証するべきだな
0474日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:57:47.02
>>471
なに勝手に仕切ってんの?w

×倭人伝に記載のないものは当時の倭にはなかった
〇倭人伝に記載のないものは当時の倭中枢、女王祭祀にはなかった


大事なものは記載される。

植生は記載されているのに、
桃はなーーーーいwww
0475日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:58:12.95
魏志倭人伝に記載されたものが何一つ見つからず、記載されていない桃だけが見つかったなんて、邪馬台国ではないと証明したようなもの。
0477日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 22:59:35.77
逆に言うと、
桃の種が邪馬台国の根拠にはならない、ってことがわかったわけだ。

つまり
土器と桃の種だけの鉄器ゼロ辺境の倉庫。

以上。
0478日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:00:29.86
>>475
しかもそれが3世紀前半だというのだから、邪馬台国では無いと自ら証明した珍事件w
0479日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:00:48.68
>>472
このように脳内畿内説をでっち上げ
難癖をつけることで溜飲を下げることしかできないのが
九州説の惨めすぎる現実
0481日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:02:19.65
>>479
土器と桃だけの倉庫以外になんかあるの???
0482日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:03:50.79
俺が若い頃に倉庫の奥にしまっておいた桃を
倉庫を解体する時にしなびてて全部捨てたんだが
それがこんなことになろうと倭倭倭
0483日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:04:54.95
>>474
>大事なものは記載される

これが個人の感想でしかないことに気がつかないなら学問は無理
0484日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:05:06.91
AMAZ〇Nの倉庫を検索してみろw

川や海のそばで
住宅街から離れた場所が多いぞwww
0485日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:05:53.68
>>483
倭人伝に桃で儀式をしていた記録はない

反論あるかな?
0486日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:08:00.32
結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね
0487日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:09:10.65
>>486
キナイコシ人生の総括、お疲れ様です。







最後の最後に鉄器ゼロで残念だったねwww
0488日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:10:03.06
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0490日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:11:16.46
>>489
つまり卑弥呼が桃で儀式をしていた根拠はなにもない
0491日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:12:46.83
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0493日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:14:31.15
>>492
鉄器ゼロで桃の種には何の根拠もない。
祭祀なんて古代だろうが現代でも各地で行われている。

あんた大丈夫?w
0495日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:18:10.01
>>490
>>492

>>494
桃の種が卑弥呼の祭祀という根拠はゼロってことで同意してくれてありがとう。
0496日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:19:20.34
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0497日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:23:43.87
魏志倭人伝には植物のことが詳しく書かれているのに
桃のことは全く書かれていない。
邪馬台国女王卑弥呼が桃を儀式に使っていたのなら
その他諸々の木々や植物に加えて
桃のことを記載したはずだ。
そして倭人は朝鮮半島で鉄を採掘していたと記載されている。
3世紀の東夷世界では鉄器は普通に普及しており、
朝鮮半島〜北部九州の遺跡では小さい遺跡でもたいてい鉄鏃や鉄刀子が出土する。

キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0498日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:26:45.28
>>493
おっと一応事実関係は返答しないとかないと

桃の種は、大型建物近くから出土しているので、大型建物の性格を考える材料になる
そして、それは邪馬台国と同時代のものだ

鉄器については、石器の減少と出土する木器に残る加工痕から、弥生時代後期には畿内において鉄器は広く普及していたと考えられている
出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方
また、古墳時代への変革に鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
90年代には実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去られている
よって、鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない
0499日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:28:46.96
建物が撤去される時に桃の儀式が行われたと上で書いていたなあ
0500日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:29:10.92
鉄器が出ない=鉄器ゼロ=未開の毛人の地
0501日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:29:29.58
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0504日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:32:35.39
現状の畿内説

惨状の畿内説
0505日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:34:58.87
おっと一応事実関係は返答しないとかないと

桃の種は、大型建物近くから出土しているので、大型建物の性格を考える材料になる
そして、それは邪馬台国と同時代のものだった
とても残念だ、、、

鉄器については、
出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない
0506日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:35:28.85
無鉄器キナイコシ

無敵キナイコシw
0507日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:36:40.68
他人に向けられたものを「独白」とタイトル付けるとか立派な捏造ですね
>伊都クズ
0508日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:37:26.50
キナイコシ独白

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0509日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:38:41.70
>鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
>実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った


ビスマルクもトランプもびっくりぽんw
0512日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:47:23.68
まったく痛くないところを何度も指摘して悦に入ってるという残念な伊都厨
0513日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:47:53.80
キナイコシ独白

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0514日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:48:33.17
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0515日本@名無史さん垢版2018/06/30(土) 23:53:59.99
そんなに気に入ったのか?
確かに糸クズにピッタリだもんなww
0516日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 00:14:19.86
畿内説は考古学的根拠が何もない。
0517日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 00:43:15.88
朝鮮部落民サイキバも相変わらず鉄器の連呼だな
0519学術垢版2018/07/01(日) 09:11:43.45
サッカーが国球技になると面白いと思う。
0520日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 09:40:03.81
鉄器が重要でないならなんで半島まで取りに行くのかね?

倭人伝と無関係な地域だと言うことだね。
0522日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 10:51:45.36
キナイコシ独白

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0524日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 11:44:51.31
オリジナル

498日本@名無史さん2018/06/30(土) 23:26:45.28
>>493
おっと一応事実関係は返答しないとかないと

桃の種は、大型建物近くから出土しているので、大型建物の性格を考える材料になる
そして、それは邪馬台国と同時代のものだ

鉄器については、石器の減少と出土する木器に残る加工痕から、弥生時代後期には畿内において鉄器は広く普及していたと考えられている
出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方
また、古墳時代への変革に鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
90年代には実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去られている
よって、鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない


改ざん後
522 名前:日本@名無史さん 2018/07/01(日) 10:51:45.36
キナイコシ独白

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0527日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 13:12:43.25
畿内説は詭弁を弄しているだけ。
0530日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 13:21:44.43
キナイコシ独白

「結局、俺様がこう思うのだからそれに合わないものは間違いだ、としか言ってない
 これに気がつかないってことは、論理的思考能力が欠如してるってことなんだけどね
 誰からも認められることがないまま終わるつまらない人生でしたね」
0531日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 13:32:38.52
>>529

こんな詭弁

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方
 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0532日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 14:28:42.89
>>531
キナイコシの論理は飛躍しててよくわからんな
倭人伝に鉄を求めて来た倭人の話があるのに
鉄器を捨て置く態度が妥当というのは頭おかしい。
0534日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 19:00:17.01
>>532
「鉄器を捨て置く」って、誰が?
あんたの脳が全1病で混乱してるだけでは?
0535日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 21:09:43.40
>>533
>倭=九州

九州限定の倭国は、其山有丹だけで即死だし、
吉備出雲丹波大和に比べて弱小なんだから、倭国の代表にはなれないよ
0536日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 22:44:52.91
>>534

532は1にういて発言したのではなく、自称キナイコシに対して発言したはず。
キナイコシは1なのか?
0539日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 22:59:31.85
一歩25センチとか、二つ並べて25メートルとか言ってる人もおかしいし、
九州説でまともな人はいないのかね
0540日本@名無史さん垢版2018/07/01(日) 23:12:21.85
キナイコシ連呼厨の人に訊きたいんだけど、
キナイコシ連呼厨の人が連続句読点の人で、イト屑ってことでいいのかな?
0541日本@名無史さん垢版2018/07/02(月) 22:58:25.86
気に入らないレスがすべて同じ人物の書き込みに見える病気をまた発症したな
0542日本@名無史さん垢版2018/07/02(月) 23:30:36.57
うれしそうに「キナイコシ」連呼している人はごく少数
おそらくは一人
そして、連続句読点の人も「キナイコシ」をうれしそうに使う

さらに、荒らし方の基本が共通している

なら、伊都クズ=キナイコシ連呼厨=連続句読点だろ?

YesかNoかで答えればいいんだよ
0543日本@名無史さん垢版2018/07/03(火) 00:06:19.77
No
0546日本@名無史さん垢版2018/07/03(火) 02:16:06.72
あんたが誰だかよく解った
0548日本@名無史さん垢版2018/07/03(火) 05:22:39.50
伊都国東遷スレより
「岡上@yata2016」

根拠はこれhttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi//history/1515402057/45
 ↓
0045 岡上@yata2016 2018/01/08 21:48:12
>>43
勿論そうですが、それでも一般に共立は180年から190年と考えられてますからね。
卑弥呼が248年以降に死んだと言いたいなら、その辺ともセットにして全体整合性を示してほしいですね。
0549日本@名無史さん垢版2018/07/03(火) 05:41:15.01
「そういえば、岡上氏の高度なレベルの投稿が懐かしいね。。。
 このレベルの低いスレッドには、もったいなかったけれども、、、、」
「仕方ないよ、、、、
 囲碁でもよくいわれるけども、名局ができるには二人の天才が要ると、、、
 畿内説者のレベルの低いこのスレッドでは、岡上氏の能力の全てを引き出せないからね。。。。
 岡上氏が投稿しなくなったのも、そういうことなんじゃないのかな、」
「僕たちは、なぜか岡上氏だと勘違いされているね。。。
 僕たちにとっては、あの博識な岡上氏と間違えられるのは光栄なのだけれども、、、、、
 思い込みの激しい、キナイコシと皆に呼ばれている、奈良の狂った老人に、
 いわれのない誹謗をされている本当の岡上氏に、申し訳ないね。。。」
「岡上氏は、テンプレートを貼り付けているあの狂った奈良の老人には脅威のようだね。。。」
「仕方ないよ。。。
 端から見ていると学識とIQの差がありすぎるのだもの、、、」
0550日本@名無史さん垢版2018/07/05(木) 22:26:38.16
キナイコシ独白

「鉄器については、
 出ないからない、なんていうのは視野の狭い底の浅い考え方

 鉄器が重要な役割を果たした、という考えは、
 実態と合わないことが周知となっていて、既に捨て去った
 鉄器が出ようが出まいが現状の畿内説になんの影響もない」
0552日本@名無史さん垢版2018/07/05(木) 22:42:12.69
>>550
なんの反論も出来ず悔しいのうw

>>1
で決定w
0553日本@名無史さん垢版2018/07/05(木) 23:35:20.87
>>550
意訳すると
キナイコシ「俺が正しいといえば正しい。理屈は抜きだ」
0555日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 08:21:13.17
墓の大きさは、張政らが出張の成果を強調するために大きさを誇大に盛ったのかもしれないな。
0556日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 14:00:49.85
「そういえば、岡上氏の高度なレベルの投稿が懐かしいね。。。
 このレベルの低いスレッドには、もったいなかったけれども、、、、」
「仕方ないよ、、、、
 囲碁でもよくいわれるけども、名局ができるには二人の天才が要ると、、、
 畿内説者のレベルの低いこのスレッドでは、岡上氏の能力の全てを引き出せないからね。。。。
 岡上氏が投稿しなくなったのも、そういうことなんじゃないのかな、」
「僕たちは、なぜか岡上氏だと勘違いされているね。。。
 僕たちにとっては、あの博識な岡上氏と間違えられるのは光栄なのだけれども、、、、、
 思い込みの激しい、キナイコシと皆に呼ばれている、奈良の狂った老人に、
 いわれのない誹謗をされている本当の岡上氏に、申し訳ないね。。。」
「岡上氏は、テンプレートを貼り付けているあの狂った奈良の老人には脅威のようだね。。。」
「仕方ないよ。。。
 端から見ていると学識とIQの差がありすぎるのだもの、、、」
0561日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 14:04:03.31
説文解字注にあるように
歩が漢尺の体系で「歩=6漢尺」
  周尺の体系で「歩=8周尺(尺=八寸)」
  または   「歩=6周尺4寸(尺=十寸)」

歩が、秦漢尺体系の歩=138センチでも>>110で計算したのを再掲して
ついでに寸もつけておくと

これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)    寸
1.35m    21.1cm      16.9cm    2.16cm
1.38m    21.6cm      17.3cm    2.11cm

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(八寸)    咫(八寸)    寸
1.35m    16.9cm      16.9cm    2.16cm
1.38m    17.3cm      17.3cm    2.11cm
0562日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 14:05:06.27
正しい周尺の咫で換算すると
平原1号墓出土鏡は「8.63咫」

とてもじゃないが、八咫とは言えない
0563日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 14:14:19.77
大陸の「咫・シ」と、日本語の「咫・あた」は別物

「八咫」は実際の大きさを示しているのではなく、
単に「大きい(多い)」という意味と捉えるのが通説
類例
八百万 八百八町 八百八橋 八尺瓊勾玉 八百屋 八千矛 八尋
表す八を使った

同様に「尺・尋」も日本語で「さか・ひろ」と読む場合は
大陸の単位と直接の関係はない

八尺瓊勾玉 八咫烏 八尋鰐 も参考になるだろ
0564日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 14:45:57.96
平原1号墓のことを言いたいのに「平原遺跡」というやつは、
ちゃんと遺跡の発掘平面図を見ておくべきだ

https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2c9cac26ffdc644a177f62ea5a9aabe5202dd80c.78.2.9.2.jpeg

この、平凡な方形(円形?)周溝墓群、おそらく家族墓地の中で最も大きな厚葬墓が
平原1号墓

家族墓地がある時点で、伊都国の中の有力家系なのは見て取れるが、
伊都国王墓の地・三雲遺跡群から離れている
他に厚葬墓がない
ことから、伊都国の王家の墓地ではないだろう

伊都国王墓でないのであれば、倭国王墓でないのは当然
径百歩ではないのは当たり前で、百歩にするために「東夷伝歩」をでっち上げたり
2号墓と合わせて25メートルと言い張ったりするのは、惨めの極致
さらに、実際に測ると、1号墓と2号墓を合わせても「22.9メートル」というのも
笑いどころ
0565日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 18:27:56.50
自分ルール全開。
伊都国王家とか、捏造だろ。
厨二病。
0566日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 18:48:05.42
>>564
共立された女王にピッタリの条件じゃん
0567日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 18:52:34.77
固有名詞を特定しないで書くからおかしなことになるんだよ。
伊都国にもともといた王家は、天孫族だよ。
ならば、彦渚を最後に筑紫を出て東征してしまっただろ?
だから卑弥呼がその後の別の出自の女王でも構わないんだよ。
0568日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 18:55:48.53
三雲が方形周溝墓に内行花文鏡、平原も方形周溝墓に内行花文鏡。
ちゃんと倭王墓としての伝統は守っている。
細石神社に漢委奴国王印が伝世していたという口伝が本当なら、三雲の被葬者は漢から冊封された正式な倭王だし、その他の副葬品も倭王にふさわしいものだよ。
「伊都国王家」など捏造しないで、ちゃんと倭王と呼ぶべきだ。
0569日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:04:56.78
伊都国王家があるなら周囲他国にも同時期の王家があるはずだよな
0570日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:33:27.75
>>569
その通りだね。
弥生時代において倭王にふさわしい王墓は福岡県内にしかない。
0571日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:37:14.76
統一されていたわけだし、倭人伝には邪馬台国女王と狗奴国男王しか王はいない
0572日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:38:59.52
つまり倭の王都は福岡以外にあり得ないじゃないか。
0574日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:45:34.03
そりゃそうだ鉄を採掘してる倭人の王都だからな
0575日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:46:04.17
もう筑紫(筑前)=邪馬台国でいいだろ。
0576日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:46:48.45
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
0577日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:47:33.56
邪馬台国に大雨特別警報が出とるがw
0578日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 19:50:39.19
関西も九州も大変だ。
0580日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:09:18.01
>>568
>三雲が方形周溝墓に内行花文鏡

その、三雲南小路遺跡(前一世紀中ごろ甕棺墓)でさえ、
30メートル四方の墳丘があるんだよ
これは、同時期に奴国にも須久岡本遺跡D地点甕棺墓という王墓があるから、
三雲南小路が伊都国王墓、須玖岡本が奴国王墓でいいだろう
倭国王墓ではない

それから3百年後で共立された倭国王なら、もっと多くの労働力を動員して
もっと大きな墳丘墓を作るのが当然だろう

卑弥呼の時代の少し前の吉野ヶ里の北墳丘墓(これも王墓ではなく家族墓)でも
墳丘サイズは南北約40m、東西約27mという大きさがある

平原1号墓の12×8メートルという墳丘サイズは、10人も成人男子を呼んでくれば
1週間もかからずに作り上げられるだろう

そんな規模のものを、30ヶ国の共立女王の墓と考えるのが、チャンチャラおかしい
0581日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:17:53.89
倭国乱前の三雲南小路や須玖岡本よりも
戦争中の卑弥呼墓は小さいのが当然だろう
0582日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:27:45.46
>>581
>倭国乱前の三雲南小路や須玖岡本よりも
>戦争中の卑弥呼墓は小さいのが当然だろう

どんな大戦争を想定しているんだ?
平原1号墓の墳丘、12×8メートルくらいのものならば
成人男子が10人もいれば1週間と掛からずに作れるだろう
倭王の動員力がそんなんでいいのかって言ってるんだよ
0583日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:29:23.36
戦時中に無駄に100メートル超の古墳を作るわけがない。
0584日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:30:57.68
>>580
>倭国王墓ではない

根拠なし
0585日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:33:24.79
>>580
>それから3百年後で共立された倭国王なら、もっと多くの労働力を動員して
>もっと大きな墳丘墓を作るのが当然だろう

勝手ルール
0586日本@名無史さん垢版2018/07/06(金) 20:47:11.79
鉄器がふんだんに普及した地域の王墓=倭王墓

鉄器ゼロの倉庫=毛人倉庫
0588日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 07:20:05.00
戦時中っていうが、その戦争は何十年続いたんだい?
磐井の乱の両当事者は、当時最大と2番目の大古墳を作っているよ?
0589日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 07:21:21.47
北部九州は中国と交流があるから
薄葬令がある程度伝わっていたが
畿内には伝わっていなかった。
0590日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 07:34:43.88
じゃあ畿内は魏との交渉はなかった。
0591日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:04:09.46
畿内が中国へ出かけて行くようになったのは唐から
中国が初めて畿内を訪れたのは宋船が畿内に来るようになってから。
0592日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:09:58.84
崇神天皇陵だって四道将軍を派遣して戦争中だったし武埴安彦の乱もあったが、
200m超の巨大古墳だろ?
垂仁天皇の治世にも狭穂彦の乱があったが、垂仁天皇陵も当然のように200m超だ
王都に迫る戦乱だった訳じゃないんだし、実際に魏志倭人伝に「卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩」と
書いてあるのを無視して、「戦争中だから小さい墓だ」と決めつけるようなことをすることこそ、
典型的な「文献無視の勝手ルール」って言うんだよww

具体的な反論で簡単に論破されるようなことを言うくらいしかできないのが、
プロの研究者では支持する人が皆無の九州説だな

九州説の中でも伊都国説は雑魚w
0593日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:11:51.19
墓の大きさしか頼るものがないのか。
哀れなり。
0594日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:15:18.77
>>589
>薄葬令がある程度伝わっていたが
>畿内には伝わっていなかった。

薄葬令とかザラコクかよww

那珂八幡古墳は75mあるぞ
畿内の大古墳と比べたら小さいが、魏武帝曹操の墓は30m四方もないぞ
魏の皇帝(諡で、だが)よりデカいのが薄葬令の結果か?
0595日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:21:35.45
>>593
>墓の大きさしか頼るものがないのか。
>哀れなり。

魏志倭人伝に「卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩」と具体的に書いてあるのを
無視するなっていってるだけだよ?

魏使が、倭国では首長の死に際して「大作冢」という文化であることを明記している

九州説は魏志倭人伝しか頼るものがないのに、その魏志倭人伝の記載事項でも
チェリーピッキングしないとどうにもならないから、伊都国説はザコなんだよ

「1号墓と2号墓をあわせて」「周溝まで入れて」測れば25m、っていうのは
やめたのか?ww
0597日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:23:58.73
那珂八幡は倭王家の墓ではないのだろう。
あくまでも前方後円墳は王家以外の豪族の墓で、薄葬令を気にする必要はなかった。
そもそも倭王家の墓は歴代それほど大きくない。
0598日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 08:24:29.50
>>596
マイルールの一つ覚え
0599学術垢版2018/07/07(土) 08:32:22.42
各国比較(非核)歴史学でもいいぐらい日本史の方が女性掘れてる。diggin'
0600学術垢版2018/07/07(土) 08:33:52.90
日本も特殊な成り立ちの国であって、海外のヒストリーも日本史のスキルから
確かめてみるといいと思う。国際的なつながりだけじゃない。世界史のような。
閉鎖性も理由があるが、徐々に解けるだろう。
0601日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 09:05:05.96
イミフ
0602学術垢版2018/07/07(土) 09:47:51.64
意味浅だが・・・・・。表象的というか。わかる?理解しようと知るのではなく
読み書きで反応がある。
0603日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 10:07:18.01
日本語でオケ
0604日本@名無史さん垢版2018/07/07(土) 12:07:00.71
>>598
>マイルールの一つ覚え

ああ、分かった!

「歩は複歩」ってのに、一切、根拠のある反論ができないから
「マイルール」って言葉に逃げて、「批判を返しているふり」が
できていると思っているんだね

根拠なしの憶測だけでできている九州説は、とことん惨めだねぇ!
0605日本@名無史さん垢版2018/07/08(日) 12:06:22.93
「歩は複歩」だから、一歩25センチはあり得ない

「具体的な反論」はできないってことでいいね?
0606subo垢版2018/07/08(日) 20:11:13.48
卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳である。
0607日本@名無史さん垢版2018/07/08(日) 21:27:35.06
祇園山古墳は、古墳時代の最初期ではないし、
方墳であり地域の盟主墳にすら選ばれない墳形

葺き石を持ち段築のある(二段築成)の古墳である以上、
方墳は前方後円墳よりも格下の墳形

それが倭王の墓に使われることはないよ

周りの墓も時代が違うから殉葬墓じゃないし
0608日本@名無史さん垢版2018/07/08(日) 21:37:06.51
>>604
いや、「マイルールの一つ覚え」そのものだろ
何を言われても
「マイルールだ」
としか言い返せないんだもの
オウム返しと同種の思考停止さ
0609日本@名無史さん垢版2018/07/08(日) 21:59:54.44
>>607
>方墳は前方後円墳よりも格下の墳形

根拠なし。
むしろ弥生時代の王墓のほとんどが方形周溝墓であり、その意味では祇園山もその伝統を堅持している。
0611日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 07:18:15.24
どんな根拠?
0612日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 07:39:18.48
>>611
方墳は制度的に成長しないだろ
0613日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 09:29:07.72
意味不
0614日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 09:53:04.11
>>613
わからんかね?
方墳の序列が階級格差として制度になってるか?
0615日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 12:09:45.47
弥生時代に制度とかわかるわけない。
ナンセンス
0617日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 16:51:09.35
伊都国ある倭王家の王墓はいずれも方形周溝墓だが?
0619間違えたので貼り直し垢版2018/07/09(月) 17:48:39.78
漢から倭王に冊封されている。
それ以外の地域の首長はただの豪族だよ。
0620日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 18:11:42.71
後漢時代に印鑑もらったのは王名も記されていない一番南の倭奴国だけ
倭の国々では皆王を稱すのが伝統
0621日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 19:45:43.59
代々の王が印璽として用いるためのものだから個人名はない。
そもそも前提として代々継承できる権威を王として冊封している。
帥升も同じ金印(倭奴国王印)を用いていたはず。
それは倭奴国を倭の代表として支配権を認めていたことになる(それがそもそも冊封というもの)。
皆王を称したのは前漢までであり、後漢以降は倭奴国だけが倭王。
0622日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 19:46:07.45
後漢書で倭とは対馬海峡の国で、その後漢代における倭の内乱を終息させるために共立されたのが卑弥呼であると魏志倭人伝にある。
107年に朝貢した倭王帥升が筑紫にいて、倭王卑弥呼が即位したのが倭国大乱後の190年頃なら、その間は80年余りしかない。
その間に倭は筑紫から大和に東遷したのだろうか?
大率は王都である伊都に置かれ、筑紫倭国における生命線である対馬海峡を鎮守した高官である(後に同盟国となる百済にも同名の官位がある)。
0623日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 20:37:29.99
>>621

後漢書の倭伝に朝賀して印鑑もらった一番南端の倭奴国王の名が無いのだから非倭人だろう
魏志にも名が記されない従属国の伊都国王がいる
名が記された帥升等は謁見を願い出たのだから
印鑑をもらってなかった倭の他の国の王達
その後、倭國は大いに乱れ、漢末に女王卑弥呼が共立される
遼寧式文化圏の倭奴国はその間に分裂か新興勢力が台頭し
女王国に従属し倭国の一部になったのだろうな
0624日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 21:03:06.87
>>623
デタラメな妄想、乙でもなんでもない
0625日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 21:45:26.97
>>624

帥升も倭奴国王印を使ったはずとか、皆王を称したのは前漢までとか
書いてないことを妄想してるのが>>621
0626日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 22:49:32.06
>>625
倭王帥升はどこにいた?
何をもって自らが倭王であることを証明した?
0627日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 23:08:37.30
>>626

倭王じゃなくて倭國王帥升等だから、皆王を稱すのが伝統の倭国の、帥升達だろう
北部九州以外の吉備か出雲だと思うね
0628日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 23:17:38.97
>>627
>北部九州以外の吉備か出雲だと思うね

根拠は?
0629日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 23:19:35.30
57年には一番南の倭奴国が朝見した
107年には他の倭国の王達が謁見を願い出た
今漢者と使訳が通じるのは三十許國
0630日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 23:45:24.40
「他の」なんて書いてあった?
0631日本@名無史さん垢版2018/07/09(月) 23:52:27.90
倭奴国はもう印鑑もらってるから
0632日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 00:02:18.38
帥升がその倭王の身分を証明できたのは、金印を持っていたからである。
そしておそらく卑弥呼も漢の金印を持っていた。
そうでなければ、魏は国書の差出人を倭王と認識できなかったろう。
魏は漢から禅譲を受けて外交関係を継承していたから、漢の与えた金印は有効であり、使者が卑弥呼に謁見した時に、改めて親魏倭王の金印を与えたのである。
これは外交プロトコルを考えれば当然のことである。

仮に帥升や卑弥呼が漢委奴国王印を継承しない人物であったら、魏に対して倭王としての正統性を示すものがなくなってしまうのである。
0633日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 00:19:21.28
曹魏は実力で漢の劉氏から帝位を奪ったんだから関係ない
0634日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 01:42:47.37
関係なくはない。
外交関係はそのまま継承している。
それが孫呉に対する優位性につながる。
当時の国際状況を鑑みれば、帥升も卑弥呼も、倭奴国の後継者に他ならない。
だからこそ卑弥呼も倭王として冊封してもらうことができた。
0635日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 02:01:44.81
曹丕が呉王に封じた呉の孫氏も元々身分低いから
0636日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 07:32:48.89
>>635
だから何だって?
意味ないな。
畿内説の反論は反論になってないよ。
0637日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 07:57:07.49
>>609
>根拠なし。

この「根拠なし」しか言えない九州説の御仁はレベルが低いな

>むしろ弥生時代の王墓のほとんどが方形周溝墓であり、その意味では祇園山もその伝統を堅持している。

古墳時代に入る=新しい墳墓祭祀の体系の創出なんだよ
そして、祇園山古墳は、段築・葺き石をもつ「古墳」
祇園山古墳に「周溝」なんてないだろ?

平成の時代の髪型を江戸時代のちょんまげで説明したらバカだとしか思わないだろ?

祇園山はせいぜい弱小な地域首長墓だよ
国造クラスですらない
0638日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 08:00:07.37
>>622
>後漢書で倭とは対馬海峡の国で、

この時点で妄想だって、早く気づこうね
後漢書も三国志と同じ情報で書かれているから、対馬海峡で倭国は終点ってことにはなってないよ
0639日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 08:12:23.25
>>636

統治する実力がある者を王や侯に封ずる
逆らえば討つべし
高句麗や濊も同じ
倭国では、倭奴国の王統ではないと思うが
郡とのパイプ役の伊都国王はパシリとして残してある
0640日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 08:53:44.66
>>638
倭奴国が終点だよ。
0641日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 08:56:01.36
>>639
卑弥呼の前の後漢代の男王70〜80年は少なくとも帥升とかぶる。
つまり倭奴国、伊都国が歴代の倭の王都になる。
0643日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 18:31:35.71
>>641
だよね。
男王70〜80年→女王を満たす地点が伊都しかない。
平原女王墓が見つかって、
里程と日程の並列読みで解読された時点で、
最終的に解決されている。
0644日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 18:46:33.80
中国本土の度量衡と
楽浪郡など東夷世界の度量衡が違った
という議論なのに、

中国本土の度量衡がどうだったかのみ論じるという意味不明な畿内説。

「一寸千里の法」が東夷伝里という別ソースがある時点で
勝負はついているのだが。
0647日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 19:41:38.80
楽浪郡は東夷世界じゃないだろ
0649日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 19:53:00.55
中華化してるから
0653日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 20:13:51.63
中国本土の度量衡と
楽浪郡など東夷世界の度量衡が違った
という議論なのに、

中国本土の度量衡がどうだったかのみ論じるという意味不明な畿内説。

「一寸千里の法」が東夷伝里という別ソースがある時点で
勝負はついているのだが。
0655日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 20:24:23.27
>>653

ソント人種
0657日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:10:58.94
直前まで公孫氏の支配下だったから。
0659日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:36:47.98
日本列島における辺境の畿内には鉄器ゼロだぜw
洛陽から楽浪まではもっと遠いんだから
度量衡の統一なんて無理無理w
0660日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:44:12.12
東夷伝里

三国志東夷伝において使用されている。
弥生時代の記録としては、現代地図と比較して驚くほど正確に記録されている。
0661日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:46:44.86
『郷に入っては郷に従え』と言ってる人がいたんだけど、
それと、どちらか一方(一方通行)だけの話というのも通用しない

とか

言ってる意味わかる?
0662日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:50:29.03
一方通行ビリビリ
0663日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:51:44.75
大陸からの渡来→衝突←郷に入って郷

というのも通用しない時代とか

>>1
スレッドの話ではないのかもしれないけど
0664日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:57:27.56
鉄器ゼロの倉庫群

万行遺跡 より巨大な倉庫群

稲部遺跡 鉄工房のある倉庫群
0665日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 21:59:50.82
いい加減にアタマのビョーインに行け
と言っているんだよ
0666日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 22:01:37.51
アタマのビョーインではなくても良い、
刑務所(死刑)、または自殺をするとか
0668日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 22:05:35.63
アタマのビョーインに行け
0670日本@名無史さん垢版2018/07/10(火) 22:23:36.10
公孫氏って夷人なの?
0671日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 07:20:04.68
独自の尺度を持つことが独自の権威に繋がるのだとしたら、里も歩も独自のものを定めたかもしれないね。
それを魏から見たら東夷と呼ぶわけだ。
0672日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 08:45:25.83
>>671
そんなもん、魏が採用するわけないだろ
さてはお前、薄馬鹿だな?
0673日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 08:48:09.80
>>672
公孫氏の話だろ。
0675日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 09:12:51.62
伊都国は公孫氏の属国だったんだね
0676日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 09:59:05.88
>>675
なにを突然言い出すやら
脈絡がない
0677日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 11:05:36.57
朝貢していた可能性は否定できない。
0678日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 11:15:34.54
>>676

公孫氏様のご命令に隷従して
漢の公里とは違う、東夷世界の度量衡とかいう公孫氏様独自の尺度を使っていたんだろ?
0680日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 11:20:05.47
>>677は日本語が不自由な人
0681日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 12:31:27.22
>>678
漢や魏との交渉が途絶えていた時期なら当然だよ。
0683日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 12:48:02.52
>>682
日本語が不自由だなw
0684日本@名無史さん垢版2018/07/11(水) 13:06:42.35
>>683
日本語ぁ不自由だなww
0685日本@名無史さん垢版2018/07/12(木) 13:31:59.90
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

N56
0686日本@名無史さん垢版2018/07/13(金) 07:41:52.89
公孫氏は遼東太守として勢威を伸ばし、自立直前まで左将軍という
後漢の官位についていた「漢人」
漢尺の度量衡以外を使う理由がない
0687日本@名無史さん垢版2018/07/13(金) 08:23:45.00
自立したから尺も変えたんじゃないの?
0688日本@名無史さん垢版2018/07/13(金) 09:00:07.76
理由は分からなくても史料実態がそうだからな。
文盲か。
0689日本@名無史さん垢版2018/07/14(土) 22:59:12.52
>>686
>自立したから尺も変えたんじゃないの?

400年以上使ってきた度量衡を急に変えたら混乱して国力が落ちるよ

三国時代に、呉や蜀が度量衡を変えたかどうか考えてみたら分かりそうなものだが
0692日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 14:53:08.51
割るために作った、粗製の仿製鏡をそんなにありがたがらなくてもいいのに

まあ、伊都国を邪馬台国って言うためには、それくらいしないとだめなんだろうけどさ

でも、平原1号墓がどうやっても径百歩にならない時点で詰んでるじゃん
まあ、その前に伊都国と邪馬台国が別の国って書いてある時点でだめだめなんだが
0693日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 16:48:05.71
別に割るために作ったのではなく、生前は儀式などに使っていたのを、卑弥呼が死んだから割ったのだろう。
0694日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 17:45:01.06
>>693
>卑弥呼が死んだから割ったのだろう

死んでから割ったのだとしたら、その後伝世することはないよね?
太陽信仰の象徴としては、卑弥呼の死と同時におしまいになるねw
当然、王権のレガリアにもならないw

その辺の矛盾に、まったく気づかずに思い付きを書きまくるから笑える
0695日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 21:15:28.81
一枚だけ残せばいいだろう。
それがレガリアとなる。
0697日本@名無史さん垢版2018/07/18(水) 23:30:36.43
その程度の反乱?
0698日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 11:53:22.68
>>695
>一枚だけ残せばいいだろう。
>それがレガリアとなる。

平原1号墓から、鋳上がりの悪い、伝統の文様・作図法を無視した
やたらでかい破砕された仿製鏡が5枚出土したのは事実

でも、6枚目があった、というのは憶測か妄想

「あったらいいな」で歴史を語るのが、伊都国説のデフォ
0699日本@名無史さん垢版2018/07/19(木) 11:55:33.97
>>688
こいつだなww

伊都国東遷スレPart7>991
文脈無視の文盲は弥生時代にマンホールがあった証拠を持ってこい、話はそれからだ。

肥溜めの蓋がなかったことの証明はしてもらえなさそうだねww
0703日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 21:18:25.75
婦人の手が実長17cmとしても
「大率掩」八寸と記述されている以上、八寸を多少18cm程度で17cmより大きな長さであったとみなしても良い、と言うことだね。
0706日本@名無史さん垢版2018/07/26(木) 23:32:13.52
尺が男の手の大きさの身体尺
咫が女の手の大きさの身体尺

この二つを同じ大きさって言い張ってるのがおかしいって
早く気づくといいのにね
0707日本@名無史さん垢版2018/07/26(木) 23:49:17.17
>>705
全然、似てない。
0708日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 00:16:32.26
咫が尺の8割くらいなんだろ。
径一尺の円の円周が四咫であるとき、およそ咫は尺の8割になる。
径二尺の平原の鏡の周は八咫。
0709日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 23:26:56.08
その尺が漢尺で、咫は漢の度量衡に入っていないと何度言えばww
0710日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 23:28:05.58
>>707
>全然、似てない。

いや?
内行花文鏡が太陽に見えるってのよりはよっぽど似てるだろ?
0711日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 23:30:16.74
>>708
>平原の鏡の周

鏡に限らず、円形物の大きさを周で表した例があれば1例でもいいから挙げてみな、って
何度言われても答えられないくせにww

円形物の大きさは径で示すんだよw
0712日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 23:38:06.29
>>710
目が節穴とはこのこと
0713日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 23:49:54.66
>>711
鯨尺
0714日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 08:34:59.42
>>713
>鯨尺

鯨尺がなんだか分かってないだろ?w

>>713が言いたいのは曲尺の裏面の丸目のことだと思うが、
その丸目が弥生時代まで遡るわけがないし、
丸目で計った数値で円形物の大きさを示した例がやはりない訳だ
0715日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 08:39:46.88
古文書ってのが、どんな状態で参照されるか考えてごらん
木簡竹簡に墨書きされたものだよ
それが百年単位で伝世してそれを見たときに、篆書とかのごちゃごちゃした
字体で薄れているわけだから、>>705に示した文字は紛れうるよ
0716日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 17:35:19.58
九州説の人は、このスレをきちんと盛りたてて行けばいいのにw

まあ、書くべきこともないのかな?
0717日本@名無史さん垢版2018/08/01(水) 14:21:36.22
捏造、改竄、詭弁で正しいと言い張っても無意味

・短里とかいう架空の単位を捏造
・1里あたりの距離は区間によってバラバラであるにもかかわらず、短里とやらがすべてに当てはまると強弁
・末慮国から伊都国への方角違いを呼子を起点にして正しいとする意味不明な詭弁
・末慮国から伊都国への距離も末慮国の入り口から伊都国の入り口までの距離だという珍解釈
(そんな珍解釈をすると往路と復路で距離が異なってしまう矛盾があることに気づかない低脳ぶり)
・国の中に別の国があるという二重帳簿詐欺
・陸行一月を陸行一日に改竄
0718日本@名無史さん垢版2018/08/07(火) 19:47:08.39
ここには誰も来ないのかい?
0719日本@名無史さん垢版2018/08/07(火) 19:47:24.53
もうそろそろ、平原1号墓出土鏡が八咫鏡ってのは、否定されたって認めたらどうだ?

円周を測って鏡の大きさを表す例はない
鏡に限らず円形物を円周長で大きさを表す例はない
咫は周尺で16.9センチ程度 平原1号墓出土鏡の円周は8.63咫になる
神道五部書の御鎮座傳記では、八咫は大きさではなく八頭の古語であると説明されている
内行花文鏡以外にも、巨大化した鏡種は多くある
平原や三雲、伊都国に八咫鏡があったとする説話も伝承も一切ない
0720日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:29:11.80
八頭の古語ならそれこそ平原の世界最大の超大型内行花文鏡が
唯一無二の八葉ジャマイカ
0721日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:35:55.49
筑紫倭国が滅んで千年以上たっているからなあ。
伝承も失われただろう。
明治はじめにかなり焚書が激しかったらしいし。

引用

「唯一」といったのは、他でもない。明治初年、維新政府の使者が来て、一週間にわたり″、当社の文書を焼きつづけた、という。
ひどい話だ。この「高良記」のみ、社格調べ″のため、京都の吉田家に寄託され、かえって「明治初の焚書」をまぬかれた、という(糸永明典前権宮司による)。
0722日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:37:13.95
なんで維新政府がそんなことするの?
0723日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:42:22.34
>>720
>八頭の古語ならそれこそ平原の世界最大の超大型内行花文鏡が
>唯一無二の八葉ジャマイカ

日本語の「頭」には、あまり尖ったイメージがないんだ
熟語で使われるときは、端っこ、始まりのイメージ

御鎮座伝記の注記の前半部分の「八頭花崎八葉形也」ばかりが引用されるが、
後半の「中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。」のところは
内行花文鏡ではうまく説明できない

「中台円鏡形」という言い方は、中台八葉とのつながりがあるのではないか
御鎮座伝記が書かれたと推定される鎌倉時代は、神仏混淆が進んでいたので
仏教系のイメージの流入も考えなければならない
胎蔵界曼荼羅 中台八葉院
http://www.geocities.jp/kawai5510/IMG_3928-11.jpg
0724日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:42:44.64
~鏡座事
一面者。從月天顯現之明鏡。
 圓形座。三光天衆五飛龍守護~五座。是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。
 月天所作三面之内也。
崇祭止由氣宮是也。

大田命曰久。崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。天照皇太~與一處雙坐。
于時從天上御隨身之寶鏡是也。~代天御中主~所授白銅鏡也。
是國常立尊所化~天鏡尊。月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
~賀吉詞白賜弖。日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
三才所顯之寶鏡也。當受之以清浄。面求之以~心。視之以無相無位。
因以爲~明之正躰也。今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。
已上三面辭竟奉支。

「一面者。八百萬~等以石凝姥~奉鑄寶鏡是也。是則崇祭伊勢太~宮也
  一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
  中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。 」
一面者。日前宮座也。石凝姥~鑄造鏡也。初度所鑄不合諸~意。紀伊國日前~是也。
已上。~代寶鏡是也。
0725日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:46:54.67
>>724
これ自体が後世の解釈に過ぎないからね。
本来の八咫の鏡の意味や姿を伝えているとは言えない。
その意味で、2〜3世紀の段階で世界最大の銅鏡が博多湾沿岸にあったことの意味は大きい。
0726日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:55:24.34
>>725
>本来の八咫の鏡の意味や姿を伝えているとは言えない。

つまり、本来の八咫鏡の意味や姿は、不可知だってことだ

それを勝手に、平原1号墓出土鏡に引き寄せて語るのはやめろって言ってるんだよ
背乗りは大嫌い
0727日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:59:03.55
>>725
>2〜3世紀の段階で世界最大の銅鏡が博多湾沿岸にあったことの意味は大きい。

でも、平原1号墓出土鏡は、内行花文鏡の伝統的な作図法から外れた、袋小路のガラパゴス化した鏡なんだよ
他への影響は、皆無

神庭荒神谷に358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸があった意味は大きい
加茂岩倉に39個の銅鐸があった意味は大きい
のと比べても、平原1号墓はそこまで重視する必要はないんじゃないかな
0728日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 21:18:40.76
>>727
>神庭荒神谷に358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸があった意味は大きい
>加茂岩倉に39個の銅鐸があった意味は大きい

それらの勢力は、事実上消滅したということだよ。
0729日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 21:19:22.04
>>726
>つまり、本来の八咫鏡の意味や姿は、不可知だってことだ

八咫の本来の意味に戻るしかないだろ。
0730日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 21:44:42.69
銅鐸は消滅したじゃん
内行花文鏡は古墳副葬品の最上位じゃん
十種神宝のも内行花文鏡じゃん
0733日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 00:24:10.85
崎は先と音通で端っこの意味
花崎なら花弁のこと

古代後半から中世の宗教人にとっては八葉=蓮華
そして仏のおわす宇宙の中心
0735日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:10:49.43
まさに八葉だな。
0736日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:27:12.48
>>728
>それらの勢力は、事実上消滅したということだよ。

なら、平原の勢力もロウソクの最後の輝きみたいなものだと見ていいんじゃないか?
0737日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:30:17.20
>>731
それを否定してるんだよ

御鎮座伝記をはじめ、八咫鏡の「八咫」が大きさを示すと
言っている古記録、伝承、神話、社伝は一つもない

昭和の時代の思いつきでしかない
0738日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:31:35.27
>>736
>なら、平原の勢力もロウソクの最後の輝きみたいなものだと見ていいんじゃないか?

弥生最後の太陽、それが平原遺跡に眠る卑弥呼なんだよ。
0739日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:34:25.08
むしろ弥生文化の全盛期だから、「最後の輝き」は偏向表現であり、正確ではない。
0740日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:36:41.97
内行花文鏡の伝統の柿蔕文を、8つにしてしまった辺りが伝統兄姉のやっつけ仕事に見える
そして、鏡面中央の小さな区画の特徴を「圓外日天八座」とするのも不自然

「一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。
 八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
 中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。 」

これを平原1号墓出土鏡の描写だとするのはこじつけ
0741日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:38:17.28
伊勢の鏡は後世の贋作?
0744日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:43:36.17
圓外日天八座が仏教の影響だとすると、後世の鏡ということになる。
そもそも実物を検証できないからなんとも言えないけどね。
0745日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:45:06.91
>>739
>むしろ弥生文化の全盛期だから、

1号墓の後も、平原遺跡では3号墓、4号墓と造墓が続くけれど、見るべき副葬品もない
どの辺が全盛期なんだ?

同じ北部九州の吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも40×27メートルの、大きな墳丘を持っているんだが、
それと比べてもとても全盛期には見えないぞ?
0746日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:45:50.04
>>742
結びつけてならない理由はもっとないね
0747日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:49:26.67
>>744
>圓外日天八座が仏教の影響だとすると、後世の鏡ということになる。

それは、御鎮座伝記を書いたのが神仏習合時代の宮司だから、だろ?
圓外日天八座という表現が、後世のものだってだけだよ
0748日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:50:47.93
>>746
結びつける理由がないのに結びつけるのは「妄想」っていうんだよ
伊都国説はこんなのばっかり
0749日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 07:53:14.44
平原1号墓の存在、位置づけを評価し、考える上で、
同じ平原遺跡の5号墓、2号墓、3・4号墓を無視して
考えようとするのが科学的ではないって言ってるんだが?
0751日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 08:07:50.70
>>754
そうだろうね
それに似ていたんだろう
平原の紐と紐座の部分が似ているし、問題ないよなぁ
0752日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 08:11:07.26
>>745
1号墓が全盛期だよ。
0753日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 08:12:26.91
平原遺跡をなんとか過小評価しようと必死なキナイコシ
0754日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 08:13:54.86
>>742
東西に向けられた棺、御柱、鳥居、日向の地名、内行花文鏡の紋様。
0757日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 10:48:42.92
>>752
>1号墓が全盛期だよ。

それは、平原遺跡を家族墓地とした、伊都国ローカルの有力家系の全盛期であって、
弥生時代の全盛期でもなんでもないんだが?

何代も、累代的に造墓しながら、全盛期が一人だけっていう時点で、
倭王でもなんでもないだろうに
0758日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 10:50:28.34
>>753
>平原遺跡をなんとか過小評価しようと必死なキナイコシ

「キナイコシ」さん、こんにちは(定型句)

過小評価も何も、実際小さいじゃん?
同じ立柱を持つ吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓の10分の1以下だよ?
0759日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 10:53:50.61
>>754
>東西に向けられた棺、

真東向いてないよね?
二分二至のような、特別な方角は向いていない
高祖山の山頂も向いていない
日向峠も向いていない
墓坑・棺は周溝で区画された領域の中央からずれている

これのどの辺が、太陽信仰と関わりがあるんだい?
0760日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:00:43.64
>>754
>御柱、

5号墓の柱の指す方向と一致していない
柱は2本以上あった形跡がある
同じく墳丘の軸線に合わせて柱と祀堂を置いている吉野ヶ里北墳丘墓も参考にすれば
柱が太陽とは無関係に立てられたと考えるほうが合理的

>鳥居、

それは単なる通称で、単なる並んだ穴に過ぎない
本物の鳥居であれば、聖域への「入り口」を示すものなのだから、
南東の周溝の切れ目にこそ立てられるべきなのに、西側に位置している
二対ある柱穴が平行ではなく、違う方向を向いている
「二つの鳥居」ではなく、4つのトーテムの可能性も高い
0761日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:05:21.13
>>745
>日向の地名、

現存は日向峠のみ
明治頃までは、高祖山塊を日向山と読んでいた形跡はある

しかし、国名として日向が使われていた形跡はない
日向峠と平原遺跡は6キロ離れていて、特に関連を見出せない

平原遺跡の場所は、三雲遺跡群主要部から見て冬至の日没方向に当たる
平原遺跡と太陽の関係で意味がありそうなのはむしろこちら」
0763日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:09:35.67
>>756
>何か問題あるの?

でかい鏡が出る墓は、そこかしこにあるけれど、
「その鏡が出たから王墓」だとは考えられていない

「でかい鏡を王墓に副葬するのが伊都国の文化であり、それが全国に広がった
 平原はその発端であり、倭王の墓である」
という主張は、「現実」によって否定されるってこと
0764日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:36:42.79
>>757
>それは、平原遺跡を家族墓地とした、伊都国ローカルの有力家系の全盛期であって、

根拠なし
0765日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:39:06.80
>>761
高祖山の東側に日向川もある。
高祖山の北側に日向の小戸がある。
高祖山の南側に日向峠がある。
0766日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:39:57.33
>>763
>「その鏡が出たから王墓」だとは考えられていない

主観に過ぎない。
0767日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:41:23.17
>>761
>日向峠と平原遺跡は6キロ離れていて、特に関連を見出せない

日向峠と小戸はもっと離れているが、日向という地名で呼ばれているのだから、少なくとも高祖山とその周辺全体が筑紫の日向だよ。
0768日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:41:58.35
祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す
0769日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:10:05.76
>>764
>根拠なし

根拠なしとする根拠がないだろ?
倭王の家系の家族墓地だったら、どうしてこんなにちっぽけなんだ?
倭王の家系なのに、前後に厚葬墓がないのはどうしてだ?

どう見ても、弥生文化の全盛期じゃなくて、
「この一族の全盛期」以上のものじゃないだろ?
0770日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:18:16.79
>>765
>高祖山の東側に日向川もある。

日向川 (北海道)(ひなたがわ) - 北海道士別市を流れる天塩川水系の河川。
日向川 (宮城県)(ひなたがわ) - 宮城県石巻市を流れる北上川水系真野川支流の一級河川。
日向川 (山形県)(にっこうがわ) - 山形県酒田市を流れる本流の二級河川。県内最大の二級水系である。
日向川 (群馬県)(ひなたがわ) - 群馬県安中市を流れる利根川水系秋間川支流の一級河川。
日向川 (神奈川県)(ひなたがわ) - 神奈川県厚木市・伊勢原市を流れる相模川水系玉川支流の河川。
日向川 (山梨県)(ひなたがわ) - 山梨県南巨摩郡南部町を流れる富士川水系大和川支流の一級河川。
日向川 (島根県)(ひなたがわ) - 島根県邑智郡川本町を流れる江の川水系の一級河川。
日向川 (岡山県)(ひゅうががわ) - 岡山県久米郡美咲町を流れる旭川水系大瀬毘川支流の一級河川。
日向川 (福岡県)(ひなたがわ) - 福岡県福岡市西区を流れる室見川水系の二級河川。
日向川 (熊本県)(ひむきがわ) - 熊本県菊池市・合志市・菊池郡大津町を流れる菊池川水系合志川支流の一級河川。
日向川 (宮崎県)(ひなたがわ) - 宮崎県西臼杵郡日之影町を流れる一ツ瀬川水系の二級河川。

確かにあるねww
でも、これ、日向峠の向こう側だよね?
日向と平原って、ますます無関係なんじゃないかね?
0771日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:19:13.83
>>765
>高祖山の北側に日向の小戸がある。

小戸はあるけれど、これを日向の小戸だといってるのは、一部の九州説の人だけだよ
日向の小戸だとする積極的な根拠はない
0772日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:20:46.44
>>766
>主観に過ぎない。

以下の古墳で、王墓とされているものが一つでもあったら指摘してくれ
1位 「鼉龍鏡」44.5センチ 山口 柳井茶臼山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3#/media/File:%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F_%E3%81%A0%E9%BE%8D%E9%8F%A1.JPG
2位 「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000700000/e6c59c8777c949b69a9e966a571ddb2d
3位 「鼉龍鏡」38.8センチ 出土地不明だが1位と同じ「鼉龍鏡」
http://www.emuseum.jp/detail/100584/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D825%26num%3D2
4位 「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土
https://lh5.googleusercontent.com/-tkY1W-oL8vY/VNdKvPWKogI/AAAAAAAACPM/HIci-6ZXnNg/s2560/shimoike376.jpg
5位 「勾玉文鏡」35.7センチ 大阪紫金山古墳出土
https://lh6.googleusercontent.com/-wXRTdJSy-nk/VLPb5HnPYRI/AAAAAAAABc8/pCaHbl_7i9I/s2560/sikin359f.jpg
6位 「変形方格規矩鏡」34.9センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000680000/c1f396e370674f8ca9253bba0298bae6
7位 「直弧文帯縁内行花文鏡」34.3センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000690000/afe97a03a9d2456899e83ea787ce89f2
8位 「変形方格規矩鏡」32.7センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000670000/13fd29465df845d1a1d1953cf8a64290
9位 「四仏四獣鏡」30.4センチ 千葉 祇園大塚山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001001000000/1e1c67f63291436080316c0bd8086302
0773日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:22:10.47
>>767
>日向峠と小戸はもっと離れているが、日向という地名で呼ばれているのだから

繰り返しになるが、その「小戸」を「日向の小戸」と言い張ってるのは一部の九州説だけ
根拠は特にない
思い込みから来る、結論ありきの「当てはめ」だけ
0774日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:23:46.13
>>768
>筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原

それ、宮崎の日向を当てるのが普通
筑紫は筑紫島

神武天皇出航の地、美々津も、宮崎にあるんだから
0775日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 14:06:27.20
>>771
>小戸はあるけれど、これを日向の小戸だといってるのは、一部の九州説の人だけだよ

小戸大神宮をなんだと思っているんだ?
住吉神社をなんだと思っているんだ?
0776日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 14:09:56.60
>>769
>倭王の家系なのに、前後に厚葬墓がないのはどうしてだ?

すぐ近くに三雲南小路などほかの歴代倭王の王墓もあるよ。
卑弥呼の前の男王の墓だろうね。
魏志倭人伝の記述からすると、混乱の末にどこかの有力家系から卑弥呼が共立されたのだろうね。
だから三雲とはわずかに違うところに墓が作られたのだろうとも説明できる。
0777日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 15:15:24.37
>>776
>すぐ近くに三雲南小路などほかの歴代倭王の王墓もあるよ。

三雲遺跡群と曽根遺跡群は別の家系と見るのが普通
別の家系だから、墓所の位置が異なる
0778日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 16:09:29.11
>>776
>三雲南小路などほかの歴代倭王

歴代というが、三雲南小路と卑弥呼の間には100年単位の開きがあり、その間の王墓は
検出されていない
0779日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 16:11:38.73
伊都国説の持ち出すものは、基本的に100年から200年、卑弥呼の時代よりも古い
甕棺墓時代のもの

あとは、平原1号墓にすべての望みを託すしかないが、同じ九州の中の
他の王墓、主張墓と比べても非常に小さな方形周溝墓で、王墓とするのはためらわれる
0780日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 16:39:04.02
>>786

三雲井原は古墳前期まで続く複合遺跡だよ?
ちょっと前には、古墳前期の大型建物の跡がみつかっているし

近くの玉造工房の潤地頭給遺跡も古墳前期までのもの

平原にいたっては卑弥呼時代に入っている可能性は十分にある

3世紀前半はまだまだ全盛期だろうね

前期の前方後円墳も沢山あるので、発掘されたら何かわかるんじゃね?
ほとんどが未発掘だからなぁ

糸島市は金が無いし、市民もあんまり関心がないから動きが鈍いんだよね…今年のフォーラムなんか30分は講演の先生達からの市民運動への呼び掛けだったよ…凄い遺跡があるのに残念だって…
0781日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 17:12:20.45
>>780
>三雲井原は古墳前期まで続く複合遺跡だよ?

遺跡としては続く=人は住んでいる
が、王墓が続かない

人が住んでるところは、日本中どこでもあるだろ?
でも、それが邪馬台国の比定地の根拠にはならないってこと
0782日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 17:14:59.65
>>780
>前期の前方後円墳も沢山ある

畿内の大古墳と比べると、二分の一、三分の一のサイズで小さい
伊都国の首長墓としては相応だが、直前に倭王が居た地域のトップの墓としては小さい

同様に、平原1号墓の墳丘規模は、倭王の墓というのはずうずうしい、というレベル
平原遺跡は、伊都国の有力家系の家族墓
平原1号墓は、その「有力家系の最盛期」であって、弥生文化の最盛期ではない
0783日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 17:37:42.90
>>778
井原鑓溝があるな。
あとはまだ見つかっていないだけだろう。
逆に、弥生後期の王墓は糸島にしかない。
0784日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 17:40:19.78
>>781
>人が住んでるところは、日本中どこでもあるだろ?
>でも、それが邪馬台国の比定地の根拠にはならないってこと

これは畿内説へのブーメランだよ。
伊都は外交や産業の中心としての遺跡が大量にある。
そして倭王にふさわしい王墓もある。
国璽たる金印もここに伝世していたと言われている。
0785日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 18:14:37.42
魏志倭人伝をしっかり嫁。

男王が70-80年続いて、それから倭国乱。
卑弥呼は共立されたんだぞ。
そして後継のうち、少なくとも台与は卑弥呼の子孫じゃなくて、親戚。

三雲南小路〜井原鑓溝が70-80年の伊都王家の墓域。
平原1号が女王卑弥呼。一代だけの共立。

魏志倭人伝の記載と完璧に合致しているのに、
それをもって違う根拠にするとか畿内説は勉強不足にもほどがあるだろ。
0786日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 18:34:42.19
記紀に卑弥呼は記されていないからな。
一代だけの女王だったのだろう=平原1号女王墓
0787日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 19:29:55.44
完全に同意。
0788日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 19:54:39.17
>>783
>井原鑓溝があるな。

井原鑓溝という時に、どれの事を指しているんだ?
王墓と呼ばれている遺跡は、江戸時代に偶然見つかったもので、
青柳種信による鏡面のスケッチは残されているが、どこにあったかも定かではない
当然、編年も確定的なことはいえない
とりあえずスケッチから復元される鏡=方格規矩四神(ほうかくきくししん)鏡=は18面で、
その鏡面の図柄の編年から、多くが1世紀前半の新および後漢初期の製作で、墓の年代はこれに
この鏡が海を越え伊都国に定着するまでの期間を加えたものとなる。この伝世期間は、さほどの
根拠はないが100年程度とするのが通例で、それを加えるとおおむね1世紀後半〜2世紀初頭の
間に収まると推定できる。

3世紀の卑弥呼までは、まだまだ100年単位の隔たりがあるよ
0789日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:00:17.22
考古学的知識が皆無なのに「考古学的には〜」と嘘をつく伊都クズ
0790日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:04:41.56
>3世紀の卑弥呼までは、まだまだ100年単位の隔たりがあるよ

倭国乱が2世紀中旬
卑弥呼死去が3世紀中旬

魏志倭人伝の記載と完璧に合致しているのに、
それをもって違う根拠にするとか畿内説は勉強不足にもほどがあるだろ。
0792日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:13:34.07
キナイコシ。。。あわれ杉。。。
0793日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:43:35.47
>>788
>3世紀の卑弥呼までは、まだまだ100年単位の隔たりがあるよ

何年から何年を100年と数えているんだ?
そのうち50年は卑弥呼の治世だろ。
残りのうちの半分は倭国大乱だろ。
遺跡の編年の誤差を考慮すれば、あと一代分の王墓がどこかに眠っているかどうかという程度の話。
伊都にある倭王ぼはほぼ魏志倭人伝に沿って連続している。
0794日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:45:22.34
男王70〜80年が日向三代なら、あと1代分の墓がどこかにあるはずなんだよ。
0795日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:46:19.61
倭国乱前の男王墓が2世紀中旬までだろ。
そこからは戦乱なんだから王墓は無いか、あってもごくささやかな墓。

2世紀後半から卑弥呼の時代になって、王墓なし。
卑弥呼の墓が3世紀中旬。

伊都でFA。
0796日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:52:51.30
倭国大乱の後の最初の王墓が平原遺跡。
そしてその被葬者は三種の神器を副葬された倭国女王。
さて、平原遺跡に眠るのは誰でしょう?
0797日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:56:55.82
卑弥呼しかおらん
0799日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:04:17.27
だよな。
十種神宝も内行花文鏡。
0800日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:06:58.65
三種の神器が紀元前から福岡では王墓に副葬されていたことが、畿内説支持者には相当不快なんだな。
万世一系と相容れないからかな?
考古学的に貴重な副葬品を「まったく意味がない」なんて、恥知らずだな。
0801日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:16:45.73
記紀にも筑紫の日向から神武東征と明記されているのだから、
万世一系と相容れないことはないと思うのだが
0802日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:17:59.36
学問的には無意味な事象を根拠にできると思い込んでる腐った脳ミソ
0803日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:20:00.62
三種の神器なんてくくりは文献の方でも疑われてるのに…
かわいそうだなw
0804日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:25:36.34
実際に出土する副葬品を理解することもできないなんて。
畿内説に入信すると、事実認識も捻じ曲げられるのかな。
では、畿内説では玉、鏡、剣の組み合わせはなんなんだ?
0805日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 22:23:43.21
>>804
倭人伝で南部を領有してるんだから
現代の元首までその権威が連続してたらヤバイんだろ。

こっちがプラスなら
あちらはマイナス
0806日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 22:34:09.99
なんだ、畿内説は半島側の利益で動いているのか。
0807日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 22:36:45.31
狗邪韓国ですら発狂したように倭人領じゃないと言い張る時点でw
0809日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 23:00:39.78
>>804
いろんなところで事実をねじ曲げてると評判なのは糸クズって呼ばれてる歴史学を知らない九州説のじいさんなんだが
0810日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 23:03:32.59
三種の神器=玉、鏡、剣の組み合わせ



紀元前の福岡から現代まで連続しているという

事実

キナイコシ 残念!!!www
0811日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 23:08:56.54
>>808
事実として出土しているのに、目をそらすなよ。
呼称は後世のものかもしれないが、倭王の象徴としての概念はあっただろう。
それとも何か?
畿内説では、三種の神器はいつ成立したんだ?
0812日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 00:36:18.73
>>810
紀元前から現代まで連続してる?
じゃあ、古墳時代前期前半の例をあげてみせてよ
0813日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 00:40:21.18
>>811
出土した事実から目を背けてなんかいないさ
学問的に考察もなく奈良時代に認められる概念を弥生時代に適応させるな、
といっている
0815日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 00:54:57.64
>>813
奈良時代まで伝えられたんだろ。
記録が奈良時代からしかなくても、実際に発掘されるわけだから。
0816日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 01:00:48.19
>>814
>その概念の"源"なのは明らか

個人の思い込みを勝手に事実にするな
同様の主張をしてるプロの歴史学、考古学の研究者をあげてみろ
0818日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 01:14:28.86
弥生の矛形祭器が平安時代にまで連続してるとかいっちゃうバカにはどだい無理
なんたって現実をまるでみようとしないんだからw
0819日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 01:23:44.92
実物が出土しているから、何を言っても無駄
0820日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 01:25:50.80
鏡と矛に対する信仰が継承されているのは確かだよ。
何を言っているんだ?
現実を見ろよ。
0821日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 02:09:05.17
論証なしで結論連呼w
伊都クズにはやっぱり学問は無理w
0823日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 02:33:40.49
そして、歴史の問題を扱っているのに時間による変化を無視するというトンデモ思考
0824日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 06:14:30.77
事実:北部九州が源

解釈:
九州説:北部九州勢力が全国制覇
キナイコシ:全て突然キナイコシ
0825日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 06:18:00.40
事実:
内行花文鏡だけじゃない。
方格規矩鏡にしても大量に北部九州の「弥生」墳墓に副葬されていた歴史があり、
それが畿内の「古墳」からもポツポツと出土する。

解釈:
九州説:九州由来の支配者による伝世品だね
キナイコシ:弥生時代から海外と交流があった証拠だ
0826日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 06:35:09.83
弥生の矛形祭器が平安時代にまで連続してると主張しているとか
決めつけ批判しちゃうバカにはどだい無理

なんたって
弥生の銅鐸祭祀キナイコシは絶滅して
弥生の鏡矛祭祀が現代まで連続しているという現実をまるでみようとしないんだからw
0829日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 09:58:34.56
>>826
「キナイコシ」さん、おはよう(定型句)

祇園祭の山鉾巡行が、弥生時代の銅矛祭祀を引き継いでるとか、バカもいいとこ

祇園祭
清和天皇の貞観11年(869)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が
多数出た。 これは、牛頭天王のたたりであるとして、鎮めるためにお祀りした
祇園社(八坂神社の前身で、祭神は素盞鳴命)を信仰し、病魔退散を祈願したという。

例えば、この画像が、祇園祭の山鉾巡行の「傘鉾」だけれど、「鉾」という字を
使っているだけで弥生時代の鉾とどんなつながりがあるのか教えて欲しいわw
http://blog-imgs-108.fc2.
com/h/a/n/hanagasumi39/aya01.jpg

弥生時代の祭器の矛
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187582
0830日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 13:40:36.90
全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、
神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。
この869年(貞観11年)の御霊会が祇園祭の起源とされている。

ということで、もともとは文字通りの矛だったけど、だんだん飾り付けられて今の形になったんだよ。
矛自体、古墳時代あたりからどんどん祭器としての性格が強くなっていったので、その究極進化型が祇園祭なんだろう。
それは明らかに九州北部を起源とする銅矛文化の系譜だよ。
0831日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 13:42:04.41
wiki 銅矛から引用

日本には朝鮮半島から入ったと思われ弥生時代中期頃から九州のみで生産されていたと思われる。
その後、銅剣・銅戈などのように、しだいに大型化し祭器化する。
0832日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 14:23:13.67
>>830
牛頭天王を画像検索してごらん
牛頭天王は右手に斧または三叉戟を持っているだろ?

牛頭天王に疫病を鎮めるように願うのが祇園御霊会だから、
牛頭天王にちなんで鉾を並べてるんだろ?

弥生の九州の巨大かした祭祀用の矛とは関係ないよ

筑紫の文化は鏡がーっていうなら、鏡じゃなくて鉾である理由を
説明してもらわないと
0833日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 15:07:53.62
>>832
>牛頭天王は右手に斧または三叉戟を持っているだろ?

それが日本風に矛に置き換わっているんだよ。
矛を祭る文化があったからだろうね。
0834日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 15:09:31.03
筑紫の文化は銅矛銅鏡文化だからね。
少なくとも畿内の銅鐸文化は顧みられていない。
0835日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 15:55:49.00
>>833
>それが日本風に矛に置き換わっているんだよ。

でも、牛頭天王にちなんだものであって、弥生以来連綿と伝えられた矛祭祀なんてのは
ないよな?

鏡の祭祀は、神明社その他で鏡をご神体としている神社が多いから分かるけれど、
矛の祭祀をしているところ、神社でいいや、それがあったら教えておくれ
全国に広がってるんだろ? いくらでもあるはずだよな

さあ、教えておくれ!
0836日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 16:01:30.41
>>835
連綿となんて誰も言ってないよ?
でも信仰としてそういう基盤があるからこそ、牛頭天王の持ち物が矛に置き換えられたんだよ。
それこそ銅矛文化が基盤にあった証拠だろ?
矛の祭祀も何箇所かにあり、その中でも最大というかもっとも有名なのが祇園祭なんだよ。
0837日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 16:15:11.59
>>836
>連綿となんて誰も言ってないよ?

弥生時代から祭祀用に進化して使われ続けているらしいよ?

「銅矛はその後も祭祀用に進化して使われ続けたよ?
 京都祇園祭りの山鉾巡行でも、てっぺんに鉾や長刀が立ててあるよ。 」
0838日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 16:19:03.06
>>836
>矛の祭祀も何箇所かにあり

何箇所かって、どこ?
具体的に教えて?
それに全国に広まったなら、何箇所かってことはないと思うんだが?
実際神明社は全国に約5400社あると言われている

祇園祭は、牛頭天王という仏教系の天がもとで、日本古来の信仰とは別だよな?
0839日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 16:19:39.59
神仏習合って知っている?
0840日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 17:07:42.84
>>839
>神仏習合って知っている?

誰に物言ってるんだ?
知らなかったら、祇園祭はスサノオだって言ってるはずだって分かるか?
0841日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 17:10:44.94
じゃあ、
>>838
>祇園祭は、牛頭天王という仏教系の天がもとで、日本古来の信仰とは別だよな?
は意味がないこともわかるよな。
0842日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 17:11:51.56
連綿と、という表現は、例えば沖ノ島の祭祀のようなものに使うのが良いのかな。
0844日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 18:15:12.53
>>841
>は意味がないこともわかるよな。

どこが?
祇園御霊会は、疫病神である牛頭天王を慰撫するのが目的だぞ?
そして、牛頭天王が疫病神というのは、仏教側の教義で習合されたスサノオの性格ではない
日本古来の信仰とは別だよな?

さてはお前、神仏習合ってなんだか分かってないだろ?
0846日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 18:57:23.33
神仏習合を唱えるのはいいけれどもじゃあ仏教に矛祭祀はあるのかとい
0847日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 19:56:47.54
インドに矛は関係ないだろ
神社から銅矛が出土している
そういうことだ
0848日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 20:26:35.65
つまり、古来からある神道の銅矛文化を仏教文化と融合させてできたのが祇園祭。
0850日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 20:40:00.63
>>845
>矛が各地で祭祀されているのは事実だね。

行くらここに文字列を並べても無駄だってばさ!

確認できる根拠を「具体的に」示してくれ
各地でではなく、どこどこのどういう祭り・神社・寺等で祭られているって、
きちんと「具体的に」示して!
0851日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 20:42:42.08
>>850
纒向遺跡から唯一出土した金属器

『銅鐸片』

は?www
0854日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 20:50:10.81
銅矛は副次的なものだな。
各地で祭祀されて、神社境内から出土するけれども。

銅鏡こそ神道の真髄。


銅鐸はないねえ。残念!w
0856日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:06:46.28
200メートル以上の前方後円墳33のうち
24は陵墓指定されておらず
それなりに発掘調査されている。

そのうちたった2つの結果がこれ
>>839

他を調べてみると。。。
大きいからすごいという固定観念は。。。
0857日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:31:59.73
>>854
>銅矛は副次的なものだな。

もう降参か?ww
まあ、最初から無理だからな
九州ローカルの祭器はww
0859日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:34:31.64
>>857
あれれ?

巻向唯一の金属器である銅鐸は???

まさかまさかの鉄器ゼロ???www
0860日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:44:00.46
世界最大ってのは示唆的だよね
0861日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:48:01.29
>>857
泣くなよw
0862日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:49:24.60
銅矛の時点で九州ローカルじゃないんだよなあ
0863日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 21:55:37.20
200メートル以上の前方後円墳33のうち
24は陵墓指定されておらず
それなりに発掘調査されている。

そのうちたった2つの結果がこれ
>>839

他を調べてみると。。。
大きいからすごいという固定観念は。。。
0864日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:08:19.17
>>862
銅矛を持った勢力が九州を出発して西日本も東日本も征服したんだよ。

wiki 銅矛から引用

槍状の刃の下部が袋状になっていて、そこに柄を差し込んで使用する。
袋部の根本付近に半環状の耳が両側につくもの、片側だけのもの、つかないものなどがある。
耳には布などを結び旗印などに使用したと思われる。

日本には朝鮮半島から入ったと思われ弥生時代中期頃から九州のみで生産されていたと思われる。
その後、銅剣・銅戈などのように、しだいに大型化し祭器化する。
0865日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:23:19.61
wiki 天之尾羽張より引用

日本神話は、天之尾羽張(伊都之尾羽張神、稜威雄走)・タケミカヅチ(建御雷神)の二柱とも、剣の神霊であることを表している。
なお「尾羽張」は「尾刃張」で、鋒の両方の刃が張り出した(切先が幅広くなった)剣の意味である。
「雄刃張」で、刃全体が鋭利であることを意味するとも。
「天」は高天原に関係のあるものであることを示す。
「伊都」「稜威」(いつ/いづ)は、神の威力盛んな様子を意味する。
0866日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:28:26.29
神威旺盛な神代の王都、それが筑紫の日向の伊都高千穂宮。
天孫降臨の地にして神武東征の出発地、天つ日御子の宮城。
0867日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:39:28.33
>>865
>なお「尾羽張」は「尾刃張」で、鋒の両方の刃が張り出した(切先が幅広くなった)剣の意味である。

実は銅矛のことである。
0868日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:46:01.99
神威 伊都

伊都志麻 白村江 伊勢志摩
0869日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 22:59:46.62
イザナギとイザナミの国産みは、天沼矛(あめのぬぼこ)を用いてオノコロ島を作るところから始まる。
日本書紀では天之瓊矛。
「瓊は玉のことである」と日本書紀本文に注釈があり、「天之瓊矛」は玉で飾られた矛ということになる。
祇園祭の鉾も豪華に飾り立てられている。

オノコロ島はどこか。
オは接頭語、ロは接続詞で、弥生文化発祥の地である博多湾に浮かぶ能古島のことであるという。
能古島は、弥生時代の倭王の証である漢委奴国王印(金印)が出土したことでも知られる。
イザナギやアマテラスも倭王であったのだろう。

ttps://stat.ameba.jp/user_images/20161229/07/learnjapanonline/7c/1f/j/o3630253213832459822.jpg?caw=800
0870日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 23:05:29.45
【伊観神社】福岡市西区周船寺

由緒書きでは2世紀ごろに「神功皇后を助けた伊都国の主はここから400m先の丸隈山古墳に埋葬されてる」と書かれています。
福岡奴国から遷都してきた伊都国の最初の王である邇邇芸と木花咲耶姫が祭られています。

ttp://livedoor.blogimg.jp/jingu2675/imgs/5/5/55a24db7.jpg
0871日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 23:07:52.95
邇邇芸と木花咲耶姫の王墓は、平原遺跡に近い三雲南小路遺跡です。
江戸時代までは、三雲南小路に近い細石神社が倭王の証である漢委奴国王印を保管していたそうです。
三雲南小路遺跡の被葬者は男女のペアで、三種の神器と、王権の証である璧、さらには平原遺跡を超える数の銅鏡が副葬されていました。
三雲南小路は、筑紫の日向のクジフル山(高祖山)の麓にあります。
0872日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 23:14:17.35
こりゃ確定だぁ
0874日本@名無史さん垢版2018/08/10(金) 23:24:44.81
200メートル以上の前方後円墳33のうち
24は陵墓指定されておらず
それなりに発掘調査されている。

そのうちたった2つの結果がこれ
>>839

他を調べてみると。。。
大きいからすごいという固定観念は。。。
0875日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 00:34:39.92
能古島
0876日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 09:53:53.32
>>871
なるほど。
三雲南小路遺跡をそう捉えると記紀の中に内包できるが、
記紀と無関係とするならば、
別系統の国家が北部九州にあったと言っているのと同じことになるわけだ。
0877日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 21:29:40.93
末蘆(唐津)に官がいないのは
実際に末蘆国府らしき遺跡が桜馬場遺跡までで途絶えていることと合致するが
なんで急に寂れたんだろうな。

漢が滅亡したり公孫氏が出てきたりしても、
朝鮮半島との交易は続くわけだから
末蘆国の重要性はさほど低下したわけでもなかろうに。
0878日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 21:32:01.45
郡使以外は那の津に直接船をつけたんだろう。
0879日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 21:45:39.38
那の津は国内からの集積地だね。
けど楽浪土器も唐津をスルーして伊都三雲に集積しているし、
韓人などの海外系集落も伊都から福岡市西部の海岸沿いに展開していて
唐津には少ない。
0880日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 22:16:05.03
航路がつけ変わった
唐津ー小城が
伊都ー奴国ー御笠川ー宝満山
0881日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 22:27:06.86
唐津は最古の菜畑遺跡から人が住んでいたから
倭人で占められていたんだろう。
四千戸だから伊都の4倍いたんだし。
首都でも無いから海外からの使節は緊急時以外素通りして伊都へ。
新規の渡来人は有能なのは奴国、落人はもっと東へ入っていったんじゃなかろうか。
0882日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 22:36:23.23
・舟でやってくる
・目的地は伊都三雲
なんだから
唐津やまして呼子などで下船することはなくて
湾の中を安全に進んで伊都に近い所で下船する。
0883日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 23:27:45.41
伊都では、
三雲南小路〜井原鍵溝甕棺から平原木棺に墓域が移動
末蘆國では、
井原鍵溝の相方である桜馬場が途絶える。

三雲南小路〜井原鍵溝+桜馬場の甕棺墓政権は
倭国乱で失脚したということ?
0884日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 23:29:42.97
>>874
>200メートル以上の前方後円墳33のうち
>24は陵墓指定されておらず

これ、どこから拾って来た情報だ?
ウィキペディア見ると200メートル以上が33と書いてあるが、
このページの情報だけで、そのうち10基が天皇陵治定されているし
皇族墓も入れれば17が陵墓指定されていて発掘できない

残りは16になるはずだが?

相変わらずいい加減なゴミ情報を何度も書き込むばかりだな
0885日本@名無史さん垢版2018/08/11(土) 23:43:05.05
>>877
>なんで急に寂れたんだろうな。

>末蘆国の重要性はさほど低下したわけでもなかろうに。

それを解く鍵が「東南陸行五百里、到伊都國」なんだと思う
東南陸行では、伊都国には着かないが、佐賀方面へ抜けるのにはちょうどよい

かつては倭国も代表が佐賀方面にあり、そこへ行くためには末蘆国に上陸するのが自然で、
その頃は倭国の玄関口として末蘆国が栄えていた

それが、倭国の中心が移動することおよび一大率が伊都国に置かれることで、
末蘆国の重要性が低下したと考えればよい

そのときの記録が、魏志倭人伝では倭国に上陸してからの記録として伊都国行きに
書き込まれてしまったので、実際に地理と矛盾してしまったと考えられる

さらに推測を交えれば、吉野ヶ里周辺に米多郷という地名が残っていることから
倭面土国が倭米多国と考えれば末蘆国からの東南陸行五百里の目的地として
妥当な位置になる

私のオリジナルじゃなくて、このページの受け売りだけどね
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zatu03.html#rikuko
0886日本@名無史さん垢版2018/08/12(日) 00:00:21.32
三雲南小路〜井原鍵溝の伊都甕棺墓王家の治世に
桜馬場まで存在しているから
伊都三雲を楽浪郡史が目指している期間にも唐津は栄えていたわけで、
航路が変わっていないのに唐津が寂れている。
0887日本@名無史さん垢版2018/08/12(日) 00:43:44.06
甕棺墓の王達が失脚したことで政治区分も変わったということかな。

甕棺墓王の時代は、末蘆國にも伊都にも奴国にもそれぞれ王がいたのが、
平原女王の時代には、
伊都+末蘆國の5千戸を伊都の官が管轄してたんだろうね。
同じ湾に面しているし。

2万戸の奴国と同じく副官までいるのは
広域対応しているからなのだな。
0888日本@名無史さん垢版2018/08/12(日) 20:45:33.76
>>886
>伊都三雲を楽浪郡史が目指している期間にも唐津は栄えていたわけで、

いや、甕棺墓時代って時点で、魏志倭人伝の時代には届かないだろうに
0889日本@名無史さん垢版2018/08/12(日) 21:12:10.71
>いや、甕棺墓時代って時点で、魏志倭人伝の時代には届かないだろうに

議論についてこれていない
0890日本@名無史さん垢版2018/08/13(月) 06:01:03.77
>>889
>議論についてこれていない

>>889がな
まずは、甕棺編年を確認してきてくれ
話はそれからだろうな
0891日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 10:54:46.61
甕棺墓時代は、卑弥呼の時代の100年以上前に終わってるだろ?

北部九州がすごいって言ってる人はそれが平原1号墓を除けば
全部甕棺墓だってことを意識した方がいい

そして、平原1号墓は舶載鏡が2枚しか出ない
九州は、卑弥呼の時代には政治勢力としてはオワコン
0892日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 12:47:51.90
>>891
言っていることがめちゃくちゃ
0893日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 13:03:48.15
>>892
>言っていることがめちゃくちゃ

はいはい、いつもの根拠・理由なしの一言レスww
どこかどうめちゃくちゃなのか、「具体的に指摘」しろと何度言えば
0894日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 13:05:54.46
具体的な指摘の例

平原1号墓は
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓で、
卑弥呼の墓も倭王の墓もない
0895日本@名無史さん垢版2018/08/15(水) 13:08:21.37
各地の地域首長墓、いわゆる王墓級弥生墳丘墓の大きさ

吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え、四方に5〜9mの平坦部、てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

北部九州でも、
須玖岡本遺跡D地点王墓や三雲南小路遺跡王墓は、30メートル四方程度の墳丘があるし
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓も南北約40メートル、東西約27メートルの大きさがある

平原1号墓の墳丘サイズは、平原遺跡の案内看板の数値で、13×8メートル
吉野ヶ里の北墳丘墓の10分の1
0896日本@名無史さん垢版2018/08/27(月) 21:05:40.86
邪馬台国関連のほぼすべてのスレで、伊都国説を持ち上げるやつが激減したな

平原1号墓を卑弥呼の墓だと言い張るやつもいなくなったし、大形内行花文鏡を
卑弥呼の鏡だと言い張るやつもいなくなった

だいぶ、議論が正常かしてきたな
0897日本@名無史さん垢版2018/08/27(月) 22:20:56.76
>>903
いや、伊都説が一番妥当なのは変わらん
やはり、考古学での大陸との関連性を鑑みると一番可能性がある
それは揺るがない

二番はどこ?
という感じ
0898日本@名無史さん垢版2018/08/27(月) 23:18:49.12
そもそも弥生王墓が伊都国か奴国にしかないからな。
その中でも倭国大乱後の女王墓という、この上ない条件が揃ったのは平原遺跡しかない。
0900日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 04:04:25.45
そういうのいいからちゃんと反論しろ
0902日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 07:43:13.72
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
0903日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 07:43:58.68
【倭国】

紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。
0905日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 09:28:28.78
畿内の弥生王墓を挙げてみなよ。
文句を垂れることしかできないキナイコシ君。
0906日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 12:50:01.11
いきなり「畿内」の条件設定w
最初に自分がどう書き込んだかすら覚えてないらしいw
0907日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 14:10:46.63
あなたは畿内説なんでしょ?
さあ、王墓を示してください。
0908日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:02:59.68
弥生王墓が奴と伊都にしかないという戯言に突っ込んだだけなんだけどw
伊都クズさんは都合が悪くなると自分の発言すらしらばっくれるからなぁ
0909日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:04:10.69
他にあるなら出してください。
0910日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:17:37.82
実は、伊都国にも奴国にも、倭国王墓は一つもない

王墓ではないかと巷間言われる厚葬墓があるだけで、
それが王墓であるという確証はどこにもない

吉武高木の厚葬墓は、小さな鏡と、剣と、玉が出たから「王墓」と通称されているだけで
特定集団墓地と呼ばれる一角の中に、他の10の埋葬主体と並んで葬られていたものだ

王と言えるだけの隔絶した身分にあった様には見えない

こういうものを、王墓だといっているだけ

正しくは王墓級とするべきものだ
0911日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:23:20.67
そして、弥生終末期になると、北部九州では王墓級の厚葬墓は見られなくなる

かわりに列島各地で、巨大な墳丘を持つ王墓級弥生墳丘墓が作られるようになる

各地の地域首長墓、いわゆる王墓級弥生墳丘墓の大きさ

吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え、四方に5〜9mの平坦部、てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

北部九州でも、
須玖岡本遺跡D地点王墓や三雲南小路遺跡王墓は、30メートル四方程度の墳丘があるし
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓も南北約40メートル、東西約27メートルの大きさがある

平原1号墓の墳丘サイズは、平原遺跡の案内看板の数値で、13×8メートル
吉野ヶ里の北墳丘墓の10分の1
0912日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:29:42.74
地域首長ならそれでも良い。
博多湾沿岸の小国である倭が天下を取ったのだろう。
その象徴が今日まで継承される三種の神器なのだから。
そして、中国が交渉していた倭も博多湾沿岸の勢力だ。
それが卑弥呼が女王に冊封された国なのだから。
0913日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 18:31:00.83
桜馬場
柚比本村
立岩
吉武高木
楯築
西谷3
西谷4
西谷9
桂見
大風呂南1
赤坂今井
小羽山30
加美Y-1
瑞龍寺山
0914日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 19:39:24.68
>>912
>博多湾沿岸の小国である倭が天下を取ったのだろう。
>その象徴が今日まで継承される三種の神器なのだから。

これがそもそもの誤解
前方後円墳が、全国の地域首長と皇統で共有されたように、
三種の神器と呼ばれるセットも大王の独占物ではなく、
その副葬文化は地域首長と共有されている

特に目立たない、普通の地方の古墳でも3種の神器セットは出ているよ
逆に言えば三種の神器セットが出たからといって、それが王墓であることを
意味しないってこと
0915日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 20:12:29.64
博多湾沿岸に生まれた三種の神器の文化が西日本に波及しただけ。
博多湾においては王家の象徴だよ。
0916日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 20:38:58.20
>>915
>博多湾沿岸に生まれた三種の神器の文化

そういうわりには、3種の神器セットが揃った墓が九州にあまりないのはどうしてだ?
それが北部九州の文化なら、王たるものの墓は常にそれをそろえて具備しないといけないんじゃないのか?

地域首長が死んだときに、たまたま揃ってたら、セットで副葬されるってくらいに見えるんだが?

その辺、きちんと説明できるかな?
0917日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 21:03:29.91
まだ議論が続いてると思っているキナイコシw
0918日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 21:44:21.54
はじめはめぼしい宝物を適当に
副葬してたんじゃないかね?

そのうちそれが定式化すると
そのスタイルを守らなければ
ならなくなってくると。
0919日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 21:50:01.57
横やが三種のつうか玉と刀なんやなあ(もっといえ翡翠と鉄
日本海沿岸倭国と【弁韓=在朝鮮半島縄文人】の【交易=富】の象徴よ?
鏡はついでやろ
ショーガもダックもキョトンとすな?
0920日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 22:30:38.68
>>916
本来は王の世代の数だけあるけど、千数百年の間に失われたり、まだ見つかってないだけかと。
江戸時代以降は鏡や発掘時の記録もあるけれど、戦国時代以前に見つかった場合は記録も何も残らないだろうから。
そしてすべての墓が三種の神器を持っているわけではないのは、やはりそれが限られた王だけの持ち物であった証拠だよ。
0921日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 22:32:25.25
>>918
>そのうちそれが定式化すると
>そのスタイルを守らなければ
>ならなくなってくると。

つまり三種の神器が定型化して、伝統として今日まで継承されたわけですね!
後に筑紫から大和に進出した天皇家にも継承されたのですね。
0923日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 23:02:29.31
>>919
あんたズルいなw

大国主は何人?
0924日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 23:15:37.91
>>919
鏡は漢からの冊封の証であり、王位の象徴そのものですよ。
おまけじゃありません。
0926日本@名無史さん垢版2018/08/28(火) 23:57:43.15
直径7センチくらいの小さな鏡が、王権に象徴って言われてもきょとんとするだろ?
0927日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 00:12:30.75
征服した土地で「これをアマテラスと思って拝みなさい」と祭らせるのに使うんだよ
0928日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 00:24:28.21
キナイコシの自宅を埋めてその上に永久保存施設&銅鏡www
0929日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 07:46:36.18
>>927
>征服した土地で「これをアマテラスと思って拝みなさい」と祭らせるのに使うんだよ

7センチくらいの小さな鏡じゃ神様感がないだろ?
銅剣にしろ銅矛にしろ銅鐸にしろ、弥生時代にはもっとでかい青銅祭器があるんだから
鏡なら何でも王権の象徴、なんていう雑な議論は通らない
0930日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 07:49:49.22
でもその大きな銅鐸文化は滅んだのですよ。
0931日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 17:03:47.43
鏡の後ろには、銅矛や鉄鏃を携えた兵士がずらりと並んでいただろうしね。
高天原の天津神は出雲の大国主さえ下し、大国主の遺言の通り、誰も逆らう者なく西日本は倭(対馬海峡-博多湾沿岸勢力)の支配下となった。
0932日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 17:05:46.85
鏡の無い地域には7cmだろうが脅威だよ
0933日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 17:18:37.88
>>925
魏志倭人伝を読んだことないの?
そもそも鏡は中華皇帝が倭王に与えるものなんだよ。

でもそんなことも知らない畿内の蛮族には、銅鏡と銅矛をセットでちらつかせるだけで十分。
大船団で押しかけて、逆鉾を稲佐の浜に刺して、その前で胡座をかいて降伏を迫るだけで良い。
0934日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 17:52:28.77
>>933
>でもそんなことも知らない畿内の蛮族には、銅鏡と銅矛をセットでちらつかせるだけで十分。

銅鏡と、銅矛がセットで出ている遺跡を挙げてごらん?
できるものならな!
0935日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 19:01:42.57
吉武高木遺跡
0936日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 20:07:44.19
吉武高木遺跡はまだ、盟主が有力者の一群の中に埋没している状態
王墓扱いされるけれど、遺跡(墓地)の様態から見て集団中の唯一人の権力者という段階にはない
0937日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 20:20:14.94
その集団が倭なんだよ。
そこから他の地域の勢力を駆逐して成長していくんだよ。
実用武器としての銅矛と権威の象徴としての銅鏡が一貫して用いられている。
0938日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 20:37:41.47
>>937
>その集団が倭なんだよ。
>そこから他の地域の勢力を駆逐して成長していくんだよ。

誤解してるだろ?ww
「地域の中の盟主」じゃなくて、「吉武高木村の中の盟主」だぞw

吉武高木遺跡の、集団墓地の一角に特定集団墓地と呼ばれる区画があって、
その中に11ヶ所の埋葬主体がある
王墓と一般に言われる3号木棺墓はその中のひとつであり、特別扱いはされていない

副葬品が他の埋葬主体と比べて立派な厚葬墓であり、吉武高木の当時の
第一人者であったのは確実だが、それでも王と呼べるほどたと隔絶した存在には
なっていない
0939919垢版2018/08/29(水) 20:46:50.95
>>923
>あんたズルいなw <
あん?
>大国主は何人?<
二通りに受け取れる問いやな?
芦原中津王ことオオナムチは須佐の娘婿とその子々孫々五、六世代兄弟姉妹母系相続込みでほぼ200年20人位じゃね?
DNA国籍は知らん(適当じゃが初代近くのオオナムチの小さい友たるスクナなんたらは対馬海流でやってきて越から銅鐸もたらした人や?
出雲王朝は山陰から銅鐸消える扁平鈕式直後までくらいやな(事実関係は自己確認すれ?酔っててようぐぐらん
四隅突出は国譲り受けたアマテラスさんが三次に置いた出雲目付役かも
だから国譲りは1世紀じゃね?
で壱与ちゃんの頃今度は四隅突出族がヤマトに追われるんやな
壱与ちゃんのシルクパンツの裁断痕跡がどこぞの四隅突出から出た?(わりとマジレス

>>924
三種組み合わせは玄界灘の交易勢力始原ですしミラーが朝貢貿易で手に入ったのも正解やろけど?
レガリアとして利用したのは継承資格が不明確やった継体さんからかも
因みに畿内に持ち込んだのは宗像と近江のコラボで吉備祭祀の巻向素通りの桜井茶臼山やな(三輪王朝は物部にも裏切られたかも
0940日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 21:09:44.82
桜井茶臼山が平原1号墓の上位互換なんだから、
平原1号墓を持ち上げる理由ってないだろ?
0941日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 21:17:45.30
下位互換でしょ。
あと、時代の順を考えると、筑紫の勢力が大和に進出した証拠そのものでしょう。
0942日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 21:19:03.63
ジョカ君は時系列込みで思考する癖つけんと読者が焼酎吹きだすよ?
平原と茶臼山比べてどうなるんやろ?
0943日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 22:12:47.31
桜井茶臼山古墳を持ち出すなんて、畿内側のオウンゴールでしょ。
三角縁神獣鏡を足元に無造作に並べ、平原遺跡と同じ内行花文鏡を絹袋に入れて奉納した古墳でしょ?
三角縁神獣鏡のエリアは筑紫の配下ですと証明しているようなもの。
0944日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 22:49:38.98
>>943
桜井茶臼山持ち出したんは卑弥呼さんの都が玄界灘沿岸域で壱与ちゃんの頃の畿内全域はヤマト王権たる狗奴国やと考えてる人よ?(畿内説ちゃうわ?
0945日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 22:55:02.42
じゃあ邪馬台国は玄界灘沿岸ということで。
0946日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 22:57:59.27
首都や官僚の二重かつ不合致表記はありえんち?(九州男児風
0947日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 23:00:35.91
ギリギリ肥国日向国併せて70000戸はありかも?
0948日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 23:07:16.36
桜井茶臼山は盗掘でメタメタにやられていて
副葬品の原位置は全くわからなかったと思っていたが
記憶違いだったかな?
>>943
0950日本@名無史さん垢版2018/08/29(水) 23:25:43.88
博多湾から見つかった金印による冊封は東アジア全体における枠組みだぞ。
0951日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 02:13:39.72
毎度都合が悪くなると自分が書き込んだ内容をねじ曲げる伊都クズ乙
0952日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 10:56:05.70
>>948
それで合ってるよ

>>943は黒塚古墳(三角縁神獣鏡を棺側に並べる)や、
下池山古墳(大形内行花文鏡が出土)がごっちゃになってて
混同するくらいの知識の浅い人

九州説にありがちな人だよ
0953日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 10:59:19.39
>>947
>ギリギリ肥国日向国併せて70000戸はありかも?

複数の国を合わせて戸数を示すのは、国や地域全体の戸数であることを
「凡五十餘國 大國萬餘家小國數千家 總十餘萬戶」のように明記してあるから、
邪馬台国一国の戸数を、そういう数え方するのは無理
0954日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 11:08:29.35
>>941
>下位互換でしょ。

盗掘後の残り物だけで桜井茶臼山古墳からは
判定できたものだけで81面が出土しており一つの墳墓からの出土では、
枚数、鏡種ともに最高数だよ
その内訳は
三角縁神獣鏡       26面
内行花文鏡(国産)    10面
内行花文鏡(舶載)     9面
画文帯・斜縁・四乳神獣鏡 16面
半肉彫神獣鏡        5面
環状乳神獣鏡        4面
だ龍鏡           4面
細線獣帯鏡         3面
方格規矩鏡         2面
単き鏡           1面
盤龍鏡           1面

副葬されたのは古墳時代でも、かなり古い鏡種も多く出ている

筑紫の勢力が進出したのだとしたら、
どうして平原1号墓の時に埋能しなかったのかな?
平原遺跡は、仿製鏡がてんこ盛りなんだけど?
0955日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 12:28:37.79
銅鏡製造については
平原遺跡はもう輸入から国産に変わって
来たということだろうね。

まあ、ちょっとやりすぎて
大型内向花紋鏡なんて魔改造も
やらかしちゃったりしてるけどね。

たたら製鉄を過ぎて、7世紀頃から
斜め高炉を最初にやってたのが
糸島の元岡遺跡だ。

大陸との交流が多いからだろうけど
技術的にはいろいろと先進的な地域だね。
0956日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 13:15:14.74
>>954
残念!
大きさでわずかに負けている。
まあでも三雲や平原など、伊都国にあった倭王権の末裔であることは間違いない。
0957日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 13:18:48.23
>>955
>平原遺跡はもう輸入から国産に変わって
>来たということだろうね。

そうだね。
卑弥呼は新しいピカピカの鏡の方を好んだのだろうね。
平原の年代を3世紀と見るか2世紀と見るかで国産の銅加工の歴史がだいぶ変わるわけだけど、量産と大型化は漢の時代にする必要がないから、やはり倭国大乱後の卑弥呼の治世と考えるのが自然。
つまり倭国大乱後の倭国女王墓である平原遺跡が卑弥呼の鏡。
0958日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 16:57:10.00
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0959日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 18:55:17.48
ちょい横から余談失礼
>>949-950
明帝側からは詔や金印で倭王にしたったから冊封で正解なんやろけど?
卑弥呼さんサイドからは劣化版漢後継国に占領された直後の帯方向けに
引き続き韓鉄採取するけど邪魔すんなよ?あん?
くらいの挨拶やったんが不釣り合いの返礼品や倭王印押し付けられての格下扱いにちょい戸惑ったかもな(そこらへんは皇帝の気の使い方に免じて文句言わんかっただけかもよ
教科書どうなってるかしらんが個人的には卑弥呼さんのはゆるーい朝貢外交とか朝貢交易のがピッタリやな
実際互いに軍事力融通した形跡なかったろ?両者にせいぜいの効果は東夷や狗奴への牽制くらいや


それよか冊封顛末で注目すべきは難升米の日程予定激変の慌ただしさじゃね?(卑弥呼さんが辻地区にいたら無理や?出張先の帯方からホウレンソウできんやろ?
0960日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 19:01:27.98
ありゃ?
>>953
意味不明な突っ込み入れてきた人いはるな?ジョッカ君ちゃうな?山海爺さん?(焼酎口に含む前でよかったぞな
>肥国日向国併せて70000戸<3世紀には熊本宮崎県境あったから✕てか?
どこぞの爺さんと大差ないただの逆発想やぞ(>なんたらかんたら<畿内なんてなかったから✕
律令や置県の境界を便宜上借用したのは畿内説と同じよ?
3世紀の九州中央部の国境普通知りませんがな?(どうせやったら土器様式の分布域どうたらの突っ込み欲しかったな?隼人より北側

まあ>ギリギリ肥国日向国併せて70000戸はありかも?<書き込んだんはどこぞのスレで熊本宮崎にまたがってるいう説目にしたからちらりと検証したまでで特に強弁しません(畿内説よりオッヅは低いけどな?5倍くらいや
0961日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 19:06:14.59
>>954
宗像さん祭ったるの知らんの?
0962日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 19:10:45.80
>>956
>まあでも三雲や平原など、伊都国にあった倭王権の末裔であることは間違いない。<
そうかもやけど?
伊都国にあった倭王権は宗像さんとちょい別系統かもよ?
0963日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 20:47:11.76
>>959
>教科書どうなってるかしらんが個人的には卑弥呼さんのはゆるーい朝貢外交とか朝貢交易のがピッタリやな

そりゃ、他の国だって冊封のあり方にそれなりに考えるところはあるかもだが、それをこらえるのが外交だよ。
結果として卑弥呼は冊封を受け入れているし、そうでなけりゃそもそも朝貢しない。
それまでおそらく朝貢していたであろう公孫氏が魏に滅ぼされたのだから、次は倭が滅ぼされるかもという焦りもあったろう。
0964日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 20:50:25.68
>>961
記紀では宗像は筑紫への天孫降臨を支援する立場であり、協力関係が確立されていますね。
今では交通安全の神様だそうです。
しかも、宗像大社の神宝は八咫の鏡だという話もあるので、価値観を共有する別氏族といったところでしょう。
0965959から959垢版2018/08/30(木) 21:04:24.45
宗像について追記します
後世の神主さんのこと言うてんちごて信仰対象のことよ?
海運現場の担い手に1票!
つうか無人スレ?
0967日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:08:36.60
大野くんも大谷くんもしょうへいやな?豆知識
0968日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:12:03.19
お爺ちゃんらも応援したれ?
0969日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:13:44.45
ジャマイカかちよった?
0970日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:14:47.10
ジャマイカン?
0971日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:15:51.25
ジャマイカ生まれの大阪育ちや?
0972日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:19:52.38
>宗像大社の神宝は八咫の鏡だという話もあるので、<
マジ?ミラーが海運船団の通信つうこと?
0973日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:24:00.59
>>970
ジャマイカで釣れるのは呟き先生やな(おひさ∧∧
0974日本@名無史さん垢版2018/08/30(木) 21:29:51.38
>>963
レス見逃してました
卑弥呼さんにさしせまった脅威はヤマトたる狗奴やな
0975日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 00:13:48.58
>>972
>>宗像大社の神宝は八咫の鏡だという話もあるので、<
>マジ?ミラーが海運船団の通信つうこと?

西海道風土記逸文に、宗像神社の邊津宮の神宝が八咫鏡だったというのがあるんだよ
『西海道風土記曰、宗像大神、自天降居埼門山之時、
 以青玉置奧津宮之表、以八尺紫玉置中津宮之表、以八咫鏡置邊津宮之表、
 以此三表成神體之形而納置三宮、即隱之因曰身形郡後人改曰、
 宗像其大海命子孫、今宗像朝臣等是也云々』

ただ、宗像神社の社伝その他には八咫鏡があったという記述はない
0976日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 00:16:40.73
>>955
>銅鏡製造については
>平原遺跡はもう輸入から国産に変わって
>来たということだろうね。

ということは、平原1号墓の被葬者は、魏朝から銅鏡100枚を
もらった人物ではないってことになるな
0977日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 00:28:33.74
>>962
全部破片なのが残念
元鏡に戻せるものは一つもない
破片のみと完鏡近くまで復元できる場合とは意味が違うだろう
盗掘があったことと、この点が残念ではある

鏡の材料をバラまいた様に見えるね
0978日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 00:29:16.77
>>976
一応貰ったけれど、配ったり溶かして八咫の鏡にしちゃったりしたんでしょう。
0979日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 11:06:59.06
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0980日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 20:27:51.32
>>975
田島さんのところやね
いまは無くなったんならお伊勢さんに元々あったんはそこから持ち出したのかも?

>>977
フムフム?
破鏡文化と粉砕鏡文化ですか
破鏡が再生の祭祀で粉砕は水銀同様不滅の祭祀に一票(自信無い
0981日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 20:31:01.06
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。

内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
伊都にある王墓の代表である三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は内行花文鏡を王権の象徴として漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことになる。
八咫鏡はニニギら日向王家の象徴であるが、それが日向峠のある高祖山周辺にあったことで、伊都が記紀に伝えられる倭国の旧都、筑紫の日向であったことがわかる。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口、日前は西の出口にあり、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
筑前国風土記では、沖ノ島辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、辺津宮、伊都に5枚で、最低でも10枚は存在していたことになる。
この他に日本書紀では筑紫の帥である神夏磯姫が所有していたことが記録されているが、顛末は記録されていない(上記のいずれかと重複している可能性がある)。
0982日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 20:32:36.72
>>979
ん?読みましたがスクナビコナ君がどこからきはったのかさっぱり伝わってきませんよ?
0983日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 20:39:37.82
天より流れ着いたる一艘あり
鏡をもたらしたるはスクナビコナなる越人なり?(ちょい挑発
舟に名付けたるは天の鏡の船
0984日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 20:46:37.13
項羽劉邦の時のミラーはどんなん?詳しい人教えれ(つうか教えて下さい
0985日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 21:43:27.48
ダック?のコピぺの他は無人スレやね?
ミラースレ最末期やぞ(工夫せんと視聴率0やぞ
ぱっと見ですが今宵の金ロはハリポタそっくりやね
卑弥呼さんも最後は魔女狩りかも?
0986日本@名無史さん垢版2018/08/31(金) 23:51:21.94
あめのかがみのふね?に無反能?
じじいども遠慮せずに美味いもんたべれ?
0987日本@名無史さん垢版2018/09/01(土) 11:33:32.89
>>981のコピペがまったく意味がないのは方々で書いた

ないものをあったと言い張るのは止めれww
0988日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 07:51:03.53
日本書紀には皇統と無縁の八咫鏡の例も載ってる

日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇

別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連連、未詳何姓人奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
是、角臣等初居角國而名角臣、自此始也。

小鹿火宿禰も大伴大連も皇族でも皇統でもないだろ?
その間で、詫び証文的に送られている鏡が「八咫鏡」と呼ばれている
これは三種の神器とは無関係

つまり、普通名詞としての「八咫鏡」だよ

八咫鏡という名前がそれだけで皇位、王位の所在を示す訳ではない
筑紫の帥である神夏磯姫の鏡もこの文脈だろ
0989日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 07:52:54.18
また、皇統と無関係の「八尺瓊勾玉」も日本書紀に出てくる

日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇

昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上?宮也。

もともとは、「八咫鏡」も「八尺瓊勾玉」も普通名詞として、
三種の神器以外にも使われていたことが分かる

鏡、玉、剣のセットが出たからといって、それだけで三種の神器という意味にはならない
0990日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 07:58:57.18
伊勢の八咫の鏡が本来の八咫の鏡ではない。
三種の神器は王権の象徴として考古学的には紀元前から定型化している。
0991日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 08:03:20.90
>>988
>筑紫の帥である神夏磯姫の鏡もこの文脈だろ

神夏磯姫の場合は、三種の神器として榊にかけて船上に掲げており、筑紫の帥(倭王)としての権威を示す船印として用いたのだろう。
後世の「一般名詞化」されたとかいう話とは別だよ。
0992日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 11:23:59.86
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0994日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 18:13:33.74
>>991
>後世の「一般名詞化」されたとかいう話とは別だよ。

話が逆
もともと、首長層の共通の祭器として、鏡や勾玉、剣があり、そのうち
皇室の権威とともに長く伝世したものが、皇室の権威を背景に神器となるんだよ

普通名詞の例として出した小鹿火宿禰も、豪族の長であり首長層の一員だから
その鏡が「八咫鏡」と呼ばれるんだよ

神夏磯姫の場合も同じ

神夏磯姫は景行天皇の時代だから古墳時代のことだけれど、
山口の赤妻古墳や山梨県の笛吹市平林2号墳のような、特に目立たない普通の古墳でも
三種の神器の、鏡、玉、剣がセットで出ている

三種の神器を持っているから、倭王だとか、王統の人物だとか言える訳じゃないよ
0995日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 21:46:51.21
>>994
>もともと、首長層の共通の祭器として、鏡や勾玉、剣があり、そのうち

その首長層が皇祖なのだから、倭王の象徴が三種の神器で間違いないだろう。
0996日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 21:50:38.24
>>994
>山口の赤妻古墳や山梨県の笛吹市平林2号墳のような、特に目立たない普通の古墳でも

そこに八咫の鏡は含まれていない。
彼らが筑紫の王族の末裔であることがわかるだけ。
八咫の鏡を含む三種の神器を明記され、筑紫の帥(倭国王)とも明記される神夏磯姫は特別だよ。
0997日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 23:11:06.08
>>995
>その首長層が皇祖なのだから

>>994でいう首長層は、各地の在地首長のことであり、のちの国造や縣主にあたる多数の人を指す
それが全部皇祖なんてことはないだろ?

三種の神器が出たら王墓だとか、三種の神器が揃ってるから被葬者が倭王とかいうのは
意味がない

単に在地の首長だというだけ
0998日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 23:12:24.29
>>996
>筑紫の帥(倭国王)

筑紫の帥という時点で在地の首長だよね
倭国王ではあり得ない
0999日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 23:22:27.22
古墳から出土した大型鏡としては、
1位 「鼉龍鏡」44.5センチ 山口 柳井茶臼山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3#/media/File:%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F_%E3%81%A0%E9%BE%8D%E9%8F%A1.JPG
2位 「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000700000/e6c59c8777c949b69a9e966a571ddb2d
3位 「鼉龍鏡」38.8センチ 出土地不明だが1位と同じ「鼉龍鏡」
http://www.emuseum.jp/detail/100584/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D825%26num%3D2
4位 「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土
https://lh5.googleusercontent.com/-tkY1W-oL8vY/VNdKvPWKogI/AAAAAAAACPM/HIci-6ZXnNg/s2560/shimoike376.jpg
5位 「勾玉文鏡」35.7センチ 大阪紫金山古墳出土
https://lh6.googleusercontent.com/-wXRTdJSy-nk/VLPb5HnPYRI/AAAAAAAABc8/pCaHbl_7i9I/s2560/sikin359f.jpg
6位 「変形方格規矩鏡」34.9センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000680000/c1f396e370674f8ca9253bba0298bae6
7位 「直弧文帯縁内行花文鏡」34.3センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000690000/afe97a03a9d2456899e83ea787ce89f2
8位 「変形方格規矩鏡」32.7センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000670000/13fd29465df845d1a1d1953cf8a64290
9位 「四仏四獣鏡」30.4センチ 千葉 祇園大塚山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001001000000/1e1c67f63291436080316c0bd8086302

王墓とは考えられない墓からも大きな鏡が出ているし、
内行花文鏡だけが大きな鏡となっている訳ではない
1000日本@名無史さん垢版2018/09/02(日) 23:23:18.39
こんな生産性のないスレで、次スレなんて立てなくてもいいのにw
10011001垢版Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 85日 4時間 40分 38秒
10021002垢版Over 1000Thread
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。


───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────

会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。

▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/

▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

ニューススポーツなんでも実況