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平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
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0001日本@名無史さん垢版2018/06/09(土) 18:42:40.44
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0091日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:19:13.91
八咫の鏡を作り上げた時の設計者のドヤ顔が想像できるかのようだ。
この上ない完璧な鏡だね。
これが天皇家の神宝になったわけだ。
0092日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 19:26:21.30
<周〜漢>
尺=十寸、咫=八寸
丈=十咫、歩=八咫
<隋〜唐>
大尺 小尺 同じ比率

秦代には九九存在 八掛けで寸単位で円周長計算可能
漢代の数学者が円周率計算 咫尺法を理論的に確認していた

壱岐カラカミ遺跡出土 瓦質土器に「周」の文字
万葉集には九九存在
平城京出土木簡に九九記載、八の桁あり

昔の九九は九九 八十一からスタート
八の桁が重要だったから
009387垢版2018/06/12(火) 19:53:34.15
>>89
私は

西周
尺=十寸(=後の咫=約18cm)
東周以降
尺=十寸=約23cm

だったのではないか?と思ってます。
0094日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 20:08:21.37
>>93
考古学的に裏付けられますね。

>伝安陽出土「商骨尺」16.95cm(殷代)

尺は少しずつ大きくなりますが、
大きな変化がある時は、10対8、約1.2倍で確変しますね。

西周→東周
漢魏→隋唐
0095日本@名無史さん垢版2018/06/12(火) 22:39:59.22
>尺は少しずつ大きくなりますが、

円周率は3.14だからね。

咫尺だと計算は簡単だけど、円周率=3.2だから
円周長はわずかに長くなる。

古代ならそんなに小さなものは作る技術が無いから問題ないけど、
時代が下るにつれて技術力が向上して精度が上がり、
3.14に向けて合わせようとする=尺がちょっとずつ大きくなる
0096日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 06:26:08.96
一通り読みました。

この結果をだれか糸島市にお知らせしませんか?(笑
平原の大型内行花文鏡は八咫の鏡だった!って

今さら何を当然な?なのか
何言ってんだこいつ?になるのか気になる。
0098日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:09:30.18
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

(1)中婦人手長=八寸=咫=周の基準長
(2)中婦人手長=周尺x八寸=咫=周の尺度の一つである

二つの解釈があり得ると思います。

(1)の場合は咫=約18cm=周尺
(2)の場合は咫=約14.5cm、周尺=約18cm

(2)の場合が婦人の手長の実長に合うと思います。
どちらの場合も周代の基準長である尺は同じ長さになりますね。
0099日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:18:55.53
一方で
>>87
古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸
からも古周尺が約18cmであることは間違いないように思います。今周尺である東周尺の現物があるからです。
0100日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:32:10.40
丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈

周制、八寸を尺と爲し、十尺を丈と爲す
人長八尺 故に丈夫と曰う
>>78
身長 が(漢尺で)八尺(八十寸)の人を、丈夫という だな

十尺を丈としたのに八尺の人を丈夫と呼ぶのはおかしいので、
この十尺と八尺は違う基準長の尺になります。
前段の「周制、八寸を尺と爲し」の八寸は漢尺の八寸を意味することがわかります。

つまり、説文解字注の八寸は漢尺=今周尺を前提にした寸長である。
0101日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 07:42:30.90
>>99
ではもどって
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

この八寸の解釈が(1)(2)どちらになるのか?
(1)に思えますが、実長と乖離していることも尊重すると(1)(2)どちらにも決めきれないのではないでしょうか。
0102日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 08:04:58.96
ただし、重要な指摘がありますね。
>>37

>周代だと、咫=八寸を満たしたとしても、
>咫<周尺になってしまいます。
>逆に隋唐以降だと、咫=八寸だと、咫>周尺ですね。
>
>ということは、咫が長さの単位として使われたのは、
>漢代ということになります。

(2)のように解釈したとしても
(1)が導かれることになるのです。

咫は絶対値としての固定長なのか
8割を意味する相対関係を言ったものなのか?

10対8の不思議な関係が隋唐代の大尺小尺にまで至っていることを考えると、
周の時代は(2)であったとしても
漢代には(1)になっていた、少なくともそう思われていた可能性の方が高いように思います。

ということは漢の時代の咫とはやはり周尺18cmを意味するのでしょう。
0103日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 15:27:42.70
8割という換算率だけがつたえられていて、
後漢代の説文解字の時点で、周代の事実はわからない状態になっていた、伝聞情報だったんでしょう

あいにく、古代尺の中で西周時代の尺は出土していないようです。

商の牙尺 15.78cm 中国歴史博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の牙尺 15.80cm 上海博物館収蔵
(伝殷墟出土)
商の骨尺  16.95cm 故宮博物院収蔵
(伝殷墟出土)
東周銅尺  23.09cm 南京大歴史系文物室
戦国骨尺 21.94cm 中国歴史博物館収蔵
戦国骨尺  23.05cm 中国歴史博物館収蔵
戦国銅尺 22.52cm 中国歴史博物館収蔵
秦の木尺  24.00cm 甘蕭省文物考古学研所蔵 
殷の骨尺 15.77cm 黒川古文化研所蔵
商野骨尺  16.79cm(旧蔵)南京博物館
0104日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 21:03:31.02
【説文解字】尺
尺,十寸也。
人手卻十分動脈爲寸口。十寸爲尺。
尺,所以指尺規事也。从尸,从乙。乙,所識也。
周制,寸、尺、咫、尋、常、仞諸度量,皆以 人之體爲法。凡尺之屬皆从尺。
0105日本@名無史さん垢版2018/06/13(水) 21:07:38.49
【説文解字】寸
十分也。
人手卻一寸、動𧖴、謂之寸口。从又从一。
凡寸之屬皆从寸。
0108日本@名無史さん垢版2018/06/15(金) 07:13:07.88
>>149
?まだわからん

事実と考察が(説文解字中の)違うということ?

周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺

とあって
尺八寸にしていた時代があったかのように読めるが、事実は違って

是可證周未嘗八寸爲尺矣

西周時代東周時代含めて尺八寸だったことはなく、東周時代の戦国春秋期に一時期尺八寸だったことがある

と、いうこと?
0110伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:29:46.93
>>91
なんか勘違いしてるようだけど
1) 古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
つまり古周尺=今周尺八寸
2) 今周尺=東周尺=漢尺(東周銅尺より)

1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

という代数操作で導かれた値だから
2)は否定できないから、1)の代案となる解釈を出さない限りなに言っても説得力ないよ。
0111伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:30:43.98
>>109の続き

問題は「歩」の長さをどれくらいの長さとすればよいかが、よい典拠がないこと
wikipediaの「歩 (尺貫法)」に従えば、
周代 歩=1.35メートル
漢代 歩=1.38メートル

これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    21.1cm      16.9cm
1.38m    21.6cm      17.3cm

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
1.35m    16.9cm      16.9cm
1.38m    17.3cm      17.3cm

>1)2)より古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸=約23cmx0.8=18.5cm

こうはならないのは理解できたかな?

それから、歩=六尺四寸に関して、新井宏氏が、論文をかいてるのを見つけた
「『考工記』の尺度について 新井宏」
arai-hist.jp/thesis/archeaology/metrology/koukouki.doc

これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で、その原因は
篆字の四と六が似ているからと考えられるそうだ
四 http://www.shuowen.org/view/9671 の��
六 http://www.shuowen.org/view/9679
0112伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:34:22.11
>>110
>これによると、周尺六尺四寸は、六尺六寸の誤記で

それは昔からある通説だ
周尺は漢尺で9寸相当になる
0113伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:39:43.50
>>110
改めてじっと考えてみたよ

>これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)
>1.35m    21.1cm      16.9cm

この値に非常に魅力を感じる
16.95cmって尺が出土してたよね?

私の仮定は 今周尺 が 東周銅尺 = 漢尺だった
そうではなくて今周尺 ≠ 漢尺 だったということだね?
古周尺八尺=今周尺六尺四寸

周尺六尺六寸=漢尺六寸から計算すると
1.38mから21.1cmになる
古周尺八尺=今周尺六尺四寸を一歩とすると1.35mにちゃんとなるね。

たぶん、六尺四寸の記載で正しいと思うよ
もし古周尺八尺=六尺と書かずに敢えて周尺六尺四寸と書いたんだねきっと。

これ冒頭の16.9cmの尺があるという考古学的事実と整合するものだから、この論証は極めて妥当なものだと認めます。
0114伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:41:01.51
尺換算式
周尺六尺六寸=漢尺六尺=漢1歩=1.38m(漢尺23cm)
ここから周尺=10/11漢尺=21.1cm

また
古周尺八尺=周尺六尺四寸より
古周尺=周尺八寸=21.1cmx8/10=16.9cm

約17cmって婦人の手かな?ちかいけど。

絶対値としての咫は8/11x漢尺=16.9cmだった。
0115伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:41:48.28
推定値としてはこんなのがあるみたいだね

《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1   155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0   154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3   157.3 16.9
A.D.1979___________170.3 18.5   159.0 17.1
0116伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:43:35.38
本当に九州説のコミュ症って言葉が大好きなやつは、
まともに漢文も日本語も読めないんだな

説文の問題の部分は
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
 然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」

周制では、八寸を尺として、十尺を丈としていた
(十寸を尺とすれば)平均的な人(男子)の高さ(身長)は八尺である
ゆえに丈夫という
然れども即ち両腕を伸ばした長さが一尋であり、周代の丈である

まず第一、
これまで見てきたように、八寸を尺とする見方だと、歩=八尺で
周尺(古)=16.9センチ 十周尺(古)=一周丈=169センチ
そして、漢代の成人の推定平均身長が168.8センチでぴったり

十寸を尺とする見方だと歩=六尺四寸で
周尺(今)=21.1センチ 八周尺(今)=人長=168.8

数値はばっちりあってるよ

丈夫が大男を意味しないことは>>15を参照
0117伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:44:07.72
>>272
どうも
説文解字の今の時点が明瞭でないせいで
注を入れる人も混乱した書き方になったようだ。

いちおう、1丈=168センチ程度でいいのでは。
色々辻褄が合ってるしな。

古の周尺八寸は多分
古の周尺と呼んだら間違いで
昔々の尺=商尺は、
周尺の八寸長が基準長だったを意味するのかな。

よく考えたら王朝としては殷の次が周で
殷人の遺民が周王朝時代は商にいたわけだから
商尺とみなしてもいいのかもしれないね。
0118伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:44:56.52
>>279
>東周の銅尺が10寸だったろ?

>>202のおかげで東周銅尺の素性が分かったけれど、
「戦国時代後半から秦代」にかけての年代と推定される金村古墓出土(盗掘)と
されているもののようだ
そして、その位置(漢魏洛陽城址の宮城北側)から戦国時代の韓(かん)の
墳墓と考えられている
その地は後に秦に併合される

そして、秦の中華統一前の大良造(役人)商鞅は、秦の国力を高めるために
商鞅変法を実施し、その中に始皇帝の度量衡統一につながる秦国内の
度量衡標準化を行っている
その基準となるのが標準量器の商鞅銅方升で、現存している
その銅方升から推定される尺23.2センチが、秦漢尺の基準

東周銅尺は、周代の尺ではあるけれど、周朝の尺ではなく、
「後に秦漢尺となる長さ」を示す遺物だと考えればよいと思う
0119伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:49:47.29
"咫"とは何か?

基本
咫=8寸なんだよね?
尺=10寸なんでしょ?

つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

当時は、漢尺を日本では使用していた可能性が高いし

平原鏡は国産だよね?
可能性はあり、だと思うよ

後、咫は「中婦人手長八寸」であれば、

どんな基準で測るかわからないけど、私は尺みたいに親指から中指で長さを測る前提で、精一杯広げると18センチぐらいだったよ

中国の昔の人は大きかったらしいから、18.5センチもありえそうだな〜、と思ったけどね
0120伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:50:21.26
>>123
>つまり、尺の8割という概念が当時の日本で使用された可能性は否定できない

その「否定できない」が、「きっとそうだ」「そうに決まってる」に
脳内変換されるのがおかしいってことだよ

「咫」が当時、大陸での使用例が一切ない
その状況で「咫」が伝わること、さらに「尺の8割という概念」が伝わることの
妥当性、蓋然性が、著しく低い、ということを言っている訳だ

可能性は0ではないかもしれんが、それをもとに何かを言うのは無意味、
というレベルだよ

ラプラスの悪魔に、お湯を沸かしてもらうようなものだ
熱力学的な分子運動の揺らぎで、いきなりコップの中の水の一部が
沸騰する可能性はゼロではない
0121伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:51:13.00
>>128
中国では使用された例(文献)はなくても、
実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

その日本の「咫」とは何なのか?が問題点。

「咫」が"8寸"の可能性が一番高いのは言うまでもない

平原鏡制作当時は漢尺を使用していた可能性が高い

可能性としてはそこまで低くはないと思うけど

長さではないならば、「咫」とは何だったのか?が問題になるが…
0122伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:51:56.34
>>141
>実際、日本で八咫鏡での「咫」の字が使用されてる訳でしょ?

それがいつ使われるようになったのか?という視点が抜け落ちてる
文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

8世紀の文献で、3世紀の器物の名称を推定するというのはいかにも乱暴

記紀を書くために、多くの漢籍を参照しているのはよく知られている
その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い
0123伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:52:35.13
>>146
>文献上、それが確認できるのは、8世紀の記紀の成立まで待たなければならない

でも実際に鏡が出ているし。
で、畿内説は平原遺跡は2世紀末との主張はどうしたの?
卑弥呼の時代であることは認めるんだw
纒向も葛城も卑弥呼と同じ時代だけど、平原の方がかなり卑弥呼のと関係していそうだよねw

>その中に説文解字があった、くらいの推定の方がずっと妥当性が高い

あなたの主観的な判断で、根拠はないですね。
0124日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 08:53:20.24
>>116
その説明自体が後付けだろう。
0125伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 08:53:35.03
>>143
いやいや、
つまり中国では
咫=8寸
だったのは確定なんでしょ?

だったら日本でも"咫=8寸"と考えられていた、とするのは当然の推測だと思うが?

ちなみに、平原鏡は漢尺で周長が8寸×8になるのは事実だね
咫八鏡の可能性が他の鏡より高い、程度ではあるがな

"咫"の意味の候補が他にあるのなら別だが、今の所これだけみたいだし
0128伊都スレより転載垢版2018/06/17(日) 09:34:25.18
>>110-118をまとめると、

1) 古周尺八尺=周尺六尺四寸
2) 周尺六尺六寸=漢尺六尺=漢歩1.38m
3) これより周尺21.1cm
4) 古周尺16.9cm=咫
考古遺物の商尺と、婦人の手データが4)を裏付ける
5) また丈夫の解釈も穏当に整合する

これにより、周代の度量衡のうちの咫の絶対値は16.9cmが最有力とみなして良いでしょう。

ただし、
>>119-125をまとめると「鏡の製作されたであろう漢代に咫はどう思われていたか?」が次の焦点と言えるでしょう。

1) 中国文献に咫の用例がない
2) 公定尺に咫は含まれない

漢代には製作時に咫という名称を意識して作られたようには思われない
ただし、尺の8割が咫と呼んでいたことを知っている人のみがその資格がある、まとめはこんなところでしょうか

平原大型内行花文鏡八咫の鏡説は、新たな指摘により一気に 否定説が有力になったように感じます。
0129日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 09:41:00.42
漢代の人は1咫がいまの8寸だとは思わないだろう
だって彼は「1咫は女性の絵の大きさだ」って載ってる辞書を持ってるんだから
0131日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 09:51:21.19
【説文解字】
>尺,十寸也。 尺,所以指尺規事也。
>咫,中婦人手長八寸,謂之咫。

漢代の人は1咫が女性の手の大きさそのものだとは思わないだろう
だって彼は1尺も男性の親指から中指までの長さでないことを知ってるんだから
0132日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:05:26.75
漢代にどう思われていたかって、漢代の辞典に1咫=8寸と明記されてる。

>左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
>列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

春秋左氏伝でも咫尺は並列して使われており、二尺とは言わない。
諸先生方はみんな、長さの尺度として咫があると言っており、二尺とは言わない。
周以来、未だかつて尺=8寸だったことはない。

でもって、出土した銅尺から、東周から漢代までは1尺=約23センチで一定。
しかも10寸刻み。考古学的に確定。
0133日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:14:07.18
逆に言うとだ。

「咫は何センチですか」
と言う質問に対しては、
尺=10寸=約23センチなんだから(東周〜漢魏代まで考古学的に確定)、
咫=8寸=約18.4センチとしか答えようがないわけだ。
0135日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:18:21.50
>>133
「咫,中婦人手長八寸」なんだから
それはあり得ない
0136日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:19:00.93
>出土した銅尺から、東周から漢代までは1尺=約23センチで一定。
>しかも10寸刻み。考古学的に確定。

さらに、西周の尺が東周時代と違うという証拠はあるかな?

そして、西周だと漢代から500年以上前になるが、
漢代の辞典が周と言った場合に、
東周をすっとばして西周のことを指す可能性は非常に低くなる。
0137日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:20:18.12
>>135
尺が23センチで成立している以上、その反論は意味が無い。
0139日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:22:30.14
説文解字の著者は正しく理解できていたが、それを伝え聞いた人は、古への周代のことなので誤解した、ということですね〜。
0140日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:23:02.36
出土した銅尺によって、考古学的に周代の八寸=漢代の八寸だから。
0141日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:23:57.36
>>137
現代の尺と変わらないのに
「周尺なり」と書いたという
非常識な人がいたよ


w
0142日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:25:56.30
周の尺の八寸という絶対値ではなく
尺の8割を咫と呼ぶ相対値として理解した、といえばいいでしょうか〜。
0143日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:26:39.76
古代中国人にとって周代というのは周公の徳が天下を覆ってた時代のイメージなんだよ
諸侯が覇者だった時代ではない
0144日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:27:27.34
>>141
「円周長」用の尺なり

周尺≠周代的尺

周代的尺=漢代的尺=十寸
咫=周代的咫=漢代的咫=周代的周尺=漢代的周尺=八寸
0148日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:31:00.21
>>145
東周銅尺だけじゃなくて、
東周代の戦国時代に出土した何本もの銅尺=約23センチなのだが。
0149日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:31:17.82
「咫、中婦人手長八寸」を無視した伊都説はないな
文献無視だ
0150日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:32:24.18
>>149
尺もすでに身体尺の実測から乖離しているから、それは反論にならない。
0152日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:34:05.78
>>151
つまり周尺とは、周代の尺ではない。
漢代の尺と周代の尺は一緒なんだもの。


周尺=咫=円周長計算用の尺度
0154日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:36:47.82
>>153
そちらがね。

説文解字における周代が、西周代と言いたいのなら、
じゃあ漢代の一つ前の時代である東周代のことは
なんと表現されて区別されているのだ?
0155日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:38:31.12
漢代の一つ前は秦でしょ。
漢尺という言葉はなくて、普通は秦尺という。
周は漢から2つ前。
0157日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:43:42.49
>>154
儒家に存在を無視された秦代と同じ扱い
0158日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 10:52:01.46
>>148
今、注目してるのは漢代だろ
前漢になった時点で戦国時代の尺長ともう違うようになってるぞ。
0160日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 13:15:25.54
畿内説が主張するとおり平原遺跡が2世紀に作られたものなら、とうぜん漢尺で製作しただろうし、径はぴったり2尺だ。
0161日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 13:20:52.80
漢尺なら「八咫の鏡」じゃないよね
漢代にそんな単位は使われてない
0163日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:02:44.24
>>161
その根拠は?
0164日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:12:45.48
平原の鏡は
径2尺でもないし
周64寸でもない
0165いち垢版2018/06/17(日) 15:12:57.38
>>162

日本ではどうだったのか?
では、八咫とは?
0166日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:16:58.91
>>165
特大ってくらいの意味だろ
0167日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:56:04.85
>>166
特大って、どれくらい?
0168日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 15:58:13.75
現時点までに発見された最大の銅鏡が平原遺跡の超大型内行花文鏡だからな。
特大な「八咫鏡」とは平原遺跡の鏡を指すと考えても良さそうだ。
0169日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:00:02.46
>>167
八咫烏が大きいのと同じくらいだろ
0170日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:01:02.13
>>168
根拠はないな
他にもあるんだから
0171日本@名無史さん垢版2018/06/17(日) 16:08:53.78
咫が八寸なら、サルタヒコはウソついたピノキオだな
0172日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 08:13:00.02
>>144
>「円周長」用の尺なり

これが一番最初に否定されたんだが?
まあ説文解字の「周尺也」をこう誤読したのがそもそもの出発点なんだがな

咫で何かの円周長を計った例は、一切、一例たりともない
さらに言えば、円形物の大きさを円周長で示した(計った)例も、一例もない
0173日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 08:15:27.69
記録されるまでもない普通のことだったんだろうね。
0174日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:33:46.97
>>154
>なんと表現されて区別されているのだ?

六国時、だな
この時代は、変乱法度が多く、よく分からんと説文解字注に書いてある
0175日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:35:54.83
>>173
>記録されるまでもない普通のことだったんだろうね。

普通のことだったら、現実にもたくさん行われているだろうし、記録も残るだろ
でも現実には測らないし、測った記録もない
本当に、言い訳の仕方まで論理性が欠如している
0176日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 10:38:08.18
>>152
>周尺=咫=円周長計算用の尺度

円周長計算用と言っているうちは、間違いであることが確定

大体、「咫」は複数形で、二咫とか三咫とかの用例すらない
それでどうやって計算するのかってことだよ
0178日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 15:36:56.29
>>177

三省堂 大辞林

あた??【咫▼・尺▽】

上代の長さの単位。親指と中指とを広げた長さ。「八咫(やあた)」「七咫」などの形で助数詞的に用いる。 「其の鼻の長さ七−/日本書紀??神代下訓」

だって
0179日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 15:57:20.21
だから、大陸の「咫・シ」と日本の「咫・あた」は区別しないとね

>>176で言ってるのは、大陸の「咫・シ」
>>178で言ってるのは、日本の「咫・あた」
0180日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:35:50.61
【九州説】
直径=漢尺で二尺
円周長=漢尺で八咫
の世界最大の銅鏡=平原超大型内行花文鏡

畿内説はちがうちがうと見苦しく
わめくだけで
対案はなにも示せないようだ

>いつの時代の
>どの鏡が
>八咫鏡なのか?
0181日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:48:09.69
>>180
>円周長=漢尺で八咫

漢尺の体系に咫はない
咫を複数形で使う用法は大陸の「咫・シ」にはない
円周長を測った事例はない

これらは事実

対案も何も、「平原1号墓出土鏡は八咫の鏡」というのは
意味のある案じゃなくてただの思いつき
0183日本@名無史さん垢版2018/06/19(火) 23:58:02.85
>>181
対案を出せよ。
八咫鏡というのはじゃあなんなんだ?
「ただの大きい鏡」を日本人は千年以上も崇めてきたというのか?
0184日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:09:41.13
ただの大きい鏡と主張しても
平原のが世界最大という現実
0185日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:14:06.09
日本独自の単位だから日本の辞書の定義に従わないとな
0187日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:24:14.20
>>184
もともと王権の証であった内行花文鏡を内製して世界最大にまでして、それを伝世の品として三種の神器に取り入れたんだね。
そしてその時期はもともとの内行花文鏡の供給元であった漢が滅びた直後、卑弥呼に時代なわけだ。
倭国王卑弥呼がどこにいたのか、その墓がどれであるのか、わかったも同然なんだけど。
0189日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:36:57.81
おかしな主張にはおかしい、
わからないことはわからない、
と言うのが学問的に真っ当な姿勢
対案だせ?バカじゃねーの
いや、バカだな
0190日本@名無史さん垢版2018/06/20(水) 00:49:35.62
まっとうな主張にはおかしな反論、
対案を聞かれるとわからない、
あげくの果てに学問的に真っ当な姿勢を持ち出して居直り強盗

対案をだせない?バカじゃねーの
いや、バカだな
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