>>574
>畿内説は倭人伝の不弥国までの記述はほぼ肯定し

これがまずウソ
畿内説は、行程の国の順序は認め、地名や遺跡の存在から比定地を考える
その結果、
対海国 対馬
一大国 壱岐
末慮国 松浦(唐津平野)
伊都国 糸島(怡土)
奴国  福岡(那珂、那の津)
を通説どおり、比定地と考えるが、ここまででも、
距離と方角はあてにならないと考えている

実際、海峡横断部分も行程によって距離が2倍程度異なるし、
末慮国ー伊都国間と伊都国ー奴国間で、里の換算距離が4倍異なる
方角も、海峡横断部分も南ではなく南東だし
末慮国ー伊都国間で90度方角が狂っている

>それ以降はほぼ否定する説(径百歩は肯定)

それ以降も、北部九州から水行で長距離で、投馬国、邪馬台国の順に進むと
考えているよ
否定はしない
ただ、日数は10日単位に丸めた数字だと考えるし、方角は間違っていると考える

九州説のように、いきなり起点を帯方郡に戻したりはしないww