>>505
>この部分は定説ではないが、弥生社会の彦姫性のうちの、姫王(祭祀王)の統一が
卑弥呼の共立だったと考えられる
彦王(政務王)の方は、そのまま各地のローカル首長が権力を担っている<

「佐治」という弟の執政や、「大夫」や、、「官」を置き、軍事的な「一大率」も持ち、
魏も(祭祀者としてだけではなく)きちんとした組織をもった親魏倭王、として受け止めている。
邪馬台国(やまと国)の政務王は、魏志倭人伝に記載された、

>有男弟佐治國の弟だろう 卑弥呼の死亡時に、この男弟が倭王(祭祀王)も兼ねようとしたのが、反発され、
倭王は再び祭祀王の姫王を立てて安定した、と読める<

読めない。単なる分裂幻覚の妄想。

>血統の問題ではなく、祭祀王と政務王の彦姫制の権限の切り分けの問題だろう<

卑弥呼は祭祀王であっただけではなかった。