>>985
>>判っている事は、「苑」は宛と襄陽の間のどこか?であって、宛と襄陽の真ん中辺の新野よりは、宛や襄陽の緊急時に出動に不便な場所。<

>九州王朝説はデタラメだなあ 原文は「今屯苑、去襄陽三百餘里、諸軍散屯、船在宣池、有急不足相赴、乃表徙治新野、習水軍于二州、広農墾殖、倉穀盈積。」常識では「いま宛に屯す」だが、<

おや?。ようやく、張元済本の原文を出して来たね?。しかし、書陵部本の方はまだ。

>非公式古田説では「いま屯苑(だ)」と動詞なしに変な読み方をする<

古田第1書では「屯苑=屯した苑」という意味での引用をされたが、
大和説者が「屯苑」という固有名詞だと書いた、という誹謗をする人間がいたので、 最新のミネルヴァ書房本では、「苑に屯した」というような注釈を入れられた。

≧現在地が宛でないと言い張るなら、この文章には「宛」城はまったく出てこないんだから 「宛と襄陽の間のどこか?であって」なんてナンセンスだ
「宛」との位置関係は問題にしてないことになるからね<

上表文に余計な事を書けばアホに見られるから。

>それに「諸軍散屯」なんだから、現在の駐屯地は宣池の近くではない 「諸軍散屯」なんだからね<

宣池の名前を出した、という事は、宣池を中心とする散屯だ。

>そして現在の駐屯地は襄陽から300里も離れていて緊急時に対応できない だから新野の方が襄陽に近いんだ <

新野が川沿いで便利で、(山越えよりも)早い、という事もある。

>新野〜襄陽は鉄道で65km 300里というのは、それより遠いんだ
およそ知性ある人間にとって、短里なんて存在してないのは一目瞭然だろう <

新野と襄陽の間の山間部にいたのなら、新野よりも襄陽にずっと近くなり、
宛からなら4分の1位にずっともなり、長里よりも短里である事の方がはるかに適切。