足利義満は、日本の全土を完全に支配したことはないからな。
土岐氏と戦い、山名氏と戦い、さらに大内氏と戦い、南朝残党と戦い、
彼の治世はたえまない有力大名との内戦の連続だ。
九州は彼の晩年にいたるまで南朝の影響のもとで独立王国の様相を呈していたしな。
日本全土がひとつの統一的な「制度」で結ばれて、中央が地方に養われ、地方が中央に保護
されるというような「支配」を、義満は一度も経験してないんだよ。
それでも日本国王だからな。
だから勢力が大きい小さいは関係ない。
さらに言えば、中国の王朝は、伝統的に「朝貢」というかたちの貿易しか許さないのであり、
それに則ってきちんと国交を結べば、どの勢力の統治者にも「王」の称号をあたえちゃうんだよ。
邪馬台国はきちんと「朝貢」したから「王」の称号を与えられただけだ。