2、鏡陳氏作 甚大工 荊莫周■ 用青同 君宜高官 至海東 保子宜孫
「鏡は陳氏が作った。非常に技巧を凝らしたものである。型模(鋳型)は彫啄し、青銅を用いる。
君子は高官になれる。海東に至る。子を保ち、孫によろしい(=子孫は繁栄する)。」

 陳さんが作った鏡なのです。分業して作っていたと考えられますから、この人は鏡作りの
責任者でしょう。鏡の作り方を記した後、吉祥句が続きます。「君宜高官」、「保子宜孫」と
いう鏡の効能を示す語句に挟まれて、「至海東」が書かれていますし、記述内容は全て鏡に
関することなのに、「海東に至る」のみが、陳氏の個人事情を表すと解するのは唐突で筋が
通りません。やはり、海東に至るのは鏡です。
 この二鏡の銘文から、鏡は魏帝の卑弥呼に対する下賜品と断定できます。作る前から、
交通もままならない海東に至ることが決まっていた輸出用の鏡など存在しなかったはずです。
陳さんはこの鏡が海東に至ることを良く知っていた。つまり、親魏倭王、卑弥呼に与える鏡を
作るよう命ぜられたのです。
 銘文は時計回転で、当時、日本にはいなかったという馬と、その結果あるはずのない馬車が
描かれていますから、倭人の手になるものでないことは明らかです。銅鐸に描かれた人や鹿などの
単純な線描画に比して、表現力も桁違いで、技術的な隔絶感があり、突如、日本にこのような技術が
出現したのは、海外からもたらされたと考えるしかありません。また、馬や馬車は北方系の動物、
乗り物、モチーフと言うこともできます。(江南には馬と狼がいないとされています。)