> 邪馬台国東遷説 その4より
>343 :日本@名無史さん:2013/09/11(水) 21:29:01.21
>335
ひょっとして光谷さんの年輪年代法が科学だとでも言うのかな。
あれはブラックボックス。検証不可能なものは科学とはいえない。

それにしても、年輪年代で年代が遡ったのは素早かった。
あっという間もなかった。
また、マスコミや出版業界を通じての宣伝もすごかったが、各方面への圧力のかけ方もすごかった。

しかし、法隆寺の心柱の年代などで年輪年代が問題になっても、考古学会は知らん顔していた。
年代を見直そうという気はさらさらないようだった。
恐らく、光谷さんの年輪年代法が問題になったとしても、我関ぜずの態度だっただろうな。

旧石器捏造事件と似ているな。


ホワイトケープの意見
>343と同じ考えです。
年輪年代法に100年の年代遡りがると指摘したのは、2011年の考古学総会での鷲崎弘明の発表でした。
しかし、これは無視されてその後も弥生時代の年代区分や、古墳時代の幕開けに100年の遡り状態が続いています。
すべてが、邪馬台国が奈良にあったとする先入観念の裏付けに利用していると思われます。
科学的と言われるものをすべて、このように利用して自己満足しているのかも知れない。
1、纏向遺跡から出土した桃の種の、C14放射性同位体残存量を解析も、日本に特化された「JCal」補正を行わず、世界標準の「IntCal13」補正を使っており、
【邪馬台国畿内説】に有利な結果を出している。
2、遺跡の時代区分に出土した鏡の鏡種を用いているが、この考えの中に同じ鏡種は中国から各地にほぼ同着した考えが入っている。
九州と奈良に同じものがあれば、同じ年代区分の遺跡とする考えである。(下記リンク)これも纏向遺跡の時代遡りの原因となっている。

https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185011.pdf

3、近畿では、池上曽根遺跡や近江の伊勢遺跡・稲部遺跡など大型弥生遺跡が見つかっていて、これを源大和の痕跡と考えたかもしれない。
これらは、加茂族などの集団が倭国乱を逃れて移り住んだ遺跡で、源大和なる活動のあとは全くない。