国生みから帰還し、女王となった天照大御神(卑弥呼)は朝倉に都をおいたと思われます。
朝倉が天照大御神が住んだ都としたとき、記紀が記す天の安河の誓約は地形と合致するのか検討してみました。

@ 朝倉の西に旧夜須町があり、間を小石原川が南下していて天の安河の伝承がのこる。
A 須佐之男命と天の安河を中に置き誓うの会話を行っていて、天の安河は小川でも筑後川のような大河でもないと思われる。
B 小石原川の状況は往古と異なるが、両岸で対峙し会話に適した、中河川であるのは今と変わらないであろう。
C 伊都国からやってきた須佐之男が小石原川の西岸、朝倉に都を置いた天照大御神が東岸に立ったすれば、地形はあってくる。
D その後の誓約で、書紀の一書は天真名井の三ヵ所を掘ったと記していて、天真名井が石清水でなく井戸であることが分かる。
E 小石原川の下流、筑後川と合流する付近は、今も地下水の水位が高く掘ればすぐに水が沸く地域で、当時の河原を掘ったと思われる。
F 三ヵ所の河原井戸に、男子グループ、女子グループ、無人と分けて配置し、いずれを当てたかといった誓約を想像する。
G 子の養子縁組は計画されたもので、相手との持ち物交換は、どんな結果になろうとも天照大御神に男子を授けための配慮であろう。
H 須佐之男が伊都国から、「山川悉くに動み、国土皆震りき。」と大げさにやってきたのは、この養子縁組を、国の人たちに公とする計らいであろう。

現在の小石原川(天の安河) http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu66.JPG