考古学的に判明している弥生奴国の描写が全く無いんだから、
魏使は伊都までしか来ていないし、伊都が最終目的地だったわけだよね。
それにもかかわらず不弥國までの道里が記されている。
夷人は里を知らないと明記しているのだから、誰かが測定したわけで、
つまりは漢使。漢代の楽浪郡吏が実測していたわけだね。
だから行程表の数値は全て漢代の実測であり、
これが漢代の楽浪郡における測定技術力ということになる。