>>123
>どこが間違ってるのか教えてくれ

一読しておかしいと分からないのは、能力が足りないよ

>>120
>摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後

これがウソ
弥生時代の初め頃から奈良盆地の最低部に集落遺跡があるし、河内南部はもっと古い

>農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
>吉備や尾張の方が全然上

これもウソ
尾張にも銅鐸鋳型の出る銅鐸祭祀の中心の一つがあるがより広く、三遠型銅鐸の範囲を包む形で
畿内起源の銅鐸の分布範囲が確認できる
吉備にしても古墳時代の前代以降、畿内最大の墳墓を超えるものを一度も作っていない

>九州に比べれば2桁違う

これも資料解釈がおかしい
淡路島の五斗長垣内遺跡や彦根の稲部遺跡は、弥生時代の列島最大規模の製鉄遺跡で、北部九州より多くの鉄を扱っていたことが分かる

これを書くと淡路島と近江まで鉄があるのに、畿内には鉄が入っていない後進地って言い出すやつがいるけど、>>120の示す資料で「淡路島や近江の鉄の出土例」がどうなっているか見てごらん
最大の製鉄遺跡のお膝元でも、鉄はあまり「出土しない」んだよ
「鉄が出土しないこと」は、「鉄がなかったこと」を意味する訳ではない
単なる発掘バイアスだよ

弥生文化では実用に鉄器が使われ、祭器に青銅器が使われる
弥生時代に鉄器がないと考える方がどうかしている