家康が最も恐れた男って結局誰なんや?
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>>1 いずれでもない。
それは、坂東の荒ぶる神 将門天皇である。
将門が怨霊が 頼朝を関東に呼び寄せ
桓武平氏である北条時政を使い
源氏から鎌倉幕府を奪い関東に政権を打ち立てた。
その後一時源氏一門が盛り返し室町幕府により
再び京に政権が移ったが、、
再び平の朝臣織田信長により戦国時代は終わり
その子分秀吉、信長の弟分家康の徳川幕府を
関東に呼び寄せ 長く関東に実権を留めた。
明治の世になり 天皇を 江戸に 呼び寄せたのだ。
だから、帝は京に帰らず 現在は 桓武平氏系
坂東天皇・将門ダイナステイーなのである。
平家の天皇 坂東天皇 将門
地鎮 神田明神 敬うべし 家康が一番怖かった人物は、側近の中にいたと思うね。
大久保、本多、酒井、・・・その中の誰かはわからないが、側近のうちの誰かだろう。
信長が死んだあとに秀吉がやったようなことを、
秀吉が死んだあとに自分がやったようなことを、
自分が死んだあとに側近の誰かがやるかもしれない、と、非常に恐れたと思う。
だからこそ、たった2年で将軍職を息子に譲り、徳川家がこれから続いてゆくことを内外に示したのだ。 >>20
大坂城に豊臣秀頼がいたからだろ
家康は秀頼が元服したら政権を返すつもりだと言われてたから 結局その都度自分の上位に立った人物だろう、義元・信長・秀吉
家康の凄いところは一度臣従するとその人一代は絶対逆らわなかったことだ
その代わり死んだ途端毎度おなじみの手のひら返し 結局家康は自分が奉仕した分の対価を受け取ったつもりだった
桶狭間の後の三河奪取は本領回復
本能寺の後の甲斐・信濃奪取は対武田最前線での奮闘の対価としての旧武田領全部
秀吉没後の対価はもちろん天下 巨万の税収をもたらす「天下の台所」を押さえる大坂城を決して手放そうとしない淀殿と豊臣秀頼。
特に米相場は江戸時代に入っても大阪堂島で決められるほど、江戸を凌ぐ日本一の物流拠点だった。
淀殿が大和郡山城への移転や、江戸への人質に行くのを拒んだ理由もまさにそれ。 最も恐れていた相手とは
下手に戦わない方が身のため
伊達政宗だな 松平信康かも知れない。
信康が家康よりも家臣の声望を集めれば、曽祖父の信忠みたいに家臣たちに早期隠居を迫られるかも知れない。
信康は長篠の戦いで武勲もあり、母方で今川家の血をひき、信長の娘婿でもあった。
信康が当主の方が家が繁栄すると思われても不思議無い。
信長としては、信康に側室を認めないでおいて、徳姫に史実どおり姫しか生まれなければ、信長の若い息子を婿にさせて、徳川家を乗っ取ろうとしたかも知れない。(北畠家のように) 佐渡の国統一を目指しているこの漏れ様がいる限り、家康の天下は許さねえ(・∀・)!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています