博多の海神というのはいずれも王族で、イザナギイザナミ夫婦から生まれた。
宗像、住吉、安曇ら、綿津見や大山祇といった氏族がそれだ。
中国の史書では、倭(博多湾)では皆がそれぞれ王や大夫を名乗ったとある。
その中で最後に天下を統一したのが、天照国照(あめにぎしくににぎし)ニニギから始まる伊都の天孫族だが、彼らも先代王家と争うことなく、木花咲耶姫や豊玉姫らを娶って、旧都である博多奴国と新都である伊都が一つの筑紫の日向として栄えたのだろう。
それを中国から見た呼称が邪馬台国や女王国であり、三雲地区がその中心だ。
神武が大和を攻略した時、天神の子は太陽を背にするべきだと言っている。
伊都の高祖宮(ヒコホホデミの宮)は高祖山の西側斜面にあり、太陽を背にして君臨した神仙思想(鬼道)の王宮だ。
怡土城は山頂から山麓までを囲む200ヘクタールに及ぶ山城だった。
その大門は三雲南小路遺跡(ニニギと木花咲耶姫)にほど近いところだった。
そして倭国大乱からしばらくして、ここに権勢を誇った女王が王権の象徴である八咫の鏡とともに葬られた。
それが平原遺跡である。

倭の王都がどこであり、その女王卑弥呼の墓がどこであるか、もうわかるよね?