その後で倭国の中心地は筑紫となり、銅矛銅鏡文化が銅鐸文化を駆逐してしまう。
出雲や、その流れをくむ鴨一族は歴史の中では傍系となってしまうのだよ。
そして記紀にはそれを裏付ける出雲の国譲りが記録されている。
これを受けて紀元1世紀頃に筑紫に伊都王権が成立した。
神武と卑弥呼が同年代なら、神武の年代はさらにその後なわけだから、出雲はすでに筑紫の傘下なのだよ。
わかったか。