明治二年、高野三方と呼ばれる学侶、行人、聖の僧侶身分を新時代を迎えるにあたって廃止した
それにより、それぞれの僧侶が拠っていた青巌寺、興山寺、大徳院の三つの寺が統合されてひとつの寺(金剛峯寺)となる流れとなったのであろう