昭和40年代〜50年代前半、沖縄返還の前後、本土に働きに出てくる人が急増していた時分に、
結構な数の琉球風の苗字を和風なものに変更する申し出が家裁に出されて、かなりの割合で認められていた。
明治のときの琉球処分・本土編入の際には、姓とか名乗頭を姓にする例が多かったけれど、家名や大和名乗とかで
和風の苗字を使っていたというと、割合すんなりと、通ったという。