歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ47
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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/ >>867
横だが
>>866にレスを付けているのかな?
>>866が書いているのは、主君「押込」の構造等の著者が関ケ原関連で四半世紀言い続けていることだよ。
誰も明確に否定していないことを枝葉末節で否定できるというなら、興味があるから君の主張をここで開陳してくれないだろうか。
もちろん、著書を読んで論者の意図を正確に把握したうえでね。
>>867だけだと、話が全く噛み合っていない。 思えば鳥居元忠を殺した島津も家康は許してるんだよね
大名を潰すって大変だったんだね 薩摩みたいな僻地にこだわる必要がなかったからな
時間と労力の無駄 沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。 家康の出馬延期を聞かされた福島らが家康家臣と相談のうえ岐阜攻撃を開始したこととか、
27日?に岐阜落城を聞いた家康が江戸を出立したのはさらに3日後の9月1日なこととか、
「そっちに行くまで待ってろ」と家康に言われた諸将がぴたりと進軍を止めたこととかかな ・初代琉球国王は源氏。つまり神武天皇の男系子孫
・沖縄島民は縄文人のDNAを持っている。つまり日本人 まあ縄文人は大陸から来てるわけで結局沖縄人は大陸由来ということに まあ日本列島は大陸から分かれてるわけで結局日本列島は大陸由来ということに 古代中世社会の年号は文献から当てはめたものだから、
本当にその時間があったかどうかは怪しくないですか?
西暦を基準に捉えたとしても、飛鳥天平時代とかは4、50年ズレてるかもしれないし
てか、西暦も本当に今2019年かどうかも怪しくないですか?
(´・ω・`) 文献とは言っても、その年号のついた各種文書も残ってるし、多くの文書で干支も併記されてるから、たいていのは問題ない
さすがに、逸年号はたいてい紛い物だけどな 誰かが書いた文献を当てはめるのでは当てにならない
神の預言を記したものである聖書にはかなわない
聖書研究では神による天地創造は6000年前である
キリスト生誕からは2019年である
間違いない 西暦も飛ばされてずれたりはしてない。
元年とキリスト生誕年がずれてるだけ >>881
>てか、西暦も本当に今2019年かどうかも怪しくないですか?
西暦は昔の人がキリストの生まれた年と想定した年を基準として決定された。今では4年ずれてると
考えられているが既に出来上がっている西暦の枠組みを変更することはしないから今年が西暦2019年で
あることは揺るぎない。キリストが生まれたのは紀元前4年とされてるけどね。それだって確実ではないので
そのうちあれは間違いだったということになるかもしれない。
摂氏という温度の単位は水の凝固点を0度同じく水の沸点を100度として決められた。これを使っていろんな
研究をしたら理論上-273.15℃で全ての物質が凍りつくという結果が出た。これを絶対零度として摂氏の
基準点をずらしたのが絶対温度である。絶対温度で言うと水の凝固点は273.15度であり水の沸点は
373.15度となる。摂氏と絶対温度は基準点が違うだけ。ちなみに絶対温度の単位はケルビン(K)を使う。
西暦もそういうことだ。 キリストと絶対零度は実在しますか?(理論上の話ではなくて) キリストという呼び名はあとからつけられたもので生前の名前ではないが、実在人物。
絶対零度は、物質として存在するわけではないとはいえ、実態のある存在。空想上の概念ではなく、実態がある 太陽を中心とした日本列島の温度の微妙すぎる分布図自体が謎すぎるのに
(気流などに原因を当てはめてるけど)
地球規模、宇宙規模だと不可解すぎる温度バランス図出来上がってしまいそう いや簡単に言うと温度を下げるにはより低い温度の物で冷却する必要があるけど絶対零度より低い温度は存在しないから
絶対零度を実現することはできない。できたと思った瞬間に周りから熱が移動してきて絶対零度ではなくなるから。
だから絶対零度は理論上の概念です。 >>888
神の子が実在するとか心の病を疑うレベルだな,君は。 いや彼が言ってるのはあくまでのちにキリストと呼ばれたナザレ人イエスの実在でしょ。
イエスが神の子か狂信者かは別として。 小保方女史は実在視されていますがSTAP細胞はありますか? 金ヶ崎の退き口の後朝倉浅井連合は信長を京に抑えつけたまま美濃侵攻って出来なかったものなの?
将軍義昭とももう対立してた頃だよね。 >>897
信長が敦賀に侵攻したのが4月25日で、京に到着したのが4月30日岐阜に戻ったのが5月9日というから
”京に押さえつけておく”なんてことは到底出来てないだろう。朝倉義景は1568年に嫡男阿君丸が死んで
政治に関心をなくしたと言われている。金ヶ崎の2年前だな。 絶対零度。
温度は、物質の熱振動をもとにして規定されているので、下限が存在する。それは、熱振動(原子の振動)が小さくなり、エネルギーが最低になった状態である。
この時に決まる下限温度が絶対零度である。古典力学では、エネルギーが最低の状態とは、原子の振動が完全に止まった状態である。
ただし量子力学では、不確定性原理のため、原子の振動が止まることはなく、エネルギーが最低の状態でも零点振動をしている。
熱力学第三法則によれば、ある温度(0 Kよりも大きい温度)をもった物質を、有限回の操作で絶対零度に移行させることはできない。 大軍動かすにゃ大義名分必要だしな。
ましてや幕府のために(一応)動いている信長を一方的に敵にするこたできめぇ。
そもそも、信長からして若狭守護の武田元明を助ける名目で越前に入ったので、
むしろそれで信長を京に縛り付けたら、今度は朝倉の不忠が真正面から問われる。
そうでなくても将軍義昭と朝倉の仲は最悪だったのだし。信長と以上に仲悪かった筈。 俺が朝倉だったら将軍でも誰にでも書状書きまくるけどな
だってじっとしてたら確実に織田が来るんだし 信長は将軍の奉公衆を吸収した、明智光秀もその中の1人だったと聞きました
が、それはどういう流れで吸収したのでしょうか?
義昭の命令?ヘッドハンティング?奉公衆が自ずから?
またどれくらいの規模でそこから織田軍団内で出世した人は(明智以外で)いますか? 四大公害病についてなのですが、
水俣病と新潟水俣病の原因はメチル水銀とのこと。
メチル水銀を取り扱う工場が、チッソ水俣工場と、昭和電工鹿瀬工場だけとは思えないのですが、
なぜこの2か所で極めて深刻な水銀汚染が発生したのでしょうか?
他の水銀を取り扱う工場はどうやって被害発生を防いだのか?
なぜ、この二つの工場だけ水銀を垂れ流したのか?
それこそチッソや昭和電工だって工場はここだけではないはずなのに。
同様にイタイイタイ病の原因は神岡鉱山から産出される閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムとのこと。
閃亜鉛鉱を産出している鉱山は他にもあるのに、なぜこの流域に深刻なカドミウム汚染が
発生したのでしょうか?
他の鉱山と神岡鉱山とでは何が違ったのでしょうか? 海外で、祖先を調べる遺伝子検査やって結果が来たんだけど、
私の常染色体の内訳が日本人93%、韓国人3.8%、モンゴル人0.9%、中国人0.3%、その他2%だった。
検査が正確なら、1600〜1700年代に朝鮮人との混血があったようなんだが、鎖国中に朝鮮人と交わる機会はあったんだろうか?
モンゴルとも交流なんてありましたか? 慶長の役のあたりでたくさん連れ帰ったのと混血したのかもね
モンゴルは元寇の時に帰れなかった人が残留しててもおかしくないのでは? >>906
明智は細川の家来
細川は将軍に近いので明智も自然と将軍に接触
将軍が織田と関わるようになると、パイプ役になる
そこで織田に見込まれて引き抜かれる
大体こういう流れかと
まあ引き抜くと言うのは実態であって、建前としては将軍の家臣同士力を合わせて頑張ろうね、
みたいな感じだったのでは >>909
ああ、元寇を忘れていた。
その可能性はありますね。
朝鮮出兵で朝鮮人を連れ帰ったというのは初めて知ったが、混血した可能性はありますね。
完全な日本人だと思ってたので残念です。 豊臣家の蔵入り地ってどうして無くなったんでしょう?
和泉、摂津、河内以外の豊臣家直轄領というと各大名の
領地に「蔵入り地」なるものが設定されてて、例えば三十万石の
大名だと八万石くらいが蔵入れ地になってたみたいです。
関ヶ原後の論功行賞で蔵入れ地がなんとなく廃止されて
しまったみたいですが、どうして廃止されたんでしょう? >>912
天皇も若干朝鮮人なので気にしないでいいですよ >>912
その時に日本に来た人はみんな溶け込んで日本人化してると思います。磁器の製法をもたらした李参平とか
赤穂浪士武林唯七の祖父の孟二寛とか。孟二寛は孟子の子孫だそうですよ。 つまり日本人と言うのは中国と朝鮮の混合物なんですよ >>913
家康が東軍諸大名への恩賞として配ったからです。家康は名目上豊臣家に代わって
反逆者を討伐したので恩賞は豊臣の領地から配るのは当然でしょう。実際のところは
豊臣の財力を奪わないと自分が天下を治めることができないからですが。 >>916
元気づけられますね。
孟二寛の血が入ってたらええなぁ。
モンゴルに関しては元寇のときに先祖が強姦でもされたんじゃないかと思いますわw >>908
>日本人93%
この日本人って何だ
日本人もどこかからやってきた人達が混じり合ってるもんだろう >>920
そう言われればたしかにな、、
俺はjapanese、korean、mongolianというのを日本語訳しただけだよ
どんな基準で分けてるのかは分からんが。 江戸時代末の各藩借金は、明治政府、明治地方政府は踏み倒したの? >>921
1万年くらい前から列島に住んでる色んな人種の遺伝子をjapaneseで総称してるんだよ 1万年くらい前には韓国どころか無人だった朝鮮半島に遺伝子があるん?
「中国」は鮮卑・蒙古・突厥・満洲の色んな人種だけど >>923
1万年前よりもずっと後の弥生時代には、大陸からの血が大量に入ってきている
それはどうなるのよ >>922
その通り藩との借金で明治政府とは関係ないというスタンス 日本列島の遺伝子の由来がどうこういうのは島国で複雑でないからだろう
イギリスもノルマンの征服後、富裕層はノルマンばかりになってしまったが庶民はケルト、ドイツ系で
それほど複雑でない
マダガスカルがどうなのはよく知らない
朝鮮半島は北と西から北方や中国系、南から日本系が流入しているから遺伝子は無茶苦茶なはず
中国もあちこち四方八方から流入して遺伝子は複雑だろ
インドは流入してくる場所がアフガンとの峠だけだから複雑でない、日本と似ているかも ノルマンとケルトとドイツ系がいるのに、なんで「それほど複雑でない」なんだ?
しかもケルトの前にはストーンヘンジを作った正体不明の民族がいた
インドはインダス文明の民族と、その後に入ってきたアーリア系がいる
それに南インドのドラヴィタ系。彼らはインダス文明の民族とのつながりを願っているようだが
「複雑」と「複雑でない」に二分したい単純思考の持ち主プププw まあモンゴル人にレイプされたということだろう
0.9%というのが絶妙だな 武家官位って名目上の任命権者って天皇ですよね?
江戸城で将軍から
「恐れ多くも帝からそなたを○○守に任ずるという勅が下った、謹んで受けよ」みたいな感じで任命されたの? 日本列島に古くから居た人達、縄文人と呼ばれる人達はアイヌだとか沖縄なんかに特徴的な濃い顔の人達だった
しかし、今は中国、朝鮮、満州、モンゴルなどのしょうゆ顔と呼ばれる人達とそっくりの顔は日本に多い
これくらい弥生時代以降の混血は大きい
海を越えてどしどし流入してきている
それに、もともとの縄文人にしても、もっと古い時代に、樺太やら半島やらからやってきたモンゴロイド発生以前の古いアジア人だ
もともと、現生人類はアフリカから出て世界中に移動、拡散してきたんだから、動き回るのが基本
どこか島国で最初から人類が居たわけではない
普通、今の日本人のDNAを調べるというと、アジアの広い範囲の人達の型が出てくる
華南から台湾、フィリピン、ポリネシアに及ぶ南方の人達
中国、朝鮮、満州、蒙古、チベット、シベリア方面の人達
これらのどこらへんと似ているかを調べる
調べるといろいろ混合はしているけれど、まぁこの人はこっちの型が優勢かなどとするのが普通 沖縄は縄文人から弥生人へ進化できず停滞した。だから沖縄史では縄文時代から鎌倉時代(源為朝子による建国)へ飛ぶ
アイヌは征服民族。後からやってきた第二弾(北方から同じ弾)とでも言うべきもの >>911
明智は元々、美濃の土岐氏の分家
光秀が若かった頃に攻め滅ぼされて流浪してて、義昭が越前にいた頃に仕官した。
義昭に仕えようとした頃に、義昭に随伴してた細川藤孝に斡旋を頼んだときにはじめて細川と接触したんじゃないの。
藤孝は泉州の守護してた細川氏支流の家系(ただし、実子ではなく養子)なんで、義昭との接点はあったけど明智との接点はなかったと思う >>922
版籍奉還の代価みたいな感じで借金を政府で引き受けたはず
ただし、大幅に棒引きして返したはず
なんせ引き受けた借金の総額が政府の年間予算で何年分とか言うレベル
>>930
幕府が朝廷に申し込んだ場合以外は任命できなかったはず
逆に幕府から申し入れた分は拒否することなく任命するのが普通 >>937
後醍醐天皇は公家中心の古い体制に戻そうとした。尊氏は自分を支持する武士たちが武士中心の体制を
望む声に答える必要があった。武士の世である鎌倉時代を経て武士たちが公家中心の世なんて我慢できる
わけがない。 足利高氏は後醍醐天皇をなぜ叛逆後も慕っていたのでしょうか?
当時武家と公家の区別はあったのでしょうか >>940
逆に聞くけど慕ってたの?それと武家と公家の区別がなかったとどうして思うの? お前が質問してどうすんだよw
それと護良や北畠は公家か >>942
護良親王は皇族で北畠顕家は公家だろう。戦国時代の北畠・一条・姉小路は公家大名と括られてる。 憲法の一条に
「天皇の地位は『国民の総意』にもとづく」
とあんだが、この「国民の総意」が実際に確認されたことはない。
だから、今のテンコロは正式には「天皇ではない」。
今回はきっちりと確認しろよ、市民の総意を。
何のための憲法だ。天皇制を認めている市民は少ない。
そもそも今のの糞ジャップの人権的後進性は、天皇制を残したことが原因。
テンコロの交代は、天皇制を潰す最大のチャンス。
ここで天皇制を潰さないと、
またジャップは何十年も辛酸をなめ続けることになるぞ、馬鹿が。
この機会に天皇制を潰せなかったら、愛子天皇で男系を終わらせて、最後にするしかないな。 >>944
最近は「人権ガー」といって人権を軽侮する輩が増えてきて、
中国ロシアのように、人権を主張するよりも国(安倍自民)に従うことが大事
国(安倍自民)に反対するやつは日本人じゃないという人権軽視の風潮があるが、
別に天皇とは無関係
君主制があるイギリスやスウェーデン、オランダのほうが人権が発達している >>944
とりあえず通報しました
公安からマークされてください >>945
じっさいアベガーと言っている連中は朝鮮人に扇動されているしな。
マジで安倍総理は外国では朝鮮と中国以外、いや朝鮮でも文大統領と代えてくれとの
ギャグが飛んでいるくらい海外では人気があるのだけどな。
あれは朝鮮人の工作だよ。 国民 … 国籍を持っている
市民 … 不法滞在者を含む在日
これ豆な。しれっと言葉替えしとる 征夷大将軍が皇族で,戦国時代の公家大名が南北朝時代の話だとさ
バカだね >>949
お前が >>940 の質問に回答してやれよ >>937
後醍醐政権では、支持層の特殊性やら財源の特性もあって、さまざまな制度変更、改革があった。
20分の1税とかね
従来は公家しか就任できなかった職に武士を任命したり、新しい職を作って武士と公家を混ぜて就任させたりする例も多かった。
その辺の事情から、公家の間でも多くの不満があって、京都を含め全国各地で叛乱が発生してたんだよね、有力な公家が主導する叛乱は未然に鎮圧されたけどさ。
そんな混乱の中で、有力じゃない武士は後ろ盾/庇護者を求めて尊氏を頼るようになり、派閥ができた
尊氏が新しく地盤とするようになっていた関東での叛乱が特に大規模だったので、その鎮圧には将軍職が必要と思った尊氏が将軍職を求めたのに対し、
尊氏を征夷大将軍に任命すると幕府が再結成されてしまうと恐れた後醍醐帝が渋ったのが仲違いの始まり
征夷大将軍じゃなく征東将軍に任じられた尊氏が反乱を鎮めた際、このまま素直に京都に戻れば粛正されてしまうと実弟が進言して関東に留まったことで両者は戦争状態になった
尊氏としては、情勢が許さなかったのでやむなく自衛のために戦ったという意識があったんだろうね 何故質問者に自問自答するよう求められなきゃいけないんだよw >>938
>>951
ありがとうございます
武家よりむしろ公家が暴れて世を乱していたとは知りませんでした
そういう背景があったのかと勉強になりました >>25
> -= 彡 ⌒ ミ
> -=と(´・ω・`) ようこそ ここへ〜
> -=/ と_ノ
> -=_//⌒ソ
> ◎◎ ◎◎
♪クッククック
と続くのかと思った。 >>30
> 日本政府がよく使う「固有の領土」という言葉は歴史用語ではなく国家の政治的主張にすぎない。
当たり前だろ。
日本政府は歴史の講義をしてるんじゃないぞ。 >>953
違う。武家ではなく足利家が天皇家(大覚寺統)に従っていた
@後醍醐天皇の偏諱「尊」の字を使い続けた
A高氏追討に際しては出家して赦免を求めた
B後醍醐天皇の皇子・成良親王を皇太子に冊立した
C後醍醐天皇の菩提を弔うために巨費を投じて天龍寺・安国寺を建立した
D正平一統で北朝(持明院統)を廃し,三種の神器も進呈した >>957
なるほど、武家も公家も暴れていた所に足利が天皇のために働いたというわけか >>957
一休さんのお寺は将軍様のお爺ちゃんが建てた寺だったのか。
それにしては貧乏寺だな。 与謝蕪村の
朝霜や 室の揚屋の 納豆汁
って句がんなんで後世にまで残ってるの?
冬場にフーゾクでオールナイトして朝飯に納豆汁出された
ってことだろ、そんなに良い句なのか? 今は売春は違法だが、昔はそんなことはなかった
冷え込む朝、室津の宿で出された納豆入りの味噌汁で二人して暖を取る
旅情と情愛がない交ぜになった趣と申しましょうか 徹夜で残業して寒い朝に腐った豆汁を食するという売春婦の悲哀がよく出た
悲しい句ですね 与謝蕪村は後半生、京都に住んで遊郭の島原でお抱え俳諧師となり
遊女たちに手習いや俳句を教えていた
この句が詠まれたのは与謝蕪村60歳の時で
本当に室の遊女相手にオールナイトだったかどうかは分からんが
(職場の島原の話ではないので念のため)
とにかく遊郭で俳句の先生をしてるくらいなので艶っぽいのもある
与謝蕪村は画家でもあり各地で遊女の絵なども描いているので
もともとそういう世界が好きだったのだろうと思うが >>962
現代の価値判断を過去に適用するというアレですね
わかります >>964
当時も女から見れば遊女は悲惨な身の上だったと思う
ただし男はそう思わなかっただろうね
良い着物を着て良いものを食べて
毎晩客に抱かれて快楽の淵まで連れて行ってもらう
遊女は俺に抱かれて喜んでると大金はたいて満足する
今だって風俗に通う男は風俗嬢は俺に抱かれて可哀想なんて思うわけないから 今の風俗嬢は大金稼ぐ自分の意思やん
昔の遊女は親に売られたからお金も貰えへんよ。親の借金返すだけ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。