民俗学的観点からの考察

>>1は前スレから魏書馬韓伝のこの一説に粘着している

「5月の植え付け(田植えではない)後、10月の収穫後に、鬼神を祭り、酒を飲み歌舞を行い予祝し、豊穣を感謝する。 
各邑には一人天神を祭る者がおり、天君と自称した。 小国には首長がおり、大首長は臣智、邑借と続く。
また諸国の各々に別邑があり、これを蘇塗という。 大木を立てて鈴や鼓を懸け、鬼神につかえる。」

この「鬼神を祭り、酒を飲み歌舞を行い予祝し、豊穣を感謝する。」が卑弥呼の鬼道ならびに祈祷と同一であると舞い上がっているが
荒唐無稽と言わざるを得ない

植え付けと収穫時に豊穣祭を執り行うのは世界中の農耕民族に例外なく当てはまり
仏教伝来直後で儒教思想が圧倒的に強い前漢から見れば、陰陽五行思想に当てはまらない信仰は全て鬼神奉となるのは当然である

蘇塗と神道の鳥居に比定する向きもあるが、門状でなく装飾が施されてる点からも学問的にはツングース系のトーテムポールに比定されている

むしろ>>1の無能が意図的に書かない他の馬韓伝と東夷伝倭人条の風俗面を比較をしてみよう

>>3に続く