素晴らしい薩摩文化シリーズ
【乞食の国】

1871年1月9〜15日(明治三年十一月十九〜二十五日)まで鹿児島藩内に滞在していた、
駐日イギリス公使館書記官アダムスは、鹿児島藩を次のように報告している。
要点をまとめると
「実に全領地は膨大な軍事機構であり、その国は軍事費に応ずるために枯渇させられている」
で更に
「藩内には中央政府に対して多大の不満がある」
として、
「現在地方政庁における最も有力な人のうちの一人」
の主張を次のように紹介している。
「中央政府にはあまりに多くの混乱があり、あまりに多くの違った意見がある。
計画は朝令暮改である。朝廷における一部の貴族は、あまりに多大の勢力を持ちすぎている。
彼らは事務に慣れておらず、話を右から左に聞き流すだけの役立たずで税金を食いつぶすだけの、
泥棒である。もしこのような制度が存在を許されるなら、日本は乞食の国になる」
とした上で、
「政府がほんの僅かな金しか持たないで長距離の鉄道敷設を企てるべきではなく、
むしろ他の処置に専念すべきである」
とし、それは、
「不幸な人民の福祉の為に実施すべき他のもっと多くの施策」
であり、
「不幸な人民は、あまりに重税を課せられているので、食ってくべき何ものももたない」
という。これに対してアダムスは報告書の中で、
「軍事施設を保持するために、人民が地方政庁によって貧窮に陥れられている州に
住んでいる人としては奇妙な説」
と括弧つきの注釈を加え、この有力者が自身の支配する鹿児島藩が日本一の「乞食の国」であるのに、
日本が「乞食の国」になることを防ごうとしている事に、皮肉をついている。

石井孝 「明治維新と自由民権」 有隣堂
鹿児島銀行編 「鹿児島銀行百年史