百済昆支王と貴族木満致の組み合わせは倭国の昆支王と蘇我満智の組み合わせ(河内)
100年後には子孫の聖徳太子(上宮法皇)と蘇我馬子の組み合わせとなる(河内)
蘇我は上宮法皇を失い、入鹿の代で子供を王子と呼ぶなど王族になろうとする(河内)
翹岐がやってきて4年後に入鹿が暗殺され孝徳天皇となる

国際的視点からは次のように解釈される
百済義慈王「木は貴族の分際で河内王になろうとしているのは示しがつかない
翹岐王よ、河内はおまえに任せる」
河内の支配権を百済王家が持っていたのである 想像通りであった