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纏向遺跡の大型建物群が建物Dの中心点を東西に通る東西線に対して南へ約5度振った方角に向けて建てられており、
この南へ約5度の角度は二十四節気の啓蟄点と重なることはすでに述べた。
では、大型建物群が二十四節気の啓蟄点の方角に向けて建てられていることが確かだとみなした場合、どのようなことが言えるのか。
啓蟄は、大地が暖まり冬眠していた虫が春の訪れを感じ、穴から出てくる頃とされる。
現在の太陽暦では3月6日が啓蟄初日。
そして、農業では、この頃が耕作の準備を始める時期となっている。
これが、二十四節気の啓蟄の意味のようだ。
そうすると、纏向遺跡の大型建物群がこの啓蟄の初日と位置づけられた日の日没の方角に向けて建てられているということは、纏向の連合政権はこの日の日没の太陽を目印として、加盟国全体の農耕の準備始めの祭祀を行ったのだと解釈することができる。
稲作と畑作が国の基幹であったことを考えると、農耕の準備を始めることは極めて重要な事柄であり、
その準備を始める日を定めてつつがなく準備に入ることができることは国家事業の基盤に関わることであるから、安寧に準備が進むことを願って盛大に祀りが行われたということになる。
その祀りが開始される時刻は、おそらく、日没の太陽を確認した時であったのだろう。
太陽が地平線の向こうに沈むと夜の闇が訪れるが、日没の太陽の光を宿すのが建物Dの前に建てられている建物Cの役割であろう。
この建物Cは倉庫の建築構造だとされているので、日没の太陽の光を宿す目的の施設としては、要件を満たす。
建物Cの中では、日没の太陽の光の代替物として灯火が点されたかも知れない。
そして、翌日に太陽が東から昇るまで、静かに祭祀が続けられた可能性が考えられる。
                           
                         続く