>>35
纏向遺跡に造られた大墳墓の築造位置についてみているが、今回はホケノ山古墳と箸墓古墳の位置を見てみることにしたい。
大型建物群を中心点としてそこからホケノ山古墳をみると、大型建物群の中心点を通る南北線の真南線に対して東へ30度の角度の軸線にホケノ山古墳の後円部が乗っている。
この南北線に対して30度の角度は、銅鏡の最初の二十四節気の冬至点(大型建物群の中心点を通る西側の東西線から南へ30度の角度の位置)からみて、3年目の春分点と重なる。
ということは、ホケノ山古墳は二十四節気の春分点に向けて築造されている、と想定することが可能となる。
次に箸墓古墳をみると、大型建物群の中心点を通る南北線に対して東へ5度の角度の軸線に後円部が乗っている。
この5度の軸線は、ぴったり後円部の中心部を通っている。
そして、5度の角度は、二十四節気の芒種点と重なる。
ということは、箸墓古墳は二十四節気の芒種点に向けて築造されている、と想定することが可能となる。
大墳丘墓の後円部と二十四節気の特定の節気の関係については後に述べることにするが、箸墓を通る軸線の芒種点は6月6日頃に当たり、この芒種は芒(のぎ)のある穀物や稲、麦など穂の出る穀物の種をまく時期とされ、芒種点はその初日である。
箸墓の築造と二十四節気のこの芒種点が重なっていることは、箸墓の被葬者と稲などの種をまく時期を関連付けていると考えることを可能にしている。
このホケノ山古墳と箸墓古墳を第二墓群と仮称することにする。