福岡平野の守り神とされてきた東の三笠山(宝満山)と西の飯盛山を結ぶ直線上には、
須玖岡本王墓遺跡と、吉武高木王墓遺跡の二つの有名な大王墓がある。
弥生時代、この直線は、この地の聖なるラインであったのである。
更にこの直線を西に延ばすと、四世紀後半に造営された糸島平野西端の一貴山銚子塚古墳に届く。
この古墳は、糸島地方で一番大きい前方後円墳(103m)である。

即ち、三笠山−飯盛山を結ぶ直線はさらに西に延び、福岡平野から糸島平野までを貫く王墓ラインであった。
このことから、福岡〜糸島平野一帯は、漢倭奴国王の金印を拝した博多奴国の固有領土であり、
北部九州説のいう伊都国などが存立できる余地はなかったことがわかる。
<三笠山>→ 須玖岡本王墓遺跡 → 吉武高木王墓遺跡 →<飯盛山>→ 三雲南小路王墓胃液 → 一貴山銚子塚王墓