>>193
辻地区の建物跡は、「柱穴の口」が擦れていることから柱の抜取りが行われたと推定されていて
その年代も、その建物あとと同年代とされる祭祀土坑の桃核の年代から3世紀前半とされている

そこまでは事実だよ
http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/bitstream/10935/2741/1/BA89557434pp81-102.pdf

そして、3世紀中ごろの居館域は辻地区よりも山側、扇状地のより標高の高い領域と想定されている
この辺の発掘が進んで、3世紀中ごろの建物跡が出たら、九州説は何も言えなくなる
早く発掘が進むことを期待してる