纒向遺跡の外来系土器、東海、山陰系は初期の頃から変わらず多いな。
吉備系は台与の頃にはぐっと減る。
代わりに初期の頃無かった河内系が台与の頃にぐっと増える。
吉備系が減った原因は何なんだろう。

卑弥呼→男王擁立→内乱→台与
この間に何が起きたのだろうか?
男王とは誰なのだろうか?

布留がキーを握っているかもしれない。
鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものかな。

石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 

なぜ布留社の【太刀】何だろうか?
太刀は本来誰かに使われるものだからなぁ

ニギハヤヒはどうなってしまったんだろう

切られたカグツチの血が湯津石村に落ちて生まれた神、甕速日、樋速日、建御雷。

饒速日とどういう関係があるのか?

卑弥呼亡き後の男王は吉備系の饒速日だろう
台与の時代、纒向遺跡から吉備系の土器が消えていく

神武東征神話は、2世紀末の卑弥呼を共立した勢力、尾張山陰吉備によるヤマト征伐と
卑弥呼亡き後男王の時代の内乱を合一してできたんだろう