0347日本@名無史さん
2019/01/13(日) 14:00:10.74江口、逆水行七千里乃至焉。」
ガンジス川河口より600kmのぼった所に天竺がある。三世紀には河口はもっと上の方にあった筈で500km程度
が7000里である。
同じく『梁書』諸夷伝に
「扶南國,在日南郡之南,海西大灣中、去日南可七千里」とあります。
日南郡は今のドンホイ辺りになる。扶南國はプノンペンだ
ハノイから南に3000kmも行ったらオーストラリアまで行ってしまう。
これで計算するとプノンペンまで600km位になる。短里の86mだ。
更に「狼牙脩國,在南海中。其界東西三十日行,南北二十日行,去廣州二萬四千里」
「狼牙脩國」は現マレーシアと思われるが広州から二萬四千里(一万キロ)も行くんでしょうか?
南極まで行ってしまう。
実際は直線で二千キロで1里83mと言う所だろう。
結論として短里がなければ説明不能な距離記載が沢山あり、倭人伝の距離は短里で書いてあると考えるのが妥当である。