弥生・古墳時代から古代にかけて、現在徳島平野が広がる吉野川河口域は東に開ける深く広い大きな入江になっていて、大
陸・朝鮮半島から北部九州を経て畿内・大和へと続く「和鉄の道」の東四国の玄関口として大いに繁栄してゆく。
弥生時代の中期後半から後期初頭にかけて 吉野川下流域北岸の阿讃山脈の山縁や吉野川の南岸 四国山地の東端 眉山・気
延山の麓 吉野川に流れ込む鮎食川の扇状地には 鉄器や鉄器関連遺物が出土する拠点集落( 北岸: 光勝院寺内遺跡・カネ
ガ谷遺跡
南岸: 矢野遺跡・名東遺跡・高川原遺跡などj が形成され、それらの地域が流通・交易拠点として 周辺地域を巻き込み
ながら次第に大きくなると共に、この地を治める有力豪族も生まれ、次第にひとつの国 阿波国としてまとまり、初期大和王
権を支える有力国のひとつとなってゆく。

「阿波の国の概説」
http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/10iron04gaisetsu01.pdf

他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料