だから陳寿は、
最初に帯方郡〜女王之都の全行程を12000里と決めて、その内訳を適切に割り振った、のだろうな。

そう考えるならば、クヤカンコクまで7000里、渡海に3000里、上陸して2000里と中分けできる。
更にこれを小分けすると、
渡海の3000里は1000里×3海、
上陸してからは伊都国まで500里と、
あと残りは1500里になるから、女王之都までは1300里〜1500里の範囲内だわな。