南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 可七萬餘戸
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有列記21国 此女王境界所盡
だよ。

女王宮が使譯の極南界で以北は行程に有るから 戸數道里可得略載
であって、東行では有り得ず、南下した過程の中に有る。
其南有 狗奴國 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里 南行7000+東行3000+南行2000 以外の行程は無い。
倭人 在帶方東南 大海之中 の大倭は、女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種 である。

水行30日の寄港地の記載が一切ないので、21国がそれかと考えられるが戸數道里は無い。
次有を21回繰り返し、『此』によって、女王境界所盡 なのである。

21国は参問した、邪馬台国所属国であり、可=総計が 7万戸 である。
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
に相当する、文字列は、倭人伝内では、これ以外に存在しない。

道理となる、水行30日 陸行1月の 寄港地の説明が無く
其餘旁國遠絶 不可得詳 が、詳細に参問され説明された、列記21国である、
等という、間抜けな旅行記の読み方は有り得ない。
倭人伝は、邪馬台国についてを記しているのである。