ついに「陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝・二千字の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。

1.西晋司馬懿(秀吉)は明帝曹叡(信長)の後見人指名がなければ皇帝になれなかった(大恩人・明帝が特別厚遇した倭国王卑弥呼)→明帝曹叡の(自分を後見人に選んだ)聡明さを強調したい。
2.魏の帝都・洛陽から見て呉(孫権の帝都・建業)との戦いにおいて最高の牽制となる背後にあるためには、倭国「女王之所都」が
蘇州の「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南の福州の「東冶(ン・にすい)」の東の海上にある必要(読み手にそう思わせたい)。
3.しかし本当の位置も残さなければならない。
4.倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、?耳・朱崖に似ている。

そこで陳寿が行った忖度が、九州島(倭国)が海南島(?耳&朱崖)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む、南北に長大な「一つの山島」であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【1.奴国ルート】と、喧伝したい「當在会稽冶之東」に合わせた【2.邪馬台国ルート(幻)】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【1.奴国ルート】を暗示しつつ(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)、
次に、九州島が南北に「陸行半月」であることを倭人から聞き「夷人不知里数、但計以日(7世紀隋書倭国伝)」、
それを南に2倍して東シナ海に浮かぶ幻の「陸行半月」九州島(南部)を付け足し、「陸行一月」として、【2.邪馬台国ルート(幻)】を創り、福州「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」(上皇明仁)の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治の実態)、北部九州30カ国から共立された巫女(愛子内親王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。