食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 4皿目
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出汁巻き卵メモ
卵焼き器の形
関東は正方形
関西は長方形
巻く場所
大阪は手前で巻く
京都は先の方で巻く
その他
吉野葛(無ければ片栗粉)を混ぜるとふっくらと出来る 築地の卵焼き屋が怪しげな異人を雇い入れてお上の詮議を受けてたな >>4
水さへあれば面積あたりの収量も労力あたりの収量も稲が最大で、人口の8割の農民がせっせと作ってたのに、なして主食が米穀でないとかありえるんかな?
水の得にくい傾斜地ならともかく、人口の多い河川沿いの平地で米穀が常食できないとか無いでしょうに。 農家ではなかったが、昭和30年代の前半はまだ麦交じりの飯を食ってたな
30年代の半ばに急に家の飯が白米100%の真っ白なものに変わったのを覚えている
ようやく米が行き渡ったか
昭和45年からは米余りで減反政策が始まったが >>11
明治になって総人口が増えたが、農民は二極化し、大地主(寄生地主)が生まれる一方で、没落して農地を失い、都市の貧困労働者や工場労働者になったりしていた
そこで米が自給できずに、中国や韓国から米を輸入して補っていた 南京米という名前は有名だ
中国韓国の米は安価なので、日本では貧困層が購入していた
しかし第二次世界大戦で中国韓国からの輸米
入はほぼなくなる
戦争で農民の青年が出征して戦死したことや空爆被害も重なって、戦後の日本は米不足になったが、品種改良や農組合の整備、国の農業補助で米の国内自給率は100%になった 粟が主食の韓国からどうやって米をもってこれてたの? >明治になって総人口が増えたが、農民は二極化し、大地主(寄生地主)が生まれる一方で、没落して農地を失い、都市の貧困労働者や工場労働者になったりしていた
地租改正と大正時代の都市労働者の話がごっちゃになっててカオス
>そこで米が自給できずに、中国や韓国から米を輸入して補っていた 南京米という名前は有名だ中国韓国の米は安価なので、日本では貧困層が購入していた
南京米をイメージだけで言ってないか?
>しかし第二次世界大戦で中国韓国からの輸米入はほぼなくなる
日本に影響があったのは東南アジア産な
>戦争で農民の青年が出征して戦死したことや空爆被害も重なって、戦後の日本は米不足になったが
自己撞着 世界史板の方が一向に見当たらんのだが…
もう過疎って立てられてないのだろうか? 「フグを最初に食べた人は勇気がある」
とよく言われるが、おれは違うと思う。
「初めてフグを食べて死んだ人を見ていながら2番目に食べる人は勇気がある」
であるべき。 >>15-17
世界史板の食物スレはなんの恨みなのか荒らされまくってるな
>>24
昔から言われちょるがな 今の品種改良された米食べてるワシらが
昔の米食ったらやっぱりマズいと思うのかな
どんな味だったんだろうね NHKでやってたが、後醍醐天皇は蛙の肉を手羽先のように焼いて食べていたらしい 平安の頃、河川敷に住む芸人たちを河衆=かわず=蛙と呼んでたのも、
貴族が戯れに安倍晴明に庭のカエルと殺せと言われた時に一旦、断ったのも、
本の中では語られないけど、それが本当は人間だったと考えると重たい話だ >>30
グレコローマン時代、地中海沿岸から大西洋の北の果てくれやインドくんだりまでオリーブ油を輸出してただろ。 >>30
醤油はフランス人にすら原材料わからんかったらしい。
そりゃあれが豆から出来てるとは美食の国も思うまい 魚醤と思ってただけじゃね、あっちは穀醤が存在しないし >>36
フランス人によると醤油は
「数種類のキノコと香辛料から作るソース、もしくはジュース」だったらしい。 フランスでの醤油は
「肉料理、特にヤマウズラとハムにあう」
「ソースに混ぜることで香り高く美味しくなる」
「中国も醤油を作るが、日本の方が良い。つまり日本の肉料理の方が美味いといえる」
ルイ14世も醤油を使った料理を食べたらしいが… 醤油はオランダが独占していて、と、いうことは高価だったんじゃないか。
オランダ人は醤油が大豆から出来てることは知っていたらしい。
輸送に耐えるために、醤油は相当塩が効いていたらしく、そこが逆によかったのかもしれない。 英人、大豆をsoybean、醤油をsoy sauceとぞいふなる
九州人が醤油をソ(ウ)ユと言ふを聞いたるか
はたまだ鹿児島人のショイと言ふを聞いたるか
蘭土を経由して英土へと伝はる 中東からの輸入野菜
オマーン産のサヤインゲン 日本向けに生産(冬季に市場シェア30-40%) なぜ日本では果実酒が生まれなかったんですか?
ミカンや梨や琵琶は酒作れそうなんだが。 日本酒や焼酎で果物を氷砂糖と漬けるのはあったよ
氷砂糖が貴重品だったので一般化するのは明治以降だけど 柿はアルコール発酵したと思ったら、すぐに出来たアルコールを元に酢酸発酵してしまう。
だから柿酢は古来から有ったが柿酒は無い。 日本の一般飲食店
2004年
喫茶店 8.4万
一般食堂 7.5万
中華料理 6.1万
日本料理 4.2万
すし 3.5万
そばうどん 3.5万
3合計11.2万
西洋料理 2.9万
焼き肉(東洋料理) 2.1万
お好み焼き 2万
その他食堂・レストラン(韓国料理店など) 0.7万
その他 0.7万
ハンバーガー 0.5万
お好み焼きがこんなに多いとは 関西方面だろ
首都圏にはお好み焼き屋ってメチャ少ないぞ 広島へ行って
お好み焼き屋に入って店の人に
「広島風お好み焼きください」
って言ってみたいなぁ 江戸時代の人が俺の朝食を見たら、質素な食事だと思うんだろうな。
ライ麦パン、コーヒー、チーズ
五穀にも入らない雑穀の粉を焼いた物、南蛮の豆茶に牛の乳を入れた物、醍醐。 「おお噂に聞いた醍醐を食しておられる、都の殿上人?、ひょっとしたら天子様かも」 鰹節、特に本枯節が出来たのはこの時代らしいが、
カビてるやつを食ってみたら美味かったってのはそれなりにチャレンジングな話だよなぁ。
やっぱり何処の人間も、取り敢えず口に入れてみるらしい 誰かを騙して喰わせたんだろ、で美味かったと聞いて自分も もちろん、これはセツら通の好むもの。一回食ったことがごわす
そんなら食ってみてください >>37
おフランスさん、いい線いってんじゃん。
コウジカビ2種類に、耐塩性酵母と乳酸菌が各数種類。
少なくとも真菌3種類が醗酵に参与しているんだから、「数種類のキノコ」は割と当たってる。 >>45
ばあちゃん毎年梅酒作ってたけれど、あれは南蛮渡来の手法だったのか? >>51
東京都・食べログ掲載分だけで、1360店もあるんだけれど、少ないの?
ラーメン6430店、寿司5005店、そぱ4120店に較べるとそりゃ、少ないけれど
天ぷら1299店やピザ屋1369店と遜色ない店舗数のような。 >>51
>関西方面だろ
広島県が人口当たりトップ
>首都圏にはお好み焼き屋ってメチャ少ないぞ
「メチャ少ない」と言うよりも「多くはない」という感じ
都道府県別お好み焼・焼きそば・たこ焼店店舗数 - とどラン
https://todo-ran.com/t/kiji/13448
https://tdfk.odomon.net/tdfkimages/00/00/01/34/13448.gif 976 :おさかなくわえた名無しさん :2020/07/19(日) 05:31:03.24 ID:Sv641BLW
知り合いが金無さすぎて白米ばっかり食ってたら脚気になった。
病院行ったら、文献でしか見たことないと驚かれたそうな。 977 :おさかなくわえた名無しさん :2020/07/19(日) 05:52:35.01 ID:vRuXZIgY
>>976
かっけえ 白米を主食にできる中途半端だから脚気になるパスタ主食で米を買うのが夢くらいの貧乏なら >>66
貧乏人は麦を食え
ってことかな?
自律神経失調症で脚気と誤診されたことあるよ 新米の時期だけ銀シャリで
普段は麦3割位で炊いて食ってるけど
炊きあがりが太極図みたいになる 生めんで「そば」そば粉3割以上
乾めんで、そば粉の割合を決めると伝統的な「そば」の名称が文化的に切断されてしまうので
規定できない
JAS改定により
2割以下、1割以下の場合、「二割以下」、「一割以下」と付記する義務が生じたが
「そば」の名乗りを否定はされない
メープルシロップー>メープルタイプ
原料にメープルがないため NHKの土曜時代劇
浪人者が蕎麦屋台「引き」ながら、子どもを育てている
この時代、屋台は天秤のように「担ぐ」もので、引くものじゃないよ
屋台に車輪がついたのは、明治以降 >>56
鰹節出汁「おでん」は「関東煮」屋が関東大震災後に関東以外に
避難しその地で店を開いたから昭和以降に日本各地に広まったと
いうのは真説なのかな?
大正時代以前には蒲鉾・竹輪・薩摩揚げ等の練りもの類は
どんな料理法で食べていたんだろ?
大根の煮物も日本各地に以前からあったのでは? 揚げ物や大根自体を煮たものは昔からあっただろうが、いろんな揚げ物・練り物、大根、豆腐、蒟蒻などををいっぺんに煮込んだのこそが、がおでん、関東煮の発明てなもんだろう
屋台などで串刺しの単品を買ってその場で食べるスタイル
家庭料理となったのは高度成長期以降だという
明治に東京で生まれた煮込みおでんは大正時代に関西に伝わって関東煮と呼ばれるようになったが、大正十二年の関東大震災の折には被災者への炊き出しとして関西の料理人がお礼のように関東煮を振る舞ったとのこと 昭和の漫画家赤塚不二夫の描くキャラクター、チビ太はよくおでんをひと串持った姿で路上に登場した
屋台か街のおでん屋で買ったものを立ち食いする姿だ
こういう売り方、買い方、食べ方全体がおでんのアイデンディティーだろう >>79 >>80
「おでん」が関西に伝わったのは関東大震災以後でなく大正時代か?
でも現代のようにマスメディアもなく人の流動も少なかったろう
大正時代にどのように関西各地に広まったのだろ?戦前の大阪には
朝ドラ「まんぷく」に出てきたラーメン屋台同様に「おでん」屋台も
あったわけか?
なお関西人は「関東煮」でなく「関東炊き」と呼ぶらしい。
赤塚不二夫のチビ太の串刺し「おでん」は家からでなく街頭のコンビニ
買いだったのか? >>81
2020年前期朝ドラ「エール」にも戦前昭和期の東京で古関裕而の
幼馴染みが開く「おでん」屋台が登場していた。
チビ太の登場する赤塚不二夫「おそ松くん」舞台の昭和30年代には
未だ日本にコンビニ店はなかったろうから串刺し「おでん」は何処で
売っていたのだろう? 「串で刺してあるから田楽なんで串から外したら只の煮込みだ」ってめんどくさいヤツがいなかったんだろ 今でもコンビニにおでん売ってんじゃん。
昔駄菓子屋で売ってたのと大差ないだろ 東京は千住あたりにおでんを売る駄菓子屋が一軒残っているという記事があったが、静岡市には三軒残っていて、静岡の駄菓子屋おでんとして名物扱いになっているそうだ 黒はんぺん名物だからなのか
おでん街もあるんだよな静岡 邪道かどうかは個人の感想
美味しさに関してはデータが取れないので完全なる主観
グルメ気取りはバカ >>93
他地域に広まってないのが、さして美味くないことの証明になるだろ。
他地域で入手の難しいような特殊な材料を使うわけでなし、他の地域で真似されない理由が無いわなあ。 魚粉かける富士宮やきそばなら東京にも屋台で来る
魚粉がうまいってケンミンショーでも見たばかりだな…
オレの感性は全国民が見倣うべきみたいな傲慢さ何とかしたほうがいいぞ それから、静岡にはよく出張で行ってたが結構おでん街は込み合ってたぞ(観光客や出張客で あん餅を白味噌に入れるタイプのどっかの雑煮、あれも結構すごい組み合わせだが隠れファンが他県にいるしな >>94
黒はんぺん、おでん微妙だけど揚げたてのフライ最高よ >>51
探さなくてもあるよ
もんじゃメインだったりするけど >>45
日本にも古代には口噛み酒があったような話を何かの本で読んだ気がするが おれは、おでんも関東炊きの両方とも好きじゃない
特に高級店のものは馬鹿みたい。
あんな店で飲んで喰って1人3000円以上払うなんて理解できない。
それよか屋台寿司のほうが良い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています