王朝交代(血統の断絶?)があったかどうかは知らないが
ちょっと横から話を挟むね。

継体大王の崩御
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage626a.htm

なんと継体天皇こと男大迹王は天皇に即位していなかったという疑惑があるというのだ!
雄略天皇の死後琵琶湖以北を統括した王として自立し20年もかけてようやく大和に迎え入れられた。
このとき、大伴金村は継体と内応し平郡氏を滅ぼした。その間の20年間大和では3人の天皇が交替していた。
継体は仁賢天皇の跡を継いだ武烈天皇を傀儡にしていたが武烈から皇位を譲り受けなかった。
政治の実権を持たない武烈の行動は養父の秀吉に秀頼が生れた後の豊臣秀次のように狂暴化していった。
武烈天皇の暴虐の話は決してフィクションではないそうだ。
継体の息子で義兄弟の安閑天皇に廃位された可能性があるようで、このあたり、魏の曹操は
後漢の献帝を傀儡にし、子の曹丕の代になって献帝から帝位を禅譲され魏を建国したこと、
西晋も同様に魏から帝位を簒奪したことと似たような話だ。

継体天皇の在位年数28年=清寧5年+顕宗3年+仁賢11年+武烈8年+安閑1年