「邪馬台国」畿内説論者が倭人伝の原文(基礎データ)の文字を「南」から「東」に改竄(研究不正)していることを指摘しましたが、
彼らはもう一つの改竄(研究不正)にも手を染めています。
それはより悪質で本質的な改竄で、こともあろうに倭国の中心である女王国の名称を原文の邪馬壹国から邪馬台国(邪馬臺国)にするというもので、
理系の人間には信じられないような大胆な改竄(研究不正)です。

今回はこの研究不正の動機について解説します。
既に述べましたように、邪馬壹国の位置を博多湾岸の東方向とするために、「南」を「東」に改竄しただけでは畿内説「成立」には不十分なので、
畿内説論者は女王国の国名をヤマトにしたかったのです。
実は改竄(研究不正)はこの国名改竄の方が先になされました。
畿内説論者の研究不正の順序はおおよそ次のようなものでした。

(1)倭国の中心国は古代より天皇家がいたヤマトでなければならない。(皇国史観という「信仰」による)

(2)ところが倭人伝には邪馬壹国とあり、ヤマトとは読めない。(「信仰」と史料事実が異なる)

(3)「壹」とあるのは誤りであり、「壹」の字に似た「臺(台)」が正しく、中国人が間違ったことにする。(証拠もなく古代中国人に責任転嫁する。「歴史冤罪」発生)

(4)「邪馬臺国」を正しいと、皆で決める。(集団による改竄容認・研究不正容認)

(5)しかしそれでも「邪馬臺国」ではヤマトとは読めない。(改竄・研究不正してもまだ畿内説は成立しない)

(6)「臺」は「タイ」と発音するが、同じタ行の「ト」と発音してもよいと、論証抜きで決める。

(7)「臺」を「ト」と読むことにするが、同じタ行の「タ」「チ」「ツ」「テ」とは、この場合読まないことにする。(これも論証抜きの断定)

(8)こうしてようやく「邪馬臺国」を「ヤマト国」と読むことに「成功」する。

(9)この「ヤマト国」は奈良県のヤマトのことと、論証抜きで決める。(自らの「信仰」に合うように断定する)