>>30
津堂城山は年代的に大きな問題は無いので候補たりうるが
仲ツ山の方が巨大で、なおかつこちらも誉田御廟山以前に築かれたものと見られているので仲ツ山の蓋然性が高いと判断した
仲哀の名がタラシナカツヒコというのもある

仁徳陵、履中陵は確かに位置関係が逆になってしまうのだが、考古学的に上石津ミサンザイ→大仙陵の順なのは確実だからなあ…
菟道稚郎子の墓が上石津ミサンザイという事実上の大王墓で、対して履中は合葬というのは流石に…
菟道稚郎子の陵墓が古市or百舌鳥にあるなら墓山か御廟山でも良さそうだが