安康天皇の真陵の治定はかなり難しそう
宮内庁治定の場所は考古学的には中世の山城であって古墳ですらないので明らかに誤りだが、まあ一応佐紀の地に築かれたのは本当だとすると、ヒシアゲ古墳やウワナベ古墳あたりが時代的には近いか
時代はややずれるが市庭古墳も怪しい

或いは、全く考え方を変えて「応神〜雄略までの七天皇は全員が古市or百舌鳥古墳群に葬られた」と仮定する
この場合、古市の軽里大塚古墳が時代的には近いが前後の古墳と比べると大きさ的に見劣りするのが難点