>>259 先生
>>267 です。よく眠ったので酔いが覚めました。(笑)

とりあえず、「伊賀市史第2巻通史編近世(三重県伊賀市編纂/以下史料1)」と「伊賀国における郷土集落
と地域構造(五十嵐勉・歴史地理学会/以下史料2)」の二つを入手しました。(ネット社会は便利ですね)

伊賀国の無足人に関する記述はというと、「藤堂藩には、無足人と称される郷士がおり、藩によって帯刀を
許可されていた。(史料1−89ページ)」また、「無足人とは知行地をもたない準士分のことをいう。このよう
な存在のことを多くの藩では郷士と呼称したが、藤堂藩では無足人と呼称した。(史料2−229ページ)」

次に、「無足人同士の養子縁組はよいが、無足人と百姓との養子縁組はいけないという定めになっていた。
(史料1−240ページ)」という記述から、少なくとも無足人は士農工商という身分制度の下で、下級といえ
ども武士扱いされていたことが分かります。

そして、「地方統治機構と郷士編成寄稿との関係図」(史料2−70ページ)」で、以下のような社会システムが
規定されていたとあります。

加判奉行−郡奉行−郡代官−+−無足人頭−藪廻無足人−御目見無足人−山廻・平無足人
                    |
                    +−大庄屋−庄屋組合頭−庄屋−年寄−組頭−農民

よって、無足人(郷士)は、軽輩といえども武士階級の末端レベルを担っていたと考えるのが合理的だと考えます。

となると、>>256 の御主張「郷士は武士じゃないですから」と、>>253 の御主張「本物の武士は彫りが深い」の論拠
が少し怪しくなると思われます。これらの御主張を成立させるためには、武士にも2種類あり、「知行地を持つ武士
は本物」、「それ以外の侍は士(卒)分を持つ下級の人々」という分類を採用するのが妥当かと考えます。

とりあえず、こういう認識でよろしいでしょうか?