朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。 忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。

忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。

「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。

「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。

櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。

さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。 つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。

「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。

これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。

つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。

もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。 大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。

徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。 両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。

矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。 時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。

矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。  @阿波