辰国が誤植であったとしても、辰王は存在し、世襲で自分から名乗ることはできなかった。
権威なら交易にも使われたかもしれないが、交易目的だけのものなら、300年後の辰朝人にまではつながらない。
「辰」が仮借だというなら「辰朝」をそれなりに説明しなくてはならない。墓誌に使われている。
扶余隆は洛陽で没。墓誌は唐朝のもとで厳格に作られただろう。
お前のごちゃごちゃした辰朝自称説がただしいなら、墓誌に「辰朝人」と記載されることはない。
禰軍墓誌と同じ時期だ。参考にすればよい。厳格なものだよ。