信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 2
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>>531
池田んちは信長の命令で娘を信房に娶らせているな
もしその双子という憶測が当たりなのであれば信忠の
連枝家としてこれに勝るものはないよな こんな旦那を刃物で刺し殺せって
命令する人の親父の娘と結婚させられる
信長が可愛そうなわけだがね・・・ それにしても「信長の忍びの」帰蝶さんはモーレツに可愛い。ウルトラ天然だけれど
それを信長や竹中半兵衛にも感染させてる。でもあのアニメ壺は外さないんだよね。 久々に来たらすごい荒れてた
池田家は表に出てない資料とか持ってそうなんだけどなかなか調査もできないし
側室云々は関係なく、信忠と信房の関係は一考の余地ありだよね >>549
生駒さんとことはまた違った意味で池田さん色々意味深なんだね。この時代やはり
男子に関しては正室の子が跡継ぎとして優先だったろうけれど女子はどうなのかな?
戦国の女性で家中ではなく他所の大名に嫁ぐ姫って要は人質で外交官でもあるんだよね。
オツムガ??な人では務まらないからそれなりに容姿を含めて選抜したのかな。 池田ヲタが常駐してるな
池田恒興は小牧長久手で死んだし跡を継いだ池田輝政は
妹を豊臣秀次の正室に差し出し自分の継室は徳川家康の娘で
秀吉家康にべったりなんだが >>553
全般にわたり池田ヲタのメルヘン作文で埋めておいて何を言ってるw
池田ヲタのお前が全部書き直せ 不思議というか池田ネタ絡むと変な噛みつきをする人が
必ず現れるんだよねーw
メンヘル作文とかいうけど自分の方がよほどメンヘル作文じゃん 池田氏はスレタイの濃姫にはあまりかかわっていないんじゃ?イヤ亭主の側近だから
関わりなしと言う事はないけれど、その信忠と池田の嫡子が双子と言う話が本当であれば
信忠を養子にした濃姫もある意味したたかな人だな、胤は信長なんでしょう? というかその信忠と元助が双子ってのはどのくらい信憑性があるの?
ぶっちゃけ5ch(2ch)、しかも濃姫関連の話題でしか見たことない話なんだが >>559
信憑性は全然ないし、本気にしてる人もいないだろう
まあ、妄想ネタの話題として楽しんでるだけだよ
ここはわずかな史料から色々妄想して楽しむスレだったわけで そだな
しかもレスしている人ももし~のようにことわりを入れた
前提ありきで書かれているのはきちんとよめばわかるはなし
しかしながら池田元助は謎な部分が多いのも確かで双子はともかくとして
信長の胤だったのではないかという仮説は個人的には興味ある
元助の嫁の血筋に加え弟輝政にも元服前にもかかわらず朱印状出してまで
所領を与えたり乳兄弟の子とはいえ厚遇がすぎる(史実)、逸話はさめば
なぜ信忠信雄信孝を前にしてお前ら元助を見習えなんてやったのかと…
下二人はともかく信忠までいるのが解せぬ >>558
当時と今では双子や双子を産んだ母親を取り巻く環境は
天と地の差があるから仮にそうだとしてもしたたかとは思わんな >>562
史料の信憑性がアレだが元助の正妻は義龍の娘というのもある
正室→義龍女(道三の孫)
継室→伊勢女(道三の孫)
側室→塩川女(Wikipediaとは違うが池田家では正室になっていないから)
これ準拠であれば斎藤家との血縁を重ねているからそこには濃姫も
何かしら一枚噛んでいるように思える
なんていうか信忠は跡目だから別として元助が道三の血筋と縁付けを
重ねることになったのはやはり濃姫か斎藤家由縁の女が産んだ信長の庶子
だからのように思えるんだよね 池田が信長の乳母の家だけに頭ごなしにありえねと
言えないところがもどかしい
乳母は元服すればはい終わりというわけでもないしな
秀忠もお静が妊娠した時真っ先に相談したのは乳母だったし
対処したのも乳母だったわけで… 〜が無いとは言い切れないとかを言い出したらキリが無いがな。濃姫には双子の妹がいたとか、濃姫は108歳まで生きたとか >>566
濃姫に双子の妹?どこかですり替わるとか言うオチ?小説ですか?初めて聞いた。 >>567
小説じゃないよ適当に書いただけ。しかし現実に世の中に双子がゴロゴロいるのだし無いとは言い切れない。
「無いとは言い切れない」とはそのレベルって話ね 武功夜話以来どうしても信忠・信雄・信孝の上三人が注目されがち
でも信長の子供達は兄弟順さえ諸説あったり順番入れ替わってたりと不明なことが多い
生駒腹とされる三人も生年が近いし、永姫と信雄の関係とかもっと突っ込む歴史家がいてもいいと思うんだけどな 信長の側室として吉乃(生駒氏)とお鍋以外を知ってる人はどれくらいいるんだろうか
自分はどの側室の女性も出過ぎたことはせずにわきまえて家中の乱れがないよう皆でやっていってたと思うから三角関係とかそういう考え方自体ピンとこない 知ってる人は多いと思うけど他の側室は興味がないんだと思うよ。信長の奥の乱れが出てないから正室も側室もそれぞれ立場をわきまえていたのだと思うし。
小説でもいまだに濃姫よりも愛された吉乃 吉乃が死んで吉乃に似た鍋を愛した
こんな内容の小説が多いしね。 >>576
多分wikiとか見てるだろうから知ってる人は多いと思う。
武功夜話で正室格だの色々と歪められてるからね。信長の場合は寵愛とか言われるけど行動が伴っていないから言い放題。 吉乃をとがめるつもりは全くないんだけどWikipediaの生駒吉乃変わったね。少し前に観たときは
武功をなぞらえて書いてあったけど
相変わらず3人の母ではあったが。 武功夜話は偽書だからな
あんなものを基準に考えたらおかしくなるぞ 五男の信房は、なんか他の兄弟より
信長に大切にされたってどっかにかいてあったな
武田に人質にされてたってのもあるんだろうけど >>583
信房も生母不明
武田から帰ってきたときの信長の厚遇振りはすごい
ただそれからすぐに本能寺が起きてるせいで信雄・信孝同様に他家を継がせるつもりでいたかどうかもわからん
信忠にくっつけてあったのは確かだが >>584
奥方は?秀吉の養子になった4男もまだ結婚していなかったよね? >>585
正室はいないよ
側室は586氏のとおり
平山は正室と主張しているが当の池田家が正室になったとは
伝わっていないと否定しているから側室だったとオモ >>587
ここでも池田家が出てくるんだよなあ
まあ信房に正室がいたらその女性の家柄やなんやから息子達の中の序列もわかったかもしれんが
池田家だって信房正室って主張してもおかしくないのにわざわざ否定するあたりやっぱりなんか伝わってるんだろうか 何か含みがあるとは私は思わないな
正室とは伝わっていないから正室じゃないと言っているだけかも 含みというか、側室なのに正室だったと主張する家もあるのになって話じゃない? スレチでごめんだけど池田家といえば利隆の正妻(氏直の娘)の
肖像画が鳥取で見つかって実名が判明したんだってね
万と書いてよろずと読むんだって 肖像画発見は6年前の記事だね
万姫は徳川家康の次女・督姫が先夫の北条氏直との間に儲けた娘で
督姫が池田輝政と再婚した時に連れ子にして一緒に池田家に来た
輝政が先室・糸姫(輝政が家康息女・督姫との結婚を命じられたため離縁)
との間に儲けていた利隆と婚約したが結婚はしていなかったともいわれる >>588
信房の息子の勝良の母は池田恒興女ではないから
信房には他にも妻(正室か側室か不明)がいたことは確かだね 子供がいることから秀勝と兄弟順が入れ替わってるんじゃないかともいわれてるね
武田時代に結婚した可能性もあるけど
ところでwikiの養観院の記述が全部同じ書籍からの引用になってるけど前からだっけ?
養観院と養勝院は同一人物だろうで済まされてるのに濃姫は確定できないって言われちゃうのはなぜなのか >>592
姫路の寺で糸姫の位牌が見つかって裏書から督が嫁いでくる前に
離縁していたことや姫路で姫路城落成前に病没だったことが判明してる
なぜ離縁したかは諸説あるけど自ら離縁していたっぽく(同裏書)池田家も
姫路にいることを容認、督姫も輝政の病気平癒祈願文の中で父や兄、実子より先に
利隆が健康であることを書き記していることや利隆が池田家を継げるようにという
祈願文も伊勢神宮別当に納めていること、利隆や輝政も度々会っていたことから
督姫も納得していたっぽい(督姫の様々な誤解解けるといいんだけどなあ)
あと池田家の過去帳とかだと正室になっているみたいで連れ子同士とはいえ
義理の兄妹なのに婚約という形をとっている不自然さから恋愛関係に
なっていたんじゃないかとか(利隆は彼女死後再婚まで期間があって
輝政も無理に進めた話はない)督姫が利隆との婚約を強く望んでいて
北条家の娘にこだわっていた感から家康の政略道具にされないよう守るためとか
手元に置いておきたかったからという推測話もあるっぽいよ
なんだかんだで胸の中では氏直のことを想っていたのかもね 正室は高飛車で嫌な女、側室は健気で控えめみたいなのがテンプレになってるけど、実際は当主と正室は家の共同経営者として気遣いあってうまくやってたのかなあ
もちろん相性とかもあるし仲悪いって記録されてる夫婦もいるけどさ >>595
糸姫の墓は実家・中川家の菩提寺である岡山の西光寺じゃないの?
離縁されて実家の中川家に戻りそこで没した
輝政や利隆の墓がある姫路の和意谷池田家墓所にはない
ただし糸姫は関ケ原前後までは中川家の大坂屋敷に実母と一緒に住んでいたとみられ
(当時は秀頼のお膝元である大坂に諸大名が集住)
池田家の大坂屋敷にいる利隆に会うこともできたし利隆の当主就任を願ってもいた
千姫は後夫の本多忠刻と死別して実家の徳川家に帰るとき娘の勝姫を連れて行ってるし
勝姫(千姫の妹)も松平忠直と離縁したとき2人の娘を一緒に連れて出た
娘が母親に同行することはよくある(浅井三姉妹も母市が再婚するとき同行)
万姫が利隆の許婚だったというのは「因府年表」にしかみえないこと、婚礼の記述はどこにもないこと
万姫は当時の結婚適齢期(15歳前後?)を超えた17歳で未婚のまま没していることなどから
不思議に思った後世編集者が利隆の許婚だったから誰にも嫁がなかったのだと解釈したとも いと姫のお墓のある西光寺って岡山じゃなくて大分だよ
位牌の裏書が正しいなら多分姫路で没して遺体は中川家が引き取って
大分県に埋葬して姫路は位牌所だったんじゃないの?
利隆は姫路城主になってるからその時に位牌所にしたのかも
大分と姫路じゃ今でも遠距離だしね
婚約云々は前にツイッターで詳しい人同士のやりとり読んだことあるけど
高野山や岡山鳥取の史料とかに許婚や室と記載されているみたいだから諸事情で
内々で婚儀していたんじゃないのかなあ
先が長くないとわかってとか…これは小説的な解釈だけどw >>595
輝政も督姫も信忠と松姫の悲恋を間近で見聞きしているだろうから
想いあっているならくっつけてあげようと思っていたとしても
不思議じゃないよね
督姫って母性愛が強い人だったのかも…
忠継を秀忠の養子に話の時にも家康が子供を亡くして嘆く
側室のために振姫をという話の時にも断固拒否したみたいだし 濃姫の戒名として一番可能性が高いのはやっぱり養華院? >>599
自分の側室が気の毒だからって娘に対して側室のために
孫をくれなんてよく言えるよね…
やはり幼少期から家庭に恵まれなかった弊害かな
スレチですみませんなので一つ濃姫ネタ
前岡山である先生が講演会をやった時質疑応答で
妙心寺と池田家について聞かれてその中で話ついでに養徳院が
建立した塔頭にある恒興の供養墓と伝わるものは寺伝などを含めると
実は尼僧の墓の可能性が高くてそれはそれはとても大切にされていたんだって
その先生は天球院に伝わる話などいろいろ踏まえるとこれが濃姫の墓なんじゃ
ないかと疑っていると言ってたよ なんでこのスレって油断すると池田家の話題になんの? 濃姫の情報を探す場合、信雄系が幅を利かせてる織田家からは期待できない
実家の斎藤家関連でって考えたら、新五郎の子孫が仕えた池田家が
一番情報持ってるんじゃないかって思える
それで池田家関連の話が多くなりがちなんだろうけど
池田家内部の話はどうでもいいよなw >>604
なるほどそういう経緯かw
前からすごい謎だった
さんくす まあ寵愛はーとか生駒よりはーとかゴシップ雀モードな空気で
ループするよりマシかなー、池田話でも
>>602
その伝恒興供養墓が濃姫の墓じゃないかという話は昔は
しばしば疑われていたが養華院が出てきてから消えてしもうたな
いかんせんガードが固くて調査が進まずだが塔頭内では養徳院や恒興より
上位に位置付けられているのは確からしい
記憶違いじゃなければ天城斎藤家も懇意にしていたんじゃなかったかな
因みだが天球院同様にここも織田家の家紋が使われていた時期があると
戦前のガイドブックに書かれてあったが詳細は不明 戦前のガイドブックとか侮れんよな
くそ怪しいのからガチまで玉石混合 正誤は別として戦前に書かれたものの方が情報が多いことあるよね
戦災で途絶えてしまう前だから貴重な話もあったりする
つくづく戦災での文化遺跡の損失は甚大だと思わされる まあ濃姫の戒名が複数ある可能性だってあるし、研究の余地はあるんだろうけど
池田家は岡山も鳥取も当代で絶家が決まってるみたいだから家伝資料とかどうなるのかな 鳥取は断絶宣言してるけど宗家は断絶とも継続ともコメントしてないよ
庶子(噂範疇)や男系でついできたお子様もいるそうだから
断絶させるかなあー?と思う
厚子さんの手前今は言えないだろうけど 岡山の人は池田が多いんだってよ
ふつーは庶民が殿様の名字は名乗らないもんだけど岡山だけはゆるくって勝手に池田さんが多いらしい
そんで岡山人全員が自分は池田公の落し胤だと固く信じてる
どういうわけか岡山人は濃姫スレに粘着してる、せめて血のつながりがあれば、まだわかるんだが、
リアルでも岡山人は閉鎖性が強くよそものとは付きあえないと言われてるから・・ 石川の前田、宮城の伊達、山梨の武田と山本、神奈川の北条などなど
岡山に限った話ではないなw
>>609
磯田スレを参考だけど利治流の斎藤家の人が東大史学、支藩だが藩主教育係を
勤めた磯田家の人が有名なあの磯田、石谷文書所有の林原の館長は門閥末裔と
家伝史料の引き取り先には困らなそうな感じ
(ぶっちゃけ引き取ってもらった方が史料解読などの研究が進むだろうから
やっていただきたいんだが…)
ただ濃姫に関しては何も伝わっていないという斎藤家だからあっても
発表するかどうかは何とも言えぬのがなあ… 磯田前スレに林原や池田文庫は収蔵品が多すぎるからまだ手つかずの
ものがあるという噂…みたいな書き込みを見つけた
本当にそうなら戦災を免れた斎藤分家の蔵と合わせて濃姫に関する新発見が
この中に埋もれていると期待したいな
あと磯田はおいしいポジにいるのだから濃姫の研究をまじでして欲しい 磯田は美濃攻略に数年かかったことやその間の義龍と信長の関係も興味深い考察してた
濃姫が離縁されたとは考えにくいみたいな言い方だったけど
某先生のような人が武功を持ちあげる限り濃姫は謎のままなのかも >>598
糸姫が姫路で没したって何の史料にあるの?
離縁していないのならば姫路の池田家墓所に葬られるだろうし
わざわざ遠方の実家の墓まで運ぶ必要ないじゃない
個々の人たちなんか変 >>612
どこも人が足りていないし放置とか普通だからな
自然災害が増加していて古文書整理や保管を専門とする
先生方はそっちに取られてしまっているからある意味末期
日本も外国みたいに専門家養成すりゃいいのに アーキビストのことか…
国内では認知が低い上に専攻課程ができたのだって
まだ10年たらずだからかなり遅れているよね
学芸員と同じと思っているアホもいる 渡辺大門じゃないが食っていけるようにしなきゃ
人は増えるどころか減る一方
史学専攻でもアーカイブ系は地味なせいか人気がない
教えられる先生も少ない
文書アーカイブで一番とっつきやすくまた必要とする郷土史や
民俗学をおざなりにしている現在の史学界なんで史料管理を充実させる
べくの土台を作りたくても作れない
くだらん学閥、
問題山積みすぎで衰退する一方、それが日本史学界 政権べったりする必要もないけど
なにか事あるたびに政権批判やってて金落ちてくると思うほうが頭おかしい
本当に金得たいなら自ら食う努力をするか
あるいは金が落ちてくる仕組みづくりをするか
どこもかしこも素人(在野研究家)をバカにするようなこと散々やっといて
税金だけくださいとかそりゃ虫が良すぎる まあ未だに武功が幅きかせてるのも専門外の教授らがお墨付き与えて出版されたからだし
誤訳を指摘されても直さないんだから呆れる
織豊や戦国女性史専門の先生らはハナから相手にしてないような資料だったのにな
権威とされる教授の説を否定できないのはどこの学会でも同じだが
姫や奥方の研究は元々在野の人が多くて下の扱いをされてるように思う 井沢元彦 学校では教えてくれない戦国の授業 生駒は正婦人だって。武功使っておるわ。これだものダメよね。 正室は貴族や大名から貰う
側室は人それぞれだが諏訪姫側室にした信玄とかお姫様ばかり固めた秀吉とかあるからな
家康も信長も大名には娘とか押し付けても自分は貰ってないな 家康は今川とか豊臣とか自分より超格上の超名家から正室貰いろくなことになっていない
秀吉は正室は下級武士で側室は超名家からお姫様がずらり、正室が一番身分低い
信長は娘だ妹だ養女だ婚姻政策は凄いのに自分は違う、何かやりたい好きで選んでいる
謙信はガチホモで身内の甥と北条家から養子を取り後継者を指名せずに殺しあい
信玄は貴族の正室や滅ぼした超名家の側室に子供を作らせて嫡男を死なす
最近は否定説もあるがホモでもある
元就は正室の息子三人をしっかり適材適所に配置しながら側室にも子供作る こまいことをいうようだがホモは男以外とはできない人だから
女と子供を作って仲も良好なのであればそれはホモといわずバイだ つかホモは差別用語だから使わんほうがいい
今は同性愛者をゲイと呼ぶのが主流
嫁もいて仲もよくその嫁と数人子供までいる武将に対して
ホモというのはおかしいという意見は激しく同意
LGBTにうるさくなってきているのだしいい加減きちんと区別せーよと 戦国時代にLGBTなんて区別はないだろう?
ありもしない事情に身勝手な分類なんてするもんじゃない
当時は衆道という言葉が使われてたんだから素直に衆道を使えばいい
ちなみに衆道には信義などの精神的な結びつきを重んじていて男女関係より「上」であるとされていた事情も含まれている
その辺の真意をホモだのゲイだのは内包してないんだから適切な言葉ではない バカは現代の概念やルールを余裕で歴史に持ち込むからな
側室カワイソウ…政略結婚カワイソウ…
じゃあ自由恋愛があったのかって話だよ コミケからまだ日も浅いし薄い本に感化されたんじゃねーの(棒)
そんなだからまーんとかガチの同性愛者に馬鹿にされる あと大河とか見ててうんざりするのが「平和のために」云々ってやつ
武力征服での平和賛美とかどんだけ頭腐ってんだよ
俺様に歯向かうやつがいない=平和ってだけだろ >631
同性愛の武将の多くも寵愛したのは女と見まがうばかりに麗しい美少年
信義などの精神的な結びつきが重要なら爺同士でも衆道があってしかるべきだがそれはないし
衆道が男女関係より上ということもない
化粧して女ものの衣装を被り女を一切近づけず小姓ばかりを寵愛していた
ガチの同性愛者だった頃の若年期の徳川家光は立派な殿様だと褒められるどころか
弟を将軍にしたほうがいいのではないかと言われるバカ殿扱いだった >>635
戦国時代が続いていた方が江戸幕府が出来るより良かったという事? 武装解除された農民から見ればそうなるな
無事大名・武士階級に居座れた層から見れば江戸の方が断然良い >>638
話し合いなどで収束するような情勢ではなく好き嫌いは別として
武力で征服するしか収束できなかったような時代なのに武力で平和賛美を〜
とゆとり全開ないし平和認知症の奴は放置するがよろし
とはいえまあ確かに連呼されるのはうざく見える時もあるな 戦国の平定、応仁の乱以降100年も無政府状態だったんだからだれかがやらなくては。
信長は天下布武はわかるがその後どのような形で国を治めるつもりだったのかな?
御代を朝廷へ本気でお返しして自分は何になる気だったのか。晩年右大臣になっているん
ですよね? 戦国板の勝長スレに中公から出た織田信忠という
新書の内容についてレスがいくつか入ってるけどなんか
信忠の生母は生駒になっていて他の人を母とする説もあるけど
取るに足らないとか書いてあるんだと…
武功の方がよほど怪しいのになwww >>641
右大将受けている以上、将軍でしょ。後付けで平氏名乗ってたから朝廷は太政大臣を追贈したけど。信長将軍、信忠家督の二元体制、駿府の親父と同じだな 書いた人の説だから生駒が母でも良いけどね。信雄と生駒は関係性がたどれるけど不思議なことに信忠はたどれないのよね。 >朝廷は太政大臣を追贈
そうなんですか!征夷大将軍にならなかったのは平氏だったからでしょうが
太政大臣は知りませんでした。でも源平藤橘+豊臣みたいなことは申し出ていないんですよね?
秀吉は結構公家たちに金で交渉したと聞きますが。 >>646
そりゃ藤原名乗ったり平氏名乗ったり、ふらふらしてるけど間違いなくそこそこの武士だし。もとをたどれば越前の神職。
いまは否定的な学説が多いと思うけど、信長は朝廷を上回る権威を手にいれようとしてたのでは >>646
追贈は亡くなった人に対して(敬意を表すなどから)官位を
贈ることだから平氏だのなんだのは関係ないよ
将軍にならなかったのは信忠にそういう官位を与えて欲しいと
何回か言っていることからもなる気がなかったように思える >>644
信長は義昭を追っ払ったものの将軍職を奪っておらず
信長生前はずっと義昭が将軍のまま
信長は将軍を欲しがっていなかった NHKの番組だったかで信長暗殺の裏に義昭がいたと思わせる手紙や文書を出して
将軍義昭説をとっていたけれど、一応京都から義昭を追っ払った時点で足利幕府
崩壊ってことになるんですか?朝廷説をとる人も結構いるのは驚いた。
小説家では秀吉犯人説も結構いますね。堺の商人説もある。 信長暗殺陰謀論こそ日本史の怪しさを醸し出す議論ないよね
確かな証拠もなく歴史学者があれこれ妄想してる 小説は作者が思う 小さな説だもの 何でもありよ。歴史学者たちは生き残るために様々な説を言うから。信長を狙うものたちはたくさんいたのだから。濃姫説を唱える学者もいたくらいよ。 >小説は作者が思う 小さな説だもの 何でもありよ
>歴史学者たちは生き残るために様々な説を言う
両者に違いはあるのかって話じゃない?
小説家だって趣味で書いてるわけじゃなくて生きる術にすぎない 織田信長は賢く隠忍自重して武田信玄にゴマすった、とされてるが
そもそも信長が生まれる前から織田は武田とながいあいだ同盟関係にあった。
武田信虎は松平清康と一戦まじえてるし三河・美濃を背後から武力牽制してくれる
甲斐の存在は尾張の小大名にとってありがたい存在
そもそも武田家には信長という人物がけっこういたので織田信秀はそちらから
むすこのなまえ取ったに違いない。
たしか武田信虎のひいじいさんの弟が武田信長という。どういう意味かわかるね
そのままうまく縁戚としてつづければよかったが武田崩れでほろぼされるにいたった。
信長としてはとうぜんだがしかし3代の同盟で
内部に武田家のスパイが深く入り込んでおり全部ひっこぬくのは困難で
それらのアレルギーから内乱が起こりうる
それ以前にも信長のおばを殺したり織田内部でかなり恨みを買い、亀裂を起こしてるしね
武田勝頼を5万石で生かしておけば旧勢力とのバランスは取れて本能寺の変はおこらなかった
家康はそれを知っていたので高家などといって旧家を飼い殺しにした 明智光秀は武田と関係ないし結び付けるの無理があるんじゃ。恨んでいるものは
沢山いただろうけれど、本能寺で信長を殺した後どうするのか…とキチンと考えていた人間は
いないね。結局クルクルと素早く頭を巡らす秀吉が持って行った。 >>649
そりゃ別に信長は官位は欲しくないからね。散位でいいんだから。ただ右近衛権大将受けている以上、無理やりつけられる官位は将軍。死んだから平氏の太政大臣にしただけ もひとつ言っておくと、近年の義昭影響大きい説はありえんだろ。長曽我部影響説にも似る 武田勝頼が、敗れて自害して果て、その首が信長と家康公のところに相次いで送られてきた時のこと
信長はそれを見て、「その方の父の信玄は、われらに対し種々の道義に反したことや道ならぬことを行なったわ
その天罰は逃れ難く、その方も身を苦しめて国を失い、今このような姿に成り果てた
最後に至って思い知ったであろう。おのおの方ご覧になるがよい、良い気味ではないか」と笑い、勝頼の首をはずかしめた
これに対して家康公は、勝頼の首と聞いて、座っていた床几(しょうぎ)から下りて
その首に向かい合い、両手をつき心を込めて丁寧な調子で、慰められた。
この話で織田家の者は、信長のようなやり方では何かにつけて危ういと懸念した。
その予想が的中して、勝頼滅亡から八十日目にして、果たして信長は京都本能寺で家臣の明智光秀に討たれることとなった。
晩年の家康は信長を悪人とののしり、だからあのような最後になったと悪口を言って興奮し、「太閤も」と秀吉のことも言いそうになったが
さすがに旧主であることから言葉をのみこんだという 東照神君とか出てきた時点で全部眉唾
とくに自分語りと部下の持ち上げの入るやつ 信玄は武田家軍法をさだめ「人に規則を守らせるためには自分が手本にならねばならぬ」といい
「厳しい規則を作って強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとし」
「もし身分が低いものでもかまわないから信玄が法を破ったら投書せよ。自分も覚悟するであろう」
ルイ14製とさぞ気があったろう
フランスのルイ14製は官僚王といわれ毎日だれよりも正確に勤務にうちこみ、自分だけでなく
臣下には宮廷に常に出仕することを強い、出仕を怠った者に「余はそのような者は知らぬ」と冷たい言葉を投げた
なお武田勝頼も信玄の死後にオリジナル軍法をつくって披露したが
「足軽ドモは陣屋の前で糞をするな、武将ドモも勝手に退却するな」と勝手な言い分であったので人々は失望したという
大河ドラマで武田信玄といえばやりたい砲台にやる暗君というイメージだが、実はそうではなかった。
なお明智光秀も信玄を真似て明智家軍法をつくったが、その一年後には武田家滅亡して織田信長を急襲してる
よほど信玄を尊崇していたのだろう こいつは戦国板の有名な荒らしだから相手にするなよ
つーか板を跨いでこんな辺境のスレにまで現れたのか >>642
>取るにたらない
そこまで言い切れてしまう自信が欲しいw
武功夜話に信忠の母とする記載があるが生物学的に厳しい側面があるため
科学的根拠を元にするならばこの記載は取るに足らないという指摘が
近年増加傾向である
ぐらいの注記を中公も付けろや 信忠は生年不詳だし
信雄生母が信忠を出産するのは生物学的に無理だと濃姫ヲタがいうなら
せめて信忠と信雄の生年月日を確定しないと 武功夜話は偽書だから、あれを元にどうこう言われてもな
武功夜話をソースにしてる段階で論外 オタとか関係ないと思うけど。信忠は1555か1557と言われているね。
信雄は1558年3月。武功夜話を正しいとするならば1556年9月に夫が戦死して戻ってきて翌年信忠を出産。その後翌年3月に信雄を産むのは無理じゃないのと言ってるだけ。残された資料を見る限りは生駒と信忠の関係性がたどれないことも理由のひとつ。 織田信長は美形で性格も良かったらしいが明智光秀も180センチの大男で
秀吉も愛想よく人当たりが素晴らしいし、丹羽長秀も美形だった
さらに信長の傅役だった平手は都ではまれに見る器量人とうわさされていた
容姿や能力に優れた家来選り抜いてエリートに囲まれていた
せいかもしれないがそうでない者にはつめたく
信忠の顔が気持ち悪い、こいつは奇妙丸だとかいって笑い
信雄にいたっては、茶筅丸
オマエみたいなゴミは家から追い出すぞ、とずばり本音言ってる
そして生前に信雄と信孝にあたえたのは5万石、とあまりにも少ない
とても信雄の母親に愛があったとは思えない、尼になって隠居しても「無視」だからね 生駒家の吉乃ってのは、偽書である武功夜話の創作だからね
武功夜話を参考にしてる時点でおかしいのよ 信忠は元服の時期が遅いよね
濃姫の養子になったのが本当ならどのタイミングで養子になったんだろうか
雑用はさせなかったなんて説あるし幼少期からきちんと特別扱いして正室の手元においてたのかな ルイスフロイスに岐阜城で、お膳を自ら手渡しした信長子息に信忠は入ってるんかな 確か奇妙(信忠)と茶筅(信雄)だったよね。私が読んだのにはそう書いてあった。 奇妙はともかく茶筅ってどういう意味なの?
お茶々はわりと多い幼名だったらしいけど 子供の髪の毛を後ろで縛ったときの印象でしょ
ピッグテールにならずにバサバサと茶筅みたいな 家康の次男オギイ丸は魚という名前らしい
直接会えないので家臣に絵を描かせたら「ギイという魚に似てる」
母親が卑しいからどうでもよかったらしいが相続権なしを通告する意味もあったろう
長男に奇妙丸というのもひどい
当初は濃姫に嫡子できたらこまるので相続権なしを通告する意味でつけた
とすると、母親の身分はそうとう低い 茶筅はお茶の道具よ。
生まれたときに毛が茶筅髷が結えるほどふさふさしてたから茶筅と付けたらしい。
茶筅髷は茶筅を立てた状態が似てるから茶筅髷と言うの。
奇妙は生まれたとき顔が奇妙だったからとか帰蝶の帰は本当は奇で奇蝶だったから奇妙と付けたなど言われているね。
でも対して意味はないかと思うな。大洞、小洞 酌とかつける親父よ。でも幼名は魔除けの意味も合って変な名前にすると良いとか言われていたそうだから奇妙は割りと普通だったりする。 帰蝶って名前も、2級史料の地誌に出てくるだけだしな
通称っぽいというか、岐阜城の濃姫の住んでた館の呼び名とかじゃないの 奇妙丸で元服したら勘九郎・・・
長男で九郎はないだろう?
九郎ってのは九郎義経もそうだが部屋住みの下の息子を指す言葉だよ
ましてや勘九郎じゃ勘当・縁切りした9男にもみえる
自分の息子がほしいノー姫が嫌がらせで付けたようだね 信長は頼朝の挙兵を助けた上総広常にあこがれ
上総の介を名乗ったように、源義経にあやかり勇敢な武将となり
いくさで家名を上げるようにと九郎とした
義経の母親は貴族に仕える雑仕女としてしられており、そこから例を引くと
濃姫の雑仕女が生んだんじゃないかな 身分はともかく濃姫が側室にと推薦があった、のかもしれん信忠の母 つまり信長は信忠を、判官九郎としたかったがそれではあまりに呼びにくいため
女共は略してカン九郎さまといい、信長の「カンクロウ」とよび声をきき
家臣は勘九郎だなと記録した >>681
築山殿もハッキリ名前の由来が分かっていないしありそうだね。彼女が住んでいた
屋敷の庭が見事だったとかいろいろな説がある。信長って側室には鍋とか杓文字とか
家来にはきんか頭とか禿げ鼠とかあだなつけるし女性には台所用品とかのあだ名付けたりするね。
側室は台所にチョット置いてあるもの位の認識だったのかな? >>686
常盤御前ね、子供の助命のために清盛に身を任せたとか言う、多分それなくても
義経は助かっていたと思うけれどね、嫡子の頼朝が助かっているんだから。信長が
濃姫の侍女に手を付けたという逸話はあるそうだね。各務野ではないんだね? >>683
戦国期になると順番とか関係なくなっているし
見栄やもっと男児に恵まれるようにとわざと大きい数字を
あてる場合もある(これの逆バージョンが末やとめ)から
別におかしいとは思わないけどな
曾我兄弟なんて兄ちゃんは十郎で弟は八郎だぞw
信忠のは多分道三が新九郎だからそこらから引っ張ってきたんじゃね
>>689
台所用品ではないが帰蝶→几帳だったりして…
部屋を仕切る→奥を仕切るみたいな感じで 斎藤道三は新九郎と名乗っていたし濃姫の養子が九郎を名乗るのはかなり気を使った名付けでしょ
新九郎義龍-勘太郎龍興親子を否定する意味で勘九郎を名乗らせたようにも見える 一番ひでえのは那須与一だよね
世間一般的には十一男だから余市というが、母親が卑しいから兄弟に入れない
余り物じゃん。。。
それが家督相続するんだからスゲーというか ジャップっていい加減だよな
鈴木一郎だって長男かと思ったら違うし 伊勢新九郎盛時、北条早雲という下剋上の英雄がいて
それにあやかったのが斎藤道三だろう
早雲は九男だったかもしれないが備中で三百貫の領主だったといい
九男じゃ土地相続できないだろう
鎌倉時代の判官九郎が世に名高く、室町時代は九郎ブームだったのかもしれない そもそも道三の父の代から義龍まで三代に渡って九郎を使ってる
生まれ順の名付けをする場合もあるけど名前が必ずしも兄弟の順序を表す訳じゃない
信長の息子なんて父の三郎に因んでか三介・三七郎・源三郎・三吉がいるんだぞ 信長はこいつと結婚させられて
殺される所だったんだぞ!
可哀想なのは信長だろ? >>692
ごめん間違えた、喜太郎龍興だ
勘九郎は濃姫の祖父の別名西村勘九郎から付けたのかな 信長「おまえは家にこもって文字ばかり書いてるから記帳な!」
濃姫「は・・・(ありえないし」
老女「上様より拝領いただいた★帰蝶★とはすばらしい名前でございます。祝着至極にぞんじます」
濃姫「そう言われると、いい名前のような気がしてきたわ!」 >>690
各務野は小説とかでの名前だと思ってた
濃姫侍女だったとされる女性で個人が特定できるのはえいだけじゃないの? >>700
そうでしたか!史実とフィクションがごっちゃになっていましたありがとう。 信長の4女えい姫は、前田家に嫁ぎ、生駒のむすめとされる
濃姫の侍女がえい
「うーんあやしいな、それは生駒の作り話ではないのかぁ?」
えいが信忠と永姫をうんだ?生駒の策略で捏造された? えいって妙向尼じゃないのか
濃姫のお付きである林家の娘の 妙高尼のつもりで書いた
あと自分は信雄と永姫が生駒腹なんじゃないかと思う
ただそうなると正覚院が誰?となるけど 妙向尼が信忠の母親なら、奇妙丸のなぞもとけるな
奇蝶と妙向のいち字を取ってる 奇と帰じゃかなり違うというか
帰蝶じゃなくて胡蝶だって説もあったべな 永姫の母親についてはほとんど記録がない。
加賀藩『本藩歴譜』では「1618年(元和4年)3月3日に越中守山で没する、母は生駒氏、春誉妙澄大姉」としているが、
この永姫の母親とされる春誉妙澄大姉については没年1618年(元和4年)以外の事は全く不明である。
すくなくとも生駒吉乃(没年1566年(永禄9年))とは無関係。
ほら生駒の捏造じゃん
信雄が金持ちの前田家と繋がりが欲しくて、生駒腹にしてあげよう、とねじこんで、前田もまぁ^^いいかという その生駒が尾張生駒なのか大名生駒なのかだな
なんでもかんでも尾張生駒や信雄を悪者にすることはなかろう
もしかしたら前田家で誤伝していた可能性もあるのだし 森家も濃姫と近しい関係だっただろうし
手紙とか残ってないのかな 妙向尼が信忠の母親なら30歳で妊娠という計算だが、どっちの種かわからんね
信長はもちろん身に覚えがあったろうが
濃姫が侍女に相談されて信長にごりおし「私が育てるからどっちでもいいでしょ」
「後継ぎは早急に必要でございます」と自分で養子にして奇妙丸としたとか・・ >>710
生駒ひいては信雄を叩ければそれでいいんだろ
信長アンチみたいにアンチスレ立ててそこでやればいいのなw >>712
安土を建てた事もあるけれどアッサリ岐阜城を信忠に譲ってるよね?なぜ本来の尾張
を長らく本城にしなかったのか?山城で防衛上は堅固だったろうけれど地の利は尾張の方に
あると思うけれどな。 織田の家督は信忠、天下は信長。その天下すら譲ってるぞ 尾張人は織田家に対する忠誠心はあるけど古い敵も多い
尾張をでて旧勢力は排除する
信長はあまりに独裁権力を強化しすぎて周囲をエリートで固め
世評がどんだけ悪くてもあまり気にしなかった
おやじさんの国尾張やよめさんの実家美濃ならそれでもいいが
安土城で完全に領主として地から浮いてしまった
あの足利尊氏親子でさえ京都で何回も攻防戦をやり、追い出されて
旧政治勢力に手を焼き切ってるから
田舎大名が京都に入らないのは賢明で己を知っていたと言えるが
あまりに京都に気安く接近しすぎたといえる 濃姫侍女がのちの妙向尼一人だけなわけない
侍女の中から側室になった女性がいるかもしれないが、侍女だった女性の中で個人が特定できるのは妙向尼だけって話だろう
妙向尼が信長側室だったとは誰も言ってない気がするけど違うのか? 永姫母が生駒かどうかはおいといて
春誉妙澄大姉が戒名なら前田家にある信長と夫婦セットの正覚院だったかは誰なんだ >>717
何レスか前に信忠の母だのなんだの書いているのがいるけどなw >>719
本気で書いてるのか、突っ込み待ちなのか、生駒ネタで自演したいのか
よくわからないレスがあるよなw 信長と濃姫がうまく行かなかった要因は食い物にあると思う
尾張は海に近く信長は小魚やチリメンジャコばかりくっていた
美濃は冬はボタン鍋、夏は鮎料理である
岐阜にはイノシシ肉や鶏肉、味噌を朴の葉に乗せて焼く料理もあるが
斎藤義龍がなにをくったのか知らないがとんでもない大男だったとされてるから
おなじ家で育った濃姫も大きかったに違いない
山梨や美濃のような内陸の人は、海沿いの人とは食い物が違えば体臭も違う
英国のジョージ国王はドイツから肖像画をもとに美人の花嫁をえらんだが
あまりのワキガ臭に気分が悪くなり、一晩寝るだけで追い払って二度と近寄らなかった 美濃と尾張が食いもんが違うのは事実でしょう
夫婦で食の好みが違えば同席して食事もできない
斎藤家と織田家のいくさが長く続いた時
濃尾平野で経済的に密接な関係もつ美濃人は交易収入が減って
尾張との戦いは厭戦気分になる
道三はこれを知って適当なところで手打ちして尾張と経済交流をはかったが
斎藤義龍・龍興はずっと敵対関係だったため困窮した商人の支持を失いほろびる
美濃を調略した秀吉も、もと針売りで商人と密接な関係がある なんで夫婦好みが違うと一緒に食事できないの?意味わからん。昔NHKで家康を
もてなした時の料理が出ていたけれど豪華で今の会席料理と大して変わらなかった。
山海の珍味という感じで。懐石のような簡素アッサリって感じじゃなくて。 「カツオのたたき」は、野蛮人の食事とみた一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、
土佐の人々は、表面だけ火であぶり、
「これは焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理
山内一豊は岩倉織田の家老のうまれだから尾張でもわりと内陸の方で
のちに近江の長浜城主になって京都にすんだ。生魚をくう習慣はない
家康は鯛の刺身が好きだったが
生魚を食べようと言っても内陸の人は気持ち悪くてくえない 川魚は生食が出来ないしな。そういう習慣は抜けないやね 安土饗応のマナカツオ、タイ、スズキのお刺身。
家康の好物が鯛だったこともあり、光秀は海の魚を用意したのですが、
このとき試食した信長の怒りを買い、叱責された
丹羽長秀が交代を申し付けられ、そのあと家康は京大阪見物でもと指示
信長の真意はべつで、紀伊国・鷺森に移った本願寺顕如を「みなごろしにせよ」と
丹羽長秀に命じ、そのあと光秀の謀反で本能寺で討たれた
本願寺顕如は手勢がほとんどなく死を覚悟したが
長秀ら軍勢は鷺森にむかうとちゅうで中止、秀吉に光秀は討たれた
顕如はあらためて秀吉と和平の交渉した
このへん謎が多いね うーん、信長が光秀に怒ったのは料理じゃなくて別の件でしょう
まあソースがあって提示して頂けるのであればありがたし
丹羽長秀も四国討伐の準備中だったかと、それも副将格でだし
本能寺の変についてもタイミングの問題だと思うな、討てるタイミングが出来てしまったから討たれたとも言える、下克上真っ只中の時代だし 天皇の仲裁で和睦した相手を和睦から年数たってもいないのに
露骨に殺せ命令だすほど信長も愚かじゃあるまいに… 本願寺にのこってる記録だから。
歴史家はあまりこれをふれない。宗教を刺激したくないと考えてるんだろう
天皇や公家や寺社の繋がりは深いし歴史もながい
経済力も並の大名を遥かに凌ぐ本願寺は管領細川に疑われ討伐されて
かつて、京から大阪に追いやられて講和した
織田との戦争もさほどではないが、本願寺顕如のみなごろしとなればべつ。
信長にしてみれば実弟をはじめとする武将が多数、本願寺に討ち取られてるから
当然の判断であるが
本願寺は畿内に大勢力持つほか、信玄の正室三条の実妹が、顕如の正室如春尼でもある
武田退治したあとにかねて懸案の本願寺門跡をかたずけてしまうというのも流れ
ただ、、内部のきしみをおこし信長の死につながってる
とうじの貴族は死後のたたり、仏罰を恐れていたから、坊主は天皇や公家に畏敬されていた
宣教師によれば濃姫は熱心な仏教徒で
明智光秀の主である濃姫が「信長を殺せ」と命令したとしても、宗教心がらみだとすればありうる話 当時やばかったのは高野山だから。高野山黒幕説でも立ててね 濃姫は大国美濃のおひめさま
信長より大金持ち、当時の女性は夫婦であっても財産はべつ。
濃姫の財産の管理、執事が明智光秀
それだけの大領を与えられた
もちろん光秀は戦争でも働くし家康がくれば接待もする
ふつーは同盟者の家康がくれば奥さんが接待するもんだが
濃姫はあまりに偉すぎて光秀がはたらいたと見る
そこで明智光秀を蹴倒し「土地はぜんぶとりあげる。遠国に2カ国あたえる」
これは美濃斎藤株式会社のお飾り社長だった、婿の信長が
いきなりオーナーの濃姫の土地やマンションをボッシュートして赤の他人に売り払う
事態でしょうか
さて貴女が濃姫だとして、婿のダンナがいきなり貴女の実家の土地を売ってしまったワハハ
どうおもうでしょう?殺すんじゃないですか? >>宣教師によれば濃姫は熱心な仏教徒で
これはどこかに書いてあるの??ルイスフロイトが安土に女王の部屋があるとは書いてあるが
女王本人については書いてないでしょう? この間から変な人いるな
フロイスといえば数年前に岐阜城跡から出てきた瓦が彼の記述と噛み合ったのは驚いた 女王の部屋があったのは安土じゃなくて岐阜の館じゃね? >>739
本能寺の変の後、安土城留守居役の蒲生賢秀が
信長の妻子を安土城から逃がした記述があるから
濃姫が岐阜城にいたなら信長とは別居
まあそこまで生きてたかも分からんが >>739
そうだよ
それで女王の間の記述と合致する出土品が発見されたんだったはず >>740
フロイスが岐阜城に行ったときにもう安土城があったの? >>742
安土には信長が最愛の女王・濃姫のために最大限の贅を尽くした
女王御殿はなかったんだ なんでもケチつける人がいるな。
奥御殿があるでしょうに。安土での信長と御台の部屋は隣同士だったと何かに書いてあったな。 安土城の天守閣は日本にまずない高層居住施設だった
織田信長は塔の上で生活したとされる
のちの日本のお城の天守閣は、人が住むようにできてない。飾りである
ほぼ日本最初に出現したのでまだ構造も役割も自由で
信長の命令にそのように作られたものの、エレベーターもない時代で
階段を上がったり水を持ってきたり、風呂にはいったり、便所とか
アレコレ考えると家来は大変だったろう
恐らく地震国で高層にすむのはむりがあり、この形式すたれたのだが
たぶんズシンとくる地震が一度でもあれば木造建築の八角堂は揺れまくるし
蒲生が退去するときに女中が火をつけてくれと頼んだのも嫌な建物だったからだろ
信長は変わり者で高層マンションに満足したとしても濃姫はどうだったかね。 >>744
その御台がいったい誰かという問題はあるね、濃姫だろうが。蒲生の記録によれば 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う >>749
吉乃が亡くなってお鍋が本妻変わりだったとよく聞くけど
お鍋の可能性もある お鍋こと小倉の方(信長はこう呼んでいた)が本妻代わりだった
なんて史学の世界じゃ完全否定されていることけどな >>751
お鍋は御台所の扱いだった記録はたくさんあるけどな 大徳寺の信長葬儀にも信長妻としてお鍋が参加
大徳寺ゆかりの養華院もお鍋の可能性が高い
濃姫は大徳寺と接点なし 信長の葬儀の参列者に濃姫の名前がないんだよな
ということは… >>741
岐阜城の夫人も濃姫だったんかねえ
濃姫は愛する父道三と暮らした稲葉山城のままのほうが良かっただろうに
稲葉山城をぶっ潰して信長好みの金ピカ仕様に全部新造された上
岐阜城と改名までされて稲葉山城は闇に葬られた >>752
濃姫の本名がお鍋だったらどうするんだよw お鍋のそんな記録を見たことないわ。あったら完全否定などされないわな。
御台扱いだったのに織田から完全スルー >>757
わらわら湧いてきたね、吉乃は存在自体怪しいのに。 来年光秀大河だから、どっかの屋根裏から新資料出てくるだろうな 山科言経の日記では「前右府妾」だよね>お鍋
あと、いくら秀吉が簒奪者とはいえ元主君の正妻(的存在)を
自分の嫁付きの侍女にするなんてことはしないと思う お鍋が寵愛と言われたのって生駒同様3人
産んだのと寺への書状で云々なんだけど
側室の時の記録は一切ないのね。
御台と呼ばれた記録があるのなら信長の妻妾問題が
一気に解決してるはずなんだけど?
それなのにいまだに武功よりの吉乃ばかりなのは
なぜ? 信長御台所お鍋で検索したらどう?
そういう検索でたくさん調べた >>751
そもそも話で信長は小倉と呼んでいたのなぜ
鍋という名がまかり通っているんだろ? あっ、そう言う事ね。検索したよ。
資料でも出たのかなって思ったら個人の歴史考査
のブログ等か。信長妻妾関連の新しい資料が出たのかと思った。
鍋のエピは小説のなどの類いが俗説になったものだから。吉乃と同じよ。 >>765
秀吉等の書状関連じゃない。
小倉鍋、なへと書かれてあるから。 検索してきた。
10年以上前の濃姫スレを見てこっちにきたら
小倉氏が御台と呼ばれた記録があると読んで
信長関連の妻妾資料は武功以降長らく
出てないから一次でも二次でも地誌でも偽書でもあるなら読みたいと思ったじゃない。ワクワクしたのに。 御台所とか正室はよく出てくるけど濃姫かお鍋か、はっきりわからないんだよね フロイスの言う女王の部屋も濃姫かお鍋かはっきりわからない 小倉氏の連れ子の扱いが嫡子格ではないから
小倉氏が継室というのは苦しいんじゃね 信長の妻妾は昔から変わらないのね。
永遠ループ。
自分が信じる説が寵愛されていて吉乃=正室格 鍋=御台ならそれで良いと思うわ。
結局のところ信長の女に関する資料がどーんと出てこない限りわからない。 20年ぐらい前にはいたね、小倉氏寵愛説を
声高らかに言ってた人たちが
それでもいまだに武功よりの吉乃
まぁ、察しろって話だよね。 御台扱いならねねの侍女になる必要なかったと思うけど
主家の正室が元家臣の妻の侍女になるって普通あるの? >>774
安土城でお鍋が正室ってよく見る
濃姫は全く見ない >>774
主家の娘が妾の娘の侍女にされた例ならイギリス王室辺りにあるけれど
その後その思い上がった妾は死刑台行になったな。信長の奥は乱れがなかった
ので有名だから正室がしっかりと取り仕切っていたんだと思っている。
何で一部の人間がそこまで吉のや鍋に執着するのか分からないけれど冷徹な
独裁者にもそんなロマンチストな面もあったと思いたいのか、ただ妾やその一族が
しゃしゃり出ると碌なことにならないのは歴史的にもよくある。 信長の女関係は本当に堂々巡りだね。
信長に関してはお持ち帰りしたとされるあここ氏
本能寺の変の原因になったとされるつまき氏
偽書の生駒氏ぐらいしかないのよ。
小倉氏は側室時代の事は皆無。
小倉氏が信長の御台や正室であったのなら
ら使い道があると思うけど結局は1側室で頭の回転が速い人だったから侍女にしたたけだと思うけどね。
小倉氏の出自で当時の織田の御台などだったら
様々な資料にそれこそ出てくるよ。 御ツマキは側室じゃなくてただの侍女って見方が多いようだが 仕方ないよ。信長関連の本はいまだに吉乃とたまに鍋だもの。残された資料から見れとれるのは
信長が特定の側室を寵愛したと言う記録は全くない。
吉乃とされる生駒氏も小倉氏も他の側室と変わりない扱いだった事がわかる。 >>780
知ってる。…と言う説もあるよって話。
きちんと調べると鍋情報は俗説であることがわかるし側室以上ではないってわかるんだけどな。 信長を弔ったのはお鍋だからな
北の政所はずっとお鍋の面倒を見た お鍋は秀吉へのすり寄りがすごくて、ちょっと引く
信長死後に生きていくために仕方が無い事ではあるんだろうけど 俗説を史実と信じてる人もいるから。
位牌所の件もナへと言う人が設置したから
ナへ(な屋)だから お鍋だとなっているだけで結論は出ていない
とりあえず濃姫が不幸せで吉乃と鍋が正室なら良いらしいよ。 弟の利治に養子の信忠、閨閥関係で密接な池田、森と濃姫に近しい人は本能寺前後で皆いなくなっちゃってるからな
信長もまさか信雄の家系が残るとは思わなかっただろうよ 信長の正室 側室は資料が乏しくその関係性は憶測でしか語れない。
歴史家もここで語る素人も説を言い合ってるだけだもの。10年以上前から同じことばかり。 子供も産めない女は当時価値ないからな
しかも齋藤氏との政略結婚の意味も消えたわけだし
濃姫正室説を否定するのは自然じゃねーか >>788
信長がよほど濃姫を愛してたらフロイスの言う女王は濃姫だろうが
どうなんだろうな? 吉乃と鍋が正室格などではないと否定するのも自然な流れだね。ねねも価値なし女。
政略の意味がないと思ってるのは現代人の考えで
子供が産めないのも、だからこそ側室が産めば良いだけで。 >>789
それもここの人が言うにはお鍋だそうですよ。 価値のない正室に嫡子を養子にするわけないしね。と言うか正室の養子に
しない限りあくまでただの側室の子になるだろうしね。 >>788
側室が産んだ子も形式上の母は正室で、産んだ側室はお袋様って扱いだろう 魏の文帝曹丕には甄氏という天下の美人がおり、敵城を落とした折にレイプして子供を産ませたが
のちに頭のいい女中が気に入り郭氏として皇后にした
曹丕が皇帝になると都を洛陽に移し、女どもも連れて行ったが甄氏は古い都に捨てた
一年後にさすがに甄氏は手紙で恨みを述べたが、死刑になった
甄氏には長男の曹叡がいたが曹丕はにくみ、身分は低いままで置かれた
これに目をつけたのが子供のいない郭女王で、曹叡を養子とした
曹叡が即位し郭女王一族は繁栄した。やがて
「私の母親は髪を乱され口にヌカと髪の毛を突っ込まれ棺にも入れずに埋められた」
「当時の奥の責任者であるあなたは何か知らないか」と詰問の使者を送る
郭女王は「何も知らぬ」と激高したが、死を賜った
信忠を養子にした濃姫みたいですね。岐阜にすてられるところも似てる 胡蝶綺のおかげで帰蝶アゲになってるのがおもしろくないんだろう。 >>794
まあ意味は分かるがまともな日本語になってない。 けっきょく独裁者は、権勢が弱いうちは奥さんを我慢して使うが
やがて奴隷のように尽くしてくれる女中が良くなり
働きの悪い威張った奥さんは追放して、女中と結婚してしまう
織田家は急成長のブラック企業だから家来も寝ずに24時間働いてくれないと
末端に細かい指示が行かなくなりトラブルが起こる
まぁちゃんとした組織なら人材が配されており、そこまで上がやらなくても
平気なんだが
羽柴秀吉やら、女中のように尽くしてくれるお鍋が補佐役として必要だ
本願寺担当なのに寝てたという佐久間は解雇リストラ
考えてみたら濃姫がなにか働いたって無いもんなw濃姫は解雇リストラ >>799
信長死後もお鍋が弔って
濃姫は葬儀の参列にも名前がないからな
存在感がなさすぎる 甄氏は二千石の貴族の娘で、宦官の家である曹丕より上
そのうえ子供もなしたし、姑にも親孝行だと評判は良い
つまりセックス・子作り・姑のあしらい、内向きには満点
郭氏は女中あがりとはえ賢女で、曹丕の帝位につける為に弟を蹴落とすなど
政治向きによく働いたとされる。功績としては郭氏がうえで有能だった
郭氏が皇后について当然と言えるが甄氏は己をわきまえす不満を漏らし死刑
この場合、濃姫はセックスも子作りもダメで政治向きの接待ホステス役もできない
拒否しとったのかも知れないが、織田家がブラック中小なのだから
できれば奥さんも動いたほうが良かったし、もうちょっと働けたのではないか 発狂ぶりが凄いな、やっぱり金箔の瓦が見つかったことが相当アンチ濃姫には
堪えてるな。 >>795
読んだことないけれど帰蝶さん男だとか聞いたがそういう話なの? >>804
アニメで若き信長の桶狭間までの物語。帰蝶は見た目は完全に女だけど男で忍びとして育てられ信長に嫁ぐ。突っ込み所満載だけど面白い。来週最終回だったと思う。 >>806
完全フィクションだな‥濃姫は女として育ったはず 濃姫は割と好きだがアスペ信長と仲睦まじいってだけマイナスポイントだわ
甄氏みたいに悲劇のヒロインだったほうが萌える 甄氏は落城で曹操のバカ息子にレイプされて、輪姦されてしまったんだから
あえて言うと信玄が諏訪姫をレイプした事件が近い
しかも甄氏は姑からも「なんと親孝行な娘じゃ」とウケ悪くなかった
濃姫は姑の土田御前にきらわれていた
まぁさいごは信長に忌避されて(社会的な)死を賜ったところだけ似てる >>806
どうもありがとう、美濃の忍びと言う事?でも信長は妻として傍に置いているわけ?
まあ当時の戦国時代の妻は夜伽を伴った女性外交官みたいなもの、馬鹿やマヌケでは
務まらない。一族の中で器量のある女性が選ばれたと思うよ。しかしすごい設定ですね。
帰蝶が男ではないけれどそんな感じの小説単行本であったような気がするな。 ブス、ババァ、中古 この3重苦があるのに
「お嫁さんなりたい〜♪」なんて馬鹿も休み休み言いなさい! 大河信長の菊池桃子の濃姫が好きだった
最近だと濃姫に気に入られて
出世したハナシの書かれた史料が見つかったりして
結構影響力持ってたんじゃないかって感じになってるらしいね 濃姫に関する史料が新たに出た話学会内で
まったく聞かないなー
他の史料と混同してるんじゃないかな >>816
昨年の某豪雨絡みで旧家の親類にあたる家の古文書系あたってたら
濃姫らしき話がちらっと書いてあるっぽいというのは小耳にはさんだ
ことがある
ただそんな具体的なことじゃなくさらっと流れの一つとしてみたいな感じとか >>819
史料名やどこの家かがわからないと考察のしようもないよね
現物出して鑑定しないことには武功夜話と同じ いつものホラ吹きだろ
突っ込まれると「何かの本で読んだ気がする」とか「どこかのサイトで見た気がする」
とかいって、絶対に具体的な話は出さないで逃げる >>819
古文書とかそういった経緯で出てくることがおおいね、
バブルの時代建築ラッシュで日本中アチコチ掘り返されたら
いろんなものが出て来た時代があった。 西日本豪雨なら史料保護活動も入って整理や保存処理しているから
その最中に瓢箪からこまで何か見つかるかもしれん
秀吉の脇坂あて書状みたいに
ちょっとだけ期待してみよ >>823
濃姫さまと信長さまは超ラブラブ愛されまくってたのー
なんて史料もなしで言ってるだけのスレで今更w >>825
出たらいいよな
岡山県も真備の水害をきっかけに史料整理などに
力を入れてるらしいから ありもしない池田家が濃姫の生活の面倒を見たという自説 来年の大河関連でも、史料の調査がされてるだろうし
何か新たに見つかるといいのにね >>827
確か元は児島あたりの旧家だったと思うけど倉敷で複数の古文書が
持ち込まれたらしいんだわ
濡れてしまっているそうだからそっちのケアをしてから調査になるだろうが
児島なら斎藤家もいたところだから何かあってほしい それって宇喜多時代のものが中心だときいたが…
児島に古くからいる庄屋筋なんだとか >>829
エリカ様が濃姫なんだよね?ツンデレ姫な脚本になるかな。 >>831
そうなんか…それだと厳しそうだな…残念 >>835
濃姫が光秀と親戚みたいな役だからでしょ
実際にそういう話あるよね 織田信長と濃姫の媒人は明智城主明智光安であったとされる
1553年に道三と信長は会見
一説には明智光秀のおじであるとされるが
1556年に道三が死んだ際にやぶれて落城滅亡した
使えない一族だな 来年の大河の帰蝶(濃姫)は主人公の明智光秀に想いを寄せる役だから
ここのヲタが期待するような信長とのメロドラマじゃない >>835
はじめのほうの美濃編では光秀の正室煕子はまだ登場しないため
明智光秀をずっと恋い慕う主君の娘・帰蝶と庶民の娘・駒(架空人物)が
光秀を取り合って激しく恋のバトルを繰り広げる
光秀と帰蝶のラブロマンスが描かれるから順位が高い 飛騨に入った姉小路頼綱のよめ、濃姫の姉は出ないのか
あの姉小路一族の陰惨な殺し合いをみると
スパイとして超優秀な女だろうね
最上義光の妹も伊達家殲滅の正体が丸出しスパイだけど
この道三の娘はさらに上を行く
織田家も滅んでるね結果的には 功名が辻だったっけ
一人の女としては光秀を愛しながら最期は信長の妻としての運命に殉じるみたいな話だったの
あれはあれで凄いメロドラマだったと思うけどあんな感じになるんだろうか >>841
わからないな?でも来年の大河ドラマは濃姫はヒロイン的存在みたいだな >>841
功名が辻の濃姫は光秀と互いに相思相愛で強く惹かれ合いながら
一豊と千代に出会って夫婦とは運命共同体であることを諭されて考え直し
世間体と社会常識にのっとって最期は夫に殉じた感じだったな
信長との夫婦関係はちょっと冷たくて愛し愛されていた感じではなかった >>842
国盗りや功名みたいに光秀と濃姫の恋愛を扱った過去作では光秀の妻が登場しなかった
しかし今回は光秀の妻で仲が良かったエピソードが多い煕子が出る
帰蝶(麒麟がくるではこの役名)の光秀への想いが強いばかりで空回りするのか
あと帰蝶役の沢尻エリカや煕子役の木村文乃よりも
光秀と恋仲になる駒(架空人物)役の門脇麦のほうが立ち位置上でヒロイン >>844
国盗りは原作に濃姫と光秀の恋愛なんてあったっけ?先日菊川怜濃姫の国盗り見たけれど
伊藤英明の信長と仲良しだったが光秀と特に絡みはなかった。高橋秀樹松坂慶子のNHK大河は
どうだったのかな?ダイジェストで夫婦二人の睦まじい場面は見た事があるぐらいだが。 すべてワタシを中心とする女性向けファンタジーだしw 功名が辻では登場してたような
悪ガキにいじめられて泣いてた幼少期のたま(後のガラシャ)を
助けてくれた千代にお礼言ってたシーンがあった覚えがある てかなぜに濃姫と光秀の恋愛ありきになっているのかとw >>845
国盗り物語は司馬遼太郎の原作だと
濃姫母の小見の方が甥の光秀を大変気に入っていて
娘の濃姫と結婚させたい希望があり濃姫もそのことを知っていた
しかし道三が正室腹の娘は家臣にはやれんということで信長との政略の道具にした
光秀と濃姫は互いに結婚してたかもしれないことを知っている関係
濃姫のほうは信長に嫁いでからは心から深く信長を愛すようになったが
光秀のほうは妻が登場しないこともあり濃姫に恋愛に近い感情がある
テレビドラマの国盗り物語は原作よりも更にもっと
光秀の濃姫に対する恋愛描写がはっきりしているため
濃姫への横恋慕で本能寺をおこしたようにとられかねない
(信長と一緒に本能寺で討ち死にした濃姫の死に顔を
光秀がじっと見つめるシーンがある) >>847
功名では「槙」という名で少し出てたわ、ごめん
光秀の娘たちも子役のみの登場でそこまで家族関係に立ち入ってなかったが >濃姫の死に顔を 光秀がじっと見つめるシーンがある
そうなんですか!なるほど濃姫黒幕ってそのあたりからですか。 >しかし道三が正室腹の娘は家臣にはやれんということで信長との政略の道具にした
このセリフは覚えています。「そなたが庶出なら下目のものにやるがそなたは嫡出だから
大名にやる」
道三の妻妾だけれど小見の方は完全に正室だけれど土岐から奪い取った深芳野は道三の
正室側室両説あるんだね。小見の方との間には男子もいたからそれでも義龍を跡継ぎに
したから正室だったのかな? (小説です)
またアンチ司馬遼が騒ぎ出すからそこまで >>851
ガラシャは大人になってからも出てきたぞ
全盛期の長谷川京子が演じてて超綺麗だった >>842
来年の「麒麟がくる」では
帰蝶は光秀に激しい恋心を隠そうともせずにぶつけてくるが
モテ男の光秀には駒もいる、煕子もいるで、帰蝶の片想い設定の可能性も高い そもそも結婚制度は「女のための制度」である。
自分勝手で傲慢で、きびしい能力査定主義の信長は、
道三の死後も妻の座は安泰とばかりに働かないおバカな濃姫を
性妻と認めてなかったのでは?
信長が天下第一の人物と褒める丹羽長秀
かれを珍重したのは裏工作や調略にたけていて
柴田のような槍武者ばかりの織田家では、丹羽の人物は異色だったからと言う
戦争が近づくと国境に潜り、扇動してナチのブランデンブルグ師団のような活動した
それをみれば信長が濃姫に「期待したもの」がわかる
セックスでも養子でもない
信長が安土にうつり女中のお鍋は正妻として権勢を極め
濃姫は甄氏のように古い家に置き捨てられ自分の立場に気がつくが
武田がほろび、斎藤家直属の美濃武将の機嫌を取る必要がなくなり、
濃姫のオキニの光秀が領地を取り上げられ、すべてのものが排斥され・・・ >>861
で、濃姫が光秀に本能寺を焚きつける
そんな大河ドラマですね? 飛騨の姉小路によめいった濃姫の姉は破壊工作員として成功した
姉小路頼綱は濃姫の姉に扇動されて柴田(お市)につき秀吉に対抗した
ここから推測すると
濃姫など斎藤家一派は
武田信玄が着たら裏切り自家の保全を図る、など独自の打算があった
明智が蜂起して天下取れなければ柴田(お市のむこ)につく
いずれにせよ秀吉とは疎遠。認めない立場であった 信長 『是非に及ばず・・・お濃、おぬしの勝ちじゃ』 濃姫「十兵衛…この国の平和のために魔王信長を討つのです」
本能寺の変の黒幕は濃姫だった…! もし織田包囲網で信長がほろんだら斎藤家や美濃の人はどうするか
甲斐の隣国だから当然考える
武田信玄と本願寺顕如は義兄弟
敵である武田信玄に連絡をとるのは憚られるとしても
お寺ということもあり当時の女性は本願寺ひいきであったに違いない
三河の本多正信など一向一揆のボスだったが家康はいたく信頼してる
しかし本多はそもそも武田(本願寺)に扇動されて一揆を起こしたのではなかったか
それでも一揆の罪を問わないという、家中の融和の姿勢を取るため
本多正信を重用した。でなければ殺されていた
家康の立場はそれほど弱く、武田の調略は深く根をはっている
信長「光秀は使えぬ。丹羽長秀は家康を接待をしたあと本願寺顕如をみなごろしにせよ」
この命令で、濃姫と光秀の何かが切れた >>866
オマンコご都合主義ファンタジー大河なので見逃してください >>869
来年の大河は男脚本家、男P、男主人公の正々堂々たるチンコ大河
主人公の明智光秀は駒、帰蝶、煕子らから激しく恋い慕われ取り合われる超絶モテ男
そういうチンコの妄想が詰まっているのです >>870
「誰が作ってるか」じゃなくて
「誰に向けて作ってるか」が問題なんだぞ?
まあ間違いなく現代標準語でしゃべりまくるからw >>868
とりあえず武田上位家臣には教来石(馬場)や飯富(山県)といった
元は東濃地盤の人もいるし武田と斎藤は元から対立姿勢ではない上に
木曽は遠山や金森と古くから交流もってる
さらに道三は諏訪から落ちてきた人間を仕官させたりもあるから
変にリスクをおかすより昔の縁故で武田に臣従したろ
もっといえば坊さんネットワークもあるし信清は甲斐に落ちて元気に
暮らしていたから信長死んだら普通につなぎ取るだろうよw >>872
女大河の主人公を複数イケメンが取り合う話なら女が好んでみるだろうが
長谷川博己を複数女が取り合う話など男しか喜ばん >>872
あと男なら現代語嫌いというわけじゃないからな
そもそも大河で使う時代言葉は江戸時代成立の歌舞伎用語を引っ張ってきたもの
初期の大河は歌舞伎役者が主役を勤めていたことによる
実際の戦国時代の言葉でなければ当時の方言を再現もしていない >>874
視聴率また下がるだろうな、女性に嫌われるドラマって大体大河でも視聴率低い。
それと妾が出しゃばる話も大体ダメ。 正史?にもとづいて
そこそこ美人才女の濃姫が冷遇されて、痴愚ばっかりのくっさい吉乃がすぐ死んで
女中上がりのド下品な顔のお鍋が信長に奴隷のごとく使え
安土で正妻扱いでおお威張りで最高にイキッってるときに、信長があぼーん
したあとは
バカで金使い荒く、困窮してネネに仕える侍女になり、さいごは漬物石の墓に収まる話はみたいわw 小倉sageしたってどうしようもあるまいにw
>>876
言語史学でみると今使われている方言と戦国期の方言は
全く違う可能性のある地域が多いそうだし実際どういう言葉が
使われていたか(口語)もよくわからん状態だそうだから
方言の再現自体がむずかしいとオモ
たとえば風林火山では現在の静岡山梨あたりでよく使われる方言を
用いていたけど(語尾にらが付くやずら/だに)あれもとは三河や遠江の
方言と土着の方言が混ざってできたという話もある 一豊のつまの千代が美濃の武士の娘だったらしいが
美濃のなんとか藩の城主の娘だったとかいうのは持ち上げすぎ
まーそれくらい盛らないと、身分違いの濃姫としゃべることも出来ないでしょうが
近江の戦死した侍の子じゃぁなかったのけ
歴史では一豊が浅井朝倉のいくさで大怪我して四百石をもらい
そこでやっと
どっかから嫁に来たというから、よほどの下級武士か水呑百姓の娘だったに違いないて >>879
その時代上の者から名を呼ばれたら「あっ」っと返事をしたとどっかに書いてあった。本当だとしたら
現在その調子で放送したらまず何言ってるかわからないよ。 秀吉の妻も身分は高くはないんだけどのっぶから手紙貰ったりしてて
当時は百姓といえども帰農してる武力集団もワラワラいたし
秀吉自体も百姓出身だから身分がどうのこうのいう話になると微妙だな、当時はまだ身分は固定されてない時代なんだぜ 俗説は別にして、クレオパトラは美人という証拠はないらしい
クレオパトラに惚れ込んだカエサルも、彼女の声の良さを讃え「まるで楽器のようだ」と絶賛している
このひとの魅力は明るいおもしろい女で、とびぬけた機知、からくるものであったといわれる。
たとえばアントニウスが釣りをしてるとき、彼はどれいに海中で魚をつけさせていた
つまらないと思ったクレオパトラは、どれいに干し魚をつけさせた
干物を釣り上げたアントウニスを笑い者にして全員で楽しみ、
アントニウスも不快ながら、しかたなく笑ったが、そこが頭の切れるクレオパトラで
「まぁ、殿様はこんなものを釣るよりも、天下をお釣りあそばせ!」と巧みにアントニウスをおだてた
ようするに、このヒトについていれば場が盛り上がって楽しい、という女で
濃姫にも、このような機知があれば夫婦仲は円満であったろうにね >>879
甲府の〜けというのは三河あたりが元というのは
前テレビでやってたな
武田が滅んで家康が甲信ゲットした時に三河から
大量に人が入ってきて現在の甲府に作り替えたとか…
武田時代の甲府の様子を知りたければ笛吹市あたりの方が
参考になるらしい ずら語圏は、駿河・甲斐・信州で
関東は〜だべ語圏
ただし相模原の相模湖や緑区は〜ズラ語らしい
というのは甲斐と嫁取り婿取りしてたからで津久井衆は北条に「半敵」といわれた
また武田信玄から見れば、郡内衆であった
津久井城という巨大なお城があったわりに、津久井衆は武田信玄がくれば寝返り、
徳川家康がくれば降伏という調子で、平和主義でやくにたたないれんちゅうであった
そのご、関東に入った家康によって津久井城は「無用」とされ廃城になり、現在も寂れた田舎である 伊豆は歴史的に関東
静岡・三河・山梨長野は中部圏だな
コレハ、どういう違いかと言うと伊豆なんかは
足利の関東公方に属していたのよ
山梨つまり甲斐の武田家は、京都の足利将軍に属する
これが中部圏 東部といっても愛鷹山の西と東でかなり変わってくる
三島にいたっては伊豆だったせいか他地域となんか違う
武田は愛鷹山はさんで東エリアと仲が良く西エリアは今川と
愛鷹山南エリアは北条だからまんま北条だけど今川の影響も
大きい、武田はそんなでもない 方言といえば愛知県は結構カオスで同じ県なのに
うんざりするほどおらが村の方言は状態
信長が生きていた頃は今と違っていたと思うけど
家臣同士言葉が通じていたのかたまに考えてしまうw 愛知は庄内川、矢作川、豊川挟んで文化圏が全く違うからw じゃんだらりん地域とやらまいか地域のうざさは異常
家康が天下を統べってもこの地域の悪い影響が全国に
散らばることがなかったのは不幸中の幸い 濃姫は本能寺の時に光秀の味方したって明智の本に書いてるみたい 信憑性は不明だけど明智軍記に本能寺の変で濃姫が明智に味方したって書いてる
あくまで信憑性はわからない 信長暗殺に関わった濃姫は本当は死刑だ。戦勝した秀吉軍団から見れば
ただ妻が旦那を殺すのはいくら儒教観念のうすい時代でも
もし濃姫の処断すれば織田家の権威は失落し家臣も離反してしまう
あとあじがわるく秀吉は濃姫はみのがし、代わりに近衛戦犯説にめをつけた
朝廷の行動からして関与は明白だがつっこまれたのは近衛だけ
謝罪して秀吉を関白つけることでゆるした
たぶん公家連中が濃姫を煽ったんだと思うわ。へたする肉体関係もあったかも
公家は閥族で生きてるような存在だし、ババアはセックスで口説くのが一番だからね そんなもの存在するの?令和になって今アンチがここで考え出したんじゃないの? 小和田哲男は「『明智軍記』の作者が、現在私たちが知りえない何らかの情報を握っていた可能性は皆無とは言えず」
「同書によってしか知ることができない情報も少なくない。もっとも、軍記物としての限界から、そのまま信用できない部分も多く」
記載内容を吟味する必要があるが、全く史料的側面がないわけではないとする。
桐野作人は光秀の重臣・斎藤利三に「としかず」とのルビがあるのを取り上げ、「『明智軍記』は俗書ながら、明智家中の末裔らしき
事情通が編纂に関与している形跡がある」 本当にもう、定期的に濃姫を咎めに来るのね。
今度は本能寺の黒幕、あほらし。 恋仲だったのに引き裂かれたから光秀に味方したってやつでしょう。
小和田氏、武功夜話でも同じことをいっておりますね。 >>900
濃姫黒幕説ならヤバいのは夫を殺すことより養子の信忠殺したことだと思うよ
つうか夫を殺して織田家の主導権を握りたいならなんで信忠まで殺したんだろう
いうこと聞かないバカ息子に育ったからか
でもどっちも殺しても濃姫は史料に見えず
やはりこれ以前に死んでたか離婚したか正室の座から転落したか >養子の信忠殺した
そこまでは考えは及ばんだろ
勘九郎はかわいいが事故で死んだという感覚
光秀は信長親子もろとも殺すつもりだったが濃姫にはその感覚はなかった
もっとも息子勘九郎も戦争屋であるいじょう、いつ戦死してもおかしくはない
いくさにだすのが嫌なら、坊主にでもしていただろう。
一豊と千代の拾った養子のようにな。ただしこれはタダの愛玩動物みたいもん
それは斎藤家の直系、斎藤勘九郎の位置でも、潔しとはすまい 女同士の関係は密接で深い
たとえば龍興の嫁の擁護ですら斎藤の女全員で腹を切ると脅かした
下賤のなりあがりもの秀吉が浅井長政を殺した、万福丸を磔にしたことも、
お市と仲が良ければ同情しただろう。年も近いし仲良しだったと思われるが・・・
家康のむすこを殺させたのも五徳の悲運をおもえばあまりにきのどく
信長の叔母を磔にして殺したのも理解できない酷い話。
美濃の武将だし、このおばとも個人的に仲も良かったはず
濃姫はもはや神仏にすがるだけで信仰心を深めた
人をころすなんて仏罰がおそろしい、なんたることでおじゃる、と公家連中に煽られ素直にそう思った
信長「光秀は使えぬ。丹羽長秀は家康を接待をしたあと本願寺顕如をみなごろしにせよ」
この命令で、濃姫と光秀の何かが切れた 濃姫が光秀に味方したのなら他の史料にもまじで
記述がありそうだけどな…
それこそ噂話に花が咲きやすい内裏と公家の集まりなんだから
かため傾向なお湯殿は無理でもやわめの老人雑話あたりなら
書かれそうなもんだが…
信忠と松姫の再婚話すらあるのだし おとがめご苦労様。吉乃と鍋で相手にされなくて今度は濃姫黒幕。 信長は東海道で富士を見たいという、という前関白近衛前久にきれた
「わごれごとき駕籠に乗って中仙道でものぼりませ!」
わごれというのは尾張なまりの汚いことばで、関西弁だと「ワレ」だろいう
木曾街道、つまり中山道は婦人用のみちということでひどい侮辱だった
近衛前久
信長と本願寺の調停に乗り出し、顕如は石山本願寺を退去した。
特に10年近くかかっても攻め落とせなかった石山本願寺をびじ開城させた、
前久の手紙によれば、「天下平定の暁には近衞家に一国を献上する」約束を得た
それほど仲良しだったのが
信長は外敵である武田つぶしをやったあとは、もう本能寺など内部の敵はこわくはない
がん細胞もきりとってしまう。朝廷の約定に背き顕如は殺す、この近衛も無用だ。
敏感に信長の気分、風向きが変わったことを感じた近衛前久は至急、濃姫にうったえる
「まろは殺されるでごじゃる!」
「ま、おそろしい。とは申せ、わらわにはなにもできませんがの」
「…姫様には明智一族の軍勢1万がござるまする!惟任日向守さま、あのいくさ上手なら」
「明智十兵衛…ふん。あやつは幼き頃からだい嫌いでの、顔も見たくないわ」
「忠義の者を…そう申されず、・・わ、わしはころされるのじゃ」
「は、近衛もころすときは真槍はつかわず竹槍で刺したほうが安上がりと信長には申し上げようぞ!」 もはや証拠は挙がり過ぎてる、NO姫、、亭主と息子殺し、人民裁判を申し渡す。死刑判決
ついでNO姫オタクも連座刑で尻叩きの刑だ >>917
ホント凄いですね、それだけ信長にとっての濃姫はやっぱり価値がある。
最近アチコチで武功夜叉がまがい物だという説が定着してきたのか
アニメやドラマに吉乃が登場はしないかしても殆ど脇へおいやられてる。 >>921
信長が濃姫を大事にしていたと言う史料が
武功夜話レベルですら残ってない事実 大切にするとかどんな戦国時代だよ(呆
これだからマンコ様に学術語らせるなと
このスレ日本史板じゃなくて芸能板みたいなゴミスレだな >>914
濃姫と市は年齢差あるよ
信長と市が12歳差
天文18年(1549年)、数え15歳の濃姫は同年齢の信長と結婚したとされ
濃姫と市の年齢差も12歳
そもそも濃姫と市の間に何のやりとりも見られない >>916
内裏は兎も角としても公家連中は噂ぐらいしそうだよな
息子の再婚話がうまくいかずいい気味wとまで噂していた連中が
嫁にも裏切られて哀れだがざまーみろだなぐらい言わないのは
まじおかしい なんでもいいけど書いてあるって主張するならどの史料のどの部分かを明確にしてほしい >>925
そもそも市は嫁に行った後のことしかわかっていない。 >>924
お暇なアンチが増えたから。
生駒氏でダメなら小倉氏
それでもダメなら濃姫黒幕 アンチばかりになったな。このスレも終わりか。証拠が揃ったというなら学会で発表したら?取り上げられるかもよ。
明智軍記に書いてあっても史学会でスルーされている事を察しろよ。 のうひめが15で嫁北ときにはオイチは3歳で最高に可愛いのでは?
のうひめを姉として慕ったことは間違いない
オイチが美人で性格がきついとしても三才から嫁北ならもう自然に家族であねさま
だいたいオイチが浅井のような大名の嫁に慣れるとはどこにもきまってない
しつけとして、義姉への礼儀は教え込まれる
姉のうひめに仕え、ブスで貰い手がなく部屋住みで終わる可能性もあった
ココノ住人は信長の妹だからオイチがえらいという思い込みがあるのでは
まー信長が可愛がっていたのは確かだし、のうひめより愛してたかもしれんが >>931
史料にないことを勝手に妄想されてもw
信長って兄弟姉妹多くて異母も含めれば20人ぐらいいる
市が唯一の妹ならともかく大勢いる弟妹の中でなぜ市が濃姫のもとへ
行儀見習いに行かないといけないんだ
しかも夫が大勢津にしている同腹の妹を侍女としてこきつかう鬼嫁・濃姫とかw >>931
濃姫ヲタって信長よりも濃姫のほうが身分が高いと思ってるんだw
美濃の大名の娘である濃姫さまに家臣としてお仕えし
妹は濃姫さまの侍女にして濃姫にお仕えさせていたとw
濃姫って実際にはただの油売りの孫なのに
母親も没落氏族の明智氏で道三の妾だった説も高い
(側室とされる深芳野のほうが血筋がいいこと
深芳野の男子が嫡男とされたこと) >>930
日本ではあまりないが三国志の関羽など封号は漢寿亭侯として葬られたが
そのご民の人気が高まって商売の神とされて儒教では五文昌の一人「文衡聖帝」とされ
歴代の皇帝も人気取りのために位をすすめて
北宋の徽宗皇帝が爵諡の「忠恵公」後に「武安王」として封じ、「崇寧真君」とした。
その後、南宋期には「義勇武安王」とされた
明初には神号「関聖大帝」とされてから、熹宗皇帝が「関聖帝君」に封じ、
清代に入ると順治帝が「関聖大帝」と追贈
北条時宗は相模守従五下(北条氏の極官、これ以上になれない)だから
生前は「たいしゅ」と呼ばせた。(相模守は大国ではないので太守とはおかしいが)
明治天皇が、時宗はモンゴルから守ったから偉いとアッサリ正1位を追贈した。
過去の人物が位を進められるいっぽう、その罪状でさばかれる
信長を殺した大逆人・濃姫も例外ではない。中国だとダイナマイトで墓を爆破され骨は長江にすてられるゾ >>929
お鍋が信長の死後弔ったが濃姫は葬儀にも名前なし >>931
濃姫の兄・斎藤義龍の正室は浅井氏の近江の方(浅井長政の叔母)
濃姫は行儀見習いとして義姉の近江の方に仕えていたのだね
だいたい濃姫が織田のような大名の嫁に慣れるとはどこにもきまってない
しつけとして、義姉への礼儀は教え込まれる
姉の浅井氏に仕え、ブスで貰い手がなく部屋住みで終わる可能性もあった >>934
話に繋がりがない何が言いたいのか分からない。ダイナマイトで墓破壊?
死者を鞭うたない日本古来からの美学に反する。まともな日本人の言う事じゃない? ここで重要なのはおんな同士のマウントの取り合いではないど
濃姫が万福丸を殺されたお市に同情し
まさかノブに恨みは言えないので
マンプク丸を殺した、いやな残忍な男、秀吉を嫌うようになった
まーそんな信長は自身で殺したいのをおさえお市の恨みを避けるため
汚れ仕事を下賤の足軽大将にさせた。
応仁の乱の骨皮道賢というところ
秀吉がどんどんえらくなって群司令になり
濃姫はお鍋に正妻の座を奪われ、どちらも煙たく避けるようになった
秀吉が天下とったあとは濃姫は歴史で登場せず
ごくしぜんに歴史からきえた >>936
なんかホントに必死だな畳みかけて主語変えてコピペするのって不合理を
ゴリ押ししようとするのによくある手段。鍋吉乃が上手くいかなから? >>939
史料がたくさん残る鍋、吉乃に嫉妬した濃姫ヲタが
相変わらずの妄想垂れ流してるからからかわれてるだけだよ >>939
濃姫ヲタが妹は義姉に侍女として仕えなければならない決まりだったなんて
トンデモ話するからだろw >>930
明智の正当性や春日局が明智関係者だから忖度して
正妻を勝手に巻き込んだ可能性は否定できないかな
春日局も乳母という立場にあぐらかきまくっていて生母である
秀忠正妻とあまりうまくいってなかったからさ
信長の乳母は乳母という立場をわきまえていて控えめながらも
三傑に大事にされ悪評はないが春日は真逆だからな またか。自作自演なのか。信憑性なしと言われる明智軍記であたかもあったように語る恐るべし。
吉乃、鍋の資料がたくさんある?
ネットの情報しか調べていない典型的な
答えだな。 >>944
面白いネタなら、自作自演で粘着連投されても興味深く読めるけど
知識が浅いのが丸わかりの文章だよなw そもそも壺事件の時点で濃姫は信長と別居していたはずなんだよな
斎藤家後家に信長が壺を差し出すように命じた
すると信長の妻がそのようなものはない
どうしても出せと言うなら自分も斎藤家の女たちとともに自害すると返答
信長の城にいて信長と毎日寝所を共にしているような妻が
遠く離れたところにいる実家の女たちと一緒に自害できるはずもなく
この時点で濃姫は別居(その後離縁)して斎藤家に帰っていた どこに濃姫の資料あるの?安土姫が濃姫?吉乃の息子を養子にしたくらいでしょ
他はせいぜい明智軍記に濃姫が本能寺で明智に味方したくらい >>944>>945
濃姫ヲタが出す妄想のどこが凄いの?
信長さまは濃姫さまを大切にしていた←史料なし
信長さまが濃姫さまに贅沢させるために金箔瓦の岐阜城を建てて濃姫さまに献上した
←金箔は信長の好み、信長の城だし
濃姫さまは池田家が生涯生活の面倒見ていた←史料なし
養華院は濃姫さま!お鍋は傍にある石←
大覚寺の葬儀に出席したのはお鍋で大覚寺にゆかりが深い、濃姫は大覚寺と縁なし
養華院と鍋の没年は10日ほどしか差がなくお鍋とするのが妥当
壺事件以降、濃姫の消息なしなのになんかまともなのあったっけ そもそも壺事件の時点で濃姫は信長と別居していたはずなんだよな
斎藤家後家に信長が壺を差し出すように命じた
すると信長の妻がそのようなものはない
どうしても出せと言うなら自分も斎藤家の女たちとともに自害すると返答
信長の城にいて信長と毎日寝所を共にしているような妻が
遠く離れたところにいる実家の女たちと一緒に自害できるはずもなく
この時点で濃姫は別居(その後離縁)して斎藤家に帰っていた なんでまんさんって勝手に派閥作って妄想で敵対し始めるの?
今上(雅子様)と秋篠宮(紀子様)とかも全く同じ構図だよね >>951
ちんこは参戦しないほうがいいよ
そう思うなら
しつこいね 秀吉の妻ねねは信長に気に入られ、お鍋とも友情があったが、濃姫とは交流したようすがない
ねね派閥→信長(味方)→小倉のかた→秀吉→虎の助→一豊→千代→徳川家康(晩年のみかた)
×
濃姫派閥→お市(秀吉憎い)→柴田(お市が好き)→十兵衛→オツマキ→斎藤利三
↓
茶々派閥(お市残党から派生、ねねがにくい)→三成→秀頼
↓
春日局(明智残党から派生)→家光→歴代将軍(濃姫を弁護する明智軍記をかかせる)
ねね派ねらー敗北じゃん(藁 現代の関西人(秀吉びいき)×東京人(濃姫びいき)の原型でもある >>942
なるほどな
明智軍紀のあれはそういう推測もできるのか…
濃姫は変形スケープゴートみたいなもんかね >>956
さすがに嘘で正室も共犯者って書かないだろ 江戸時代はとんにかく神君まんせいニダで
信長は残虐だから潤びて当然
明智残党「そうだよ。信長はアク。だから光秀様はノブをやった。結果的に神君家康公は・・・」
儒学者「しかし光秀は逆賊ニダ・・・」
春日局「おだまり、濃姫様だって光秀様をあいしていた」
家光「ははーっ、おい、やれ」
儒学者「では春日局のために濃姫×光秀で明智軍記をかいて万世まで、未来永劫にまんせーしますニダ」 別居している妻の言うこと聞いて後日姑に自ら出向いて行く信長(笑)
明智軍記は歴史小説。
盛り上がりすごいな。 昔から変わらないね。荒らされて終わるの。
自作自演して何が楽しいのか。 濃姫スレは終盤になると必ず荒らされて終わるがなんなんだ
書き方からして自演で一人会話か? >>962
連続して話がつなげているから一人でやっていると思う。凄い執念だな。
鍋か生駒の子孫とか? >>962
私も思った必ず荒らされるんだよね。
昔から同じ話の繰り返しなんだけど。 昔、冬姫が濃姫の子で長女だったのではと推測したものをネットとかで見たことがある
信房が濃姫の実子説、信房と信秀の双子説や濃姫の名がなえ?(ながつく名前)とかも
信房が元服時織田姓をもらったことや信忠が正室を娶らずに家督を継ぎ信房を下に置いたり信長に厚遇されていた信房の院号が付かなかったするのを知ったら信房が次期お館様で濃姫の子だったのかもと疑ってしまう >>965
昔から同じ話と言うと濃姫が黒幕だと喚くのが必ずスレ終盤に現れるの? >>962
別人だよ
濃姫ヲタは濃姫は池田家の皆さんから愛され催事にされ扶養された
という脳内話しかしないから同一人物だけど 催事?
池田家がいつ濃姫を人寄せパンダにしたんだ?
ソースぷりーず >>979
上のほうに出てるけど麒麟の帰蝶(濃姫は帰蝶の名で登場)は
主人公の明智光秀が好きで好きで仕方がない役です
でもモテ男の光秀には駒という恋人や煕子という正室がいて
帰蝶は結ばれることがないまま一生、光秀に片思いを続けます >>980
NHKは何を根拠に濃姫が光秀に恋心なんてでっち上げるんだろ?
濃姫が光秀に片思いなんてありえないのに 最近吉乃がかなり胡散臭いことが認識されてきたので、光秀への恋とかいう
吉乃同様怪しい話をくっ付けたんでしょうね。そっちの方が女性に受けると思った?
ツンデレの濃姫になりそう。 真田丸の茶々は主人公の真田信繁にベタ惚れ同じ日に死ぬと予測したし
西郷どんの篤姫は主人公の西郷隆盛に片思いをしていた
男大河の主人公がモテモテで姫様から恋慕われるのは王道
何も麒麟に限らない >>984
吉乃関係ないw
麒麟の濃姫は光秀と従兄妹で幼馴染設定だから
光秀が大好きで生涯想い続ける >>985
確かにそうですね、歴史を語る番組で西郷と天璋院の話が大真面目に語られて
ビックリしたことがあるし、家康と寧々も大真面目で仲が怪しいと語られた番組も
あったな。 光秀と濃姫の恋って国盗り物語以来のお約束ネタじゃん
国盗り物語はどっちかと言えば光秀の片思いだけど 濃姫ヲタは濃姫が男を従わせる絶世の美女だと妄想しているので
信長も光秀も秀吉も家康も皆濃姫さまを女神と称えて屈服してないと
気が済まないんだよ
濃姫が光秀に片思いとかドラマの中でも許せないらしい >>989
信長はずっと濃姫に近寄らないで側室に子供を
産ませまくり >>989
信長はずっと濃姫に近寄らないで側室に子供を
産ませまくり ソースは980の脳内にしかないw
公式にそんなことは書いてない
ただの幼馴染ってだけ
おまえらつられるなよ 従兄で幼なじみって設定は沢山あるね、山岡荘八氏ですらそうだったし国盗りもそうだし
観月ありさの濃姫もそうだった。最近のアニメもそういう設定。 >>992 >>993
ソース
「国盗り物語」が理想!濃姫さまが信長と光秀に恋焦がれられる高嶺の華役!
国盗りや功名で信長の側室が出て来ず
(信忠、信雄、信孝は出てくるので間接的に側室がいたことは分かるが)
濃姫が信長生涯最愛の妻として描かれてるのも
ただの司馬遼太郎の創作にすぎんのにw
濃姫が光秀に恋焦がれる来年の大河
https://news.livedoor.com/article/detail/17204721/
「同ドラマでは、主演の明智光秀(長谷川博己)を巡って
“美濃の蝮”こと斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)を演じる沢尻と、
京都の戦災孤児となった駒(門脇)の2人が、
恋の火花を散らすライバルという設定です。」
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12180-309146/
長谷川博己(42)演じる光秀を巡る女の闘い。
美濃の蝮・斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)を演じる沢尻エリカ(33)と、
京都の戦災孤児・駒の門脇麦(26)が恋の火花を散らす。
「幼いころから光秀を知る帰蝶は、道三の娘という立場を利用し、
合戦の直前に光秀を呼び出すや言葉を交わし、見つめ合う。
対する駒は身分も低く、遠くから見つめるばかり。だが、その熱い視線に
帰蝶は気づいている……といったシーンが描かれる予定です」(前出・NHK関係者) このスレッドは1000を超えました。
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