(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) 其のニ
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう
☆前スレ
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1540896768/
推奨NGワード… 「阿波」「忌部」 「萩原2号墓:弥生末期の三重構造埋葬施設を確認」 徳島 @阿波
全国で珍しい「積石木槨」構造が確認された萩原2号墓=徳島県鳴門市大麻町萩原
徳島県鳴門市大麻町萩原の萩原2号墓で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。
14日発表した県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末〜3世紀初頭で、邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。
石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、同古墳の構造に影響を与えたのは確実。
前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。
墳丘は直径20メートルの円丘に、方形の突出部が付いた形態。円丘の中心に棺を納め、15〜20センチの砂岩を積み重ねた壁で囲ったうえ、
その外側に40〜60センチの砂岩を積んで、全体を覆っていた。
埋葬施設は東西6.5メートル、南北4.1メートル。朱を内側に塗った木槨を、砂岩を積み上げた壁2層で覆った構造だったとみられる。
一方、ホケノ山古墳には中間に石の壁はなく、木槨を石で囲う二重構造。
徳島、香川両県には石清尾山(いわせおやま)古墳群(高松市)など、石を積み上げた古墳時代前期の積石塚が点在。
「画文帯(がもんたい)神獣鏡(しんじゅうきょう)」などの中国鏡も出土、瀬戸内で勢力を広げた有力豪族がいたらしい。
県教委は「阿波や讃岐の墳丘墓が奈良盆地東南部での前方後円墳の発生に大きな影響を与えたことが確実になった」としている。(毎日新聞)
http://www2.odn.ne.jp/kofun/hagiwara.htm 中国朱が検出された萩原墳墓群・天河別神社古墳群のある地域を支配していた有力者は
当時、魏と交流していたことが窺える。
その、魏の水銀朱が使われた萩原古墳群から出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群から出土の斜縁二神二獣鏡
魏から下賜された鏡は、この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかの可能性が高い。 @阿波 >>3
?製鏡 三角縁神獣鏡は、この斜縁神獣鏡をお手本として、?製したものだろう。 @阿波 >>3
仿製鏡 三角縁神獣鏡は、この斜縁神獣鏡をお手本として、仿製したものだろう。 @阿波 >>1どこのどなたか判りませんが
スレを立てていただき、ありがとうございます
阿波氏が来ようとも受けてたつ所存でございます 前スレより
965: 06/14(金)17:41 AAS
宇治の平等院
もともとは、太宰府の宇治川の近くにあった
966: 06/14(金)19:46 AAS
奈良大仏の土台には
宇佐の小椋山にあった阿弥陀如来の大仏が隠されている
大仏の銅は田川の銅山から供給して大仏を作った
967: 06/14(金)22:43 AAS
なんとなく小倉百人一首を見てみた
柿本人麿、彼は古代の邪馬台国や倭国について知っているんだろうなあ
中納言家持、歌に鵲(カササギ)を読んでいる。倭人伝の鵲無しと関係ないかな
安倍仲麿、春日に三笠とか興味深い地名の歌を読んでいる
小倉百人一首に何かのヒントないかなあ
万葉集みたいに
誰も興味ないか・・・ >>6
>阿波氏が来ようとも受けてたつ所存でございます
いい心がけだと思います。 受けないとか言ってたようだが? @阿波 >>8私個人としては
阿波さんは博識だし参考になるかもと思って
ちゃんと読んでますよ 前スレから
982: 07/15(月)05:51 AAS
紀元前の書物「周礼」より
司こう氏は、夫遂を用いて日から明火をとり、
鑑を用いて月から明水をとることを掌る
と書いてある
古代中国では、凹面鏡を夫遂、凸面鏡を鑑(水鏡)と区別していた
オリンピックの聖火をギリシアで白い服装の女性が火をおこすでしょ
あの火をおこすのは凹面鏡、円周8尺位あるかなあ
もしかしたらもしかして
聖火の点火と同じことを卑弥呼はしてたんじゃないかな
時代と共に鏡の使われ方もかわって、
凹面鏡から凸面鏡が主流となり、凹面鏡は忘れ去れ 読むだけじゃなく、どんどん、議論を深めましょう。 @阿波 前スレから
124(1): 2018/11/09(金)23:58 AAS
香春宮の田油津姫は、景行天皇と共闘していた筑紫の梟師すなわち倭王である神夏磯姫の末裔と伝えられています。
神夏磯姫は年代的には壹與(肥前一宮河上神社の淀姫)の直後の倭国(邪馬台国)の女王です。
景行天皇の九州上陸の際に、八咫の鏡を含む三種の神器を掲げて神威を示しました。
田油津姫も、倭国の王の一人であったと考えられます。
当時の倭国(九州北部)には、高良玉垂宮、香椎宮、穴門豊浦宮、岡田宮、箱崎宮など、多くの宮があり、それぞれに宮様、つまり王族がいたのでしょう。 >>12
>香春宮の田油津姫は、景行天皇と共闘していた筑紫の
この「筑紫」は、けっして「筑紫国」ではないので、勘違いしないように! 勝手に「筑紫国」と読み違えないように! とんでも九州説さん。 @阿波 >>12
>当時の倭国(九州北部)には、高良玉垂宮、香椎宮、穴門豊浦宮、岡田宮、箱崎宮など、多くの宮があり、それぞれに宮様、つまり王族がいたのでしょう。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、明治天皇以前には、九州行幸が一切無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>7
>柿本人麿、彼は古代の邪馬台国や倭国について知っているんだろうなあ
>安倍仲麿、春日に三笠とか興味深い地名の歌を読んでいる
>小倉百人一首に何かのヒントないかなあ
畿内政権が全国の支配圏を確立したのが701年の大宝律令だとすれば、660年頃の生まれの柿本人麿は、倭国が存在していた頃に生まれていて、壮年期に政権交代を経験したことになる。 万葉集の冒頭歌(巻1・1)は泊瀬朝倉宮の大泊瀬稚武天皇の歌である「籠もよみ籠持ち(中略)山跡の国はおしなべて我こそ居れしきなべて我こそ座せ」である。
「そこを行くかわいいお嬢さん、どちらの家の方ですか。私こそがヤマトの王であり、この国のすべては私のものなのです(だからあなたも私のものなのです)」と解釈されている。
一般的には泊瀬朝倉宮を奈良県桜井市に、大泊瀬稚武天皇を雄略天皇(第21代)に比定するが、朝倉といえば筑後川流域の福岡県の地名でもあり、太宰府や高良宮にも近い筑紫倭国の中心地である。
後の斉明天皇(第37代)の朝倉橘広庭宮はきちんと福岡県朝倉市に比定されている。 >>15
723年 稗田阿礼・粟凡直・柿本人麻呂・太 安万侶 同年に没 暗殺か? そういう説がある。 @阿波 >>16
>後の斉明天皇(第37代)の朝倉橘広庭宮はきちんと福岡県朝倉市に比定されている。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 九州と近畿で地名の多くが重複していることはよく知られているが、万葉集においてはこれを区別する指標として、「天の」という枕詞が使われる。
これは、古事記の国生み神話において「天の」とつく島が倭国の最初の領土を示していると考えられたことと共通し、「天国」と言えば筑紫近辺のことというのが奈良時代における共通の認識だったのだろう。
例えば、単に「香具山」では九州か近畿かわからないが、「天の香具山」であれば九州の香具山になるのである。
日本書紀によれば天岩戸事件の際に一書に曰く「天香山の金(かね)を採りて、日矛を作らしむ」とあり、天香山は鉱山でなければならない。
九州の中での比定地には諸説があり、香春三山や鶴見岳が比定されており、いずれも銅を産出する鉱山である。 >>19
後付けの地名より、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>18
日本史に疎いのか?
それとも病的な嘘つきなのか? そもそも筑紫の日向三代は、九州に王権があったことを大和政権そのものが認めていたことになる。 >>21
>日本史に疎いのか?
そんなことより、
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>22
>そもそも筑紫の日向三代は、
その「筑紫」も「日向」も、「筑紫国」や「日向国」じゃないからね。 自分勝手に解釈しないでね。 @阿波 >>23
九州に行幸した天皇
・景行天皇
・仲哀天皇
・斉明天皇
・安徳天皇 >>25
>九州に行幸した天皇
どこにも、「九州」などと書かれていない。 自分勝手に解釈しないでね。 トンデモ九州説さん! @阿波 >>26
何の「どこにも」なんだ?
意味不明だなw >>27
>何の「どこにも」なんだ?
記紀。 @阿波 >>26
じゃあ、擦り合わせていこうぜ
まずは、お前の書き込みの「九州」が、どういう意味、定義なのか
そこのところをはっきりしてもらおうか 泡バカが読んでもいないのに「読んだ!」とウソをつくのはいつものこと >>15それそれ
柿本人麿の歌には倭国がみえるのよ
>>17あり得るわあ、知識人を排除した? 景行紀
十二年秋七月、熊襲反之不朝貢。
八月乙未朔己酉、幸筑紫。
…天皇遂幸筑紫、到豊前国長峡県、… >>29
>まずは、お前の書き込みの「九州」が、どういう意味、定義なのか
当然、「九州」は日本の九州だよ。 それ以外になんの意味があるんだい? トンデモ九州説さん。 @阿波 じゃあ、泡バカって
・日本語読めない
・嘘つき
・キチ
のどれかなんだね >>33
どこに、「筑紫国」とあるんだい? トンデモ九州説さん。 @阿波
論点は九州に行幸したかどうかであって、筑紫なねか筑紫国とかこれまでまったく話題になっていない件 >>37
>「豊前国」が読めないのか…
じゃあ、その当時に「長峡県」という、行政区分があったのかね?
「豊前国」じゃないよ! 「到豊前」! ここだけ「豊前国」が登場するのは不自然で有り得ない。
当時に「長峡県」もあり得ない。 @阿波 仲哀紀
八年春正月己卯朔壬午、幸筑紫。
…己亥、到儺県、因以居橿日宮。 >>41
どこに、「筑紫国」とあるんだい? トンデモ九州説さん。 @阿波 間違いを認められず論点をずらしにかかる恥ずかしい老人 >>25
>九州に行幸した天皇
どこにも、「九州」などと書かれていない。 自分勝手に解釈しないでね。 トンデモ九州説さん! @阿波 「筑紫」も「日向」も「出雲」も、みんな阿波国内の地域のこと。 @阿波 斉明紀
七年春正月丁酉朔壬寅、…
…三月丙申朔庚申、御船還至于娜大津、… キチの相手をまともにするのは時間の無駄だということがよくわかる展開だった >>16
>後の斉明天皇(第37代)の朝倉橘広庭宮はきちんと福岡県朝倉市に比定されている。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 キチガイはそれに答えられずに愚痴を呟く。 わははははは @阿波 キチガイは敗北した事実を理解することができずバカ笑い キチガイは、これに答えられずに愚痴を呟く。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 わははははは @阿波 追い打ちをかければ、各九州の風土記にも、天皇の行幸が一切ない。 もう、どうにも救いようがない。 わははははは @阿波 答えられた上にやりこめられたのに事実を直視できないキチはなかったことにしてバカ笑い 答えられた上にやりこめられたのに事実を直視できないキチはなかったことにしてバカ笑い 追い打ちをかければ、各九州の風土記にも、天皇の行幸が一切ない。 もう、どうにも救いようがない。 わははははは @阿波 四国チョンコの無根拠トンスル妄想で遊びたいなら専スレいけよ >>58
追い打ちをかければ、各九州の風土記にも、天皇の行幸が一切ない。 もう、どうにも救いようがない。 わははははは @阿波 てか四国に何があるんだよw
断片的な発見をこれ見よがしに大げさに誇大解釈することしか出来ない九州海人族の使いっ走りの末裔じゃんwww >>60
>てか四国に何があるんだよw
とりあえず、「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 >>7
755年頃の宇佐小椋山(亀山)と伊予国宇和嶺の関係は興味深い
宇佐は福岡でないけど気になって仕方ない >>63
『大分宇佐八幡宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。 御祭神は、誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)。
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略
大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐八幡宮も、 『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波 >中国朱と斜縁神獣鏡の相関関係が不明だけどね。
よく読んでね。 倭国(阿波)は凄いんだよ。 @阿波
「萩原2号墓」出土の水銀朱と同様に「天河別神社古墳群」2号墓および4号墓には中国貴州省産の水銀朱が使用されていました。
鳴門市大麻町 天河別神社(追記)
http://goutara.blogspot.jp/2013/12/blog-post_22.html やはり、雨に弱い小郡や朝倉の邪馬台国はないかな。
毎年のように水不足になる福岡平野だな。
私は女王は須玖岡本にいたと思う。
平原は天照大神かな。
筑紫倭皇帝 >>67
まあ、九州説なら、その程度なんだろうwww むべなるかなw @阿波 最近は私が昔から言っていた説がほんと現実のようになりましたね。
嬉しい限りです。
大国主の遠賀川流域、直方説も現実のものとなりましょうな。
筑紫倭皇帝 前スレから
868(1): 05/29(水)18:22 AAS
『古事記』では、「伊都二字は音を以(もち)いよ」などとの割注がついている。すなわち、わざわざ「イツ」と読めとあるね
869: 05/29(水)18:23 AAS
都がtsuなら>>771が面白い
ツリハリ
ハリは地名か畑や水田ともおもえるし、
だいたい釣り針ぐらいで喧嘩しないでほしい
870(1): 05/29(水)18:28 AAS
>>868
んあ?! トもツも音だぞバカチン
871: 05/29(水)18:36 AAS
いや、古事記の「〜字以音」は音を当てただけで漢字に意味はないって説明だろ
872: 05/29(水)18:45 AAS
ホラ吹き「伊都都比古イツツヒコ?(本名:都怒我阿羅斯等ツヌガアラシト?)」と同定、、、
873(1): 05/29(水)18:47 AAS
>>870
万葉仮名で読むんだよ
万葉仮名では「都」は「つ」
外部リンク[htm]:www1.kcn.ne.jp 前スレから
857(2): 05/29(水)16:01 AAS
三国志の中で「都」を「ト」と読む実例を挙げてみろよマヌケ
859: 05/29(水)16:16 AAS
>>857
どうしたキチガイw
実例見つけられなかったんだなwww
860(1): 05/29(水)16:23 AAS
>>857
無能wwwww
三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に何と書いてあるのか読み上げろよ無能wwwww 前スレから
774(1): 05/27(月)15:25 AAS
熊本県天草市下島
熊本県の最西端で一番美しい夕陽が見れると言われている所
天草のアマとは昔は海と言われていて
草とは日だったと言われている
天草→海日
いにしえの倭人達は、きっとここに来ていたはず
どんな気持ちや祈りで美しい夕陽を見ていたのだろうか
ここにもきっと古代人の思いが詰まった遺構があったはずなのに・・・
例)日下部くさかべ、日下くさか
草→日
775(2): 05/27(月)17:29 AAS
>>774
天≠海説はすでに解決済み
天は甲音のamaで、海はwataが古音でアマへの変音ごは乙音のama
776(1): 05/27(月)17:37 AAS
>>775解決済み?どんな理由
よかったら教えてください。
それなら草薙の剣は
日蛇の剣
ありうるかも 重要な凹面鏡の多鈕細分鏡について
日本では4枚発見のみ
佐賀県宇木汲田の弥生式甕棺から1枚
山口県下関市梶栗浜の箱式石棺から1枚
大阪府柏原市大県の山中から1枚
奈良県御所市長柄の山麓から1枚
なぜ九州側は墓に埋めたか、関西は墓以外で
見つかっているかに答がある
九州と関西は風習が違っていたんだよ
もー時間ないから、あとは自分で考えてね >>74
>例)日下部くさかべ、日下くさか
>草→日
「日下姓の起源」
古い由来の姓に「日下(くさか)」姓がある。
日下姓は、聖徳太子様の時代には存在していた名前である。 「古事記 中つ巻」の冒頭に日下の名前が登場するので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在していた名前である。
勿論、日本書紀にも出てくる。
阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られる。 また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がある。
徳島県全体としては、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い地域である。
香川県全体としては、高松市に集中しており、日本一の徳島市に続いて「日下姓」が多い地域である。
このことから、西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県や香川県等、四国地方を起源にしていると考えられ、
よって、記紀に登場する日下姓をみても、記紀は四国地方を記したものと言える。 @阿波 私が今まで言ってきたことがやはりほぼ主流になりつつありますな。
当時は散々みなさんにばかにされましたが。
糸島の特に志摩は今の天皇家の故郷であり聖地。
邪馬台国は福岡平野にあり、30余国は福岡平野のクニムラの数。
奴国が卑弥呼時代の邪馬台国の南限であり北限は半島南岸。
狗奴国は久留米付近にあり、あるいみ倭国内であり元は福岡平野の国々とは同盟を結んでいた倭国内の国。
卑弥呼時代に今の基山、三国境付近を界に争っていた。
南九州は熊襲。あるいみ倭国とは別。
天孫族はのちに志摩や伊都から邪馬台国の中心部福岡平野の国々を従えた。
国生みや神産みはそれを正当化するための物語。
大国主は遠賀川流域におり直方付近と思われる。
大国主を追い出して大国主は出雲へ追放。
大国主に従えていた宗像三女神は天照大神とスサノオの儀式で天孫族に支配されるべきことを正当化される。
六ケ岳や宗像の猿田峠はその証。
神武天皇は初め福岡の京都郡で福岡県東部の大国主一派の豪族たちを取り込む戦いをしていたが、関西への東征を決意し
福岡平野にもどり筑紫より東征開始。
こういった事がのちの真実にきっとなりますよ。
by筑紫倭皇帝 倭人伝によると倭国と魏の時代に交流があったのは解ります
元寇が襲来した時代は、元と倭国と交流がなかったのでしょ?
高句麗や呉とは交流あったのでしょうか?
福岡県飯塚市の立岩遺跡は誰のものだろう
立岩出土の重圏文清白鏡に書かれている銘文を
書いてみる(内側部分のみで)
清質を内にして以て昭明なり
光輝は夫(か)の日月を象る
心は忽ち揚がりて忠を願う
然れども壅塞(ようそく)してもらさず
この前漢の鏡があった甕棺が神夏磯姫かもしれない 平原遺跡と立岩遺跡の女王の埋葬方法は似ていたかも知れない
頭蓋骨の周りに鏡を向き合わせて並べて埋葬したのだろう ギリシア神話のオルフェは、鏡のなかをつきぬけることによって
死の世界へ入ることができた
後ろを振り向かないという条件付きで、再び元の世界に帰れた
私達の想像以上に古代の人達は、鏡に神秘性を見いだしていたんだよ ギリシア神話のオルフェは、鏡のなかをつきぬけることによって
死の世界へ入ることができた
後ろを振り向かないという条件付きで、再び元の世界に帰れた
私達の想像以上に古代の人達は、鏡に神秘性を見いだしていたんだよ >私達の想像以上に古代の人達は、鏡に神秘性を見いだしていたんだよ
頼るものが「鏡」しかない説は、惨めなもんだねぇw よく、折れないもんだよ。 ある意味感心する。 @阿波 >>87
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな >>88
まともに反論できなくなると、こういう駄レスで誤魔化すいつものパターン。
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論・で・き・る・人・は、はい、どうぞ。 @阿波 |_ l ―┬─ l ヽヽ |_ .┌-┐ へ | ヽヽヽ
| l ─┼─ ヽ/ _|∠ | / /__ \  ̄| ̄ヽ \
__| | __ | / /l二l.| _). __ . / │
\ノ\ レ .(_ノ`ヽ ヽ__ |_|.| |__| ノ ヽノ
(ヽ三/) ))
__ ( i)))
ギャハハハハッ /⌒ ⌒\ \
/( ●) (●)\ )
./:::::: ⌒(__人__)⌒::::\
| (⌒)|r┬-| | >>89
,┌、-、!.~〈 .`ー´/ . _/
| | | | __ヽ、 /
レレ'、ノ‐´  ̄〉 . |
`ー---‐一' ̄
. ̄ ̄| ̄| ̄ ̄ .
.匚二|二|二コ / . . |_ ー _/__ヽヽ _/_
.__|_|__ . l ヽ | -― 、 . / __ .  ̄/ ヽ
. ヽ、 ヽ、 | ) .__| } / / __|
ノ |___i ヽ/ \ノ\ __ノ / \__ (_l\ W W W 「麁布の麻 心込め」 木屋平で初紡式
皇位継承に伴う11月の重要儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」に調進される麻織物「麁布(あらたえ)」になる麻糸を紡ぐ初紡式(はつつむぎしき)が7日、美馬氏木屋平の三ツ木八幡神社であり、関係者約70人が出席した。
本殿に設けられた麁布麻績殿(おうみでん)に巫女5人が正座。
水や米ぬかに浸すなどした精麻を竹くしで整えた後、繊維の強度を上げるため、糸車で麻糸を巻き取りながらねじって毛羽(けば)を取り除くなどした。
住民も加わって今月下旬まで作業を行い、調進する4反分の麁布に必要な約52kmの麻糸を紡ぐ。
4月に約600uの畑に種をまき、約3mの背丈に育った7月に抜き取った。
湯を張ったおけに浸して殺菌し、乾燥や発酵などを経て精麻した。
代々調進してきた三木家の28代当主、三木信夫さん(82)は「布ができるまでは気が抜けない。 完遂に向けて粛々とやっていきたい」と述べた。
紡いだ麻糸は、9月上旬に吉野川市の阿波忌部麁布調進協議会に渡した後、献上品の反物に仕上げる。
10月末に三木さんら関係者が皇居に納める。
令和元年8月8日 徳島新聞朝刊 >>92
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるなwww 無知ですいません
奈良大阪と福岡はよく同じ地名があると聞きます
箸墓にあたる地名は、福岡だとどこになるんでしょうか
い飯塚ですか? >>94
>奈良大阪と福岡はよく同じ地名があると聞きます
違う! 両方とも倭国(阿波)の地名だよ。
箸墓にあたる地名は、阿波市市場町「箸供養」。 @阿波 ニュース速報+からの拾い
>147
新唐書ってのは日本書紀よりも遥かに後に編纂されたもんだよ?
日本書紀が漢文表記なのは対中の体裁を整えるため。
つまり新唐書の記載は日本書紀を掻い摘んで転記してるだけ。
本文と一書の入り混じった日本書紀は現代日本人ですら誤解してる人が多いんだが
初代を天御中主尊としている辺りでも日本書紀の誤読とわかる。
日本書紀に最初に登場する神は国常立尊、国狹槌尊、豊斟渟尊の三柱
天御中主尊、高皇産靈尊、神皇産靈尊の高天原三柱は日本書紀本文ではなく一書に書かれた諸説なので
大和朝廷側が天御中主尊を最初の神と説明することは絶対にない。 忘れないうちに書いてみる
天王日月
日神月神
史記天官書、晋書天文志に書かれている所によると
天王は蠍座のアンタレス星をさす >>95
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるなwww 武梁祠画像石のフクギとジョカを見て想像した
古代は鏡をつくる人を蛇や神と言ったんだな
フク・ギ=伏ふくぎ
ジョ・カ=女か 武梁祠の画像からジョカとフクギを探してみてほしい
手にコンパスと定規を持ってるから。
そして下半身は脚がなく、蛇そのもの
確信したわ >>103
その妄想からどんなファンタジーを創作するのか楽しみだから続けて続けて♪ 鍛冶工房を鷹と言ったんだ
なぜ鷹と言ったかは想像だが
当時の鍛冶工房は秘密で見せてもらえなかったの
だから見せてもらえない他人は聞こえる音で判断して、
足踏み鞴(ふいご=風を送る装置)の音が鷹の羽ばたき音と
似ていたから鷹と呼んだんだ
田川郡の香春神社の祭神に息長大目媛ってあるだけど
息長も風を送る鞴のこと
そして全国の鷹TAKAがつく山や丘は鍛冶製鉄所ばかりだよね >>105
お前の想像はお前のメモ帳にでも書いておけよマヌケ >>108
華麗に完全論破してやるからそのファンタジー続けろよw 明日はお盆
みんな墓参りに行きましょう
お墓繋がりで名前のネタをひとつ
>>105の田川あたりにはカジ(鍛冶加冶梶)のつく名前が
現在も結構いるんだけど
珍しいのは
邪馬臺国や邪馬壹国で見かける臺って漢字の名前
全国でも珍しい臺って名前が田川にはチラホラいるみたい
不思議だねぇ 遠賀川岡垣町史 昭和63年
波津は神武天皇こと始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと) であり、
天照大神の高天原である。
湯川は天湯河板挙の地。
日本書紀 垂仁天皇 23年10月8日
神武天皇は日向高千穂宮から高天原に攻め上り、高天原の初代王となった。
天照大神は居場所がなくなって伊勢(沖ノ島) に隠居した。
天照大神は王ではなく共立の人。
天は岡垣町。 高天原は岡垣町の波津。
熊鰐、五十迹手が天磐戸のお祓い儀式で仲哀天皇・神功皇后を出迎えたことから、
高天原は熊鰐の地にあった。
藤原広嗣は大宰府市でなく遠賀郡で兵を挙げたのだから、倭国の中心は遠賀郡だった。
考古学による知見から、古墳時代の遠賀郡の中心は岡垣町の波津だった。
博多湾沿岸が筑紫
有明海沿岸が肥国
遠賀川流域が豊国
倭国を統べるのは白日別(日の本をしろしめす高天原からの分家) >>115
「辰砂採掘遺跡」の無い九州に、卑弥呼が居る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>116
泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるんだが? 青春の門の作家五木寛之は田川を異様な雰囲気と言っていた
五木寛之は八女出身だが
古代の田川で産出された銅と金による幾多の戦いや争いを感じたのだろう
異様な雰囲気といわれたけど
五木さんは半年に1回しか頭洗わないらしい
....異様な匂いしないのか?
似た者同士、理解しあえるのかな 田川辺りは 奴国(二万戸)だよ。
奴国 : 「上本町遺跡」・「下伊田遺跡」・「五徳畑ケ田遺跡」・「真崎遺跡」 @阿波 898: 08/14(水)09:18 ID:gz2OS3Ce0(1) AAS
▼武田鉄矢(福岡市博多区出身の俳優)
『大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い』
▼ローラ(JR九州公式フォトグラファー)
『アニョハセヨは関西弁』
▼くまモン(熊本県営業部長)
『粉モンって、こんなモンかー』
▼埴原和郎(福岡県北九州市出身の人類学者)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人の平均から外れている』
▼中橋孝博(九州大学大学院教授)
『関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い』
▼高橋貞樹(大分県出身の社会運動家)
『被差別部落民は、穢多の水上と称せられる近畿地方が最も多い』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼向江さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけど、その場でびんたですよ、「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼松下孝幸(土井ヶ浜人類学ミュージアム館長)
『熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地』 >>119
泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるんだが? 卑弥呼の墓は、大坂山から人の手渡しで
石を運んで作ったとありますよね
なんでこんな大事なキーワードで攻略しないんですか? 私は明日の朝にあなたの櫛笥に入っている。
頼むから私の形(=本性)に驚くなよ」
倭迹々姫命は心の裏(ウチ)で密かに怪しんでいました。
夜が明けるのを待って、櫛笥を見ると、とても美麗い小蛇がいました。
その長さと太さは下衣の紐のようでした。
それで驚いて叫びました。それで大神は恥ずかしく重い、すぐに人の形になりました。
「お前、我慢出来ずにわたしに恥をかかせた。
わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」
それで大空を踏んで、御諸山に登りました。
倭迹々姫命は仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。
それで箸で陰(ホト=女性器)をついて亡くなりました。
何回読んでもこれが卑弥呼とは思えない
これが卑弥呼という説明を誰か教えてください
どう見てもモモ姫を馬鹿にした文面なんだけど 質問です。現在の法隆寺がもともとは福岡県にあったとは本当ですか?
今の平等院も福岡県にあったって本当?
ネットで調べたら法隆寺は本当らしく書いてありました
ご教授宜しくお願いします。 >>124
ネットで調べたってソースを出してみろよ >>124
>質問です。現在の法隆寺がもともとは福岡県にあったとは本当ですか?
奈良「法隆寺」の本社は、ここ「救世山峯薬師」 @阿波
「法谷寺」
http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html >>125Googleで(太宰府にあった法隆寺)と入力してみたら色々出るnだけど >>126
泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるんだが? / | | | |i :ili、 l | | ヽ
. / | }| ヽ\,__ili_i、 l | l ハ
_,. イ! | | 「 il|ヘ | | !
; i|l|i|リ ,;iii yz ,z, | | l | |
≠y、li|li|i ″ '´ rぅxヾ寸、 ll ! l |
气 ` ゙r; ; 、、 ゝ‐′リii小从 |「`ヽ ヘ.{
:ツ / 〃 { \`‐=彡'″{^Yl} | '. ` ひぃぃぃ!!
=彡 ''" 丶 「゙弋ー、l i 泡チョンがいるぅぅぅ!!!
| 、 \ 、 |
n r !|l l ;;l :! キムチわるいぃぃぃぃ!!!!!
_, | || l | | |
. , /⌒ー'⌒ヽ.〈 ! l{ ' Vl | いやあああああああ!!!!!!
/ /「「「「「「「「「「「い jll{ ?j|
\ ll /!i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|} |i /ノ ,;i }` 、
`ヽ{ レ'´ `く ヽl| |i / ″′ ヽ どうして泡チョンがいるのぉぉぉおぉぉ???
ヽ ノ ′,;ii/ /
ト- ==== ''" ,,;iill/ / } あっち行ってえええええ いやあああああああ!!!
. ノ /iilil{ / {
≧== 彡l||llx _ イ ∧ / ,勿 ヽ
 ̄`xl|i彡'´ / ハ 〈 彡'´ ノ _/⌒ ̄⌒`´ ̄`〜ヽ'ー--、
_/ ιυっ ̄~つyへつ
/ フっιつ人´ / /つυ^っへ っっ
/ /つつ。o/ / / / ^つっへυっつ
_/ 〉o°o。 。 r、__r、"°>つっっっつっっ
/ \γ、。 i⌒l/ `, /つっっつっつ
__/ `⌒ヽ i ● ( ●)" っつ) っつっつ
=/ っっ τ-っつつっ⌒\⌒i つ っつつつ
 ̄ っっ )) ) っつつつ。ヽ,__ノ っっつつ
つつっιつ) ⌒つっ) っつっつ。 °| ° o 。
っつっo °。 υつ っ つ\( o °ヽ,° ° °。
っ\\っoっ。 °° つ。°°ヽ, ',^ \ .ヽ,o。° 。°°。 。°。
つっつ _o°°。 0o゚。 ⌒ヽノ /. oノ /°o 。 /У\°
)へ)つ\///`ー、_ ° °。'"~` ヾ-'-ー"ー'ー──── ''''''"ヽ。 /WMW、\
へ)。°|\\\\`ー、 ,〜´ へっヾ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,ノ ./ \
( ̄o°oヽ、 \\,O、/~ つっへっ  ̄ ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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\__/ ̄ ̄ ̄ ̄ っっつ \ 丶 ヽ\\----------------------------
\ っつっっつ \ \\ ` ー- ーーーーーーーーーーーー 「海ゆかば」について
書こうと思ったけど
ロックがかかるため書けないわ 葦原の瑞穂の国を天下り知らし召しける
皇祖の神の命の御代重ね天の日嗣と知らし来る
君の御代御代 敷きませる 四方の国には山川を広み厚みと
略)
大伴の遠つ神祖のその名をば大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官
海行かば水漬く屍山行かば草生す屍
大君の辺にこそしなめ かへり見はせじ
と言立て
丈夫の清きその名を 古よ今の現に流さへる
祖の子どもぞ大伴と佐伯の氏は 人の祖の立つる言立て
人の子は 祖の名絶たず大君にまつろふものと言ひ継げる
略)
この屍って姓と掛けてんのかな 58: 婆 ◆HKZsYRUkck 08/18(日)18:08 ID:teV78UEM0(1) AAS
>>55
そいや蝦夷の夷も古くは「ひな」と読んでいたよね。
田舎を表す「ひな」(鄙)と同じ言葉(やまとことば)なんだろう。
やまとことばって何?しらん _
\\
\\
\\
\\ ウソツキ成敗〜 Λ_,,Λ 生まれ変わっても
\ 〆> Λ_Λ <丶`Д´>朝鮮起源説ば
∠/⊂(∀` ) ___;:・  ̄ ̄ やめないニダよ〜
ヽ( )ゝ ( ) ザクッ
(_\ \ | | |
(__) (__)_) 韓国ではウソをつくことは罪悪ではない
ウソをついても利益が得られれば徳があったからということになる
逆にウソをつかれて損をした側は徳が無かったからということ
何でも言い放題、ウソがばれてもケンチャナヨ 〜チョンコ(一般名:朝鮮ヒトモドキ)の「とりあえず何でも良いからウソをついてみるスタイル」を知ろう♪〜
ホモ・サピエンスがチョンコと遭遇した時に最初に驚くのは彼らの「ウソ」の多さでしょう。
小学校でチョンコと遭遇した者は「実は霊能力があるニダ」「実は王族の末裔ニダ」などという虚言を真顔で語る仔チョンコの姿にドン引きした記憶があるはずです。
中高でチョンコと遭遇した者は高級売春婦や高給労働者、密入国者をまるで戦争被害者であるかのように語る「被害者ビジネス」というウソの一端を垣間見た記憶があるはずです。
その他に「無能ヒトモドキ視点からの古代(誇大)史妄想(https://sites.google.com/view/jhistory)」をはじめ、チョンコ特有のウリナラファンタジーや朝鮮起源説というウソを本気で主張するチョンコをたびたび目にしますね。
どうしてチョンコロどもはウソばかりを平然と語るのでしょうか?
まず、思い出さなければならないのは私達ホモ・サピエンスと姿形はよく似ていますが、チョンコロは昆虫綱 ゴキブリ目 チョンコゴキブリ科 人型ゴキブリ属、一般名:朝鮮ヒトモドキという別種の生物であるという点です。
多くの哺乳類がそうであるように、チョンコにも独特の鳴き声があります。
それに該当するのがウソなのです。
チョンコロのウソはホモ・サピエンスのウソとよく似ていますが、一つ大きな違いがあります。
この違いを認識しておくと、チョンコロどものウソに惑わされると言った被害を最小限に抑えることがあります。
ホモ・サピエンスはウソに対して罪悪感を持っていますからバレるのを恐れ、なるべくバレないように真実味を加えてからウソを付くものですが、チョンコは一般的には無能として知られ、知能的には三歩歩くと忘れてしまうニワトリに近いとされています。
ですから彼らのウソには真実味が加えられていない、または自身で加えた真実味自体を忘れてしまうという特徴があるのです。
よってチョンコの吐いた言葉がウソっぽいなと感じたら、「それって証明できる?」と問い詰めてやりましょう。
この質問に即答できない場合は、ほぼウソをこきやがったと断定して間違いありません。 持統天皇
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
この万葉集の有名な歌は福岡県田川郡の香春岳を呼んだ歌です
奈良の低い山の歌ではありません
万葉集には天(あま)の万葉仮名がかなり使われています
天(あま)の本当の意味は何でしょう >>143
アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、
ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。 @阿波
「阿波国風土記」 https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa 【飛鳥の地は小松島市一帯】
小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。
舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)
天の香久山―小松島市日峯山・籠山(かごやま) @阿波 >>143
同じ地名が九州と畿内にあって、九州については「天の」をつけて区別するのだとか。 【倭国】
弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭国が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことであるという説がある。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
連合国家である倭国の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は一貫して筑紫が独占していた。
卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。 >>146
>同じ地名が九州と畿内にあって
当たり前。 どちらも阿波の「忌部はん」 の入植地なんだから。 @阿波 >>148
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww >>147これは天=九州でいいのかな
あなたの本を買って読んだけど
私の意見は、高・鷹=鍛冶と思った
古代に製鉄が伝わったことばかりが書かれているが
製鉄と鞴(ふいご)は必ずセットで伝わったはず 古代は砂鉄をタ(TA)と言ってたかも知れない
タネ、タタラ、タカ
ユ(YU)を溶けた鉄や銅の意味と思う
田油津姫の出来上がりです
もちろん妄想だよ 種子島は砂鉄が豊富に取れるから種子島なんだよ
出雲の古い有名な鉄剣も種って文字があったはず 古代倭国を語るなら
製鉄原料採取地と鉄製品の出土だね
倭国なら弥生時代に製鉄採銅していた
初期の製鉄所は、いわゆる軍事機密だった
鉄で民が潤い国が強化された
また鉄を取り合って戦争にもなった
異論は認めませんよ 鉄伝来の初期は南朝鮮かもね
すぐに鹿児島や島根や福岡からも調達したと思う
砂鉄からの製鉄の時期は、すぐに来た
鉄鉱石を採掘する能力面に限界があったはず 「はず」って、ちょっといい加減じゃないか?
倭人が半島で鉄を買いあさっているというのは、ちゃんと史書に書いてある。 >>158
その倭人とは、「忌部はん」 なり。 @阿波 >>159
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww 九州説は、もっと鉄の伝来や鉄の埋調文化財を
全面的に出すべき >>163
碌な鍛冶炉遺跡の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>164
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww >>166
縄文土器が南米で出とるからな。オーパーツ扱いだったけど まぁバツアヌやフィジーでは青森製の縄文土器が出土してるし、エクアドルのバルディビア遺跡から出土した土器の半数以上が南九州の縄文土器と高い類似点があることはスミソニアン博物館も認めてること。
ヒトT 細胞白血病ウイルスのI 型も有史以前の大陸には存在せず、ポリネシア諸島、日本、南米に分布してたし
インディアのミイラから検出されたズビニ鉤虫もベーリング海峡経由ではなく航海でモンゴロイドがアメリカ大陸に到達していた根拠になってるし >>168へぇそうなんだ、知らなかった
世界に出て行った古代人
帰って来れない方が当たり前だろうに勇気あるなあ マヌケとか他人に言う人間は文化のない土人根性の先祖なし 日田と田川
久津媛、辛国息長大目、ツヌガアラス(ヤタガアラスと似てね?)
神代はやっぱりこの地域の話なんだ 出雲が先なのか九州北部が先なのか
青谷上寺地遺跡も気になるし
田川や日田の歴史抹殺も気になる
ひた隠しの語源って日田隠しなんだって? 記紀を真面目に受け止めれば、最初にイザナギが獲得したのは能古島(おのころ島)。
分家として出雲の素戔嗚や大国主が勢力を伸ばしたが、結局は天照に主権を明け渡してしまう。
その間の筑紫の主は大山積や綿津見などだが、彼らもまた天照や素戔嗚と同じイザナギの子とされている。 古事記と日本書紀は似たようなところあるけど
古事記の方を信じてる、日本書紀よりはまし 漂流だと文化が残らないという証拠でもあるんですかね? ヒント:文明・文化を残すのに最低限必要な人数は何人でしょう? ホント無能。
船に複数人乗ってるかもしれないし
仮に一人でも行った先で女を見つければ家族は増やせるし
その程度の事が思いつかないとはねえ >>185
頑張って無能の自覚がないフリしてて笑う 常識的に考えたら数十人程度のの入植だったら、残せるのは生活痕程度であって
そんなものは文明とは呼べないだろうな 165(1): 08/20(火)10:23 AAS
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
九州各国の風土記編纂時に、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波
地元や出身地を巡っても何にも面白くないから。
栄えていた九州の旅行が書かれてないなら
そこが地元
それくらい気づいてほしい >>188
>それくらい気づいてほしい
分かった分かったw もうそれぐらいでいいからw いままでよく頑張ったw 可哀そうにwww @阿波 >>189
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww わりと真面目な質問です
これは何と読むのでしょう
一大率、邪馬壱国
一と壱の違いは?
どちらか間違えてる? 「一」は漢数字として、
「壹」は表音文字として使用されている 「一」も「壹」も「壱」も
上古音も中古音も発音は同じだね 漢字を使い分けてたってこと?
うーん、納得いかないな 一大率は、いったいりつと読むのか?
これは確定間違いないのか? 松本清張も一大率がよく判らないと書いてあったと思う
なんか引っ掛かるんだよなあ 官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:p帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)
大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。 今日の朝日に日田の鉄鏡の記事があるが、
話題にすらなってないとか、どんだけやねん >>201
そりゃ、阿波のニュースのようにはいかんわね。 @阿波 >>202
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww >>201
鉄鏡は銅鏡と比べ貴重さのレベルが全然違う、普通に考えて日田には中国が最も重要視していた王がいたのは間違いない。 日田の下が田川なんだよね
大分が一大率にならんかな
鉄鏡は曹操の鏡と同じだよね
>>206
そんなことは明記されてない
女王国の北限に置かれ、伊都国を治めたと書かれている つまり伊都にいた大率が制海権を掌握して、対馬海峡の交易を独占していたということ。 大率は職名ですね。
伊都国にいる長官です。
中国での刺史に該当する部下たちが
女王国=邪馬台国の各地と、邪馬台国より北の各地で職務に当たっていたわけです。 各地というか、明確に女王国の北、つまり対馬海峡を検察していた。 官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:p帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)
大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。 大意は同じですが、女王国以北ですから女王国そのものも含みます。
政治機構とは別ラインの警察機構だったわけですね。
その長官として大率が一人いて、伊都国で指揮を執っていた。 >>218
>その長官として大率が一人いて、伊都国で指揮を執っていた。
その長官は、倭国(阿波)から派遣された筑紫忌部の長だから、悪しからず。 @阿波 >中国での刺史に該当する部下たち
伊都国にはいないヒナモリたちかな。 >>218
そうですね。
それぞれの国邑の官より上位にあたる内務大臣的なものだったのでしょう。 >>220
卑奴母離が伊都の大率の部下ということですか。
あり得ますね。 そう考えると卑弥呼、卑弥弓呼、卑奴母離の「卑」とは、
肥国の「肥」なのかも。
主官名が旧国王名の名残りを残すのに対して、
副官名は卑奴母離で統一されていますから、
伊都国大率+各国卑奴母離が卑(肥)族によって新設されたとか。 11月3日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波 壱岐対馬の大官は卑狗で、狗奴国側にも狗古智卑狗がいる。
末盧国には官がおらず、桜馬場遺跡までで途絶えた考古学的状況と一致。
卑狗とは狗奴国の卑(肥)族である卑弥弓呼が設置した官である可能性が。
肥国吉野ヶ里→末盧国→壱岐対馬と一度制圧したわけですね。
考古学的にずっと親伊都国だった邪馬台国側の末盧国は
狗奴国によって滅ぼされ、壱岐対馬に卑狗が新設された。
狗奴国が新規占領した国には卑狗が配置されていったのでしょう。
そう考えれば、曹操の時代に例の鉄鏡がもたらされた説明がつきます。
しばらくの間は、末盧国と伊都国とでにらみ合いが続き、
伊都国は落とされずに巻き返したわけですね。 鉄鏡の存在を軸に考えるなら、
曹操が権力を手にした後で、
魏を建国する前(212年以前)、
ということになります。
魏を建国した後のことであれば、
魏志倭人伝に記載しなければなりませんからね。
曹操が飛躍したのが192年頃
献帝を迎えたのが196年頃
赤壁の敗戦が208年でその後は激戦続きですから、
196年から数年のうちに鉄鏡外交でしょうか。
漢時有朝見者とは、実は狗奴国王のことだったりして。 日田の鉄鏡はトルコ石を使用している
トルコ石は日本では全く採掘出来ない
当たり前だが舶来なんだ
金の使い方が曹操の鏡と同じなんだよ 一大率は対馬と阿閉島で監視していたが
最終的には関門海峡を守っていたんだと思う
魏志倭人伝に書かれている筈なのに書かれていない情報が二つあります。
一つは、漢委奴國王。
もう一つは、自女王國以北 其戸数道里可得略載。
当時の中国にとって、倭地における最大の歴史事項が漢委奴國王金印。
陳寿は奴国までの道のりを記しているのに、
金印については漢時有朝見とお茶を濁しています。
自女王國以北 其戸数道里可得略載
ということは、
以北なので、
邪馬台国内の戸数道里の情報は持っていたわけです。
其余旁國遠絶 不可得詳
は、邪馬台国以外の、
南の狗奴国や、東の倭種の国々などのことですね。
字数制限などで省略した可能性もありますが、
実は斯馬国以下の20国については、あえて記さなかった可能性があり、
それがなぜかと言うと、
大官が卑狗であった、
つまり一度は狗奴国に蹂躙されて、卑狗を配置されていた国々、
が、南方に並んでいたのを隠したかったのではないでしょうか。 委奴国王の末裔が狗奴国王であり、
だからこそ後漢末期に曹操が鉄鏡を渡したと考えると辻褄が合います。
一度は狗奴国王を認めてしまったが、
公孫氏を滅ぼして倭人国家と同盟を結びたい239年当時には
邪馬台国が優勢になっている。
仕方がないから邪馬台国女王に親魏倭王金印を授与した。
さすがに後ろめたいから、
狗奴国が朝貢してきた事実は伏せた。
それに繋がる委奴国についてもお茶を濁した。 史料を正確に読むと、
「倭国」乱ですから、
倭国乱とは倭国内での内乱であり、
邪馬台国=卑弥呼女王時代の倭国(やまと国)と、狗奴国との戦いではありませんね。
倭国王家の中での内紛があったわけです。
九州説で言うと、山幸海幸の兄弟争いでしょうか。
それが桓霊間で、遅くとも189年まで。
倭国乱の間に、一度失脚した委奴国勢力が狗奴国を立ち上げて蜂起したわけですね。
つまり奴族。 卑弥呼の次の男王時代も同じで、
相誅殺というのは、邪馬台国内での内乱が起きた、ということです。
それで台与が共立されて、邪馬台国の国内は安定する。
安定したのに、
安定した後に、張政が台与に檄告諭したというのは、
男王時代に邪馬台国内で内乱をしている間に、
南の狗奴国が盛り返してきたから、
慌てて台与女王を共立し直して、
対外戦争に向かう台与に対して、檄告諭した、ということですね。 >>230いいね、面白い
奴の漢字の意味は何でしょうか
わたしゃ、奴をじっと何日も見て書いてると
なんと「魚」の絵文字に見えてきたw 曹操の鏡のすれから
375: 09/08(日)17:50 ID:yO2vR2np0(4/5) AAS
大分に中国人の国(秦王国)があった、と記述している隋書東夷伝は魏志倭人伝と同じくらい日本にとっては
貴重な資料なので、一回読んで見てね
日本の歴史がウソだらけなのがバレるので、学校ではあまり教えませんが(笑)
隋書?(倭)国伝
外部リンク[htm]:www.eonet.ne.jp
隋書(東夷伝・第81巻・倭国)を読む
外部リンク[html]:kamodoku.dee.cc これもメモしとこう
360: 09/08(日)17:34 ID:yO2vR2np0(1/5) AAS
>>255
ヒント: 秦王国 = 大分
隋書東夷伝に記述されている。竹斯国(筑紫)の東にあったとされるので、大分だね
外部リンク[html]:izumiyayoshihiko.cocolog-nifty.com
「百済を度り、行きて竹島に至り、南に耽羅国を望み、都斯麻国を経、迥かに大海の中にあり。
また東して一支国に至り、また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ、
以て夷洲となすも、疑うらくは、明らかにする能わざるなり。また十余国を経て海岸に達す。
竹斯国より以東は、皆な倭に附庸す。」
363(1): 09/08(日)17:39 ID:yO2vR2np0(2/5) AAS
隋書東夷伝 卷八十一 列傳第四十六 東夷 ?國
「また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ」
(又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏)
筑紫の東にある「秦王国」の人間は、中国人だと記述されている。
つまり、大分に中国人の国があった、ということ 書かないのと
ウソを書くのとは全然ちがう。
年代はともかくとして、
筑紫の日向や各氏族の祖など全部書いてあるわけで、
後世の人間が勝手に誤解釈してるだけ。 秦氏なら有名な渡来人でしょ。
関西にいたら良くて、大分にいたらなにか不都合でも? これも史料を正確に読むと、
卑弥呼は短期国家魏認定の倭王であって倭国王ではありませんからね。
倭国王師升がいて、倭の五王も倭国王。
ということは、サンドイッチで、卑弥呼の治世にも倭国王がいたわけでしょう。
世有王 完全に書いてないわけでは無くて、散りばめて非常に詳しく書いてありますよ。
最後は親子で挟撃して止めをさしましたね。
その挙句にまたまた内輪揉め(親子喧嘩)になりましたが。
あとヒントとしては、
戦国時代の歴史書を京都公家だけの視点から書いたらどのような記載になるか。 金印も発見当時は贋作とも言われたが
のちに中国でも同様の金印出て本物認定
日田の鏡鏡も先に日本から出土して
のちに曹操の墓から、ほぼ同型の鉄鏡がでた
なんだか九州すごいな、さすがほんとうの倭国だね 鉄鏡も九州説の一部では以前から話をしていたのに
何を今さらですよね。
鉄鏡の存在と、魏志倭人伝に書かれていない、
中国側の史書に曹操一族の家宝として詳述されている、
という事実から、
狗奴国が曹操と早々に連絡を取っていた、と推測できます。
免田式土器と小型仿製鏡U型の分布が狗奴国の主領域。
硯の出ていた旧三輪町辺りが本拠地。
鉄欠乏症にかかった地域は狗奴国側。
そして邪馬台国と狗奴国の戦いは数十年に及んだだろう。
福岡ど真ん中の平塚川添遺跡に鉄器なし。
神籠石の分布。
日本海沿岸に分布する四隅突出は、一番重要な丹後半島若狭湾を北九州系の鉄剣将軍に押さえられているから、全部邪馬台国の倭種支配官。
淡路島の鉄工房は稼働停止して、
琵琶湖沿岸に鉄工房新設。
他にもありますが、以上と史書をインプットして、
大戦をシミュレーションすれば、自然に経過が導き出されます。 伊都から日本海沿岸にかけて、越前までが邪馬台国経済圏。
筑後肥後から日田経由で瀬戸内海に抜けて、が狗奴国経済圏。飛び地で越後。
2世紀後半に狗奴国が吉野ヶ里→末盧国→壱岐対馬と抜いた。
(☆日田は優勢な狗奴国の大動脈で安泰)
大田南1号古墳の鉄剣将軍=若狭湾水軍提督=卑弥呼の父
が日本海沿岸を鎮圧してから、
(青谷上寺地遺跡は卑弥呼の父の軍が鎮圧)
伊都へ救援に現れ、壱岐対馬を奪還。
父の兵力をバックに、卑弥呼共立。
大田南1号古墳に海外物品が乏しいので、239年までには死去。
大田南5号古墳などの青龍三年銘鏡は卑弥呼一族へのお裾分け。
(☆ここまでも日田は関係なし) 邪馬台国水軍が東征開始。
瀬戸内海各所の神籠石を落としながら進軍。
水軍だから、大分県の沿岸を制圧したら東へ向かった。
(☆日田は安泰)
地理的に、大分県側を落とされると、日田→筑後と攻める側が圧倒的に有利。
経済的には、瀬戸内海を制圧されたら、筑後と瀬戸内海を結ぶ日田経路は不要になる。
よって、危険極まりない平塚川添遺跡は綺麗に掃除して放棄。
狗奴国王家は熊本へと後退した。
(☆日田は置いてけぼり)
越後は卑弥呼の次の男王が放った将軍によって落ちた。
だから卑弥呼の平原遺跡1号には翡翠なし。
台与は魏に翡翠を贈れた。
平塚川添遺跡は放置されたまま
ということは、日田方面にも邪馬台国軍は来ていない。
(☆日田は忘れ去られていた) 狗奴国王が筑後へと北上。
台与=神夏磯媛かもしれないし、台与の次が神夏磯媛かもしれないが、
東方を完全制圧した将軍(倭国王)が倭国帰還。
自らは大分から時計回りに進軍して、狗奴国王の退路を断つように
熊本から北上開始。
息子の部隊に北を押さえさせて、挟撃の構え。
これが鉄鏡回収作戦。
息子が危険を冒して暴走するアクシデントはあったが、
逃げ場を無くした狗奴国王は肥前川上にて討ち死に。
狗奴国滅亡。
(☆息をひそめていた日田は無事) 狗奴国王が西に逃げたので、日田は助かった。
その後、邪馬台国では親子喧嘩が始まったので、
恭順した日田はどさくさに紛れてお咎めなしで生き延びれたのだろう。
ダンワラ古墳に副葬したのは、用が無くなってしまったから。
おそらく筑紫の磐井が滅亡したことが関係している筈。 狗奴国王を討ち取ったものの、肝心の鉄鏡が見つからなかったので、
大王は激怒したのかもですね。
(捕らえて在りかを吐かせたかった)
ひょっとしたら、漢委奴国王金印の隠し場所も一緒に聞けたかも。 >>219
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>224
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 三国志の時代に倭王と倭国王を使い分けていただろうか?
それに日田はギリギリで邪馬台国側だろう。
平原遺跡の卑弥呼が翡翠に興味を示さなかったのは単に舶来品が好きだったで説明できてしまう。
そのほtの部分でも根拠のない妄想が多すぎるのではないか?
不確定な部分は不確定なままでいい。 >>242狗奴国で正しいのだろうか
全くダンワラの跡形がないから個人的な予想として
1 沖出の古墳を移送した、墓石の蓋を担架のように使った
2 海山幸彦が探したハリ国は日田のここであった
3 大乱時に誰かが隠したのがたまたま見つかった
4 その他
日田の鏡鏡は厚みが数ミリしかなかったというから
相当長い間つかっていたのだろうか
曹操の鉄鏡の厚みが知りたい所 書き忘れた
数年後か数十年後には
金印と同じく日田の鉄鏡も国宝となるかも
金印と同じくらい謎めいた議論を呼ぶ宝として 倭人字磚
楽浪海中倭人有
倭人伝より先に
倭人字磚に倭人の漢字が表記されている
台風のせいで寝れない >>209
邪馬台国の王の場合と狗奴国の王の場合それぞれ50%だろうな このスレだか前のスレに書かれてた金細工鉄鏡が
まさかまさか
曹操の宝の鉄鏡と同じとは
信じられない このスレだか前のスレに書かれてた金細工鉄鏡が
まさかまさか
曹操の宝の鉄鏡と同じとは
信じられない 宗教団体だか健康食品会社が復元してる奴でしょ?
ちょうどおととい見たわHPで >倭国伝と日本国伝に分かれてるのは、国名変更のあったとされる700年前後をまたいで遣唐使が送られたからだ
違う!
国名変更のあったとされる700年前後をまたいで倭国(阿波)から奈良大和への遷都が行われたからだ。 @阿波 >>234のスレから引っ張ってきた
743: 09/11(水)10:16 ID:fs0WYoDm0(1) AAS
曹操が皇帝にしか持つ事を
許さなかった鏡が
日本の日田にあるという事実が
明らかになった訳で、
その様な鏡を日本に贈る筈も無く、
長宣子孫と書かれている通り、
やはり、日本に来た安貴公が、
曹家の直系の子孫で間違いないのではないか。 >>260
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。
虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 鉄鏡がよく判らない人も興味もってほしい
25(4): 09/06(金)20:26 ID:ieEdgPWm0(1) AAS
●金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)
復元写真
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
大分県日田市日高町にあったダンワラ古墳から出土したと伝えられる弥生時代中期の鉄鏡。
金銀を象眼した鉄鏡は、日本国内ではこれしか出土していない。
中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』には、
魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたと記されており、
この種の鉄鏡は高位の支配層の所持物であったと考えられる。
1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で、線路の盛土を採集している際に
出土した石棺の中から発見されたとされる。
しかし、この鉄鏡は注目を集めることなく、行方も分からなくなった。
1960年(昭和35年)に京都大学の梅原末治が奈良の古物商からこの鉄鏡を買い取り
天理大学附属天理参考館に依頼して研ぎ上げると、
1962年(昭和37年)に金銀玉による模様が施されていることが明らかになった。
そこで、梅原は、発見者の渡辺音吉の案内のもとで現地調査を実施。
その結果、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出土したものと判断され、
その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。
ただし、発見から調査までの間に約30年が経過しており、
出土地点は前述の線路工事によって発見当時に破壊されていたため、
ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。 >>262この鉄鏡を話題にすると
正倉院はどうするんだろう
正倉院の鏡は・・・
書いたら駄目なのかな >>261
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 倭人字磚
弥生時代って時代を
もっともっと下げてよくないかな
縄文時代には倭人は海外と交流してたんだよね 弥生時代とは、九州北部に上陸した氏族が稲作と銅矛により福岡に倭国を建国し、それが拡大した時代。 >>268いいね
魏王=曹操
親魏倭王→だれなの?ヒミコ? >>272
面土(メタ)国王帥升。
場所は佐賀県佐賀県神埼郡吉野ヶ里町目達原 吉野ヶ里の王だったということ?
それとも吉野ヶ里の隣の国?
まあ、吉野ヶ里から1キロしか離れていないから同じ勢力だろうね。 >>274ありえるかも
脊振町も近くにあるけどセフリ=ソフリ=ソウルだからね
>>277
古代は倭国語と百済語に差がなかったらしいから。 >>278
上から下までみんな甕棺だろ。
三雲南小路遺跡は三種の神器や璧など、王位を示すものが複数あるから、倭王だろうね。 まさか
土壙墓石棺木棺
ごったまぜに同じ場所にあr
盛土のは別場所かなあ >>279九州は新羅、高句麗、百済、魏、秦とかのいろんな
文化文字発音が入り交じっていたのかな?
古代史なんて勉強してこなかったけど
九州の歴史はおもしろい
はまってるけど予備知識がなくてむずかしい >>279九州は新羅、高句麗、百済、魏、秦とかのいろんな
文化文字発音が入り交じっていたのかな?
古代史なんて勉強してこなかったけど
九州の歴史はおもしろい
はまってるけど予備知識がなくてむずかしい >>274佐賀県神埼町櫛田宮
福岡県も一目置く半端なく古い歴史の宮
博多祇園山笠の櫛田宮の元宮
櫛山のふもとにあるのも興味深い
櫛=クジ=亀旨
クジフル→クジセフリ
あり得ないかなぁ? あー書き忘れた
ヤマタノオロチの伝説もここにあるんだね
神埼町櫛田宮 日田から出た鉄鏡が重要視されれば、されるほど
日田、田川、英彦山(日子山)、藤原恒雄、宇佐神宮、香春神社
が取り上げられると思う
鉄や銅の産出地がどれだけ貴重だったか
九州の古代史は教科書が教えるもっと昔から栄えていたんだろうな 畿内政権が国内の銅の採掘に成功したのは和銅年間のこと。
しかし九州ではそれ以前から香春岳で銅の採掘が行われていたと考えられている。
つまり畿内と九州は別の国だったというわけさ。 >>279
そうじゃない。百済語を話せる倭人がたくさんいたという話だよ >>288
地名が百済語になるくらい?
事実上、2カ国の間に言葉の壁はなかったのではないか。 もしそうなら百済人と倭人の区別が付かないんじゃない?
百済は倭人の国、と書かれるでしょ 〜チョンコ(一般名:朝鮮ヒトモドキ)の「とりあえず何でも良いからウソをついてみるスタイル」を知ろう♪〜
ホモ・サピエンスがチョンコと遭遇した時に最初に驚くのは彼らの「ウソ」の多さでしょう。
小学校でチョンコと遭遇した者は「実は霊能力があるニダ」「実は王族の末裔ニダ」などという虚言を真顔で語る仔チョンコの姿にドン引きした記憶があるはずです。
中高でチョンコと遭遇した者は高級売春婦や高給労働者、密入国者をまるで戦争被害者であるかのように語る「被害者ビジネス」というウソの一端を垣間見た記憶があるはずです。
その他に「無能ヒトモドキ視点からの古代(誇大)史妄想(https://sites.google.com/view/jhistory)」をはじめ、チョンコ特有のウリナラファンタジーや朝鮮起源説というウソを本気で主張するチョンコをたびたび目にしますね。
どうしてチョンコロどもはウソばかりを平然と語るのでしょうか?
まず、思い出さなければならないのは私達ホモ・サピエンスと姿形はよく似ていますが、チョンコロは昆虫綱 ゴキブリ目 チョンコゴキブリ科 人型ゴキブリ属、一般名:朝鮮ヒトモドキという別種の生物であるという点です。
多くの哺乳類がそうであるように、チョンコにも独特の鳴き声があります。
それに該当するのがウソなのです。
チョンコロのウソはホモ・サピエンスのウソとよく似ていますが、一つ大きな違いがあります。
この違いを認識しておくと、チョンコロどものウソに惑わされると言った被害を最小限に抑えることがあります。
ホモ・サピエンスはウソに対して罪悪感を持っていますからバレるのを恐れ、なるべくバレないように真実味を加えてからウソを付くものですが、チョンコは一般的には無能として知られ、知能的には三歩歩くと忘れてしまうニワトリに近いとされています。
ですから彼らのウソには真実味が加えられていない、または自身で加えた真実味自体を忘れてしまうという特徴があるのです。
よってチョンコの吐いた言葉がウソっぽいなと感じたら、「それって証明できる?」と問い詰めてやりましょう。
この質問に即答できない場合は、ほぼウソをこきやがったと断定して間違いありません。 どこの基地外なのか知らないけど、
どう考えても末裔
そろそろ精神病に行ったほうが良いぞ 〜王族など
詳しいことは、わからないけど、
お金などを持っているという意味ではない
仏教、神仙〜?何なんだろう 王の子と書いて「王子」
王の国と書いて「王国」でしょ
日本の(でたらめ?)ハッタリなんてものは通用しないんだよ、
天帝、皇帝、大王・・・神になったり そのままでしょ、もともと中国の人みたいな話
『王の子』(女の子なら・・・王女、女王?) 〜チョンコ(一般名:朝鮮ヒトモドキ)の「とりあえず何でも良いからウソをついてみるスタイル」を知ろう♪〜
ホモ・サピエンスがチョンコと遭遇した時に最初に驚くのは彼らの「ウソ」の多さでしょう。
小学校でチョンコと遭遇した者は「実は霊能力があるニダ」「実は王族の末裔ニダ」などという虚言を真顔で語る仔チョンコの姿にドン引きした記憶があるはずです。
中高でチョンコと遭遇した者は高級売春婦や高給労働者、密入国者をまるで戦争被害者であるかのように語る「被害者ビジネス」というウソの一端を垣間見た記憶があるはずです。
その他に「無能ヒトモドキ視点からの古代(誇大)史妄想(https://sites.google.com/view/jhistory)」をはじめ、チョンコ特有のウリナラファンタジーや朝鮮起源説というウソを本気で主張するチョンコをたびたび目にしますね。
どうしてチョンコロどもはウソばかりを平然と語るのでしょうか?
まず、思い出さなければならないのは私達ホモ・サピエンスと姿形はよく似ていますが、チョンコロは昆虫綱 ゴキブリ目 チョンコゴキブリ科 人型ゴキブリ属、一般名:朝鮮ヒトモドキという別種の生物であるという点です。
多くの哺乳類がそうであるように、チョンコにも独特の鳴き声があります。
それに該当するのがウソなのです。
チョンコロのウソはホモ・サピエンスのウソとよく似ていますが、一つ大きな違いがあります。
この違いを認識しておくと、チョンコロどものウソに惑わされると言った被害を最小限に抑えることがあります。
ホモ・サピエンスはウソに対して罪悪感を持っていますからバレるのを恐れ、なるべくバレないように真実味を加えてからウソを付くものですが、チョンコは一般的には無能として知られ、知能的には三歩歩くと忘れてしまうニワトリに近いとされています。
ですから彼らのウソには真実味が加えられていない、または自身で加えた真実味自体を忘れてしまうという特徴があるのです。
よってチョンコの吐いた言葉がウソっぽいなと感じたら、「それって証明できる?」と問い詰めてやりましょう。
この質問に即答できない場合は、ほぼウソをこきやがったと断定して間違いありません。 〜チョンコ(学術名:朝鮮ヒトモドキ)が何でも朝鮮起源にしたがる理由を知ろう♪〜
一時期より減少したとは言え、無能ヒトモドキ(https://sites.google.com/view/jhistory)を筆頭にチョンコは何でも朝鮮半島由来にしたがる性質を持っています。
幼少期から刷り込まれる「日本の文化は全てウリ達が教えたニダ」という華夷秩序を土台としたミンジョク洗脳。
「元祖・本家以外に価値を見出させない」というチョンコ独自の価値観によって、関連性を感じると即座に朝鮮起源と思い込んでしまいます。
さらに「他者との比較が自己確立の唯一の手段」とするチョンコ特有の性質は「火病」の原因として有名な気質です。
以上3つの性質により、チョンコは何でも朝鮮起源にしたがるのですが、インターネットの普及や英語話者の増加に伴い、ミンジョク洗脳は高等教育を受けた者から順に徐々に開放されつあります。
また国際社会に進出した者達は起源主張が文化的に低俗であることを自覚し、常に日本を意識し続けることが卑しい行為だと認識し始めていますが、発言すればリンチに遭うので公言できないのです。
残念なことに、高等教育を受けた者や国際感覚を持つ者は韓民11%、朝鮮民6%、在日民2%と言われており、言い換えればチョンコ全体では10%に当たる725万人ほどしか自覚や認識が進んでいません。
また百済ヒトモドキは高句麗ヒトモドキに絶滅させられ、新羅ヒトモドキは自ら唐の奴隷となって文化風習を捨て、高麗ヒトモドキはモンゴル帝国にレイプされまくりで民族的形質を完全に失っているという事実を意図的に見ないようにしています。
しかし、一番の問題は「他者との比較が自己確立の唯一の手段」とする現生ヒトモドキ属の価値観にあります。
この価値観はホモ・サピエンスへの迷惑行為もさることながら、ヒトモドキ属社会にも大きな影を落としています。
韓国経済新聞/中央日報日本語版のコラムを読んでみましょう。
http://japanese.joins.com/article/029/204029.html
>特に韓国の人々は他人を意識して生きる傾向があり、虚礼虚飾もこうした傾向から出たものだ。
>これは奴隷のような人生だ。
>奴隷は主人を意識して生きなければならない。
ここからもチョンコには半万年の実績に基づいた「奴隷根性」が遺伝子レベルに深く刻み込まれていると言えます。 初代チョンコ=王もいなけりゃ法もない馬鹿ンチョンコ
ニセ代目チョンコ=ツングース系高句麗と馬鹿ン直系の百済チョンコと倭人ミックスの新羅チョンコ
三世代目チョンコ=モンゴルにレイプされまくった高麗チョンコ
四世代目チョンコ=大日本帝国によって与えられた教育によって中途半端なサル知恵をもった現生チョンコ >>300
名前が中華化する前なのに、けっこう日本語と違ってるからなあ >倭国伝と日本国伝に分かれてるのは、国名変更のあったとされる700年前後をまたいで遣唐使が送られたからだ
違う!
国名変更のあったとされる700年前後をまたいで倭国(阿波)から奈良大和への遷都が行われたからだ。 @阿波 奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354 >>303それも違う断定は出来ない
九州各地の仏像や宝物、奈良大仏作製の材料となる香春岳産出の銅、
(もしかしたら古墳内の遺体までも)
九州→四国→奈良や京都へと輸送しただけ
国の友好関係によっては日本海ルートから
九州→近江もあったかも知れない 唐の皇帝の前で倭国と日本国の代表が鉢合わせして口論となりつまみ出されたとか。 >>305
>九州→四国→奈良や京都へと輸送しただけ
??? 九州にはそんな痕跡なし!
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354 認めたくない気持ちだけは感じます
但し奈良の大仏を作る際に
香春岳の銅を輸送したのは事実です
奈良や京都の大仏に九州年号の入った仏像があるのも事実なんです
700年頃に四国から何を奈良や京都に輸出したのでしょうか
よかったら教えてください。 >>308
大きく四国というより、阿波限定。
仏教および寺院。 @阿波 >>308
大きく四国というより、阿波限定。 ただし、讃岐も阿波の内。
仏教および寺院。 @阿波 >>311
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 みやま市瀬高西の宮
丁寧に説明書きがある。
西の宮
物部阿志賀野神(もののべあしがのかみ)
この宮は、天慶神名帳に記載された山門二十六前の一つで、
[物部阿志賀野神]に比定されている物部氏族の先祖神を祀る宮で、
因幡家一族が、こうやの宮の祭事のあと祭祀をつかさどりました。
昔の屋代は素朴な稲藁と青竹の屋形で、こうやの宮の氏子によって造られていました。
古代人は石に神が宿ると信じ、御神体として石を祀りました。
ここの御神体は、葉っぱの化石 あるいは浮彫の人物かと思える模様のある石です
<南工区まちづくり協議会・みなみ地元学>
阿波さんのいう忌部って因幡と同じかなあ
見つけてきたから、ご褒美ください みやま市瀬高町こうやの宮
カッパ像と呼ばれている朱を全身に塗ったような人形
私はこれが倭人(志賀島の人?)と思う
銅の釧、土台の鹿の角の絵 >>314
>阿波さんのいう忌部って因幡と同じかなあ
その通り。
千葉県の印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。 @阿波 >>316もっとおもしろい話をしてくれ
印旛沼じゃなあ 朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。 忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。
忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。
「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。 「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。
櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。
さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。 つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。
「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。
これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。 つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。
もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。 大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。
徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。 両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。
矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。 時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。
矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。 @阿波 >>315続き
志賀海神社ファンならわかるけど
志賀海神社には鹿の角がたくさん保管してある
カッパ像の土台をよくみてよ
間違いなくこれは倭人、本当にこの色彩像は興味深い
地元の老人は昔は7体あったなんて言うんだよ
スレタイどうりみやま市と志賀島は本当におもしろいやろ
>>318阿波さん乙 >>318
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 三国史記→伊西古国
三国遺事→伊西国
伊蘇志は新羅の西、伊西古国から来たんだな
伊都国と伊蘇志は関係ないかもなあ >>321
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 日田の鉄鏡は五十迹手の真澄の鏡かな
もしそうなら福岡の伊都より伊田もあるかもねぇ こうやの宮の赤いカッパ像
私はこれを見たときに感動したんだけど
カッパ像=制圧される前の倭人=阿曇族や平群族=土蜘蛛
田油津姫や神夏磯姫も土蜘蛛だったろうし、
阿曇や平群が開発していった東日本
それを後の渡来系の人達が大和国家として背のりしていっただけなんだよね
阿曇は有名だけど
平群一族も凄い
とくに日本海側、石川県舳倉島や東北の戸倉や戸来も平群の開発だと思う
まあ私の妄想だけどね カッパさん、ありがとう
みんなにカッパだのイナカッペだの言われたかも
知れないけど
今の日本があるのもカッパさんのおかげもあるでしょう
影でがんばってくれてたんでしょう。
ほんとうにありがとう 九州倭国には数々の女帝がいたとされてますが
この中で古墳が特定されている女帝は
いるんでしょうか? 女帝の記録って具体的に誰?
畿内も九州も、古墳の被葬者は不確定。 実際記紀にも九州の女帝が書かれているし
倭人伝も普通に読めば九州女帝の卑弥呼だろ?
なにがみじめだよ?おい >>333
>倭人伝も普通に読めば九州女帝の卑弥呼だろ?
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、九州女帝の卑弥呼など居る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波 >>334
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>330
いや、俺も九州派だけどさ、記紀に卑弥呼はいないと思うんだ。 もし卑弥呼が土蜘蛛の一族ならば
日本書紀には載せたくない、隠しておきたい事実だろう
福岡の神社も何でもかんでも神功となってるけど
実際どうなんだろう
神功って書きかえておけば
許してもらえる暗黙の了解でもあったとか?
滅ぼした相手の神社は取り壊さずに封じる神をかぶせておく
相手が熊襲なら熊襲退治の神功を祭るのが筋というもの >>337
モモソが卑弥呼で実は九州にいたとかは? 日本書紀よると、百襲姫は大物主神の妻となったが、
大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、
翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、
百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、
大市に葬られた。
現代訳
百襲姫が大物主神の股間を見て
小さな蛇みたいと言ったために
大物主神は怒って百襲姫を箸で突いて殺害した
大物主神は神様ではない
殺人の犯罪者である おいおい
これからお前が大きくするんだよ
と余裕で見下ろす大物感はなかったのかな たしかに箸つかってるから魏志倭人伝の倭人じゃないにか >>344
なるほど!
確かに箸墓がある奈良が、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国と関係ない有力な証拠だな! 魏志に書いてあるのは「食事に箸は使わない」であって葬式用の箸には触れてないから いっしょうけんめい考えたんだろうなw
>葬式用の箸 >>346
儀式に箸を使ったと書いてあるのか?
畿内説が適当に言い繕うのはいつものことだけどさ。
呆れるよ。 >>348
箸は殷代に遺骨を拾うために開発された
食事に使われるようになったのはずっと後の話だよ ここは鋭い突っ込みする人いるんだな
箸にしろカッパ像にしろ
勉強になるわ
確かに倭人伝に
箸を使わないと書いてあるもんな 火葬は仏教の影響だけど、古墳時代を通じて火葬は普及していないな。
棺に入れて埋葬しているわけだからね。
もう、畿内説はグダグダたな。 そもそも日本書紀が書かれた時点では既に食事用の箸はあるから さあ、畿内説がチェリーピッキングの準備を始めました 馬具もそうだが、葺石の時点でアウト
箸、馬具、葺石、でスリーアウトチェンジ、試合終了 >>358
>馬具もそうだが、葺石の時点でアウト
古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、一目で「忌部はん」 のお墓と判るのに、いつまでもwww @阿波 >>357
当時は箸が無いとかいう発言が無意味という事だよ 箸 <魏志倭人伝には倭人は箸を知らないと
馬具 <魏志倭人伝には倭人は馬を持っていないと、世界最古の馬具
葺石 <魏志倭人伝には倭人は土を盛って塚を作ると 悔し紛れに無意味などと言い出したよ。
反論がないなら畿内説は否定されたものと考えるけど? 箸墓は箸があった時代および地域のもの
つまり箸が使われていなかった邪馬台国とは時代または地域が違う(どちらも違うかもしれない) 旧石器時代から始まっていて萎えた。
しかも縄文時代って、神武即位が縄文時代という設定じゃん。
トンデモ 畿内説は藁にもすがる気持ちでトンデモに頼り出したのだろうか? >>364
何か話がずれてると思ったら俺を畿内説派だと思い込んでるからか
箸は証拠にならないと言いたいだけで
畿内説を推す気はまったくないぞ その記事は、2660年前に即位した神武が箸を使っていたから、縄文時代から箸があったと読めるのだが?
そんなものはそれこそ根拠にならない。
縄文遺跡から箸が出た例でも紹介してくれ。 あ、やっぱりいいや。
例えば東北地方の縄文遺跡から箸が出ていても、そこが邪馬台国東北地方の関係ないということがわかるだけだ。
同じ理由で、箸墓は邪馬台国と関係ないな。
仮に縄文時代から箸があっても、そこは邪馬台国ではないだけだ。 日本に箸が伝わったのは,3世紀ごろの弥生にいなめ時代の末期ごろである。収穫感謝祭である新嘗桑4)に天皇が神に新しい穀類を供えるために,祭器用にピンセット状(図5)の折箸が使くぼてひらわれはじめた。
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/2246/1/001031120_17.pdf もう邪馬台国は福岡で確定でよろしいじゃろ
学校の教科書も書き換えてほしい
そして九州が倭国、倭国代表が九州北部沿岸一帯 >>373
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波 日本国より前に別の国があったということになるから、いろいろ都合が悪いのだろう。
大和の神武とは別に倭国があったなら、その国はどうなったの?
いつ滅亡したの? 【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。 >>374
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>375
>大和の神武
違う!
神武天皇が、山に囲まれた、不便でジメジメした湿地帯の奈良盆地へなど、行くわけない と、何度言えばw @阿波 ほんとうは日本書紀や古事記のもとになった書物も
存在していたかも知れない
それを知っていた人達は消され、書物も消され
それはそうとして
竹取物語の前半はどこに消えたんじゃろ?
なぜ切られてしまってるの? ブスばっかりの奈良や阿波おどりに女帝がいるわけない
福岡は松田聖子浜崎あゆみikkoなどなど
女の格が違う、なめんじゃねぇぞ
阿波おどりなんか観覧席の金の取り分で揉めてる
情けないのぅ >>380
阿波より進んだところがどこもないんだから、どうしようもない! くやしいだろうが、諦め給え。 わははははは @阿波 >>378
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>381
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 前すれのこれ好き
754(1): 05/19(日)17:02 AAS
現在の福岡県西区戸切町
戸切町は昔、平栗と表記されていて
もともとは、平群が訛ったものと言われています
この地域は日本最古の3種の神器が出てる吉武高木遺跡があります
日向峠、くしふる、飯森神社
ここが日本書紀に出てくる場所
755: 05/19(日)17:09 AAS
>>754
続けて
756: 05/19(日)17:56 AAS
筑紫の日向の立花の小戸のアワギハラ、ですね。
757: 05/19(日)17:58 AAS
飯盛山自体が御神体だった可能性もあり若杉山と同じように
福岡の古代史を語るには外せない地域と思っています。
758: 05/19(日)18:04 AAS
飯盛神社の隣が吉武高木遺跡ですね。
飯盛神社が古ければ、古墳を守っていた
墓守の神社だったかもしれません。
ここは糸島高祖神社の高祖山の反対側に当たります。
前すれのこれ好きの続き
758: 05/19(日)18:04 AAS
飯盛神社の隣が吉武高木遺跡ですね。
飯盛神社が古ければ、古墳を守っていた
墓守の神社だったかもしれません。
ここは糸島高祖神社の高祖山の反対側に当たります。
759(1): 05/19(日)18:16 AAS
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。 そして倭国大乱とは
田川の鉄や銅の取り合い戦争だったかもしれん
倭国大乱の最終的な勝者はタカミムスビの土地だった高良山を完全に掌握した高良玉垂命の一族。
高良玉垂命は高良山を中心とした筑後地域で現在でも信仰されている。 奴国の大山祇から伊都国への天孫族への王統交代が天孫降臨の真髄だよ。
どちらも筑紫の日向の小戸のイザナギの禊で生まれた倭王の一族だけどね。 博多湾沿岸の筑紫と有明海沿岸の肥国を統合したのが卑弥呼、そこから分離独立を画策したのが狗奴国。
それをさらにまとめたのが肥前河上の與止日女(壹與)。 >>386
鉄は朝鮮半島に取りに行っていたらしいから、国内では手に入らなかったのでは?
香春岳の銅は鏡造り神社があるから使われていただろう。 高良玉垂命に敗れたタカミムスビの一族は九州を出て行くことなったがヤマトの豪族達と次々と同盟を結んで国を大きくしていったのだろう。 まあ、筑紫から本州への遠征は何度もあったのだろう。
それこそ、玄界灘に伝来した稲作文化が波及したルートそのものでもある。 【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。
筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓ ↓
↓ 近江→尾張→伊勢→纏向
↓
宇佐→安芸・伊予→阿波・吉備→淡路島→摂津・河内
【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入
1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入
2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→3世紀初に畿内から庄内式土器が博多湾へ流入
3世紀末に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入
支配は西から東へ拡大し、土器などの産物は王都である筑紫へ >>390銅鏃で検索すればわかるけど
鉄鏃と銅鏃は同じような場所で発見されている
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page019.html
銅は鉄より入手場所が限定されると思うし
使用された時期も短期間だと思われます
何より天香久山では銅が取れたと万葉集にあるじゃないですか
海人族が銅釧と銅鏃を使ってても不思議ではないと思われます >>387地元では香春から高良の名前をつけたとか
同じ意味だという人もいるみたいです
香春=高良 >>384福岡県にも平群町があり
奈良にも平群町がある
奈良の平群町に菊理姫をまつる神社がある
この菊理姫が日繰姫と読めて気になる
福岡県平群が奈良平群をかいはつしていったのかな
とすら思ってしまう 土蜘蛛は鉱山労働者とその頭領のことだという説があるね。
景行天皇が倒した土蜘蛛の中に耳垂という邪馬台国の官が含まれている。 >>396
菊理媛命も倭国(阿波)。
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。
菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比盗_(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。 wikipedia
http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html @阿波 徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石
「稚宮(わかみや)神社」
祭神は、思兼尊・長白羽命です。長白羽命? と調べたら荒妙を織った神。 神麻績部の祖神とある。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/ 徳島県吉野川市山川町忌部山字白山
「白山(しらやま)比売神社」
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とあります!!
「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」です(*^_^*)♪
ここはイザナミ命の「遥拝所」・・・。
この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われています♪
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承があるそうです!! @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/ 官を爾支(にき)と曰ひ、副を泄謨觚(せもこ)・柄渠觚(へくこ)と曰ふ。
千余戸有り。世々王有るも、皆女王国に統属す
この一文は、伊都国は女王国の傘下にあると解釈していいのかな 魏略では、「其國王皆属王女也」とあり、
「其國王皆」→「世有王皆」と陳寿は改変したが、同じ意味だろう >>403
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係 ここでいう「忌部一族」とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
「忌部一族」とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波 >>406
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係 >>406
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係 妄想癖の泡チョンコにも理解できるように2回連投してやりました笑 忌部って弥生時代より後でしょう
島根鳥取からの流れでしょう >>410
今の島根鳥取があるのは、出雲忌部のお陰! 阿波に向かって拝礼! @阿波 >>411
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 奥山くん、幸せでよろしいですね、
幸せは誰かの犠牲になりたってるか、ボケの進行です。
趣味程度の5ちゃんでいいと思いますがーーーー
5ちゃんに人生かけるほどのちしき 奥山君
とにかく、趣味程度の知識なら5ちゃんでいいでしょう
5ちゃんから離れられないのが残念です
ご自身の、HPをなぜ立てないのですか??????????????????????? ・奥山くん5ちゃんでしか、自己表現できないのが残念です。
邪馬台国畿内説のキラリと光るブログ立てないのばなぜですか?
こんなところで遊んでるだけの知識では攻撃を受けますよ。
私は貴君ほど粘着しないで5ちゃんで遊んでますが・・・
人権板おもしろいですよ・・・・・ >>415
宮中祭祀には、今もって粟(アワ)を必ずお供えする。 米とは同等以上の扱いとなっている。 @阿波 >>419
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの思い込みに一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑) 全国各地に、今もって忌部の地名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 >>421
阿波忌部(自称であって同族ではない)笑 前スレから
68(1): 2018/11/06(火)17:01 AAS
>>52横からすいませんが
私は、阿波の丹だけでは
倭人の身体に朱を塗る風習や古墳内に塗る量に
到底追い付かないと思うのです。
まず、みやま市こうやの宮の色彩像を見て下さい。
真っ赤に塗られた横にマッチョな色彩像を。
私は、これが倭人の戦士か海人族と思うのです。(たぶん海人族)
倭人は沢山の朱を使っていたはずです。
しかし阿波で発見された丹洞窟内は狭く長さも20m無いと記憶してます。
これでは四国内での消費量にも足りたのか疑問に思います。
古墳に使用した量だけでも阿波朱じゃ足らないはず。
きっと日本国内に他に鉱山があったはず。
中国から輸入していた説もあるでしょうが
あの色彩像をみる限り、国内で容易に調達できたと思っています。 >>423
>しかし阿波で発見された丹洞窟内は狭く長さも20m無いと記憶してます。
残念ながら君は、辰砂採掘がその坑道だけと思っているようだね。 あの一帯は、採掘跡だらけだよ。 一度「若杉山辰砂採掘遺跡」の見学をお勧めします。 @阿波 前スレから
120(1): 2018/11/09(金)20:52 AAS
筑紫忌部族は久留米の高良玉垂の子孫
よく判らないのは高良大社と香春神社の関係性
九州の詳しい人がいたら教えて下さい
123(1): 2018/11/09(金)23:49 AAS
>>120
筑後一宮高良大社の末社はおしなべて武内宿禰を祭り神としているため、高良の神とは武内宿禰のことと考えられます。
筑前一宮住吉神社の住吉の神も、武内宿禰のことと言われます。仲哀天皇の崩御の夜に神功皇后との間に密事ありと伝えられます。
つまり4世紀末において、筑前筑後を支配した筑紫の倭王こそ、武内宿禰です。
密事から十月十日後に誕生した応神天皇の家系が、その後の倭国の正統とされています。 >>425
>筑後一宮高良大社の末社はおしなべて武内宿禰を祭り神としているため、高良の神とは武内宿禰のことと考えられます。
どちらが信憑性が高いだろうか?
武内宿禰の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
武内宿禰の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、武内宿禰の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。 @阿波 蘇我、葛城氏のおこりはそれぞれ、蘇我石川宿禰と葛城長江曽都比古となるが、ともに武内宿禰の子。
武内宿禰は、第八代孝元天皇と伊迦賀色許売命との間に生まれた彦太忍信命(ひこふとおしのま)の子とある。
また伊迦賀色許売命は、次帝の開化天皇の妃ともなり、崇神天皇を生み、、その崇神天皇は孝元天皇と波邇夜須比売(はにやすひめ)との間に生まれた
建波邇夜須比古(たてはにやすひこ 武埴安彦)との皇位争いに勝利し、閨閥を拡げていったのである。
もちろん、伊迦賀色許売命も倭国(阿波)の忌部の郷に日本で唯一祀られている。 @阿波
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html 「式内社 伊加賀和志神社」
なぜか、このよう ↑ に読めてならぬ、、。 そう読める気持ちはよくわかる。 わははははは @阿波 >>431
阿波にはこんな「伊加賀和志」そうな神社がゴロゴロしているんだよ。 なんでと思う? わははははは @阿波 >>433
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよマヌケ(大笑) >>431
阿波にはこんな「伊加賀和志」そうな神社がゴロゴロしているんだよ。 なんでと思う? わははははは @阿波 アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑) 卑弥呼はどのようにして部下を食べさせたのか
倭人は朝鮮で鉄を購入する際に何と交換していたのか
鉱物しか考えられない
銅と金 >>437
>鉱物しか考えられない
>銅と金
それ、8世紀以降の話でしょ? @阿波 >>437
絹と翡翠っしょ
特に絹は中国が三国戦乱だから高く売れただろう
戦争特需 歴史】三橋貴明「邪馬台国は九州」「畿内説は自虐史家たちの政治的意図を感じる」「Y遺伝子、大陸と日本人は全く似ていない」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1570715650/l50
経世史論の特別コンテンツで、なぜ長浜先生に「邪馬台国はどこにあったのか?」「日本人はどこから来たのか?」についてご解説頂いたのかと言えば、我が国の古代史には、
1. 自虐史家(戦後の日本の歴史学者の多数派)が日本書紀、古事記を全否定し、神武天皇から開化天皇までの諸天皇は「いなかった」と決めつけている
2. 狩猟採取が中心だった縄文時代の日本に、紀元前200年頃に大陸から渡来人が多数襲来し、水田稲作を伝え、渡来人の子孫の「弥生人」となった
という、完全に間違った「通説」が、あたかも真実のごとく流布してしまっているためです。
特に、「邪馬台国畿内説」「邪馬台国東遷説」は、日本の建国を「邪馬台国」としているため、建国時期を200年以上も後ろ倒しにできます。
卑弥呼の死は西暦247年頃ですが、卑弥呼と何と「天照大神」を同一視する論調までもがあり、しかも結構広まっているのです。(井沢元彦らによる)
実際には、邪馬台国は九州の「旧・山門郡」にあり、卑弥呼の時代の三世紀ほど前に、神武東征が実際にあった。
大阪平野の変遷が、神武東征の時期(紀元前50年以前)を特定したのですが、相変わらず邪馬台国畿内説や東遷説が消えません。
開化天皇以前の天皇(特に神武天皇)を否定したいという、自虐史家たちの政治的意図があるとしか思えないのです。
「新」経世済民新聞 2019年10月6日 >>438
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑) 945: 10/12(土)12:47 ID:/7sWBArh0(1/2) AAS
剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。関八州は古来尚武の地であった。
武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。
(思文閣出版『原田伴彦著作集1』原田伴彦/大阪市立大学名誉教授/佐賀県出身)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
この点はこののちずっと古代を通じてたいしてかわらない。
(吉川弘文館『古代の帰化人』関晃/歴史学者/熊本県出身)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
(朝日選書『日本人のきた道』池田次郎/京都大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い。
(講談社『日本人の起源』中橋孝博/人類学者/奈良県出身)
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎/人類学者/福岡県出身)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗/兵庫医科大学名誉教授) マジで台風と雨がヤバイ
川が決壊するかもしれん
未だ見ぬ猛き濁流に流されん
濁りし我が魂(たま) せめて清らに ヤタガラスって誰
真っ黒に汚れた人?
鉄鉱石採掘してた土地に詳しい人? 饒速日より先に筑紫から関西に入植して開拓をした人物。
又の名を三島溝杭耳、鴨の神。
一族に長髄彦や五十鈴姫(神武の妃)がいる。 >>446
>筑紫から関西に入植して開拓をした人物。
その根拠は? @阿波 大ヤマツミの息子とされている。
大ヤマツミは別名をワダシの神、綿津見。志賀島の豊国王家、海神族だよ。
息子は大阪の三島の神、京都の上賀茂下鴨神社の神だよ。
愛媛の大ヤマツミ神社は息子が父親を祭った神社。
瀬戸内ルートの開拓者だね。
後に一族の者が阿波も開拓したはずだが? >>448
>志賀島の豊国王家
その根拠は?
>大阪の三島の神、京都の上賀茂下鴨神社の神だよ。
その根拠は? @阿波 >>448
御祭神を豊玉比賣とする神社は、全国各地に鎮座しているが、 豊玉比賣を冠する延喜式式内社「豊玉比賣神社」は倭国(阿波)にしかない。
なぜか? あとは推して知るべし。 @阿波 二つの延喜式式内社「豊玉比賣神社」
一つは「天石門別豊玉比賣神社」(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)
一つは「和多都美豊玉比賣神社」(わだつみとよたまひめじんじゃ) @阿波 賀茂建角身命
大和の葛木山から山代の岡田の賀茂(岡田鴨神社がある)に至り、葛野河(高野川)と賀茂河(鴨川)が合流する地点(下鴨神社がある)に鎮まった。
平安京遷都より前から鴨の一族は山城国を治め、平安京遷都後は賀茂神社の祭祀は葵祭として知られている。
賀茂建角身命の別名には八咫烏、八咫烏鴨武角身命、三嶋湟咋、三島溝咋、三島溝橛耳神、陶津耳命、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇がある。
天津神に分類され、対馬海峡を中心とする天津国(倭国)の一族である。 天津国
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
天津神(天皇家の祖先)が治める天津国すなわち倭国は対馬海峡にあり、王都は後漢書では倭奴国、記紀では筑紫の日向、すなわち博多湾沿岸とされている。 「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」
鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650
御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、
更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。「徳島県神社誌」
京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば
「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。 @阿波 御所市高天の高鴨神は、阿波国加茂の「鴨神社」からの勧請である。
「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。
阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。
その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。 @阿波 「郷社 下加茂神社」
鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492−2
御祭神 玉依姫命
※玉依姫は、阿波国加茂の「鴨神社」の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。 @阿波 阿波國加茂に鎮座する「鴨神社」、阿波國加茂野宮に鎮座する「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮であろう。
「事代主の神孫、鴨王是也」 鴨族の王の祀られている所(阿波国三好郡加茂村)がいわゆる本家、本元となる。
京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。
その京都上賀茂神社は「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味である。 @阿波 >>455
>鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。「徳島県神社誌」
神武天皇の東征(鴨こと八咫烏が助けた)と比べて随分と後世だねえ。 神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。
神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。
東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。
西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳で、 中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。
竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m、 墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が晶片岩で覆われている。
石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。
石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。
棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土、棺外からは鉄槍や土器が出土した。
3世紀半ばの築造と推定されている。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 阿波は天富命や天日鷲神がやって来て開拓したとある。
要するに植民地。
ところで天富命は登美の長髄彦やその祖である賀茂建角身命と関係するのだろうか? >>461
>阿波は天富命や天日鷲神がやって来て開拓したとある。
斎部 広成の怒チョンボ。 @阿波 神武を佐けた霊剣・建布都神は、戦闘の地、吉野川北岸阿波市の「建布都神社」で祀られている。
「建布都神」の陵墓は「阿波市 伊笠山」山頂。
一方、長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。 長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波 ホケノ山古墳の工法も石材(青石)も水銀朱も土器も鉄器も銅鏡もその他諸々、全部倭国(阿波)の産物。
ホケノ山古墳は神武東征により、鳴門市萩原地域を脱出して大和へ逃げ込んだ登美能那賀須泥毘古の墳墓の可能性が高い。
ちなみに、登美能那賀須泥毘古の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、「黒谷川郡頭遺跡」が本拠であろう。
周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残っている。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>465
忌部の本家が、大和だと勘違いしていること。 @阿波 >>453-454
なるへそ勉強になりましたm(__)m
賀茂一族はどこにいたの?
遠賀川下流? >>467
大ヤマツミつまり志賀大明神を祭っているので、遠賀川に移動する前に志賀島にいた頃に別れた分家ではないでしょうか。
いわゆる海人族ですね。
だからこそ瀬戸内ルートの開拓も可能だったわけです。 大ヤマツミは不明な点も多いが綿津見と兄弟で志賀島の海神族、自身も別名 和多志大神という。
全国各地で祭られていますが、本拠地は志賀島。
その証拠に、天孫ニニギが筑紫の日向つまり伊都国に降臨した後、娘の木花咲耶姫を娶らせています。
これは日向三代の歴史がほぼすべて博多湾沿岸の出来事であったということ。
伊予の大ヤマツミ神社が有名ですが、そちらは息子の賀茂建角身命が父親を祭ったもののよう。 ちなみに兄弟で海と山を分け合うのは、海幸山幸(大ヤマツミの孫)や、天照と大国主にも見られます。 >>472
>大ヤマツミは不明な点も多いが綿津見と兄弟で志賀島の海神族、自身も別名 和多志大神という。
>全国各地で祭られていますが
御祭神を豊玉比賣とする神社は、全国各地に鎮座しているが、 豊玉比賣を冠する延喜式式内社「豊玉比賣神社」は倭国(阿波)にしかない。
なぜか? あとは推して知るべし。 @阿波 土蜘蛛が初期倭国の女王
日本書紀古事記は土蜘蛛を制圧して、
古代倭国の歴史を背のりしていった土蜘蛛以外の種族の編纂物語集
古代倭国は土蜘蛛九州
やまとは、各地の王が会議をしたところ >>475
>古代倭国は土蜘蛛九州
いくら言い張っても、碌な鍛冶炉遺構弥生集落遺跡や資源の無い九州に、「古代倭国」など興る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を倒し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵した。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め(宇佐神託事件など)、八幡神社は全国で最多の神社となった。 『大分宇佐八幡宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。 御祭神は、誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)。
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略
大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐八幡宮も、 阿波国『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波 アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑) 熊襲とはクマソでいいのかな
熊=神と同じなんだろ
熊襲=神襲=神祖にはならないのかな
神祖ならカッコいいけど
神襲なら罰当たりだなぁ 記紀の中に書かれている時代は畿内も含めてみんなそうだろ。 >>483,484
虎になりたいと泣きわめくメス熊とファックする話しを持ち出すなよ気持ち悪い >>487
槨墓でも無槨墓でも、阿波にはなんでもあるよ。
「古墳のルーツも倭国(阿波)」
「土壙墓」も「甕棺墓」も「木棺墓」も「石棺墓」も「配石墓」も「方形周溝墓」も「円形周溝墓」も「突出型墳丘墓」も「円墳」も「前方後方墳」も「前方後円墳」も
何故か、すべて在るのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 >>488
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑) 佐賀県に天山があるのをご存じだろうか
脊振山山系の1つですが、
天山の山頂は平地なみに広く景観が素晴らしい
南には吉野ヶ里遺跡や神崎があり
北は唐津糸島となる
隣は高取山
もしかしたらこの山頂平野は・・・ >>821
超高圧の実験が今成されていて
例えば気体の酸素に6GPa(6万気圧)の
超高圧を掛けると気体が固体に変化する。
現在100万気圧を目指して研究が進められていて
最終的には、現在地球上に存在しない物質や
超高圧による分子結合の変化もしくは
原子結合の変化を目指してるが
木材についても超高圧の研究が成されていて
既に超高圧による材質変化で金属並みの
強度を持った超木材が研究所ベースでは
生み出されているよ
これは、木材であって木材では無い。
材料工学に革命を起こしかねない状態なんだよ 天の香久山
カグとは銅の意味だからね
これにピッタリくるのは日本に2つだけ
佐賀の天山と福岡の香春岳だ
福岡香春岳の麓には古宮八幡があります
この古宮八幡は宇佐神宮の元宮と言われています
八幡とは八百万(やおよろず)の秦の意味だろうと言われ
古代の秦氏一族のことです 九州の人はすべてを知っている
だから古代の天皇は九州を避けたんじゃろ
天〇は、いにしえの新羅の人なり
ネットでいいから調べてみなはれ >>493
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>494
何の根拠もないチョンコロ妄想にはもうウンザリ >>492日本@名無史さん2019/10/22(火)
>天の香久山
>カグとは銅の意味だからね
>これにピッタリくるのは日本に2つだけ
>佐賀の天山と福岡の香春岳だ
なるほど天山は、由緒ある名前とは思っていたがそうなのか。
で重ねてだが、天山でもカグ=銅が取れる(取れた)ということなのかなあ。 >佐賀の天山と福岡の香春岳だ
ああ、この2つを結ぶゾーンが邪馬台国の中心部なのか。
納得。 >>498
アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、
ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申
天山 (釋日本紀 卷七)
伊予の國の風土記に曰はく、
伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。
この天の山に関する逸文は「阿波」と「伊予」の風土記にのみ見られるものであり、二つを合わせてみると、
まず、「天」があり、そこから「阿波」に降り下った山が「元山」であり、その元山から砕け別れ着いた山が「倭」の「香具山」である。
「伊予」の「天山」は、倭の香具山の兄弟山で、親山は「元山」ということになります。
伊予國風土記には、「大和」ではなく「倭」と記されていることにも注目する必要があります。
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。 @阿波
「阿波国風土記」 https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa
「阿波国(あわのくに)」 https://enkieden.exblog.jp/23480944/ アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、
ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申
天山 (釋日本紀 卷七)
伊予の國の風土記に曰はく、
伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。
この天の山に関する逸文は「阿波」と「伊予」の風土記にのみ見られるものであり、二つを合わせてみると、
まず、「天」があり、そこから「阿波」に降り下った山が「元山」であり、その元山から砕け別れ着いた山が「倭」の「香具山」である。
「伊予」の「天山」は、倭の香具山の兄弟山で、親山は「元山」ということになります。
伊予國風土記には、「大和」ではなく「倭」と記されていることにも注目する必要があります。
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。 @阿波
「阿波国風土記」 https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa
「阿波国(あわのくに)」 https://enkieden.exblog.jp/23480944/ @ 天皇の稱號(しょうごう) (萬葉集註釋 卷第一)
阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知(やまとのしきのみづがきのみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知(なにはのたかつのみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知(ひのくまのいほりののみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 云。
@は、崇神天皇、仁徳天皇、宣化天皇 の称号です。
通説では天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、その地誌で、何故、天皇の称号について書かれるのでしょうか?
役人が天皇に献上する書です。上記の天皇が阿波に関係なければ、書けるわけがありません。「お前、何書いとんねん!」では済まないのです。
※各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。 @阿波
「阿波国風土記」
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa >>500
>伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由>は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降>>りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。
ここの「倭」とは九州倭国の事であり、
「倭に天加具山(あめのかぐやま)あり」は、田川の香春岳又は佐賀の天山のことと解すればナットクされる。 >>503
>ここの「倭」とは九州倭国の事であり、
根拠無し!
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 風土記・古事記で倭と書かれているのは実は九州倭国のことで、
これを日本書紀では、大和に書き換え、整合性が取れるように大和に天香具山をしつらえたのか。
そうすると、奈良盆地の朝倉ほか一連の地名群も大和朝廷の作ということになる・・・? >>505
まったく根拠無し! 言い張るだけ! わははははは @阿波 >>500
泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑 >>501
泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑 >>502
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって >>504
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって >>506
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>503全く同じ事思った
阿波さん良いヒントありがとう >>497そう思うかい
ならば伊勢神宮について書いてみよいか 伊勢神宮の裏手に「禁裏の森」という
一般人立ち入り禁止の広大な森があります。
ここの森の名前は高麗広というんです
高麗広の敷地には五十鈴川が流れ、
韓神山という小さい山があります
韓神山には、古墳もあり韓神乃社が建っています。
つまり・・・
全国で唯一、饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)。
延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。その論社が徳島県旧麻植郡山川町村雲にある「天村雲神社」である。
祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。
「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。
「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。
「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 @阿波 「伊勢神宮」
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。 @阿波 >>519
根拠を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 「天岩戸別神社」は徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋に鎮座し、ご祭神「手力男神」が祀られている。
この神(「手力男神」)は「古事記」に天岩戸を開けた神として書かれ、「佐那那縣(さなながた)に座す」と書かれている。
佐那河内村は、古く「佐那県(さなのあがた)」と称されたと「村史」に書かれ「古事記」と一致する。
その上、西に山を越えると天岩戸立岩神社があり、徳島市には式内社の天石門別矢倉比賣神社と天岩戸別豊玉比賣神社が鎮座することは、
天孫降臨の地が、阿波であると言わざるを得ない。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>516「天村雲命」は,
饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。
これ、まるっきり福岡県田川に当てはまる気がする
穂屋姫って...
阿波を掘れば良いヒントがたくさんありそう。ありがとう >>523
>これ、まるっきり福岡県田川に当てはまる気がする
気がするだけじゃ、だめだよ! わははははは @阿波 MikS の日記より
>畑井弘氏の『物部氏の伝承』を読んでいた時のことである。
畑井氏は、元来は日本の中世史の専門家で、甲南大学で長らく教えていた人のようだが、
その本の中に、また舒明天皇のあの歌が出てきたのである。そこで問題とされているのは「可怜」の解釈である。
氏によると、これは朝鮮語で銅をあらわす「カレ(カリ)」の表音表記なのだという。少し引用してみよう。
「「可怜国曾」は「カレ(カリ)ノクニゾ」、すなわち、「カル(軽・銅)の国ぞ」の意である。
…軽(カル)・刈(カリ)…香具(カグ・カゴ)など、記・紀・万葉に頻出するこれらの語は、すべて銅の古語であり、
朝鮮語の「구리」(kuri)(銅)を語源とするのである。
「可怜」もまたその表音表記法の一つであって、
息長足日広額天皇(舒明天皇−引用者注)が香具山に登って望国をして歌ったというこの歌は、
ヤマトは鍛冶神を奉ずる鍛冶王の国「軽(可怜)」の国」、「銅の国」なのだぞ、という鍛冶神讃歌にほかならない、
このように私は解釈している」(同書講談社学術文庫版46頁)。 香久が銅の意味なら、九州の香春山が香久山であったということですんなりいくな。 >>525田川の香春岳、香春町は不思議だなあ
オモイカネ、マガリカネは純金の意味にならないかね? 思金神:
>是を以ちて八百万の神、天安の河原に神集ひ集ひて、
高御産巣日神の子、思金神に思はしめて、常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、
天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、
>鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、・・
天安河の河上の堅石を取りて、は場所不明・案無し。
天の金山の鉄を取りて、のくだりの鉄は、鏡の原料の銅の事で、、其の山は香春岳か佐賀の天山だったのではないか。
で、 その「天之安河」がまさに「鮎喰川」なんだよ。 そして、「高天原」が神山一帯の四国山地。
邪馬台国と狗奴国は激しい戦闘を繰り広げている。
狗奴国の軍勢は、鮎喰川下流の邪馬台国王都に攻め込み、鮎喰川上流の神山まで押し寄せている。
そこで、邪馬台国側は吉野川流域の勢力を味方につけ、狗奴国軍を押し戻し、打ち破った大戦争。
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>513
泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑 >>516
泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑 >>517
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって >>520
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって >>522
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>524
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>530
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロ笑 思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロ笑 >>530アユ食い川の名前が雅やかでないね
田川の川の、「山の神川」が相応しいでしょ
田川郡の川は名前もカッコいいからね、調べてね 阿波は、吹きまくった福津説が危うくなり、
けなされるたび、あっちのスレこっちのスレと飛び回り、火消し・弁明・言い訳に大忙し、、、 >>540
泡チョンコロの番犬さん、大忙しだね。 よほど、泡チョンコロが気になるようだね。 頑張ってね。 わははははは @泡チョンコロ >>541
泡チョンコは自スレで妄想語ってホルっとけって笑 >>542
君がかまってくれるから、絶対いや! わははははは @泡チョンコロ けなされるたび、
あっちのスレこっちのスレと飛び回り、火消し・弁明・言い訳に大忙し、、、 >>544
泡チョンコロの番犬さん、大忙しだね。 よほど、泡チョンコロが気になるようだね。 頑張ってね。 わははははは @泡チョンコロ >>545
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロ笑 >>500誰がよんでも倭に香久山があったと書いてある
福岡説にとっては良い資料ですね、ありがとう
>>514続きを少しだけ
つまり、伊勢神宮がこの地を乗っ取ったか、継承したのか
わからないけど
韓神の神社と古墳から見ると
先に韓神の一族(たぶん新羅、太陽信仰がかぶる為)が
先にこの土地を開発したと思われます
もし暇なら伊勢神宮で奉納される能の歌詞を調べて下さい
何の題目かは失念しましたが
韓神を敬う歌詞を歌っています。 >>500誰がよんでも倭に香久山があったと書いてある
福岡説にとっては良い資料ですね、ありがとう
>>514続きを少しだけ
つまり、伊勢神宮がこの地を乗っ取ったか、継承したのか
わからないけど
韓神の神社と古墳から見ると
先に韓神の一族(たぶん新羅、太陽信仰がかぶる為)が
先にこの土地を開発したと思われます
もし暇なら伊勢神宮で奉納される能の歌詞を調べて下さい
何の題目かは失念しましたが
韓神を敬う歌詞を歌っています。 >>500誰がよんでも倭に香久山があったと書いてある
福岡説にとっては良い資料ですね、ありがとう
>>514続きを少しだけ
つまり、伊勢神宮がこの地を乗っ取ったか、継承したのか
わからないけど
韓神の神社と古墳から見ると
先に韓神の一族(たぶん新羅、太陽信仰がかぶる為)が
先にこの土地を開発したと思われます
もし暇なら伊勢神宮で奉納される能の歌詞を調べて下さい
何の題目かは失念しましたが
韓神を敬う歌詞を歌っています。 >>500誰がよんでも倭に香久山があったと書いてある
福岡説にとっては良い資料ですね、ありがとう
>>514続きを少しだけ
つまり、伊勢神宮がこの地を乗っ取ったか、継承したのか
わからないけど
韓神の神社と古墳から見ると
先に韓神の一族(たぶん新羅、太陽信仰がかぶる為)が
先にこの土地を開発したと思われます
もし暇なら伊勢神宮で奉納される能の歌詞を調べて下さい
何の題目かは失念しましたが
韓神を敬う歌詞を歌っています。 伊予の国「天山」
>Part1
>記紀に現れた伊豫のなかに、逸話として次の記載があります。
「伊豫の国の風土記に曰く、伊与の郡。郡家より東北のかたに天山あり。
天山と名づく由は、倭に天香具山あり。
天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂う。
>天山の所在地は:松山市天山町
天香具山の所在地は:奈良県橿原市南浦町
天山・天香具山両神社の祭神が共に「天櫛真知命」である・・偶然か
片端は倭の国に天降りの倭は、そもそもは九州倭国の事だったのではないか、それを記紀の編者は・・・
九州に「天櫛真知命」を祀る古社はないか・・・?? 天山神社由緒と沿革:
小城市小城町(上宮1社、下宮2社あり)
御祭神:多紀都昆賣命、市寸島昆賣命、多紀理昆賣命
祭礼日:5日1日・春季大祭(御田祭)、10月15日・秋季大祭(現荏は、15日に近い日曜に行う場合もある。)
境内社:天照皇太神宮、七面天王、安国神社、忠霊殿
御祭神は宗像三女神ではないか。すると銅に関連する神社の可能性あり。
香春岳:
>香春岳は日本の古代史や仏教史、また中世の戦国史上に残る歴史の山である。
>調べていくといろいろと興味深い。
>新羅からの渡来人が香春に住み着き、香春岳から産出する各種金属を精錬生成し、
>その高度な技術から神と崇められた。
>この地の銅は、その後奈良の大仏造営の時にも大量に供出されたという。
倭の天香具山とは、九州倭国の香春岳だったと考えた方が合理的ではないか、、、 >>500
>伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。
>天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
>天より(≒新羅より)天降りし時、二つに分れて、片端は(九州の)倭國に天降り、
>片端は此の土(伊予)に天降りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。 >>553
>倭の天香具山とは、九州倭国の香春岳だったと考えた方が合理的ではないか、、、
単なる妄想は合理的でない! 却下! @阿波 アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、
ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申
天山 (釋日本紀 卷七)
伊予の國の風土記に曰はく、
伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。
この天の山に関する逸文は「阿波」と「伊予」の風土記にのみ見られるものであり、二つを合わせてみると、
まず、「天」があり、そこから「阿波」に降り下った山が「元山」であり、その元山から砕け別れ着いた山が「倭」の「香具山」である。
「伊予」の「天山」は、倭の香具山の兄弟山で、親山は「元山」ということになります。
伊予國風土記には、「大和」ではなく「倭」と記されていることにも注目する必要があります。
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。 @阿波 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 天皇家が九州出身ならば、古代から続く天皇家祭祀(践祚大嘗祭等)で蚊帳の外にはならない。 推して知るべし。 >>555
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロが一人前の口叩くなよマヌケ >>556
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンコロが一人前の口叩くなよマヌケ >>557
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>558
宇佐神宮の権威は絶大で、長らく新しく即位した天皇は宇佐神宮に勅使を立てるのが習いであった。
また、宗像大社の沖ノ島の祭祀も国家的規模で行われていたとされる。 >>563
>長らく新しく即位した天皇は宇佐神宮に勅使を立てるのが習いであった。
あっ、それね。 大分の宇佐神宮じゃないから! 阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』だから、勘違いしないように!
『大分宇佐八幡宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。 御祭神は、誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)。
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略
大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐八幡宮も、 阿波国『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波
>>564
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww 宇佐八幡のもともとの神は北辰殿の神である北辰(北極星) >>566うわぁ本物の人キターーー
古宮八幡や宇佐神宮が話題に出るなら・・・聞いてみたい
前から気になってる古墳
凶首塚と百人の隼人が埋められたと伝わる塚
まさかと思うけど卑弥呼の百人と被る気がして。
なんで隼人なんだろう?
詳しい人がいたら教えてください。
m(__)m レスないか・・・
凶首塚は横穴石室で言い伝えとは年代が合わないし
百体社は誰も掘り返して調べてないし・・・
謎だなあって思ってたんだけど・・・ 中学生や高校生が使う教科書に「尖閣諸島は日本固有の領土」と明記されるようになったが、これには大きな問題がある。
なぜかというと、例えばこの教科書を使って授業をやると、授業中に生徒たちが「尖閣諸島は何県にあるんですか?」と質問される可能性があり、
そうすると先生方は「沖縄県にある」と答えるしかないが、生徒たちから「じゅあ沖縄は日本固有の領土なんですか?」とさらに質問されたら先生方はなんと答えていいのか分からず、答えに窮することになる。
仮に先生方が「沖縄は日本固有の領土です」と回答したら、生徒たちから「沖縄は140年前に日本政府が軍隊を動員して併合するまで琉球王国が統治していたわけだから日本固有の領土ではないのでは?」と突っ込まれ、先生方はこの突っ込みに対して否定することはできない。
結局、歴史の事実から目を背けることはできないし、生徒たちに嘘を教えるわけにはいかないので、先生方は「その通りです。沖縄はもともと琉球王国が統治していたから日本固有の領土ではありません」と答えるしかなくなる。
そうなると、生徒たちが「それなら尖閣諸島はその沖縄に含まれるので、尖閣諸島も日本固有の領土ではないのでは?」とさらに質問されたら、先生方は「そうですね。尖閣諸島は沖縄県に属するので日本固有の領土ではありません」と答えるしかなくなる。 隼人ってハヤトなのかな?
いつからハヤトって言ってたのかな
古代の日本はカ行とハ行が同じ読み方だって聞いた
神→カミ、ハミ
蛇→カカ、ハハ
ハヤトはカヤトにならないかな >>571
> 古代の日本はカ行とハ行が同じ読み方だって聞いた
ソースは? 百済語でナラは国の意味
ウリナラのナラも同じ
奈良は百済の移民疎開地
玉虫の厨子に玉虫を使ったのは、害虫が寄らないように。
昔は着物を仕舞うとき
紙に包んだ玉虫をいっしょにいれていた
玉虫には防虫効果あった 古代は
文字と歯がなかったから
カキクケコとハヒフヘホは同じように聞こえたんだよw
ソースは色んな本をよんだ結果(’-’*) >>573
嘘を書くな、国力は日本≫百済、都の地名を渡来人が勝手につけられるわけないだろ それ以前に国(ナラ)は現代朝鮮語
百済語とは何の関係もない >>573
無能ヒトモドキは他スレに逃げてくるな
自スレでいじめられ続けとけ オブサン古墳
なんでカタカナなのか判らないけど
山の家って意味なのかな
江田船山古墳も石組み立てがキッチリ
まるで家みたい、明らかに九州の他とは違う技術的
これが熊襲=隼人なのか
これだけの技術や古墳の発掘品をみれば
立派な文化や国があったんだね
宇土半島はウドゥかな、頭(かしら)かな、宇豆かな宇津かな
来週の土曜、TBS のクイズ不思議発見は
「古墳」がテーマです。たぶん九州の色彩草食古墳が出ます
古墳好きは見てください
私はずっと前からクイズ不思議発見のHPに
九州邪馬台国をテーマでやってくれと書き込んだから
やっと少しお願いが通ったかな?と
勝手に妄想してよろこんでいます
つまらない内容だったら
どうしよう(>_<) 今日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。
ちなみに、深曽木の儀で踏む「青石」も、手に持つ「山橘の小枝」も、倭国(阿波)の特産物。 @阿波 橘も福岡で取れます
水銀も香春の三の岳で取れていました
三の岳の山原には、かって阿曽隈という社が
ありました
いま私が注目しているのは阿曽という名前
伊勢神宮の近くにも阿曽があり興味があります >>582
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww
>>583
妄想世界のキチガイに現実ば語ってやって理解できんのやから相手したらいかん
ただただ一方的に罵るだけにせな
人間だと思っちゃいかんばい >>584
ところで、 「橘(たちばな)」は? なに、逃げてんの? わははははは @阿波 >>585
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >逆になんで自生してなかったと思うの?
気候! 公孫氏の領域が温暖な地域なのかね? 帯方郡に「橘」が自生すると? 頭大丈夫? @阿波 >>587
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョン 今日は文化勲章親授式。
その親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波 >>589
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww 志賀島から田川豊国へと続く歴史
高良と香春の秘めたる謎
みやまは何だろう、ヤマトかな
ヤマトは地名なの?
集会所や会議する場所じゃないのかなぁ 今日は文化勲章親授式。
その親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波 翡翠より猫の写真に惹かれました
翡翠勾玉も産地によって形に違いがあると聞きました
子持ち勾玉、通し穴上部に溝のあるタイプなど
古代の人々には化石や石を御神体とした古い時代も
あったそうですね(みやま市の神社の御神体など)
九州と四国はどこかで繋がっていたんでしょうか >>596
>九州と四国はどこかで繋がっていたんでしょうか
筑紫忌部。 @阿波 >>592
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>594
泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけよマヌケ >>595
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって笑 >>597
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない無様な泡チョン >>566北辰について
長崎県の稲佐山のとなり金比羅山には金刀比羅神社があります。
そこには
「この神社の起源は百済の琳聖太子が
山頂に香を焚いて北辰(北斗七星)を
祀った故事に由来します」
とかいてあります
私には北斗七星が靫にみえるんですけど・・・ 「女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむ、
諸國はこれを畏(おそ)れ憚(はばか)る。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史(しし)如くあり。」
これって、伊都国の南に女王がいる
でいいの? 今日BSフジテレビで桜井よし子さんが
この本をすすめていた
13万部のベストセラーとなっている
『反日種族主義』は、元ソウル大教授、現・李承晩学堂校長の李栄薫(イ・ヨンフン)氏が中心となり、
現状に危機感をもつ学者やジャーナリストが結集。
慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題などを実証的な歴史研究に基づいて論証、
韓国にはびこる「嘘の歴史」を指摘する。
古代史についても話していた。
桜井さんておもしろい 李栄薫氏の講義をこちらで聴いてみよう
李承晩TV日本語目次
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/el_isunmantv.html >>605
「以って」というのはその対象を範囲に含みます。
例えば一万円以上というのは一万円ぴったりでもいい。
女王国以北というのは、女王国から北のことで、女王国を含みます。
つまり伊都国が女王国だというのが魏志倭人伝のスタンスです。
これは後漢書で倭国の南界が倭奴国(おそらく伊都国のこと)だということに対応しています。
魏の時代になって郡使が伊都国まで行ったことで、女王国(倭奴国、伊都国)がその南の狗奴国と対立していることや、女王国の東にもさらに倭人の世界が広がっていることが判明したのです。 茨城県のひたちなか市の虎塚古墳の装飾
福岡の王塚古墳とよく似てる
ともに那珂川があるし、もしかしたら王塚古墳は海人族なのかな
興味あります
詳しい人がいたら教えてください
m(__)m 古香取海の太平洋への出口を守るのが鹿島神宮、香取神宮。
その元となったのは志賀島の海人族です。
鹿島は志賀島に通じます。
茨城は海人族(天津神)の関東における根拠地です。
関東の茨木県と関西の茨木市の地名はいずれも安曇磯良が共通することから、博多湾沿岸勢力である倭国の関東および関西への勢力拡大の痕跡を見て取ることができます。
逆に、国津神である出雲族は、諏訪を通過して陸路で武蔵に入りました。
埼玉県の鷲宮神社、大宮などが出雲系です。 >>610丁寧にありがとうございます
やっぱり同じ出身地だったのか
王塚古墳の目玉みたいに思っていた装飾
虎塚みると目玉じゃないような気がしてきたw
鏡かな月かな >>610
>埼玉県の鷲宮神社、大宮などが出雲系です。
その出雲系とやらも、「忌部はん」 です。 @阿波 >>612
泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけよマヌケ >>608
それは典型的な現代日本人の日本語読みだね
中国語では、「以上」は対象である女王国を含まない。
だから、女王国を含む場合はわざわざ、自女王国、と書かれている。
自郡至女王国の場合も、郡を含むことを明白にするため、自郡、と書かれているわけだ。 それは移動手段の記述では?
昭和以前の国鉄の電車にも自東京至大阪みたいに書いてあった。 >>608
>これは後漢書で倭国の南界が倭奴国(おそらく伊都国のこと)だということに対応しています。
倭国の南界が倭奴国=倭国の極南界という解釈は、極道読みという。
ここの主語は倭奴国であるから、(倭国之を隠して読めば)倭奴国は極めるとなり、「極」は動詞であることがわかる。
依って、倭奴国は、倭国の南の境界までを極めている、と読むべし。 仮に以ってが起点を含まないとしても、伊都の大率が対馬海峡を支配するので、女王国が伊都から南であるということは変わらない。
畿内説では伊都の大率が若狭湾まで広域支配しないといけなくなる。
それはもう、九州北部が日本海側を実効支配していたことになる。
どうやっても魏志倭人伝では畿内説は成り立たない。 >>616
極道読みの何が悪いのか。
倭奴国が南の境界を極めるでは地理の説明にならない。
まあ、その場合でも倭奴国が王都であるという文意はかわらないけどね。
倭について本州は全く中国の視界に含まれていなかった。 619 名前:日本@名無史さん 2019/11/15(金) 08:35:19.73
>倭奴国が南の境界を極めるでは地理の説明にならない。
後漢書と倭人伝の全体像を読みそこなってるよ。
後漢書でいう倭国とは「九州島」のことだ(本州は関係ない)。
つまり後漢書の時代、倭の奴国は博多湾にあり、その奴国は倭国(九州島)の南端までをも極めていた(支配していた)という意味だ。
見事に地理の説明になっているだろう。
一世紀のころ、倭奴国(倭の博多那国)は九州島の王者だったのだ。 >>620
その読み方だと倭奴国が倭国の南端まで支配していたことになるが、倭国の範囲は示せない。
倭国が九州北部でありその南端まで支配していたということでも良い。
しかしそれでは倭国の地理的範囲を示せていない。
そもそも後漢書はまだ倭に統一国家を想定せず、倭奴国に代表権を与えたにとどまっている。
そうすると、やはり倭の南端が倭奴国と読む方が文意が通りやすい。 大嘗祭の主要儀式「大嘗宮の儀」では、最も重要な祭祀の場「悠紀殿」と「主基殿」の神座に徳島産の麻織物「麁布」が供えられた。
麁布とは何だろう。
先月、29日、皇居に納められた美馬市木屋平貢の三木信夫さん(83)によると、
大嘗祭の責任者、宮内庁の楠本祐一賞典長は「神が降りる依り代が麁布です」と語ったという。
平成の大嘗祭の賞典長鎌田純一さん(故人)は、著書「平成大禮要話」(錦正社)で、麁布を置く神座の重要性をこう話した。
「古来神座は神の坐す座として天皇もつつしみ対されて来たところ」
徳島新聞 2019年(令和元年) 11月15日 朝刊 @阿波 >>623
>そもそも後漢書はまだ倭に統一国家を想定せず、倭奴国に代表権を与えたにとどまっている。
後漢の帝が金印を与えるという格別の計らいをした理由はどこにあったのか、
そしてそのことが後漢書に記載されるという最大限の評価をなされたのなぜだったのか。
それは、倭奴国が只の田舎豪族ではなかったからと理解すべきであろう。
倭奴国王を冷水峠以北のイナカモンに矮小化し、倭国は畿内まで広がっていたかのような印象論は迷惑だ。 >倭国は畿内まで広がっていたかのような印象論
誰もそんなこと言ってない 横からお邪魔します
だいたい伊都は糸島周辺で正しいのか?
まず此所から問題でしょ
神話の始まりの泡や蛭子は、糸島周辺かも知れない
天香久山は香春岳かもしれない
短い神話だけど、長い長い歴史(1000年単位?)を集約して
書かれている気がする
神話時代は私達の想像より遥かに長い歴史かも知れないよ 長い歴史のなかでは、九州のなかですら
王都の移動や栄えた村の移動や衰退もあっただろう
黒曜石と鉄や銅が重宝された時代が同じ筈がない >>625
>それは、倭奴国が只の田舎豪族ではなかったからと理解すべきであろう。
>倭奴国王を冷水峠以北のイナカモンに矮小化し、倭国は畿内まで広がっていたかのような印象論は迷惑だ。
倭奴国が格別の扱いであることは賛成で、倭国の代表権を与えられたと言っているじゃないか。
ただ、その時点で筑紫平野以南は漢の認識の範囲に入っていない。
実質的にはもっと南も支配していただろうとは思うけど、後漢書の記事としては倭奴国が倭の南端だよ。 >>627
>神話の始まりの泡や蛭子は、糸島周辺かも知れない
>天香久山は香春岳かもしれない
そこは否定しない。
>短い神話だけど、長い長い歴史(1000年単位?)を集約して
>書かれている気がする
それは違う。
おそらく神代は弥生時代中期以降くらいの話だろう。
世代数から考えて、1000年もない。 >>624
泡チョンコはキモいから自スレで妄想語ってホルっとけよマヌケ 大嘗祭の主要儀式「大嘗宮の儀」では、最も重要な祭祀の場「悠紀殿」と「主基殿」の神座に徳島産の麻織物「麁布」が供えられた。
麁布とは何だろう。
先月、29日、皇居に納められた美馬市木屋平貢の三木信夫さん(83)によると、
大嘗祭の責任者、宮内庁の楠本祐一賞典長は「神が降りる依り代が麁布です」と語ったという。
平成の大嘗祭の賞典長鎌田純一さん(故人)は、著書「平成大禮要話」(錦正社)で、麁布を置く神座の重要性をこう話した。
「古来神座は神の坐す座として天皇もつつしみ対されて来たところ」
徳島新聞 2019年(令和元年) 11月15日 朝刊 @阿波 >>634
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ねって笑 高良大社は謎だらけ。
玉垂命という神様は誰なんだろう
わざと判らないようにしているとしか思えない
秘密主義なのか
いや、普通に武内さんは倭王だろ。
筑前では住吉の神、筑後では高良の神だぞ。
どちらも一宮だ。
これはもう、筑紫は武内さんの国という意味だ。 「武内宿禰」の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
「武内宿禰」の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、「武内宿禰」の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>640
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって 四国は田舎すぎて日本の軍隊に
歴史を改竄されなかったんだね
でも少し天皇よりかな
ほんとうの歴史はそんなに綺麗ではない 蘇我氏、葛城氏のおこりはそれぞれ、蘇我石川宿禰と葛城長江曽都比古となるが、ともに「武内宿禰」の子。
「武内宿禰」は、第八代孝元天皇と伊迦賀色許売命との間に生まれた彦太忍信命(ひこふとおしのま)の子とある。
また「伊迦賀色許売命」は、次帝の開化天皇の妃ともなり、崇神天皇を生み、その崇神天皇は、対する孝元天皇と波邇夜須比売との間に生まれた建波邇夜須比古(武埴安彦)
との皇位争いに勝利し、閨閥を拡げていったのである。
もちろん、「伊迦賀色許売・伊迦賀色許男」姉弟も、日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/44664411
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>643
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww 阿波には倭国大乱についての資料や文献はありますか? >>645
>阿波には倭国大乱についての資料や文献はありますか?
ある。
「倭国乱」=「出雲の国譲り」は、阿波についての資料である。 @阿波 >>647
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊って反省しろw 面白いじゃん
楽しいじゃん
人として生きてるなら面白い事や楽しい事追及したいじゃん!
>>647
>「倭国乱」=「出雲の国譲り」は、阿波についての資料である。
笑える! 天照大神と須佐之男が天安河(あまのやすかわ)を挟んで宇氣布(うけふ)=誓約をした
その「天之安河」がまさに「鮎喰川」なんだよ。 そして、「高天原」が神山一帯の四国山地。
邪馬台国と狗奴国は激しい戦闘を繰り広げている。
狗奴国の軍勢は、鮎喰川下流の邪馬台国王都に攻め込み、鮎喰川上流の神山まで押し寄せている。
そこで、邪馬台国側は吉野川流域の勢力を味方につけ、狗奴国軍を押し戻し、打ち破った大戦争。
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>651
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>634
書記には東遷した神武が吉野まできたとき
井戸の中から尾を持った光輝く人間が現れ
吉野の国栖と名乗ったとある
彼らは代々、大じょう祭の時、古風を奏すとあるから
後に即位儀礼の一員に組み込まれた氏族である。 >>654
>後に即位儀礼の一員に組み込まれた氏族である。
仮にそうだとして、他にどんな氏族がいて、どんな重要な任務を司ったというのかね? @阿波 >>656
尾張忌部と葛城忌部かね? わははははは @阿波 もしかしたら尾張は
尾が張る、尾が有るだったかもしれないね >>647
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>655
泡チョンコロの民族願望にはもうウンザリ
さっさと死んでこい笑 >>657
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れよ 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。
まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。
まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。
まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。
まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波 >>662
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>987
>田油津媛は…神夏磯媛の末裔とされているんだと
神夏磯媛は宇佐あたりの祭祀者だな。
田油津媛は山門の祭祀者だから、地盤が違うね。
血縁があるようには見えんよ。 >>664
そう言われているのだからしょうがない。
神夏磯姫は筑紫と明記されているから本拠地は福岡だろう。
小倉のあたりまで全部支配下だっただけ。
一方の田油津姫は、山門で敗れるが、本拠地は香春岳とされている。
兄の夏羽が焼かれた地が夏焼と呼ばれ、江戸時代に夏吉に改名された。
つまり両者とも少なくとも福岡県全域を支配した筑紫倭国の女王なんだよ。
その田油津姫を倒して次の女王になったのが神功皇后となるわけだ。
筑紫では4世紀にも女王の系譜がずっと繋がっていたわけだ。 年代的には神夏磯姫が景行と同じだから4世紀前半、田油津姫が神功皇后と同じだから4世紀後半。
おそらく神夏磯姫は壹與の次くらいの邪馬台国女王なのだろうね。 [磯]は[壹祖]かな
そしたら
[神夏]は[狗奴都](kou-na-tu) [狗馬奴都](kou-ma-na-tu)で
[狗奴]をとりまとめて[都]する(統べる)[壹]の[祖]にあたる女大酋長
つまり
[壹馬]=[伊支馬]の別称をもつ[壹與]そのひとの別称が
記紀の先祖騙りに取り込まれて残ったのが[神夏磯姫]なんだろ [磯]は[壹祖]かな
そしたら
[神夏]は[狗奴都](kou-na-tu) [狗馬奴都](kou-ma-na-tu)で
[狗奴]をとりまとめて[都]する(統べる)[壹]の[祖]にあたる女大酋長
つまり
[壹馬]=[伊支馬]の別称をもつ[壹與]そのひとの別称が
記紀の先祖騙りに取り込まれて残ったのが[神夏磯姫]なんだろ 曹操の墓発掘での新発見、歴史がまた変わっていく!?
今回の三国志展の目玉は、魏王・曹操(そうそう)が埋葬されていた「曹操高陵」(そうそうこうりょう)の出土品だ。2008〜2009年に発掘されたもので、中国でもまだ一般公開されていないものも多く、非常に貴重なものだという。
曹操は『三国志演義』などでは後漢最後の皇帝・献帝(けんてい)を利用して権勢をふるった悪人のイメージだが、その出土品からはまた違った人物像が見えてくる。
「今回明らかになったのは『曹操の墓はやはり非常に質素だった』ということ。曹操は『遺体を飾ってはならぬ。金玉珍宝のごとき宝飾品も墓に入れてはならぬ』との遺言を残していたんです」(市元さん)
その遺言が本当に実行されたのかを確かめるため、研究者たちは出土品に注目していた。
「王であれば着せられるであろう玉衣や、金細工などの副葬品も出てきませんでした。遺言は守られていたのです。出土した鼎(てい)なども、素材は土で高級なものではありませんが、厚さが均質でひずみもなく丁寧に作られていました。
以下ソース先で
12/8(日) 15:32 HARBOR BUSINESS Online
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
画像リンク[jpg]:lpt.c.yimg.jp
★1が立った時間 2019/12/08(日) 20:55:37.69
前スレ
中国人もびっくり!日本人はなぜかくも「三国志」が好きなのか?東京で大盛況だった展覧会、九州でも人気 ★2
2chスレ:newsplus 神夏磯は福岡県内で姓として現存しており、「かんかし」と読むそうだ。
「かん」は神なので、夏磯で「かし」と読むことになる。
おそらくは当て字であり、香椎や越から転じたものだろう。 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>671
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>670これは知らなかったわ、勉強になりますm(__)m 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>675
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れよ ベートーベンが作った「エリーゼのために」
これですら、「テレーゼのために」と書いたのに
ベートーベンの字が汚いから誤読されたと言われている
古代の倭国の名前や地名が多少変化しても
当たり前なんだな 日王山は王の山。
英彦山は日の御子の山。
日王とはおそらく遠賀川一帯の王タカミムスビ。
英彦山神宮では日の御子として義理の息子天忍穂耳尊を祭っているが元々は実子スクナヒコナではないだろうか。 香春岳三山(香久、畝尾、耳)の頂上にあった、それぞれの社を
香春神社に合祀したとある
香春神社には石棺があるという
いったい誰の社だったのだろうか 隋書
竹斯国に至り、また東して秦王国に至る
弥生時代には、漢の武帝に蒼悟の秦王が負けたため
その臣民の秦人と苗族が海南島に逃れて
のちに海路から九州にわたり
さらに辰韓から秦人をむかえ
のちに毛人と呼ばれた
南史には
倭王武が順帝に
東は毛人を征すること五十五国とある
山海経には
日本には、倭人、毛民、労民が住んでいると
書いてある >>687
いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波 >>688
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れよ 神明倭とと日百襲姫命
カミヤマトトトビモモソヒメ
百襲って百十だよね
五十(イソ?イセ?)より大きく見せたい為に百十にしたとかないかな? 神明倭とと日百襲姫命
カミヤマトトトビモモソヒメ
百襲って百十だよね
五十(イソ?イセ?)より大きく見せたい為に百十にしたとかないかな? 八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に登場するカラス(烏)であり神。
神武東征の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、
熊野国から大和国への道案内をしたとされる。
一般的に三本足の姿で知られ、古くよりその姿絵が伝わっている。
wikiより
三本足の1つは櫓(和舟を操る櫂)だと思う
立ち漕ぎの和舟に櫓を操作しながら現れた。
夕日か朝日を背にして登場したため
影で黒く見えて三本足に見えた。
情景が美しくていいよね
まさに海人(アマ)、海導人 って思ったら
ヤタガラスって上に名前まで書いてあるのか
そうなのか 天香山が香春岳か?〜と知られただけでも嬉しい
ちなみに香山の土は崇神紀に「倭国の物実(ものしろ)」
つまり倭国を示す土(石灰岩か?)とある
天香山は古代の倭国を知るには大事なキーワードなんだ 摂津大阪には全国の住吉神社の本山の住吉大社がある
その住吉大社のもともとの元宮は
福岡県博多区の住吉神社
その博多住吉神社の元宮は
筑紫郡那珂川町仲の現人神社
ちなみに大阪の住吉大社
神仏分離令が出るまでは
境内に新羅寺が1100年ありました。
現人あらひと=新羅人あらひと >>697
>摂津大阪には全国の住吉神社の本山の住吉大社がある
その住吉大社のもともとの元宮は「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波 >>698息長とは製鉄製銅する際に風を送る鞴(ふいご)のこと
息長は倭国である福岡の神です。
この部分は譲ることも、他国が真似することも出来ません。
ご注意くださいませ 同意する。
息長帯姫と実質的に配偶者となった武内宿禰は、住吉の神と称された。住吉宮は筑前一宮である。
筑後一宮の高良宮も、末社は全て武内宿禰を祭る。おそらくかつては高良の神も武内宿禰だったのだろう。
つまり武内-神宮は筑前筑後すなわち筑紫倭国の支配者であった。
記紀は皇統の一貫性を重視するため、あえて都合が悪い部分を誤魔化しているだけだ。 >>700
>つまり武内-神宮は筑前筑後すなわち筑紫倭国の支配者であった。
武内宿禰と神功皇后ね。 >>698
♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーラ張ハッタ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ホルホルホルホル
〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ オナージミンジョク ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ >>700
「武内宿禰」の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。
当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。
「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、
「武内宿禰」の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。
また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、
船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。
つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、「武内宿禰」の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 蘇我氏、葛城氏のおこりはそれぞれ、蘇我石川宿禰と葛城長江曽都比古となるが、ともに「武内宿禰」の子。
「武内宿禰」は、第八代孝元天皇と「伊迦賀色許売命」との間に生まれた彦太忍信命(ひこふとおしのま)の子とある。
また「伊迦賀色許売命」は、次帝の開化天皇の妃ともなり崇神天皇を生み、その崇神天皇は、その後、孝元天皇と波邇夜須比売との間に生まれた建波邇夜須比古(武埴安彦)
との皇位争いに勝利し、閨閥を拡げていったのである。
もちろん、「伊迦賀色許売・伊迦賀色許男」姉弟も、日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
https://awanonoraneko.hatenadiary.com/entry/44664411
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 ツマ国はおそらく三潴(みずま)一帯の地域、元はアメノオシホミミが治めていた。
しかし高良玉垂命の台頭によりアメノオシホミミは妻である萬幡豊秋津師比売命の父親タカミムスビが治める遠賀川一帯に移住したのではなかろうか。
三潴(みずま)と地名が似かよっている水巻周辺に。 >>705
まったく根拠を示せない、妄想話! @阿波 >>705
>ツマ国はおそらく三潴(みずま)一帯の地域、元はアメノオシホミミが治めていた。
単なる思い付きの連想ゲームだ。
三潴は、その近くの伝説の地・水沼(みぬま)からきている。
さらにその元は、5世紀ころ?に君臨した「水沼の君」に起源する。
今も、「みぬま2000年の森」とかいう記念公園がある。久留米の西南で三潴との中間付近な。 >>707
同意。
ミヌマが原形だね。
それにオシホミミは高天原(沖ノ島)にいて、福岡に来るのを嫌がった人物だろ? >>709
アメノオシホミミは鞍手の熱田神社でまつられている。 天忍穂耳尊 を祀る神社
(全55社中の20社)
英彦山神宮 福岡県田川郡添田町大字英彦山1
天忍穂別神社 高知県香南市香我美町山川字スミガサコ
許波多神社 京都府宇治市木幡東中1
許波多神社 京都府宇治市五ヶ庄古川13
石手堰神社 岩手県奥州市水沢区黒石町字小島1
木幡神社 栃木県矢板市木幡1194
勝手神社 奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
香春神社 福岡県田川郡香春町香春733
薄野一目神社 熊本県山鹿市久原字薄野
志々伎神社 長崎県平戸市野子町251
千栗八幡宮 佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗
霧島東神社 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6437
鵜戸神宮 宮崎県日南市大字宮浦3232
神戸神社 三重県伊賀市上神戸317
熊野神社 長崎県壱岐市勝本町立石南触584
手長比賣神社 長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212
天手長男神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触730
伊奈冨神社 三重県鈴鹿市稲生西2−24−2
多度大社 三重県桑名市多度町多度1681 ・・・・・(以下略) >>704
「先代旧事本紀 巻五 天孫本紀」では饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神と仰ぎ、六代目にあたる伊迦賀色許売(いかがしこめ)、
伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は、倭の土着豪族として朝廷に仕えた蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもあたる。
伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、 日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
「伊加加志」(イカガシ)を社名・御祭神とする神社は、全国でここ一箇所だけなのである。
それが、忌部の郷 麻植の地に鎮座している。
「延喜式式内社 伊加々志神社」 http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波 >>710そのなかで一番古いと思わるのは香春神社だろうね >>712
>そのなかで一番古いと思わるのは香春神社だろうね
奴国(田川あたり)を治めた「筑紫忌部」を祀る神社だろうね。 @阿波 >>704蘇我氏の家は背振山系の雷山にあったと伝説がある
これマジな話だよ >>714
>蘇我氏の家は背振山系の雷山にあったと伝説がある
伝説? それがどうしたと? わははははは @阿波 あわさんが田川香春地域を奴国と認めている理由は何よ? >>716
帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里( 直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡(紀伊水道)1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)
帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。
狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。 @阿波 >>715まじな伝説なんだよ
福岡の婆ちゃんは100歳こえてなくなったけど
大地主で昔の女学校まで出てんだよ 天忍穂耳尊 を祀る神社
(全55社中の20-40社)
和田八幡宮 島根県浜田市旭町和田字八色山1739
物部神社 島根県大田市川合町川合1545
染羽天石勝神社 島根県益田市染羽町1−60
忌部神社 島根県松江市東忌部町957
熊野速玉大社 和歌山県新宮市新宮1
熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮
熊野本宮 和歌山県田辺市本宮町本宮
熊野那智大社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
駒形根神社里宮 宮城県栗原市栗駒沼倉字一の宮7
駒形根神社嶽宮 宮城県栗原市栗駒栗駒山頂
駒形神社 岩手県奥州市水沢区中上野町1−83
日面神社 石川県七尾市中島町塩津サ1
神目神社 石川県鳳珠郡能登町藤波16−150−1−2
菅忍比盗_社 石川県七尾市中島町笠師ソ236
宮浦宮 鹿児島県霧島市福山町福山2437
岡神社 滋賀県米原市間田96
竹生島都久夫須麻神社 滋賀県長浜市早崎町1665
吉姫神社 滋賀県湖南市石部東8−4−1
熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1−1−1
津島神社 愛知県津島市神明町1
新田神社 鹿児島県薩摩川内市宮内町1935−2・・・・・(以下略) 【日本で唯一、阿波だけで祀られている阿波の神々】
阿波市「事代主神社」 御祭神 事代主命
阿波市「建布都神社」 御祭神 武甕槌神
阿波国美馬郡「倭大國玉神社・倭大國敷神社」 御祭神 大國玉命・大己貴命
阿波国美馬郡「伊射奈美神社」 御祭神 伊射奈美尊
阿波國麻殖郡「伊加々志神社」 御祭神 伊迦賀色許売・伊迦賀色許男
阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命
阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」 御祭神 天村雲命 ・伊自波夜比賣命
阿波國麻殖郡「秘羽目神足浜目門比売神社」 御祭神 秘羽目神 ・足浜目門比売命
阿波國美馬郡「波爾移麻比禰神社」 御祭神 波爾夜須比売命
阿波國美馬郡「弥都波能売神社」 御祭神 素盞嗚命
阿波國美馬郡「八大龍王神社」 御祭神 彌都波能売神
阿波國美馬郡 「天椅立神社」 御祭神 伊邪那岐命 ・伊邪那美命
徳島市国府町「天石門別八倉比売神社」 御祭神 大靈女命
名西郡神山町「上一宮大粟神社」 御祭神 大宜都比売命
徳島市一宮町「一宮神社」 御祭神 大宜都比売命
阿波國板野郡 「宇志比古神社」 御祭神 宇志比古尊・八幡神
阿南市伊島「当所神社」 御祭神 奧疎神・奧津那藝佐毘古神・奧津甲斐辨羅神
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 前スレのから
400: 01/27(日)07:30 AAS
塢舸水門 (萬葉集註釋 卷第五)
風土記に云はく、塢舸(をか)の縣。
縣の東の側(ほとり)近く、大江(おほかは)の口あり。
名を塢舸の水門(みなと)と曰ふ。
大船を容(い)るるに堪へたり。
彼(そこ)より島(北九州市若松區島郷)・鳥旗(とはた・北九州市戸畑區)の澳(うみのくま)に通ふ。
名を岫門(くきど・洞海湾)と曰ふ。
鳥旗は等波多(とはた)なり。
岫門は久妓等(くきど)なり。
小船を容るるに堪へたり。
海の中に両(ふたつ)の小島あり。
其の一を河白斗島(かごしま)と曰ふ。
島は支子(くちなし)生ひ、海は鮑魚(あはび)を出す。
其の一を資波島(しばしま)と曰ふ。
資波は紫摩(しば)なり。
両の島は倶(とも)に烏葛(つづら)・冬?生ふ。
烏葛はK葛(つづら)なり。冬?は迂菜なり。
(今井似閑採択)
福岡県北部の地名が九州全体に、さらには近畿を中心とする西日本全体に移転されたんだろうねえ。
だから洞海湾の小島の鹿児島が九州の南端となり、博多湾の浜が宮崎の地名になったりしたんだ。
倭がいつしか西日本全体になってしまい、さらには列島の大倭(大和)となった。 >>721
海やアワビや水門とくれば、淡海(阿波海)だよ! わははははは @阿波 本当の神武天皇陵は田川にある
最近、橿原は香春の隠れ蓑かと思えたりする
古代の倭国の王や天王の墓を守るために
卑弥呼の墓とちがい、神武天皇の墓は古文献に
はっきりと書かれている
古事記
御陵は畝傍山の北の方の白しの尾の上にあり
日本書紀
畝傍山の東北の陵に葬りまつる
延喜式
畝傍の東北の陵。畝傍の橿原の宮に御宇しし神武天皇。
田川出身かもしれないが、筑紫を出て大和に居を構えたのだから、墓も大和だろう。
香春が橿原というのも少し辛い。
香春は香具山のオリジナルだという意見が多い。
もしくは香椎が橿原のゆかりの地かもしれない。
原は九州の言葉で集落を意味するからね。 >>703
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>704
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>706
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>711
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>713
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>715
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♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
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泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>720
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>723
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>725
神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
畝傍山=徳島市南部(渋野町・勝浦町・丈六町・多家良町・八多町・飯谷町)一帯の山塊
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
橿原の宮=徳島市丈六町辺り
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>726なるほど、香椎原か
>>736今回はちっと辛いな。
香春岳の畝傍とするなら
神武天皇陵は、もしかしたら鏡山神社の下か、おほきんさんで決まりかな
近く河内王の墓もあるからな 漢委奴国王
神倭磐余彦(かんやまといはれひこ
もしかしたら金印は
かんやまと奴国の王と読む鴨しれない
つまり神武天皇が金印の持ち主になる
神武天皇が田川辺りの出身地なら充分ありえるでしょ?
ねぇ阿波さん >>740
>神武天皇が田川辺りの出身地なら
即、没。 @阿波 >>736
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>739
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>741
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>740
>神武天皇が田川辺りの出身地なら
即、没。 @阿波 >>745
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>740
>神武天皇が田川辺りの出身地なら
即、没。 @阿波 誰かに弟子入りしたのかな、芸能関係?
『伊達の桃太郎』
なぜか中国(大陸のほうのw)の話のような。 748
間違えた、
748は畿内説のスレに書き込みするはずだったんだけどw >>747
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって 銅鐸
なぜ古事記と日本書紀には銅鐸についての記載がないのか?
なぜ畿内や四国の古墳にまで入れた銅鐸について何も記載がないのか
おそらく〜いや間違いなく
古事記日本書紀の話は銅鐸が無かった国の話
もともとの倭国やヤマトは九州
銅鐸が何に使われたのか
どのように扱ったのか
畿内や四国の方々に説明してもらいたい >>751
>なぜ古事記と日本書紀には銅鐸についての記載がないのか?
記紀の時代には、存在していないからだよ。 @阿波 >>752
>畿内や四国の方々に説明してもらいたい
記紀の時代には、存在していないからだよ。 @阿波 >>752
>畿内や四国の方々に説明してもらいたい
説明したんだけど、返答は? @阿波 >>751
記紀の神代は筑紫の話だからな。
そして神代の最後の神武の実年代が卑弥呼の頃なら、銅鐸民の滅亡と時を同じして神武が大和に入り、筑紫には記紀に登場しない卑弥呼王権が成立した。 >>757
いくら妄想を言っても、妄想でしかない。 わははははは @阿波 >>752
>畿内や四国の方々に説明してもらいたい
説明したんだけど、返答は? @阿波 >>760ありがとうございます
でも何に使ったのかわかりません
鈴?魔よけ 最初は鳥獣除けとして使用、時代が経るにつれて豊作祈願の祭祀用になったのでは? @阿波 倭国の国名は大工用語があるねえ
つま国→建物の横側
はり国→(榛、巴里)→建物の梁
宗像→(胸方、むなかた)→棟
大工用語は詳しくないけどまだまだあるような
九州全体を家と思ってたら面白い >>753
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>754
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>756
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>758
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>760
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>771
>泡は荒らしではなくキチガイ
違うだろ!
泡は荒らしではなく「目の上のたん瘤」 わははははは @阿波 香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき
神世(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき
巻一(十三)
反歌
香具山と耳梨山(みみなしやま)とあひし時立ちて見に来し印南国原(いなみくにはら)
巻一(十四)
わたつみの豊旗雲(とよはたぐも)に入日射(さ)し今夜(こよひ)の月夜(つくよ)さやけかりけり
巻一(十五)
神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
畝傍山=徳島市南部(渋野町・勝浦町・丈六町・多家良町・八多町・飯谷町)一帯の山塊
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
橿原の宮=徳島市丈六町辺り
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>774残念ながら天の香久山は徳島ではありません
もちろん奈良盆地の何もないただの小山でもありません。
天の香久山は福岡田川です。
1度現物を見て本当の歴史を感じていただきたい >>775
>天の香久山は福岡田川です。
その天の香久山はなんという山ですか?
畝傍山と耳成山はなんという山ですか? @阿波 >>776
神武天皇陵はどこですか?
橿原の宮はどこですか? @阿波 印南国原ってどこなんだろう?
わからないなあ伊南、伊波? >>775
いくら妄想を並べ立てても、所詮妄想は妄想だよ。 わははははは @阿波 >>777田川郡畝傍東北陵
円墳があります。本物を見ていただきたい
ググって >>780
>田川郡畝傍東北陵
その天の香久山はなんという山ですか?
畝傍山と耳成山はなんという山ですか? @阿波 >>781
いくら妄想を並べ立てても、所詮妄想は妄想だよ。 わははははは @阿波 本誌がドローンを飛ばしたら「卑弥呼の墓」を見つけたよ
https://friday.kodansha.co.jp/article/6514
福岡県田川郡にある前方後円墳らしき丘。全長は450mほど。九州には古代の巨大な墓が見つかっておらず、古墳とすれば九州説の有力な根拠になる >>784
いくら妄想を並べ立てても、所詮妄想は妄想だよ。 わははははは @阿波 >>772
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>774
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>776
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〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ 田川郡赤村が初期大和
前原古墳の前方後円墳が勿体ない
赤村の古墳を大切に守ろう
乱雑に開発されてしまっている 01/03(金)13:06 ID:WstrJXqX0(1) AAS
>>207
隋書倭国伝「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志に謂う邪馬臺である」
これで答え出てるんだけどね
遣隋使は飛鳥まで一緒に来た裴世清に邪馬臺はヤマトのことですって言ってる
隋書は記紀はもちろん大化改新よりも前に書かれた外国史書
藤原氏の焚書がどうとか天武が捏造したとか関係ない >>795
遣隋使は卑弥呼から三百年も後の話
短期滞在の隋の使いがちょろっと見ただけでそこが邪馬台国だなんて分かるわけがない
単に地名が同じだったから勘違いしただけ >>798
>短期滞在の隋の使いがちょろっと見ただけでそこが邪馬台国だなんて分かるわけがない
「倭大國魂・倭大國敷神社」があれば、見ただけでそこが邪馬台国だと分かる。 わははははは @阿波 >>799
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>798
>短期滞在の隋の使いがちょろっと見ただけでそこが邪馬台国だなんて分かるわけがない
「倭大國魂・倭大國敷神社」があれば、見ただけでそこが邪馬台国だと分かる。 わははははは @阿波 >>801
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ NHK ブラタモリ沖縄スペシャル
凄く面白い
最高の聖地、斎場御嶽(せーふぁーうたき男禁制)、
久高島(神の島)
冬至の日の出、東の海の向こうがわニライカナイ
見逃した人は再放送みてね 東の海からきた女神、沖縄に恵みをもたらした女神
アマミキヨ
石灰岩の麓は水が流れ出て稲作できた
沖縄の神髄は日の出にあり 「三国志の英雄」として知られる曹操(155〜220年)の墓「曹操高陵」を発掘した中国・河南省文物考古研究院の潘偉斌(ハン・イヒン)氏が、
大分県日田市のダンワラ古墳出土と伝わる国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」を
邪馬台国の女王・卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」の一枚である可能性が高いとする見解を明らかにした。
佐賀新聞社の取材に応じた。
卑弥呼がもらった鏡は、邪馬台国の謎を解明する重要な鍵とされており、
今回の指摘は邪馬台国論争に一石を投じそうだ。
ダンワラ古墳の鉄鏡は直径21・1センチ。鉄の鏡体の背面に金や銀を埋め込む象眼「金銀錯」が施され、
朱色のうるしで彩色した珠がはめ込まれている。
手足の長い龍のような怪獣が多数描かれ、銘文は「長=。孫」(欠落部分の■は「子」と推測される)の四文字が刻んである。
九州国立博物館が管理している。
潘氏は、九州国立博物館でダンワラ古墳出土鉄鏡を確認した上で
「金錯や銀錯が施される鏡は王宮関係に限られる。この鏡は国宝級の貴重なものであり、
公式なルートで日本に伝わったと考えられる」と述べた。
「魏志倭人伝」は、景初3(239)年に卑弥呼の使いが魏の皇帝から「銅鏡百枚」を下賜されたと記している。
ダンワラ古墳の鏡は鉄製だが、潘氏は「倭人伝が『銅鏡』と表現したのは、鏡の総称として用いたのだろう。
そこに鉄鏡が含まれても不自然ではない」と解説した。
「魏の側からすれば、最高の品質の鉄鏡を贈ることで、倭に工業技術の高さを示そうとしたのだろう」と推測する。
潘氏は、九州国立博物館で開催中の特別展「三国志」のために来日し、
九州大学、東京国立博物館、九州国立博物館の研究者らとともに、ダンワラ古墳出土鉄鏡と、曹操墓出土鉄鏡の共通点などを議論した。
二つの鉄鏡も直径が21センチと同一で、曹操墓の鉄鏡もX線調査の結果、金錯が確認できた。
研究者らは「いずれも2〜3世紀の中国において『御物』など最高級に位置付けられる貴重な鏡である」という見方で一致した。 ニライカナイは複合的な観念を持った楽土であるが、この概念は本土の常世国の信仰と酷似しており、柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。
なお、琉球では他の他界概念として、権威を守護する神々の神界としてオボツカグラを想定していた。信仰上の他界概念を水平表象と垂直表象で論じた折口信夫は、ニライカナイを水平の、オボツカグラを垂直の他界と指摘している。
ニライカナイ信仰は、沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地において、伝統的な民間信仰の主要な要素である。
常世って何?赤染? 神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が全国で唯一、式内社「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 、「宇志比古尊」を祀るはずがない。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>809すいません
ウィキに書いてあったもので。
以後気をつけます >>810
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ 神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が全国で唯一、式内社「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 、「宇志比古尊」を祀るはずがない。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >無双の卑弥呼も阿波弁に訛らせないとな
奈良弁は、どう間違っても、絶対に、決して、福岡弁ではない! @阿波
奈良弁の元は阿波弁! @阿波 釈日本記にある伊豫国風土記逸文に
伊豫の郡。郡家より東北のかたに天山あり、
天山と名づくる由は、倭に天加具山あり。
天より天降りし時、二つに分かれて、
片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。
因りて天山と謂う アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、
ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申 @阿波 天山 (釋日本紀 卷七)
伊予の國の風土記に曰はく、
伊與の郡。郡家より東北(うしとら)のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山(あめのかぐやま)あり。
天より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ。本(ことのもと)なり。 @阿波 この天の山に関する逸文は「阿波」と「伊予」の風土記にのみ見られるものであり、二つを合わせてみると、
まず、「天」があり、そこから「阿波」に降り下った山が「元山」であり、その元山から砕け別れ着いた山が「倭」の「香具山」である。
「伊予」の「天山」は、倭の香具山の兄弟山で、親山は「元山」ということになる。
伊予國風土記には、「大和」ではなく「倭」と記されていることにも注目する必要がある。
もちろん「倭」とは、「倭大國魂・倭大國敷神社」が鎮座する阿波である。
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。 @阿波 →もちろん「倭」とは、「倭大國魂・倭大國敷神社」が鎮座する阿波である。
なんちゅう解釈Www
正解は
もちろん「倭」とは天香久山の鎮座する田川郡の香春のある九州
倭=ヤマトの意味かもしれないし
天香久山周辺がヤマトだったのかも知れないよ
天香久山周辺=うきは浮羽、たかは田川、赤村、行橋の美夜古、
あと朝倉や苅田など
ここが栄えていなかったなら、いったい何処の土地が栄えてたのよ?
とすら思っています >>820
>天香久山の鎮座する田川郡の香春
なんちゅう解釈Www
正解は
もちろん「倭」とは、「倭大國魂・倭大國敷神社」が鎮座する阿波である。 @阿波 >>820
田川辺りは、奴国だよ。 わははははは @阿波 奴国(二万戸)の弥生集落遺跡 : 「上本町遺跡」・「下伊田遺跡」・「五徳畑ケ田遺跡」・「真崎遺跡」 @阿波 >>813
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ >>814
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し' と_)_) し´ ∧_,,∧ >>817
♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
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〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
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♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
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泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>821
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>822
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって >>823
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって 「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ない後進県にも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地9か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」 @阿波
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>833
阿波には、「天皇」という地名までもあるよ! わははははは @阿波 私が一番知りたい興味あるのは
天皇と呼ばれる人達が現れる前の時代
天皇に結びつくから四国って発想のあわさんには
判ってもらえないのかなぁ? >>832
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し' と_)_) し´ ∧_,,∧ ヒミコのミは女性を表す接続詞と思う時がある
しかも九州の方言として。
ヒ(住まいの村)+ミ(女性)+コ(名前?)=ヒミコ
アマミキヨから閃いた
まあ私の妄想ですから何も根拠はないありませんwww >>835
>天皇と呼ばれる人達が現れる前の時代
その時代は、大王(おおきみ)と呼ばれた時代だよ。 わははははは まっ、実際は倭国(阿波)時代は「大王」で、奈良大和遷都後から「天皇」にしたんじゃないの。 唐に対抗して。 @阿波 >>841
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し' と_)_) し´ ∧_,,∧ これもコピっとく
449(2):名無しさん@1周年 2020/01/10(金) 08:58:25.88 Y3STBeyZ0 (13/18) 引1 NG
>>438
銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む [単行本] 臼田 篤伸
単行本: 260ページ出版社: 彩流社 (2010/12/27)
巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた。
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった。
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書 筑紫道記って知ってますか?
私は知りませんでした。
芭蕉が敬慕した戦国時代の連歌師、宗祇は60才(1480年)の秋
滞在していた山口から太宰府など筑紫へ歌枕をめぐる旅をした。
『筑紫道記』は、その三十六日間の紀行文である。
二十の発句と二十の和歌が紀行文にちりばめられており完成度は高いとされている。
芭蕉も多分これを読んでいただろう。
『奥の細道』も多分に影響を受けているのではないかとうかがわれる。
人の代の末まで守れ千早振る神のみおやの言の葉の道
(注)神のみおやの言の葉の道:素戔嗚尊の日本初の和歌から
はじまる和歌の道
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を
このひとも九州説に繋がりそうですよね 御社(筥崎宮)に参詣すると、斎垣をめぐらした松があった。
これこそ「しるしの松」であろう。
いにしへの……昔の仏法の教えにならって秋の霜のような剣をその陰におさめてください(戦乱を鎮めてください)筥崎の松よ
これはただ、国家安全の願いごとであろう。こうして神前にお参りする。
社殿の大きなことは並みのレベルではなく、しかもこの造営は昔のことではなく、玉を磨いたように輝かしい。
末社などは造営が途中なのもあった。社殿の廻りから渚に出るまで、大木が左右に高くそびえ、地は砂が美しい。社殿の正面は戌亥で志賀の島に向かい合っている 前にも書いてあったけど
鏡の発見場所が
九州と畿内じゃ違う
九州は墓の中、畿内は墓の外
文化や埋葬か何かが違う >>847
>九州は墓の中、畿内は墓の外
阿波は集落の中。 格が違う! わははははは @阿波 >>847
墓の外って、どこだよ。
大型内行花文鏡は九州と同じ墓の中が多いと思っていたが? 蝙蝠紐座とか超高級品が九州でも集落から出土しとるよ 言葉が足りなかったスマナイ
鏡とは多鈕細文鏡な
山口県下関市梶栗浜の石棺内部から1枚
佐賀県唐津市宇木汲田の甕棺から1枚
大阪府柏原市大県の山中から1枚
奈良県御所市長柄の山の麓から1枚
本物の弥生鏡は多鈕
これ外で発見されてる? >>849
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し' と_)_) し´ ∧_,,∧ マジレスすると
紀元前の北部九州での勢力争いに敗れた王族が鏡を持って畿内へ落ちのびた
未開の畿内では王もくそもないから日々暮らすのが精一杯で王墓を作ることもできず
せっかく持ち込んだ鏡も錆びて緑青の塊になり
墓の外に打ち捨てられたというわけだ 九州北部は邪馬台国というよりは
それ以前の奴国があった地域と考えるのが自然な気がする
魚拳による太伯の末の記述とも一致する
それなら遡って周の王朝に朝貢していた記述とも繋がるかもしれない
卑弥呼は鬼道ということなので
おそらくは道教の筋で
時代的には徐福あたりと繋がってくるんじゃないかな 倭国が遷都した記事はない。
倭国は九州北部、というより福岡県。 そうだな
「玄関口の壱岐」は原の辻遺跡やカラカミ遺跡など栄えておる。
本国の北部九州倭国ほどではないがな。 >>859
>本国の北部九州倭国ほどではないがな。
福津(万津浦)・宗像あたりも北部九州なのかね? わははははは @阿波 >>858
畿内が邪馬台国なら、玄関口は大阪のはずなんだけど? 古代の時代表記
そろそろ変えていいよな?
無土器時代とか土器時代とか鉄時代とか
もっと古代の時代は古くからあるよね 鉄器時代を作ってほしいな
定義<集落から鉄器が出土する程度には鉄器が普及すること
畿内説が発狂するだろうけどw >>861
日本海側が必須でしょうね
大阪にしても阿波にしても日本海からソッポ向いてるからハワイからの流刑地だったりして NHKスペシャル
アイアンロード〜知られざる古代文明の道〜
2020年1月13日(月)
午後9時00分〜9時59分
いま、あのシルクロードより古い「文明の道」が姿を現し始めている。それは、現代社会に欠かせない「鉄」を伝えた道。
西アジアから日本列島にいたるその道は、「アイアンロード」と名づけられた。このルートに沿うようにユーラシア各地
の大草原や山岳地帯などで進む発掘調査からは、謎にみちていた古代国家の実像が次々と明らかになり、エジプト
やギリシャなど、いわばメインストリームの古代文明とは異なる“未知の世界史”が浮かび上がっている。
また、これまで武器を中心に考えられてきた古代の鉄の役割が、時代が進むなかで次々と広がっていった事実も分
かってきた。鉄は和平を促す“交渉品”となり、異文明を結ぶ“交易品”となり、馬具を生んで“移動革命”をもたらし、
工具として“芸術革命”を導き、農具となって“生産革命”を起こしていた。鉄は、武器による「征服と破壊」の一方で、
「融和と建設」の主役でもあったのだ。 >>860
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
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/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ 657(1):名無しさん@1周年 2020/01/13(月) 20:00:21.44 P+LRekAi0 (2/2) NG
仕方なかったとはいえ、明治維新はホントクソ
日本文化の危機だったな
特に仏教関係の遺物は八割が破壊されてしまった
タリバンかよw 水稲稲作時代にでも改名するか。
または筑紫倭国前期。 シルクロードの北方に、シルクロードと並行して鉄の道があった。
そして期限前、スキタイ・アルタイの製鉄技術は匈奴と漢にもたらされ、軍事及び農耕の鉄器化が始まった。
やがてその波は、鉄で武装した渡来人に伴われて三世紀の倭地・倭国へも押し寄せてくる・・、 再放送は、先になるんじゃないの
ただ、番組HPから、何かの方法で見れるみたいだ。
ま、なかなかよかったよ、漢の第五代?皇帝の頃に製鉄技術の大発展が有ったそうだ(つまり、ハガネの製造に成功したということらしい)。、
その漢の大成功の余波が、やがて九州にも及んできたのだろう。 657(1):名無しさん@1周年 2020/01/13(月) 20:00:21.44 P+LRekAi0 (2/2) NG
仕方なかったとはいえ、明治維新はホントクソ
日本文化の危機だったな
特に仏教関係の遺物は八割が破壊されてしまった
タリバンかよw しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★ 01/16(木)16:38 ID:FQlNMQgY9(1) AAS
◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆
古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。
出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3〜7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。
調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。
そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。
さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。
朝日新聞デジタル
外部リンク[html]:www.asahi.com >>873
1/19(日) 0:35〜1:35 NHK総合 (4): ごまカンパチ ★ 02/01(土)23:35 ID:khioA0ZM9(1) AAS
外部リンク:mainichi.jp
松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが、
文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした。
石製品は国産のすずりと判断しており、国内で書かれた文字ならば従来の確認例を200〜300年さかのぼって最古となる。
一方で、偶然の着色など慎重な意見があり、文字使用の起源を巡って議論を呼びそうだ。
田和山遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)遺跡。石製品は約8センチ四方の板状で、出土時は砥石(といし)とされていた。
研究者グループは材質や形状を調べ、現地で採れる石製で、擦った痕跡があるくぼみなどから国産のすずりと判断した。
さらに裏の中央部に黒っぽい文様が上下二つあり、岡村秀典(中国考古学)、宮宅潔(中国古代史)両京都大教授らに画像の分析を依頼。
中国・漢の時代の木簡に記された隷書に形が類似しており、上は「子」、下は「戊」などを墨書きした可能性があるとの結論を出した。 これまで国内の文字確認例は、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)の土器に刻まれた「竟(鏡)」、貝蔵(かいぞう)遺跡(三重県松阪市)の土器に墨書きされた「田」などがあるが、
いずれも2〜3世紀だった。
九州から近畿にかけて近年、弥生時代のすずりとみられる遺物が相次いで見つかり、古墳時代より数百年早い時代に中国・朝鮮半島との交易を背景に
北部九州から文字文化が流入した説が出ていた。
久住氏は「国産すずりならば国内で書かれた最古の文字。倭人(わじん)(当時の日本人)ではなく渡来系の人々が書いた可能性もある」としている。
一方、松江市埋蔵文化財調査室は研究者グループの結論を受け、石製品を赤外線で撮影するなどして調査。
同室は「赤外線ではっきり写らず、墨書ではなく汚れの可能性もある。今後の研究に期待したい」と慎重な見方をしている。 岡村秀典・京都大教授の話
実物を見ていないが、画像で見る限り隷書の2文字に見える。石製品の中央付近に書いており、人名の可能性がある。
国産の石製品なら倭人の名前で、物の私有意識が芽生えていたことになり、日本史の大問題となる。
柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の話
これまで見つかった3世紀ごろの文字はいずれも1文字で、記号かもしれない。しかし、2文字なら名前やえとなどの意味を持つ。
中国からの文化伝来が予想以上に早いことになる。
武末純一・福岡大教授(考古学)の話
私自身も弥生時代に外交文書や交易で文字が使われた可能性があると考えている。ただ、赤外線撮影の結果などから、今回は文字かどうか決めがたい。
判断は慎重であるべきだ。
■「文字使用の起源」数百年さかのぼるか
松江市の田和山遺跡で出土した紀元前後の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが「文字の可能性がある」と発表。
国内の文字使用の起源が数百年さかのぼるという驚くべき内容で、波紋を呼ぶだろう。
出土遺物などから文字の本格的使用は3世紀ごろの古墳時代以降というのが定説だが、弥生時代から文字が使われていた可能性は以前から指摘されていた。
紀元57年に中国から贈られたとされ、福岡市・志賀島で出土した「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」金印をはじめ、銘文のある中国・前漢の銅鏡など漢字が記された
中国製の遺物は倭国内に存在した。また、中国の史書「魏志倭人伝」では倭国に外交文書を点検する部署があったという記述がある。
研究者の中には「日常的な交易の記録にも用いられた」という見方もある。
※続きはソースで
画像リンク[jpg]:cdn.mainichi.jp 邪馬台国はどこにあったのか?
所在地をめぐる議論は江戸時代から続いている。
南方の海外にあったという説まであるが、有力なのは近畿説と九州説。
九州説は?
主な候補地は福岡や佐賀など北部九州一帯か宮崎。
魏志倭人伝で倭の産物として紹介されている鉄や絹が多く発掘されている。
吉野ケ里遺跡(佐賀)など、戦いに備え周囲に柵を巡らせた弥生時代の大規模な集落遺跡もある。
倭で戦乱が続いたという倭人伝の記述とも合致します。
なぜ特定できないのか?
魏志倭人伝に朝鮮半島から邪馬台国に至る行程が書かれているが、
正確かは不明。
魏志倭人伝が伝える「伊都国」が糸島市付近、
「奴国」が春日市、福岡市辺りにあったことはほぼ間違いない。
近畿説と九州説はその後の行程の解釈が違う。
奴国、伊都国のこと
奴国の中心と考えられるのは春日市の須玖遺跡群。
王墓からは前漢(紀元前202—紀元8年)時代の銅鏡が見つかった。
大量の銅戈(どうか)も出土し、青銅器や鉄器の工房があった。
昨年、国内最古級の鏡の鋳型が見つかった。
伊都国の王都とみられるのは糸島市の三雲・井原遺跡。
最近では国内最古級の弥生時代後期のものとみられるすずりの破片が出土した。
伊都国が古くからの外交拠点だった証拠として、大きなニュースになりました。
同市の平原遺跡の王墓からは、国内最大級の銅鏡(直径約46・5センチ)や
メノウ、ガラス製の副葬品も出土している。
遠賀川流域では飯塚市の立岩遺跡も注目だ。
完成度の高い銅鏡が見つかったことなどから、
何らかの勢力が存在したと想像できる。
魏志倭人伝に登場する「不弥国」だとする研究者もいます。 博多湾沿岸が筑紫で、遠賀川流域が豊国、有明海沿岸が肥国だね。 ヤマトタケルが読んだとされる詩
「ひさかたの 天の香具山
とかまに さ渡る鵠 ひはぼそ たわや腕を まかむとは
あれはすれど さ寝むとは あれは思へど ながけせる
おすひの裾に 月たちにけり」
ひさかたの香久山か... 400: 2019/01/27(日)07:30 AAS
塢舸水門 (萬葉集註釋 卷第五)
風土記に云はく、塢舸(をか)の縣。
縣の東の側(ほとり)近く、大江(おほかは)の口あり。
名を塢舸の水門(みなと)と曰ふ。
大船を容(い)るるに堪へたり。
彼(そこ)より島(北九州市若松區島郷)・鳥旗(とはた・北九州市戸畑區)の澳(うみのくま)に通ふ。
名を岫門(くきど・洞海湾)と曰ふ。
鳥旗は等波多(とはた)なり。
岫門は久妓等(くきど)なり。
小船を容るるに堪へたり。
海の中に両(ふたつ)の小島あり。
其の一を河白斗島(かごしま)と曰ふ。
島は支子(くちなし)生ひ、海は鮑魚(あはび)を出す。
其の一を資波島(しばしま)と曰ふ。
資波は紫摩(しば)なり。
両の島は倶(とも)に烏葛(つづら)・冬?生ふ。
烏葛はK葛(つづら)なり。冬?は迂菜なり。
(今井似閑採択)
384(1): 2019/09/30(月)22:08 AAS
前すれのこれ好き
754(1): 05/19(日)17:02 AAS
現在の福岡県西区戸切町
戸切町は昔、平栗と表記されていて
もともとは、平群が訛ったものと言われています
この地域は日本最古の3種の神器が出てる吉武高木遺跡があります
日向峠、くしふる、飯森神社
ここが日本書紀に出てくる場所
755: 05/19(日)17:09 AAS
>>754
続けて
756: 05/19(日)17:56 AAS
筑紫の日向の立花の小戸のアワギハラ、ですね。
757: 05/19(日)17:58 AAS
飯盛山自体が御神体だった可能性もあり若杉山と同じように
福岡の古代史を語るには外せない地域と思っています。
758: 05/19(日)18:04 AAS
飯盛神社の隣が吉武高木遺跡ですね。
飯盛神社が古ければ、古墳を守っていた
墓守の神社だったかもしれません。
ここは糸島高祖神社の高祖山の反対側に当たります。
福岡は平栗、日繰姫
奈良は平群、菊理姫
たぶん福岡が本物 342: 2019/09/28(土)00:04 AAS
日本書紀よると、百襲姫は大物主神の妻となったが、
大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、
翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、
百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、
大市に葬られた。
現代訳
百襲姫が大物主神の股間を見て
小さな蛇みたいと言ったために
省3
343: 2019/09/28(土)00:09 AAS
おいおい
これからお前が大きくするんだよ
と余裕で見下ろす大物感はなかったのかな
344(1): 2019/09/28(土)09:31 AAS
たしかに箸つかってるから魏志倭人伝の倭人じゃないにか
345: 2019/09/28(土)09:53 AAS
>>344
なるほど!
確かに箸墓がある奈良が、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国と関係ない有力な証拠だな!
346(1): 2019/09/28(土)10:26 AAS
魏志に書いてあるのは「食事に箸は使わない」であって葬式用の箸には触れてないから
347: 2019/09/28(土)10:33 AAS
葬式用w >>886
吉野ヶ里を比定すること自体が恥だからなあ
高島さんとかマジで言ってるのかね 吉野ヶ里も邪馬台国の一部だしなんで恥?首都は伊都だろうけども 徳島商工会あり、
田川商工会あり、、、 ドコモ町おこしに忙しいんだね。 そりゃ間違い
卑弥呼が遣使した頃とは時代が違うだけで
卑弥呼時代の前半にはかぶっている でも九州北部が倭国をリードしていたのは間違いない
佐賀県福岡県大分県プラス熊本県の一部まで
邪馬台国は福岡の採銅所あたりと大分日田市まで
じゃないかしら 長崎忘れてたw
安閑天皇の安閑(あんかん)と赤村の語音が
似ていて気になるよ >>896赤村のアレも古墳だよ
土器とかかなり出てるみたいだし
田川の鏡山大神社(鏡山王神社じゃないかな)も
前方後円墳が崩れただけだと思っています
現地で確認できないし
全て妄想になりますけど >>901
調べてほしいよね
調べもせずに違うとか意味不明だし 田川は高木神社の密集地域なので田川の巨大古墳の埋葬者は高木神タカミムスビではないだろうか。
ぜひ国で調査してほしい。 いや埋葬者は安閑天皇、ヤマトタケル
もしかして... >>894
>首都は伊都だろうけども
何で女王国に属する国が首都なんだよマヌケw 少なくとも伊都は長らく王都だったのだろうね。
しかし卑弥呼はやや離れたところ(千五百里余っている)に王城を構えたと。 九州に王都はたくさんあったのだよ
王といっても村長レベルから九州倭王まで格差があった 漢委奴国王
倭と委を間違えるかな?間違えたら作り替えるよね
委で正しいのでは? 間違いじゃなくて「減筆」だね、意図的に略したものとされてる ほう滅筆とは知らなかった
勉強になりますm(__)m 土蜘蛛と言われて
まるで敵か化け物のように揶揄されてるけど
もともとは土雲、天雲だったのではないだろうか
天雲なんて生意気だ!お前らは明日から土蜘蛛な!みたいな 出雲、土雲(土蜘蛛)、天雲、とかあって
合計8つで八雲だったのかもねぇ 倭人という人種の概念はあったが倭国なんて当時どこにもなかった
漢委奴国王で正解でしょう 倭とは、倭奴国(筑紫)、豊国、肥国、出雲などによる連合の総称だったのだろうね。 八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を
この詩は日本で始めての和歌と言われてます
いろんな現代訳がありますが
どの解釈を読んでも、しっくりこない
私が思うに
この詩は国造りを決意した詩です
雲は集団の人々かなあ 公式文書で減筆なんてするわけないだろ。
誤認の元になる。
倭 ワ やまと
委 イ ゆだねる
委奴 イド 歴史秘話ヒストリア
NHKG 2/12 22:30〜23:20
「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた」
日本に「鉄」が伝わった弥生時代。中国や朝鮮半島で作られた鉄製品が、長崎・壱岐などを通じて列島に
もたらされると、暮らしは劇的に変化した。鳥取の弥生遺跡からは、鉄の工具によってモノづくりが発展した
様子が分かる。また、鉄を求めて列島各地の交易が盛んとなり、朝鮮半島との結びつきも深まっていった。
古墳時代になると、鉄は権威の象徴となり、ヤマト王権の勢力拡大に力を発揮する。
新時代を切り拓いた鉄の歴史をたどる。 「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ない後進県にも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地9か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 「阿南・加茂宮ノ前遺跡」
この遺跡の出土品は計約50万点にも達するらしいので、相当数の鉄器が出て来たのでは? @阿波
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、
このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、
県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、
鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。
さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。17年2月には出土品の分析などから、
南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。
同時期の鍛冶炉は九州や中国地方にもあり、県内では矢野遺跡、名東遺跡(以上徳島市)、光勝院寺内遺跡(鳴門市)の3か所で確認されているが、県南部では初めて。
県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。 >>920
ドが正しいのね?
やつ やっこ ド ヌ
前二つはないとしてヌも考えられなくありませんか? >>926
こんな遺跡は、九州にも畿内にも存在しない。 こんな遺跡が存在するのは、倭国(阿波)だけ! わははははは @阿波 >>927
あるから倭国とは限らんだろう
金印から探せ
>>928
イヌならあり得そう
イヌの地名はありそうだね >>929
>あるから倭国とは限らんだろう
ほかに、「若杉山辰砂採掘遺跡」もあるからどうしても倭国だよ。 わははははは @阿波 >>922
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ >>927
お前の独りよがりな妄想は自スレでやれよ。 >>930
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>930
それと記紀との関係は?
記紀との因果関係がないと倭国ではないよ。
出土物を見ると四国の中でも綺麗に仲間外れ
違う国だったというオチ >>930
愛媛も高知もそれなりに発掘されているから徳島は後進県とは言えないよ >>933
凄い物がある=倭国にはならんよな
願望が強い そもそも神功皇后にすら相手にされない阿波は倭国ではないのだよ >>929
>あるから倭国とは限らんだろう
ほかに、「若杉山辰砂採掘遺跡」もあるからどうしても倭国だよ。 わははははは @阿波 >>941
邪馬台国と記紀となんの関係が必要なのかね? あくまで、邪馬台国や卑弥呼は「魏志倭人伝」での話だよ。 @阿波 そろそろ福岡県の出雲について語らんか
昔は筑穂に出雲って町があった
今はないけど >>940
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>942
♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーラ張ハッタ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ホルホルホルホル
〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ オナージミンジョク ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ >>944
倭国(阿波)は、永遠に不滅です! わははははは @阿波 阿波侏儒国伝でも読んどけ
阿波踊り姫と南の宿敵土佐踊り王の戦いは重要だぞ >>946
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのや?
阿呆すぎるやろwwwww >>918
古事記では
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁幑爾 夜幣賀岐都久留 曽能夜幣賀岐袁
日本書記では
夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語味爾 夜覇餓枳菟倶慮 贈廼夜覇餓岐廻
この綺麗とはいえない漢字の並びをみて
妻を新居に迎える歌に見えますか?
雅さの欠片も感じられません
八雲とは?土蜘蛛の集団?だいたい蜘蛛は、めでたい歌には使われません
古事記も日本書紀も間違えた現代解釈多いのでは? >>949
>古事記も日本書紀も間違えた現代解釈多いのでは?
ああ、これは感じますね。
環濠集落の柵を八重に作るぞと言うのなら、戦闘準備の歌にも思えます。
古代では倭語と百済語の違いがわずかなので、そちらでも上古文が読めると言う話もありますね。
もっと多様な検討が必要に思います。 『役立たず ここに眠る』
何かのゲームのセリフでしょ、芸能関係。 迷路を〜何やらなど・・・、
そういう曲があるでしょ?ほとんど同じ。 二人は・・・(出口を探し)・・・迷路を抜け出し・・・。
そういう曲などの話wあと『姥清水』 『役立たず ここに眠る』
なぜかゲームの画像ばかり出てくるでしょ、よくわからない話ばかり。
聖造・・・寒いな・・・? 何度も書いていることなんだけど
『サイバーパンクSPECIAL』
というコミックなども、ほとんど同じ。
なぜか家の周辺の話・・・ロトちゃんというキャラが出てくる作品w
ママ〜何やら、あたたかいな〜(寒い?)とか。 迷宮の何やら(恋人?)、その他もほとんど同じ、産まれてくるよりも前みたいな話。
作者などがいるでしょ、否定してもムダ。 『Final Fantasy』も同じ、
主人公(不明)がいるでしょ、主人公が産まれてくるよりも前の話。
よくわからない敵とバトルをしていたり。その後に誕生。 迷宮の恋人?
登場人物も、実際は、ほとんど兄弟姉妹、親戚・・・会ったこともない親戚など。
兄弟姉妹も、すべて皆殺し・・・、その後に誕生。 とあるスレなどを読んだことがあるでしょ?
もらった役だとか、本人(ホンモノ?)の代わりに演じたりしているとか。
役が映える、役も立つ? 川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は日暮れ前に首を吊れ
何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?
むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ
日暮れ前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! 975(2): 01/14(火)11:37 ID:CrwRq0Ww0(6/7) AAS
遣唐使は知っていた。
<旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
画像リンク[png]:i.imgur.com
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
※日本の使者に、倭国と日本は別国という認識がある事がわかる
漢委奴国王は漢・委奴国王? 九州王朝磐井、磐井の乱で敗れたため歴史から消される。 >>963
普通に考えれば畿内説も阿波説もそれで消えるのだけど畿内説側からの反論として一つの国(かつての倭奴国)に倭国呼びと日本呼びとの二つがあってそれを併せたと言うのがある
アホだよね 倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>966
現実として大陸産に頼ったのは始めのうちで熊本のベンガラがあるから問題ないね >>966
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ 倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>970
九州は、倭国(阿波)への単なる通過国だよ。 わははははは @阿波 >>969
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>971
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
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/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
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アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
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し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
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/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ 倭国の港は宇土・鵜戸でいいのかな
ウドって地名は重要な気がする
熊本県宇土半島、福岡県小倉の宇土、宮崎県の鵜戸 >>974
どうでもいい話! わははははは @阿波 >>975
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 阿波の場合は記紀に即してなくとも凄い物があるから倭国に違いないと考える。
田川の場合は現地伝承は当たり前として神社や史跡に名前や痕跡があるだけではなく記紀に即した字名がそのまま残りその地が記紀にピッタリと合うから恐ろしい
記紀だけではなく英彦山一つで魏志倭人伝に符号するから怖い 阿波には縄文〜弥生時代に先駆的な文明があったことに間違いないだろうが、中華史に畫かれている倭國とは別物。 >>979
>中華史に畫かれている倭國とは別物。
その書かれている内容が、倭国(阿波)のことなんだよ。 @阿波 >>980
残念ながらお宅ら阿波は呉の属国
出土物や文化圏を見渡しても四国の中で仲間外れになっている >>981
おつむ、だいじょうぶ? わははははは @阿波 根の国ってどこょ?
四国かな薩摩かな山口かな
根ってなんだろぅ うと、うど=海渡=兎渡
因幡の白兎でも読み返してくださいな阿波さん >>984
おつむ、だいじょうぶ? わははははは @阿波 >>980
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>985
♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
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〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ 学術機関リポジトリデータベース
https://irdb.nii.ac.jp/
日本全国いろんな大学の教授や生徒さんらの
古代史に対する研究レポートが読めます
検索式ダウンロード式です
かなり便利な検索HPです
もし次スレあれば貼って頂きたいと思います
宜しくお願いします ×根の国を単純に根、土の中、死とイメージするなら本居
〇根を根源、根本的と捉えて、根=始まり、もとの国と読む
つまり淡路島かONOKORO島か原作者の祖国
さあどれでしょう? 根の国から峠を一つ越えてイザナギは筑紫の日向の小戸に帰りつき、身を清めるために禊をした。
つまり根の国も九州。
関門海峡も遠賀川河口も渡っていない。
ヒラ=上り坂
サカ=下り坂
黄泉比良坂=黄泉の峠 例えば>>988のHPで黄泉と検索いれますと
約40件の
京都大学や佛教大学学習院などのリポジトリが出ます。
いろんな見方があるなあと感心します
たくさん有りすぎて読むだけで時間が過ぎてしまいますけどね 昔のヒラって石の事だぞ
ヒラサカなら石の坂
神社への石の階段もヒラサカで正しいだろうけど
時代が合うのかねぇ
ヒラもヘラも似てる 次スレもあるからうめ
倭国でヒラサカなら大坂山かなぁ 次スレあるからうめ
大昔の話だもの
何にもかなったのよ、だけど美しい
だから美しいが正しいかな
次スレあるからうめ
たくさんの祖先、先祖が命をかけて
残してくれた美しい日本だもの
大事にしなきゃ
次スレあるからうめ
政治家も公務員も大人も
確りしなきゃ
みんなコロナウィルスに負けるなよ
東京でもかなり病人でてるみたいだが
秘密にしてる様子だよ
会社が潰れる、飲食店が潰れるから無かった事にするんだと
オリンピックも控えてるし
どうなるんだろ このスレッドは1000を超えました。
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