秦氏はどこから来たか 4
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秦氏ホータン出身説が最も具体的。その他の説はゴミに近い。
あとは太秦エルサレム説の真贋だけだ。 残念です 古代の発音はウテ
だから音写で于闐の漢字表記となっております 失礼
漢字名の于闐はウテンが当時のホータンの発音だったから 残念でした >>949
妄想にすぎない
だったらまずは土地の呼称を人の名前にする慣習があったと証明しないとな グーグル翻訳は便利だが、1語しか翻されないのが難点。
その点、GLOSBEは数語が例示される。
このGLOSBEでは、種はトルコ語でtohumのほかにtaneも示されている。
日本にもたらされたのは、このtaneのほうなんよ。 >>955
古来、日本では住んでいる土地の名を部族名とし、氏族が誕生するとその居住地の土地名を氏族の苗字とする慣習があった。
その慣習によって、太秦と名付けた土地名の秦の字を取って、氏族名のハタの音に被せたのが秦氏の名。
もちろん、その基になったハタの呼称も、出身地の土地名であるホータンから取ったもの。
これらは日本の習俗によるものであり、ハタの名は弓月君自身ではなく、その子の浦東君あたりから用いたものだろう。
弓月君自身は、ユダヤ教徒としての元々の氏族名を用いていたのではないか。 >>954
于闐(ウテン)の于の音は、中古音ではfiuoなので、ホ音に近い。
中世音ではfiuとなり、ウ音に近くなる。
というわけだから、中国語においてもホータンの音が忠実に再現されていたとするのがよい。
ざんねーん!!!!! 百済に住んでたからクンダル名乗ってたのかな
ちなみにペクチェは秦語(上古音)の発音だよな >>958 言い訳は聞き飽きました そもそも方言だらけの中国で古代の音など正確に分かるわけがない
それより子供の名前を地名にちなんでつける慣習など一体どこにあったのか?w
さあ実際の例ぐらい挙げてみろよ
ユダヤ系ではありえないんだがまだユダヤ系とおっしゃるのかなこのバカはw ユダヤ人がそんな意味のない名前の付け方する訳が無いだろが
それぐらいお前みたいな脳なしでも分かるよな
しょせんこいつはこの程度 >于闐(ウテン)の于の音は、中古音ではfiuoなので、ホ音に近い。
中世音ではfiuとなり、ウ音に近くなる。
これも全く的外れ
上古音だろうが中古音だろうが、時代により発音は変わっていた。
ホータンは当時は「ウテン」とチベット語で呼ばれていたのを中国人が漢字で表したから于闐だったのだ >>959
クンダル?
クダラは、三羅の一つ。
三羅は、クダ羅(クダラ)、加羅(カラ)、新羅(シンラ)。
つまり、百済の自称名が、巨太羅(コテラ=大国)だったのだ。
この巨太羅(コテラ)を、日本が万葉仮名読みでコダラと発音し、これが訛ってクダラ(百済)となったのだ。
なので、クダラ(巨太羅)は、元々は百済の自称の巨太羅(コテラ)で、それが日本読みでクダラ(巨太羅=百済)となったもの。 >>958
中国の地方語の発音は、その地方でしか残らない。
しかし、中央で認知された言葉は、その中央発音で残る。
于闐は中央で認知されたから、fiuo tianの発音が残った。
fiuo tianは、フィォ・ティァンだから、ホータンそのもの。 もともと土地の名前はペクチェなんだよな
だから中国語の上古音でペクチェ(百済)ってちゃんと表記されてる
その百済(ペクチェ)の住民だった一族がクンダル名乗ったから倭人がそいつらの住んでた土地を同じように呼んだわけで これから先、誰に何を言われようともホータン爺はホータン爺のままなのだろうね。
悲しいね。 >>967
百済(baegjie=ペチェ)の前身は伯済(baegjie=ペチェ)だったことが分かっている。
伯を百に置き替えただけ。
その百済の中に住んでいたクンダル氏族から取ったクダラの名を日本が百済の読みとした、など聞いたことがない。
デタラメだろう。
クダラは百済の自称である巨太羅(コテラ)の日本読みで、加羅、新羅とともに三羅の一つだった。 >>968
誰が何と言おうと、ちゃんとした反証がない限り、ハタ(秦)氏のハタはホータンのホタの訛ったものとするのがOK。
おめーらは、ハタの発音の由来が全然説明できてない。
イェフダ(ユダヤ人)のフダ、ハダがハタの語源だとする日ユ同祖論や大氏族の波多氏のハタに背乗りした説のほうがまだましと言える。
はやく、ちゃんとした反証を示したまえ。 >>970
4世紀前半頃に日本人が漢字を普通に読めたとは思えん。
朝鮮語読みの巨太羅(コテラ)の発音を聞いた日本人が、これをクダラと訛っただけ。
だから、クダラの読みが日本にしかないのよ。
巨太羅(コテラ)は百済の単なる自称だから、文章には残らなかった。 ハタは、ホータンのホタが訛ったもの。
ハタ氏の秦は、太秦(ウズマサ)の秦を取ったもの。
ハタ氏に秦の字を被せたのは、かなりあとになってから。
秦氏の苗字が成立したのは、欽明天皇のあたりではないか。 隋書に記録された秦王国が先なのでそれはない
「住民は華夏に同じ(中国人に似ている、同様)でここが夷洲(中国から見て東の野蛮人の住む土地とは思えない」と記録されていますw
ホータン野郎は妄想をやめたほうがいい。 >977
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。 >977
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。 >>976
原文の読みが変だ。
秦王国は、皇帝が特別に家臣に土地を与えて王にした国のこと。
なので、この原文は「…筑紫国(伊都国)に着いて、さらに東に進んで秦王国に来た。風俗が倭国のそれと全然違って中華と同じだ。野蛮人の国だと思っていたのにまさか皇帝の秦王国がここにあるなんて、混乱してその理由を明らかにできないよ…」というもの。
皇帝の秦王国があると思ってしまったのは、実はここは那津官家がある博多であって、官人たちがそろって中国風の衣服を着ていたからだ。
使節の裴世清は、このことは普通に承知していたが、桃源郷に来たように脚色して異郷感を漂わせる文飾を行ったということだよ。
この文飾は、このあと十数国を経て「海岸に着いた」とする倭国の旅程を謎めかすための前置きだね。
なので、この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。
漢文は、少し読み違えると全然違った解釈をしてしまうから、要注意だよ。 ホータン爺は功満王の渡来も嘘だと決めつけてるからな。ただ宇佐八幡の辺りも秦氏系の人が多い訳でね。また墓穴掘ったんじゃないかな。
>この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。 遣隋使がいる時代に何が桃源郷だよ 正気で言ってるならどんな時代だったか全く分かっていない >>983
始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。
宇佐八幡の近傍に秦姓が多いのは事実のようだが、これは秦氏がその土地の渡来系人民を囲い込んだ結果、それらの者が秦姓を名乗るようになったというふうに考えられているからね。
当然、そのあたりに対して太秦の秦氏の影響が強かったということは言えても、宇佐八幡が秦氏と深い縁があったかどうかは分からない。
まして、秦王国が宇佐八幡を指しているという確証もないわけで。 忍者のルーツは「中国」にあった!? 服部半蔵の「驚くべき血筋」とは
https://www.rekishijin.com/31436
秦氏とは東漢氏と並ぶ渡来系氏族で、3〜7世紀頃に渡来。『日本書紀』応神天皇紀によれば、百済より百二十県の人を率いて
やってきた弓月君を祖とすると記しているが、天日槍を祖とする新羅・加羅系渡来氏族とみなす識者も少なくない。 秦氏はピューリタン?
秦氏は古代キリスト教『景教』 >>987、>>988
そう考えるについては、何かの根拠があるはず。
その微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠を挙げてみたまえ。
聞いてみたいもんやわ。 >>985
↓ホータン爺の発言とは思えず、腹抱えて笑ったわ あんまり笑かすなよ
秦氏がホータンからきたって記録がどこにあるんだよ!?w
> 始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。
いいかげんにしろよインチキ野郎 そもそも弓月国だかも妄想であって、史書に記録はない。ホータン爺はぺてん師としか思えん オカルト板にいけ なんだかんだ言いながら、あっち向いてホイか。
微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠すらも出せない秦氏新羅説者と秦氏景教説者の空虚な妄説。
秦氏はトルコ語話者。
トルコ語は、当時、西域以西でしか話されてなかった。
ホータンは、西域の超有名オアシス都市。
5世紀になるとチュルク系のホータン語は、ペルシャ系言語に取って変わられる。
その動乱で、ホータンを脱出して日本にやってきたのが秦氏の祖の弓月君。
ごく普通にトルコ語話者だったのよ。
百済や新羅がトルコ語話していた国なんか?
ダメダメ。
無理無理。
一昨日きたまえ。 トルコ語でtikis(チクシ)は「出口」の意味。
筑紫は、このトルコ語を語源とするのは明らか。
ということは、このトルコ語を話していた人物は九州ではなく、畿内あたりにいたということになるな。
まさに、太秦にいた秦氏がトルコ語話者だったことを示すものなんだよ。
ついでに、iki(イキ)は数字の2を表す。
壱岐は半島から2番目の島だよね。
秦氏がこの島を2番目の島(iki=イキ)と言ったのが壱岐と書かれた。
もう、秦氏がトルコ語話者だったことで手を打とうじゃないか。 秦氏が百済、新羅出身だとする説は、根拠がほとんどない希望的妄想以外の何ものでもない。
それに比べて、秦氏ホータン出身説は、根拠がいくらでもあるから余裕。
どう、この違いは。
第一、当時日本にはなかった上質絹織物を秦氏が天皇に貢いだということは、その養蚕と織物技術を秦氏が調達できたということだ。
これは、秦氏が先祖の弓月君がいた西域ホータンと連絡が取れていたことを示しているわけ。
蚕と織物技術を先進地のホータンから入手していたということだな。
根拠は、いくらでもあるのよ。 >>994
このような視点からすれば、筑紫はトルコ語のtikis(チクシ=出口)、壱岐はトルコ語のiki(イキ=数詞の2)に由来することもちゃんと説明できることになる。
弓月君が西域ホータンの出身でトルコ語話者だったことを示す有力な根拠になるのよ。
どうよ、この明察は。 そもそもトルコ語の地名だとしても秦氏とは関係ない
秦氏と吸収に会ったであろう秦王国は関係ないと言っておきながらこれだからな
矛盾だらけの根拠なき主張をしておるだけの脳みそが足りない愚か者だとしか思えんw
そもそもお前の主張の根拠もただの憶測、妄想にしか過ぎない。 トルコ語は妄想ではな〜い!
現実そのものだ。
おめーらの空想妄想などと一緒にするな。 そのトルコ語の語彙が秦氏の周りにうじゃうじゃみられると言うとるのよ。 秦氏の残した寺院や遺跡、墓である古墳からもホータンやトルコ、ユダヤと繋がるものは何も有りません、出てきませんがな。
壱岐島にしても秦氏と何の関係があるのか 秦氏の勢力下にあったならともかく 「イ」から始まる地名なんて古代から珍しくもない ホータン爺のこじつけに過ぎない 何の根拠もない このスレッドは1000を超えました。
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