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天皇制のルーツは結局何なのか2
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0001アッシー垢版2020/07/01(水) 16:33:11.28
スレ主がパート2を立てていないので、勝手に引き継いでもう少し議論展開してみたいというわけ。
日本書紀編纂室は、神武が長脛彦の勢力になぜか勝てなかったのは天神系の饒速日のせいにしているが、これは長脛彦馬飼い女真族が強かったためであり、馬を用いた高句麗に負けた大和政権のトラウマのなせるわざだったのではないか。
0123日本@名無史さん垢版2020/07/05(日) 20:56:34.04
>>118
遼河文明が4500年前に衰退して、遼河文明の担い手Y-N種族が四散し、そのN種族の後を追ってO2、C2種族が遼河地方に進入してさらに満州や半島へ拡散したとするこれまでの研究と一致する。
それまでの半島域には九州縄文人が北上していたことが分かっているから、O2やC2の進入にともなって南岸地方へ後退した日本語話者というのが縄文系の者たちだったことも容易に想定できる。
ただ、この九州系縄文人が本土へ渡来したのが弥生人だというのは、やや疑問が残る。
水稲を北部九州にもたらしたのはO1b2種族であり、その後もO1b2種族の人口は増加しているからだ。
3500年前頃からの半島の九州系縄文人の渡来は断続的に続いたと思われるが、水稲栽培を担った弥生人はそうした渡来縄文人も含めた縄文人とO1b2水稲種族のハーフだと思われる。
0124日本@名無史さん垢版2020/07/05(日) 20:57:00.81
無文土器時代(むもんどきじだい)は、朝鮮半島の考古学的な時代区分である。
紀元前1500年から300年頃に及ぶ。

時代的には日本の弥生時代と重なり、南部はこれから影響を受けた可能性もある。
特に北部九州と朝鮮半島南部には共通の文化要素が見られる。

かつては朝鮮半島における青銅器時代と呼ばれたが、
青銅器が出現したのは紀元前8世紀であり、普及したのは末期であるから正確ではない。

葬制としては巨大な支石墓が特徴的であるが、南部では急激に様式が切り替わる、
石槨墓や甕棺墓が見出されている。
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