>>145
衰退した匈奴が内モンゴルでバッタリ倒れるのが5世紀頃らしいから、
まあ時期としては物部の鍛冶が交野や大和に現れるのと合ってるけどね。
淡路の鍛冶は弥生後期だから、卑弥呼の前の時代だし。
それに、モンゴルの匈奴の製鉄炉の羽口の差し込み角度と蹈鞴のそれと角度が同じらしい。
蹈鞴は早くて5世紀の可能性ありだから、まあ、一概に交野、大和の物部を排除することもないな。