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四条畷と饒速日との関連についてだが、次のようなことが言える。
四条畷から国道163号が東へ続いていて、この163号は山中の北田原大橋の信号で南北から来る国道168号と交差している。
この二つの国道は旧街道と重なる道だと思われるが、
四条畷で飼育した馬を大和や木津川、その他の東方各地へ送るには、この幹線道が非常に重要になる。
また、大和方面や木津川方面からの物資の運搬にとっても最重要の幹線道であり、その逆方向への運輸にとっても重要さは同じである。
そこで、5世紀中頃に始まった四条畷の馬の飼育の要員にとって、この生駒山系北部の幹線道路の交差点は馬の搬送や物資の運輸にとって極めて重要な場所であったことは、
地図を見れば一目で分かる。
この北田原大橋の交差点のすぐ東南方向にあるのが白庭台であり、長脛彦の地盤であったとされる所である。
そして、交差点の北西すぐのところにある山が付近の山の中で最も高い山であり、山頂からは交差点が眼下に見降ろせる地形となっている。
さらに、山頂からは白庭台や大和盆地もずっと見渡せる地形である。
この山頂から東北の麓の道の脇にあるのが饒速日が乗って来た磐船とされる磐座を祀る磐船神社がある。
このような立地を考えると、この交差点を見降ろす山である地蔵ヶ谷山が饒速日が降りたとされる哮ヶ峰であるとするのが妥当だ。
では、こうした立地にある北田原大橋の交差点の地を掌握することで最大の利益を得るのは誰かといえば、5世紀中頃としては四条畷の馬飼い集団であることは言を待たない。(続く)